長篇

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青春学園史上初なのでは、と謳われる程の嵐を見事に吹かせてみせたルーキー、越前リョーマ。そんな彼の元にこれから予想だにしない嵐が舞い降りる事になるとは、お寝坊な王子様は知る由も無いのだった。


第0話 春風注意報



校内ランキング戦を終え、一先ずの落ち着きを見せる入学してから初めての休日、土曜日。然程、緊張等はしていなかったリョーマも新生活からくる疲れか、はたまた彼本来の怠け癖なのか、正午に差し掛かろうとしている現在もベッドで微睡んでいた。しかし、そんな休日を堪能するリョーマの元へ彼の知らない嵐が秒を刻む毎に確実に近づいている。

「すみませーん、何方かいらっしゃいませんか?」

先程から嫌と言う程に鳴り続けるインターホン。そして扉の向こうからする女の声。その声は一向に開けられない扉に苛立ちを覚えたのか、回を重ねる毎に声に力が入っているようだった。

「すみませーん!」

もうかれこれ五回は繰り返しただろう呼び出しに微睡んでいたリョーマも敵わないと思い、訪ねてきた者と同様に多少の苛立ちを覚えながら渋々起き上がり部屋を後にした。一階のリビングに降りると何時も居る家族の姿は無く、しんと静まり返っていた。

「誰も居ないのか。ああ、そういえば昨日……」

未だ完全には起きていない眼を何とか開こうと瞼を擦りながら昨晩、父の南次郎に言われていた事を思い出す。


*****


「よお、青少年。今帰りか?丁度良いっ、お前に言っとく事があったんだ」

辿った記憶は昨日。校内戦にて世話になったラケットのガットを弄っている時の事だった。

「何、俺疲れてるんだよね」

素っ気無く返すリョーマを、まあまあと宥めながらずかずかと部屋に入り込むとリョーマのベッドに勝手に座り、豪快な口振りで話し始める南次郎。

「まあ、あれだ、喜べ青少年!明日から家にもう一人家族が増える事になるからっ」
「ふーん……」

南次郎のまるで子犬でも拾って来たかのような口振りに、ラケットに視線を落としたまま興味無さ気に空返事をするリョーマ。

「何だ何だもっと喜べよ!俺が嘗て『サムライ』と呼ばれていた頃に世話になった医者の娘さんでよ。あかりちゃんって言うんだ、可愛いんだぞ!確か最後に見たのは小学校に上がる時だから……6歳位か?うーん、まいいか。あの時も可愛かったからなあ、今はどんな成長を遂げているか。あ、お前あかりちゃんに手出しちゃ駄目だからな!」

思い出と妄想と、そして現実との狭間を行き来しているのだろうか。締まりの無い顔で熱弁する父に一抹の不安を抱きながらも、早々に部屋を立ち去って頂きたいと考えるリョーマは急かす様に自ら話題を振る。

「で、そのあかりちゃんが何?」
「おう、だからよ。そのあかりちゃんがアメリカの学校から青学に転入するんだけど、何せ実家がアメリカだからよ、通えないってんで家に下宿する事になったんだ。因みに明日からな」

宜しくとでも言う代わりか、右手をリョーマの肩へと置く父。顔なんて見なくても解る。きっと口の端を上げているに違いない。それを見るのも癪なので『話が済んだならさっさと出ていけ』と、南次郎を部屋から追いやった。それでも何が楽しいのか笑顔で部屋のドアから顔を出すと残りの用件を伝える。

「あと、明日は母ちゃんと菜々子ちゃんと買い物に行って来っから。あかりちゃんが来た時はお前、宜しくな」

さも楽しげな様子の南次郎が気に食わず、その瞬間は追い出す事を優先して気にも止めなかった。

「はいはい、入れとけば良いんでしょ」

なんて適当な返事をしていた事を漸く思い出す。


*****


思い返せば何て重大な知らせだったのだろう。軽く頭を抱えたリョーマは『噂のあかりちゃん』を迎える為、玄関へと足を急がせた。

「すみませーん。もう、今日来ますって南次郎さんに伝えたはずなのに……」

沢山の荷物を積めた鞄は軽く10キロを越しているだろう。それを右から左へと持ち替えて、空いた右手で扉を叩こうとした正にその時、リョーマが戸を開けた。


「もうっ、南次郎さん?」

言葉と同時に強く振り下ろされた手が、出迎えたリョーマに真っ直ぐに向かって行く。

「痛っ」
「あ……」

そして、それは見事にリョーマのつむじへと落ちた。

「ちょっと、いきなり何?」

見事に喰らった頭を押さえ、次第に冴えてきた脳でリョーマは突然の仕打ちを訴えた。一瞬何が起こったのかと呆気に取られたあかりだが、目の前の事実を把握すると急いで頭を下げる。

