長篇
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「それじゃあ、いってきまーす!」
「はい。いってらっしゃい、あかりさん」
「あかり、今日こそあのドS野郎のお茶に雑巾絞ってくるアル」
「しっかり稼いでこいよー」
元気良く万事屋を出たあかりは軽やかな足取りで真選組の屯所へ向かう。町を歩けばすっかり顔馴染みとなった商店の人や、これから漸く眠りに就けるだろう夜の仕事の人などに声を掛けられる。あかりが銀時達と一緒に居る姿や真選組の買い出しをしている姿を認識されてからは、周りの人達がやたらと気にかけてくれるようになったのだ。話を聞いてみると、どうやら銀時に甲斐性が無いのは江戸では周知の事実らしい。買い物に行けばおまけと称して会計の端数を切り捨ててくれたり、商品を多めにくれたりと申し訳ないと思ってしまうくらい良くしてもらっている。
喧嘩っ早さのある江戸っ子の陽気さも、驚きばかりの天人の存在も、天人でなくともキャラの濃すぎる人達も、町に飛び込んでみると驚くほどすんなりとあかりを受け入れてくれた。この色んな人を受け入れて取り込んでしまう懐の深さが、乱雑でありながらもどこか心地良い江戸の賑やかさを生み出しているのだとあかりは知ることができた。そして、あかりが突如としてこの世界へやってきてから日々は流れて、早一月が過ぎようとしていた。最初こそ大騒ぎをして多くの人を困らせたものではあったが、その出会った人達の親切により生活の基礎を整えることができたあかり。
この日々をしっかりと生きることが彼らに対するお返しの第一歩になるのだと仕事の決まった翌日からあかりは、朝から夕方まで真選組で働き、休みの日は万事屋の手伝い、新八に多くを頼っていた家事の分担など、高校生として生活していた頃とは全く異なる、忙しくてでも楽しい日々を過ごしていた。
第3話 初めてのお留守番~ひとりでできるもん~
あかりの朝は早い、というほど早くはない。 屯所で仕事を始めるのが朝の9時からなので、 少なくとも学生をしていた時よりかは幾分か始まりの時間は遅い。起きたら洗濯機を回し、朝食の準備をして、結野アナを見るため目を覚ます銀時、神楽や定春と朝食を取る。その後は洗濯物を干して身支度を整え、銀時達が食べ終えた食器を片付けて出ようかというところで新八がやってきて、後片付けは僕がしますよ、となることが多い。ゴミ出しを銀時に頼んだりもするが、恐らく出してくれているのは新八だろう。
屯所へ着くと日照時間のこともあるのでまず始めに洗濯に手をつける。そして、隊士達の朝食の後片付け、掃除を済ませると次は昼食の準備。賑やかに昼食を済ませたら、日用品で消耗しているものなどを買い出しに行き。 間に時間ができるようなら近藤や土方の書類の整理を手伝い、日が傾く前に洗濯物を取り込む。夕方になると仕事や稽古で汗を流した隊士がすぐに入れるよう、浴槽に湯を張って。夕食作りと翌日の朝食の下拵えをして終わり。というところである。こうして羅列すると忙しそうにも見えるが、あかりが入るようになって割合を減らしたと言えど、炊事も掃除も洗濯も隊士に分担がローテーションされるようになっていて一人でやっている訳ではない。作業の量が多いと見えれば手の空いた者や非番の者が手伝ってくれたたりもするので、あかり自身の感覚としてはそれほど多忙だとは感じなかった。
そして、仕事にも慣れてきたあかりは、今、空いた時間にやってみたいことがあった。
「はあ?稽古を受けたいだ?」
そう。それは、己や大切な人を守るための術を身につけることだった。昼下がりに土方の部屋で提出期限の迫る書類の処理を手伝っていた時。あかりはここ数日、いつ言おうかと見計らっていたことを土方に相談してみた。
「お前が刀を扱えたところで隊士にはなれねぇぞ」
「えっと、そういう訳ではないんですけど」
何も素人である自分が刀を扱えるとは思っておらず、体術というか護身術のようなものから教わりたいというあかり。ここに居たって別にそんなもの必要ないだろう、と言う土方だったが、万事屋を手伝う際に足手纏いになりたくないと返すあかり。
「そんな危ねぇ仕事をお前にもさせるのか、万事屋の野郎は」
「い、いえっ、そんなことも無いのですが……」
そこで言い淀んでしまったあかりだったが、彼女がこんなこと言い出したきっかけは数日前に遡る。
*****
それはまだ、可能性にも考えが及ばなかったが記憶を辿れば最初の出来事だった。
「あれ、足りない?」
夕方、あかりが屯所から万事屋に戻ると、その日は仕事に出ていた銀時達がまだ帰ってきていなくて、あかりは冷たくならない内にと洗濯物を取り込むことにした。物干し竿やハンガーから外している時は気にしていなかったが、それぞれの衣類を分けて畳んでいると自分のものが朝に洗濯機に入れた時より少ないことに気が付く。
「洗濯機の隅に残しちゃったかな」
呟きながら洗濯機の中を確認に行くが中は全く空っぽで、取り出し忘れてはいなかった。なら、取り込んでいた時に落としてしまったのかもしれないと確かめるも、そこには洗濯物は落ちていなくて、結局その時は洗濯バサミで留め忘れるなどで風に攫われたのだろうと考え、これからは気を付けようということで終わった。
しかし、その二日後。
「……ん?また、ない?」
銀時が室内に戻しておいてくれた洗濯物を畳んでいた時にそれに気付いたあかり。先日と同じように洗濯機の中と干していた場所を確かめるも、落ちているということは無かった。先日のように気にするほどでも無いかなと言い聞かせるように考えてもみたが、その日は間違いなく強い風なんて吹いていない確信があかりにはあった。何故なら、その日は警察庁に出すはずだった報告書の束に近藤がお茶を零してしまい、それを乾かそうと日の当たる縁側に並べて干していたのだ。乾くまでの間、書類は動くことなくその場で綺麗に整列していた。つまり、僅かに強い風さえ吹かないような天気だったのだ、今日は。
「どうしよう。これって……でも、まだ決めつけられないよね……」
頭の中を過ぎる特殊な癖による犯罪。でも、そんなことが身近になかったあかりは、それが本当にそうなのか判断できなくて、もう一度だけ様子を見ることにした。
そして、遂に決心をしたのが昨日のこと。ここ数日だけで二回も衣類が無くなったあかりは、消えたものと同種の衣類を決して外側から見えないようにして干したのだ。しかし、帰ってみると外側に干していた大きなタオルはそのままに、内側にしていたそれだけが無くなっていた。
「これ、もう確定だよね、下着泥棒……」
そう、ここ数日で三度に渡り消失したのはあかりの下着。パンツだった。三度も盗みに来たというのは無作為に盗みやすそうなところを狙っていて、他にも被害者が居るのかとまず考えたが、パンツを隠すように干していた三度目を考えると犯人はあかりのものだと知った上で盗んでいる可能性もある。だとしたらストーカーということだって有り得る。でも、あかりには不審な人を見かけたり、変に視線を感じるという感覚はなかったのでストーカーとまでは考えにくい気がして、その日は銀時に相談するまでには至らず終わった。しかし、夜になって布団に潜り、これからどう対策をとっていくべきかと考えを巡らせているとあかりの中で不安はどんどん膨れていった。
*****
そして、現状できることとして考えたの内の一つが今日の仕事から帰ったら銀時に相談すること。そして、二つ目に、万が一、犯人と鉢合わせしてしまった時のために逃げ出す隙を作れるような護身術を学びたい、というものだったのだ。本当は銀時に相談するまでこのことを話すつもりはないあかりだったが、土方を前にして嘘でお願いを通すのは無理だと観念し、突飛なことを言い出した経緯を説明した。
「今から習ったって突貫に過ぎねぇだろ。それに、そういうのは無意識に反応できるくらい身体に染み込ませた奴でもない限り、実際の場面では使い物になんねぇ」
「……そう、ですよね」
まだストーカーとも分かっていない相手を想像するだけでこんなに不安になる自分が昨日今日で護身術を習ったところで、その瞬間に身体を動かすことができるだろうかというのはあかりも思っていた。図星を突かれ、再び俯くあかり。そんな様子を見た土方は一つ溜め息を漏らして「まあ、万事屋に話せばどうせ暇だろうし、すぐに解決するだろう、今日明日の辛抱だ」と言った。
「そう、ですよね……!」
それを聞いてあかりは笑顔で同意したが、その顔はまだ不安が抜け切らないものだった。
それから通常通りに屯所での仕事を終えたあかりは、まだ暗くはならないが日が傾き始めた江戸の町へと帰路に就く。屯所を出て少し歩き、敷地が丁度見えなくなる境である角を曲がると、何故かそこには土方が立っていた。
「あれ、土方さん。これから巡回……じゃないですよね?」
今日の巡回はもう行っていたはずの土方に何か急な仕事でも入ったのかとあかりが尋ねる。すると、吸っていたタバコを携帯灰皿に押し付け小さく舌打ちをして、土方はすたすたと歩き出した。あかりが帰る道の方向だ。
「さっさと行くぞ」
「……は、はい!」
先へ進んだ土方に小走りで追い付き隣へつくと、自然と歩幅を合わせてくれた。特に何も言わないが、恐らく土方は不安に思っている自分をわざわざ送ってくれているのだろうと受け取ったあかりは、その優しさに思わず頬が緩んだ。
「へらへらしやがって、余裕じゃねぇか」
「え?」
「それは今、土方さんが一緒に帰ってくれるからです」と言いそうになるあかりだったが、そんなんじゃねぇ、と返される気がしたので、そこには触れずに両手で頬を叩いて気を引き締める姿で返事をした。それから、他愛もない話をしながら数分ほど歩いたところであかりのポケットが振動して知らせを届けた。
「あ、銀さんからだ。また帰りにアイス買ってきて、とかかな」
画面を見ながら呟くあかり。ポケットから取り出したのは現代人の必需品、携帯電話だ。あかりが真選組で仕事を初めて数日、仕事の連絡で必要になるかもしれないと近藤が買ってきてくれたものだ。お給料が入れば自分で買おうと思っていたあかりは最初は断ったが近藤は、「もう買ってしまったから」と引くことはなく、結局、月々の料金は自分で払わせてもらうことにできたが端末の代金と最初の月の料金は支払ってもらうことになった末に今、それはあかりの携帯となったのだった。仕事の連絡、なんて言っても今のところはその用途で使った試しがない。近藤がキメキメの写真と不可解な絵文字をつけたメールを送ってきて、お妙さんに見せておいて!とあったり。沖田からイタズラメールが送られてきたり。今みたいに仕事が終わった時間に合わせて、銀時から帰りに買い物を頼まれたりというのが殆どだった。
