長篇
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その少年に出会ったのはあかりが普段通りに真選組での仕事を終えて万事屋へ戻る途中でのことだった。
公園の前を通り過ぎようというその瞬間に何かが飛び出してくると、あかりに激突しそのまま一緒に道に崩れた。次に、別の二つの人影が何かを吐き捨てるとその場から走り去っていく。尻餅をつきその場に残されたあかりが身体までは倒れまいと手をついた自分の上に倒れ込むそれを見ると、どうやらまだ幼い少年のようだ。「大丈夫?」と尋ねれば少年はあかりの上から飛び退いて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!」
「ううん、私は平気だよ。君は大丈夫?」
「うん、平気!」
そう答えて立ち去ろうとする少年の膝には擦りむいた傷が見え、あかりは思わず引き留めた。バッグから絆創膏や消毒液を入れているポーチを取り出して手当を始めるあかり。
「お姉ちゃん、いっつもそれ持ってるの?」
「うん。私の周りにはよく傷をつくる、君みたいに元気な人が多いんだ」
そう言われて少しはにかむ少年。あかりは小さく微笑み返すと傷口を洗って消毒し絆創膏を貼った。そして、最後に「早く良くなるおまじない」と言って小さな笑顔マークを書き込む。
「これでよし!」
「ありがとう……って、お姉ちゃんも手、怪我してるよ!」
「え?どこ?」
「右手の、ここのとこ!」
自分の手で同じ場所を指し示す少年に倣ってあかりが右手小指側の側面を見ると、そこには確かに擦り傷があった。
「あ、本当だ。気付かなかった」
「僕が絆創膏貼るよ!」
「大丈夫だよ、このくらい」
「駄目だよ!」
言うが早いか少年はあかりの手からポーチを取ると中から絆創膏を探した。そんな気遣いが嬉しくなり、あかりは大人しく少年からの手当を受けることにした。
「はい。これで大丈夫」
「ありがとうね、ってこれ」
あかりがお礼を言いながら右手の側面にしっかりと貼られた絆創膏を見ると、そこには少年の絆創膏にしたのと同じに笑顔のマークが書き込まれていた。
「早く治るおまじないなんでしょ」と少し照れ臭そうにした少年に「じゃあ、どっちが早く治るか競争だね」と言えば、きっと自分の方が先に良くなると返して少年は駆けて行った。素直で優しい少年との出会いにすっかり絆されたあかりは今一度、右手の絆創膏を眺めると頬の筋肉を緩ませながら家路に就いた。
第6話 父であり 母であり
「銀さん達、もうちょっとかかるのかー」
仕事に出ていた銀時から届いたメールを確認したあかりは、あとは盛り付けるばかりとなった夕食の用意を中断してソファに腰掛けた。食べてもらうなら温かいご飯がいいし、出来ることなら一緒に食事をしたい。ということで、銀時達の帰りを待つことにしたあかりはボーッとテレビを眺めながらゆっくりとソファに身体を沈めた。
それから、そう時間がかからない内に心地良い睡魔に舟を漕ぎだしたあかりは、地震かと間違えるほどの大きなズシンという物音で飛び起きその拍子にソファから転げ落ちた。
「な、なにっ……?」
床に座り込んだまま後に続く音や衝撃は無いかと注意を払うが、部屋にはテレビからお馬鹿キャラで売り出し中のアイドルが珍回答をする声が響いているだけで、地震を報せるテロップなどは流れてこなかった。
「……地震、ではなさそうね」
物音の出所を探ろうを部屋を見渡しても何かが落ちた様子はない。念のため他の部屋や浴室を覗いてみても同じであったし、銀時達が騒がしく帰ってきたというわけでも無かった。
一通り確認したあかりが寝呆けてでもいたのだろうという結論で締めくくり部屋へ戻ろうとすると、再び先程と同じ物音と僅かな揺れの後、ガラスが割れたような音が響いた。音の出所はどうやら万事屋の下の階であるスナックお登勢からだったらしく、あかりは階段を駆け下りていった。
「お登勢さん、何だか凄い音が聞こえたんですけど大丈夫ですか?」
がらりと引き戸を開けて店内を窺えば何やら今日は繁盛しているようで殆どの席が埋まっていた。そして、その中で倒れた椅子から転げ落ちたとは思えないくらいに距離を開けて倒れている人と、立ち上がり息を荒くする一際大柄な人、そして怒鳴り散らすお登勢の姿があった。
「こ、これは一体……」
状況が分からないあかりが戸を開けたまま入り口で突っ立っていると、それに気付いたお登勢が「騒がしくしちまってすまないねぇ」と招き入れた。恐る恐る店内へ足を踏み入れれば席を埋めていた客の視線が一斉にあかりに集まり、ここへ来てあることに気付く。
こちらに背を向ける形で席を立っていた一際大柄な人物も、周りの客の視線に気付いてあかりの方へ振り返る。大きな身体を包む着物は鮮やかな色合いで女性らしい、しかし、身体の動きをそのまま伝えるようにして着物の下の逞しい筋肉は動く。あかりは自分の背丈の辺りからゆっくり目線を上にずらしていき、どう見ても「おじさん」としか形容できない風貌と対面した。
「あの、えっと……こんばんは」
何とか絞り出すようにあかりが言うと店内はしんと静寂に包まれた。首さえ回せないまま視線だけを左右させて見渡した客の姿は、どれも可憐な着物の上に髭面を据えていてあかりは一瞬気が遠くなるのを感じた。
カウンターに居るお登勢が大女、いや、大男を怒鳴りあかりを呼び寄せる。
「悪いねえ、驚かしちまっただろう?」
「い、いえ、あの……大丈夫ですか?」
大きな音の元は椅子から飛ばされた人と、それに伴って一緒に落とされたと思われるテーブルの上の食器類だった。どうやら飛ばした人も飛ばされた人も一緒に来ている客のようでお登勢は「アイツらに片付けさせるさ」とタバコに口をつけた。
「今日はまた大忙しですね。キャサリンさんも居ないみたいですし」
「ったく、こういう日に限って居ないんだから、役に立たないね」
少し言葉を交わしている間にもあちこちの席から酒の追加や料理の注文の声が上がってきて、あかりはお登勢に一言断ってから注文を受けに向かった。最初は遠慮をしたお登勢も手が回らないことは確かで、手伝いを受け入れると二人で店を回す。
店内を忙しなく動いている内に珍しい装いだと思っていた人達にも慣れていき、あかりも会話を楽しめるようになった。話を聞くとみんな同じ職場で働く人であり、入って直ぐにあかりが見たのはそのお店のママだと知る。
「へえ、皆さん一緒のお店で働いている方だったんですね」
「そうよ、『かまっ娘倶楽部』っていうの、今度遊びにいらっしゃい!」
「えーっと……き、機会があったら是非!」
一段落がついてカウンターでジュースを飲ませてもらっていると外から聞き慣れた賑やかな声がして、ドタドタと上の階へと上がっていった。
「あ、銀さんたち帰ってきたみたいですね」
「じゃあ、これとそこの食器だけ洗って戻りますね」とあかりがジュースの入っていたグラスを持って流しに向かおうと席から立つと、もう十分働いてもらったからとお登勢はあかりの手からグラスを取った。
「おや、怪我したのかい?」
「え?」
「ほら、ここだよ。右のとこ」
そう言ってお登勢はあかりの右手の絆創膏を指差す。
「はい。ちょっと転んだ時に。でも、ほんのかすり傷ですから」
「嫁入り前の身体なんだからあんまり怪我するんじゃないよ」と冗談なのかそうでないのか言うお登勢にあかりは笑顔を返し、顔見知りとなったかまっ娘倶楽部の面々に挨拶をしてから万事屋へと戻った。
「あれ、流行ってんのかしらね」
「何がだい?」
あかりが居なくなったカウンターでそう呟いたのはかまっ娘倶楽部のママである西郷特盛であった。
「ほら、絆創膏になんか落書きしてあった」
「それがどうかしたのかい?」
「いやね、うちの子も今日あんなのしてたから」
西郷の話を聞きながらお登勢はタバコに火を着けると一度深くそれを吸い込み「さあね」という言葉と共にくゆらせ、「ガキ共の流行なんて知ったこっちゃないからねえ」と続けた。
*****
「銀さん、神楽ちゃん、定春、おかえりなさい」
「あ、銀ちゃん、あかりいたヨ!」
「お前、電気点けっぱなしでどこ行ってたんだよ。鍵も開いてたし」
中へ入ったあかりが声をかけるとテーブルの下を覗き込んでいた神楽が顔を上げ、隣の和室を覗いている銀時に知らせた。
「ごめんなさい、忘れてました。下のお登勢さんの所にちょっとお邪魔してたんですよ」
神楽はそこに隠れていると思っていたのだろうかという疑問が喉まで上がってきたがあかりはそれを飲み下して、「さあさ、ご飯にしましょう」と後は温め直すばかりになった夕飯の調理へと戻った。
*****
少年と出会ってから数日が経ち、右手に出来た傷もすっかり良くなり僅かな痕が消えるのを待つばかりとなったあかりが屯所からの帰り道を歩いていると、あの日と同じ公園に見知った後ろ姿があった。
「こんにちは、ってもう夕方か」