「ごめんなさいっ。何度呼び掛けても出ないから、次こそは思い切り叩いてやろうかと……じゃなくて。叩いてみようかと。その、とにかくごめんなさい!」

途中本音を零しながらも深く頭を下げ謝るあかり。リョーマだって故意でなく事故であることくらいは分かっている。目の前で深く深く頭を下げて上げる気配のないあかりに幾らかの不憫さを感じ「いや、まあ大丈夫だけど」と許しの言葉を掛けると、それを受けてあかりは恐る恐る顔を上げてリョーマの頭を確認した。

「本当に?」
「本当に」

叩かれた所を見せ問題無いと伝えると、あかりは肩を撫で下ろした。かと思うと今度は顔を上げ満面の笑みを浮かべる。

「良かったー!でも本当にごめんなさい」

そう言って微笑みながらも眉を下げ苦笑した。ほんの数十秒だというのにころころと変わる表情に、リョーマは『器用な奴』だと思った。

「アンタが噂の伊吹あかり?」

リョーマに尋ねられた瞬間キョトンとしたものの、あかりは言葉を返す。

「噂かどうかは知らないけど、私が伊吹あかりです。貴方は確か、南次郎さんの息子さんの……」

確認を済ませるとリョーマを見詰め首を傾げる。表情としては解らないのではなく、記憶の引き出しを捜している…そんな雰囲気だったのでリョーマは自分の名前を告げた。

「越前リョーマ」

すると迷宮入り寸前の謎が解けたかのようにあかり顔が明るくなった。

「そうそう、リョーマ君!初めまして、ふつつか者ですがこれから宜しくお願いします」
「いや、ふつつかは違うっしょ」

少し呆れつつも取り敢えずは確認した訳なので、家の中に案内する事に。

「取り敢えず、中入って荷物置けば?」
「あ、うん。お邪魔しまーす」

リョーマに促されあかりはそろりと越前宅に足を踏み入れた。詳細は聞いていないが、恐らく普段使っていないあの部屋だろうと思い、あかりを案内するリョーマ。部屋の前に着きドアを開けると、数日前は物置状態だった場所が綺麗に掃除され、物は少ないがベッドと机、それに箪笥が置かれていた。

「親父達……いつの間に」
「え?」
「別に、何でもない。ここがアンタの部屋。で、あっちのドア半開きが俺の部屋だから」
「うん、ありがとう」

適当に案内を済ませるとリョーマはさっさと自室へ戻っていってしまった。取り残されたあかりは部屋へ入り、重い荷物を床に降ろした。そして窓を開けて新鮮な空気を行き渡らせる。

「私の部屋……」

真新しいベッドと机、それに箪笥が、まだ定位置が定まっていない様子で並んでいた。わざわざ揃えてくれたのだ。
嬉しいと同時に何だか凄く申し訳無くもあって、思わず溜息が一つ零れた。柄にも無く黄昏なんてものを背負っていると、隙だらけの背後から不意に声を掛けられる。

「ねぇ」
「うわっ。な、何……?」

急いで振り向くと、さっさと戻ってしまったはずのリョーマが何か言いたそうにこちらを見ている。

「どうしたの?」
「アンタさ、昼飯食べた?」

『昼飯』という単語を聞きふと腕時計に目をやると、もう13時半を指していた。

「そういえば、まだ食べて無かった」

その言葉を待ってましたとばかりに口の端をくっと上げてみせると、嬉しそうに言葉を紡ぐリョーマ。

「そう、実は俺もなんだよね」

「昼飯」とどこか不敵な笑みを浮かべてあかりに言う。

「う、うん。そうなんだ?」

リョーマの会話の意図する所がどうにも読めないあかりはひたすらにハテナを浮かべて相槌をした。そんなあかりの鈍さを学習したリョーマ、今度は「あーあ、腹減ったなー。さっき殴られた頭も痛いし」とわざとらしい振りを付けて痛みも引いている頭を摩る。