「あの野郎、自分は碌に働いてもいないくせに、仕事終わりの人間に買い物頼むのか」
そんなもん無視しろと言う土方に「まあ、ついでですから」と返しながらあかりがメールを確認すると、それは予想とは違う本文となっていた。
「えーっと……『すごいビッグニュースがあるネ!あかり、早く帰ってくるヨロシ』?」
音読するあかりの隣で一緒に画面を覗く土方。
「メールだと別人格じゃねえか」
「いや、多分これ神楽ちゃんが銀さんの携帯でメールをしているのかと」
銀時改め、神楽からのメールの内容はそれだけで終わっていて、ビッグニュースとやらは帰ってからのお楽しみなのだろう。そう思ったあかりは立ち止まって道の端に寄ると、『今から帰るよ。楽しみにしてるね』という旨で返信した。
万事屋の近くまで来ると土方は銀時達と顔を合わせたくないのか、ここまでだという風に立ち止まった。それを察したあかりは土方に向き直ると、送り届けてくれた礼をして頭を下げた。
「土方さん。ありがとうございました。それじゃあ、また明日」
そう言って去ろうとしたあかりを土方が短く呼び止めると、彼は隊服のポケットから携帯電話を取り出した。
「連絡先……一応、入れとけ。真選組としては下着泥棒じゃ動けねぇが、万が一って時は現行犯でしょっぴけるだろ」
「あ、はい。お願いします」
対テロリストのための警察である真選組が下着泥棒のために出動することはできない。でも、現行犯であれば関係なく逮捕、取り締まりができる。何かあったら頼ってもいいというのも同然の土方の申し出に、驚きつつも連絡先を交換し合ったあかり。それが済むと今度は土方の方から去って行き、あかりが背中を見送る形になった。
まだまだ少ないあかりの電話帳に「土方十四郎」の文字が加わる。それを「土方さん」に編集して、あかりは笑顔で万事屋へ帰った。
*****
「ただいまー!」
「あかりーっ、おかえりネ!」
玄関の戸を引きながらあかりが帰宅を告げると、奥の部屋から神楽が足音を立てて出迎えにやってきた。そわそわ、というか、うずうずというか落ち着かない様子の神楽を見て、靴を脱いで揃えたあかりが一緒に部屋へ戻りながらきっと待っているであろう話題を振る。
「ねえ、神楽ちゃん。ビッグニュースってなに?」
「聞きたい?あかり、聞きたいアルか?」
「うん、聞きたい聞きたい!」
神楽が嬉しそうに得意げにしてるものだから、可愛いなあと思いながらあかりの期待値も上がっていった。事務所兼居間となっている部屋へ入ると銀時と新八も居ておかえりの挨拶をしてくれるも、こちらの二人もどこかそわそわとしていた。
「え、ビッグニュースって本当になに?気になる」
机を挟んで置かれたソファの新八が座っている隣に腰を下ろして、隣の新八と向かいの銀時を交互に見ると二人の視線が机の上の紙に移される。あかりもみんなが喜ぶビッグニュースの正体を知りたくてそこに目を向けると、机の上の紙、チケットのようなそれを神楽が素早く手に取る。
「あかり、ビッグニュースはこれヨ!」
胸を張ってその紙をあかりの目の前へ突きつける神楽。瞬時に縮められぼやけたピントを合わせると、あかりがそこに印刷された文字を読み上げる。
「んーと、『宇宙への旅…3名様』って宇宙への旅!?神楽ちゃん、これ一体どうしたのっ?」
遊園地のチケットみたいなノリで印刷された『宇宙への旅』もそうだが、そうだこの世界は違う星々を行き来できるくらい技術が進んでいるのだった、というところにも改めて驚くあかり。
「大江戸ストアのくじ引きで当てたアル」
「神楽ちゃん、凄い!そして、大江戸ストアも凄い!」
あまりにもスケールの大きい賞品に大江戸ストアの努力を褒め称えずにはいられないと、パチパチと拍手をするあかり。しかし、得意げなのもそこまでですぐにシュン……と残念そうな顔を見せる神楽。この旅行の招待が3名だったことで、あかりが帰ってくるまでの間に誰が残るかで争っていたらしい。
「そんなこと気にしないで3人で行ってきなよ!そうだ、その招待はいつの船なの?」
パスポートのようなものが必要になるようなら自分は行けないし、日にちによっては仕事もあるので話を聞いた時から3人を送るつもりだったあかり。
「それが、このチケットの船が明日なんですよ」
「明日っ?また急だねえ」
新八の言葉に驚いて、神楽の持つチケットの小さな文字を読んでみると確かに翌日の日付になっていた。
「本当だ、明日だね。なら尚更、3人で行かなくちゃ。私は明日も屯所に行くわけだし。折角、神楽ちゃんが当てたチケットなんだもん、無駄になんてしないで楽しんでこなくちゃ!」
その後も神楽の説得を続け、お土産楽しみにしてるね、ということで最終的には納得をしてもらうことができた。至れり尽くせりの船旅のようで荷物はそんなに持って行かないらしいが船の出る時間もあるので、今夜は早めに休むことにした3人。新八も少しの間、家を留守にするために家事を片付けたいと急いで帰って行った。
*****
夜、明日が待ち遠しい様子の神楽は早々に押入に入り旅に備え、銀時もいつもより早めに布団に入った。みんなが眠ってしまえばあかりも一人で起きている理由もないので、必然的に同じように早くに布団に入った。和室に灯されたナツメ球のオレンジ色の下、遠いとも近いともない距離がすっかり落ち着いた様子で敷かれた布団。それぞれの布団に入りながら眠るまでの間、ちょっとした話をするのが銀時とあかりの日課になっていた。
「なあ、お前一人で大丈夫か?」
あかりの方を向くわけでもなく、天井を見たまま呟くように言う銀時。「3名様ご招待っても3人じゃなきゃいけないわけでもねぇし」と言う銀時に間、髪を容れず「ダメです」とあかりは返した。
「銀さんが行かないと、保護者役が居ないじゃないですか。私は大丈夫ですから」
「でもよぉ、明日明後日とババアも丁度出掛けるとかで居ないんだぜ?」
「もう、私だって一人でお留守番くらいできますから。銀さんは安心して宇宙の旅を満喫してきてください」
小学生でも残していくかのような銀時の心配ように、嬉しく思いながらもあかりは頬を膨らませる仕草をして大丈夫とアピールした。
*****
翌朝。船が出る時間に合わせ、早くに出掛ける銀時達をあかりは笑顔で見送った。
「あかり、お土産いっぱい買ってくるヨ!」
「うん、楽しみにしてるね、神楽ちゃん」
「なんだか僕達だけで、すみません」
「ううん、私は元々仕事で行けないわけだし、気にせず楽しんできてよ新八くん。土産話を楽しみにしてるから!」
「いいか?戸締まり用心火の用心だぞ。人が来ても出る必要ないからな?」
「銀さん……本当に、私は小学生じゃないんですから」
「ワンッ」
「定春も楽しんできてね」
それぞれと言葉を交わして背中を見送る。昨日は宇宙旅行自体に驚いてしまって聞きそびれていたが、どうやらこの旅は二泊三日らしい。そりゃあ、宇宙へ出るのに日帰りや一泊は無いかと、考えてみれば想像できることではあった。たった二泊三日でも、この世界へ来てからというものずっと一緒に居てくれた銀時達が居ないのだと、改めて考えると分かれて早々に少しだけ寂しくなる。
「よし、今日も一日頑張ろう!」
銀時達の姿が見えなくなるまで見送ったあかりは自分に喝を入れ、屯所へ向かう支度に移った。
*****
いつもは見送ってくれる銀時達の居ない、静まり返った万事屋の戸締まりを念入りにしてあかりは屯所へ向かう。
「……あれ、土方さん?」
万事屋から屯所へ向かう道の最初の角を曲がったところ。昨日、送ってくれた土方と別れたその場所に彼が立っていてあかりは驚く。
「お仕事……じゃないですよね?」
「散歩だ、散歩」
それだけ言うと土方は昨日と同じように小さな舌打ちを一回して、すたすたと歩き出した。屯所へ向かう道の方向に。あかりも同じように小走りで横に並び歩き出した。
「で、昨日は話せたのか?万事屋に」
「え、何をですか?」
素っ頓狂なあかりの返事にがっくりと肩を落とす土方。それを見て何を聞いているかが分かったあかりは、はたと立ち止まり完全に停止する。
「土方さん」
「ああ?」
「私、忘れてました。それはもうすっぽりと」
昨日、意を決した風に土方に話したというのに、あかりはすっかり下着泥棒の件について銀時に相談するのを忘れてしまっていたのだった。怒りというより呆れ果てた様子で先を歩き出した土方に駆け寄り、弁明を図るあかり。
「ひ、土方さんっ、失念していたのには一応理由が!」
「ほう、聞こうじゃねぇか」
視線を合わさずに前だけ向いていた土方が瞳孔を開き気味にあかりを見下ろし催促する。あかりは昨日の、神楽によるまさかのくじ引き大当たり、しかも、当選した旅行の日付が今日で、我が家の話題はそれで持ちきり。そのため、相談することをすっかり忘れてしまったと正直に話す。無理もないといえば無理もない話だし、もう、相談したかった相手は二泊三日で旅行へ行ってしまったのだからどうしようもない。土方の呆れは諦めに変わった。
*****
「おや。お二人さん、お揃いで」
「あ、沖田さん、おはようございます」
土方とあかりが屯所へ着くや否や、廊下を通りかかった沖田に声を掛けられる。あかりが挨拶を返していると、土方は面倒な奴に見つかったとでも言いたげな目つきの悪さでその場を去ろうとする。
「珍しいですね、土方さん。朝っぱらか一体どこへ行っていたんですかい?」
「タバコだ。ガキじゃねぇんだから一々聞くんじゃねぇ」
歩きながら言葉を返し、この場を切り抜けようとする土方に沖田は何かを思い出すような素振りをして「あれ、タバコはあかりさんが買い置きしてくれてるんですよね?」と言った。ぴたりと止まる土方と、反応を窺っているのか黙る沖田。きっと土方はわざわざ送り迎えをしていることを知られたくないのだろう、そう汲み取ったあかりは沖田の視界に入るよう回り込む。
「実は昨日、もう少しで無くなりそうだって聞いていたのに買うのを忘れてしまったんです。だから土方さんは買いに行ったんですよね?すみません。今日の午前中にはストックの分を買ってきますから」
そう言って土方へ振り返るあかり。咄嗟の出任せではあったが妥当なところだろうと土方はその流れに乗り、「ああ、任せる」と言って去っていった。
「だから、そこのコンビニでばったり会ったんですよ?」
「ふーん、そうでしたか」
土方が去った後、あかりは念を押して言うと沖田は右から左へ受け流すような気のない返事をして戻っていった。