ベンチに座っていたその後ろ姿に声をかけると少年は肩を揺らして小さく驚きの声を上げた。驚かしてしまったことにあかりが謝りながら回り込む。少年は「お姉ちゃんか」と呟くと手にしていた紙を折り畳んで懐にしまい、それから微笑んだ。
「ん?なになに、ラブレター?」
「そんなんじゃないよ」
やんわりと否定した少年は「それより」と言って、裾を上げて数日前に怪我をしたあの膝小僧を見せた。そこには怪我をした過去など無かったかのようにつるりと綺麗な姿を見せる膝があった。「僕の勝ちだね」と言う少年に「私だって負けてないよ」とあかりが右手を出し、少年の膝に並べる。
「やっぱり僕の勝ちだね」
「……うん、若さ溢れる治癒力すごい」
自分の傷も殆ど綺麗になったと思っていたのに若さとはこうも如実に突きつけられるのかと、並べてみて明らかにされたその違いにあかりはがっくりと肩を落とす。それを気遣われた後に競争に勝ったのだから何かお願いはないのかと聞けば、少年は首を横に振って断った。
それからベンチに並んで腰掛けいくつか他愛ない話をし、今更ながらお互いの名前も知らなかったと自己紹介をした二人。夕焼けのオレンジに段々と深い青が滲んできたのを見て、そろそろ帰らないととあかりが切り出そうとしたその時、少年、てる彦はポツリと「お姉ちゃんのお父さんってどんな人?」と尋ねた。
「どんなって言われると難しいけど…普通の優しいお父さん、かな」
「そっか」
てる彦がどんな答えを期待してその質問をしたのか分からないあかりが「てる彦くんのお父さんは?」と喉まで出かかった状態で反応を窺っていると、てる彦は懐へしまっていた一枚の紙を取り出した。何が書かれているのかとあかりがそっと覗けば、それは手紙というより学校などで配布されるプリントであることが分かる。
「授業参観の、お知らせ?」
「うん」
プリントを見つめるてる彦の表情は複雑なものであった。親が忙しくて来られないのかもしれない、あるいは単純に照れ臭いのかもしれないし、もしかしたら参観日の授業が苦手科目で不安なのかもしれない。どんな気持ちを抱えているのか分からない少年を前にあかりがなんと言葉を掛けようかと考えていると、突然、目の前に二つの影が現れた。
薄暗くなり始めた公園で夕日を背にして立った影の一つがてる彦からプリントを奪い「まだ見せてねーのかよ」と笑う。すると、横に並ぶもう一つの影が同じように笑いながら「そりゃ、自分の親があんなだったら来てほしくないよ、よっちゃん」と言った。
逆光になっている二人をよく見ようとあかりが目を凝らすと、それはてる彦と同じ年頃の少年達だった。しかし、友達なのかとてる彦の方へ視線を向けると、プリントを抜き取られた手を強く握っている姿がそこにはある。友達だとしても冗談が過ぎるのなら少し注意が必要になるかと、少年達に視線を戻したあかりはあることに気が付いた。
「あ、君達、この前てる彦くんに怪我させた子達じゃない」
人違いではないはずと二人をよくよく観察するあかりに、一歩たじろぎ「誰だよこいつ」と互いに顔を見合わせる少年達。
それから、あの後ちゃんと謝ったのか、プリントを返しなさい、などとあかりに言われると”よっちゃん”と呼ばれていた少年は「うっせーブス!」と叫びプリントを放り出して逃げていった。もう一人の少年も「待ってよ、よっちゃん」と後を追って公園を去っていく。「困ったやんちゃ坊主達ね」とあかりが拾ったプリントを渡すと、てる彦はごめんなさいと頭を下げた。
「てる彦くんが謝ることなんて何もないじゃない」
「でも……お姉ちゃんは綺麗な人だから」
「え?」
年下の少年にそんなことを言われ一瞬固まるあかりだったが、それがブスだと言われたことに対しての気遣いだと分かると少年の意外な一面に感心した。「てる彦くん意外と女性の扱いが上手いのね」と冗談めかして言えばてる彦は「女性っていうかなんていうか……」と言葉を濁して微笑んだ。
*****
てる彦と別れたあかりが万事屋に帰ってくると銀時はまだ仕事から戻っていない様子で、神楽と定春が空腹を訴えながら床で転がっていた。
「あかりー、晩ご飯はなにアルかー。今日の私は牛肉の気分ヨ。おかえりー」
「残念、今日は豚の角煮です。でも、お肉料理ってことで許してね。ただいまー」
牛肉がいいとは言った神楽だが、献立が豚の角煮だと聞けば勢い良く起き上がり期待の眼差しをあかりへ向けた。そして、最高の状態で食べたいから走ってくると、定春を連れて飛び出していってしまった。
「あんまり遠くまで行かないでねー!」
通りを駆けていく神楽と定春の後ろ姿に大きな声で呼び掛ければ返事とばかりに高く飛び上がった。それを見届けたあかりはとびきり美味しく作らなくてはと、腕捲りをして気合い十分に台所へ向かった。
角煮も十分に煮え、和え物や漬け物、味噌汁も出来たし、ご飯も今し方炊き上がった。後はみんなの帰りを待つばかりとなったあかりはこの間にと風呂の掃除へと向かった。
「あ、銀さん、つまみ食い厳禁ですよ!」
あかりが風呂場から戻るといつの間に帰ってきたのか銀時が角煮の入った鍋を覗き、今まさに頬張った瞬間だった。食べ応えがあるようにと大きめにした角煮を一口で押し込んだものだから、木の実を詰めたリスの頬袋のように頬を膨らませた銀時がふがふがと何かを言っている。口に入れてしまったものは仕方がないと慌てず食べることをすすめたあかりに頷いて応えた銀時は、ゆっくりとそれを味わいしっかりと飲み下した。
「いや、超旨いよこれ、豚の角煮?あれかな、天才かなあかりちゃんは」
「まず、言うことはなんですか?」
「すみませんでした」
「よろしい。銀さん、おかえりなさい」
頭を垂れる銀時を許し迎えの言葉を続けたあかりに、銀時は安堵と仕事の疲れか少し情けない顔を上げた。
ここ数日、銀時の帰りは普段より遅めだ。朝も決まった時間に家を出ているようだし、今抱えている仕事が続いているのだろうとあかりは思っている。しかし、その仕事には神楽や新八を同行させてはおらず、どんな仕事をしているのかそれとなく聞き出そうとしても適当に流されてしまう。
守秘義務というやつがあるのだろうと納得してはいるが、普段から何かとトラブルに巻き込まれそして起こす側でもある銀時が連日疲れた様子で帰ってくれば、何か危険な仕事なのではと心配にもなる。
「最近は毎日お疲れですね、お仕事大変なんですか」と言ってしまいたいのを寸でのところで飲み込んで「そろそろ神楽ちゃんも戻ってくると思いますし、ご飯にしましょう」とあかりはお盆に料理を乗せて台所を出た。
テーブルに味噌汁以外が並んだところで神楽が駆けだしていった時のままの勢いで帰ってきて、頃合いもよく食卓を囲むことができた。それからいつも通りにテレビを眺め、だらだらと見続けそうになる銀時達を順番に風呂に入るよう急かし、食器を片付け自分も風呂に入ろうとあかりは風呂場へ向かった。
「明日はお休みだし少し朝寝坊しちゃおうかな」そんなことを独りごちながら、洗濯機の予約をしておこうと洗濯カゴに投げ込まれている洋服を移しているとあかりの目にあるものが留まった。
「ん、これなんだろう」
手に取ったのは銀時のシャツ、襟の内側の部分に何か赤いものが付着している。まさか血ではないかと顔に近付けよく目を凝らす。若干擦れて着いたその赤は繊維に染み込んでいるというより乗っているような感じで、血液でないことが分かった。そして、顔が近くなったことでその匂いに気付いた。
「これ……口紅?」
鼻に届いた化粧品独特の匂いにあかりは首を傾げながらもその赤を人差し指で擦る。指の腹に移ったそれは親指の腹と擦り合わせると粘りをもって掠れた。
「やっぱり口紅だ。けど、なんでまたこんな所に」
これも内緒の仕事に関わりがあるのだろうかと謎は深まるばかりではあったが、取り敢えずは染み抜きをして洗濯機に放りあかりは風呂に入った。
*****
翌日、結局いつもとそう変わりない時間に目覚めたあかりは元気に外へ遊びに行った神楽を見送り、掃除に洗濯にと家事を済ませる。今日もどうやら仕事へ向かうらしい銀時は、朝食を食べ終えても気が進まないのか重い腰を上げずにいたが遂には諦めた様子で席を立った。
「お仕事ですか」「頑張ってくださいね」などと声を掛けてみても「あー」とか「おー」の生返事を繰り返す銀時の姿に、余程行きたくないのかと思いつつも重い足取りで玄関を出る後ろ姿を引き留めるわけにもいかないので見送るあかり。
「い、いってらっしゃー……い」
そして、数分の後、あかりは手早く支度をするとしっかりと戸締まりをして銀時が消えていった方へ足を進めた。尾行なんて趣味が悪いと諌める心の中の自分に、心配だから、ちょっと見るだけ、と言い訳をしながらあかりはだらだらと歩く銀時の後ろをそれなりの距離を保って追った。
欠伸を零したり頭を掻いたり、時折知り合いに声を掛けられては一言二言交わして通りを歩いていた銀時が行き着いた先はコンビニ。そこに用事があるのだろうかとあかりが電信柱の陰から店内の様子を窺っていると、窓際の雑誌が置かれた通路で立ち止まった銀時は一冊を手に取り立ち読みを始めた。