ここ迄されれば流石に鈍くても何を求められているかに気が付いたあかり。はっと顔を上げ、遠慮気味に提案をした。

「えー……宜しければ私に作らせて頂けないで、しょーか」

敗北と大文字で書かれているような哀愁漂う背中であかりが言うと「え、良いの?何だか悪いね」とリョーマは白々しい返事をしてみせるのだった。


笑顔の下の戦いの末、台所へ降りてきた二人。あかりは冷や汗を流しながら台所に立たされ、リョーマはというとダイニングテーブルを陣取り昼食が自分の前に出されるのを寛いだ様子で待っていた。

「うーん、食材に不足は全くないけど。勝手に使っちゃって良いの?近くのスーパーにでも買いに……」

今日から生活を共にする間柄とは言え、まだ対面も果たしていない台所の管理者に無断で食材を使う事には気が引けた。

「そんな事気にし無くて大丈夫だって。適当に簡単なので良いから」
「うーん」

気乗りはしないものの、未開封の物に手を付けないことを自分の中でルールにしてあかりは漸く調理を始めた。暫くは料理に集中して無言でいたあかりだったが、家の中が嫌に静かだった事にふと気が付く。リョーマは気にしていないみたいだが折角の与えられた時間なのだ、親睦を深められはしないかと当たり障りの無い話を持ち掛ける事にした。

「ねぇ、リョーマ君って青学のレギュラーなんだってね。凄いね、期待の新星だね」

嫌味や過度なお世辞に取られない程度に振ってみる。でも、凄いと思う気持ちは本当だ。

「そうだけど、何でアンタが知ってるの?」

自分の功績を讃えられたのに、さして興味を示さないリョーマ。

「何でって……だって南次郎さんがさも自分の事のように自慢していたしね。それに私だって知ってるよ。青学テニス部が強い事も、そこに今年一年レギュラーが入った事も。これから自分がお世話になる学校だもの、予備知識」

野菜をリズム良く切ってフライパンにごろごろと入れながら言うと、リョーマは一瞬だけ黒目を大きくして「青学?」と口から単語が零れ出た。

「そういえばアンタ何歳なの?」

その時にはもう落ち着いた口ぶりに戻っていたが、リョーマのそんな変化に気付きもしないあかりは変わらず返事をする。

「私?私は二年生だよ」

「一つ先輩だね」少し得意げにあかりは笑ってみせた。しかしリョーマとしては、その"一つ先輩"というのが愉快ではなかったらしく「ふーん。ま、大して違わないね」と少し負け惜しみみたく頬杖をついて返した。

それから雑談と言ってもあかりが質問をして、それに素っ気無くリョーマが答えを返す程度の会話を続けながら簡単に昼食を済ませた。すると、食器を下げようと立ち上がったあかりが突然大きな声を上げる。一瞬驚いたが次の時には嫌そうな顔をして、どうしたの、とリョーマが尋ねる。

「ねえ、今って何時?」

重ねた食器を両手に持ったまま、あかりは質問に質問で返した。話の噛み合わないあかりに呆れつつも諦めた様子でリョーマは、頬杖をついていた右手の肘を怠そうに上げ人差し指を一点に向ける。指された方向には今にも2時半を刻もうとする、大きな壁掛け時計があった。

「に、2時半っ?」

時刻を知るや否や持っていた食器を音を立てて流しに放り、作る時とはまるで比べ物にならない位の速さで食器を洗い出した。当然リョーマには理解出来ない状況なので、物凄く泡立ったスポンジを振り回す様に食器を洗う台所の猛者に今一度尋ねる。

「何かあるの?」

ガシャガシャと音を立てるあかりの姿に少しだけ引いた所から聞いてみると、慌てる身体に合わせるかのように言葉まで忙しなくしながら事の次第を説明しだした。

「うん。転入の手続きの最終確認があるとかって学校に行くんだ。3時に」
「もう2時半過ぎてるけど?」

忙しない様子のあかりとは対照的な緩やかさで、どこか楽しげにリョーマが言うと「だから急いでいるんでしょ」と一喝されてしまった。

「ふーん。まあ、頑張って」

あかりに嗜められ面白くなかったのかリョーマは手をひらひらとさせ席を立った。そんなリョーマの後ろでたった今洗い物を終えたあかりは「よし、終った!」という掛け声と共に廊下を走り出した。玄関で足に靴を引っ掛けたあかりは階段からこちらを覗くリョーマに向き直る。

「そ、それじゃ……」

そこ迄言ってあかりは急いでいるというのにすっきりしない様子で途中迄上げた右手の進路を変え、顔の横を流れる髪を弄った。あかりが何に戸惑っているのか分かったリョーマは、小さく微笑むと「いってらっしゃい」とだけ呟く。それだけの言葉ではあったが、それは確かにあかりが求めていたものだった。