*****
部屋へと戻る廊下を歩きながら沖田は二人の話は嘘だなと確信した上で、どうして土方がわざわざあかりを迎えに行ったのか考えていた。沖田が二人の話を嘘だと断言できるのは土方が屯所を出て行った時間だった。すぐそこのコンビニへ行ったなら10分ほどで良さそうなものだが、少なくとも今から30分より前には土方がここを出て行った姿を沖田は偶然に見掛けていた。
「まあ、別にどうでもいいんですけどねィ」
イジるネタとしてちょっと使えるかどうかを図っていた沖田にしてみれば、二人が待ち合わせをしていようが、何か理由があって土方があかりを迎えに行っていようが、どうでもいいことではあった。
*****
賑やかではあるもののトラブルやアクシデントは無く、滞りなく仕事を終えたあかりが屯所を出ると、今日は天人の要人警護に出ていた土方からメールが届いた。初めての連絡に自分は何か失敗でもしたのかとも思ったが、内容を読んでみると「仕事が終わってもうすぐ戻る」とのことだった。送るから待ってろというようなことは何一つ記されていないけれど、恐らくそういうことなのだろうと受け取ったあかりは、屯所近くのファミレスで待っているという旨で返信を打った。すると、すぐに携帯は振動し「了解」とだけ送られてきた。
「あ、土方さんお疲れさまです!」
あかりが屯所近くのファミレスに着いて、頼んだ紅茶を半分ほど飲んだところで土方が到着した。ここで待っていることは伝えていたので、敢えて窓際の席を選ぶということはしていなかったあかりが席を立ち場所を示す。土方が席に着くとテーブルの上には申し訳程度に注文したらしい紅茶だけがあって、あかりが律儀に待っていたことを物語っていた。そして、テーブルの端に貼られたステッカーとその横に置かれたガラスの器を見て、土方は小さく溜め息を吐いた。
「お疲れさまです。あ、土方さんも何か頼みますか?」
そこは分煙されたファミレスの中の喫煙席。条例ですっかり肩身の狭くなった愛煙家達が周りの席で煙をぷかぷかとさせていて、タバコを吸わない人間ならわざわざ座りたがらない場所だった。
「お前、こんな煙い席で待ってるこたァねぇだろ」
そんな土方の言葉を気に留めることもなく「でも、土方さん吸いますよね」とけろりと言って、端に置いていたメニューを開いて見せるあかり。取り敢えずコーヒーでも注文してさっさと店を出ようかとも考えたが、開いて一番にでかでかとアピールされる季節限定の食事メニューを見てふとあかりに尋ねる。
「今日は万事屋達が居ないんだよな?」
「そうですね。帰ってくるのは明後日の予定ですから」
静けさとは無縁そうな万事屋で今日明日を一人で過ごすあかりの姿が一瞬過ぎった土方は、メニューに目を通すと店員を呼び、がっつり食事をするらしく注文する。最後にマヨネーズも頼んでいる。
「お前もなんか頼め」
「え、私もですか?」
「どうせ帰っても一人なら、ここで飯済ませりゃいいだろ」
仕事終わりでお腹が空いて注文したのかと思ってそれを見ていたあかりが首を傾げると、土方がメニューを渡しながらそう言った。言葉にこそしないが土方が夕食に付き合ってくれようとしているのが分かり、あかりはぱっと表情を明るくして季節のメニューとしっかりデザートまで注文した。土方の最早どちらがメインなのか分からなくなるくらいのマヨネーズにあかりがツッコミを入れたり、比較的小さな身体からは予想に反した食べっぷりを見せたあかりを土方がからかったりと、銀時達と一緒の時とはまた違う楽しい夕食の時間をあかりは過ごした。
「すみません、土方さん。ご馳走してもらって」
「ガキがそんなこと気にしてんな」
食事を終えて店を出る時、あかりは少なくとも自分の会計分は支払うつもりでいたが土方に有無を言わさず制止され、結局はご馳走になった。ファミレスを出た二人が万事屋への道をゆっくりと歩く。夕食にしては早めの時間ではあったが食べ終わって町へ出ると、これからが本番だとかぶき町のネオンが灯り始める頃だった。基本的に仕事の後は真っ直ぐ帰るか、寄り道といっても買い物をして帰るくらいで、まだ深い時間ではないものの出歩くことはなかったあかり。この風景を見てこの世界にやって来た日、銀時が万事屋へ連れて帰ってくれた時のことを思い出した。
「……銀さん…」
隣を歩いていたあかりが視界の端から居なくなったことに気付き土方が振り返る。その先に立ち止まっているあかりは十歩ほどしか離れていないはずのに、辺りが薄暗いせいか小さくぽつんとしていた。今にも泣き出しそう、という顔ではないがどこか瞳には不安の色が浮き沈みしているように土方には見えてあかりの前まで戻ってしまった。
「おい。……おい、伊吹」
二度呼ぶと意識が戻ったように焦点を合わせ、土方を見るあかり。
「あ、土方さん……すみません。お腹一杯でちょっとぼーっとしちゃいました」
へらりと笑ったあかりは土方の横をすり抜け再び歩き出した。土方は何を聞くことも無く「食い過ぎだ」とだけ言って隣に並び、さっきまでと同じように歩いた。この前は万事屋の近くまでで別れた土方であったが、今日は銀時達が居ないこともあってしっかり玄関まであかりを送り届けた。当然のことながら万事屋の玄関の戸の向こうは灯りが点いておらず真っ暗だ。
「土方さん、送ってくださりありがとうございました」
戸の前で土方に向き直ったあかりがぺこりとお辞儀をする。
「おう。ところで、今日は下の店はやってないのか?」
外階段の床の更に下を見るようにして、万事屋と同じく真っ暗な下の階について尋ねる土方。
「はい。お登勢さんも明日まで都合があるらしくてお店はお休みなんです」
「ほんとのほんとに、私一人のお留守番ですね」と微笑む心許なげなあかり。家を出る時と帰ってきた時、両方で鍵を使うのが初めてなほど、誰かが居るのが当たり前だった万事屋なだけに、奥に灯りの見えない戸を開けるのがあかりには寂しく感じられたのだ。
「いいか、俺が帰ったらそのまま鍵掛けろよ。戸締まりはちゃんとしろ」
「もう、銀さんと同じようなこと言うんですね。小さい子供じゃないんですよ。でも、本当にありがとうございました。えーと……おやすみなさい」
戸を開けたあかりが中に入るまでを見届けた土方が出掛けの銀時と同じようなことを言うものだから、そんなに頼りないかと笑みが零れてしまったあかり。漸く見せたあかりのほっとした顔に、土方もほんの少しだけ表情を和らげ帰って行った。
言いつけ通りに土方が去ってすぐに玄関に鍵を掛けたあかりは少しだけ通りの見える和室の窓まで駆けて、町へ消えていく土方の後ろ姿をそっと見送った。
「……お風呂、入ろうかな」
見知った背中がなくなり部屋へと視線を戻すと、電気も点けずにいたことにあかりは気付いた。そして、寂しさを紛らわすように家中の照明を灯してから風呂を沸かした。
*****
「……暇ね」
普段より早い時間に夕食も風呂も済ませたあかりは、暇を持て余してぼーっとテレビを眺めていた。バラエティーを見てもドラマを見ても、全然内容は頭に入っていなかった。時折、テーブルの上に置いた携帯にもしかしたら連絡が来ていないかなと覗いたりもするが待ち受け画面は変わらずで、覗いては同じ場所に戻すという行動をもう何度か繰り返している。
「便りがないのは良い便りって言うし、私から連絡しても旅行を楽しむ気持ちを削いじゃうかもしれないよね……」
何でもいいから寝る前に銀時達の声を聞きたい気持ちもあったが笑顔で送り出した手前、あかりは自分から連絡を入れることができなかった。
「もう寝ちゃおう。うん、それがいい」
あかりは最終手段、就寝、に行動を移すことに決めた。いつもは二組並べる和室の真ん中に自分の布団だけを敷いて潜り込む。流石に寝る時まで電気を煌々と点けておくわけにもいかないので、廊下も台所も居間の電気も消し、和室のナツメ球だけを残す。
「静かだなあ……」
隣に銀時の布団はないし、居間に定春も居ない。押入を開けても神楽は寝ていないし、下へ降りてもお登勢とキャサリンも居ない。
「私、ひとりぼっち」
頭の中では朝から理解していたことではあったが、ぽつりと言葉にするとどこからの返答もないこの部屋が尚更それを実感させた。それから数十分ほどでうつらうつらするところまでは行ったものの完全に眠るに至らないあかりが、ホットミルクでも飲もうかと布団を抜け出して台所へ向かう。すると、万事屋の外すぐ近くの、恐らく階段の下だろうと思われる辺りで何か物を巻き込んで倒れたような音がした。
「なに……?」
外の様子を窺おうと耳をそばだてるあかり。しかし、その後は何の音も聞こえてこない。一瞬、脳裏には下着泥棒の件が過ぎったが、野良猫かなにかが物を倒したのだろうと胸を落ち着かせようと努める。すっかり目が覚めてしまったあかりが布団を出た目的であるホットミルクを胃に収め終えた頃、あることに気が付く。万事屋に戻ってからずっと静かだと思ってきたし、確かに室内は普段とは桁違いに音が少ないが、こうして静まり返った屋内に居ると、かぶき町の夜が如何に賑やかなものかが分かるのだ。
出来上がった企業戦士の会社には聞かせられないようなビッグマウス。なにがそんなに楽しいのかは分からないが聞こえる上機嫌な女性の笑い声。客引きの声や、酔っ払い同士が口論する声。多くの声が聞こえて、それに伴って彼らが発生させる音もあった。しかし、それらはあかりの心細さを解消させるものではなく、普段その世界に近付かない身からすると異様に近付いて感じて、漠然とした怖さとなって這い寄ってきたのだ。眠らないかぶき町の夜は長い。意識しなければ気にならないような外の音も、一度気付いてしまうとそれを容易には排除できない。夜を楽しむ人々の音を延々聞かされ続けたあかりは、それを遮断したくて潜った布団の中で携帯の液晶とにらめっこをしていた。
「やっぱり、ちょっとだけ電話……」
銀時達に電話をして気を紛らわそうかと電話帳を開く。しかし、右上に表示される時計がもう24時も間近を知らせていて、ダイヤルしようとするあかりの指先を止めさせた。
「もう寝ちゃってるかも」
あかりは電話帳の銀時のページから戻った。その時、外で再び大きな物音が上がる。反射的に身体が揺れたが、布団の中に居座ったまま先程と同じように物音のその後を窺う。すると、それは階段下から身体を引きずって出るような音の後、一段一段大きな音を立て、時々手摺りにぶつかるような音をさせて万事屋の方へ上がってきた。
「ど、どうしよう……」
階段を踏み外すような音がしたり、呂律の回らない様子で大声を発していたり、一連の音から察するに酔っ払いなのだろう。自宅に帰ってきたつもりで階段を上がっているのかもしれない。無視をしていれば去ってくれるかも、と考えあかりは巻き込まれる恐怖もあって外へは行かないことにした。しかし、酔っ払いは途中で気付くどころか完全にここを自分の家だと思い込んでいて、施錠された戸を開けようとしながら大声を上げた。
