長篇
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江戸は活気のある町である。中でも、かぶき町の賑やかさは独特なものであり、並び立つ店の種類やそれに対応した商店も普通より多いためか、おおよその真っ当な生活をしている人々にとっての昼がこの町での朝というサイクルも成立する営みが存在していた。スナックやキャバクラなどで働く人間や通う客を相手にするとなると、自ずと食事処や髪結いなんかも昼頃に開き始めて出勤前の夕方と仕事終わりの深夜から明け方がピーク、という風にもなる。そんな界隈から円周が広がるに連れて生活時間が真人間になっていく、といった具合だ。
そんな、食事処がちらほらと開き始めて賑わってきた町の中に、遅めの昼食を取ろうと通りを歩く黒い制服を身に纏った二人組が居た。
「土方さーん、今日の昼は激辛大盛りラーメンに挑戦しませんかィ?……土方さんが」
「んで俺なんだよ、てめぇでやれ!」
「残念ながら俺は心も舌もナイーヴなんでさァ。それに、成功したらタダになるってんだから、便乗して高いもん食べる役がどうしても必要でさァ」
「その役を上司の俺に譲れっつうんだよ!」
「えぇー」
彼らは幕府の命を受け江戸を守る武装警察、真選組の隊士。身に纏う隊服のように深い黒の髪に開き気味の瞳孔。そして、お巡りさんにあるまじき歩きタバコ姿の男は、真選組鬼の副長こと、土方十四郎。その隣を涼しい顔をして歩くのは、武装警察という看板に似つかわしくない、少年らしささえまだ残る面差しの青年。真選組一番隊隊長、沖田総悟だ。日課である巡回を一通りこなした二人は今日の気分を話しながら適当な店を探し歩いていた。
第1話 洞爺湖担いだ銀侍
そもそもからして食の好みが合致していない二人が、思いつく食べたいものを羅列していけば店が中々決まらないのは至極当然ともいえることで、もう面倒臭いからファミレスで良いんじゃないかと二人の意見が落ち着こうとし始めた時、路地から勢いよく飛び出してきた何かが土方にぶつかった。
「うおっ……」
土方の胸に丁度頭が当たるほどの女性が、自ら突進した反動でよろけると反射的に謝罪の言葉を口にしながら顔を上げる。
「あっ、すみませ……」
「土方さん、大丈夫ですかィ?いや、大丈夫じゃねえですよね、致命傷ですよね。そうだと言ってくだせぇ」
「ああ?それより、お前……」
身を案じた風を装いながら土方の無事を残念がる沖田を適当にあしらいつつ、土方は女の異変に気付き呼び止めた。不安げに瞳を揺らしながら頻りに来た道を気にするようにちらちらと視線を送り、この場に一秒でも留まりたくないといった様子で乱れた襟元をぐっと押さえる女性。何かあったのか、と土方が手を伸ばすと女性は大きく肩を震わせて小さな悲鳴をあげた。そして、自分が来た方向を指差して「助けてください!あの子を、助けてください!」とだけ言って走り去ってしまう。
「……なんだありゃあ?」
「人にぶつかっといて『ごめんなさい』も言えないたァ、昨今の若者はなってないですね」
「てめぇにだけは言われたくねえがな」
女性の異変に気付かないはずはないだろうに、そこには特に触れる様子のない沖田。土方は渋々といった様子で違和感を告げる。
「おい、一々構うのも面倒だから無視させてもらうけどよ」
「酷い方だぜ土方さんは、人のお茶目を蔑ろにするなんて」
「なあ、殴っていい?それより、さっきの女見ただろ」
「えぇ、まあ。見ましたぜィ。あれだけ躊躇ないタックルを土方さんに食らわせるんだ。尊敬の眼差しを送らざるを得ませんぜィ」
まるで特撮ヒーローでも見る純粋な少年のように瞳を輝かせ拳を握る沖田。そんな姿にいい加減付き合いきれないという顔をした土方の視線を受けて一つ溜め息を吐くと、先程とは変わりスッと真面目な顔になった。
「へいへい、気付いてますよ。追われている様子にあの服の乱れ方、そして土方さんの顔が怖かったにしても、あの怯えよう……」
「あぁ」
「そこから導き出される答えはたった一つ、間違いなくこの辺りで『女子異種格闘技戦』が繰り広げられているに違い無いですぜィ!」
再び目を輝かせて言う沖田。余談ではあるが彼は無類の女子格闘技好きだったりもする。何でも女同士が醜い面して争い合う姿が堪らないのだとか。
「ああ、そうだな。って、んな訳あるか。てめぇは一体何を見ていやがった」
きっと分かっているだろうに本題に入らせない沖田の口振りに、乗ってはいけない相手にしてはいけないと理解しつつも、躍らされるようについ口を挟んでしまう土方。
「全く、土方さんは冗談の通じない人でさァ。俺だってこのご時世に溢れたネット小説発の鈍感系主人公じゃあ、ありやせんぜィ」
「そーかい」
「誰が主人公だ、誰が」と言いたい気持ちを寸でで堪えた土方は、走り去っていった女が飛び出してきた方、日中にも関わらず薄暗く細い路地の奥へと視線を移した。おどけていた沖田も土方に並んで材木や粗大ゴミがそのまま置かれ、更に狭く見通しが悪くなっているそこに目を向ける。
「助けてくだい、……つってたよな」
「そーですね」
助けてください、そう言って走り去るだろうか。追っ手が来ていてそこに縋る相手が居るならば、その背に隠れれば良い。通りに出れば流石に見ないままにすることは人々もできないだろう。二人とも自然とその考えに至り、路地に目を凝らす。
「土方さん。早いとこ済ませて昼飯食べに行きやしょう」
「珍しく気が合うな、俺もそう考えてたとこだ」
「俺ぁ何だか肉の塊が食べたくなってきやした」
「奇遇だな。俺も今、赤身たっぷりの肉が食いたくなってきたところだ。マヨタワー乗せで」
視認できなくともこの先で起きているだろう状況が想像できる二人にとって、わざわざ言葉で確認をする必要もこれから取るべき行動の算段をつける必要もない。口の端をくっと上げて腰に提げた侍の証である刀の柄を握る、それだけで行動の合図としては十分であった。いざ、行かん。と二人が一歩を踏み出そうとしたその時。
「だ、誰か助けてぇぇ!幼気な少女がケダモノの毒牙にー!!」
これから踏み込もうとする先の奥まって見えない方から、幼気な少女と判定するには審議の余地が必要と思われる声が響いてきた。
「なあ、今の声……助ける必要あるか?」
出鼻を挫かれた形となった土方が思わずそう零す。
「まあ、さっきのに比べると色気のある女じゃねえことは確かですが。この際大事なのは殺るために必要な状況証拠でさァ」
「違いねえ」
お巡りさんにあるまじき土方の言葉に、より一層お巡りさんらしくない返しする沖田。 善良な一般市民を守る警察としての職務の全うというようなワードは見受けられないが、今度こそと二人は路地へ足を踏み入れていった。
「それじゃぁ、さっさと行くとしますかィ」
「言われるまでもねぇ」
*****
あかりが路地裏で奇声を発し、そこへ偶然通りかかった土方と沖田が救出へ乗り出していた頃、スナックお登勢を一番に飛び出した新八は人の溢れる江戸の町をがむしゃらに走り続けていた。しかし、走れども走れどもあかりの姿を見つけることは出来ず、新八は乱れた呼吸を整えるため一度立ち止まり辺りを見回した。
「あかりさん一体どこに行っちゃったんだろう……」
ぐるりと見渡して探し人の姿がないことを確認した新八は、まだ整いきっていない乱れた呼吸も気に留めることなく再び江戸の町を走り出した。
店を出ていった時のあかりの様子のおかしさもそうだが、昼の健全な賑わいを見せる江戸の町も一歩奥へと立ち入れば良からぬ輩に出くわすことも少なくない。色々な土地、身分の人間がそれぞれの理由で多く出入りするこの町には、善良で気の良い者も居ればそうでない者も居る。何も知らないであろうあかりが間違って路地にでも入って、何らかの面倒事に巻き込まれでもしていたら……そう思うと自然と新八の足は駆け足になっていったのだった。
*****
そして同じ時、一足出遅れて出発した神楽も江戸の町……というか、町に立ち並ぶ建物の屋根を飛び回りながらあかりを探していた。
「あかり、どこ行ったネ」
神楽、新八共に未だあかりとは再会出来ていないものの、二人の向かう方向というのはどういった巡り合わせか、確実にあかりへ近付いていた。
*****
ああ、もう駄目かもしれない。
建物と建物の間、材木や粗大ゴミ、指定の曜日に出すだろうゴミがその日を待って乱雑に放られたお世辞にも綺麗とは言えない空間で、あかりは未だ良からぬ輩達と対峙しながらそんなことを思っていた。
一先ず背後を取られたままでは危険と判断したあかりは、にじり寄る男達を睨みつけながら少しずつ後退して今の位置に移ったのだが……、その状況というのが荒れてひびの入った壁に背を預け目の前にはさっきまで360度を囲っていた男達が今度は180度を隙間無く取り囲み、寧ろ今の方が戦線離脱が困難な状況という見事な墓穴の掘り具合となっていた。こんな最悪な状況。少年マンガならヒーローが現れ格好良く悪者を成敗。少女マンガなら機転を利かせたイケメンがヒロインをスマートに攫ってくれるのだろうが……そんな可能性が限りなく無いに等しいのが現実なことはあかりも認めたくはないが分かってた。
ならば、どうにかして彼らを振り切り、少なくとも人目のつく大通りへ出るだけでもできないかと瞳を左右に揺らして隙を窺う。しかし何度視線を往復させたところで、みっちりと囲まれた180度の世界には一寸の隙も見当たらない。となれば次は如何に隙を作り出して逃げ道を調達するか、という事になってくる。何か現状を打開する方法は無いものかと、考えを巡らせるあかり。悲鳴も上げず状況を窺う気丈な様子のあかりを面白くないと感じたのか、あかりが乱入した際真っ先に不意打ちの餌食となっていた連中をまとめる男が一歩踏みだした。
