雑多 短篇
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「僕は"家具"ですから」
「自分の事、そんな風に言うもんじゃないぜ。嘉音くん」
朱志香お嬢様は僕や紗音に対して、同じ人間のように接して下さる。そのお気持ちは有り難いけれど、僕達は"家具"だ。人間未満の存在だ。そんな僕達に人間としての何かを求められても、それに応えることは、出来ない。
「僕は"家具"ですから」
僕は自分に言い聞かせるように、今日もこの言葉を繰り返す。
家具であること、
貴方であること
嘉音が使用人として右代宮家に勤めるようになって数日、用事によって六軒島を出ていた#樹里亞#が帰ってきた。#樹里亞#は身寄りの無い子供であったが、右代宮家の当主である金蔵が#樹里亞#にベアトリーチェを見出だした、とか何とかで、養子に迎えた子供だった.
朱志香と同学年なので、兄弟達とは歳が離れてはいるが戸籍上では楼座の下の妹、右代宮家の三女ということになっている。
#樹里亞#が船から出て島に降り立つと、慣れ親しんだ使用人の紗音と見慣れない少年が並んで立っていた。
「#樹里亞#様、お帰りなさいませ」
「紗音、ただいま。ここまで迎えに来てくれなくてもよかったのに…お仕事、忙しいでしょ?」
「そんなっ、私が#樹里亞#様をお迎えしたかったから来たんです!」
屋敷から少し距離のある船着き場までわざわざ迎えに来てくれた紗音に少し申し訳なく思いながらも、#樹里亞#は『ありがとう』と返した。そして、初めて見た少年について尋ねる。
「ところで…こちらの少年は?」
#樹里亞#が手で少年を示しながら尋ねると、紗音は慌てて紹介を始める。
「はいっ、彼は#樹里亞#様の外出中からこちらに勤めさせて頂くことになった嘉音くん、私の弟です」
紗音が簡単な説明をする隣で、嘉音と紹介された少年がすっと右手を自分の胸元に添え、挨拶をした。
「そっか、嘉音くんね。これから宜しくお願いします」
「も、勿論ですっ。…僕は家具です、何でもおっしゃって下さい」
「………かぐ?」
目の前に居る人間から出たのは、"自分は家具だ"という言葉。一瞬怯んだ#樹里亞#に対して、嘉音は至って真面目な顔をしている。それを聞いた紗音は少し表情を曇らせた後、困ったような顔をした。
「え、えーと。それじゃあ屋敷に戻るとしますか!」
#樹里亞#は辛抱ならない空気を何とか出来ないものかと大きな旅行鞄を持ったまま伸びをすると、屋敷へ続く道へと進行方向を切り換えた。
「#樹里亞#様っ、お荷物は私達が運ばせて頂きますから!」
すたすたと緩やかな坂道を登っていく#樹里亞#を、紗音と嘉音は急いで追い掛けた。嘉音の言葉に対して、#樹里亞#は叱責することも、冗談にして笑い飛ばすことも出来なかった。
*****
屋敷に着き、荷物を片付けた#樹里亞#は旅の土産と土産話を携えて朱志香の部屋を訪ねる。
「ただいまー、朱志香!」
「#樹里亞#、帰ってたのかよっ?」
ノックもそこそこに#樹里亞#が部屋へ入ると、クッションを抱えベッドに転がっていた朱志香が飛び起きる。
「今よ、今。ほら、ちゃんとお土産も買ってきたんだから」
そう言って後ろ手に提げていた紙袋を顔の横まで持ち上げた。地名と特産品の名前が味のある書体で書かれたその紙袋を見ると、朱志香の顔はパッと明るくなった。そして、二人はそれを御茶請けに会えなかった数日間の分を埋めるように会話に華を咲かせた。
「…っと、そういえば朱志香、新しく来た嘉音くんってどんな感じ?」
「ん?嘉音くん?」
お菓子を頬張り#樹里亞#の言葉に首を傾げる朱志香は、口一杯の甘味を堪能すると、カップに口をつけ余韻を流し込む。そして歯の間に何か詰まっているように、すっきりしない表情をしながら朱志香は答えた。
「どんなって…もう会ったか?」