「母ちゃんっ、遅くなって悪かったって!まだ午前様にはセーフだろ?開けてくれよ!」
「ひっ……!ここはおじさんのお家じゃないの、気付いてっ……」
がしゃんがしゃんと揺すられる玄関の戸。しかし、迂闊に返事をして、まともに会話もできない相手に捕まるわけにもいかない。ただただ時が過ぎるのをあかりは待った。だが、あかりの願いも虚しく酔っ払いは次第に声を荒らげ、戸を開けようと揺すっていた手で叩きだした。磨り硝子と格子でできた戸はあかりを責め立てるように大きな音を立てる。予想外かつ初めての状況に恐ろしくなったあかりは、手の中で電話帳を開いたままでいた携帯を握り締めた。そしてまだ両手で数えられるほどしか登録されていないそれを見つめる。
「銀さんは、電話されても困るだろうし。お妙さんは……この時間はお仕事中だよね」
そして表示される中からあかりは一つの番号に電話をかけた。
*****
「お前は変なのに絡まれるのが好きみたいだな」
「……ごめんなさい」
「いや。今回のことはお前が悪いわけじゃねぇか。ちゃんと戸を開けずに連絡を寄越したしな。いい判断だった」
「土方さん……」
あかりは今、屯所の土方の自室に居た。時刻は深夜の1時を回ろうかというところだ。あの時、銀時にもお妙にも連絡を取れないと考えたあかりは咄嗟に土方へ電話をかけたのだ。
*****
要人警護の報告書を書いていた土方がそろそろ作業を終えようかという頃、充電器に繋いでいた携帯が振動した。迷惑メールか何かかと思ったが、振動を続けることからそれが電話の着信であると分かった土方。腰を上げて液晶を確認するとそこには伊吹あかりの文字が表示されていた。相手の事情を考えてこんな時間に電話なんてしてこないであろうあかりからの連絡に、土方は素早く着信を受けた。
「どうした。何かあったか」
相手を動揺させまいと落ち着いた声色で問う土方。すると、電話の向こうから情けない声が返ってきた。
『……あ、ひ、土方さんー……』
それから事情を聞いて、酔っ払いが戸の前で騒いでいることを理解した土方。交番へ連絡をするよう言おうかと思ったが、そうするとあかり自身が事情を聞かれたり、屯所で働いていることが分かり何か面倒臭いことになるかもしれないと思い直し、結局、出向くことにした。
土方が万事屋へ駆けつけると、確かに中年の男が完全に出来上がった様子で喚いていた。真選組として取り締まるのも面倒かつ私服のままで来たものだから、刀でスーツの上一枚を斬り落とし、ネクタイも細かく斬って散らせてみせると一瞬の内に酔いが醒めたのか放心した様子で逃げていった。男の居なくなった玄関の前に土方が立つと、外が静かになったことに気付いたのか戸の向こうからゆらゆらと人影が近付いてくる。
「……あ、あの、土方さんですか?」
「ああ、俺だ」
恐る恐る声を掛けてくるあかりに短く返事をするが、まだ心配をしているのか出て来る様子がなかったので土方は言葉を足した。
「あー……俺だ、土方十四郎だ。……大丈夫か伊吹」
自分の名前とあかりの名前を言葉にして本人だということを示す。戸の向こうで漸く安堵したように、ほうっと息が漏れるのが聞こえると、がちゃりと鍵を開ける音の後にゆっくりと戸が開く。中から姿を現したあかりは土方を確認すると、緊張の糸が解けたのか戸に寄りかかるようにして身を預けた。
「ああ、土方さん……。良かったあ……」
「お、おい」
「すみません、こんな遅くに。迷惑だとは思ったんですけど……」
「気にするな。質の悪い酔っ払いだったしな」
目にうっすらと涙を見せてはいるがあかりの無事にひとまず安心した土方は、夜も遅いからと帰ろうとする。しかし、去ろうとする土方の裾がその場に止められる。
「……どうした」
「いえ、あの、その……」
土方をこの場に縫い止めていたのは他ならぬあかりで、あかり自身その行動に驚いた表情を見せると目線を外した。それでも裾を摘まんだ手から力を抜くことはなく口を噤む。何も言わずにいるあかりに困り果てる土方。しかし、その手を払うこともできない。
「もう何もないとは思うが……心配なら、屯所行くか」
俯きどんな顔をしているか分からないあかりに土方が提案すると、一度だけ首を縦に振って返された。そして、目元を袖口でこすると「荷物、持ってきます」と小さく言って裾から手を離し、部屋の奥へ入っていった。女が一人の家に、家主も居ない状態で上がり込むほど常識が無いわけではない土方は、そのまま外でタバコを吸ってあかりの準備ができるのを待った。
「あの、お待たせしました」
出で立ちは寝間着に上着を羽織った姿のあかりが、屯所へ働きに来る時の容量重視なトートバッグを肩に提げて玄関の戸に鍵を掛ける。
「行くか」
気の利いた言葉が掛けられる方ではない土方はそれだけ言うとあかりの歩幅に合わせて、屯所への道程を歩き出した。
*****
「悪いが連中起こして説明する方が面倒になりそうだ、今夜はここで我慢してくれ」
そう言って通されたのが土方の自室だった。物の少ない部屋には、当たり前だが日中にはない布団が敷いてある。
「土方さん、もしかしてお休み中でしたか?」
「いや、まだ書類を片付けてたとこだった」
寝ているところを邪魔したのではと、申し訳なさそうに聞いたあかりにそう答える土方。机の上に目をやると、確かにそこには書類が広がっている。そして、布団はまだ敷いたときのままの状態らしく、掛け布団も乱れた様子がなくぴったりとされていた。そのことにあかりが少し安心していると、すっと湯飲みに入れられたお茶を差し出される。
「もう遅いから、それ飲んでさっさと寝ちまえ」
「あ、はい」
「布団はそれしかないからな。嫌なら適当に転がって寝てろ」
そうは言うものの床で寝させる気はないのか、黙って布団に入って寝ろ、というオーラを出しながら土方も茶を啜る。あかりが土方はどうするのかと聞くと、もう少しで終わる書類作業をしてから寝る、とのことだった。
「……お布団お借りします。あの、おやすみなさい」
「ああ」
書類に向かう土方の背中に声を掛けてあかりは布団に潜った。自分一人しか居ない万事屋では全く寝付けなかったというのに、どういうわけか今はすんなりと睡魔が入り込んできて瞼を重くする。土方の吸うタバコの匂いが僅かにする布団に包まれてあかりの意識は夢の中へと落ちていった。
「あれ、ここ……?」
すっかり熟睡していたあかりが目を覚ましたのはいつもより遅めの朝7時だった。普段の寝覚めとは違う視界に一瞬戸惑ったが、すぐに昨晩のことを思い出したあかりが土方を探すと、眠りに落ちる前の記憶と同じところに姿を見つける。胡座をかいて机に肘をつき、手の上に乗せた頭をこっくりこっくりと揺らしていた。あかりは心の中で謝りながら、土方の肩にそっと薄い掛け布団をかけた。そして、徐々に活動を始める隊士らに気付かれては大騒ぎになってしまうと、持ってきた荷物から作業着であるジャージをだして部屋の隅で手早く着替える。土方を起こさないようにそっと部屋を後にして、このまま朝食作りをしてしまおうと食堂へ向かった。
昼食は屯所で取るが朝食はいつも家で食べてくるのに、隊士らと一緒に朝食を取れば何か聞かれるかもしれないと考えたあかり。ちょっと早く着ちゃった、という言い分で通すために、あかりは準備をしながら摘まんで簡単に朝ご飯を済ませた。食事の担当に割り振られた隊士がまだ眠たげに瞼を擦りながら食堂へ入ってくると、普段ならこの時間に居ないはずのあかりの姿に驚く。
「おはようございます。今日はちょっと早く起きてしまって、つい来ちゃいました」
「迷惑でしたか?」と聞くあかりに勢いよく首を横にぶんぶんと振ると、さっきまでのテンションから一転してきびきびとした動作で準備を始めた。隊士達が起き始め段々と賑やかになっていく屯所。そして、朝食を取りに食堂へやってきた隊士は皆驚き、あかりは何度も同じ説明を繰り返した。粗方の隊士が朝ご飯を済ませた後、ずらしたアイマスクを頭につけた沖田が食堂にやってきた。
「おや?どうしてあかりさんがこんな時間から?」
「あ、沖田さん、おはようございます」
あかりは沖田にもほかの隊士と同様に話す。しかし、あまり納得がいっていない様子の沖田。その視線に耐えかねてあかりは「実は……」と切り出した。
「今、銀さん達がくじ引きで当てた旅行に行ってしまっていて、私はお留守番なんです」
「で、一人で寂しいから早く来ちまったと」
「はい」
「へー」と言うが顔は完全には信じてはいないようだった。あかりが料理を乗せたお膳をカウンターで待つ沖田に手渡すその時に、沖田がすんすんと鼻を鳴らす。
「あれ、沖田さん風邪ですか?」
「寝起きって鼻の通り悪いときありやせん?」
「確かに」
あっさりとあかりを納得させると沖田は席について食べ始めた。それから10分ほど経ってから土方と近藤が食堂へやってきた。近藤は他の隊士同様、あかりの姿に驚いたがすぐに納得もして、朝からご飯を山盛りにして食べ出す。
「おはようございます。土方さん、あんな体勢で寝させてしまって身体を痛くしてませんか?」
小さな声であかりが尋ねると、短く「ああ」とだけ答えて、土方は近藤と同じテーブルについた。
*****
昨夜、想定外のことはあったものの土方のお陰で安心して休むことができたあかりは、今日も仕事に精を出す。昼食の片付けまで済んだあかりが天気が良いからと、説得して干していた数人の隊士の布団をひっくり返す。面倒臭がって数ヶ月も干さないでいた隊士の布団は見事な煎餅布団となっていたが、日光にあてれば本来の姿を思い出したように見る見る内にふっくらとしてくる。これで今夜は気持ちよく寝られるだろうとあかりが満足げに布団を眺めていると、縁側を歩いてくる土方の姿が目に留まる。少し様子を見ていると、歩きながら肩を回したり身体を捻ったりしていて、疲れが溜まっているようだった。
「土方さん!」
夕食作りまで時間の開いたあかりは昨日の感謝も込めてマッサージをしようと土方に声を掛けた。
「お前、意外と上手いな」
「やった、本当ですか?」
巡回から戻ってきたところだった土方にマッサージを申し出ると、予想はできていたが始めは猛烈に断られた。しかし、しつこく頼み続けると断るのも面倒になったのか渋々了承してくれて今に至る。縁側で日向ぼっこがてら休息の一時。
「よく銀さんにもマッサージするんです。腕が上がったんですかね」
「お前……本気で出て行くこと考えた方がいいぞ」
「え、何でですか?」
働いて給料を入れて家事もして、その上に碌に仕事もない万事屋にマッサージをする生活とかどんな罪を犯した囚人だよ、と思いながらそんなことは全く感じていないらしいあかりに溜め息を吐く土方。すると、そこへ同じく巡回から戻ってきたらしい沖田が通りかかる。