「おいおい、お嬢ちゃん。よそ見はいけないぜ」
にやにやと厭らしい笑みを浮かべながら目の前に立つと、身体を押し付けるようにしてあかりに被さる。
「ひっ……や、嫌だ!」
反射的に押し返そうと前に出したあかりの手を、待っていたと言わんばかりに乱暴に掴むと片手で容易に纏め上げ、あかりの頭上のささくれ立った外壁に縫い止める。
「い、痛いっ、離して!」
あかりが力の限りで抵抗しても男の、しかも恰幅のいい男の力には到底及ばない。だからといって、抵抗を止めて大人しくされるがままという訳にもいかない。僅かに動かせる腕や足、身体全体を使ってせめてもの抵抗を続けるあかり。すると、最初こそ「生意気な女ほど屈服させ甲斐がある」などと言って状況を楽しんでいた男達も、あかりのしつこい抵抗に顔色を変え始めた。男は空いた方の手をあかりの顎へと伸ばし己の方へ向かせると、自分もずいと顔を寄せて息が掛かるほど距離を詰めた。
「な、に……」
未だ抵抗の意志を失わずに精一杯に睨むあかり。力ではまるで歯が立たず、数でも到底劣っている。もっと賢い選択をしようとは思わないものかと幾らか呆れながらも、その煩わしさが加虐心を擽り、苛立つと同時にもっと抵抗してみせろとでもいうように男は口許をくっと上げて笑った。
「威勢がいいのは結構だが、自分が置かれている状況を理解するのも大事だぜ」
そう言うとリボンのきっちり結ばれた制服の胸元に手を掛けて、ボタンを弾き飛ばしながら襟元を大きく開いた。飛び散った幾つかのボタンが地面に落ち、可愛いことで知られる自慢の制服のリボンも無惨に千切れ落ちた。
「ち、ちょっと!何をっ……」
「抵抗するなら最後までやり通して、楽しませろよ」
こんな場面に陥ったことなどない、他人からこんなに醜い悪意や暴力を受けたことなど無いあかりは、途端に頭の中が真っ白になり思考を巡らせることができなくなった。男達から向けられる下品な視線と乱暴に開けられた胸元とを交互に見るともうこの先は最悪の展開しかなくて、頭の中で警告音が鳴り響く。逃げる算段も、抵抗する力もどこかへ飛んでいき、目を瞑って唇を噛み俯く。悔しい、悔しい、悔しい、と。
「なんだなんだ、急にしおらしくなっちまいやがって。お楽しみはこれからなんだから、もっと抵抗してみせろよ」
その言葉を聞いて勢いよく顔を上げると、最後の抵抗だとでもいうようにあかりはキッと男を睨み大きく息を吸い込んで、悲鳴と言うには品が足りず獣とまでは言い切れない、言葉では形容が困難な叫び声を上げた。そして、次の瞬間、あかりを取り囲んでいた男達が吹き飛ぶようにして姿を消した。
「な、なにっ……?」
何が起きたのか理解出来ないままのあかりの頭に思い浮かんだのは、スナックお登勢であかりを引き止めてくれた銀時の姿。
「坂田……さん?」
砂埃舞う中で一人、猛々しく刀を振り回すその影に照準を合わせようと眼を凝らすが、ぼんやりとした姿でしか確認することができない。あかりがその人影に瞳を奪われていると、視界の外からもう一つの影が現れて緩い声が聞こえてきた。
「まったく……土方さんは、血の気の多い人でさァ」
そして、覇気ない声のすぐ後に巻き起こった爆風によって、あかりは再び意識を手放した。
「総悟てめぇ、今の明らか俺のこと狙ってただろうが!」
「そいつァ、被害妄想ですぜ土方さん。俺からの愛情しかない援護射撃だってのに」
硝煙と砂埃が引いていくと肩にバズーカを構えた沖田が弁解をするが、彼が正確に照準を定めていたのは言うまでもない。怒られたと言うのに照準は未だ土方に合わせたままで、親指をおっ立てて笑って見せている。
「ああ、そうかよ」
もう付き合い切れるかと、土方は沖田の無視を決め込み煙に巻かれたあかりの元へと、途中倒れる男達を足蹴にしながらかったるそうに歩み寄った。壁にもたれるようにして座り込んだあかりの頭に掛かった小さな欠片や砂埃を叩き落とし話し掛ける。
「おい、いつまで寝てるつもりだ?おい、こら」
しゃがみ込んであかりの様子を窺うが、何度呼び掛けて身体を揺すっても返事がない。力が抜けきりぐったりとする姿に嫌な予感を感じた土方は、あかりの肩を掴んでグッと自分の方に寄せた。
「う、うぅ……っ」
すると小さな呻き声を上げ、あかりは加えられた力のままに身体を土方の胸へと預けるようにして倒れ込んだ。
「ちっ、さっきのかよ」
倒れ込んできたあかりの前髪を除けてみると、その額には沖田がぶっ放したバズーカの爆風により飛ばされた破片か何かによって切られたのだろう、深くは無さそうだが左眉の上から額にかけて傷があり、頭ということもあり大量の血が流れ出ていた。小さく舌打ちをした土方は首元のスカーフを取ってあかりの額に宛がい 、そっと抱き上げて通りに向かい歩き始めた。
「おや、土方さん。幼気な少女をお持ち帰りで?」
トンズラするためパトカーを路地の前まで走らせてきた沖田が、悪びれる素振りもなくあかりを抱える土方を茶化した。
「ざけんな。てめぇが無闇矢鱈にバズーカぶっ放しやがるからだろうが!」
「いちゃもんですかィ?でも、俺が土方さんにバズーカ撃ったこととロリコンに走ることは別だと思いやすが」
自分の元へと歩いてくる土方に文句を垂れながらも、腕の中に居る少女を見て沖田は「ありゃりゃ」と漏らした。
「もしかして俺、ですかィ?」
やっちまいやしたか、とあかりの傷を覆って血を滲ませるスカーフを見た沖田は頭を掻きながら外方を向いた。少しは反省してるんだろうな、と言う土方だったが沖田から返ってきたのは「自分ならあれくらい避けられる。ボサッと立ってた方が悪い」というものだった。部下ながらこいつが警察で良いのだろうかと自分のことも棚に上げながら土方は思った。
「で、土方さんはこのお嬢さんを一体どうするおつもりで?」
抱えられたままのあかりに視線を送り、珍しくまともな質問をする沖田。
「どうする……っつわれてもなぁ」
どうしたものか、と土方はよく晴れた青い空を見上げた。腕にはどこの誰かも解らない謎の流血女が気を失っている。
「どうするっつわれても、この状態で野晒しにするほど、鬼じゃねぇしな」
「かといって病院へ担ぎ込むほどの怪我でもなしに……てぇことは、屯所に連れて行くんですかィ?」
「取り敢えずは、な」
意識を失ってちゃあ話も聞けない。見たところ少女の荷物はないようだし、怪我を負わせた責任というのもある。一先ずは屯所へ戻って怪我の手当てをして、意識が戻るのを待つというのが妥当だろうと一通り考えた土方は、嫌に親切だな今日の自分は……などとふと思い、柄にも無いなと自嘲的な笑みを浮かべてあかりを後部座席に横たわらせると自分は助手席に乗り込んだ。
*****
「はぁ、はぁっ、確かこの辺で、物凄い……音がっ」
暫し時を遅くして現場に辿り着いた新八。大通りから一本入った路地には一体何があったというのか、まるで激しい戦闘でもあったかのように壁は焼けささくれ立っていて、辺りに放置されていたであろう箱や粗大ゴミ等は無残に砕け散ってていた。
「何があったんだっ?」
しかし、見回してもそこには柄の悪そうな男達が野晒しに倒れているだけで自分が捜し求めているあかりの姿は無い。ここは違ったという事実は見付けられなかった落胆と、巻き込まれていなかったという安堵が含まれた複雑な心境を作り、新八に小さな溜め息をつかせた。
「とにかく、他を捜そう!」
一息ついてまた走り出そうとする新八の元に突然、人が降り立った。赤いチャイナ服に傘をさしたその姿は、神楽だった。彼女は屈んで辺りに散らばった瓦礫を眺めると、その中から切れ端を拾い新八に見せる。
「これ、あかりのネ」
「あかりさんのって…」
神楽が見せた布切れには無理に千切られたらしい繊維の跡と踏まれたのか土が着いていて、見事なボロ切れとしか言えないような代物だった。
「確か、ここ……ここのところに着いてたアル」
そういって胸元に布切れを宛てる神楽。確かに、あかりが身に纏っていた制服にそんなリボンがついていたような気もする。と思い出した新八はだとしたらと目を見開いた。
「そ、それじゃあかりさんは……!」
この事態に巻き込まれたということになってしまう。
「どうしよう新八、あかりきっと巻き込まれたアル。怪我、怪我してるネ。早く見つけないと!」
気が焦ってしまったのかそれだけ言うと、神楽は瓦礫の山を掻き分け始めた。
「ちょっと待って神楽ちゃん、まだそれがあかりさんのだって決まった訳じゃないでしょっ?それにもし巻き込まれてたとして、リボンはあるのにあかりさんが居ないってことは病院に運ばれたのかも……」
新八だって突然の出来事に動揺していたが神楽が先に取り乱してくれたお陰か、比較的冷静に状況を見ることが出来た。
「じゃあ病院、病院行くアル!」
「そうだね、取り敢えず病院に行ってみよう!」
二人はあかりを捜して病院へと向かう事にした。あかりが今、真選組の屯所へ向かっているとも知らず。
*****
新八と神楽が病院へ向かう頃、屯所に連れて来られたあかりは怪我人と言う事もあってか丁重に扱われていた。しかし、ここはむさ苦しい男だらけの真選組。怪我を負った少女が担ぎ込まれたともなれば、屯所中の隊士共が我先にと看病を買って出た。怪我人が寝ているというのにその騒ぎは収まる気配を見せずつい今し方、土方が一喝をして追い払った所だった。
「全く、小娘一人に大の野郎共が何やってんですかねィ。恥を知れってんだ、恥を」
