長篇
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HRでの遅れから、有無を言わさず始まった一時限目。それが終わって二時限目への準備のための短い間の時間。途端に伊吹の席は囲まれた。
どうして転入が遅れたのか。
どうして日本の学校へ転入することになったのか。
生まれた時から海外で生活していたのか。
家庭の事情ってどんなことなのか。など。
どれもこれもが彼女自身に興味を持って親睦を深めたいというよりは、個人のデリケートな所へ不躾に踏み込んだようなもので、モヤモヤしたものが少しずつ湧いてくるのを感じた。そんな思いをわざわざ抱いてやる必要もないはずなんだが、質問責めにあっている当の本人が少々困ったような表情を見せながらも律儀に答えたり、家庭の部分では気に障らない程度に曖昧に答えるものだから、それがまた俺のモヤモヤを増幅させた。
さっさと次の授業が始まってくれ。
たった五分ほどのその時間が嫌に長く感じられて、自分にしか分からない程度の溜め息を吐きながら次の授業の教科書を出そうと机の中に手を入れると、隣の席を囲む内の一人がはしゃいでなのか俺の机にぶつかった。
机に向けていた視線を反射的に相手に移すと、直前に溜め息を吐いていたこともあるのか、いや、元々の顔の問題か。相手が一瞬マズいという表情になる。互いに文句を言うでも謝るでもない数秒が流れると、次の授業の教科担が教室に入ってきて丁度よく本鈴が鳴る。隣の席を囲んでいた他の連中に紛れて、ぶつかってきた相手も自分の席へ戻っていった。モヤモヤしていた気持ちがイライラに変わった瞬間だった。
そして、長いような短い時間を漸く解放された伊吹を見ると、引きつった笑顔をこちらに向けながら「あはは……なんだか、すごいね」と言った。その顔は物の数分で既に疲れているようだった。それに特に応えるでもなく視線を元に戻すと、俺はもう一つ溜め息を零した。
第1.5話 二度あることは三度あるって言うけど
二時限目が終わってすぐ席を外していた俺が教室へ戻ると、そこはさっきより酷い有り様になっていた。教室の外には噂を聞きつけてか他のクラスの連中が入り口と廊下側の窓から中を覗き込んでいるし、クラスメートに囲まれた伊吹の姿はもはや見えない上、俺の机に座っている奴までいる。
イライラするのと同等、いや、それ以上に面倒臭さを感じた俺は自分の席へ戻ることを諦めて、三時限目が始まるまで時間を潰そうと踵を返した。すると突然、背中を衝撃が襲った。そして、すぐ後ろから聞こえてきた脳天気な声。
「よう、マムシ。お前のクラスに転校生きたんだろ!」
「ああ?」
確かめるまでもない相手に振り向き様そのまま睨むと「おー、こわっ」と思ってもいない口振りで脳天気な声の持ち主、桃城は応えた。
「もう、2年の間じゃあ、どのクラスもこの話題で持ち切りだぜ。可愛い子が来たって」
教室から遠ざかっていく俺にわざわざ付いて来ながら「で、どうなんだよ」と尋ねてくる桃城。
「てめぇの目で確かめりゃ良いじゃねえか」
「まあな。でも、今は見られる気がしねえし。それに、お前の主観での意見を聞いとこうと思って」
「ああ?そんなの聞いて何になる」
「まあ、単なる好奇心だ!」
気にするなと馴れ馴れしく肩を組んでくるともう一度「で、どうなんだよ」と諦めない様子の桃城。その腕を払うようにどかして逃れるも、気にせず並んで歩くものだからどうしようもなくて、俺はもう一度ギロリと睨んでから、折れた。
「……小さい」
「小さい?背が?」
「いや、特別それほど小さい訳でもないか。……髪が、黒くて、長い」
「それで?」
「……」
「おいおい、他にも何かあるだろ。可愛いって騒がれてるんだから、アイドルの誰それに似てるとか、女優の誰々っぽいとか」
アイドルだの女優だの、そんなの俺が分かるわけないんだからさっさと見に行って来いよ。という思いを込めて視線を送ってみるも、まだ何か出てくるのを待っている桃城。仕方がなく昨日出会ったばかりの彼女を思い返し、適当な言葉を探す。
「……犬っぽい」
「はあ?犬ぅ?」
「……無駄に律儀で、お節介」
野良猫のために木に登り、落ちても自分より先に子猫の心配。勝手に怪我した俺に申し訳なさそうな顔で手当を申し出る姿。クラスメートの不躾な質問にも笑顔を絶やさないよう努める、そんな姿が思い出されて出た言葉だった。
「何で、今日転校してきた子なのにそんなの分かるんだよ」
「あ?」
そう言われればそうだった。
席が隣になったことを言えばもっとしつこく聞かれるだろうし、昨日のことを言えばもっと面倒なことは目に見えていた。というか、そもそも話したくもなかった。なので俺は、その後は「てめぇには関係ねえ」の一点張りで凌いで三時限目が始まる二分ほど前に教室へ戻った。桃城はわざとらしく残念そうな素振りをしながらも、俺の教室まで着くとあっさりと自分のクラスである隣へ戻っていく。
チラリとさえ教室を覗く様子もない桃城に、あいつ、本当に興味あったのか?俺の休み時間を潰すための嫌がらせか何かだったのか?という気さえしてきた。