_
「はい。いってらっしゃい、あかりさん」
「あかり、今日こそあのドS野郎のお茶に雑巾絞ってくるアル」
「しっかり稼いでこいよー」
元気良く万事屋を出たあかりは軽やかな足取りで真選組の屯所へ向かう。町を歩けばすっかり顔馴染みとなった商店の人や、これから漸く眠りに就けるだろう夜の仕事の人などに声を掛けられる。あかりが銀時達と一緒に居る姿や真選組の買い出しをしている姿を認識されてからは、周りの人達がやたらと気にかけてくれるようになったのだ。話を聞いてみると、どうやら銀時に甲斐性が無いのは江戸では周知の事実らしい。買い物に行けばおまけと称して会計の端数を切り捨ててくれたり、商品を多めにくれたりと申し訳ないと思ってしまうくらい良くしてもらっている。
喧嘩っ早さのある江戸っ子の陽気さも、驚きばかりの天人の存在も、天人でなくともキャラの濃すぎる人達も、町に飛び込んでみると驚くほどすんなりとあかりを受け入れてくれた。この色んな人を受け入れて取り込んでしまう懐の深さが、乱雑でありながらもどこか心地良い江戸の賑やかさを生み出しているのだとあかりは知ることができた。そして、あかりが突如としてこの世界へやってきてから日々は流れて、早一月が過ぎようとしていた。最初こそ大騒ぎをして多くの人を困らせたものではあったが、その出会った人達の親切により生活の基礎を整えることができたあかり。
この日々をしっかりと生きることが彼らに対するお返しの第一歩になるのだと仕事の決まった翌日からあかりは、朝から夕方まで真選組で働き、休みの日は万事屋の手伝い、新八に多くを頼っていた家事の分担など、高校生として生活していた頃とは全く異なる、忙しくてでも楽しい日々を過ごしていた。
第3話 初めてのお留守番~ひとりでできるもん~
あかりの朝は早い、というほど早くはない。 屯所で仕事を始めるのが朝の9時からなので、 少なくとも学生をしていた時よりかは幾分か始まりの時間は遅い。起きたら洗濯機を回し、朝食の準備をして、結野アナを見るため目を覚ます銀時、神楽や定春と朝食を取る。その後は洗濯物を干して身支度を整え、銀時達が食べ終えた食器を片付けて出ようかというところで新八がやってきて、後片付けは僕がしますよ、となることが多い。ゴミ出しを銀時に頼んだりもするが、恐らく出してくれているのは新八だろう。
屯所へ着くと日照時間のこともあるのでまず始めに洗濯に手をつける。そして、隊士達の朝食の後片付け、掃除を済ませると次は昼食の準備。賑やかに昼食を済ませたら、日用品で消耗しているものなどを買い出しに行き。 間に時間ができるようなら近藤や土方の書類の整理を手伝い、日が傾く前に洗濯物を取り込む。夕方になると仕事や稽古で汗を流した隊士がすぐに入れるよう、浴槽に湯を張って。夕食作りと翌日の朝食の下拵えをして終わり。というところである。こうして羅列すると忙しそうにも見えるが、あかりが入るようになって割合を減らしたと言えど、炊事も掃除も洗濯も隊士に分担がローテーションされるようになっていて一人でやっている訳ではない。作業の量が多いと見えれば手の空いた者や非番の者が手伝ってくれたたりもするので、あかり自身の感覚としてはそれほど多忙だとは感じなかった。
そして、仕事にも慣れてきたあかりは、今、空いた時間にやってみたいことがあった。
「はあ?稽古を受けたいだ?」
そう。それは、己や大切な人を守るための術を身につけることだった。昼下がりに土方の部屋で提出期限の迫る書類の処理を手伝っていた時。あかりはここ数日、いつ言おうかと見計らっていたことを土方に相談してみた。
「お前が刀を扱えたところで隊士にはなれねぇぞ」
「えっと、そういう訳ではないんですけど」
何も素人である自分が刀を扱えるとは思っておらず、体術というか護身術のようなものから教わりたいというあかり。ここに居たって別にそんなもの必要ないだろう、と言う土方だったが、万事屋を手伝う際に足手纏いになりたくないと返すあかり。
「そんな危ねぇ仕事をお前にもさせるのか、万事屋の野郎は」
「い、いえっ、そんなことも無いのですが……」
そこで言い淀んでしまったあかりだったが、彼女がこんなこと言い出したきっかけは数日前に遡る。
*****
それはまだ、可能性にも考えが及ばなかったが記憶を辿れば最初の出来事だった。
「あれ、足りない?」
夕方、あかりが屯所から万事屋に戻ると、その日は仕事に出ていた銀時達がまだ帰ってきていなくて、あかりは冷たくならない内にと洗濯物を取り込むことにした。物干し竿やハンガーから外している時は気にしていなかったが、それぞれの衣類を分けて畳んでいると自分のものが朝に洗濯機に入れた時より少ないことに気が付く。
「洗濯機の隅に残しちゃったかな」
呟きながら洗濯機の中を確認に行くが中は全く空っぽで、取り出し忘れてはいなかった。なら、取り込んでいた時に落としてしまったのかもしれないと確かめるも、そこには洗濯物は落ちていなくて、結局その時は洗濯バサミで留め忘れるなどで風に攫われたのだろうと考え、これからは気を付けようということで終わった。
しかし、その二日後。
「……ん?また、ない?」
銀時が室内に戻しておいてくれた洗濯物を畳んでいた時にそれに気付いたあかり。先日と同じように洗濯機の中と干していた場所を確かめるも、落ちているということは無かった。先日のように気にするほどでも無いかなと言い聞かせるように考えてもみたが、その日は間違いなく強い風なんて吹いていない確信があかりにはあった。何故なら、その日は警察庁に出すはずだった報告書の束に近藤がお茶を零してしまい、それを乾かそうと日の当たる縁側に並べて干していたのだ。乾くまでの間、書類は動くことなくその場で綺麗に整列していた。つまり、僅かに強い風さえ吹かないような天気だったのだ、今日は。
「どうしよう。これって……でも、まだ決めつけられないよね……」
頭の中を過ぎる特殊な癖による犯罪。でも、そんなことが身近になかったあかりは、それが本当にそうなのか判断できなくて、もう一度だけ様子を見ることにした。
そして、遂に決心をしたのが昨日のこと。ここ数日だけで二回も衣類が無くなったあかりは、消えたものと同種の衣類を決して外側から見えないようにして干したのだ。しかし、帰ってみると外側に干していた大きなタオルはそのままに、内側にしていたそれだけが無くなっていた。
「これ、もう確定だよね、下着泥棒……」
そう、ここ数日で三度に渡り消失したのはあかりの下着。パンツだった。三度も盗みに来たというのは無作為に盗みやすそうなところを狙っていて、他にも被害者が居るのかとまず考えたが、パンツを隠すように干していた三度目を考えると犯人はあかりのものだと知った上で盗んでいる可能性もある。だとしたらストーカーということだって有り得る。でも、あかりには不審な人を見かけたり、変に視線を感じるという感覚はなかったのでストーカーとまでは考えにくい気がして、その日は銀時に相談するまでには至らず終わった。しかし、夜になって布団に潜り、これからどう対策をとっていくべきかと考えを巡らせているとあかりの中で不安はどんどん膨れていった。
*****
そして、現状できることとして考えたの内の一つが今日の仕事から帰ったら銀時に相談すること。そして、二つ目に、万が一、犯人と鉢合わせしてしまった時のために逃げ出す隙を作れるような護身術を学びたい、というものだったのだ。本当は銀時に相談するまでこのことを話すつもりはないあかりだったが、土方を前にして嘘でお願いを通すのは無理だと観念し、突飛なことを言い出した経緯を説明した。
「今から習ったって突貫に過ぎねぇだろ。それに、そういうのは無意識に反応できるくらい身体に染み込ませた奴でもない限り、実際の場面では使い物になんねぇ」
「……そう、ですよね」
まだストーカーとも分かっていない相手を想像するだけでこんなに不安になる自分が昨日今日で護身術を習ったところで、その瞬間に身体を動かすことができるだろうかというのはあかりも思っていた。図星を突かれ、再び俯くあかり。そんな様子を見た土方は一つ溜め息を漏らして「まあ、万事屋に話せばどうせ暇だろうし、すぐに解決するだろう、今日明日の辛抱だ」と言った。
「そう、ですよね……!」
それを聞いてあかりは笑顔で同意したが、その顔はまだ不安が抜け切らないものだった。
それから通常通りに屯所での仕事を終えたあかりは、まだ暗くはならないが日が傾き始めた江戸の町へと帰路に就く。屯所を出て少し歩き、敷地が丁度見えなくなる境である角を曲がると、何故かそこには土方が立っていた。
「あれ、土方さん。これから巡回……じゃないですよね?」
今日の巡回はもう行っていたはずの土方に何か急な仕事でも入ったのかとあかりが尋ねる。すると、吸っていたタバコを携帯灰皿に押し付け小さく舌打ちをして、土方はすたすたと歩き出した。あかりが帰る道の方向だ。
「さっさと行くぞ」
「……は、はい!」
先へ進んだ土方に小走りで追い付き隣へつくと、自然と歩幅を合わせてくれた。特に何も言わないが、恐らく土方は不安に思っている自分をわざわざ送ってくれているのだろうと受け取ったあかりは、その優しさに思わず頬が緩んだ。
「へらへらしやがって、余裕じゃねぇか」
「え?」
「それは今、土方さんが一緒に帰ってくれるからです」と言いそうになるあかりだったが、そんなんじゃねぇ、と返される気がしたので、そこには触れずに両手で頬を叩いて気を引き締める姿で返事をした。それから、他愛もない話をしながら数分ほど歩いたところであかりのポケットが振動して知らせを届けた。
「あ、銀さんからだ。また帰りにアイス買ってきて、とかかな」
画面を見ながら呟くあかり。ポケットから取り出したのは現代人の必需品、携帯電話だ。あかりが真選組で仕事を初めて数日、仕事の連絡で必要になるかもしれないと近藤が買ってきてくれたものだ。お給料が入れば自分で買おうと思っていたあかりは最初は断ったが近藤は、「もう買ってしまったから」と引くことはなく、結局、月々の料金は自分で払わせてもらうことにできたが端末の代金と最初の月の料金は支払ってもらうことになった末に今、それはあかりの携帯となったのだった。仕事の連絡、なんて言っても今のところはその用途で使った試しがない。近藤がキメキメの写真と不可解な絵文字をつけたメールを送ってきて、お妙さんに見せておいて!とあったり。沖田からイタズラメールが送られてきたり。今みたいに仕事が終わった時間に合わせて、銀時から帰りに買い物を頼まれたりというのが殆どだった。