「何故だろうな。この状況を作り出したてめぇにだけは言われたくねぇわ」
現在土方と沖田の二人はあかりを寝かしている部屋の襖の前で見張り番をしながら、さて、この後にどう言い訳をして娘を親元に返そうかと話していた。因みに襖の向こうでは密偵の山崎退があかりを介抱している。
「なぁ、土方さん。あのお嬢さんミントンに任せて良いんですかィ?」
不意に付かぬ話を振ってきた沖田。
「任せていて良いんですか」その質問はどうやら治療ががどうこうというものでは無いらしく、山崎が部屋で女と二人になって変な気を起こさないかと、そういう意味なのだろうと土方は解釈した。
「いや、全く以て心配する必要なんてねぇだろうが」
「山崎だぞ?アイツにそれだけの度胸があるとは思えねぇ」強い語調で言い切る土方だがそれを好としないのか、面白みに欠けるからなのか沖田は再び口を開く。
「果たしてそうですかね。というか何ですかその思春期の息子を持った父の自己暗示のような信頼の寄せ方は。大体、山崎だって歴とした男ですぜィ。年頃の怪我を負い弱りながら呼吸を荒げる娘さんを前に、男が何もしないと。本当にそう思うんですかィ?」
「それ、は……」
そんな憂いは無用だと何度も自分に言い聞かせながらも、思わず抵抗もできない少女に山崎が手を伸ばす場面を想像してしまい、動揺の色を隠し切れなくなる土方。額にはうっすらと嫌な汗が伝い始める。自分の隣で忙しく百面相する上司を沖田はからかい甲斐のある人間だと、改めて認識するのであった。
*****
沖田が土方で遊んでいたその頃、二人と襖を隔てた部屋の中では山崎があかりの怪我の手当てをしていた。
「薬よし、包帯よし、問題は……」
一つ一つの作業を小さな声と共に確認する山崎、こういう所で地味に真面目な性格が窺える。そんな山崎が目下抱える問題というのが視線の先で眠りこけているあかりの存在だった。負った傷こそは深くないものの場所が場所だった為、あかりの出血は結構なものだった。勿論、運ばれてすぐ処置はしたが、この屯所に来るまでの間にも流れてきたのであろう血液が衣服にまで付着していたのだ。今はただ布団の上に寝かせているだけの状態だが治療を終えた今、さあ、布団を掛けてやろうとすると服に出来た血の染みがどうにも気になってしまった。という具合だった。
「うー……ん」
服を変えてやらねば布団を掛けて寝かせてやれない。しかし無断で年頃の娘の服を正当な理由があるとはいえ、男が着替えさせるというのはどうにも気が引ける。この真選組には全く以て女性が居ないが、かといって自分を棚に上げる訳ではないが他の隊士に任せてしまうのも心配だ。
「ええい、仕方ないっ。コレは仕方ないことなんだ!」
幾つかの案を絞り出してみるもどれも最善とは思えず、結局は自らが着替えさせるに行き着いた山崎はあかりのブラウスにそっと腕を伸ばす。するとあかりは眉を寄せ小さく喉を鳴らした。
「う、ううんっ……」
「うわっ」
山崎は腕を引っ込めて思わず息を殺す。
「はぁ……、別に悪いことでも無いのに何なんだこの罪悪感は」
男の悲しい性に決心を揺らがされながらも再びブラウスに手を掛ける。胸元が破かれたブラウスに辛うじて残っているボタンを慎重に外していく山崎。何度も起きてくれるなよと願いながら替えの着物であかりの身体を覆い、腕をゆっくりとブラウスの袖から抜いていく。次第に露になるあかりの肩、男の自分とは全く異なるそれに少し驚く。白く滑らかな曲線、筋張っていない柔らかそうな肌。
「女の子って……」
一瞬見惚れてしまいつつもかぶりを振って自分を正し、あかりの背を浮かせてブラウスを抜き取ろうと山崎が身体の下に手を入れたその瞬間。
「あの、誰……?」
もはや説明等不要とも言えるお約束のタイミングで瞼を上げたあかりは、至近距離にある男の顔を見つめながら知らない人だよなと首を傾げる。
「あ、えと……その」
見開かれたあかりの瞳に吸い込まれるように山崎も思わず動けなくなる。互いに固まったままのあかりと山崎との顔は、一寸の距離が有るか無いかと言った所。突然の状況に対応し切れず、暫しの沈黙に包まれる。時間が止められてしまったような中、先に口を開いたのはあかりだった。
「あの、近い、んです……けど」
「ごっごごご、ごめんっ」
あかりの口が動き、音が紡がれ、漸く我に返った山崎は勢いよく離れた。そして離れたのと同時に山崎の手に引かれて、あかりの身体を覆っていた着物がはらりと下に落ちた。
「あっ……!」
しまった、と思い山崎が着物を掛け直そうとあかりに手を伸ばすが、焦った山崎の姿と清々しいまでの開放感に異変を感じてあかりは自分の身体へと視線を降ろす。
「……ひっ」
途端にあかりの顔は耳まで真っ赤に染まっていき、次の瞬間、肺に収まっていたありったけの空気を吐き出すように叫び声を上げた。
「何だ、どうした!」
「山崎もちゃんと男だったんですねィ」
廊下で待機していた二人が悲鳴を聞きつけて部屋へ飛び込んでくる。そこで二人が見たのは上半身露な少女と、その少女に怪しく手を伸ばす部下の山崎。
「……」
「あああ、あのっ、副長これには訳が!のっぴきならない事情がっ」
「山崎ィィッ!」
「ギャァァァァアアッ!!」
部下のあるまじき行為(と思われる場面を目の当りにすること)により怒り心頭の土方は、拳をわなわなと震わせると山崎の上に馬乗りになり強く握った拳で殴り始めた。あかりはというと何かを羽織りたいのだがいきなり現れた男達のお陰で身動きが取れなくなり、自身を抱き締める様にして小さくなっていた。そんなあかりを気にすることなく、近づいてきた沖田。
「やっと起きたんですかィ?」
そう言って足元に落ちていた替えの着物に手を伸ばし、そっとあかりに羽織らせた。
「あ、あの……私っ」
見慣れない部屋に服を着ていない自分、知らない男達の姿、あかりの不安を駆り立てるには十分だった。その様子を見て沖田が一度あかりの頭にポンと手を乗せると、マイルドに言うとじゃれ合っている土方と山崎を止める。
「あー、はいはい、土方さんも山崎も。取り敢えずは、コイツが着替えてからにしやせんかィ?」
被せられた着物から顔だけ出すあかりを指差して、未だ山崎を叱咤する土方に沖田は提案した。
「……そうして貰えると嬉しいです」
あかりは力無く返事をし、それを聞いた三人は部屋の外で待つこととなった。
着慣れない上、男物で丈の合わない着物にかなり悪戦苦闘しながらも何とかそれなりの形にしてみせたあかりは、あれやこれやと試行錯誤する中で先程の山崎とのことを考えていた。あの瞬間は驚きと恥ずかしさで気付かなかったけれど、包帯の下で痛む傷と部屋に散らばる薬や包帯、足元には見慣れたブラウスが赤く染まって落ちている。さっきの山崎という人が、自分を介抱してくれていたのではないだろうか。服を着ていなかったのだって、着替えさせるためだとしたら。自分が勘違いしてしまったせいで酷く怒られてしまったのなら……自分は申し訳無いことをしてしまったのかもしれないと、あかりの頭が垂れる。
着替えを終えたあかりがそんな思いを巡らせていると、襖の向こうから沖田の声が届く。
「そろそろ良いですかィ?」
「は、はい。大丈夫です」
着物の帯を再確認し、襟を正して返事をすると「入っちまいやすよ」という声と共にさっきの面々が部屋に入ってくる。山崎が入る姿を見たあかりは畳に膝をつき深々と頭を下げた。
「さ、先程は勝手に勘違いして、ごめんなさい!」
思いもよらないあかりの行動に唖然とする三人。中でも謝られている当の本人である山崎は尋常でない驚き方だ。
「待って、待って、どうして謝るの?俺の方こそごめん!」
互いに一歩も譲らず、頑なに頭を下げ続ける二人。
「私のせいで……」
「俺の方こそ……」
「てめぇら、これ以上不毛なことやるってんなら、仲良く斬ってやるからそこに並べ!」
進展のないもどかしい状況に痺れを切らした土方が深く頭を下げたままの山崎に一発食らわせた後、それに驚き顔を上げたあかりを睨む。山崎に大丈夫かと尋ねると彼は目の端に涙を少し浮かべながら「大丈夫大丈夫」と言って笑った。
*****
「てぇことは何だ?てめぇは見ず知らずの女を助ける為に、アイツらに絡まれに行ったって訳だ」
適当な自己紹介を済ませた所で、何故あかりが一人であんな路地に入ったのかという話になった。
「まぁ、ざっくり言うとそんな感じです」
すみません、とあかりは肩を竦めて肯定してみせる。その話を聞いた山崎は、机に身を乗り出してあかりに尋ねる。
「それじゃ、あかりさんのその怪我はそいつらに?女の子にこんな怪我をさせるなんて!」
「あ、いえ。これは……」
山崎に言われ思い出したあかりはすかさず否定する。
「それが、こんな怪我をした覚えは、全くないんですよね。でも、気付いたらこんなで……」
包帯の上から傷を擦りながら首を傾げて「いつ怪我しちゃったんでしょう」と零しながら目の前に座る土方へ曖昧な笑みを向けるあかり。
「それは……アレだろ、アレ。名誉の負傷だ」
「名誉の負傷、ですか?」
眼を泳がせ、冷や汗を流しながら慌ててタバコに火を着ける様はどう見ても不自然だったが、あかりはそんな土方の様子よりも彼の姿を見て意識を失う直前を思い出していた。
あの時、目の前の男達が吹き飛ばされた直後に見た砂埃の中での鋭い立ち回り、その瞬間は何故か銀時かとも思ったが真っ黒な服に同じように黒い髪で、ぼんやりとだったが思い返せば正反対の姿だった。それは恐らく、今、目の前に座る土方なのだと記憶が結びついたあかり。
「そういえば、あの時助けてくれたのは土方さん……ですか?」