教室前の廊下は、次の授業の移動なんかもあってか人集りも大分収まっていた。しかし、それでもギリギリまで粘ろうとする、話しかけることもできない様子の他クラスの男子が覗いてはいるようだ。芸能リポーターのように囲んでいたクラスメイトも授業の準備に移りだし減っていたが、俺が戻ってきたことで完全に散ったようだ。席に着くと引きつった笑顔からどことなく力ない笑顔になった伊吹が「おかえり」と言った。二十分近くあの状態だったのかと思うと流石に同情する。
最後に囲んでいた女子達が居なくなったことで姿が晒された伊吹に、まるで天岩戸に籠もっていた天照大神が漸く姿を現したかの如く、廊下の方から小さく歓声が上がる。そして、伊吹の手前に座る俺が邪魔だとか、こっち向いてくれないかなだとか、顔がどうのスタイルがどうのとヒソヒソと話し出した。クラスメイトの失礼な質問は下世話だったが、これは下品というやつだ。
隣に座る伊吹を視界に入れると、顔を赤らめて俯きそれはもう居心地悪そうに堪えていた。クラスメイトのように話しかけられれば返すこともできるのだろうが、こういう状況ではわざわざ出向いて彼女から声をかけるというのも難しいだろう。話しかけられる訳でもなく遠巻きにジロジロと見られ、ヒソヒソと語られ、視線の通過点である俺がこんなに癪に障るのだ。現状、為す術のない伊吹がどれだけ嫌な心持ちでいるか、とか考えると腹が立ってきた。
俺は引き気味で座っていた椅子を隣に座る伊吹に丁度被るように前にずらして座り直し、自分より小さい彼女をすっかり隠した。廊下の男子が口々に邪魔だとぼやきだしたが、そりゃあそうだ、邪魔をしてるんだから。そして、もう授業が始まるんだからいい加減戻れよ。という意味を込めて睨みつけるように一瞥すると、彼らは一瞬怯んだ顔を見せた後に提出する課題がどうのという、取って付けたような会話をしながら自分の教室へ戻っていった。
酷く長い二十分だったと、鳴り出した本鈴を聞きながら教科書を準備していると机の端を細い指先がつついた。
「?」
「あ、ありがとうね」
手の主の方を向くと、辛うじて俺に聞こえるくらいの声で伊吹はそう言った。俺の気が悪かったからだと言えば、悪くもないのに謝ってきそうだったし、俺は短く返事をするだけで切り上げた。
それから三時限目、四時限目と終えて昼休みになった。机をくっつけた女子のグループに早々に声を掛けられた伊吹はその輪に混ざっていった。その様子を見てはたと疑問が浮かぶ。おい、あの輪の中からどうやって伊吹を連れ出して、昼休み中に校舎を案内すればいいんだ、と。言葉やタイミングを幾つか考えてみるもしっくりこなくて、終いには隣だからって案内を任せるなよ、どうせ世話焼きの女子がするだろうに……なんて担任を恨み出していた。
しかし、直接頼まれて返事もしてしまった手前、何にも行動を起こさないというのも不味い。願わくば伊吹を誘った女子達が自分達が案内するよと言い出すことに期待して、ひとまずは弁当を食べることにしよう。
*****
「あ、海堂くん、校舎の案内お願いしても……いい?」
声を掛けてきたのは伊吹の方だった。
俺が食べ終わって弁当を包んだところで、話していた女子達に断りを入れると伊吹はこちらへ来てそう言った。時計を確認するとまだ二十五分くらい時間はあるので、これなら充分だろうと二人で教室を出た。
「あいつらに案内するとか言われなかったのか?」
「う、うん、案内するとは言ってくれたんだけど……」
昼食に誘うくらいだからその後に案内するのも流れとしては有りそうなもんだがという疑問を投げ掛けると、伊吹は歯切れ悪く肯定した。
「なんか、格好良い先輩がいる教室をコースで案内してあげるって言われて、不安になって……断ってきちゃった」
「非実用的な案内だな」
「そう、だね」
後頭部を掻きながら困ったと笑う伊吹。
「俺の案内は実用性重視だぞ」
「はい。是非それでお願いします!」
俺は言葉通りに授業で使う特別教室や教材室、更衣室、保健室、図書室なんかを案内して回った。そして、体育館へ向かう道すがら昨日のことを思い出す。
「そういえば、部活はテニス部に入るのか?」
「うん。実は昨日、書類の確認に来た時に入部届けも書いたんだ」
「そうか、なら途中だしテニスコートと部室も見てくか」
そう言って俺が女子テニス部が使用するコートと部室の方へ案内しようとすると同時に、「あっちだよね」とあかりは別の方向を指さした。
「いや、こっちだ」
「え?だって……」
「女子テニス部だろ?」
「男子テニス部でしょ?」
「は?」
「え?」
いや。いやいや、聞き間違いだろう。なんで伊吹が男子テニス部なんだ。頭が痛くなってきた。
「昨日、テニスの本読んでて……」
「うん。マネージャーとしてちゃんとテニスの知識を持っておこうと思って」
「マネージャー?」
そこで伊吹は何かを思い出した様子で口元に手を当てる。
「あ、そうだった。紛らわしかったんだよね……。私ね、男子テニス部にマネージャーとして入部することにしたの」
そうか、そういうことだったのか。それなら、可笑しくない。いや、可笑しくないか?今まで女子マネージャーが入部したことなんてなかったし、入れようというような話も上がったことはなかった。大体、部長は女子マネージャーを入れるようなタイプか?