「ああ、今日はジャンプの日なのね。というか、これ、本当に仕事に行くのかな」
それから数分の間、ページを捲るくらいしか動きを見せない銀時の様子に見張っているあかりの方が疲れてきてしまい目線を外し、背筋を伸ばす。ふと、足下に視線を移せば靴下を履いたような黒猫がいた。
「あら、可愛い」
どうやら要領良く生きている野良猫のようで、あかりがしゃがみ込んで手を差し出せば身体を擦り寄せてくる。
「なんて小悪魔ちゃん。このこの……」
人懐っこい黒猫の許しを得たあかりが思う存分撫でていると、猫の咽がゴロゴロと心地良い音を立てるものだから、ますます魅了されてしまう。監視対象のことが頭の片隅に追いやられそうになって漸くあかりは自分の目的を思い出した。
「はっ、いけない、銀さんを尾行してるんだった」
目を離していたコンビニのガラスへ視線を戻せばもうそこに銀時の姿は無く、あかりは名残惜しさを感じながらも最後に黒猫をひと撫でしお別れの挨拶をした。そして、すっかり見失ってしまった対象を探す。
「そんなに時間が経ってはいないと思うけど……」と辺りを見回すが既に見知った後ろ姿は見当たらなくて、あかりは通りに並ぶ店の様子を注意深く確認しながら銀時の姿を探した。そして、そうやって歩いている内に一件の店の前で足が止まる。
「……へえ、ここにあるんだ『かまっ娘倶楽部』」
あかりが思わず立ち止まって見上げた看板は、先日、スナックお登勢で出会った西郷たちが働いているという店だった。店先を見る限りまだ営業している時間ではないようだが折角通りかかったことだし、中に誰か居るのなら挨拶でもしようかとあかりは窓から店内をそっと覗いた。
「あ、誰か居る。……ステージの練習、かな」
店内の一角にあるステージの上では三味線を弾く”お姉さん”と扇子を手に踊る”お姉さん”の姿があった。しかし、はたと気付く、ステージの上で踊る内の一人が有り得ない人物であることに。
「え……銀、さん?」
あかりはそう呟きながら窓から顔を背けてその場にしゃがみ込んだ。そして、自分がよく知る普段のイメージを再構築してから、もう一度ステージ上の人物を記憶の中の人物と照らし合わせる。
それはどう見ても坂田銀時、その人だった。女物の着物を着て紅を差し、ツインテールを揺らしていようが。如何に睫をバサバサにしていようとも。そこに居たのは紛れもなく銀時であった。
気が遠くなる思いで足をふらつかせながら窓から離れ、壁を背に頭を抱えてしゃがみ込むあかり。
「ええと……、銀さんはかまっ娘倶楽部で働いて、る?仕事に一人で行っていたのも、何の仕事か言おうとしなかったのも、シャツに口紅が着いていたのも、つまりはこれ?」
ここ最近の疑問がたちどころに繋がったにも関わらず、あかりの前には更に大きな謎が立ちはだかった。「そもそも、どうして、かまっ娘倶楽部で働いているのか」と。
「ひとまず出直そう」
ちょっと挨拶をなんて軽い気持ちで覗いたことを後悔しながら、一度気持ちを立て直そうとあかりは元来た道を引き返すことにするのだった。
*****
衝撃的な現場を垣間見てから万事屋に戻り思案を巡らせていたあかりだったが、結局は自分の中で堂々巡りをするばかりで解決には至らなかった。昼下がりになり「直接聞いてみよう」という結論を漸く絞り出したあかりは今再び、意を決した表情で『かまっ娘倶楽部』の前に立っている。
「どんな答えが返ってきても受け止めよう。たとえ、銀さんが”お姉さん”になったとしても!」
拳を握り自らに誓い、あかりは準備中の札が提げられた店の入り口を開けた。しかし、銀時は疎か他の”お姉さん方”の姿もなく、倒れた酒瓶や丼が散乱した中で大いびきで眠りこける西郷の姿だけがあった。
そろりそろりと近付き「あ、あの、西郷さん」と声を掛けるあかり。しかし、あかりの声はいびきにかき消されているのか西郷に起きる気配は全くない。声のボリュームを上げて身体も優しく揺すってみても同じような結果で、あかりはどうしたものかと近くの席に腰掛けた。
爆睡とはこの状態なのだろうと思わせるくらい見事に寝入る西郷を少し眺めた後、座っているだけでもしょうがないとあかりは辺りに散乱した瓶や丼などの器を片付け始めた。20分ほど掃除を続けて大きなものが目立たないくらいになった頃、突然、まだ開店していない店の入り口が勢いよく開けられた。
「助けてくれ!」
飛び込んできて開口一番そう言ったのはこの店に来るにはまだまだ早いといえる少年だった。遅れてやってきているのかまだ姿は見えないが店の外で「待ってよ、よっちゃん!」という声も聞こえる。
「えーと、よっちゃんくん。どうしたの?慌てて」
店の奥から姿を現したあかりを見て「なんでお前がいるんだよ!」と驚きながらも、よっちゃんと追い付いてやってきた少年はてる彦の危機を掻い摘まんで説明した。すると、「てる彦」という単語に反応したのか、今まで散々起きなかった西郷が目を見開きむくりと身体を起こした。
「……どこだ」
それだけ言って、ただでさえ迫力のある顔の眉間に皺を寄せ少年たちを睨む西郷。二人は震えながら顔を見合わせた後、何とか絞り出すような声でてる彦の居場所を伝えた。次の瞬間、あかりたちの目の前を西郷の巨体が一瞬で通り抜けていった。
「とりあえず、てる彦くんのことは西郷さんに任せて、君たちは今日は帰ろう、ね?」
「でも……」
「大丈夫だから。伝えに来てくれてありがとう」
二人の背を優しく押しながら店を出たあかりは家路に就くよう促し、自分はてる彦が居ると聞いた屋敷へ向かい駆け出した。
話に聞いただけの屋敷へ無事に辿り着けるかと走り出してから不安になったあかりだったが、道に脱ぎ捨てられていた西郷のらしき着物のお陰で迷うことなく進むことができた。
「ここ、かな……。というか、西郷さんどれだけ脱いでるの」
目的地までに拾い集めて腕に抱えた着物や帯を見て、西郷が今頃どんな格好になっているかと想像しかけた頭をぶんぶんと左右に振って止めたあかり。彼がぶち抜いていったであろう、ひび割れた塀に開けられた大きな人型の穴を潜り中に入ろうとすると後ろから声を掛けられる。
「やっぱり、俺たちも行くよ」
「アイツがこんなことになったもの元々は……」
自分のした行為に責任を感じ現場に戻ってきた少年たちをもう止めるわけにもいかず、あかりは「離れないでね」と釘を刺し塀の穴から三人で敷地内へ入った。
まるで森のように草木が生い茂る中を三人で進んでいくと、前方に木の葉の間から覗く瓦屋根が見えた。探すにしても庭を抜けて見晴らしのいいところへ出なくてはと駆けていくと、抜けた先では丁度、褌一丁となった西郷が見たこともない巨大な獣と相対し見事に叩きのめすところだった。そして、てる彦に気を失うほどのゲンコツを一発見舞うと肩に担いで、元来た道であるあかりたちのいる方へ近付いてきた。ふと、あかりが横を見れば少年たちは深く深く頭を下げていた。
「西郷さん、これ」
行きがけに拾った着物をあかりが差し出すと西郷は「悪いわね」と言って受け取った。
「てる彦くん、大丈夫ですか?」
気絶したまま担がれているてる彦の顔を覗き込みあかりが尋ねると、西郷は一度担ぎ直すように揺らしてみせた後に目は頼もしい父であり、口許の弧は柔らかい母のような笑みを返した。
「アンタにも迷惑かけたわね」
「迷惑だなんてそんな」
「迷惑ついでと言っちゃなんだけど、アイツらのことよろしく頼むわ」
「アイツらって?」
首を傾げたあかりに顎で指し示す西郷。その方向へ顔を向けると、視線の先には二つの胸像。一瞬短く悲鳴を上げたものの、よくよく目を凝らしてみればその内の一つはあかりが探していた人物であることが分かった。
「ぎ、銀さんっ?」
西郷にお辞儀をし、少年たちに挨拶を済ませたあかりは、胸像が置かれていると見間違うほど庭に深く埋められた銀時の元へ駆け寄った。
「銀さん大丈夫ですか?」
「え、銀さんって誰ですか!もしかして誰かと人違い、いやパーマ違いしてる?ウケるー!」
「……そうですか」
いつもは死んだ魚のような目をしている銀時が無理くり瞳に生気を宿し、天へ向かって跳ね上がるバサバサの睫を瞬きで揺らした。あかりはそれを一瞥すると仲良く隣に埋まっているお姉さんから助けるべく手で土を掻き分け始める。
「え、いや、あの……あかりさん?」
「なんですか、見知らぬお姉さん」
自分の方を見向きもせずに言葉だけ返し隣の土を掘るあかりに、銀時は裏声をやめ助けを求めた。
「すみませんでした、銀さんです、嘘つきました。助けてくださいお願いします」
「……分かってますよ。ごめんなさい、私こそ意地悪でした」
手を止めたあかりは銀時に向き直り眉尻を下げながら微笑むと、「でも、こっちのお姉さんが先ですからね」と言って作業を再開した。すると、あかりが掘っているすぐ傍から銀時のものとは違う低い声で「すまないな、あかり殿」と発せられる。