「うん。紗音と一緒に船着き場まで迎えに来てくれた時に、挨拶程度だったけど」
「まあ、そんな感じだよ」
「そんな感じって」
朱志香らしくないはっきりとしない答えに#樹里亞#は苦笑した。そんな#樹里亞#の様子に、呆れられたのだと受け取った朱志香は『そんなこと言われてもなあ…』と、頭を掻きながら弁解を始める。
「私だってまだそんなに話したことは無いし…。それに、#樹里亞#も会ったんなら大体の雰囲気は察しただろ?いい奴ではあるんだろうけど、紗音みたいに明るいタイプではないよな」
「うん」
「私が言えるのはその位だぜ」
そこまで言うと『これから知っていけば良いんだから、問題ねーぜ!』と、何時もの満面の笑みを見せた。
「そっか、そうだね」
朱志香のその笑顔を見ると、#樹里亞#は胸のつかえが軽くなる気がした。
「でも、なんでそんな事聞いたんだ?」
「え、ああ、さっき会った時にさ…」
話し出した途中で#樹里亞#は直ぐに言葉を切った。『自分のことを家具だと言っていた』それを本人の居ない所で、憶測だけで言及しても良いものだろうかと考えさせたのだ。
「どうした?」
急に言葉を切った#樹里亞#を不思議そうに見ながら、朱志香はテーブルの上のお菓子に手を伸ばす。#樹里亞#もそれに続けて手を伸ばし、綺麗に包装されたセロファンに触れると『ううん。たいしたことじゃないんだけどね』と言ってその場は濁すことにした。クラスメートの恋の話や学校での他愛のない話、ちょっとした愚痴などを話し、#樹里亞#は朱志香の部屋を後にした。
それから、#樹里亞#は買い込んだお土産を両手に抱えて金蔵や蔵臼、夏妃、南條や使用人達と帰宅後の挨拶に屋敷中を練り歩いた。しかし、広い屋敷を何度往復しても嘉音の姿は見当たらず、#樹里亞#は金蔵の部屋へ向かう途中の源次に嘉音について尋ねた。
「嘉音ですか?それでしたら、薔薇庭園の手入れをするよう言ったので、まだ外に居るかと」
右手を添えて軽くお辞儀をする源次の話を聞くと、#樹里亞#は短く『ありがとう』と言って廊下を駆け出した。
*****
階段を降り、大きな扉の片方を自分の身体が通るギリギリ程度に開ける。瞬間、美しい薔薇達が姿を見せ、甘い薫りが鼻腔を擽る。今日はとてもよく晴れた日で、薔薇達の浴びた雫が花弁の上や葉の上で陽の光を受け艶やかに輝いていた。
そんな薔薇達の中に嘉音の姿を捜し、#樹里亞#は辺りをぐるりと見渡す。右へ左へ瞳を揺らし、二回三回行ったり来たり。そして漸く、薔薇の茂みの向こうに嘉音らしき帽子を捜し当てた。いきなり声をかけるのもなんだろうと思い、#樹里亞#は嘉音の方へ歩を進めた。決して気配を消している訳でもないのに仕事に没頭しているのだろうか、嘉音が#樹里亞#に気が付く様子はない。嘉音まで後三歩という距離になって、自分に気付くことなかった嘉音の理由を知る。
嘉音は両手の指からぽつぽつと紅い滴を垂らしていて、そしてそれを拭う訳でも洗い流す訳でもなく、作業を再開しようとしている。土やばい菌が傷口から入り込んでは大変だと、#樹里亞#は急いで止めに入った。
「嘉音くん、ストップ!」
「#樹里亞#様っ?」
やっと#樹里亞#の存在を知った嘉音は、両手を素早く身体の後へ隠す。
「どうなさったんです、このような所へっ…」
「そんなことより、手」
『いけません』と言って立ち上がる嘉音の左手を、#樹里亞#は透かさず取った。嘉音は驚いて一度大きく肩を震わせたが、直ぐに手を引っ込めようと力を入れる。しかし、#樹里亞#はそれを許さない。負けじと手首を掴む手を強めると右手も取り、逃げられないように向かい合わせた。遂に観念した嘉音だったが、#樹里亞#の視線から逃れようとしているのか顔を俯かせ、目を合わせようとはしなかった。嘉音の掌を見ると指の先から掌まで幾つもの小さな傷があり、ぽつりぽつりと紅い玉が湧いては繋がり、手を伝って地面に落ちた。