ぐるぐると考えている俺を差し置いて伊吹は「そういえば、海堂くんもテニスやってるって言ってたね!」なんて笑っていやがる。
「あ、あれっ、テニスコート行かないの?」
「もう知ってるなら行く必要ないだろ」
立ち止まっていた足を体育館への進路そのままに歩き出した俺を慌てて追いかける伊吹。部室は見てない、という声も鍵が無ければ中は見れないと流して、そのまま案内を続けた。最初は「えー」なんて言いながらも、すぐ見られるしいいか、とあっさり切り替え横に並ぶ伊吹。何だかこいつには調子を狂わされてばかりだなと感じつつ、残りの箇所を足早に案内して五時限目の準備ができるよう俺達は教室に戻った。
*****
午後の授業と帰りのHRが終わると伊吹は再びクラスメイトの標的となった。
一緒に帰ろう、街を案内するよ、あそこに寄って行こうなど女子達が盛り上がっていると、天からの救いのように校内放送がかかり伊吹が職員室へ呼ばれた。残念だと声を上げる彼女達にお礼と断りを入れて早足で教室を後にする伊吹の背を見て、大変だな転校生は、なんて悠長なことを思いながら俺も部活に向かうべく教室を出た。
着替えを終えた俺は、まだレギュラーメンバーも揃っていないし、一年生達が駆け足で用具を準備する様子を視界の端に捉えながら簡単な柔軟を始めた。慌ただしく働く一年生達の中に傍目にも我関せずという具合の越前がガットを弄って立っているのが目に入り、アイツもレギュラーではあるが、それでも一応は入部したての一年だろうが……などと思っていると視線をに気付いたのか、こちらを見て帽子の鍔をくいっと上げて「……ッス」と挨拶をされた。
可愛くない後輩だと心の中でぼやいていると、突然周りの空気が変わってざわつき始めた。部長や顧問の竜崎先生が来た時のざわついてから引き締まるものとは違う、色めき立つような雰囲気に彼らの視線の先を見やる。そこには顧問である竜崎先生、手塚部長と大石先輩の後ろに付いてコートに入る伊吹の姿があった。ああ、さっきの呼び出しはこれだったのか。
そわそわと落ち着かない部員達を前に竜崎先生が手を叩きながら集合をかける。まだ幾らか動揺を見せる部員達が集まったのを確認すると、手塚部長が口を開いた。
「彼女は今日からテニス部でマネージャーをしてもらう、伊吹あかりだ」
部長の言葉を受けて大石先輩が少し後ろに立っていた伊吹を前に誘導する。
「は、はじめましてっ。マネージャーを務めさせていいただくことになりました、伊吹あかりです。今日、転入してきたばかりで……えっと、最初はご迷惑もかけると思いますが、しっかり仕事を果たせるよう頑張ります!よろしくお願いします!」
教室での挨拶の時のように言い終わると深々と頭を下げる伊吹と訪れる沈黙。ざっと周りを見ると一年は純粋に喜んでいるが、今までの部の雰囲気を知っている二、三年は想定外の事態に喜ぶというよりも困惑しているようだった。その中でも越前は相変わらず特に驚きも喜びもせずに居たが。
声を上げていいものかとこの場に居る殆どが空気を窺っていた中で、真っ先に大声を発したのは菊丸先輩だった。
「すっげー!女子マネージャーとか初めてじゃん!あ、俺は菊丸英二、三年ね。よろしく、伊吹さん!」
「はい、よろしくお願いします、菊丸先輩!」
二人のその会話を聞いて、次々に挨拶をしていく部員達。クラスメイトにテニス部員、そんなに覚えられるものだろうか。俺なら無理だな。と一人一人の顔と名前を記憶しようとする伊吹を見て思う。最早、挨拶なんて必要ないであろう俺が遠巻きに状況を静観していると、不意に右肩に重りが加わる。
「あの子が無駄に律儀でお節介なワンちゃんか?」
「ああ?」
挨拶を済ませた桃城がやってきて「確かに、騒がれるだけあって可愛い子だなあ」と続けて頬を緩ませた。置かれた腕から煩わしさを隠さずに肩を抜くと、ふと視界に同じように遠巻きに見ていた越前が居た。
「越前、お前まだ挨拶してないんだろ?そんなとこ突っ立ってないで行ってこいよ!」
「俺は別に……いいっス」
肩を抜かれてがくっと腕を落とした桃城にも映ったのだろう、今度は越前の首に引っかけるようにして腕を回し、こちらに引きずってきた。
「なんだ、なんだ。可愛い先輩マネージャーに緊張でもしてるのか?」
キャップの上から頭を掴むようにしてそのままぐりぐりとする桃城。
「ちょ、桃先輩、痛いっス。それに、そんなんじゃないし」
「照れるな照れるな!もっと素直に浮かれても良いんだぜ?」
文句と反論をしながら桃城をぐいっと押し返してキャップを直した越前に尚も懲りずに構おうとしているかと思えば、不意に俺の首にも腕が回されてバランスを崩す。右腕を俺の首に回し、左腕に越前を引っ掴んだ桃城が笑顔で右手をヒラヒラと振っている。その方向を見ると、主に桃城がだが騒がしくしていた俺達に気付いてか伊吹が微笑んでいて、桃城に応えて小さく手を振り返している。