瞬間、あかりは再び手を止めて、声が聞こえた方を見やる。しかし、そこに居るのはどう見ても綺麗なお姉さんで、しかも面識は無いはずの人である。どうして自分の名前を知っているのかと尋ねようとあかりは口を開くが、声にするより前に隣から愉快そうな笑い声が上がる。
「な、なんですか銀さん、突然笑い出して」
「お前、コイツのこと女だと思ってるのかよ」
「ちょっと、なに失礼なことを……って、え?」
可笑しさに耐えられないという感じで埋められた身体の内、地上に出ている肩から上を大きく揺らしながら笑う銀時。それに幾らかムッとしながらもあかりは、改めて銀時の隣に埋められたその人の顔をよくよく見つめた。
「久し振りだな」
「あの、ごめんなさい、いつお会いしましたっけ」
「そうだな、あれは……祭りの少し前くらいじゃないか?」
言われた頃を振り返るあかり。祭りの頃に出会った人と言われ真っ先に晋助を思い出すも、どう見ても同一人物ではない。次にカラクリ作りを手伝った源外を思い出すも、これは年が違いすぎる。他に会った人なんて、とあかりが首を傾げているとその人は穴から出ていた左手で結わえていた髪を解いた。その姿を見て漸く誰だか気付いたあかりは驚きの声を上げた。
「もしかして、桂さん……?」
「よもやここまで気付かれないとは」
あかりがお姉さんだとばかり思っていたのは、以前に万事屋へ銀時を訪ねて来た時に出会った桂小太郎、その人だった。呆れているのかショックだったのか肩を落とす桂に、女性だと思い込むくらいに綺麗だったからとフォローを入れるあかり。そんな二人の隣で銀時は未だに笑っていた。
桂の救出後、無事掘り起こされた銀時はもうここに用は無いとさっさと帰ろうとしたが、少し離れたところに同じようにして埋められていた二人の天人をあかりが発見したことで、ハタ皇子発掘の協力を余儀なくされた。
*****
帰り道『かまっ娘倶楽部』に寄って着替えを済ませ、見慣れた装いに戻った銀時、桂と並んで歩くあかり。結局、どうして二人が西郷の元で働いていたのかはよく分からなかったが、あまりに疲れた様子そのにあかりは労いの言葉をかけるのだった。
「着替えたはいいが完全には落ちてねーな、土。つーか、パンツの中まで入ってるんですけど」
そう言ってズボンの中に手を突っ込む銀時に呆れながらも注意しようとしたあかりは視界の端に銭湯を捉え、銀時と桂に寄ってはどうかと薦めた。
「私は先に帰って晩ご飯の準備をしてますから、ゆっくり入ってきてくださいね。あ、良かったら桂さんもご一緒にどうですか晩ご飯」
桂からの「じゃあ、エリザベスと一緒に」という即答に、エリザベスとは誰なのだろうという疑問を抱きながらもあかりは了承し二人と別れ、買い出しのためスーパーへ向かった。人波に消えていったあかりの後ろ姿を眺めた後、二人は身体中に細かにまとわりついた土を落とすべく銭湯へ入っていった。
身体を洗い終え湯船に向かった銀時は先に浸かっていた桂の少し間を空けた隣に腰を下ろし、おっさんのように盛大な溜め息を零しながら浴槽の縁に後頭部を乗せた。
「なあ、お前マジで晩飯食いに来るの?」
「当然だ。俺は『お呼ばれ』されたのだからな」
フフンと鼻を鳴らし得意げに力強く答えた桂に「家主は招待してねぇけど」と面倒臭そうに呟く銀時。もう一つ小さな溜め息をついてふと隣を見ると桂が真剣な表情で、「時に銀時」と何かを切り出そうとしている。真面目な顔をして突拍子もないふざけたことを言い出すのも珍しくない桂に、銀時は「お、おう」と少し警戒しながら応答する。すると、桂は「あかり殿は」と口にした後に言葉を止め、ふむ、と一人頷きながら何やら思案を始める。
「ウチのあかりちゃんがなに?」と銀時が先を促すも桂はそれに取り合わず、一頻り考えを巡らせると勝手に納得した様子で「時に、時に銀時」と仕切り直した。
「祭りの時に高杉とは会っただろう?」
「あー……、会ったな」
「そうか」
「なんかこう……結構痛い感じのヤツになってたな」
銀時の言葉に桂もその姿を思い出しているのかフッと笑みを零す。そして、二人して天井を仰ぐと「大丈夫なのかね、あの子は」というような具合に息を吐いた。それから、高杉に会う少し前に再会した坂本が相変わらず声がデカいし、人の名前を間違えるヤツだったという実のない会話を交わして銀時と桂は湯から上がった。
*****
一体、いつの間に桂は連絡を取っていたのかエリザベスと合流した帰りの道中、パチンコ屋の前を通った銀時が「ゆっくりって言ってたしちょっと打ってくか」とハンドルを回すジェスチャーをしてみせる。すると、まるでタイミングを見計らったかのように銀時の携帯が鳴りあかりから、『ゆっくりとは言いましたけど、余計な寄り道はダメですよ?』というメールが届く。
寒気を感じた時のように一瞬身体を震わせ背筋を伸ばす銀時。桂は銀時の手に握られた携帯の画面を覗くと「しっかり尻に敷かれているな」と言って歩き出した。
銀時たちが万事屋へ戻ると頃合いがよかったようで、腹を空かせた神楽と共に席へ着かされた。それから、新八とあかりによって次々と並べられた料理を囲み、賑やかというより騒がしいという形容が相応しい楽しい一時を過ごした。
帰り際、「またいつでもいらしてくださいね、桂さん。エリザベスちゃんも」と言い出すあかりに銀時が余計なことを言うなと口を挟もうとするも、夕飯に誘った時と同様即答する桂と素早くプラカードを掲げるエリザベスにより阻まれ、さっさと帰れと手を払う仕草に留まった。階段の上から通りを歩いていく桂とエリザベスを見送り中へ戻る。
「いつも賑やかだけど今日はいつも以上に賑やかで、こういう晩ご飯も良いですよね」
「あんなこと言ったらアイツらマジでいつでも来るぞ。それと、賑やかじゃなくて騒々しいな」
エンゲル係数が今より更に増大することを恐れるこの家の主は、楽しくて嬉しいと呑気に微笑むあかりの頭にチョップを一撃お見舞いした。
*****
ハタ皇子の所有するポチの為の巨大な犬小屋での一件から数日後。屯所での仕事を終え、買い物袋をぶら下げながら帰るあかりは公園の入り口に見慣れた少年の姿を見つけた。
「てる彦くん、こんにちは」と声を掛けながら歩み寄るとてる彦は素早く顔を上げ、少し話をしてもいいかと尋ねた。断る理由など勿論ないあかりは笑顔で了解し、二人で公園のベンチに腰掛ける。
「あの後、大丈夫だった?西郷さんから強烈なゲンコツを食らっていたけど」
「うん。あれで一応加減はしてくれてるみたいだし。ちょっとたんこぶできたけど……」
そう言って殴られた辺りをさするてる彦の頭を触らせてもらうと、治りかけているようだが確かに頭部の自然な曲線とは異なる膨らみがあった。
「痛い?」
「ううん、全然」
「そっか」
最後に「強いぞ、いい子いい子」と撫でてからそっと頭から手を離すと、嫌がりこそはしないものの照れ臭い様子でてる彦ははにかんだ。それから「あのね」と話を切り出す。
「今日、授業参観だったんだ」
それが先日、てる彦が西郷に見せられずにいたプリントのことだと分かり、あかりは肯定でも否定でもない声色で「そう」とだけ返して続く言葉を待った。
「母ちゃん、お店のみんなも連れてきてさ、どう見ても父兄の中で浮いてて……でも、嬉しかった」
あかりがてる彦の顔を覗けばその時の様子を思い出しているのか彼は本当に嬉しそうな表情をしていて、あかりはそんなてる彦の姿に嬉しくなった。
「プリント渡せたんだね」
「うん」
「西郷さん、張り切ってたんだろうなあ」
「どこのお母さんよりも派手だったよ」
しっかりおめかしをして、お店のお姉さん達と威勢良く声援を飛ばしている姿があまりにも容易に想像できてしまい笑みが零れるあかり。てる彦の話す授業参観での様子を聞けば、それがまた想像通りだったものだからあかりはいっそう笑みを深くした。
*****
楽しい授業参観の一部始終をてる彦から聞いたその日の晩。スナックお登勢で先日と同様に大きな音がしたものだからあかりが見に降りると、すっかり出来上がっているのか床にひっくり返った西郷と『かまっ娘倶楽部』のお姉さん達の姿があった。
どうやら椅子から転げ落ちたらしい西郷は、床に倒れながらもご機嫌な様子でゆっくりと大きな身体を起こした。あかりが大丈夫ですかと声を掛けて着物についた汚れをはたくと、その存在に気付いた西郷はあかりをカウンターの自分が座っていた席の隣に着かせた。
ご機嫌ですねとあかりが聞けば、西郷は待ってましたとばかりに「今日、てる彦の授業参観に行ってきた」と話を始める。自分の息子がどれだけ出来が良いかを語るその表情は誇らしげな父親であり、慈しむ母親でもあった。公園で嬉しそうに今日のことを話してくれたてる彦の顔を思い出しながらあかりは西郷の言葉に何度も頷き、それは戻ってくるのが遅いと痺れを切らした銀時が連れ戻しに来るまで続けられた。