リョーマのたった一言で躊躇した仕種は何処へやら、軽やかに踵を鳴らし戸を開け「……行ってきます!」とあかりは満面の笑みで駆けていった。


*****


入学式より少し前に満開を迎えていた桜は後は散るばかりとなっていて、重力と春風に身を委ねる柔らかな桃色の花弁が、美しさと同時に物悲しさを醸し出していた。しかし、今は只々先を急ぐあかりにそんなセンチメンタルな風景は関係なく、必死な形相のまま校門を駆け抜けて行く。

「遅れてすみませんっ。転入生の伊吹あかりです。書類の確認に来ました!」

昇降口近くの事務室で尋ねたし、職員室と書かれたプレートもあるので間違いは無い。あかりは一呼吸置いて心と身体に余裕を持たせると、扉がすっぱ抜けるのではと憂いてしまう程の力強さで職員室の扉を開け、それから深く頭を下げて謝罪と用件を大きな声で伝えた。

しかし、返事がない。何やら部屋はシンとした様子で誰かが動いている物音もない。違和感に気付いたあかりが頭を上げると、それを待っていましたという具合に声が返ってきた。

「おやおや、偉く元気なのが来ちまったもんだねぇ」

女性ながらにどこか頼もしさを感じる声と口調、しかしその言葉には嫌味等は感じられない。茶目っ気、とでも言うのだろうか。そして顔を上げた先には、声から受けた印象がそのまま形になったような女性が、椅子に腰掛けこちらを見ていた。そして、その隣には眼鏡を掛けた長身の男性が居て、崩さない表情と落ち着いた態度が少し学生服にミスマッチな印象を受ける。

辺りを見回すと今はこの二人しか職員室に居ない事を漸くあかりは理解した。あかりが現状の把握に気を取られていると、先生らしき女性が話を始めた。

「お前さんが南次郎の言っていたあかりだね、話は聞いてるよ。書類の件も頼まれてる、おいで」

そう言って鍵の掛かった引き出しから、書類の入ったクリアファイルを取り出す。あかりは小さく会釈をして職員室に脚を踏み入れた。隣に立っていた男子生徒は、先客であったにも拘わらず静かに二、三歩下がった。遅刻してやって来た自分が割り込んでいいものかと、申し訳ない気持ちを感じながらも招かれるまま机に広げられた書類を覗き込むあかり。その様子に気付いた先生は男子生徒をちらりと見てから、「気にすることはないよ、紹介するつもりで呼んだんだ」と言った。

「は……はあ」

小首を傾げるあかりを置いて、先生は並べた書類の確認を促した。数枚の書類を手に取って、記入事項等に漏れが無いか上から順に確かめていく。未記入、誤字脱字、サイン、文章の捉え違い等あらゆる方面から再確認をして抜かり無いようにする。

「大丈夫、です」

可能な限りの再確認をした上で紙の端を丁寧に合わせた書類の束の向きを正して返すと、先生もザッと流し見る。

「……まあ、大丈夫だろ。不備があればその時に直せば良いだけの事だしねえ」

悪びれる様子もなく先生は確認もそこそこに、書類をファイルに戻すと新たに大きな封筒を取り出し、それをあかりに差し出した。それを手にすると中身は先程触れていた物同様に書類の類である事が想像できた。

「これは?」
「それは……まあ、学園の決まりやカリキュラム、施設や行事の説明なんかの転入生の為の『いろは』が入っているんだよ」

専らどこぞの契約書類かと思う位に文字ばかりが羅列した、面白みの欠片も無い紙だがね。そこ迄言うと肘を立て手の上に顎を乗せると、余り好意的では無い様子であかりの手にある封筒を見る。つられてあかりも手元の封筒に目を落とす。未だ開封こそしていないが先生の言葉のお陰で、最早嫌な物にしか見えなくなった。

「まあ、その辺は家にでも帰ったら流し読んでおけば大丈夫さ。そんな事より次の話だ」

これからが本題とでも言いたげに椅子からやや腰を浮かせ、先程とは打って変わって溌剌とした表情で先生は言った。

「あんた、テニス部に入らないかい?」
「あー……、はい?」

転入手続きからは一転、飛躍した話に首を傾げるあかり。幾度か瞬きをして先生を見ると、もう良い返事を聞いたような満足げな顔をしていて、思わずこの場を一緒にする名も知らぬ男子生徒に瞳で助けを求めてしまう。するとその彼は察してくれたのだろう、小さな咳ばらいと少しズレた眼鏡を正してからあかりの代弁者となった。