こいつと仲が良いとか勘違いされるのが嫌だなと視線を逸らしたら、同じく拘束された越前が心底ウザいといった表情をしていて、この瞬間だけは激しく共感した。
大体の挨拶は済んだらしく伊吹のマネージャー内容の説明がされた。マネージャーが一人出来たからといって雑事が全て賄われる訳じゃ勿論なく、基本は記録や乾先輩と共にレギュラーメンバーのサポートに付いたり、1年生と準備や後片付けをする、というようなものだった。
取り敢えず今日は全体の流れを見たり、1年生と一緒に準備や片付けをしながら備品の場所の確認なんかをするようで、ジャージに着替えを済ませると乾先輩に何やら書類の束を渡されて、グラウンドを走る部員の傍ら、必死な様子でそれに目を通していた。
*****
練習が終わり、片付けに入る。何も全て一年生にやらせているということでもなく、部員全員でやることが殆どだ。でも、部員の多さもあって最後の用具を戻したりというのを一年生がする、というような流れは自然とあった。大方の作業が終わると上級生からちらほら帰って行く、そんな感じだ。俺も自分の作業が終わり帰ろうと部室へ向かっていると、重ねたカラーコーンを抱える伊吹が前方から駆けてきた。
「あ、海堂くん終わり?」
「ああ」
「お疲れさま!テニス部の練習ってやっぱりハードだね。その上、レギュラーメンバーの練習はまた輪をかけて凄かったね。驚いちゃったよ!」
少し興奮気味に伊吹はそう言ったが、昨日今日で驚かされてることが多いのは多分、俺の方だろう……とわざわざ言わないが心の中でぼやいた。「二度あることは三度ある」とは言うが、木の上から落ちてくる、転校生として同じクラスで再会、部活まで同じと、もう三度驚かされてしまったんだ。もう早々驚かされることもないと思いたい。
また明日ね!と微笑んだ伊吹が俺達の前を通り過ぎようとしていた越前を止めた。
「あっ、ねえ、リョーマくん!」
「……なに?」
帰ろうとしていたところを止められたからか、幾らか面倒そうに返事をした越前に、気にする様子もなく言葉を続ける伊吹。越前も何を言われたのか分からないが「ふーん、まあ、いいけど」と返す。
……ん?今、越前のこと名前で呼んだか?
コイツ、さっき挨拶してなかったよな。
「おチビ、何話してんのっ?」
「おや、越前は伊吹さんと面識があったのかい?」
どこからかそんな様子を見ていたのか不二先輩と菊丸先輩がやってきた。その勢いのまま越前を捕まえて頭をうりうりとする菊丸先輩に、半ば諦めた様子で抵抗もせずに越前は答える。
「別に、家で飼ってる猫の餌が切れるから帰りに買いに行こうって……」
「家ってどっちのさ?」
「家なんだから俺の家に決まって……?」
とまで口にした越前は何かに気付いた様子で一瞬だけ目を大きく開いた。そして、のし掛かる菊丸先輩を避けてそそくさと帰ろうとしだす。
「どうして、越前の家の猫の餌を伊吹さんが買いに行こうって誘うのかな?」
それを逃さない不二先輩。ぴたりと止まって言おうか言うまいかとしている越前を隣に、伊吹が「ああ、それはですね」と回答を引き継ぐ。
「私、リョーマくんのお家……正確に言うと、私の父の友人であるリョーマくんのお父さんのお家で、下宿させてもらっているんです」
あっけらかんと言った伊吹に、余計なことを言うなよと恨めしい視線を向けた後、キャップの鍔を引き深く被る越前。そして、次の瞬間には一体いつから聞いていたのか、片付けをしていた筈の部員達から驚愕の声があちらこちらから発せられた。かく言う俺も、勿論のこと驚いていた。
それから、詰め寄ってきた菊丸先輩や一年生達に説明をしている姿を見た辺りで、俺はテニスコートを後にした。もうこれ以上驚かされるのは堪らなかったのだ。昨日今日とで驚かされてばかりで精神的に疲れた俺は、いつもの通学路の穏やかな風景で平静を取り戻しながら家路に就いた。
ロードワークのコースでもある道を進んでいると、昨日まで何とか持ち堪えていた桜がもう殆ど散ってしまっているのが目に入った。広場の前でテニスバッグを肩に掛け直し、一つ息を漏らした。
「フシュゥゥ……」
二度あることは三度あるって言うけど
「今日の四度だけでも済まないだろ絶対……」
と、俺は思った。
終
どうして転入が遅れたのか。
どうして日本の学校へ転入することになったのか。
生まれた時から海外で生活していたのか。
家庭の事情ってどんなことなのか。など。
どれもこれもが彼女自身に興味を持って親睦を深めたいというよりは、個人のデリケートな所へ不躾に踏み込んだようなもので、モヤモヤしたものが少しずつ湧いてくるのを感じた。そんな思いをわざわざ抱いてやる必要もないはずなんだが、質問責めにあっている当の本人が少々困ったような表情を見せながらも律儀に答えたり、家庭の部分では気に障らない程度に曖昧に答えるものだから、それがまた俺のモヤモヤを増幅させた。