第6話 父であり 母であり 終
公園の前を通り過ぎようというその瞬間に何かが飛び出してくると、あかりに激突しそのまま一緒に道に崩れた。次に、別の二つの人影が何かを吐き捨てるとその場から走り去っていく。尻餅をつきその場に残されたあかりが身体までは倒れまいと手をついた自分の上に倒れ込むそれを見ると、どうやらまだ幼い少年のようだ。「大丈夫?」と尋ねれば少年はあかりの上から飛び退いて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!」
「ううん、私は平気だよ。君は大丈夫?」
「うん、平気!」
そう答えて立ち去ろうとする少年の膝には擦りむいた傷が見え、あかりは思わず引き留めた。バッグから絆創膏や消毒液を入れているポーチを取り出して手当を始めるあかり。
「お姉ちゃん、いっつもそれ持ってるの?」
「うん。私の周りにはよく傷をつくる、君みたいに元気な人が多いんだ」
そう言われて少しはにかむ少年。あかりは小さく微笑み返すと傷口を洗って消毒し絆創膏を貼った。そして、最後に「早く良くなるおまじない」と言って小さな笑顔マークを書き込む。
「これでよし!」
「ありがとう……って、お姉ちゃんも手、怪我してるよ!」
「え?どこ?」
「右手の、ここのとこ!」
自分の手で同じ場所を指し示す少年に倣ってあかりが右手小指側の側面を見ると、そこには確かに擦り傷があった。
「あ、本当だ。気付かなかった」
「僕が絆創膏貼るよ!」
「大丈夫だよ、このくらい」
「駄目だよ!」
言うが早いか少年はあかりの手からポーチを取ると中から絆創膏を探した。そんな気遣いが嬉しくなり、あかりは大人しく少年からの手当を受けることにした。
「はい。これで大丈夫」
「ありがとうね、ってこれ」
あかりがお礼を言いながら右手の側面にしっかりと貼られた絆創膏を見ると、そこには少年の絆創膏にしたのと同じに笑顔のマークが書き込まれていた。
「早く治るおまじないなんでしょ」と少し照れ臭そうにした少年に「じゃあ、どっちが早く治るか競争だね」と言えば、きっと自分の方が先に良くなると返して少年は駆けて行った。素直で優しい少年との出会いにすっかり絆されたあかりは今一度、右手の絆創膏を眺めると頬の筋肉を緩ませながら家路に就いた。
第6話 父であり 母であり
「銀さん達、もうちょっとかかるのかー」
仕事に出ていた銀時から届いたメールを確認したあかりは、あとは盛り付けるばかりとなった夕食の用意を中断してソファに腰掛けた。食べてもらうなら温かいご飯がいいし、出来ることなら一緒に食事をしたい。ということで、銀時達の帰りを待つことにしたあかりはボーッとテレビを眺めながらゆっくりとソファに身体を沈めた。
それから、そう時間がかからない内に心地良い睡魔に舟を漕ぎだしたあかりは、地震かと間違えるほどの大きなズシンという物音で飛び起きその拍子にソファから転げ落ちた。
「な、なにっ……?」
床に座り込んだまま後に続く音や衝撃は無いかと注意を払うが、部屋にはテレビからお馬鹿キャラで売り出し中のアイドルが珍回答をする声が響いているだけで、地震を報せるテロップなどは流れてこなかった。
「……地震、ではなさそうね」
物音の出所を探ろうを部屋を見渡しても何かが落ちた様子はない。念のため他の部屋や浴室を覗いてみても同じであったし、銀時達が騒がしく帰ってきたというわけでも無かった。
一通り確認したあかりが寝呆けてでもいたのだろうという結論で締めくくり部屋へ戻ろうとすると、再び先程と同じ物音と僅かな揺れの後、ガラスが割れたような音が響いた。音の出所はどうやら万事屋の下の階であるスナックお登勢からだったらしく、あかりは階段を駆け下りていった。
「お登勢さん、何だか凄い音が聞こえたんですけど大丈夫ですか?」
がらりと引き戸を開けて店内を窺えば何やら今日は繁盛しているようで殆どの席が埋まっていた。そして、その中で倒れた椅子から転げ落ちたとは思えないくらいに距離を開けて倒れている人と、立ち上がり息を荒くする一際大柄な人、そして怒鳴り散らすお登勢の姿があった。
「こ、これは一体……」
状況が分からないあかりが戸を開けたまま入り口で突っ立っていると、それに気付いたお登勢が「騒がしくしちまってすまないねぇ」と招き入れた。恐る恐る店内へ足を踏み入れれば席を埋めていた客の視線が一斉にあかりに集まり、ここへ来てあることに気付く。
こちらに背を向ける形で席を立っていた一際大柄な人物も、周りの客の視線に気付いてあかりの方へ振り返る。大きな身体を包む着物は鮮やかな色合いで女性らしい、しかし、身体の動きをそのまま伝えるようにして着物の下の逞しい筋肉は動く。あかりは自分の背丈の辺りからゆっくり目線を上にずらしていき、どう見ても「おじさん」としか形容できない風貌と対面した。
「あの、えっと……こんばんは」
何とか絞り出すようにあかりが言うと店内はしんと静寂に包まれた。首さえ回せないまま視線だけを左右させて見渡した客の姿は、どれも可憐な着物の上に髭面を据えていてあかりは一瞬気が遠くなるのを感じた。
カウンターに居るお登勢が大女、いや、大男を怒鳴りあかりを呼び寄せる。
「悪いねえ、驚かしちまっただろう?」
「い、いえ、あの……大丈夫ですか?」
大きな音の元は椅子から飛ばされた人と、それに伴って一緒に落とされたと思われるテーブルの上の食器類だった。どうやら飛ばした人も飛ばされた人も一緒に来ている客のようでお登勢は「アイツらに片付けさせるさ」とタバコに口をつけた。
「今日はまた大忙しですね。キャサリンさんも居ないみたいですし」
「ったく、こういう日に限って居ないんだから、役に立たないね」
少し言葉を交わしている間にもあちこちの席から酒の追加や料理の注文の声が上がってきて、あかりはお登勢に一言断ってから注文を受けに向かった。最初は遠慮をしたお登勢も手が回らないことは確かで、手伝いを受け入れると二人で店を回す。
店内を忙しなく動いている内に珍しい装いだと思っていた人達にも慣れていき、あかりも会話を楽しめるようになった。話を聞くとみんな同じ職場で働く人であり、入って直ぐにあかりが見たのはそのお店のママだと知る。
「へえ、皆さん一緒のお店で働いている方だったんですね」
「そうよ、『かまっ娘倶楽部』っていうの、今度遊びにいらっしゃい!」
「えーっと……き、機会があったら是非!」
一段落がついてカウンターでジュースを飲ませてもらっていると外から聞き慣れた賑やかな声がして、ドタドタと上の階へと上がっていった。
「あ、銀さんたち帰ってきたみたいですね」
「じゃあ、これとそこの食器だけ洗って戻りますね」とあかりがジュースの入っていたグラスを持って流しに向かおうと席から立つと、もう十分働いてもらったからとお登勢はあかりの手からグラスを取った。
「おや、怪我したのかい?」
「え?」
「ほら、ここだよ。右のとこ」
そう言ってお登勢はあかりの右手の絆創膏を指差す。
「はい。ちょっと転んだ時に。でも、ほんのかすり傷ですから」
「嫁入り前の身体なんだからあんまり怪我するんじゃないよ」と冗談なのかそうでないのか言うお登勢にあかりは笑顔を返し、顔見知りとなったかまっ娘倶楽部の面々に挨拶をしてから万事屋へと戻った。
「あれ、流行ってんのかしらね」
「何がだい?」
あかりが居なくなったカウンターでそう呟いたのはかまっ娘倶楽部のママである西郷特盛であった。
「ほら、絆創膏になんか落書きしてあった」
「それがどうかしたのかい?」
「いやね、うちの子も今日あんなのしてたから」
西郷の話を聞きながらお登勢はタバコに火を着けると一度深くそれを吸い込み「さあね」という言葉と共にくゆらせ、「ガキ共の流行なんて知ったこっちゃないからねえ」と続けた。
*****
「銀さん、神楽ちゃん、定春、おかえりなさい」
「あ、銀ちゃん、あかりいたヨ!」
「お前、電気点けっぱなしでどこ行ってたんだよ。鍵も開いてたし」
中へ入ったあかりが声をかけるとテーブルの下を覗き込んでいた神楽が顔を上げ、隣の和室を覗いている銀時に知らせた。
「ごめんなさい、忘れてました。下のお登勢さんの所にちょっとお邪魔してたんですよ」
神楽はそこに隠れていると思っていたのだろうかという疑問が喉まで上がってきたがあかりはそれを飲み下して、「さあさ、ご飯にしましょう」と後は温め直すばかりになった夕飯の調理へと戻った。
*****
少年と出会ってから数日が経ち、右手に出来た傷もすっかり良くなり僅かな痕が消えるのを待つばかりとなったあかりが屯所からの帰り道を歩いていると、あの日と同じ公園に見知った後ろ姿があった。
「こんにちは、ってもう夕方か」
ベンチに座っていたその後ろ姿に声をかけると少年は肩を揺らして小さく驚きの声を上げた。驚かしてしまったことにあかりが謝りながら回り込む。少年は「お姉ちゃんか」と呟くと手にしていた紙を折り畳んで懐にしまい、それから微笑んだ。