「血が、こんなにっ…早く手当てしないと!」
「…大丈夫です」
「大丈夫じゃないっ。放っておいたら土とかばい菌とか…、最初の処置が大事なんだから!」
そう言うと#樹里亞#は嘉音の手を引き、外の水道まで連れ立った。蛇口の下へ手を出させると袖口を二度程折って、水がかかってしまわないようにする。
「少し滲みるかもしれないけど、我慢ね」
勢いよく出ないよう小さく蛇口を捻り、緩やかに流れる水を一度手で受けながら、嘉音の掌に優しく落とす。
「……くっ」
出来る限りに優しく洗うが、嘉音は小さな苦痛の声を上げる。土を落とし、血を洗い流すと幾つもの小さな刺し傷がありありと見えた。水を止め、すっかり綺麗になった嘉音の手を#樹里亞#はポケットから出したハンカチでふわりと包む。
「#樹里亞#様、お止め下さい!」
『汚れてしまいます』と再び引っ込めようとする手を優しく、それでいてしっかりと#樹里亞#は掴み直した。そして肩から掛けた小さめのポシェットに手を突っ込むと、中からポーチを取り出す。
「#樹里亞#様…」
嘉音は未だに居心地が悪そうな顔で#樹里亞#の名前を呟く。それとは反対に、#樹里亞#は笑顔を見せると消毒液や絆創膏を出し、手際良く処置を進めた。関節部分や掌などの剥がれ易い箇所にはきちんとテーピングを施すと、#樹里亞#は『よし』と言って顔を上げた。
「これで取り敢えずは大丈夫、の筈」
「…すみません」
満足そうな#樹里亞#とは対照的に、嘉音は再び顔を俯かせる。
「僕は、家具なのに……家具なのに、御手を、煩わせてしまいました」
『申し訳ございません』と目を合わせることなく謝罪する嘉音。
「関係ないよ。誰が怪我をしていたって、手当てはするでしょ?」
「でも、僕は家具です」
何故か頑なに距離を置こうとする嘉音の言葉が#樹里亞#には気になった。
「船着き場でも言ってたけど…家具って、テーブルとか箪笥とかベッドとか。あの家具?」
突然話題を変えてきた上に自分の言葉にこのような返事をされたことの無い嘉音は、戸惑いながらも答えた。
「そうです。僕は、僕達は…この右代宮家にお仕えする家具なんです」
「家具なのは、良くないことなの?」
「良い悪いの問題ではなく…」
何故こんな説明をしているのだろうとは思いながらも、一向に理解を示さない#樹里亞#をどうにか納得させようと嘉音が顔を上げる。するとそこには、待ってましたと言わんばかりの笑顔を向ける#樹里亞#が居た。
「やっと見てくれた」
一言そう呟き絆創膏だらけの嘉音の両手を合わせ、包み込んだ。
「#樹里亞#様…?」
温かな違和感に戸惑いながらも、#樹里亞#を映す瞳が逸らせないことに気付く嘉音。その瞳をもう逃さぬように捕らえた#樹里亞#はもう一度口を開いた。
「人はさ……人は、どんなに立派な外観でも、どんなに大きな敷地でも、ただの箱の中では生きていけないんだよ」
「 ? 」
突然つむぎ出した#樹里亞#の言葉は嘉音にはまるで分からなかった。しかし疑問を抱いた表情を気に止める様子もなく、#樹里亞#は言葉を続ける。
「美味しい食事を皆で囲むテーブル、疲れた身体を休めるベッド、冬の寒さを待つ洋服達を仕舞う箪笥……。それって、生活に必要不可欠ってことなんだよ」
刹那、大きく開かれる嘉音の瞳。
「私達の生活が成り立つのはその色々な全てと、嘉音くん達のお陰なんだよ」
そこに住まう人、支える人、存在するその全てが『右代宮』の財産と言えるんじゃないのかな。
包んでいた手を解放すると、そのまま指先を繋いで#樹里亞#は嘉音の手を引いた。隙を突いたその力は嘉音をその場から一歩踏み出させた。
「#樹里亞#、様…」
「だから…そんな苦しそうな顔をしないで?」
「えっ?」
手に感じていた温もりがふっと消えると、次の瞬間にはそれが両頬を捉らえていた。
「あ、あのっ、#樹里亞#様」
