長篇
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清々しいほど真っ青な空。遠くの方にはもこもこと大きな入道雲が漂っている。木陰で大人しくしていればまだ堪えることはできるが、ちょっとでも動き出せば額にじわりと汗が滲むそんな気温と湿度。
「……夏だなあ」
洗濯物を干し終え額の汗を拭いながら空を見上げたあかりはそう呟いた。祭りの日からはまた少し日が経ち、季節はすっかり夏らしくなっていた。
第5話 彼女の望む場所について
「全く……ここまで暑いと殺意が沸いてきまさァ」
「あ、沖田さん」
縁側から声を掛けた沖田はそう言いながら、首元のスカーフを僅かに緩めた。
「隊服は暑そうですね。夏服みたいなものって無いんですか?」
「一時期ジャケットをノースリーブに改造するのが流行ったが、すっかり廃れましてね」
「え、嘘ですよね?」
袖口ギザギザのノースリーブジャケットを着る隊士、特に土方の姿を想像して疑わずにはいられないあかり。そんなあかりの心の内が読めたのか、「少なくとも近藤さんは着てやしたぜィ」と沖田は笑った。そして、丁度日陰になっていた縁側に腰を下ろすと未だ燦々と照りつける太陽の下に立っていたあかりを手招きした。
「何ですか?」とあかりが駆け寄れば、突然頬にヒヤリとしたものが当てられる。反射的に飛び退きそれを見れば、誰もが小さい頃に食べたことがあるであろう、パキッと割ってチューチューするアイスが握られていた。
「わあ、なんだか懐かしいですね!」
「どーぞ」
「ありがとうございます、いただきます!」
アイスに目を輝かせるあかりの前でそれを二つに割ると沖田は片方を寄越した。素直に受け取って礼を言うと隣に座り口をつけるあかり。
二人でアイスを食べながら、色が幾つかあるけど味の違いが分からないとか、たまに上手く割れなくて片一方の口がラッパみたいになるとか、大して量も変わらないのに尻尾がついた方の争奪戦になるとか、そんなあるあるを話しながらもう殆ど無くなったそれを咥えていると土方が通りかかった。
「なに堂々とサボってやがる」
そう言いながら土方はあかりの隣に座った。そして、「土方さんもサボる気満々じゃねーですか」と言った沖田をじろりと一瞥すると乱暴に頭を掻いた後、首の後ろに手をやり溜め息を吐いた。その様子から彼が事務仕事に追われていたことが分かったあかりは席を立ち、お盆に麦茶を入れたポットとコップ、灰皿などを乗せて戻ってきた。
「一段落というところですか?お疲れ様です」
「まあな」
しっかり氷も入れてきたコップに麦茶を注いで差し出せば、二人は喉を鳴らして潤した。まるでCMみたく気持ち良く飲み干す二人を見て自分も飲みたくなったあかりは、同じように氷で更に冷たくなった麦茶を一気に流し込んだ。そして、もう一つ持ってきたあるものを二人に渡す。
「土方さん、沖田さん、これもどうぞ」
「タオルか?……おお、冷てーな」
「あー、これ、すんげー気持ちいいでさァ」
あかりが渡したのは冷水に浸けてから軽く絞ったタオルだった。沖田は手にとってすぐ目元にそれを被せるとそのまま寝転び、土方も最初は同じく酷使しただろう目元に当てた後、それを首に回しタバコに火を点けた。
「確かに、こりゃあ良いな」
「よかった、気持ち的にもいくらかは涼しくなりますよね」
二人が喜んでくれたことに安心してあかりが再び元の位置である沖田と土方の間に座ると、左隣で寝転んでいた沖田があかりの手を取った。
「ああ、やっぱり。あかりさんの手もいい感じに冷えてら」
「タオルを絞っていたからですかね」
にぎにぎとされる感触がこそばゆくて笑ってしまいながらも、そんなことをする沖田がどこか可愛く感じられてあかりはされるがままでいた。すると、右隣の土方が「最近、万事屋の方はどうなんだ」と尋ねた。
「いつも通りと言えばそれまでですけど……そうだ、この前みんなが仕事とはいえ海へ行っててちょっと羨ましかったです!」