さっさと次の授業が始まってくれ。
たった五分ほどのその時間が嫌に長く感じられて、自分にしか分からない程度の溜め息を吐きながら次の授業の教科書を出そうと机の中に手を入れると、隣の席を囲む内の一人がはしゃいでなのか俺の机にぶつかった。
机に向けていた視線を反射的に相手に移すと、直前に溜め息を吐いていたこともあるのか、いや、元々の顔の問題か。相手が一瞬マズいという表情になる。互いに文句を言うでも謝るでもない数秒が流れると、次の授業の教科担が教室に入ってきて丁度よく本鈴が鳴る。隣の席を囲んでいた他の連中に紛れて、ぶつかってきた相手も自分の席へ戻っていった。モヤモヤしていた気持ちがイライラに変わった瞬間だった。
そして、長いような短い時間を漸く解放された伊吹を見ると、引きつった笑顔をこちらに向けながら「あはは……なんだか、すごいね」と言った。その顔は物の数分で既に疲れているようだった。それに特に応えるでもなく視線を元に戻すと、俺はもう一つ溜め息を零した。
第1.5話 二度あることは三度あるって言うけど
二時限目が終わってすぐ席を外していた俺が教室へ戻ると、そこはさっきより酷い有り様になっていた。教室の外には噂を聞きつけてか他のクラスの連中が入り口と廊下側の窓から中を覗き込んでいるし、クラスメートに囲まれた伊吹の姿はもはや見えない上、俺の机に座っている奴までいる。
イライラするのと同等、いや、それ以上に面倒臭さを感じた俺は自分の席へ戻ることを諦めて、三時限目が始まるまで時間を潰そうと踵を返した。すると突然、背中を衝撃が襲った。そして、すぐ後ろから聞こえてきた脳天気な声。
「よう、マムシ。お前のクラスに転校生きたんだろ!」
「ああ?」
確かめるまでもない相手に振り向き様そのまま睨むと「おー、こわっ」と思ってもいない口振りで脳天気な声の持ち主、桃城は応えた。
「もう、2年の間じゃあ、どのクラスもこの話題で持ち切りだぜ。可愛い子が来たって」
教室から遠ざかっていく俺にわざわざ付いて来ながら「で、どうなんだよ」と尋ねてくる桃城。
「てめぇの目で確かめりゃ良いじゃねえか」
「まあな。でも、今は見られる気がしねえし。それに、お前の主観での意見を聞いとこうと思って」
「ああ?そんなの聞いて何になる」
「まあ、単なる好奇心だ!」
気にするなと馴れ馴れしく肩を組んでくるともう一度「で、どうなんだよ」と諦めない様子の桃城。その腕を払うようにどかして逃れるも、気にせず並んで歩くものだからどうしようもなくて、俺はもう一度ギロリと睨んでから、折れた。
「……小さい」
「小さい?背が?」
「いや、特別それほど小さい訳でもないか。……髪が、黒くて、長い」
「それで?」
「……」
「おいおい、他にも何かあるだろ。可愛いって騒がれてるんだから、アイドルの誰それに似てるとか、女優の誰々っぽいとか」
アイドルだの女優だの、そんなの俺が分かるわけないんだからさっさと見に行って来いよ。という思いを込めて視線を送ってみるも、まだ何か出てくるのを待っている桃城。仕方がなく昨日出会ったばかりの彼女を思い返し、適当な言葉を探す。
「……犬っぽい」
「はあ?犬ぅ?」
「……無駄に律儀で、お節介」
野良猫のために木に登り、落ちても自分より先に子猫の心配。勝手に怪我した俺に申し訳なさそうな顔で手当を申し出る姿。クラスメートの不躾な質問にも笑顔を絶やさないよう努める、そんな姿が思い出されて出た言葉だった。
「何で、今日転校してきた子なのにそんなの分かるんだよ」
「あ?」
そう言われればそうだった。
席が隣になったことを言えばもっとしつこく聞かれるだろうし、昨日のことを言えばもっと面倒なことは目に見えていた。というか、そもそも話したくもなかった。なので俺は、その後は「てめぇには関係ねえ」の一点張りで凌いで三時限目が始まる二分ほど前に教室へ戻った。桃城はわざとらしく残念そうな素振りをしながらも、俺の教室まで着くとあっさりと自分のクラスである隣へ戻っていく。
チラリとさえ教室を覗く様子もない桃城に、あいつ、本当に興味あったのか?俺の休み時間を潰すための嫌がらせか何かだったのか?という気さえしてきた。
教室前の廊下は、次の授業の移動なんかもあってか人集りも大分収まっていた。しかし、それでもギリギリまで粘ろうとする、話しかけることもできない様子の他クラスの男子が覗いてはいるようだ。芸能リポーターのように囲んでいたクラスメイトも授業の準備に移りだし減っていたが、俺が戻ってきたことで完全に散ったようだ。席に着くと引きつった笑顔からどことなく力ない笑顔になった伊吹が「おかえり」と言った。二十分近くあの状態だったのかと思うと流石に同情する。