「嘉音くんの言う通り、嘉音くんは家具なのかもしれない」
#樹里亞#は真剣な表情を見せながらも、優しい声音ではっきりと言葉を続けた。
「でも、家具である前に…嘉音くんは嘉音くんで。そして、嘉音くんである前に、貴方は貴方なんだよ」
嘉音が嘉音であることに代わりは居ない。それと同時に、嘉音である前の自分も在るということ。
「今ここに在る貴方を、否定することないじゃない。家具であることも、嘉音くんであることも……きっと、貴方を形作る要素の一つなんだよ」
嘉音の表情の変化を感じた#樹里亞#は、一度頬をぺしと叩くとその手を離す。嘉音ははっとしたように目を見開き、しかし直ぐに顔真っ赤にして逸らした。
「#樹里亞#様…それでも、僕はっ」
「『家具』です?」
「……申し訳ありません」
先手を打ってそう言った#樹里亞#に、嘉音は申し訳なさそうに返す。しかし、その顔にはさっきのような苦しさは薄れているのが感じられた。
「うん、分かった。今は"家具"でもいいから、だから……」
ちょっとずつ好きになろう?世界も、人も、自分も。
「きっと、その方が何十倍も何百倍も楽しいよ」
閉じていく扉をすんでのところで止められたような、そんな気持ちを嘉音は感じた。そして搾り出すように『努力、してみます』と言ってみせた。
「うん。改めてこれからよろしくね、嘉音くん」
「はい、#樹里亞#様」
漸く対話が出来た嬉しさに#樹里亞#は何度も首を縦に振ってみせた。嘉音はそんな#樹里亞#に根負けしたのか、小さな苦笑を漏らす。二人の間に広がっていた距離が決して無くなった訳ではないのだが、僅かに削られたのは確かだった。
*****
「#樹里亞#様、宜しいでしょうか?」
薔薇に囲まれた道を抜けて、声を掛けたのは源次だった。
「あ、源次さん」
#樹里亞#が振り返ると小さくお辞儀をして、金蔵が呼んでいるという旨を伝えた。当主からの要望とあらば向かわない訳にはいかない。#樹里亞#は二人と二三言葉を交わすと、屋敷へ向かって駆け出した。
長い長い廊下を足早に進みながら、#樹里亞#は一つ忘れていたことを思い出した。
「あ、お土産渡すの忘れてた…」
嘉音を捜していた理由であった筈のお土産を渡すという本題を、失念していた。しまったという具合に土産の入った紙袋を見る#樹里亞#だったが、その表情は次第に笑顔へと変わっていった。何故なら、これでもう一度自然に会話をする口実が出来たのだから。
*****
「嘉音、その手はどうした?」
「あ、いえ…」
源次に尋ねられ#樹里亞#に手当てしてもらった手をさっと後ろへ回し、嘉音は『大丈夫です』と返事をした。源次はその様子を見た後、辺りに置かれた鋏やじょうろの取っ手に点々と紅い模様が見えることに気付き、『棘には気をつけなさい』と言ってその場を後にした。庭園に一人残された嘉音は自分の両手を見詰めながら、先程のことを思い返していた。
僕は『家具』だ。
人間未満の存在だ。
でも、こんな自分でも誇りを持てたら…その存在は許されるのかも、しれない。
何かを護ることも、出来るのかもしれない。
嘉音はそう思えた。
終
_
「自分の事、そんな風に言うもんじゃないぜ。嘉音くん」
朱志香お嬢様は僕や紗音に対して、同じ人間のように接して下さる。そのお気持ちは有り難いけれど、僕達は"家具"だ。人間未満の存在だ。そんな僕達に人間としての何かを求められても、それに応えることは、出来ない。
「僕は"家具"ですから」
僕は自分に言い聞かせるように、今日もこの言葉を繰り返す。
家具であること、
貴方であること
嘉音が使用人として右代宮家に勤めるようになって数日、用事によって六軒島を出ていた#樹里亞#が帰ってきた。#樹里亞#は身寄りの無い子供であったが、右代宮家の当主である金蔵が#樹里亞#にベアトリーチェを見出だした、とか何とかで、養子に迎えた子供だった.