あかりは先日、仕事途中に銀時達が長谷川と海へ宇宙生物退治へ行くという知らせのメールがきたことを話し、「何か夏らしいことしたいですねぇ」と零した。
それから三人はあかりが昼食の準備に行くまでの間、麦茶を飲みながら特に生産性のない会話を適当に繰り広げて、茹だるような暑さから逃避したのだった。
*****
昼食の後片付けも済ませ細々とした雑事にも粗方手が回ったところで、あかりは日用品など足りないものがあるという隊士達の声を聞いてリストアップしたメモを手に買い出しへ行くことにした。時刻は午後の2時を過ぎた辺りで夏の日差しはまだまだ容赦ない熱を持っていたが、日差しが弱まるまではまだ大分時間が必要だし仕方がないと町へ繰り出す決意をした。
「うん。これで全部、だよね」
幾つかの店を梯子しリストの物を買い揃えたあかりの両腕には、普段ではそう一杯にならない買い物用のトートバッグが二つ、一杯一杯になってぶら下がっていた。
「は、早く帰ろう……」
この両腕のずっしりとした負担から一刻も早く逃れるべく足取りを速めようとしたその時、不意に左腕からその重みが消え去った。突然なくなったものだから、右腕の荷物の重みで僅かに崩れたバランス。それを何とか踏ん張って堪えながら荷物の消えた左腕の方を見ると、そこにはさっきまであかりが拳に力を入れて持っていたトートバッグを軽々と手にする沖田が立っていた。
「あれ、沖田さん?」
「見廻り帰りに見かけたもんで」
そう言うとあかりが確認していたメモを取り上げて、そのリストに目を滑らせ「なんだこりゃあ。こんなもんてめーで買いに行けってんだ」とくしゃくしゃに丸めた。あかりはそれを慌てて取り戻して広げると、折り目正しく畳んでポケットに仕舞った。
「皆さん忙しいんですよ」
「暑くて動きたくないの間違いだろ」
「まあ、そうだとしても、お仕事や訓練でお疲れな訳ですし」
「沖田さんも細かな事は言ってくれていいんですよ?」と微笑むあかりにもはや同情を通り越して呆れた沖田は、あかりが持っていたもう片方の荷物も奪い取って歩き出した。
「お、沖田さん。一つでいいですよ!」
両方なんて申し訳ないとあたふたするあかりの声に耳を傾けることなく沖田は進んでいくと一件の茶屋の前で立ち止まり、一度隣に立つあかりの顔を見てから何も言わないまま躊躇なく暖簾を潜っていってしまった。
「えっ。ちょ、沖田さんっ?」
あかりも急いで店内に入る。一歩足を踏み入れれば外との温度差に一瞬背筋が震えて首を竦める。先に入っていった沖田を探すと、既に席へ案内していく店員の後ろを歩いていた。
席に着き出されたお冷やを流し込んで「生き返ったぜィ」という沖田の向かいに座ってあかりが見つめていると、「ちょっと休憩していきやしょう」とテーブルの脇に置かれたメニューを眺めてさっさと注文してしまった。まあ、もう席には着いてしまったし、一度この涼しさを味わってしまっては出ることなんて出来ない。「ちょっとだけですよ」なんて口では言いながらあかりは笑った。
「わあっ、白くまに……沖田さんのは何ですか?」
「あんみつ氷でさァ」
五分ほど待ったところでテーブルの上に運ばれてきたのは、ふわふわの氷に真っ白な練乳が掛かり更にその上には小豆やフルーツ、アイスまで乗っている白くま。そして、氷の中に寒天や蜜豆が散りばめられ、上には白玉やアンコ、抹茶アイスなどが乗せられ隣には黒蜜を入れた小さなピッチャーが添えられているあんみつ氷なるものだった。
目の前の甘い宝石に見とれるあかりを余所に食べ始めた沖田は「さっさと食わねーと溶けちまいやすぜ」と勧め、あかりもスプーンを手に取り食べ始めた。
「うーんっ、美味しいです沖田さん!」
「しあわせ」と書いてあるような表情を浮かべて頬に左手を添えたあかりに、お手頃価格な幸せだと沖田は笑った。それから少し食べ進めていく内に、あかりからの視線に沖田は気付く。
「……」
「……あかりさん」
「えっ、はい!」