「先生、まだ理由も経緯も説明していません。それに幾ら頼まれ事とはいえ、最終的には彼女の意見を尊重すべきです」

冷静かつ合点のいく言葉にあかりは肩を撫で下ろすが、それでも聞く耳持たぬ様子の先生と目が合う。遭遇したことは勿論無いがあれは絶対に獲物を狙う狩人の目だとあかりは思った。

「部活はテニス部に入れろ、と南次郎に頼まれたんだよ。ああ、でも心配はいらんさ。テニス部員と言っても、お前さんにはマネージャーとして入ってもらうって事だからね」
「わ、私がマネージャーですかっ?」

あかりは声を途中で裏返しながら自らを指差し驚いた。

「でも、どうして南次郎さん……」

確かに何かしらの部活に入ろうとは思っていたが、自分の事だけでも精一杯な人間に選手のマネージメント何て事が出来るものだろうか、と本気で考え出してしまう。

「私、テニスの知識なんて基礎知識程度しかありませんし……」

一体いつそんな話が進められていたのだろう、どうしたものかと困り果てる。そんなあかりに反して、先生の対応は相変わらずだった。

「基礎があるなら充分さ。やってる内に覚えれば良いし、接していれば嫌でも身につく」

大体そんなようなものだと話していた先生だったが、少しだけ声のトーンを落として話を続けた。

「まあ、あれでもあやつなりに心配しているんだろう、お前さんのことを。私も概ね事情は聞いている。環境も変わったばかりだし、近くに頼れる人間が居た方が気持ち的にも良いだろう……?」

推し進める口ぶりから声色が変わり、こちらを気遣う優しげな口調で窺う先生。そこで『ああ、そうだったのか』とあかりには漸く合点がいった。そしてそれと同時に、ここまで気を使わせているのだ、という事を感じる。俯き暫し間を置いてから、あかりは意を決したように顔を上げてはっきりと答えた。

「マネージャーになります、やらせて下さい」

そう言ったあかりの瞳に迷いや後悔といった文字は無く、真っ直ぐな眼差しだった。

「よしっ、これであやつも文句はあるまい。やっと話が先へ進められる」

あかりの返答に大満足な先生は大きな音をさせ手を叩くと、数歩離れた位置に立つ男子生徒を呼び寄せた。それを受けて揃えていた脚の片方を前に出す彼。長身というのもあったが、姿勢の良さや眼鏡の奥に覗く眼差しの凛々しさも相まってか、歩き出すだけの動作が何故だかひどく美しい様にあかりには見えた。目を奪われたように見ていると、先生の横に着いたその人と目が合う。

「こいつはテニス部部長の手塚国光、三年だ」
「部長の手塚だ。これからマネージャーとして共に部を支えてもらいたい、宜しく頼む」

先生は隣に立った生徒をばしっと叩き、説明するとそれを合図に男子生徒は自己紹介をした。彼はテニス部の部長だったのだ。手塚の挨拶を聞きあかりは自分も返さなくてはと、重ねた両手を身体の前に置き、挨拶をして頭を下げた。

「来週よりこちらに通います、伊吹あかり、二年生です。マネージャーになるからには精一杯努めさせてもらいます。お願いします!」

あかりの挨拶を受けそれに軽く会釈をし、短く「ああ」と手塚は応えた。そんな手塚を見てあかりは厳しい人なのかもしれないと少し不安になる。

「さて、自己紹介も済んだね。ああ、言い忘れてたけど私はテニス部顧問の竜崎スミレ。これから大会も始まる事だし、しっかり働いてもらうよ」
「宜しくお願いします竜崎先生!」

「そう畏まらなくても良いさ」と笑いを零しながら言うと、もう一つの大事な話を始める。居心地の良い話では無いのだろう、どう触れようか迷うように先生は最初の言葉を選んでいた。

「南次郎から話は聞いている、とさっき言ったがね。お前さんがこっちに来る前の話も……大体の事は聞いている」

大事な話と言う事を醸すゆっくりとした口調で、しかし、しっかりと語った。

「……はい」
「お前さんの、その、首の事も」
「あ……はい」

竜崎の言葉にあかりは、襟で隠されている首に自然と触れながら答えていた。手塚はただ黙って聞いている。
僅かな沈黙、真剣な眼差しは逸れること無くあかりを捕らえていて、竜崎は次の言葉を選んでいる様子だった。一方のあかりは自分のことを正面から受け止めようとしてくれる竜崎に出来る限り応える為、静かに言葉を待っていた。そして手塚はそんな二人の様子に、軽々しく口を挟むべきでは無いと只々、眼鏡の奥で強く光る瞳で状況を受け止める。