「ん?なになに、ラブレター?」
「そんなんじゃないよ」
やんわりと否定した少年は「それより」と言って、裾を上げて数日前に怪我をしたあの膝小僧を見せた。そこには怪我をした過去など無かったかのようにつるりと綺麗な姿を見せる膝があった。「僕の勝ちだね」と言う少年に「私だって負けてないよ」とあかりが右手を出し、少年の膝に並べる。
「やっぱり僕の勝ちだね」
「……うん、若さ溢れる治癒力すごい」
自分の傷も殆ど綺麗になったと思っていたのに若さとはこうも如実に突きつけられるのかと、並べてみて明らかにされたその違いにあかりはがっくりと肩を落とす。それを気遣われた後に競争に勝ったのだから何かお願いはないのかと聞けば、少年は首を横に振って断った。
それからベンチに並んで腰掛けいくつか他愛ない話をし、今更ながらお互いの名前も知らなかったと自己紹介をした二人。夕焼けのオレンジに段々と深い青が滲んできたのを見て、そろそろ帰らないととあかりが切り出そうとしたその時、少年、てる彦はポツリと「お姉ちゃんのお父さんってどんな人?」と尋ねた。
「どんなって言われると難しいけど…普通の優しいお父さん、かな」
「そっか」
てる彦がどんな答えを期待してその質問をしたのか分からないあかりが「てる彦くんのお父さんは?」と喉まで出かかった状態で反応を窺っていると、てる彦は懐へしまっていた一枚の紙を取り出した。何が書かれているのかとあかりがそっと覗けば、それは手紙というより学校などで配布されるプリントであることが分かる。
「授業参観の、お知らせ?」
「うん」
プリントを見つめるてる彦の表情は複雑なものであった。親が忙しくて来られないのかもしれない、あるいは単純に照れ臭いのかもしれないし、もしかしたら参観日の授業が苦手科目で不安なのかもしれない。どんな気持ちを抱えているのか分からない少年を前にあかりがなんと言葉を掛けようかと考えていると、突然、目の前に二つの影が現れた。
薄暗くなり始めた公園で夕日を背にして立った影の一つがてる彦からプリントを奪い「まだ見せてねーのかよ」と笑う。すると、横に並ぶもう一つの影が同じように笑いながら「そりゃ、自分の親があんなだったら来てほしくないよ、よっちゃん」と言った。
逆光になっている二人をよく見ようとあかりが目を凝らすと、それはてる彦と同じ年頃の少年達だった。しかし、友達なのかとてる彦の方へ視線を向けると、プリントを抜き取られた手を強く握っている姿がそこにはある。友達だとしても冗談が過ぎるのなら少し注意が必要になるかと、少年達に視線を戻したあかりはあることに気が付いた。
「あ、君達、この前てる彦くんに怪我させた子達じゃない」
人違いではないはずと二人をよくよく観察するあかりに、一歩たじろぎ「誰だよこいつ」と互いに顔を見合わせる少年達。
それから、あの後ちゃんと謝ったのか、プリントを返しなさい、などとあかりに言われると”よっちゃん”と呼ばれていた少年は「うっせーブス!」と叫びプリントを放り出して逃げていった。もう一人の少年も「待ってよ、よっちゃん」と後を追って公園を去っていく。「困ったやんちゃ坊主達ね」とあかりが拾ったプリントを渡すと、てる彦はごめんなさいと頭を下げた。
「てる彦くんが謝ることなんて何もないじゃない」
「でも……お姉ちゃんは綺麗な人だから」
「え?」
年下の少年にそんなことを言われ一瞬固まるあかりだったが、それがブスだと言われたことに対しての気遣いだと分かると少年の意外な一面に感心した。「てる彦くん意外と女性の扱いが上手いのね」と冗談めかして言えばてる彦は「女性っていうかなんていうか……」と言葉を濁して微笑んだ。
*****
てる彦と別れたあかりが万事屋に帰ってくると銀時はまだ仕事から戻っていない様子で、神楽と定春が空腹を訴えながら床で転がっていた。
「あかりー、晩ご飯はなにアルかー。今日の私は牛肉の気分ヨ。おかえりー」
「残念、今日は豚の角煮です。でも、お肉料理ってことで許してね。ただいまー」
牛肉がいいとは言った神楽だが、献立が豚の角煮だと聞けば勢い良く起き上がり期待の眼差しをあかりへ向けた。そして、最高の状態で食べたいから走ってくると、定春を連れて飛び出していってしまった。
「あんまり遠くまで行かないでねー!」
通りを駆けていく神楽と定春の後ろ姿に大きな声で呼び掛ければ返事とばかりに高く飛び上がった。それを見届けたあかりはとびきり美味しく作らなくてはと、腕捲りをして気合い十分に台所へ向かった。
角煮も十分に煮え、和え物や漬け物、味噌汁も出来たし、ご飯も今し方炊き上がった。後はみんなの帰りを待つばかりとなったあかりはこの間にと風呂の掃除へと向かった。
「あ、銀さん、つまみ食い厳禁ですよ!」
あかりが風呂場から戻るといつの間に帰ってきたのか銀時が角煮の入った鍋を覗き、今まさに頬張った瞬間だった。食べ応えがあるようにと大きめにした角煮を一口で押し込んだものだから、木の実を詰めたリスの頬袋のように頬を膨らませた銀時がふがふがと何かを言っている。口に入れてしまったものは仕方がないと慌てず食べることをすすめたあかりに頷いて応えた銀時は、ゆっくりとそれを味わいしっかりと飲み下した。
「いや、超旨いよこれ、豚の角煮?あれかな、天才かなあかりちゃんは」
「まず、言うことはなんですか?」
「すみませんでした」
「よろしい。銀さん、おかえりなさい」
頭を垂れる銀時を許し迎えの言葉を続けたあかりに、銀時は安堵と仕事の疲れか少し情けない顔を上げた。
ここ数日、銀時の帰りは普段より遅めだ。朝も決まった時間に家を出ているようだし、今抱えている仕事が続いているのだろうとあかりは思っている。しかし、その仕事には神楽や新八を同行させてはおらず、どんな仕事をしているのかそれとなく聞き出そうとしても適当に流されてしまう。
守秘義務というやつがあるのだろうと納得してはいるが、普段から何かとトラブルに巻き込まれそして起こす側でもある銀時が連日疲れた様子で帰ってくれば、何か危険な仕事なのではと心配にもなる。
「最近は毎日お疲れですね、お仕事大変なんですか」と言ってしまいたいのを寸でのところで飲み込んで「そろそろ神楽ちゃんも戻ってくると思いますし、ご飯にしましょう」とあかりはお盆に料理を乗せて台所を出た。
テーブルに味噌汁以外が並んだところで神楽が駆けだしていった時のままの勢いで帰ってきて、頃合いもよく食卓を囲むことができた。それからいつも通りにテレビを眺め、だらだらと見続けそうになる銀時達を順番に風呂に入るよう急かし、食器を片付け自分も風呂に入ろうとあかりは風呂場へ向かった。
「明日はお休みだし少し朝寝坊しちゃおうかな」そんなことを独りごちながら、洗濯機の予約をしておこうと洗濯カゴに投げ込まれている洋服を移しているとあかりの目にあるものが留まった。
「ん、これなんだろう」
手に取ったのは銀時のシャツ、襟の内側の部分に何か赤いものが付着している。まさか血ではないかと顔に近付けよく目を凝らす。若干擦れて着いたその赤は繊維に染み込んでいるというより乗っているような感じで、血液でないことが分かった。そして、顔が近くなったことでその匂いに気付いた。
「これ……口紅?」
鼻に届いた化粧品独特の匂いにあかりは首を傾げながらもその赤を人差し指で擦る。指の腹に移ったそれは親指の腹と擦り合わせると粘りをもって掠れた。
「やっぱり口紅だ。けど、なんでまたこんな所に」
これも内緒の仕事に関わりがあるのだろうかと謎は深まるばかりではあったが、取り敢えずは染み抜きをして洗濯機に放りあかりは風呂に入った。
*****
翌日、結局いつもとそう変わりない時間に目覚めたあかりは元気に外へ遊びに行った神楽を見送り、掃除に洗濯にと家事を済ませる。今日もどうやら仕事へ向かうらしい銀時は、朝食を食べ終えても気が進まないのか重い腰を上げずにいたが遂には諦めた様子で席を立った。
「お仕事ですか」「頑張ってくださいね」などと声を掛けてみても「あー」とか「おー」の生返事を繰り返す銀時の姿に、余程行きたくないのかと思いつつも重い足取りで玄関を出る後ろ姿を引き留めるわけにもいかないので見送るあかり。
「い、いってらっしゃー……い」
そして、数分の後、あかりは手早く支度をするとしっかりと戸締まりをして銀時が消えていった方へ足を進めた。尾行なんて趣味が悪いと諌める心の中の自分に、心配だから、ちょっと見るだけ、と言い訳をしながらあかりはだらだらと歩く銀時の後ろをそれなりの距離を保って追った。
欠伸を零したり頭を掻いたり、時折知り合いに声を掛けられては一言二言交わして通りを歩いていた銀時が行き着いた先はコンビニ。そこに用事があるのだろうかとあかりが電信柱の陰から店内の様子を窺っていると、窓際の雑誌が置かれた通路で立ち止まった銀時は一冊を手に取り立ち読みを始めた。