朱志香と同学年なので、兄弟達とは歳が離れてはいるが戸籍上では楼座の下の妹、右代宮家の三女ということになっている。
#樹里亞#が船から出て島に降り立つと、慣れ親しんだ使用人の紗音と見慣れない少年が並んで立っていた。
「#樹里亞#様、お帰りなさいませ」
「紗音、ただいま。ここまで迎えに来てくれなくてもよかったのに…お仕事、忙しいでしょ?」
「そんなっ、私が#樹里亞#様をお迎えしたかったから来たんです!」
屋敷から少し距離のある船着き場までわざわざ迎えに来てくれた紗音に少し申し訳なく思いながらも、#樹里亞#は『ありがとう』と返した。そして、初めて見た少年について尋ねる。
「ところで…こちらの少年は?」
#樹里亞#が手で少年を示しながら尋ねると、紗音は慌てて紹介を始める。
「はいっ、彼は#樹里亞#様の外出中からこちらに勤めさせて頂くことになった嘉音くん、私の弟です」
紗音が簡単な説明をする隣で、嘉音と紹介された少年がすっと右手を自分の胸元に添え、挨拶をした。
「そっか、嘉音くんね。これから宜しくお願いします」
「も、勿論ですっ。…僕は家具です、何でもおっしゃって下さい」
「………かぐ?」
目の前に居る人間から出たのは、"自分は家具だ"という言葉。一瞬怯んだ#樹里亞#に対して、嘉音は至って真面目な顔をしている。それを聞いた紗音は少し表情を曇らせた後、困ったような顔をした。
「え、えーと。それじゃあ屋敷に戻るとしますか!」
#樹里亞#は辛抱ならない空気を何とか出来ないものかと大きな旅行鞄を持ったまま伸びをすると、屋敷へ続く道へと進行方向を切り換えた。
「#樹里亞#様っ、お荷物は私達が運ばせて頂きますから!」
すたすたと緩やかな坂道を登っていく#樹里亞#を、紗音と嘉音は急いで追い掛けた。嘉音の言葉に対して、#樹里亞#は叱責することも、冗談にして笑い飛ばすことも出来なかった。
*****
屋敷に着き、荷物を片付けた#樹里亞#は旅の土産と土産話を携えて朱志香の部屋を訪ねる。
「ただいまー、朱志香!」
「#樹里亞#、帰ってたのかよっ?」
ノックもそこそこに#樹里亞#が部屋へ入ると、クッションを抱えベッドに転がっていた朱志香が飛び起きる。
「今よ、今。ほら、ちゃんとお土産も買ってきたんだから」
そう言って後ろ手に提げていた紙袋を顔の横まで持ち上げた。地名と特産品の名前が味のある書体で書かれたその紙袋を見ると、朱志香の顔はパッと明るくなった。そして、二人はそれを御茶請けに会えなかった数日間の分を埋めるように会話に華を咲かせた。
「…っと、そういえば朱志香、新しく来た嘉音くんってどんな感じ?」
「ん?嘉音くん?」
お菓子を頬張り#樹里亞#の言葉に首を傾げる朱志香は、口一杯の甘味を堪能すると、カップに口をつけ余韻を流し込む。そして歯の間に何か詰まっているように、すっきりしない表情をしながら朱志香は答えた。
「どんなって…もう会ったか?」
「うん。紗音と一緒に船着き場まで迎えに来てくれた時に、挨拶程度だったけど」
「まあ、そんな感じだよ」
「そんな感じって」
朱志香らしくないはっきりとしない答えに#樹里亞#は苦笑した。そんな#樹里亞#の様子に、呆れられたのだと受け取った朱志香は『そんなこと言われてもなあ…』と、頭を掻きながら弁解を始める。
「私だってまだそんなに話したことは無いし…。それに、#樹里亞#も会ったんなら大体の雰囲気は察しただろ?いい奴ではあるんだろうけど、紗音みたいに明るいタイプではないよな」