「お、おぅ……まぁな」
「やっぱり、ありがとうございます!命の恩人です!」
少しばつが悪そうにそっぽを向いて応える土方にあかりが尊敬の眼差しを向けていると、隣に座っていた沖田が視界に入り込んで話に割り込んだ。
「何をとぼけているんですかィ?悪党に絡まれるあかりさんを助けたのは俺だってぇのに。大体、土方さんが後先考えずにバズーカぶっ放しやがるから、あかりさんがこんな怪我をしちまったってのに……っ」
そこまで言うと沖田は口元に手をあて、割り込んでいた身体を反転させあかりに背を向ける形で肩を震わせてみせる。芝居掛かった沖田の言葉も、記憶が朧気なあかりは疑うことを知らなくて、沖田が罪悪感を感じているのだと思い肩に優しく手を置き励ました。
「沖田さん、大丈夫ですから!怪我も大したことありませんでしたし、そんなに気にしないでください。それより助けてくれてありがとうございました」
「そう言って頂けると俺、俺っ……」
わなわなと肩を震わせ俯いたまま振り返った沖田が何かを堪えるように唸ったりむせたりした後、あかりの手を取り包み込むと潤んだ瞳を向ける。どうみても笑いを堪えて出た涙だが、あかりはそれに気付いていない様子だった。
「総悟、てめぇ……なに都合のいい捏造仕立て上げてんだ。つか、まるっきし立場が逆転してんだろ!」
今の今まで堪えていた土方にも限界が訪れ長机を踏みつけ身を乗り出すと、どうしても自分の罪をチャラにしたいらしい沖田の手を握り返して慰めるあかりから引き剥がし怒りの声を浴びせる。その姿もまた嘘であるようには思えなくて、引き剥がされた状態で固まったまま首を傾げる。
「え、ええーっと……沖田さん?」
どういうことですか?という視線を向けるあかりに今までの涙はどこへやら、ケロッとした顔で何か思案する姿を見せた沖田は「え?んー、ええ。まぁ、ちょっとしたお茶目ってやつですよ。お茶目お茶目」と演技を続けるのも飽きてきたのか、さらりと今までの発言を覆した。
「え、…えーっと」
一体どこから自分はからかわれていたんだろうかと分かりかねるあかりはどう返していいものか分からず、取り敢えず現状を受け止める、もとい流すことにした。
「そ、そうなんですか、はははー……」
自分の情けはどうすればいいのやらと困った笑みを浮かべながらへらへらと土方に視線を移すと、彼は済まなそうにして片手で顔を覆った。そんな土方を見て、あの時助けてくれたのが彼なのだとしたら、たとえそれが仕事であったとしても己の善行をを詳らかにしない慎ましさにあかりは少し心があたたかくなるのを感じた。
何やら分かったような顔でニコニコと微笑むあかりと、それを受けて居心地の悪そうな土方の様子を見ながらどこか面白くない沖田は話を先へ進めた。
「ところであかりさん。この辺じゃ見ない顔ですが、お住まいはどちらで?」
「私、私は……」
考えなしに話し出しそうになった口に思わず手を添えて、言葉を詰まらせるあかり。学生程度の年齢と思われる少女が、身分を告げるのに言葉を選ぶ必要があろうかと、幾らか視線を鋭くする土方と沖田。そんな二人のように気が付かないのか、緊張させずに聞き出すためか、土方の隣に座る山崎が身を乗り出してあかりの意識が無い間に身元を確かめようとした話を始める。
「そうそう、このことをご家族の方に知らせようと思ったんですけど、あかりさん荷物を持っていなかったみたいで身分を証明出来る物がないし、この辺じゃ見ない服装だし。ポケットにあった生徒手帳で名前は分かったんですけど、江戸の戸籍を調べても該当しないしで、凄く困ったんですから!」
「それは……あの」
気を失っている間にそこまでしてくれていたのかと、これが自分が元居た場所の警察ならその仕事の速さに感謝するところだが、今や身分も怪しまれる自分がそれをされるのは少し困る。決して犯罪者などではないのに動揺したあかりはどう説明したらいいものか、本当のことを言うべきなのかそれとも適当に取り繕うべきなのかと上手く言葉を発することができない。「あの」や「その」といった言葉ばかりを口にして視線を左右に泳がせ、逃げる口実を探しているようだったあかりを土方の声が捕らえる。
「おい、伊吹。何も言わねぇってことは、お前の身の上が俺たち警察には到底言えないようなものなんだと……そう捉えて構わねぇんだな?」
いつまで経っても話そうとしないあかりを見兼ねて土方が問う。土方の眼は沖田にツッコミを入れていた時とは明かに異なり、確信に迫る強い瞳で逃げることを許さない。自分でも把握し切れていないことを説明できるのか、そもそも彼らに話すことで面倒なことに巻き込んでしまわないだろうかと、考えを巡らせて腹が決まらないあかりを土方の真実を欲する瞳が射貫く。
その眼に遂に逃れられないと感じたあかりは、今ここに至るまでで把握する限りの経緯を包み隠さず話すことを決めた。不思議なもので、最初の言葉が出てしまうと後の言葉は準備でもしていたように口から滑り落ちた。抱える不安も何もかもをあかりは三人に打ち明けた。あれだけ盛り沢山だった出来事も、話していくと10分と経たずに話し終えてしまった。
「というのが私の今日一日の出来事なんですけど」
話し終えたあかりが土方達の反応を窺おうと俯いたままだった顔を少し上げると、三人は「ああ、聞かなきゃよかった」という文字がはっきりと書かれているような表情をしていた。
「なんか、すみません。変な話をしてしまって。私そろそろ失礼しますね。今日は助けてもらった上、治療まで、ありがとうございました」
言い終えるとそそくさと立ち上がり、机の脇を通って逃げるように襖に手を掛けるあかり。それを見て慌てて山崎も立ち上がり立ち去ろうとするあかりを制する。
「待って、あかりさんっ。どこか行く当てはあるのかい?」
「行く当ては……まだ無いですけど、大丈夫。何とかなると思います!」
何とかなる、なんて自分で言ってて悲しくなるくらいに何の力も無い言葉だったが、今のあかりには強がりを言うことくらいしか出来なくて、山崎の言葉を振り切ろうと身を翻した。
「待て」
「あっ……」
廊下に身体が半分ほど出たところで誰かがあかりの手を掴んで部屋に引き戻す。
「馬鹿か、お前は。何も知らないお前みたいな小娘が根拠のない自信で乗り越えられるほど、この町の夜は甘くはねぇんだよ」
手を引いたのは土方だった。強く握られたせいか捕まったという気持ちの焦りからか、はたまた自分の無力さを突かれたからなのか、あかりは掴まれた右手と顔に熱が集まっていくのを感じた。
「そんなこと、言われたって……」
行くところが無いからといって初対面の人間に「泊めてくれ」なんて図々しいこと、世間知らずの子供であるあかりでも流石に言えない。ましてや、面倒臭いことが分かり切っている身の上なのだから。
「まさかあかりさん、『私が居たら迷惑が』みたいなこと、考えてなんいてねぇですかィ?」
「え……?」
今まで特に引き留める様子も説得する様子も見せなかった沖田が見透かすようにそう言った。人の話なんて半分も聞いてなさそうなのに、その言葉は意外なほど的確だった。
「その程度、考えるまでもねぇ」
沖田の言葉に続けて土方も口を開き、あかりを掴んでいた手を離して視線を反らした。
「取り敢えず、今日は泊まっていけばいいだろ。誰も迷惑なんて一々思わねぇ」
面と向かって言うのは照れ臭いのかあかりの方を少しも見ないで、泊まっていくことをすすめる土方。二人の言葉を聞いて山崎も力強く首を縦に振って「そうしなよ!」とあかりを見る。
「土方さん、沖田さん、山崎さん……」
有り難過ぎる提案にあかりが応えようとした、まさにその瞬間だった。
「お父さんはそんなこと、絶対に許しませーんっ!!」
どこからか声が聞こえたかと思うと、部屋の襖と更には襖と一緒に土方があかりの目の前から吹っ飛んでいった。土方が飛ばされたと同時か否か、沖田と山崎は刀の柄に手を添え戦闘態勢に入る。
「な、何が……ああっ、土方さん!」
あかりが飛ばされた土方を助けに部屋の奥へと駆け出そうとすると、それを阻止するかのように誰かが腰に腕を回してきた。
「な、なにっ?」
腰の違和感から抜け出そうと身じろぐあかりだったが、腕の力は一層強くなって身動きが取れない。自分が下手に動いても沖田や山崎の動きの邪魔になるかもしれないと考えたあかりが、状況を推し量ろうと大人しくなるとそれを待っていたように母ちゃんみたいな言葉が降ってきた。
「こらっ、家に帰るぞこの不良娘が!」
頭上から降ってきたその声は出会ったばかりのあの人の声だというのにどういう訳だか落ち着く気がして、安堵する自分をおかしく感じながらもあかりは声の主を呼んだ。
「坂田さんっ?」
振り返って確認しようとするあかりの頭をクシャクシャと撫でて阻止する銀時。「どうしてここに?」と銀時に尋ねたかったが奥で倒れていた土方がボロボロな姿で起き上がり、あかりと銀時の方へ刀を抜いてやって来たのであかりの言葉は喉から先に出せなかった。
「一体どこのクソ野郎かと思ったら、万事屋じゃねぇか」
不穏なオーラを撒き散らし、青筋を立てる土方。
「あ~ら、大串君。今頃お目覚めぇ?」
銀時は土方からの挑発に挑発で返すとあかりの腰から手を離し、自分の後ろに庇うようにして愛用の木刀を抜いて刀身を土方に向ける。流派や型を感じさせない緩い構えだったが、その姿は今日見たどんな侍よりも侍らしい後ろ姿にあかりには見えた。
しかし、ここではたと気付く。何をどうして一体この状況になったのか。