「ああ、今日はジャンプの日なのね。というか、これ、本当に仕事に行くのかな」
それから数分の間、ページを捲るくらいしか動きを見せない銀時の様子に見張っているあかりの方が疲れてきてしまい目線を外し、背筋を伸ばす。ふと、足下に視線を移せば靴下を履いたような黒猫がいた。
「あら、可愛い」
どうやら要領良く生きている野良猫のようで、あかりがしゃがみ込んで手を差し出せば身体を擦り寄せてくる。
「なんて小悪魔ちゃん。このこの……」
人懐っこい黒猫の許しを得たあかりが思う存分撫でていると、猫の咽がゴロゴロと心地良い音を立てるものだから、ますます魅了されてしまう。監視対象のことが頭の片隅に追いやられそうになって漸くあかりは自分の目的を思い出した。
「はっ、いけない、銀さんを尾行してるんだった」
目を離していたコンビニのガラスへ視線を戻せばもうそこに銀時の姿は無く、あかりは名残惜しさを感じながらも最後に黒猫をひと撫でしお別れの挨拶をした。そして、すっかり見失ってしまった対象を探す。
「そんなに時間が経ってはいないと思うけど……」と辺りを見回すが既に見知った後ろ姿は見当たらなくて、あかりは通りに並ぶ店の様子を注意深く確認しながら銀時の姿を探した。そして、そうやって歩いている内に一件の店の前で足が止まる。
「……へえ、ここにあるんだ『かまっ娘倶楽部』」
あかりが思わず立ち止まって見上げた看板は、先日、スナックお登勢で出会った西郷たちが働いているという店だった。店先を見る限りまだ営業している時間ではないようだが折角通りかかったことだし、中に誰か居るのなら挨拶でもしようかとあかりは窓から店内をそっと覗いた。
「あ、誰か居る。……ステージの練習、かな」
店内の一角にあるステージの上では三味線を弾く”お姉さん”と扇子を手に踊る”お姉さん”の姿があった。しかし、はたと気付く、ステージの上で踊る内の一人が有り得ない人物であることに。
「え……銀、さん?」
あかりはそう呟きながら窓から顔を背けてその場にしゃがみ込んだ。そして、自分がよく知る普段のイメージを再構築してから、もう一度ステージ上の人物を記憶の中の人物と照らし合わせる。
それはどう見ても坂田銀時、その人だった。女物の着物を着て紅を差し、ツインテールを揺らしていようが。如何に睫をバサバサにしていようとも。そこに居たのは紛れもなく銀時であった。
気が遠くなる思いで足をふらつかせながら窓から離れ、壁を背に頭を抱えてしゃがみ込むあかり。
「ええと……、銀さんはかまっ娘倶楽部で働いて、る?仕事に一人で行っていたのも、何の仕事か言おうとしなかったのも、シャツに口紅が着いていたのも、つまりはこれ?」
ここ最近の疑問がたちどころに繋がったにも関わらず、あかりの前には更に大きな謎が立ちはだかった。「そもそも、どうして、かまっ娘倶楽部で働いているのか」と。
「ひとまず出直そう」
ちょっと挨拶をなんて軽い気持ちで覗いたことを後悔しながら、一度気持ちを立て直そうとあかりは元来た道を引き返すことにするのだった。
*****
衝撃的な現場を垣間見てから万事屋に戻り思案を巡らせていたあかりだったが、結局は自分の中で堂々巡りをするばかりで解決には至らなかった。昼下がりになり「直接聞いてみよう」という結論を漸く絞り出したあかりは今再び、意を決した表情で『かまっ娘倶楽部』の前に立っている。
「どんな答えが返ってきても受け止めよう。たとえ、銀さんが”お姉さん”になったとしても!」
拳を握り自らに誓い、あかりは準備中の札が提げられた店の入り口を開けた。しかし、銀時は疎か他の”お姉さん方”の姿もなく、倒れた酒瓶や丼が散乱した中で大いびきで眠りこける西郷の姿だけがあった。
そろりそろりと近付き「あ、あの、西郷さん」と声を掛けるあかり。しかし、あかりの声はいびきにかき消されているのか西郷に起きる気配は全くない。声のボリュームを上げて身体も優しく揺すってみても同じような結果で、あかりはどうしたものかと近くの席に腰掛けた。
爆睡とはこの状態なのだろうと思わせるくらい見事に寝入る西郷を少し眺めた後、座っているだけでもしょうがないとあかりは辺りに散乱した瓶や丼などの器を片付け始めた。20分ほど掃除を続けて大きなものが目立たないくらいになった頃、突然、まだ開店していない店の入り口が勢いよく開けられた。
「助けてくれ!」
飛び込んできて開口一番そう言ったのはこの店に来るにはまだまだ早いといえる少年だった。遅れてやってきているのかまだ姿は見えないが店の外で「待ってよ、よっちゃん!」という声も聞こえる。
「えーと、よっちゃんくん。どうしたの?慌てて」
店の奥から姿を現したあかりを見て「なんでお前がいるんだよ!」と驚きながらも、よっちゃんと追い付いてやってきた少年はてる彦の危機を掻い摘まんで説明した。すると、「てる彦」という単語に反応したのか、今まで散々起きなかった西郷が目を見開きむくりと身体を起こした。
「……どこだ」
それだけ言って、ただでさえ迫力のある顔の眉間に皺を寄せ少年たちを睨む西郷。二人は震えながら顔を見合わせた後、何とか絞り出すような声でてる彦の居場所を伝えた。次の瞬間、あかりたちの目の前を西郷の巨体が一瞬で通り抜けていった。
「とりあえず、てる彦くんのことは西郷さんに任せて、君たちは今日は帰ろう、ね?」
「でも……」
「大丈夫だから。伝えに来てくれてありがとう」
二人の背を優しく押しながら店を出たあかりは家路に就くよう促し、自分はてる彦が居ると聞いた屋敷へ向かい駆け出した。
話に聞いただけの屋敷へ無事に辿り着けるかと走り出してから不安になったあかりだったが、道に脱ぎ捨てられていた西郷のらしき着物のお陰で迷うことなく進むことができた。
「ここ、かな……。というか、西郷さんどれだけ脱いでるの」
目的地までに拾い集めて腕に抱えた着物や帯を見て、西郷が今頃どんな格好になっているかと想像しかけた頭をぶんぶんと左右に振って止めたあかり。彼がぶち抜いていったであろう、ひび割れた塀に開けられた大きな人型の穴を潜り中に入ろうとすると後ろから声を掛けられる。
「やっぱり、俺たちも行くよ」
「アイツがこんなことになったもの元々は……」
自分のした行為に責任を感じ現場に戻ってきた少年たちをもう止めるわけにもいかず、あかりは「離れないでね」と釘を刺し塀の穴から三人で敷地内へ入った。
まるで森のように草木が生い茂る中を三人で進んでいくと、前方に木の葉の間から覗く瓦屋根が見えた。探すにしても庭を抜けて見晴らしのいいところへ出なくてはと駆けていくと、抜けた先では丁度、褌一丁となった西郷が見たこともない巨大な獣と相対し見事に叩きのめすところだった。そして、てる彦に気を失うほどのゲンコツを一発見舞うと肩に担いで、元来た道であるあかりたちのいる方へ近付いてきた。ふと、あかりが横を見れば少年たちは深く深く頭を下げていた。
「西郷さん、これ」
行きがけに拾った着物をあかりが差し出すと西郷は「悪いわね」と言って受け取った。
「てる彦くん、大丈夫ですか?」
気絶したまま担がれているてる彦の顔を覗き込みあかりが尋ねると、西郷は一度担ぎ直すように揺らしてみせた後に目は頼もしい父であり、口許の弧は柔らかい母のような笑みを返した。
「アンタにも迷惑かけたわね」
「迷惑だなんてそんな」
「迷惑ついでと言っちゃなんだけど、アイツらのことよろしく頼むわ」
「アイツらって?」
首を傾げたあかりに顎で指し示す西郷。その方向へ顔を向けると、視線の先には二つの胸像。一瞬短く悲鳴を上げたものの、よくよく目を凝らしてみればその内の一つはあかりが探していた人物であることが分かった。
「ぎ、銀さんっ?」
西郷にお辞儀をし、少年たちに挨拶を済ませたあかりは、胸像が置かれていると見間違うほど庭に深く埋められた銀時の元へ駆け寄った。
「銀さん大丈夫ですか?」
「え、銀さんって誰ですか!もしかして誰かと人違い、いやパーマ違いしてる?ウケるー!」
「……そうですか」
いつもは死んだ魚のような目をしている銀時が無理くり瞳に生気を宿し、天へ向かって跳ね上がるバサバサの睫を瞬きで揺らした。あかりはそれを一瞥すると仲良く隣に埋まっているお姉さんから助けるべく手で土を掻き分け始める。
「え、いや、あの……あかりさん?」
「なんですか、見知らぬお姉さん」
自分の方を見向きもせずに言葉だけ返し隣の土を掘るあかりに、銀時は裏声をやめ助けを求めた。
「すみませんでした、銀さんです、嘘つきました。助けてくださいお願いします」
「……分かってますよ。ごめんなさい、私こそ意地悪でした」
手を止めたあかりは銀時に向き直り眉尻を下げながら微笑むと、「でも、こっちのお姉さんが先ですからね」と言って作業を再開した。すると、あかりが掘っているすぐ傍から銀時のものとは違う低い声で「すまないな、あかり殿」と発せられる。