最後に囲んでいた女子達が居なくなったことで姿が晒された伊吹に、まるで天岩戸に籠もっていた天照大神が漸く姿を現したかの如く、廊下の方から小さく歓声が上がる。そして、伊吹の手前に座る俺が邪魔だとか、こっち向いてくれないかなだとか、顔がどうのスタイルがどうのとヒソヒソと話し出した。クラスメイトの失礼な質問は下世話だったが、これは下品というやつだ。
隣に座る伊吹を視界に入れると、顔を赤らめて俯きそれはもう居心地悪そうに堪えていた。クラスメイトのように話しかけられれば返すこともできるのだろうが、こういう状況ではわざわざ出向いて彼女から声をかけるというのも難しいだろう。話しかけられる訳でもなく遠巻きにジロジロと見られ、ヒソヒソと語られ、視線の通過点である俺がこんなに癪に障るのだ。現状、為す術のない伊吹がどれだけ嫌な心持ちでいるか、とか考えると腹が立ってきた。
俺は引き気味で座っていた椅子を隣に座る伊吹に丁度被るように前にずらして座り直し、自分より小さい彼女をすっかり隠した。廊下の男子が口々に邪魔だとぼやきだしたが、そりゃあそうだ、邪魔をしてるんだから。そして、もう授業が始まるんだからいい加減戻れよ。という意味を込めて睨みつけるように一瞥すると、彼らは一瞬怯んだ顔を見せた後に提出する課題がどうのという、取って付けたような会話をしながら自分の教室へ戻っていった。
酷く長い二十分だったと、鳴り出した本鈴を聞きながら教科書を準備していると机の端を細い指先がつついた。
「?」
「あ、ありがとうね」
手の主の方を向くと、辛うじて俺に聞こえるくらいの声で伊吹はそう言った。俺の気が悪かったからだと言えば、悪くもないのに謝ってきそうだったし、俺は短く返事をするだけで切り上げた。
それから三時限目、四時限目と終えて昼休みになった。机をくっつけた女子のグループに早々に声を掛けられた伊吹はその輪に混ざっていった。その様子を見てはたと疑問が浮かぶ。おい、あの輪の中からどうやって伊吹を連れ出して、昼休み中に校舎を案内すればいいんだ、と。言葉やタイミングを幾つか考えてみるもしっくりこなくて、終いには隣だからって案内を任せるなよ、どうせ世話焼きの女子がするだろうに……なんて担任を恨み出していた。
しかし、直接頼まれて返事もしてしまった手前、何にも行動を起こさないというのも不味い。願わくば伊吹を誘った女子達が自分達が案内するよと言い出すことに期待して、ひとまずは弁当を食べることにしよう。
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「あ、海堂くん、校舎の案内お願いしても……いい?」
声を掛けてきたのは伊吹の方だった。
俺が食べ終わって弁当を包んだところで、話していた女子達に断りを入れると伊吹はこちらへ来てそう言った。時計を確認するとまだ二十五分くらい時間はあるので、これなら充分だろうと二人で教室を出た。
「あいつらに案内するとか言われなかったのか?」
「う、うん、案内するとは言ってくれたんだけど……」
昼食に誘うくらいだからその後に案内するのも流れとしては有りそうなもんだがという疑問を投げ掛けると、伊吹は歯切れ悪く肯定した。
「なんか、格好良い先輩がいる教室をコースで案内してあげるって言われて、不安になって……断ってきちゃった」
「非実用的な案内だな」
「そう、だね」
後頭部を掻きながら困ったと笑う伊吹。
「俺の案内は実用性重視だぞ」
「はい。是非それでお願いします!」
俺は言葉通りに授業で使う特別教室や教材室、更衣室、保健室、図書室なんかを案内して回った。そして、体育館へ向かう道すがら昨日のことを思い出す。
「そういえば、部活はテニス部に入るのか?」
「うん。実は昨日、書類の確認に来た時に入部届けも書いたんだ」
「そうか、なら途中だしテニスコートと部室も見てくか」
そう言って俺が女子テニス部が使用するコートと部室の方へ案内しようとすると同時に、「あっちだよね」とあかりは別の方向を指さした。
「いや、こっちだ」
「え?だって……」
「女子テニス部だろ?」
「男子テニス部でしょ?」
「は?」
「え?」
いや。いやいや、聞き間違いだろう。なんで伊吹が男子テニス部なんだ。頭が痛くなってきた。
「昨日、テニスの本読んでて……」
「うん。マネージャーとしてちゃんとテニスの知識を持っておこうと思って」
「マネージャー?」
そこで伊吹は何かを思い出した様子で口元に手を当てる。
「あ、そうだった。紛らわしかったんだよね……。私ね、男子テニス部にマネージャーとして入部することにしたの」
そうか、そういうことだったのか。それなら、可笑しくない。いや、可笑しくないか?今まで女子マネージャーが入部したことなんてなかったし、入れようというような話も上がったことはなかった。大体、部長は女子マネージャーを入れるようなタイプか?