「うん」
「私が言えるのはその位だぜ」
そこまで言うと『これから知っていけば良いんだから、問題ねーぜ!』と、何時もの満面の笑みを見せた。
「そっか、そうだね」
朱志香のその笑顔を見ると、#樹里亞#は胸のつかえが軽くなる気がした。
「でも、なんでそんな事聞いたんだ?」
「え、ああ、さっき会った時にさ…」
話し出した途中で#樹里亞#は直ぐに言葉を切った。『自分のことを家具だと言っていた』それを本人の居ない所で、憶測だけで言及しても良いものだろうかと考えさせたのだ。
「どうした?」
急に言葉を切った#樹里亞#を不思議そうに見ながら、朱志香はテーブルの上のお菓子に手を伸ばす。#樹里亞#もそれに続けて手を伸ばし、綺麗に包装されたセロファンに触れると『ううん。たいしたことじゃないんだけどね』と言ってその場は濁すことにした。クラスメートの恋の話や学校での他愛のない話、ちょっとした愚痴などを話し、#樹里亞#は朱志香の部屋を後にした。
それから、#樹里亞#は買い込んだお土産を両手に抱えて金蔵や蔵臼、夏妃、南條や使用人達と帰宅後の挨拶に屋敷中を練り歩いた。しかし、広い屋敷を何度往復しても嘉音の姿は見当たらず、#樹里亞#は金蔵の部屋へ向かう途中の源次に嘉音について尋ねた。
「嘉音ですか?それでしたら、薔薇庭園の手入れをするよう言ったので、まだ外に居るかと」
右手を添えて軽くお辞儀をする源次の話を聞くと、#樹里亞#は短く『ありがとう』と言って廊下を駆け出した。
*****
階段を降り、大きな扉の片方を自分の身体が通るギリギリ程度に開ける。瞬間、美しい薔薇達が姿を見せ、甘い薫りが鼻腔を擽る。今日はとてもよく晴れた日で、薔薇達の浴びた雫が花弁の上や葉の上で陽の光を受け艶やかに輝いていた。
そんな薔薇達の中に嘉音の姿を捜し、#樹里亞#は辺りをぐるりと見渡す。右へ左へ瞳を揺らし、二回三回行ったり来たり。そして漸く、薔薇の茂みの向こうに嘉音らしき帽子を捜し当てた。いきなり声をかけるのもなんだろうと思い、#樹里亞#は嘉音の方へ歩を進めた。決して気配を消している訳でもないのに仕事に没頭しているのだろうか、嘉音が#樹里亞#に気が付く様子はない。嘉音まで後三歩という距離になって、自分に気付くことなかった嘉音の理由を知る。
嘉音は両手の指からぽつぽつと紅い滴を垂らしていて、そしてそれを拭う訳でも洗い流す訳でもなく、作業を再開しようとしている。土やばい菌が傷口から入り込んでは大変だと、#樹里亞#は急いで止めに入った。
「嘉音くん、ストップ!」
「#樹里亞#様っ?」
やっと#樹里亞#の存在を知った嘉音は、両手を素早く身体の後へ隠す。
「どうなさったんです、このような所へっ…」
「そんなことより、手」
『いけません』と言って立ち上がる嘉音の左手を、#樹里亞#は透かさず取った。嘉音は驚いて一度大きく肩を震わせたが、直ぐに手を引っ込めようと力を入れる。しかし、#樹里亞#はそれを許さない。負けじと手首を掴む手を強めると右手も取り、逃げられないように向かい合わせた。遂に観念した嘉音だったが、#樹里亞#の視線から逃れようとしているのか顔を俯かせ、目を合わせようとはしなかった。嘉音の掌を見ると指の先から掌まで幾つもの小さな傷があり、ぽつりぽつりと紅い玉が湧いては繋がり、手を伝って地面に落ちた。
「血が、こんなにっ…早く手当てしないと!」
「…大丈夫です」