時刻は4時を過ぎようかという頃、テニス部同様に他の部活も今日は殆どが休みだった。静まり返った校内に冬より大分延びてきた陽が、覗き込む様にして射し込み始めた。沈黙が制していた職員室に一番に音を取り戻したのは言葉を考えていた竜崎ではなく、それを待っていたあかりだった。

「ありがとうございます、先生」

まるで脈絡も何も無い突然な感謝の言葉のようだが、竜崎にはあかりの言葉の意味が理解出来た。それは、あかりの為に言葉のひとつひとつを選んでくれたこと。扱い難いだろうあかりを真摯に受け止めようとして、今も沢山考えてくれていること。全てと言ってしまえば簡単だが、そういったひとつひとつが、あかりにはとても嬉しかった。そしてその感謝の言葉には「腹を括った」というものにも似た、ある種の覚悟も込められていた。

「これからの事を考えて、私の話が必要なら、大丈夫。ちゃんと話せますよ」

あかりは笑ってそう言った。竜崎は力の入っていた肩を盛大な溜め息と一緒に落として、こりゃ参ったねぇ、と頭をかいた。

「お前さんに気を遣わせない為に何が出来るか考えていたら、逆に気を遣わせちまったね」

苦笑を零しながら竜崎は言う。

「いいえ、私こそ先生に変に気を遣わせてしまって……」
「子供が遠慮をするもんじゃないよ」

気が付くと沈黙は何処かへ消え去ってしまったようだった。

「話を戻すとだ、顧問といっても部活中ずっと監督していられる訳じゃない。だから部長の手塚にはお前の話をしておこうと、そう思ったんだよ」

そこで沈黙から初めて、手塚が加わることになった。話題にあげられた手塚は絶えず落ち着いた様子で成り行きを見守っている。

「部長さんに、ですか?」
「部活の間は私と居るよりも、手塚や他の部員達と居る方が多いだろうからね。念のため手塚には話を通しておいた方が良いだろうと、私は考えているんだが……」

そこまで言うとあかりの顔に不安を思わせる陰りが見えたので「勿論、お前が嫌ならやめるが」と付け加えた。竜崎と手塚の顔をあかりは交互に見る。そして、ややあってから口を開いた。

「いえ、お願いします」
「いいのかい?」

竜崎は念を押して確認をとり、あかりは視線を逸らすことなくゆっくりとそれでいて大きく、一度頷いた。

「でも、あの、やっぱり……」

顔を上げたあかりは眉尻の下がった情けない表情で次の言葉を少し詰まらせた。やはり簡単に触れてもらいたくは無いのかと、竜崎が不安げな顔のあかりを窺うと思いがけない答えが返ってきた。

「先生から話して頂けませんか?」

それは語るのが辛いからとか、思い出すのが苦しいからとか、そういう事では無いのだと言葉は続く。

「何て言うか……私の言葉で話してしまうと、主観的になり過ぎると思うんです。事情を理解してもらうならそれだけで、その方が、良いと思うんです。駄目ですか?」

欲しいのは同情じゃない。でも、自分の言葉にしてしまえばあの過去は、必要以上にドラマチックに物語られてしまうかもしれない。人間とはそういうものだ。無意識であったとしても、自分に都合のいいように話してしまうだろう。それがあかりの不安だった。

だから自分から話したくないとあかりは言った。

ワケを聞いた竜崎はお前がそれでいいのならと理解を示し、自分から話そうと言ってくれた。そして、今日はもう帰って構わないことを告げられたあかりは小さくお辞儀をするとその場を後にした。職員室には竜崎と手塚の二人が残され、竜崎は椅子に座り直し一呼吸置いて手塚に向き直る。

「手塚、甘やかせとは言わない。ただ何かあったときには、支えになってやってくれ」


*****


職員室を出てからあかりはゆっくりと校内を歩いていた。世界が次第に茜色に染まっていく様から、時刻はもう4時半を過ぎた頃だろう。校舎もそうだが、校内全体も広く立派な学校だ。真新しい景色を頭の中にインプットしていくように、右へ左へ視線を漂わせる。そうやって歩いている内に、何処からか反射してきた光にあかりは目を細めた。