銀時は普通に町の何でも屋さんなのだろうし、土方は町を守る警察。今、互いに刃を向けて相対する必要はあるのか。どうして銀時はここが分かったのか、そしてわざわざ襖を蹴破って入ってきたのか。彼らの関係を知らないあかりは、自分が原因で起きているであろうこの事態にどう収拾をつければいいのかと心の中で助けを求めるのだった。
終
_
そんな、食事処がちらほらと開き始めて賑わってきた町の中に、遅めの昼食を取ろうと通りを歩く黒い制服を身に纏った二人組が居た。
「土方さーん、今日の昼は激辛大盛りラーメンに挑戦しませんかィ?……土方さんが」
「んで俺なんだよ、てめぇでやれ!」
「残念ながら俺は心も舌もナイーヴなんでさァ。それに、成功したらタダになるってんだから、便乗して高いもん食べる役がどうしても必要でさァ」
「その役を上司の俺に譲れっつうんだよ!」
「えぇー」
彼らは幕府の命を受け江戸を守る武装警察、真選組の隊士。身に纏う隊服のように深い黒の髪に開き気味の瞳孔。そして、お巡りさんにあるまじき歩きタバコ姿の男は、真選組鬼の副長こと、土方十四郎。その隣を涼しい顔をして歩くのは、武装警察という看板に似つかわしくない、少年らしささえまだ残る面差しの青年。真選組一番隊隊長、沖田総悟だ。日課である巡回を一通りこなした二人は今日の気分を話しながら適当な店を探し歩いていた。
第1話 洞爺湖担いだ銀侍
そもそもからして食の好みが合致していない二人が、思いつく食べたいものを羅列していけば店が中々決まらないのは至極当然ともいえることで、もう面倒臭いからファミレスで良いんじゃないかと二人の意見が落ち着こうとし始めた時、路地から勢いよく飛び出してきた何かが土方にぶつかった。
「うおっ……」
土方の胸に丁度頭が当たるほどの女性が、自ら突進した反動でよろけると反射的に謝罪の言葉を口にしながら顔を上げる。
「あっ、すみませ……」
「土方さん、大丈夫ですかィ?いや、大丈夫じゃねえですよね、致命傷ですよね。そうだと言ってくだせぇ」
「ああ?それより、お前……」
身を案じた風を装いながら土方の無事を残念がる沖田を適当にあしらいつつ、土方は女の異変に気付き呼び止めた。不安げに瞳を揺らしながら頻りに来た道を気にするようにちらちらと視線を送り、この場に一秒でも留まりたくないといった様子で乱れた襟元をぐっと押さえる女性。何かあったのか、と土方が手を伸ばすと女性は大きく肩を震わせて小さな悲鳴をあげた。そして、自分が来た方向を指差して「助けてください!あの子を、助けてください!」とだけ言って走り去ってしまう。
「……なんだありゃあ?」
「人にぶつかっといて『ごめんなさい』も言えないたァ、昨今の若者はなってないですね」
「てめぇにだけは言われたくねえがな」
女性の異変に気付かないはずはないだろうに、そこには特に触れる様子のない沖田。土方は渋々といった様子で違和感を告げる。
「おい、一々構うのも面倒だから無視させてもらうけどよ」
「酷い方だぜ土方さんは、人のお茶目を蔑ろにするなんて」
「なあ、殴っていい?それより、さっきの女見ただろ」
「えぇ、まあ。見ましたぜィ。あれだけ躊躇ないタックルを土方さんに食らわせるんだ。尊敬の眼差しを送らざるを得ませんぜィ」
まるで特撮ヒーローでも見る純粋な少年のように瞳を輝かせ拳を握る沖田。そんな姿にいい加減付き合いきれないという顔をした土方の視線を受けて一つ溜め息を吐くと、先程とは変わりスッと真面目な顔になった。
「へいへい、気付いてますよ。追われている様子にあの服の乱れ方、そして土方さんの顔が怖かったにしても、あの怯えよう……」
「あぁ」
「そこから導き出される答えはたった一つ、間違いなくこの辺りで『女子異種格闘技戦』が繰り広げられているに違い無いですぜィ!」
再び目を輝かせて言う沖田。余談ではあるが彼は無類の女子格闘技好きだったりもする。何でも女同士が醜い面して争い合う姿が堪らないのだとか。
「ああ、そうだな。って、んな訳あるか。てめぇは一体何を見ていやがった」
きっと分かっているだろうに本題に入らせない沖田の口振りに、乗ってはいけない相手にしてはいけないと理解しつつも、躍らされるようについ口を挟んでしまう土方。
「全く、土方さんは冗談の通じない人でさァ。俺だってこのご時世に溢れたネット小説発の鈍感系主人公じゃあ、ありやせんぜィ」
「そーかい」
「誰が主人公だ、誰が」と言いたい気持ちを寸でで堪えた土方は、走り去っていった女が飛び出してきた方、日中にも関わらず薄暗く細い路地の奥へと視線を移した。おどけていた沖田も土方に並んで材木や粗大ゴミがそのまま置かれ、更に狭く見通しが悪くなっているそこに目を向ける。
「助けてくだい、……つってたよな」
「そーですね」
助けてください、そう言って走り去るだろうか。追っ手が来ていてそこに縋る相手が居るならば、その背に隠れれば良い。通りに出れば流石に見ないままにすることは人々もできないだろう。二人とも自然とその考えに至り、路地に目を凝らす。
「土方さん。早いとこ済ませて昼飯食べに行きやしょう」
「珍しく気が合うな、俺もそう考えてたとこだ」
「俺ぁ何だか肉の塊が食べたくなってきやした」
「奇遇だな。俺も今、赤身たっぷりの肉が食いたくなってきたところだ。マヨタワー乗せで」
視認できなくともこの先で起きているだろう状況が想像できる二人にとって、わざわざ言葉で確認をする必要もこれから取るべき行動の算段をつける必要もない。口の端をくっと上げて腰に提げた侍の証である刀の柄を握る、それだけで行動の合図としては十分であった。いざ、行かん。と二人が一歩を踏み出そうとしたその時。
「だ、誰か助けてぇぇ!幼気な少女がケダモノの毒牙にー!!」
これから踏み込もうとする先の奥まって見えない方から、幼気な少女と判定するには審議の余地が必要と思われる声が響いてきた。
「なあ、今の声……助ける必要あるか?」
出鼻を挫かれた形となった土方が思わずそう零す。
「まあ、さっきのに比べると色気のある女じゃねえことは確かですが。この際大事なのは殺るために必要な状況証拠でさァ」
「違いねえ」
お巡りさんにあるまじき土方の言葉に、より一層お巡りさんらしくない返しする沖田。 善良な一般市民を守る警察としての職務の全うというようなワードは見受けられないが、今度こそと二人は路地へ足を踏み入れていった。
「それじゃぁ、さっさと行くとしますかィ」
「言われるまでもねぇ」
*****
あかりが路地裏で奇声を発し、そこへ偶然通りかかった土方と沖田が救出へ乗り出していた頃、スナックお登勢を一番に飛び出した新八は人の溢れる江戸の町をがむしゃらに走り続けていた。しかし、走れども走れどもあかりの姿を見つけることは出来ず、新八は乱れた呼吸を整えるため一度立ち止まり辺りを見回した。
「あかりさん一体どこに行っちゃったんだろう……」
ぐるりと見渡して探し人の姿がないことを確認した新八は、まだ整いきっていない乱れた呼吸も気に留めることなく再び江戸の町を走り出した。
店を出ていった時のあかりの様子のおかしさもそうだが、昼の健全な賑わいを見せる江戸の町も一歩奥へと立ち入れば良からぬ輩に出くわすことも少なくない。色々な土地、身分の人間がそれぞれの理由で多く出入りするこの町には、善良で気の良い者も居ればそうでない者も居る。何も知らないであろうあかりが間違って路地にでも入って、何らかの面倒事に巻き込まれでもしていたら……そう思うと自然と新八の足は駆け足になっていったのだった。
*****
そして同じ時、一足出遅れて出発した神楽も江戸の町……というか、町に立ち並ぶ建物の屋根を飛び回りながらあかりを探していた。
「あかり、どこ行ったネ」
神楽、新八共に未だあかりとは再会出来ていないものの、二人の向かう方向というのはどういった巡り合わせか、確実にあかりへ近付いていた。
*****
ああ、もう駄目かもしれない。
建物と建物の間、材木や粗大ゴミ、指定の曜日に出すだろうゴミがその日を待って乱雑に放られたお世辞にも綺麗とは言えない空間で、あかりは未だ良からぬ輩達と対峙しながらそんなことを思っていた。
一先ず背後を取られたままでは危険と判断したあかりは、にじり寄る男達を睨みつけながら少しずつ後退して今の位置に移ったのだが……、その状況というのが荒れてひびの入った壁に背を預け目の前にはさっきまで360度を囲っていた男達が今度は180度を隙間無く取り囲み、寧ろ今の方が戦線離脱が困難な状況という見事な墓穴の掘り具合となっていた。こんな最悪な状況。少年マンガならヒーローが現れ格好良く悪者を成敗。少女マンガなら機転を利かせたイケメンがヒロインをスマートに攫ってくれるのだろうが……そんな可能性が限りなく無いに等しいのが現実なことはあかりも認めたくはないが分かってた。
ならば、どうにかして彼らを振り切り、少なくとも人目のつく大通りへ出るだけでもできないかと瞳を左右に揺らして隙を窺う。しかし何度視線を往復させたところで、みっちりと囲まれた180度の世界には一寸の隙も見当たらない。となれば次は如何に隙を作り出して逃げ道を調達するか、という事になってくる。何か現状を打開する方法は無いものかと、考えを巡らせるあかり。悲鳴も上げず状況を窺う気丈な様子のあかりを面白くないと感じたのか、あかりが乱入した際真っ先に不意打ちの餌食となっていた連中をまとめる男が一歩踏みだした。
「おいおい、お嬢ちゃん。よそ見はいけないぜ」
にやにやと厭らしい笑みを浮かべながら目の前に立つと、身体を押し付けるようにしてあかりに被さる。
「ひっ……や、嫌だ!」