「大丈夫じゃないっ。放っておいたら土とかばい菌とか…、最初の処置が大事なんだから!」
そう言うと#樹里亞#は嘉音の手を引き、外の水道まで連れ立った。蛇口の下へ手を出させると袖口を二度程折って、水がかかってしまわないようにする。
「少し滲みるかもしれないけど、我慢ね」
勢いよく出ないよう小さく蛇口を捻り、緩やかに流れる水を一度手で受けながら、嘉音の掌に優しく落とす。
「……くっ」
出来る限りに優しく洗うが、嘉音は小さな苦痛の声を上げる。土を落とし、血を洗い流すと幾つもの小さな刺し傷がありありと見えた。水を止め、すっかり綺麗になった嘉音の手を#樹里亞#はポケットから出したハンカチでふわりと包む。
「#樹里亞#様、お止め下さい!」
『汚れてしまいます』と再び引っ込めようとする手を優しく、それでいてしっかりと#樹里亞#は掴み直した。そして肩から掛けた小さめのポシェットに手を突っ込むと、中からポーチを取り出す。
「#樹里亞#様…」
嘉音は未だに居心地が悪そうな顔で#樹里亞#の名前を呟く。それとは反対に、#樹里亞#は笑顔を見せると消毒液や絆創膏を出し、手際良く処置を進めた。関節部分や掌などの剥がれ易い箇所にはきちんとテーピングを施すと、#樹里亞#は『よし』と言って顔を上げた。
「これで取り敢えずは大丈夫、の筈」
「…すみません」
満足そうな#樹里亞#とは対照的に、嘉音は再び顔を俯かせる。
「僕は、家具なのに……家具なのに、御手を、煩わせてしまいました」
『申し訳ございません』と目を合わせることなく謝罪する嘉音。
「関係ないよ。誰が怪我をしていたって、手当てはするでしょ?」
「でも、僕は家具です」
何故か頑なに距離を置こうとする嘉音の言葉が#樹里亞#には気になった。
「船着き場でも言ってたけど…家具って、テーブルとか箪笥とかベッドとか。あの家具?」
突然話題を変えてきた上に自分の言葉にこのような返事をされたことの無い嘉音は、戸惑いながらも答えた。
「そうです。僕は、僕達は…この右代宮家にお仕えする家具なんです」
「家具なのは、良くないことなの?」
「良い悪いの問題ではなく…」
何故こんな説明をしているのだろうとは思いながらも、一向に理解を示さない#樹里亞#をどうにか納得させようと嘉音が顔を上げる。するとそこには、待ってましたと言わんばかりの笑顔を向ける#樹里亞#が居た。
「やっと見てくれた」
一言そう呟き絆創膏だらけの嘉音の両手を合わせ、包み込んだ。
「#樹里亞#様…?」
温かな違和感に戸惑いながらも、#樹里亞#を映す瞳が逸らせないことに気付く嘉音。その瞳をもう逃さぬように捕らえた#樹里亞#はもう一度口を開いた。
「人はさ……人は、どんなに立派な外観でも、どんなに大きな敷地でも、ただの箱の中では生きていけないんだよ」
「 ? 」
突然つむぎ出した#樹里亞#の言葉は嘉音にはまるで分からなかった。しかし疑問を抱いた表情を気に止める様子もなく、#樹里亞#は言葉を続ける。
「美味しい食事を皆で囲むテーブル、疲れた身体を休めるベッド、冬の寒さを待つ洋服達を仕舞う箪笥……。それって、生活に必要不可欠ってことなんだよ」
刹那、大きく開かれる嘉音の瞳。
「私達の生活が成り立つのはその色々な全てと、嘉音くん達のお陰なんだよ」
そこに住まう人、支える人、存在するその全てが『右代宮』の財産と言えるんじゃないのかな。
包んでいた手を解放すると、そのまま指先を繋いで#樹里亞#は嘉音の手を引いた。隙を突いたその力は嘉音をその場から一歩踏み出させた。