瞬間、あかりは再び手を止めて、声が聞こえた方を見やる。しかし、そこに居るのはどう見ても綺麗なお姉さんで、しかも面識は無いはずの人である。どうして自分の名前を知っているのかと尋ねようとあかりは口を開くが、声にするより前に隣から愉快そうな笑い声が上がる。
「な、なんですか銀さん、突然笑い出して」
「お前、コイツのこと女だと思ってるのかよ」
「ちょっと、なに失礼なことを……って、え?」
可笑しさに耐えられないという感じで埋められた身体の内、地上に出ている肩から上を大きく揺らしながら笑う銀時。それに幾らかムッとしながらもあかりは、改めて銀時の隣に埋められたその人の顔をよくよく見つめた。
「久し振りだな」
「あの、ごめんなさい、いつお会いしましたっけ」
「そうだな、あれは……祭りの少し前くらいじゃないか?」
言われた頃を振り返るあかり。祭りの頃に出会った人と言われ真っ先に晋助を思い出すも、どう見ても同一人物ではない。次にカラクリ作りを手伝った源外を思い出すも、これは年が違いすぎる。他に会った人なんて、とあかりが首を傾げているとその人は穴から出ていた左手で結わえていた髪を解いた。その姿を見て漸く誰だか気付いたあかりは驚きの声を上げた。
「もしかして、桂さん……?」
「よもやここまで気付かれないとは」
あかりがお姉さんだとばかり思っていたのは、以前に万事屋へ銀時を訪ねて来た時に出会った桂小太郎、その人だった。呆れているのかショックだったのか肩を落とす桂に、女性だと思い込むくらいに綺麗だったからとフォローを入れるあかり。そんな二人の隣で銀時は未だに笑っていた。
桂の救出後、無事掘り起こされた銀時はもうここに用は無いとさっさと帰ろうとしたが、少し離れたところに同じようにして埋められていた二人の天人をあかりが発見したことで、ハタ皇子発掘の協力を余儀なくされた。
*****
帰り道『かまっ娘倶楽部』に寄って着替えを済ませ、見慣れた装いに戻った銀時、桂と並んで歩くあかり。結局、どうして二人が西郷の元で働いていたのかはよく分からなかったが、あまりに疲れた様子そのにあかりは労いの言葉をかけるのだった。
「着替えたはいいが完全には落ちてねーな、土。つーか、パンツの中まで入ってるんですけど」
そう言ってズボンの中に手を突っ込む銀時に呆れながらも注意しようとしたあかりは視界の端に銭湯を捉え、銀時と桂に寄ってはどうかと薦めた。
「私は先に帰って晩ご飯の準備をしてますから、ゆっくり入ってきてくださいね。あ、良かったら桂さんもご一緒にどうですか晩ご飯」
桂からの「じゃあ、エリザベスと一緒に」という即答に、エリザベスとは誰なのだろうという疑問を抱きながらもあかりは了承し二人と別れ、買い出しのためスーパーへ向かった。人波に消えていったあかりの後ろ姿を眺めた後、二人は身体中に細かにまとわりついた土を落とすべく銭湯へ入っていった。
身体を洗い終え湯船に向かった銀時は先に浸かっていた桂の少し間を空けた隣に腰を下ろし、おっさんのように盛大な溜め息を零しながら浴槽の縁に後頭部を乗せた。
「なあ、お前マジで晩飯食いに来るの?」
「当然だ。俺は『お呼ばれ』されたのだからな」
フフンと鼻を鳴らし得意げに力強く答えた桂に「家主は招待してねぇけど」と面倒臭そうに呟く銀時。もう一つ小さな溜め息をついてふと隣を見ると桂が真剣な表情で、「時に銀時」と何かを切り出そうとしている。真面目な顔をして突拍子もないふざけたことを言い出すのも珍しくない桂に、銀時は「お、おう」と少し警戒しながら応答する。すると、桂は「あかり殿は」と口にした後に言葉を止め、ふむ、と一人頷きながら何やら思案を始める。
「ウチのあかりちゃんがなに?」と銀時が先を促すも桂はそれに取り合わず、一頻り考えを巡らせると勝手に納得した様子で「時に、時に銀時」と仕切り直した。
「祭りの時に高杉とは会っただろう?」
「あー……、会ったな」
「そうか」
「なんかこう……結構痛い感じのヤツになってたな」
銀時の言葉に桂もその姿を思い出しているのかフッと笑みを零す。そして、二人して天井を仰ぐと「大丈夫なのかね、あの子は」というような具合に息を吐いた。それから、高杉に会う少し前に再会した坂本が相変わらず声がデカいし、人の名前を間違えるヤツだったという実のない会話を交わして銀時と桂は湯から上がった。
*****
一体、いつの間に桂は連絡を取っていたのかエリザベスと合流した帰りの道中、パチンコ屋の前を通った銀時が「ゆっくりって言ってたしちょっと打ってくか」とハンドルを回すジェスチャーをしてみせる。すると、まるでタイミングを見計らったかのように銀時の携帯が鳴りあかりから、『ゆっくりとは言いましたけど、余計な寄り道はダメですよ?』というメールが届く。
寒気を感じた時のように一瞬身体を震わせ背筋を伸ばす銀時。桂は銀時の手に握られた携帯の画面を覗くと「しっかり尻に敷かれているな」と言って歩き出した。
銀時たちが万事屋へ戻ると頃合いがよかったようで、腹を空かせた神楽と共に席へ着かされた。それから、新八とあかりによって次々と並べられた料理を囲み、賑やかというより騒がしいという形容が相応しい楽しい一時を過ごした。
帰り際、「またいつでもいらしてくださいね、桂さん。エリザベスちゃんも」と言い出すあかりに銀時が余計なことを言うなと口を挟もうとするも、夕飯に誘った時と同様即答する桂と素早くプラカードを掲げるエリザベスにより阻まれ、さっさと帰れと手を払う仕草に留まった。階段の上から通りを歩いていく桂とエリザベスを見送り中へ戻る。
「いつも賑やかだけど今日はいつも以上に賑やかで、こういう晩ご飯も良いですよね」
「あんなこと言ったらアイツらマジでいつでも来るぞ。それと、賑やかじゃなくて騒々しいな」
エンゲル係数が今より更に増大することを恐れるこの家の主は、楽しくて嬉しいと呑気に微笑むあかりの頭にチョップを一撃お見舞いした。
*****
ハタ皇子の所有するポチの為の巨大な犬小屋での一件から数日後。屯所での仕事を終え、買い物袋をぶら下げながら帰るあかりは公園の入り口に見慣れた少年の姿を見つけた。
「てる彦くん、こんにちは」と声を掛けながら歩み寄るとてる彦は素早く顔を上げ、少し話をしてもいいかと尋ねた。断る理由など勿論ないあかりは笑顔で了解し、二人で公園のベンチに腰掛ける。
「あの後、大丈夫だった?西郷さんから強烈なゲンコツを食らっていたけど」
「うん。あれで一応加減はしてくれてるみたいだし。ちょっとたんこぶできたけど……」
そう言って殴られた辺りをさするてる彦の頭を触らせてもらうと、治りかけているようだが確かに頭部の自然な曲線とは異なる膨らみがあった。
「痛い?」
「ううん、全然」
「そっか」
最後に「強いぞ、いい子いい子」と撫でてからそっと頭から手を離すと、嫌がりこそはしないものの照れ臭い様子でてる彦ははにかんだ。それから「あのね」と話を切り出す。
「今日、授業参観だったんだ」
それが先日、てる彦が西郷に見せられずにいたプリントのことだと分かり、あかりは肯定でも否定でもない声色で「そう」とだけ返して続く言葉を待った。
「母ちゃん、お店のみんなも連れてきてさ、どう見ても父兄の中で浮いてて……でも、嬉しかった」
あかりがてる彦の顔を覗けばその時の様子を思い出しているのか彼は本当に嬉しそうな表情をしていて、あかりはそんなてる彦の姿に嬉しくなった。
「プリント渡せたんだね」
「うん」
「西郷さん、張り切ってたんだろうなあ」
「どこのお母さんよりも派手だったよ」
しっかりおめかしをして、お店のお姉さん達と威勢良く声援を飛ばしている姿があまりにも容易に想像できてしまい笑みが零れるあかり。てる彦の話す授業参観での様子を聞けば、それがまた想像通りだったものだからあかりはいっそう笑みを深くした。
*****
楽しい授業参観の一部始終をてる彦から聞いたその日の晩。スナックお登勢で先日と同様に大きな音がしたものだからあかりが見に降りると、すっかり出来上がっているのか床にひっくり返った西郷と『かまっ娘倶楽部』のお姉さん達の姿があった。
どうやら椅子から転げ落ちたらしい西郷は、床に倒れながらもご機嫌な様子でゆっくりと大きな身体を起こした。あかりが大丈夫ですかと声を掛けて着物についた汚れをはたくと、その存在に気付いた西郷はあかりをカウンターの自分が座っていた席の隣に着かせた。
ご機嫌ですねとあかりが聞けば、西郷は待ってましたとばかりに「今日、てる彦の授業参観に行ってきた」と話を始める。自分の息子がどれだけ出来が良いかを語るその表情は誇らしげな父親であり、慈しむ母親でもあった。公園で嬉しそうに今日のことを話してくれたてる彦の顔を思い出しながらあかりは西郷の言葉に何度も頷き、それは戻ってくるのが遅いと痺れを切らした銀時が連れ戻しに来るまで続けられた。
第6話 父であり 母であり 終
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