反射的に押し返そうと前に出したあかりの手を、待っていたと言わんばかりに乱暴に掴むと片手で容易に纏め上げ、あかりの頭上のささくれ立った外壁に縫い止める。
「い、痛いっ、離して!」
あかりが力の限りで抵抗しても男の、しかも恰幅のいい男の力には到底及ばない。だからといって、抵抗を止めて大人しくされるがままという訳にもいかない。僅かに動かせる腕や足、身体全体を使ってせめてもの抵抗を続けるあかり。すると、最初こそ「生意気な女ほど屈服させ甲斐がある」などと言って状況を楽しんでいた男達も、あかりのしつこい抵抗に顔色を変え始めた。男は空いた方の手をあかりの顎へと伸ばし己の方へ向かせると、自分もずいと顔を寄せて息が掛かるほど距離を詰めた。
「な、に……」
未だ抵抗の意志を失わずに精一杯に睨むあかり。力ではまるで歯が立たず、数でも到底劣っている。もっと賢い選択をしようとは思わないものかと幾らか呆れながらも、その煩わしさが加虐心を擽り、苛立つと同時にもっと抵抗してみせろとでもいうように男は口許をくっと上げて笑った。
「威勢がいいのは結構だが、自分が置かれている状況を理解するのも大事だぜ」
そう言うとリボンのきっちり結ばれた制服の胸元に手を掛けて、ボタンを弾き飛ばしながら襟元を大きく開いた。飛び散った幾つかのボタンが地面に落ち、可愛いことで知られる自慢の制服のリボンも無惨に千切れ落ちた。
「ち、ちょっと!何をっ……」
「抵抗するなら最後までやり通して、楽しませろよ」
こんな場面に陥ったことなどない、他人からこんなに醜い悪意や暴力を受けたことなど無いあかりは、途端に頭の中が真っ白になり思考を巡らせることができなくなった。男達から向けられる下品な視線と乱暴に開けられた胸元とを交互に見るともうこの先は最悪の展開しかなくて、頭の中で警告音が鳴り響く。逃げる算段も、抵抗する力もどこかへ飛んでいき、目を瞑って唇を噛み俯く。悔しい、悔しい、悔しい、と。
「なんだなんだ、急にしおらしくなっちまいやがって。お楽しみはこれからなんだから、もっと抵抗してみせろよ」
その言葉を聞いて勢いよく顔を上げると、最後の抵抗だとでもいうようにあかりはキッと男を睨み大きく息を吸い込んで、悲鳴と言うには品が足りず獣とまでは言い切れない、言葉では形容が困難な叫び声を上げた。そして、次の瞬間、あかりを取り囲んでいた男達が吹き飛ぶようにして姿を消した。
「な、なにっ……?」
何が起きたのか理解出来ないままのあかりの頭に思い浮かんだのは、スナックお登勢であかりを引き止めてくれた銀時の姿。
「坂田……さん?」
砂埃舞う中で一人、猛々しく刀を振り回すその影に照準を合わせようと眼を凝らすが、ぼんやりとした姿でしか確認することができない。あかりがその人影に瞳を奪われていると、視界の外からもう一つの影が現れて緩い声が聞こえてきた。
「まったく……土方さんは、血の気の多い人でさァ」
そして、覇気ない声のすぐ後に巻き起こった爆風によって、あかりは再び意識を手放した。
「総悟てめぇ、今の明らか俺のこと狙ってただろうが!」
「そいつァ、被害妄想ですぜ土方さん。俺からの愛情しかない援護射撃だってのに」
硝煙と砂埃が引いていくと肩にバズーカを構えた沖田が弁解をするが、彼が正確に照準を定めていたのは言うまでもない。怒られたと言うのに照準は未だ土方に合わせたままで、親指をおっ立てて笑って見せている。
「ああ、そうかよ」
もう付き合い切れるかと、土方は沖田の無視を決め込み煙に巻かれたあかりの元へと、途中倒れる男達を足蹴にしながらかったるそうに歩み寄った。壁にもたれるようにして座り込んだあかりの頭に掛かった小さな欠片や砂埃を叩き落とし話し掛ける。
「おい、いつまで寝てるつもりだ?おい、こら」
しゃがみ込んであかりの様子を窺うが、何度呼び掛けて身体を揺すっても返事がない。力が抜けきりぐったりとする姿に嫌な予感を感じた土方は、あかりの肩を掴んでグッと自分の方に寄せた。
「う、うぅ……っ」
すると小さな呻き声を上げ、あかりは加えられた力のままに身体を土方の胸へと預けるようにして倒れ込んだ。
「ちっ、さっきのかよ」
倒れ込んできたあかりの前髪を除けてみると、その額には沖田がぶっ放したバズーカの爆風により飛ばされた破片か何かによって切られたのだろう、深くは無さそうだが左眉の上から額にかけて傷があり、頭ということもあり大量の血が流れ出ていた。小さく舌打ちをした土方は首元のスカーフを取ってあかりの額に宛がい 、そっと抱き上げて通りに向かい歩き始めた。
「おや、土方さん。幼気な少女をお持ち帰りで?」
トンズラするためパトカーを路地の前まで走らせてきた沖田が、悪びれる素振りもなくあかりを抱える土方を茶化した。
「ざけんな。てめぇが無闇矢鱈にバズーカぶっ放しやがるからだろうが!」
「いちゃもんですかィ?でも、俺が土方さんにバズーカ撃ったこととロリコンに走ることは別だと思いやすが」
自分の元へと歩いてくる土方に文句を垂れながらも、腕の中に居る少女を見て沖田は「ありゃりゃ」と漏らした。
「もしかして俺、ですかィ?」
やっちまいやしたか、とあかりの傷を覆って血を滲ませるスカーフを見た沖田は頭を掻きながら外方を向いた。少しは反省してるんだろうな、と言う土方だったが沖田から返ってきたのは「自分ならあれくらい避けられる。ボサッと立ってた方が悪い」というものだった。部下ながらこいつが警察で良いのだろうかと自分のことも棚に上げながら土方は思った。
「で、土方さんはこのお嬢さんを一体どうするおつもりで?」
抱えられたままのあかりに視線を送り、珍しくまともな質問をする沖田。
「どうする……っつわれてもなぁ」
どうしたものか、と土方はよく晴れた青い空を見上げた。腕にはどこの誰かも解らない謎の流血女が気を失っている。
「どうするっつわれても、この状態で野晒しにするほど、鬼じゃねぇしな」
「かといって病院へ担ぎ込むほどの怪我でもなしに……てぇことは、屯所に連れて行くんですかィ?」
「取り敢えずは、な」
意識を失ってちゃあ話も聞けない。見たところ少女の荷物はないようだし、怪我を負わせた責任というのもある。一先ずは屯所へ戻って怪我の手当てをして、意識が戻るのを待つというのが妥当だろうと一通り考えた土方は、嫌に親切だな今日の自分は……などとふと思い、柄にも無いなと自嘲的な笑みを浮かべてあかりを後部座席に横たわらせると自分は助手席に乗り込んだ。
*****
「はぁ、はぁっ、確かこの辺で、物凄い……音がっ」
暫し時を遅くして現場に辿り着いた新八。大通りから一本入った路地には一体何があったというのか、まるで激しい戦闘でもあったかのように壁は焼けささくれ立っていて、辺りに放置されていたであろう箱や粗大ゴミ等は無残に砕け散ってていた。
「何があったんだっ?」
しかし、見回してもそこには柄の悪そうな男達が野晒しに倒れているだけで自分が捜し求めているあかりの姿は無い。ここは違ったという事実は見付けられなかった落胆と、巻き込まれていなかったという安堵が含まれた複雑な心境を作り、新八に小さな溜め息をつかせた。
「とにかく、他を捜そう!」
一息ついてまた走り出そうとする新八の元に突然、人が降り立った。赤いチャイナ服に傘をさしたその姿は、神楽だった。彼女は屈んで辺りに散らばった瓦礫を眺めると、その中から切れ端を拾い新八に見せる。
「これ、あかりのネ」
「あかりさんのって…」
神楽が見せた布切れには無理に千切られたらしい繊維の跡と踏まれたのか土が着いていて、見事なボロ切れとしか言えないような代物だった。
「確か、ここ……ここのところに着いてたアル」
そういって胸元に布切れを宛てる神楽。確かに、あかりが身に纏っていた制服にそんなリボンがついていたような気もする。と思い出した新八はだとしたらと目を見開いた。
「そ、それじゃあかりさんは……!」
この事態に巻き込まれたということになってしまう。
「どうしよう新八、あかりきっと巻き込まれたアル。怪我、怪我してるネ。早く見つけないと!」
気が焦ってしまったのかそれだけ言うと、神楽は瓦礫の山を掻き分け始めた。
「ちょっと待って神楽ちゃん、まだそれがあかりさんのだって決まった訳じゃないでしょっ?それにもし巻き込まれてたとして、リボンはあるのにあかりさんが居ないってことは病院に運ばれたのかも……」
新八だって突然の出来事に動揺していたが神楽が先に取り乱してくれたお陰か、比較的冷静に状況を見ることが出来た。
「じゃあ病院、病院行くアル!」
「そうだね、取り敢えず病院に行ってみよう!」
二人はあかりを捜して病院へと向かう事にした。あかりが今、真選組の屯所へ向かっているとも知らず。
*****
新八と神楽が病院へ向かう頃、屯所に連れて来られたあかりは怪我人と言う事もあってか丁重に扱われていた。しかし、ここはむさ苦しい男だらけの真選組。怪我を負った少女が担ぎ込まれたともなれば、屯所中の隊士共が我先にと看病を買って出た。怪我人が寝ているというのにその騒ぎは収まる気配を見せずつい今し方、土方が一喝をして追い払った所だった。
「全く、小娘一人に大の野郎共が何やってんですかねィ。恥を知れってんだ、恥を」
「何故だろうな。この状況を作り出したてめぇにだけは言われたくねぇわ」
現在土方と沖田の二人はあかりを寝かしている部屋の襖の前で見張り番をしながら、さて、この後にどう言い訳をして娘を親元に返そうかと話していた。因みに襖の向こうでは密偵の山崎退があかりを介抱している。
「なぁ、土方さん。あのお嬢さんミントンに任せて良いんですかィ?」