「#樹里亞#、様…」
「だから…そんな苦しそうな顔をしないで?」
「えっ?」
手に感じていた温もりがふっと消えると、次の瞬間にはそれが両頬を捉らえていた。
「あ、あのっ、#樹里亞#様」
「嘉音くんの言う通り、嘉音くんは家具なのかもしれない」
#樹里亞#は真剣な表情を見せながらも、優しい声音ではっきりと言葉を続けた。
「でも、家具である前に…嘉音くんは嘉音くんで。そして、嘉音くんである前に、貴方は貴方なんだよ」
嘉音が嘉音であることに代わりは居ない。それと同時に、嘉音である前の自分も在るということ。
「今ここに在る貴方を、否定することないじゃない。家具であることも、嘉音くんであることも……きっと、貴方を形作る要素の一つなんだよ」
嘉音の表情の変化を感じた#樹里亞#は、一度頬をぺしと叩くとその手を離す。嘉音ははっとしたように目を見開き、しかし直ぐに顔真っ赤にして逸らした。
「#樹里亞#様…それでも、僕はっ」
「『家具』です?」
「……申し訳ありません」
先手を打ってそう言った#樹里亞#に、嘉音は申し訳なさそうに返す。しかし、その顔にはさっきのような苦しさは薄れているのが感じられた。
「うん、分かった。今は"家具"でもいいから、だから……」
ちょっとずつ好きになろう?世界も、人も、自分も。
「きっと、その方が何十倍も何百倍も楽しいよ」
閉じていく扉をすんでのところで止められたような、そんな気持ちを嘉音は感じた。そして搾り出すように『努力、してみます』と言ってみせた。
「うん。改めてこれからよろしくね、嘉音くん」
「はい、#樹里亞#様」
漸く対話が出来た嬉しさに#樹里亞#は何度も首を縦に振ってみせた。嘉音はそんな#樹里亞#に根負けしたのか、小さな苦笑を漏らす。二人の間に広がっていた距離が決して無くなった訳ではないのだが、僅かに削られたのは確かだった。
*****
「#樹里亞#様、宜しいでしょうか?」
薔薇に囲まれた道を抜けて、声を掛けたのは源次だった。
「あ、源次さん」
#樹里亞#が振り返ると小さくお辞儀をして、金蔵が呼んでいるという旨を伝えた。当主からの要望とあらば向かわない訳にはいかない。#樹里亞#は二人と二三言葉を交わすと、屋敷へ向かって駆け出した。
長い長い廊下を足早に進みながら、#樹里亞#は一つ忘れていたことを思い出した。
「あ、お土産渡すの忘れてた…」
嘉音を捜していた理由であった筈のお土産を渡すという本題を、失念していた。しまったという具合に土産の入った紙袋を見る#樹里亞#だったが、その表情は次第に笑顔へと変わっていった。何故なら、これでもう一度自然に会話をする口実が出来たのだから。
*****
「嘉音、その手はどうした?」
「あ、いえ…」
源次に尋ねられ#樹里亞#に手当てしてもらった手をさっと後ろへ回し、嘉音は『大丈夫です』と返事をした。源次はその様子を見た後、辺りに置かれた鋏やじょうろの取っ手に点々と紅い模様が見えることに気付き、『棘には気をつけなさい』と言ってその場を後にした。庭園に一人残された嘉音は自分の両手を見詰めながら、先程のことを思い返していた。
僕は『家具』だ。
人間未満の存在だ。
でも、こんな自分でも誇りを持てたら…その存在は許されるのかも、しれない。
何かを護ることも、出来るのかもしれない。
嘉音はそう思えた。
終
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