「眩しい、何だろう?」

反射によって現れた夕陽の道を目で辿っていくと、そこには綺麗に整備されたテニスコートが佇んでいた。

「ここがテニスコートなんだ。で、あれが部室か」

コートの近辺に目を配らせると部室らしき建物も視界に入った。まさか自分がマネージャーになるとは思いもしなかったなあ、そんなことを思いながらフェンスにそっと手を掛ける。

「でも、引き受けたからにはしっかりやらないと!」

新しい生活へ向けて意気込むと、自然と手に力が入ったのかフェンスがギシッと鳴った。

暫くの間コートを眺めた後、そろそろ帰ろうかとあかりがコートを背に元来た道を戻ろうとすると不意に強い風が吹き抜けて、髪が靡いて視界が遮られた。

「わ、凄い風っ」

両手で必死に髪を抑えて、風が去って行くのを待つ。勢いが弱まってきてそっと目を開けると、先程職員室にて別れたあの人が目の前に立っていた。

「あ……手塚、部長」

去り行く風に髪を靡かせながら、真っ直ぐな瞳をこちらへ向ける手塚と目が合った。

「お話は、終わりましたか?」

小さく首を傾げて尋ねると、手塚は短く「ああ」と答えてあかりの方へと歩み寄る。元よりのポーカーフェイスではあるのかもしれないが、どこか表情が険しいように感じるのはあの話を聞いた後だからと、意識してしまっているからなのかもしれない。近くで向き合うと二人には結構な身長差があって、あかりは手塚を見上げる形になる。

伊吹
「は、はいっ」

ややあってから名前を呼ばれ、驚いたあかりは思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。それにクスリとする訳でも無く手塚は続ける。

「改めて、これから宜しく頼む」
「はいっ、こちらこそ宜しくお願い致します!マネージャー、その他雑用バシバシ使ってやって下さい!」

あたふたとしながら挨拶を返し、あかりは直角とも思える位の礼をしてみせた。

「ああ、勿論だ。マネージャーと云えども、テニス部はハードだろう。心してやってもらいたい」
「はい!」

風格のある落ち着いた声でそう言われ、あかりもつられて運動部らしく力の入った返事をする。何故だか流れで頭を上げるタイミングを失ってしまい、下げたままのあかりの頭に手塚はぽつりと言葉を降らせた。

「だが……」

心なしかさっきよりも和らいだ声色で、変化を感じたあかりは折っていた腰を戻し、顔を上げた。

「どうしても辛いときや苦しいときは、頼ってくれて構わない。部長としてでも先輩としてでも、形は構わない」
「………」

見上げる態勢に戻って見た手塚の表情は決して大きく違わなかった。しかし、だからこそ彼の真剣さや誠実さが充分に伝わってくるような気がした。

「いいな?」
「は、はい!」

余りにも想定外な申し出に呆気に取られていると念押しという具合に聞かれ、反射的に返事をしてしまう。すると手塚は満足したのか、あかりの前に一冊の本を差し出した。

「これは?」
「テニスの教本とでも言おうか、俺がテニスを始めた頃に読んでいたものだ。良ければ使ってくれ」

そういって手塚の手からあかりの手に本が渡る。手にとると所々に傷や汚れがあって、使い込まれていることが解る。

「良いんですか?」
「ああ、汚れてしまっているが、中身はきっと為になるだろう」

数ページ流し見ると確かに要所要所にチェックや解説、メモ等が丁寧に記されていて使い込まれていることを物語っていた。あかりはその本を胸に抱えると感謝の気持ちを伝えた。

「それじゃ、これでしっかり勉強させてもらいますね。月曜日には部長もびっくりの『テニスマイスター』になる勢いで励みます!」
「いや、ゆっくりで構わないから、正しい知識を入れてきてくれ」

意気込みをあっさりと棄却しながらもその声には優しいものがあって、あかりは可笑しいのと嬉しいのとで笑った。


それからあかりは部活の日程等の細かいことを確認し、他愛もない会話も幾つか交わした後家路に着いた。家に着いた頃には既に5時も過ぎていて、段々と街が暗くなってきていた。窓からはリビングやダイニングの明かりが零れていて、南次郎達が帰っている事が見て取れる。

南次郎には数年も前ではあるが面識があった。しかし、奥さんや下宿しているという従姉妹の菜々子に関してはまるっきり初対面だ。少しの緊張が身体を走る。戸に手を掛けたまま背筋を伸ばし、息を整えてからそっと戸を開けた。