「あの野郎、自分は碌に働いてもいないくせに、仕事終わりの人間に買い物頼むのか」
そんなもん無視しろと言う土方に「まあ、ついでですから」と返しながらあかりがメールを確認すると、それは予想とは違う本文となっていた。
「えーっと……『すごいビッグニュースがあるネ!あかり、早く帰ってくるヨロシ』?」
音読するあかりの隣で一緒に画面を覗く土方。
「メールだと別人格じゃねえか」
「いや、多分これ神楽ちゃんが銀さんの携帯でメールをしているのかと」
銀時改め、神楽からのメールの内容はそれだけで終わっていて、ビッグニュースとやらは帰ってからのお楽しみなのだろう。そう思ったあかりは立ち止まって道の端に寄ると、『今から帰るよ。楽しみにしてるね』という旨で返信した。
万事屋の近くまで来ると土方は銀時達と顔を合わせたくないのか、ここまでだという風に立ち止まった。それを察したあかりは土方に向き直ると、送り届けてくれた礼をして頭を下げた。
「土方さん。ありがとうございました。それじゃあ、また明日」
そう言って去ろうとしたあかりを土方が短く呼び止めると、彼は隊服のポケットから携帯電話を取り出した。
「連絡先……一応、入れとけ。真選組としては下着泥棒じゃ動けねぇが、万が一って時は現行犯でしょっぴけるだろ」
「あ、はい。お願いします」
対テロリストのための警察である真選組が下着泥棒のために出動することはできない。でも、現行犯であれば関係なく逮捕、取り締まりができる。何かあったら頼ってもいいというのも同然の土方の申し出に、驚きつつも連絡先を交換し合ったあかり。それが済むと今度は土方の方から去って行き、あかりが背中を見送る形になった。
まだまだ少ないあかりの電話帳に「土方十四郎」の文字が加わる。それを「土方さん」に編集して、あかりは笑顔で万事屋へ帰った。
*****
「ただいまー!」
「あかりーっ、おかえりネ!」
玄関の戸を引きながらあかりが帰宅を告げると、奥の部屋から神楽が足音を立てて出迎えにやってきた。そわそわ、というか、うずうずというか落ち着かない様子の神楽を見て、靴を脱いで揃えたあかりが一緒に部屋へ戻りながらきっと待っているであろう話題を振る。
「ねえ、神楽ちゃん。ビッグニュースってなに?」
「聞きたい?あかり、聞きたいアルか?」
「うん、聞きたい聞きたい!」
神楽が嬉しそうに得意げにしてるものだから、可愛いなあと思いながらあかりの期待値も上がっていった。事務所兼居間となっている部屋へ入ると銀時と新八も居ておかえりの挨拶をしてくれるも、こちらの二人もどこかそわそわとしていた。
「え、ビッグニュースって本当になに?気になる」
机を挟んで置かれたソファの新八が座っている隣に腰を下ろして、隣の新八と向かいの銀時を交互に見ると二人の視線が机の上の紙に移される。あかりもみんなが喜ぶビッグニュースの正体を知りたくてそこに目を向けると、机の上の紙、チケットのようなそれを神楽が素早く手に取る。
「あかり、ビッグニュースはこれヨ!」
胸を張ってその紙をあかりの目の前へ突きつける神楽。瞬時に縮められぼやけたピントを合わせると、あかりがそこに印刷された文字を読み上げる。
「んーと、『宇宙への旅…3名様』って宇宙への旅!?神楽ちゃん、これ一体どうしたのっ?」
遊園地のチケットみたいなノリで印刷された『宇宙への旅』もそうだが、そうだこの世界は違う星々を行き来できるくらい技術が進んでいるのだった、というところにも改めて驚くあかり。
「大江戸ストアのくじ引きで当てたアル」
「神楽ちゃん、凄い!そして、大江戸ストアも凄い!」
あまりにもスケールの大きい賞品に大江戸ストアの努力を褒め称えずにはいられないと、パチパチと拍手をするあかり。しかし、得意げなのもそこまでですぐにシュン……と残念そうな顔を見せる神楽。この旅行の招待が3名だったことで、あかりが帰ってくるまでの間に誰が残るかで争っていたらしい。
「そんなこと気にしないで3人で行ってきなよ!そうだ、その招待はいつの船なの?」
パスポートのようなものが必要になるようなら自分は行けないし、日にちによっては仕事もあるので話を聞いた時から3人を送るつもりだったあかり。
「それが、このチケットの船が明日なんですよ」
「明日っ?また急だねえ」
新八の言葉に驚いて、神楽の持つチケットの小さな文字を読んでみると確かに翌日の日付になっていた。
「本当だ、明日だね。なら尚更、3人で行かなくちゃ。私は明日も屯所に行くわけだし。折角、神楽ちゃんが当てたチケットなんだもん、無駄になんてしないで楽しんでこなくちゃ!」
その後も神楽の説得を続け、お土産楽しみにしてるね、ということで最終的には納得をしてもらうことができた。至れり尽くせりの船旅のようで荷物はそんなに持って行かないらしいが船の出る時間もあるので、今夜は早めに休むことにした3人。新八も少しの間、家を留守にするために家事を片付けたいと急いで帰って行った。
*****
夜、明日が待ち遠しい様子の神楽は早々に押入に入り旅に備え、銀時もいつもより早めに布団に入った。みんなが眠ってしまえばあかりも一人で起きている理由もないので、必然的に同じように早くに布団に入った。和室に灯されたナツメ球のオレンジ色の下、遠いとも近いともない距離がすっかり落ち着いた様子で敷かれた布団。それぞれの布団に入りながら眠るまでの間、ちょっとした話をするのが銀時とあかりの日課になっていた。
「なあ、お前一人で大丈夫か?」
あかりの方を向くわけでもなく、天井を見たまま呟くように言う銀時。「3名様ご招待っても3人じゃなきゃいけないわけでもねぇし」と言う銀時に間、髪を容れず「ダメです」とあかりは返した。
「銀さんが行かないと、保護者役が居ないじゃないですか。私は大丈夫ですから」
「でもよぉ、明日明後日とババアも丁度出掛けるとかで居ないんだぜ?」
「もう、私だって一人でお留守番くらいできますから。銀さんは安心して宇宙の旅を満喫してきてください」
小学生でも残していくかのような銀時の心配ように、嬉しく思いながらもあかりは頬を膨らませる仕草をして大丈夫とアピールした。
*****
翌朝。船が出る時間に合わせ、早くに出掛ける銀時達をあかりは笑顔で見送った。
「あかり、お土産いっぱい買ってくるヨ!」
「うん、楽しみにしてるね、神楽ちゃん」
「なんだか僕達だけで、すみません」
「ううん、私は元々仕事で行けないわけだし、気にせず楽しんできてよ新八くん。土産話を楽しみにしてるから!」
「いいか?戸締まり用心火の用心だぞ。人が来ても出る必要ないからな?」
「銀さん……本当に、私は小学生じゃないんですから」
「ワンッ」
「定春も楽しんできてね」
それぞれと言葉を交わして背中を見送る。昨日は宇宙旅行自体に驚いてしまって聞きそびれていたが、どうやらこの旅は二泊三日らしい。そりゃあ、宇宙へ出るのに日帰りや一泊は無いかと、考えてみれば想像できることではあった。たった二泊三日でも、この世界へ来てからというものずっと一緒に居てくれた銀時達が居ないのだと、改めて考えると分かれて早々に少しだけ寂しくなる。
「よし、今日も一日頑張ろう!」
銀時達の姿が見えなくなるまで見送ったあかりは自分に喝を入れ、屯所へ向かう支度に移った。
*****
いつもは見送ってくれる銀時達の居ない、静まり返った万事屋の戸締まりを念入りにしてあかりは屯所へ向かう。
「……あれ、土方さん?」
万事屋から屯所へ向かう道の最初の角を曲がったところ。昨日、送ってくれた土方と別れたその場所に彼が立っていてあかりは驚く。
「お仕事……じゃないですよね?」
「散歩だ、散歩」
それだけ言うと土方は昨日と同じように小さな舌打ちを一回して、すたすたと歩き出した。屯所へ向かう道の方向に。あかりも同じように小走りで横に並び歩き出した。
「で、昨日は話せたのか?万事屋に」
「え、何をですか?」
素っ頓狂なあかりの返事にがっくりと肩を落とす土方。それを見て何を聞いているかが分かったあかりは、はたと立ち止まり完全に停止する。
「土方さん」
「ああ?」
「私、忘れてました。それはもうすっぽりと」
昨日、意を決した風に土方に話したというのに、あかりはすっかり下着泥棒の件について銀時に相談するのを忘れてしまっていたのだった。怒りというより呆れ果てた様子で先を歩き出した土方に駆け寄り、弁明を図るあかり。
「ひ、土方さんっ、失念していたのには一応理由が!」
「ほう、聞こうじゃねぇか」
視線を合わさずに前だけ向いていた土方が瞳孔を開き気味にあかりを見下ろし催促する。あかりは昨日の、神楽によるまさかのくじ引き大当たり、しかも、当選した旅行の日付が今日で、我が家の話題はそれで持ちきり。そのため、相談することをすっかり忘れてしまったと正直に話す。無理もないといえば無理もない話だし、もう、相談したかった相手は二泊三日で旅行へ行ってしまったのだからどうしようもない。土方の呆れは諦めに変わった。
*****
「おや。お二人さん、お揃いで」
「あ、沖田さん、おはようございます」
土方とあかりが屯所へ着くや否や、廊下を通りかかった沖田に声を掛けられる。あかりが挨拶を返していると、土方は面倒な奴に見つかったとでも言いたげな目つきの悪さでその場を去ろうとする。
「珍しいですね、土方さん。朝っぱらか一体どこへ行っていたんですかい?」
「タバコだ。ガキじゃねぇんだから一々聞くんじゃねぇ」
歩きながら言葉を返し、この場を切り抜けようとする土方に沖田は何かを思い出すような素振りをして「あれ、タバコはあかりさんが買い置きしてくれてるんですよね?」と言った。ぴたりと止まる土方と、反応を窺っているのか黙る沖田。きっと土方はわざわざ送り迎えをしていることを知られたくないのだろう、そう汲み取ったあかりは沖田の視界に入るよう回り込む。
「実は昨日、もう少しで無くなりそうだって聞いていたのに買うのを忘れてしまったんです。だから土方さんは買いに行ったんですよね?すみません。今日の午前中にはストックの分を買ってきますから」
そう言って土方へ振り返るあかり。咄嗟の出任せではあったが妥当なところだろうと土方はその流れに乗り、「ああ、任せる」と言って去っていった。
「だから、そこのコンビニでばったり会ったんですよ?」
「ふーん、そうでしたか」
土方が去った後、あかりは念を押して言うと沖田は右から左へ受け流すような気のない返事をして戻っていった。
*****
部屋へと戻る廊下を歩きながら沖田は二人の話は嘘だなと確信した上で、どうして土方がわざわざあかりを迎えに行ったのか考えていた。沖田が二人の話を嘘だと断言できるのは土方が屯所を出て行った時間だった。すぐそこのコンビニへ行ったなら10分ほどで良さそうなものだが、少なくとも今から30分より前には土方がここを出て行った姿を沖田は偶然に見掛けていた。