不意に付かぬ話を振ってきた沖田。
「任せていて良いんですか」その質問はどうやら治療ががどうこうというものでは無いらしく、山崎が部屋で女と二人になって変な気を起こさないかと、そういう意味なのだろうと土方は解釈した。
「いや、全く以て心配する必要なんてねぇだろうが」
「山崎だぞ?アイツにそれだけの度胸があるとは思えねぇ」強い語調で言い切る土方だがそれを好としないのか、面白みに欠けるからなのか沖田は再び口を開く。
「果たしてそうですかね。というか何ですかその思春期の息子を持った父の自己暗示のような信頼の寄せ方は。大体、山崎だって歴とした男ですぜィ。年頃の怪我を負い弱りながら呼吸を荒げる娘さんを前に、男が何もしないと。本当にそう思うんですかィ?」
「それ、は……」
そんな憂いは無用だと何度も自分に言い聞かせながらも、思わず抵抗もできない少女に山崎が手を伸ばす場面を想像してしまい、動揺の色を隠し切れなくなる土方。額にはうっすらと嫌な汗が伝い始める。自分の隣で忙しく百面相する上司を沖田はからかい甲斐のある人間だと、改めて認識するのであった。
*****
沖田が土方で遊んでいたその頃、二人と襖を隔てた部屋の中では山崎があかりの怪我の手当てをしていた。
「薬よし、包帯よし、問題は……」
一つ一つの作業を小さな声と共に確認する山崎、こういう所で地味に真面目な性格が窺える。そんな山崎が目下抱える問題というのが視線の先で眠りこけているあかりの存在だった。負った傷こそは深くないものの場所が場所だった為、あかりの出血は結構なものだった。勿論、運ばれてすぐ処置はしたが、この屯所に来るまでの間にも流れてきたのであろう血液が衣服にまで付着していたのだ。今はただ布団の上に寝かせているだけの状態だが治療を終えた今、さあ、布団を掛けてやろうとすると服に出来た血の染みがどうにも気になってしまった。という具合だった。
「うー……ん」
服を変えてやらねば布団を掛けて寝かせてやれない。しかし無断で年頃の娘の服を正当な理由があるとはいえ、男が着替えさせるというのはどうにも気が引ける。この真選組には全く以て女性が居ないが、かといって自分を棚に上げる訳ではないが他の隊士に任せてしまうのも心配だ。
「ええい、仕方ないっ。コレは仕方ないことなんだ!」
幾つかの案を絞り出してみるもどれも最善とは思えず、結局は自らが着替えさせるに行き着いた山崎はあかりのブラウスにそっと腕を伸ばす。するとあかりは眉を寄せ小さく喉を鳴らした。
「う、ううんっ……」
「うわっ」
山崎は腕を引っ込めて思わず息を殺す。
「はぁ……、別に悪いことでも無いのに何なんだこの罪悪感は」
男の悲しい性に決心を揺らがされながらも再びブラウスに手を掛ける。胸元が破かれたブラウスに辛うじて残っているボタンを慎重に外していく山崎。何度も起きてくれるなよと願いながら替えの着物であかりの身体を覆い、腕をゆっくりとブラウスの袖から抜いていく。次第に露になるあかりの肩、男の自分とは全く異なるそれに少し驚く。白く滑らかな曲線、筋張っていない柔らかそうな肌。
「女の子って……」
一瞬見惚れてしまいつつもかぶりを振って自分を正し、あかりの背を浮かせてブラウスを抜き取ろうと山崎が身体の下に手を入れたその瞬間。
「あの、誰……?」
もはや説明等不要とも言えるお約束のタイミングで瞼を上げたあかりは、至近距離にある男の顔を見つめながら知らない人だよなと首を傾げる。
「あ、えと……その」
見開かれたあかりの瞳に吸い込まれるように山崎も思わず動けなくなる。互いに固まったままのあかりと山崎との顔は、一寸の距離が有るか無いかと言った所。突然の状況に対応し切れず、暫しの沈黙に包まれる。時間が止められてしまったような中、先に口を開いたのはあかりだった。
「あの、近い、んです……けど」
「ごっごごご、ごめんっ」
あかりの口が動き、音が紡がれ、漸く我に返った山崎は勢いよく離れた。そして離れたのと同時に山崎の手に引かれて、あかりの身体を覆っていた着物がはらりと下に落ちた。
「あっ……!」
しまった、と思い山崎が着物を掛け直そうとあかりに手を伸ばすが、焦った山崎の姿と清々しいまでの開放感に異変を感じてあかりは自分の身体へと視線を降ろす。
「……ひっ」
途端にあかりの顔は耳まで真っ赤に染まっていき、次の瞬間、肺に収まっていたありったけの空気を吐き出すように叫び声を上げた。
「何だ、どうした!」
「山崎もちゃんと男だったんですねィ」
廊下で待機していた二人が悲鳴を聞きつけて部屋へ飛び込んでくる。そこで二人が見たのは上半身露な少女と、その少女に怪しく手を伸ばす部下の山崎。
「……」
「あああ、あのっ、副長これには訳が!のっぴきならない事情がっ」
「山崎ィィッ!」
「ギャァァァァアアッ!!」
部下のあるまじき行為(と思われる場面を目の当りにすること)により怒り心頭の土方は、拳をわなわなと震わせると山崎の上に馬乗りになり強く握った拳で殴り始めた。あかりはというと何かを羽織りたいのだがいきなり現れた男達のお陰で身動きが取れなくなり、自身を抱き締める様にして小さくなっていた。そんなあかりを気にすることなく、近づいてきた沖田。
「やっと起きたんですかィ?」
そう言って足元に落ちていた替えの着物に手を伸ばし、そっとあかりに羽織らせた。
「あ、あの……私っ」
見慣れない部屋に服を着ていない自分、知らない男達の姿、あかりの不安を駆り立てるには十分だった。その様子を見て沖田が一度あかりの頭にポンと手を乗せると、マイルドに言うとじゃれ合っている土方と山崎を止める。
「あー、はいはい、土方さんも山崎も。取り敢えずは、コイツが着替えてからにしやせんかィ?」
被せられた着物から顔だけ出すあかりを指差して、未だ山崎を叱咤する土方に沖田は提案した。
「……そうして貰えると嬉しいです」
あかりは力無く返事をし、それを聞いた三人は部屋の外で待つこととなった。
着慣れない上、男物で丈の合わない着物にかなり悪戦苦闘しながらも何とかそれなりの形にしてみせたあかりは、あれやこれやと試行錯誤する中で先程の山崎とのことを考えていた。あの瞬間は驚きと恥ずかしさで気付かなかったけれど、包帯の下で痛む傷と部屋に散らばる薬や包帯、足元には見慣れたブラウスが赤く染まって落ちている。さっきの山崎という人が、自分を介抱してくれていたのではないだろうか。服を着ていなかったのだって、着替えさせるためだとしたら。自分が勘違いしてしまったせいで酷く怒られてしまったのなら……自分は申し訳無いことをしてしまったのかもしれないと、あかりの頭が垂れる。
着替えを終えたあかりがそんな思いを巡らせていると、襖の向こうから沖田の声が届く。
「そろそろ良いですかィ?」
「は、はい。大丈夫です」
着物の帯を再確認し、襟を正して返事をすると「入っちまいやすよ」という声と共にさっきの面々が部屋に入ってくる。山崎が入る姿を見たあかりは畳に膝をつき深々と頭を下げた。
「さ、先程は勝手に勘違いして、ごめんなさい!」
思いもよらないあかりの行動に唖然とする三人。中でも謝られている当の本人である山崎は尋常でない驚き方だ。
「待って、待って、どうして謝るの?俺の方こそごめん!」
互いに一歩も譲らず、頑なに頭を下げ続ける二人。
「私のせいで……」
「俺の方こそ……」
「てめぇら、これ以上不毛なことやるってんなら、仲良く斬ってやるからそこに並べ!」
進展のないもどかしい状況に痺れを切らした土方が深く頭を下げたままの山崎に一発食らわせた後、それに驚き顔を上げたあかりを睨む。山崎に大丈夫かと尋ねると彼は目の端に涙を少し浮かべながら「大丈夫大丈夫」と言って笑った。
*****
「てぇことは何だ?てめぇは見ず知らずの女を助ける為に、アイツらに絡まれに行ったって訳だ」
適当な自己紹介を済ませた所で、何故あかりが一人であんな路地に入ったのかという話になった。
「まぁ、ざっくり言うとそんな感じです」
すみません、とあかりは肩を竦めて肯定してみせる。その話を聞いた山崎は、机に身を乗り出してあかりに尋ねる。
「それじゃ、あかりさんのその怪我はそいつらに?女の子にこんな怪我をさせるなんて!」
「あ、いえ。これは……」
山崎に言われ思い出したあかりはすかさず否定する。
「それが、こんな怪我をした覚えは、全くないんですよね。でも、気付いたらこんなで……」
包帯の上から傷を擦りながら首を傾げて「いつ怪我しちゃったんでしょう」と零しながら目の前に座る土方へ曖昧な笑みを向けるあかり。
「それは……アレだろ、アレ。名誉の負傷だ」
「名誉の負傷、ですか?」
眼を泳がせ、冷や汗を流しながら慌ててタバコに火を着ける様はどう見ても不自然だったが、あかりはそんな土方の様子よりも彼の姿を見て意識を失う直前を思い出していた。
あの時、目の前の男達が吹き飛ばされた直後に見た砂埃の中での鋭い立ち回り、その瞬間は何故か銀時かとも思ったが真っ黒な服に同じように黒い髪で、ぼんやりとだったが思い返せば正反対の姿だった。それは恐らく、今、目の前に座る土方なのだと記憶が結びついたあかり。
「そういえば、あの時助けてくれたのは土方さん……ですか?」
「お、おぅ……まぁな」
「やっぱり、ありがとうございます!命の恩人です!」
少しばつが悪そうにそっぽを向いて応える土方にあかりが尊敬の眼差しを向けていると、隣に座っていた沖田が視界に入り込んで話に割り込んだ。
「何をとぼけているんですかィ?悪党に絡まれるあかりさんを助けたのは俺だってぇのに。大体、土方さんが後先考えずにバズーカぶっ放しやがるから、あかりさんがこんな怪我をしちまったってのに……っ」