「た、ただいま戻りましたー……」

遠慮がちに玄関に入ると、家の奥からけたたましい足音が近付いて来るのが聞こえた。

「え、なにごとっ?」

身構えて音の正体を待つと、着流しをこれでもかという程ラフに着こなした男の人が走ってきた。髪は短く無精髭を生やしていて、昔見た容貌とか違うがあれはまさしく……

あかりちゃーん!」
「もしかして、南次郎さんっ?」

あかりが名前を呼ぶと、南次郎は喜々とした表情で突っ込んできた。

「俺のこと覚えててくれてたかっ。こんなに立派になっちまってよぉ、うりゃ!」
「わわ、南次郎さん危ないです!」

勢いよく肩を掴んであかりの顔をまじまじと見ると南次郎は豪快に笑い、ごつごつとした大きな手であかりの頭をくしゃくしゃと撫でた。すると玄関の騒ぎに気付いたからか、奥から綺麗な女性が歩いてきた。

「おじ様、嬉しいのはわかりますけど、中に入れてあげたらどうですか。あかりちゃん困ってますよ?」

呆れた様子でふふ、と笑いこちらへやって来ると、未だ南次郎の腕の中に捕まるあかりに向けて微笑んだ。

「初めまして、あかりちゃん。私は菜々子です、よろしくね」
伊吹あかりです、こちらこそお願いします!」

それから、菜々子により南次郎から解放されたあかりは、越前一家の揃うリビングに通された。暖かい光が灯り美味しそうな晩御飯の匂いに包まれた空間。数年前まで、当たり前に触れていた日常の温もりがそこには広がっていた。照れ臭く思いながら部屋に通されると、それを待ち侘びていたように「おかえりなさい」という言葉で迎えられる。


『おかえり』


そのたった一言で迎えられることでこんなに胸の奥が温かくなるなんて、あかりは幸せを噛み締めるようにぎゅっと口を結んだ後、元気よく「ただいま」と応えた。


第0話 終



*****

その日の夜のこと

「ねぇ、そういえばさ……結局時間に間に合ったの?」

リビングで寛ぎねこじゃらしで愛猫カルピンの相手をするリョーマが不意にあかりに尋ねる。あかりは腰に両手を宛て胸を張ると「勿論」と力強く答えてみせた。すると、結果が望むものではなかったのか、自分から聞いたくせに興味が無い様子で相槌を返すリョーマ。ねこじゃらしを持つ手は止まらない。そんなリョーマの気を引けるだろうかと、あかりは何かを思い出したような素振りで今日の報告をした。

「そういえば私、部長さんに会ったよ」
「へぇ、もう部活決めたんだ。何部、どこの部長?」
「んー、男子テニス部」


「……は?」


あかりの言葉に上下左右に振っていたねこじゃらしがぴたりと止まり、カルピンはチャンスとばかりに動きの止まった獲物に飛び付いた。

「まるで絵に描いたような、見事な固まりっぷりだね」

すっかり動く事をやめたリョーマの手からカルピンはねこじゃらしをを奪うと、どこかへ一目散にに駆けていった。

「男子、テニス部?」
「いかにも、男子テニス部!」
「………」
「………」

今一度フレーズを繰り返し頭の中を整理するリョーマ。そして、一つの答えを導き出したのか口を開いた。

「そうか、会った時から何の疑問も抱かなかったけど……『伊吹あかりです、女です』とは一度も言って無かったよね」
「いや、そんなまさかの展開も無く、女だから。君の脳内の気色悪い可能性は抹消してもらえるかな」

『そっか、気がつかなくてごめんね』などと話を進めそうなリョーマにセーブを掛けると、コホンと一回咳ばらいをしてあかりは強引に軌道修正を施した。

「私は、男子テニス部のマネージャーになったの。今日会ったのは手塚部長」

誤りの無い情報を一通り言うと固まっていたリョーマの身体も元に戻り、「そうならそうと早く言ってよ」とわざとらしく口を尖らせた。

「じゃあ、その手塚部長はどうだった。怖かった?」

口の端を上げて聞くリョーマ。恐らくあかりは手塚を怖がると、そう思っての問いかけなのだろう。しかし、あかりの返す予想外の答えにリョーマはまた固まりかけることになる。

「手塚部長?確かに厳しい所もありそうだけど、今日会った印象だと……優しくていい人そうだったよ」
「優しくていい人そう……部長が?」
「うん」

その顔はさっきより面白い事になっていたとかいないとか。


おまけ 終

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