「まあ、別にどうでもいいんですけどねィ」
イジるネタとしてちょっと使えるかどうかを図っていた沖田にしてみれば、二人が待ち合わせをしていようが、何か理由があって土方があかりを迎えに行っていようが、どうでもいいことではあった。
*****
賑やかではあるもののトラブルやアクシデントは無く、滞りなく仕事を終えたあかりが屯所を出ると、今日は天人の要人警護に出ていた土方からメールが届いた。初めての連絡に自分は何か失敗でもしたのかとも思ったが、内容を読んでみると「仕事が終わってもうすぐ戻る」とのことだった。送るから待ってろというようなことは何一つ記されていないけれど、恐らくそういうことなのだろうと受け取ったあかりは、屯所近くのファミレスで待っているという旨で返信を打った。すると、すぐに携帯は振動し「了解」とだけ送られてきた。
「あ、土方さんお疲れさまです!」
あかりが屯所近くのファミレスに着いて、頼んだ紅茶を半分ほど飲んだところで土方が到着した。ここで待っていることは伝えていたので、敢えて窓際の席を選ぶということはしていなかったあかりが席を立ち場所を示す。土方が席に着くとテーブルの上には申し訳程度に注文したらしい紅茶だけがあって、あかりが律儀に待っていたことを物語っていた。そして、テーブルの端に貼られたステッカーとその横に置かれたガラスの器を見て、土方は小さく溜め息を吐いた。
「お疲れさまです。あ、土方さんも何か頼みますか?」
そこは分煙されたファミレスの中の喫煙席。条例ですっかり肩身の狭くなった愛煙家達が周りの席で煙をぷかぷかとさせていて、タバコを吸わない人間ならわざわざ座りたがらない場所だった。
「お前、こんな煙い席で待ってるこたァねぇだろ」
そんな土方の言葉を気に留めることもなく「でも、土方さん吸いますよね」とけろりと言って、端に置いていたメニューを開いて見せるあかり。取り敢えずコーヒーでも注文してさっさと店を出ようかとも考えたが、開いて一番にでかでかとアピールされる季節限定の食事メニューを見てふとあかりに尋ねる。
「今日は万事屋達が居ないんだよな?」
「そうですね。帰ってくるのは明後日の予定ですから」
静けさとは無縁そうな万事屋で今日明日を一人で過ごすあかりの姿が一瞬過ぎった土方は、メニューに目を通すと店員を呼び、がっつり食事をするらしく注文する。最後にマヨネーズも頼んでいる。
「お前もなんか頼め」
「え、私もですか?」
「どうせ帰っても一人なら、ここで飯済ませりゃいいだろ」
仕事終わりでお腹が空いて注文したのかと思ってそれを見ていたあかりが首を傾げると、土方がメニューを渡しながらそう言った。言葉にこそしないが土方が夕食に付き合ってくれようとしているのが分かり、あかりはぱっと表情を明るくして季節のメニューとしっかりデザートまで注文した。土方の最早どちらがメインなのか分からなくなるくらいのマヨネーズにあかりがツッコミを入れたり、比較的小さな身体からは予想に反した食べっぷりを見せたあかりを土方がからかったりと、銀時達と一緒の時とはまた違う楽しい夕食の時間をあかりは過ごした。
「すみません、土方さん。ご馳走してもらって」
「ガキがそんなこと気にしてんな」
食事を終えて店を出る時、あかりは少なくとも自分の会計分は支払うつもりでいたが土方に有無を言わさず制止され、結局はご馳走になった。ファミレスを出た二人が万事屋への道をゆっくりと歩く。夕食にしては早めの時間ではあったが食べ終わって町へ出ると、これからが本番だとかぶき町のネオンが灯り始める頃だった。基本的に仕事の後は真っ直ぐ帰るか、寄り道といっても買い物をして帰るくらいで、まだ深い時間ではないものの出歩くことはなかったあかり。この風景を見てこの世界にやって来た日、銀時が万事屋へ連れて帰ってくれた時のことを思い出した。
「……銀さん…」
隣を歩いていたあかりが視界の端から居なくなったことに気付き土方が振り返る。その先に立ち止まっているあかりは十歩ほどしか離れていないはずのに、辺りが薄暗いせいか小さくぽつんとしていた。今にも泣き出しそう、という顔ではないがどこか瞳には不安の色が浮き沈みしているように土方には見えてあかりの前まで戻ってしまった。
「おい。……おい、伊吹」
二度呼ぶと意識が戻ったように焦点を合わせ、土方を見るあかり。
「あ、土方さん……すみません。お腹一杯でちょっとぼーっとしちゃいました」
へらりと笑ったあかりは土方の横をすり抜け再び歩き出した。土方は何を聞くことも無く「食い過ぎだ」とだけ言って隣に並び、さっきまでと同じように歩いた。この前は万事屋の近くまでで別れた土方であったが、今日は銀時達が居ないこともあってしっかり玄関まであかりを送り届けた。当然のことながら万事屋の玄関の戸の向こうは灯りが点いておらず真っ暗だ。
「土方さん、送ってくださりありがとうございました」
戸の前で土方に向き直ったあかりがぺこりとお辞儀をする。
「おう。ところで、今日は下の店はやってないのか?」
外階段の床の更に下を見るようにして、万事屋と同じく真っ暗な下の階について尋ねる土方。
「はい。お登勢さんも明日まで都合があるらしくてお店はお休みなんです」
「ほんとのほんとに、私一人のお留守番ですね」と微笑む心許なげなあかり。家を出る時と帰ってきた時、両方で鍵を使うのが初めてなほど、誰かが居るのが当たり前だった万事屋なだけに、奥に灯りの見えない戸を開けるのがあかりには寂しく感じられたのだ。
「いいか、俺が帰ったらそのまま鍵掛けろよ。戸締まりはちゃんとしろ」
「もう、銀さんと同じようなこと言うんですね。小さい子供じゃないんですよ。でも、本当にありがとうございました。えーと……おやすみなさい」
戸を開けたあかりが中に入るまでを見届けた土方が出掛けの銀時と同じようなことを言うものだから、そんなに頼りないかと笑みが零れてしまったあかり。漸く見せたあかりのほっとした顔に、土方もほんの少しだけ表情を和らげ帰って行った。
言いつけ通りに土方が去ってすぐに玄関に鍵を掛けたあかりは少しだけ通りの見える和室の窓まで駆けて、町へ消えていく土方の後ろ姿をそっと見送った。
「……お風呂、入ろうかな」
見知った背中がなくなり部屋へと視線を戻すと、電気も点けずにいたことにあかりは気付いた。そして、寂しさを紛らわすように家中の照明を灯してから風呂を沸かした。
*****
「……暇ね」
普段より早い時間に夕食も風呂も済ませたあかりは、暇を持て余してぼーっとテレビを眺めていた。バラエティーを見てもドラマを見ても、全然内容は頭に入っていなかった。時折、テーブルの上に置いた携帯にもしかしたら連絡が来ていないかなと覗いたりもするが待ち受け画面は変わらずで、覗いては同じ場所に戻すという行動をもう何度か繰り返している。
「便りがないのは良い便りって言うし、私から連絡しても旅行を楽しむ気持ちを削いじゃうかもしれないよね……」
何でもいいから寝る前に銀時達の声を聞きたい気持ちもあったが笑顔で送り出した手前、あかりは自分から連絡を入れることができなかった。
「もう寝ちゃおう。うん、それがいい」
あかりは最終手段、就寝、に行動を移すことに決めた。いつもは二組並べる和室の真ん中に自分の布団だけを敷いて潜り込む。流石に寝る時まで電気を煌々と点けておくわけにもいかないので、廊下も台所も居間の電気も消し、和室のナツメ球だけを残す。
「静かだなあ……」
隣に銀時の布団はないし、居間に定春も居ない。押入を開けても神楽は寝ていないし、下へ降りてもお登勢とキャサリンも居ない。
「私、ひとりぼっち」
頭の中では朝から理解していたことではあったが、ぽつりと言葉にするとどこからの返答もないこの部屋が尚更それを実感させた。それから数十分ほどでうつらうつらするところまでは行ったものの完全に眠るに至らないあかりが、ホットミルクでも飲もうかと布団を抜け出して台所へ向かう。すると、万事屋の外すぐ近くの、恐らく階段の下だろうと思われる辺りで何か物を巻き込んで倒れたような音がした。
「なに……?」
外の様子を窺おうと耳をそばだてるあかり。しかし、その後は何の音も聞こえてこない。一瞬、脳裏には下着泥棒の件が過ぎったが、野良猫かなにかが物を倒したのだろうと胸を落ち着かせようと努める。すっかり目が覚めてしまったあかりが布団を出た目的であるホットミルクを胃に収め終えた頃、あることに気が付く。万事屋に戻ってからずっと静かだと思ってきたし、確かに室内は普段とは桁違いに音が少ないが、こうして静まり返った屋内に居ると、かぶき町の夜が如何に賑やかなものかが分かるのだ。
出来上がった企業戦士の会社には聞かせられないようなビッグマウス。なにがそんなに楽しいのかは分からないが聞こえる上機嫌な女性の笑い声。客引きの声や、酔っ払い同士が口論する声。多くの声が聞こえて、それに伴って彼らが発生させる音もあった。しかし、それらはあかりの心細さを解消させるものではなく、普段その世界に近付かない身からすると異様に近付いて感じて、漠然とした怖さとなって這い寄ってきたのだ。眠らないかぶき町の夜は長い。意識しなければ気にならないような外の音も、一度気付いてしまうとそれを容易には排除できない。夜を楽しむ人々の音を延々聞かされ続けたあかりは、それを遮断したくて潜った布団の中で携帯の液晶とにらめっこをしていた。
「やっぱり、ちょっとだけ電話……」
銀時達に電話をして気を紛らわそうかと電話帳を開く。しかし、右上に表示される時計がもう24時も間近を知らせていて、ダイヤルしようとするあかりの指先を止めさせた。
「もう寝ちゃってるかも」
あかりは電話帳の銀時のページから戻った。その時、外で再び大きな物音が上がる。反射的に身体が揺れたが、布団の中に居座ったまま先程と同じように物音のその後を窺う。すると、それは階段下から身体を引きずって出るような音の後、一段一段大きな音を立て、時々手摺りにぶつかるような音をさせて万事屋の方へ上がってきた。
「ど、どうしよう……」
階段を踏み外すような音がしたり、呂律の回らない様子で大声を発していたり、一連の音から察するに酔っ払いなのだろう。自宅に帰ってきたつもりで階段を上がっているのかもしれない。無視をしていれば去ってくれるかも、と考えあかりは巻き込まれる恐怖もあって外へは行かないことにした。しかし、酔っ払いは途中で気付くどころか完全にここを自分の家だと思い込んでいて、施錠された戸を開けようとしながら大声を上げた。