ぐるぐると考えている俺を差し置いて伊吹は「そういえば、海堂くんもテニスやってるって言ってたね!」なんて笑っていやがる。
「あ、あれっ、テニスコート行かないの?」
「もう知ってるなら行く必要ないだろ」
立ち止まっていた足を体育館への進路そのままに歩き出した俺を慌てて追いかける伊吹。部室は見てない、という声も鍵が無ければ中は見れないと流して、そのまま案内を続けた。最初は「えー」なんて言いながらも、すぐ見られるしいいか、とあっさり切り替え横に並ぶ伊吹。何だかこいつには調子を狂わされてばかりだなと感じつつ、残りの箇所を足早に案内して五時限目の準備ができるよう俺達は教室に戻った。
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午後の授業と帰りのHRが終わると伊吹は再びクラスメイトの標的となった。
一緒に帰ろう、街を案内するよ、あそこに寄って行こうなど女子達が盛り上がっていると、天からの救いのように校内放送がかかり伊吹が職員室へ呼ばれた。残念だと声を上げる彼女達にお礼と断りを入れて早足で教室を後にする伊吹の背を見て、大変だな転校生は、なんて悠長なことを思いながら俺も部活に向かうべく教室を出た。
着替えを終えた俺は、まだレギュラーメンバーも揃っていないし、一年生達が駆け足で用具を準備する様子を視界の端に捉えながら簡単な柔軟を始めた。慌ただしく働く一年生達の中に傍目にも我関せずという具合の越前がガットを弄って立っているのが目に入り、アイツもレギュラーではあるが、それでも一応は入部したての一年だろうが……などと思っていると視線をに気付いたのか、こちらを見て帽子の鍔をくいっと上げて「……ッス」と挨拶をされた。
可愛くない後輩だと心の中でぼやいていると、突然周りの空気が変わってざわつき始めた。部長や顧問の竜崎先生が来た時のざわついてから引き締まるものとは違う、色めき立つような雰囲気に彼らの視線の先を見やる。そこには顧問である竜崎先生、手塚部長と大石先輩の後ろに付いてコートに入る伊吹の姿があった。ああ、さっきの呼び出しはこれだったのか。
そわそわと落ち着かない部員達を前に竜崎先生が手を叩きながら集合をかける。まだ幾らか動揺を見せる部員達が集まったのを確認すると、手塚部長が口を開いた。
「彼女は今日からテニス部でマネージャーをしてもらう、伊吹あかりだ」
部長の言葉を受けて大石先輩が少し後ろに立っていた伊吹を前に誘導する。
「は、はじめましてっ。マネージャーを務めさせていいただくことになりました、伊吹あかりです。今日、転入してきたばかりで……えっと、最初はご迷惑もかけると思いますが、しっかり仕事を果たせるよう頑張ります!よろしくお願いします!」
教室での挨拶の時のように言い終わると深々と頭を下げる伊吹と訪れる沈黙。ざっと周りを見ると一年は純粋に喜んでいるが、今までの部の雰囲気を知っている二、三年は想定外の事態に喜ぶというよりも困惑しているようだった。その中でも越前は相変わらず特に驚きも喜びもせずに居たが。
声を上げていいものかとこの場に居る殆どが空気を窺っていた中で、真っ先に大声を発したのは菊丸先輩だった。
「すっげー!女子マネージャーとか初めてじゃん!あ、俺は菊丸英二、三年ね。よろしく、伊吹さん!」
「はい、よろしくお願いします、菊丸先輩!」
二人のその会話を聞いて、次々に挨拶をしていく部員達。クラスメイトにテニス部員、そんなに覚えられるものだろうか。俺なら無理だな。と一人一人の顔と名前を記憶しようとする伊吹を見て思う。最早、挨拶なんて必要ないであろう俺が遠巻きに状況を静観していると、不意に右肩に重りが加わる。
「あの子が無駄に律儀でお節介なワンちゃんか?」
「ああ?」
挨拶を済ませた桃城がやってきて「確かに、騒がれるだけあって可愛い子だなあ」と続けて頬を緩ませた。置かれた腕から煩わしさを隠さずに肩を抜くと、ふと視界に同じように遠巻きに見ていた越前が居た。
「越前、お前まだ挨拶してないんだろ?そんなとこ突っ立ってないで行ってこいよ!」
「俺は別に……いいっス」
肩を抜かれてがくっと腕を落とした桃城にも映ったのだろう、今度は越前の首に引っかけるようにして腕を回し、こちらに引きずってきた。
「なんだ、なんだ。可愛い先輩マネージャーに緊張でもしてるのか?」
キャップの上から頭を掴むようにしてそのままぐりぐりとする桃城。
「ちょ、桃先輩、痛いっス。それに、そんなんじゃないし」
「照れるな照れるな!もっと素直に浮かれても良いんだぜ?」