そこまで言うと沖田は口元に手をあて、割り込んでいた身体を反転させあかりに背を向ける形で肩を震わせてみせる。芝居掛かった沖田の言葉も、記憶が朧気なあかりは疑うことを知らなくて、沖田が罪悪感を感じているのだと思い肩に優しく手を置き励ました。
「沖田さん、大丈夫ですから!怪我も大したことありませんでしたし、そんなに気にしないでください。それより助けてくれてありがとうございました」
「そう言って頂けると俺、俺っ……」
わなわなと肩を震わせ俯いたまま振り返った沖田が何かを堪えるように唸ったりむせたりした後、あかりの手を取り包み込むと潤んだ瞳を向ける。どうみても笑いを堪えて出た涙だが、あかりはそれに気付いていない様子だった。
「総悟、てめぇ……なに都合のいい捏造仕立て上げてんだ。つか、まるっきし立場が逆転してんだろ!」
今の今まで堪えていた土方にも限界が訪れ長机を踏みつけ身を乗り出すと、どうしても自分の罪をチャラにしたいらしい沖田の手を握り返して慰めるあかりから引き剥がし怒りの声を浴びせる。その姿もまた嘘であるようには思えなくて、引き剥がされた状態で固まったまま首を傾げる。
「え、ええーっと……沖田さん?」
どういうことですか?という視線を向けるあかりに今までの涙はどこへやら、ケロッとした顔で何か思案する姿を見せた沖田は「え?んー、ええ。まぁ、ちょっとしたお茶目ってやつですよ。お茶目お茶目」と演技を続けるのも飽きてきたのか、さらりと今までの発言を覆した。
「え、…えーっと」
一体どこから自分はからかわれていたんだろうかと分かりかねるあかりはどう返していいものか分からず、取り敢えず現状を受け止める、もとい流すことにした。
「そ、そうなんですか、はははー……」
自分の情けはどうすればいいのやらと困った笑みを浮かべながらへらへらと土方に視線を移すと、彼は済まなそうにして片手で顔を覆った。そんな土方を見て、あの時助けてくれたのが彼なのだとしたら、たとえそれが仕事であったとしても己の善行をを詳らかにしない慎ましさにあかりは少し心があたたかくなるのを感じた。
何やら分かったような顔でニコニコと微笑むあかりと、それを受けて居心地の悪そうな土方の様子を見ながらどこか面白くない沖田は話を先へ進めた。
「ところであかりさん。この辺じゃ見ない顔ですが、お住まいはどちらで?」
「私、私は……」
考えなしに話し出しそうになった口に思わず手を添えて、言葉を詰まらせるあかり。学生程度の年齢と思われる少女が、身分を告げるのに言葉を選ぶ必要があろうかと、幾らか視線を鋭くする土方と沖田。そんな二人のように気が付かないのか、緊張させずに聞き出すためか、土方の隣に座る山崎が身を乗り出してあかりの意識が無い間に身元を確かめようとした話を始める。
「そうそう、このことをご家族の方に知らせようと思ったんですけど、あかりさん荷物を持っていなかったみたいで身分を証明出来る物がないし、この辺じゃ見ない服装だし。ポケットにあった生徒手帳で名前は分かったんですけど、江戸の戸籍を調べても該当しないしで、凄く困ったんですから!」
「それは……あの」
気を失っている間にそこまでしてくれていたのかと、これが自分が元居た場所の警察ならその仕事の速さに感謝するところだが、今や身分も怪しまれる自分がそれをされるのは少し困る。決して犯罪者などではないのに動揺したあかりはどう説明したらいいものか、本当のことを言うべきなのかそれとも適当に取り繕うべきなのかと上手く言葉を発することができない。「あの」や「その」といった言葉ばかりを口にして視線を左右に泳がせ、逃げる口実を探しているようだったあかりを土方の声が捕らえる。
「おい、伊吹。何も言わねぇってことは、お前の身の上が俺たち警察には到底言えないようなものなんだと……そう捉えて構わねぇんだな?」
いつまで経っても話そうとしないあかりを見兼ねて土方が問う。土方の眼は沖田にツッコミを入れていた時とは明かに異なり、確信に迫る強い瞳で逃げることを許さない。自分でも把握し切れていないことを説明できるのか、そもそも彼らに話すことで面倒なことに巻き込んでしまわないだろうかと、考えを巡らせて腹が決まらないあかりを土方の真実を欲する瞳が射貫く。
その眼に遂に逃れられないと感じたあかりは、今ここに至るまでで把握する限りの経緯を包み隠さず話すことを決めた。不思議なもので、最初の言葉が出てしまうと後の言葉は準備でもしていたように口から滑り落ちた。抱える不安も何もかもをあかりは三人に打ち明けた。あれだけ盛り沢山だった出来事も、話していくと10分と経たずに話し終えてしまった。
「というのが私の今日一日の出来事なんですけど」
話し終えたあかりが土方達の反応を窺おうと俯いたままだった顔を少し上げると、三人は「ああ、聞かなきゃよかった」という文字がはっきりと書かれているような表情をしていた。
「なんか、すみません。変な話をしてしまって。私そろそろ失礼しますね。今日は助けてもらった上、治療まで、ありがとうございました」
言い終えるとそそくさと立ち上がり、机の脇を通って逃げるように襖に手を掛けるあかり。それを見て慌てて山崎も立ち上がり立ち去ろうとするあかりを制する。
「待って、あかりさんっ。どこか行く当てはあるのかい?」
「行く当ては……まだ無いですけど、大丈夫。何とかなると思います!」
何とかなる、なんて自分で言ってて悲しくなるくらいに何の力も無い言葉だったが、今のあかりには強がりを言うことくらいしか出来なくて、山崎の言葉を振り切ろうと身を翻した。
「待て」
「あっ……」
廊下に身体が半分ほど出たところで誰かがあかりの手を掴んで部屋に引き戻す。
「馬鹿か、お前は。何も知らないお前みたいな小娘が根拠のない自信で乗り越えられるほど、この町の夜は甘くはねぇんだよ」
手を引いたのは土方だった。強く握られたせいか捕まったという気持ちの焦りからか、はたまた自分の無力さを突かれたからなのか、あかりは掴まれた右手と顔に熱が集まっていくのを感じた。
「そんなこと、言われたって……」
行くところが無いからといって初対面の人間に「泊めてくれ」なんて図々しいこと、世間知らずの子供であるあかりでも流石に言えない。ましてや、面倒臭いことが分かり切っている身の上なのだから。
「まさかあかりさん、『私が居たら迷惑が』みたいなこと、考えてなんいてねぇですかィ?」
「え……?」
今まで特に引き留める様子も説得する様子も見せなかった沖田が見透かすようにそう言った。人の話なんて半分も聞いてなさそうなのに、その言葉は意外なほど的確だった。
「その程度、考えるまでもねぇ」
沖田の言葉に続けて土方も口を開き、あかりを掴んでいた手を離して視線を反らした。
「取り敢えず、今日は泊まっていけばいいだろ。誰も迷惑なんて一々思わねぇ」
面と向かって言うのは照れ臭いのかあかりの方を少しも見ないで、泊まっていくことをすすめる土方。二人の言葉を聞いて山崎も力強く首を縦に振って「そうしなよ!」とあかりを見る。
「土方さん、沖田さん、山崎さん……」
有り難過ぎる提案にあかりが応えようとした、まさにその瞬間だった。
「お父さんはそんなこと、絶対に許しませーんっ!!」
どこからか声が聞こえたかと思うと、部屋の襖と更には襖と一緒に土方があかりの目の前から吹っ飛んでいった。土方が飛ばされたと同時か否か、沖田と山崎は刀の柄に手を添え戦闘態勢に入る。
「な、何が……ああっ、土方さん!」
あかりが飛ばされた土方を助けに部屋の奥へと駆け出そうとすると、それを阻止するかのように誰かが腰に腕を回してきた。
「な、なにっ?」
腰の違和感から抜け出そうと身じろぐあかりだったが、腕の力は一層強くなって身動きが取れない。自分が下手に動いても沖田や山崎の動きの邪魔になるかもしれないと考えたあかりが、状況を推し量ろうと大人しくなるとそれを待っていたように母ちゃんみたいな言葉が降ってきた。
「こらっ、家に帰るぞこの不良娘が!」
頭上から降ってきたその声は出会ったばかりのあの人の声だというのにどういう訳だか落ち着く気がして、安堵する自分をおかしく感じながらもあかりは声の主を呼んだ。
「坂田さんっ?」
振り返って確認しようとするあかりの頭をクシャクシャと撫でて阻止する銀時。「どうしてここに?」と銀時に尋ねたかったが奥で倒れていた土方がボロボロな姿で起き上がり、あかりと銀時の方へ刀を抜いてやって来たのであかりの言葉は喉から先に出せなかった。
「一体どこのクソ野郎かと思ったら、万事屋じゃねぇか」
不穏なオーラを撒き散らし、青筋を立てる土方。
「あ~ら、大串君。今頃お目覚めぇ?」
銀時は土方からの挑発に挑発で返すとあかりの腰から手を離し、自分の後ろに庇うようにして愛用の木刀を抜いて刀身を土方に向ける。流派や型を感じさせない緩い構えだったが、その姿は今日見たどんな侍よりも侍らしい後ろ姿にあかりには見えた。
しかし、ここではたと気付く。何をどうして一体この状況になったのか。
銀時は普通に町の何でも屋さんなのだろうし、土方は町を守る警察。今、互いに刃を向けて相対する必要はあるのか。どうして銀時はここが分かったのか、そしてわざわざ襖を蹴破って入ってきたのか。彼らの関係を知らないあかりは、自分が原因で起きているであろうこの事態にどう収拾をつければいいのかと心の中で助けを求めるのだった。
終
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