「母ちゃんっ、遅くなって悪かったって!まだ午前様にはセーフだろ?開けてくれよ!」
「ひっ……!ここはおじさんのお家じゃないの、気付いてっ……」
がしゃんがしゃんと揺すられる玄関の戸。しかし、迂闊に返事をして、まともに会話もできない相手に捕まるわけにもいかない。ただただ時が過ぎるのをあかりは待った。だが、あかりの願いも虚しく酔っ払いは次第に声を荒らげ、戸を開けようと揺すっていた手で叩きだした。磨り硝子と格子でできた戸はあかりを責め立てるように大きな音を立てる。予想外かつ初めての状況に恐ろしくなったあかりは、手の中で電話帳を開いたままでいた携帯を握り締めた。そしてまだ両手で数えられるほどしか登録されていないそれを見つめる。
「銀さんは、電話されても困るだろうし。お妙さんは……この時間はお仕事中だよね」
そして表示される中からあかりは一つの番号に電話をかけた。
*****
「お前は変なのに絡まれるのが好きみたいだな」
「……ごめんなさい」
「いや。今回のことはお前が悪いわけじゃねぇか。ちゃんと戸を開けずに連絡を寄越したしな。いい判断だった」
「土方さん……」
あかりは今、屯所の土方の自室に居た。時刻は深夜の1時を回ろうかというところだ。あの時、銀時にもお妙にも連絡を取れないと考えたあかりは咄嗟に土方へ電話をかけたのだ。
*****
要人警護の報告書を書いていた土方がそろそろ作業を終えようかという頃、充電器に繋いでいた携帯が振動した。迷惑メールか何かかと思ったが、振動を続けることからそれが電話の着信であると分かった土方。腰を上げて液晶を確認するとそこには伊吹あかりの文字が表示されていた。相手の事情を考えてこんな時間に電話なんてしてこないであろうあかりからの連絡に、土方は素早く着信を受けた。
「どうした。何かあったか」
相手を動揺させまいと落ち着いた声色で問う土方。すると、電話の向こうから情けない声が返ってきた。
『……あ、ひ、土方さんー……』
それから事情を聞いて、酔っ払いが戸の前で騒いでいることを理解した土方。交番へ連絡をするよう言おうかと思ったが、そうするとあかり自身が事情を聞かれたり、屯所で働いていることが分かり何か面倒臭いことになるかもしれないと思い直し、結局、出向くことにした。
土方が万事屋へ駆けつけると、確かに中年の男が完全に出来上がった様子で喚いていた。真選組として取り締まるのも面倒かつ私服のままで来たものだから、刀でスーツの上一枚を斬り落とし、ネクタイも細かく斬って散らせてみせると一瞬の内に酔いが醒めたのか放心した様子で逃げていった。男の居なくなった玄関の前に土方が立つと、外が静かになったことに気付いたのか戸の向こうからゆらゆらと人影が近付いてくる。
「……あ、あの、土方さんですか?」
「ああ、俺だ」
恐る恐る声を掛けてくるあかりに短く返事をするが、まだ心配をしているのか出て来る様子がなかったので土方は言葉を足した。
「あー……俺だ、土方十四郎だ。……大丈夫か伊吹」
自分の名前とあかりの名前を言葉にして本人だということを示す。戸の向こうで漸く安堵したように、ほうっと息が漏れるのが聞こえると、がちゃりと鍵を開ける音の後にゆっくりと戸が開く。中から姿を現したあかりは土方を確認すると、緊張の糸が解けたのか戸に寄りかかるようにして身を預けた。
「ああ、土方さん……。良かったあ……」
「お、おい」
「すみません、こんな遅くに。迷惑だとは思ったんですけど……」
「気にするな。質の悪い酔っ払いだったしな」
目にうっすらと涙を見せてはいるがあかりの無事にひとまず安心した土方は、夜も遅いからと帰ろうとする。しかし、去ろうとする土方の裾がその場に止められる。
「……どうした」
「いえ、あの、その……」
土方をこの場に縫い止めていたのは他ならぬあかりで、あかり自身その行動に驚いた表情を見せると目線を外した。それでも裾を摘まんだ手から力を抜くことはなく口を噤む。何も言わずにいるあかりに困り果てる土方。しかし、その手を払うこともできない。
「もう何もないとは思うが……心配なら、屯所行くか」
俯きどんな顔をしているか分からないあかりに土方が提案すると、一度だけ首を縦に振って返された。そして、目元を袖口でこすると「荷物、持ってきます」と小さく言って裾から手を離し、部屋の奥へ入っていった。女が一人の家に、家主も居ない状態で上がり込むほど常識が無いわけではない土方は、そのまま外でタバコを吸ってあかりの準備ができるのを待った。
「あの、お待たせしました」
出で立ちは寝間着に上着を羽織った姿のあかりが、屯所へ働きに来る時の容量重視なトートバッグを肩に提げて玄関の戸に鍵を掛ける。
「行くか」
気の利いた言葉が掛けられる方ではない土方はそれだけ言うとあかりの歩幅に合わせて、屯所への道程を歩き出した。
*****
「悪いが連中起こして説明する方が面倒になりそうだ、今夜はここで我慢してくれ」
そう言って通されたのが土方の自室だった。物の少ない部屋には、当たり前だが日中にはない布団が敷いてある。
「土方さん、もしかしてお休み中でしたか?」
「いや、まだ書類を片付けてたとこだった」
寝ているところを邪魔したのではと、申し訳なさそうに聞いたあかりにそう答える土方。机の上に目をやると、確かにそこには書類が広がっている。そして、布団はまだ敷いたときのままの状態らしく、掛け布団も乱れた様子がなくぴったりとされていた。そのことにあかりが少し安心していると、すっと湯飲みに入れられたお茶を差し出される。
「もう遅いから、それ飲んでさっさと寝ちまえ」
「あ、はい」
「布団はそれしかないからな。嫌なら適当に転がって寝てろ」
そうは言うものの床で寝させる気はないのか、黙って布団に入って寝ろ、というオーラを出しながら土方も茶を啜る。あかりが土方はどうするのかと聞くと、もう少しで終わる書類作業をしてから寝る、とのことだった。
「……お布団お借りします。あの、おやすみなさい」
「ああ」
書類に向かう土方の背中に声を掛けてあかりは布団に潜った。自分一人しか居ない万事屋では全く寝付けなかったというのに、どういうわけか今はすんなりと睡魔が入り込んできて瞼を重くする。土方の吸うタバコの匂いが僅かにする布団に包まれてあかりの意識は夢の中へと落ちていった。
「あれ、ここ……?」
すっかり熟睡していたあかりが目を覚ましたのはいつもより遅めの朝7時だった。普段の寝覚めとは違う視界に一瞬戸惑ったが、すぐに昨晩のことを思い出したあかりが土方を探すと、眠りに落ちる前の記憶と同じところに姿を見つける。胡座をかいて机に肘をつき、手の上に乗せた頭をこっくりこっくりと揺らしていた。あかりは心の中で謝りながら、土方の肩にそっと薄い掛け布団をかけた。そして、徐々に活動を始める隊士らに気付かれては大騒ぎになってしまうと、持ってきた荷物から作業着であるジャージをだして部屋の隅で手早く着替える。土方を起こさないようにそっと部屋を後にして、このまま朝食作りをしてしまおうと食堂へ向かった。
昼食は屯所で取るが朝食はいつも家で食べてくるのに、隊士らと一緒に朝食を取れば何か聞かれるかもしれないと考えたあかり。ちょっと早く着ちゃった、という言い分で通すために、あかりは準備をしながら摘まんで簡単に朝ご飯を済ませた。食事の担当に割り振られた隊士がまだ眠たげに瞼を擦りながら食堂へ入ってくると、普段ならこの時間に居ないはずのあかりの姿に驚く。
「おはようございます。今日はちょっと早く起きてしまって、つい来ちゃいました」
「迷惑でしたか?」と聞くあかりに勢いよく首を横にぶんぶんと振ると、さっきまでのテンションから一転してきびきびとした動作で準備を始めた。隊士達が起き始め段々と賑やかになっていく屯所。そして、朝食を取りに食堂へやってきた隊士は皆驚き、あかりは何度も同じ説明を繰り返した。粗方の隊士が朝ご飯を済ませた後、ずらしたアイマスクを頭につけた沖田が食堂にやってきた。
「おや?どうしてあかりさんがこんな時間から?」
「あ、沖田さん、おはようございます」
あかりは沖田にもほかの隊士と同様に話す。しかし、あまり納得がいっていない様子の沖田。その視線に耐えかねてあかりは「実は……」と切り出した。
「今、銀さん達がくじ引きで当てた旅行に行ってしまっていて、私はお留守番なんです」
「で、一人で寂しいから早く来ちまったと」
「はい」
「へー」と言うが顔は完全には信じてはいないようだった。あかりが料理を乗せたお膳をカウンターで待つ沖田に手渡すその時に、沖田がすんすんと鼻を鳴らす。
「あれ、沖田さん風邪ですか?」
「寝起きって鼻の通り悪いときありやせん?」
「確かに」
あっさりとあかりを納得させると沖田は席について食べ始めた。それから10分ほど経ってから土方と近藤が食堂へやってきた。近藤は他の隊士同様、あかりの姿に驚いたがすぐに納得もして、朝からご飯を山盛りにして食べ出す。
「おはようございます。土方さん、あんな体勢で寝させてしまって身体を痛くしてませんか?」
小さな声であかりが尋ねると、短く「ああ」とだけ答えて、土方は近藤と同じテーブルについた。
*****
昨夜、想定外のことはあったものの土方のお陰で安心して休むことができたあかりは、今日も仕事に精を出す。昼食の片付けまで済んだあかりが天気が良いからと、説得して干していた数人の隊士の布団をひっくり返す。面倒臭がって数ヶ月も干さないでいた隊士の布団は見事な煎餅布団となっていたが、日光にあてれば本来の姿を思い出したように見る見る内にふっくらとしてくる。これで今夜は気持ちよく寝られるだろうとあかりが満足げに布団を眺めていると、縁側を歩いてくる土方の姿が目に留まる。少し様子を見ていると、歩きながら肩を回したり身体を捻ったりしていて、疲れが溜まっているようだった。
「土方さん!」
夕食作りまで時間の開いたあかりは昨日の感謝も込めてマッサージをしようと土方に声を掛けた。
「お前、意外と上手いな」
「やった、本当ですか?」
巡回から戻ってきたところだった土方にマッサージを申し出ると、予想はできていたが始めは猛烈に断られた。しかし、しつこく頼み続けると断るのも面倒になったのか渋々了承してくれて今に至る。縁側で日向ぼっこがてら休息の一時。
「よく銀さんにもマッサージするんです。腕が上がったんですかね」
「お前……本気で出て行くこと考えた方がいいぞ」
「え、何でですか?」
働いて給料を入れて家事もして、その上に碌に仕事もない万事屋にマッサージをする生活とかどんな罪を犯した囚人だよ、と思いながらそんなことは全く感じていないらしいあかりに溜め息を吐く土方。すると、そこへ同じく巡回から戻ってきたらしい沖田が通りかかる。
_