文句と反論をしながら桃城をぐいっと押し返してキャップを直した越前に尚も懲りずに構おうとしているかと思えば、不意に俺の首にも腕が回されてバランスを崩す。右腕を俺の首に回し、左腕に越前を引っ掴んだ桃城が笑顔で右手をヒラヒラと振っている。その方向を見ると、主に桃城がだが騒がしくしていた俺達に気付いてか伊吹が微笑んでいて、桃城に応えて小さく手を振り返している。
こいつと仲が良いとか勘違いされるのが嫌だなと視線を逸らしたら、同じく拘束された越前が心底ウザいといった表情をしていて、この瞬間だけは激しく共感した。
大体の挨拶は済んだらしく伊吹のマネージャー内容の説明がされた。マネージャーが一人出来たからといって雑事が全て賄われる訳じゃ勿論なく、基本は記録や乾先輩と共にレギュラーメンバーのサポートに付いたり、1年生と準備や後片付けをする、というようなものだった。
取り敢えず今日は全体の流れを見たり、1年生と一緒に準備や片付けをしながら備品の場所の確認なんかをするようで、ジャージに着替えを済ませると乾先輩に何やら書類の束を渡されて、グラウンドを走る部員の傍ら、必死な様子でそれに目を通していた。
*****
練習が終わり、片付けに入る。何も全て一年生にやらせているということでもなく、部員全員でやることが殆どだ。でも、部員の多さもあって最後の用具を戻したりというのを一年生がする、というような流れは自然とあった。大方の作業が終わると上級生からちらほら帰って行く、そんな感じだ。俺も自分の作業が終わり帰ろうと部室へ向かっていると、重ねたカラーコーンを抱える伊吹が前方から駆けてきた。
「あ、海堂くん終わり?」
「ああ」
「お疲れさま!テニス部の練習ってやっぱりハードだね。その上、レギュラーメンバーの練習はまた輪をかけて凄かったね。驚いちゃったよ!」
少し興奮気味に伊吹はそう言ったが、昨日今日で驚かされてることが多いのは多分、俺の方だろう……とわざわざ言わないが心の中でぼやいた。「二度あることは三度ある」とは言うが、木の上から落ちてくる、転校生として同じクラスで再会、部活まで同じと、もう三度驚かされてしまったんだ。もう早々驚かされることもないと思いたい。
また明日ね!と微笑んだ伊吹が俺達の前を通り過ぎようとしていた越前を止めた。
「あっ、ねえ、リョーマくん!」
「……なに?」
帰ろうとしていたところを止められたからか、幾らか面倒そうに返事をした越前に、気にする様子もなく言葉を続ける伊吹。越前も何を言われたのか分からないが「ふーん、まあ、いいけど」と返す。
……ん?今、越前のこと名前で呼んだか?
コイツ、さっき挨拶してなかったよな。
「おチビ、何話してんのっ?」
「おや、越前は伊吹さんと面識があったのかい?」
どこからかそんな様子を見ていたのか不二先輩と菊丸先輩がやってきた。その勢いのまま越前を捕まえて頭をうりうりとする菊丸先輩に、半ば諦めた様子で抵抗もせずに越前は答える。
「別に、家で飼ってる猫の餌が切れるから帰りに買いに行こうって……」
「家ってどっちのさ?」
「家なんだから俺の家に決まって……?」
とまで口にした越前は何かに気付いた様子で一瞬だけ目を大きく開いた。そして、のし掛かる菊丸先輩を避けてそそくさと帰ろうとしだす。
「どうして、越前の家の猫の餌を伊吹さんが買いに行こうって誘うのかな?」
それを逃さない不二先輩。ぴたりと止まって言おうか言うまいかとしている越前を隣に、伊吹が「ああ、それはですね」と回答を引き継ぐ。
「私、リョーマくんのお家……正確に言うと、私の父の友人であるリョーマくんのお父さんのお家で、下宿させてもらっているんです」
あっけらかんと言った伊吹に、余計なことを言うなよと恨めしい視線を向けた後、キャップの鍔を引き深く被る越前。そして、次の瞬間には一体いつから聞いていたのか、片付けをしていた筈の部員達から驚愕の声があちらこちらから発せられた。かく言う俺も、勿論のこと驚いていた。
それから、詰め寄ってきた菊丸先輩や一年生達に説明をしている姿を見た辺りで、俺はテニスコートを後にした。もうこれ以上驚かされるのは堪らなかったのだ。昨日今日とで驚かされてばかりで精神的に疲れた俺は、いつもの通学路の穏やかな風景で平静を取り戻しながら家路に就いた。
ロードワークのコースでもある道を進んでいると、昨日まで何とか持ち堪えていた桜がもう殆ど散ってしまっているのが目に入った。広場の前でテニスバッグを肩に掛け直し、一つ息を漏らした。
「フシュゥゥ……」
二度あることは三度あるって言うけど
「今日の四度だけでも済まないだろ絶対……」
と、俺は思った。
終