「……欲しいんですかィ?」
自分の前のあんみつ氷をスプーンで指し示すようにして沖田が尋ねると、あかりは勢いよく視線を白くまに戻してシャクシャクとつついた。
「い、嫌だなあ沖田さんっ。そんなに卑しん坊じゃないですよ!」
図星を突かれた動揺を隠すように忙しなく白くまをつつくあかりに笑いを堪えながら、「そろそろコイツをかけるかな」と言って沖田はピッチャーに入った黒蜜を回し掛ける。ちらりと沖田があかりの様子を窺えば彼女の手は止まり、アイスや氷の上をゆっくりと流れ落ちていく黒蜜に目を奪われていた。その表情に遂には耐えられなくなった沖田は噴き出してしまう。
「分かった、分かったからあかりさん、その顔やめてくだせェっ……」
「ええっ、そんなに酷い顔してましたかっ?」
左手で顔を覆うようにして堪えきれない笑いを零す沖田を見て、恥ずかしさで顔を真っ赤に染めたあかりは両手で顔を隠した。それから、一頻り笑いを消化したらしい沖田は氷と黒蜜のたっぷり掛かった白玉、アイスを器用に一掬いにして、未だ顔を隠すあかりに差し出した。
「どーぞ」
「い、いいんですか?」
ゆっくりと両手を解いて目の前に差し出された小さなあんみつ氷と沖田とを交互に見たあかりは、そっとそれを口に含んだ。途端、目を大きく開いたかと思えば次の瞬間には噛みしめるような顔で瞼を閉じ、頬でも落ちそうなのか両手でそれを留めるようにして添えた。
「沖田さん」
「ん?」
「……とっても美味しいです」
「でしょうね」
「そんな顔しといて不味いなんて言われたらそれこそ驚くってもんだ」と言って、沖田は自分も黒蜜をかけた部分を一掬いして味わうと、うん、と頷いた。それからまた二人が少し食べ進めた頃、今度はあかりが自分の方へ送られてくる視線に気が付く。
「沖田さん?」とあかりが窺えば、白くまへ真っ直ぐ注がれていた沖田の目線がスッと上がり、短く視線が交わった後に瞼を伏せて口を開いた。そして、戸惑うあかりを気にすることなく瞼もそのままに「あかりさん、フェアにいきましょう」と言う沖田。
もう、一口貰ってしまったという既成事実がある以上、あかりに断るという選択肢は無いも同然だった。沖田が自分にしてくれたように、一掬いに小豆やフルーツも乗せてゆるゆると差し出した。
「えーっと……あ、あーん」
「あー」
目を伏せたままの沖田があかりの声に合わせて開けていた口を更に大きくすると、こんもりと掬った白くまはすっかり収まって、閉じられた唇によってその姿を隠した。前に倒していた身体を背もたれへ戻す沖田の口から解放されたスプーンには、当たり前だがほんの数秒前まで存在した白くまは居なくなっていた。
相手のスプーンで貰う一口の時よりも、あげた一口の後の方が何だか口にしにくいような……などとあかりが感じていると、「こっちも美味いな」と白くまを味わった沖田が停止しているあかりに「どうかしやしたか」と声を掛ける。
「い、いえ、何でも。白くまもあんみつ氷も美味しいですね」
沖田の顔が別に何の気なくといった具合であったため、あかりは少しでも気にしてしまった自分に恥ずかしさを感じて、白くまを崩す動作を繰り返しながら取り繕うようにして微笑んだ。
*****
食べ終えて茶屋を出ると身体に籠もっていた熱が解消されたのか、外の暑さもそれほど堪えないようになっていてあかりは清々しい心持ちになった。
「すみません、ご馳走になってしまって。とっても美味しかったです」
会計を支払ってくれた沖田にあかりがお辞儀をすると、自分の休憩に付き合わせただけだから、という風に言いながら一寸、あかりの顔を観察するような視線を送ると荷物を持って歩き出した。そんな沖田に「荷物は片方くださいって」とあかりも続いた。しかし結局、荷物を返してもらえなかったあかりは手持ち無沙汰となった両手を身体の前で合わせて隣を歩く。
「傾いてきた、というにはまだ少し早いですけど、さっきよりも日が高くなくて楽ですね。白くまですっかりリフレッシュされましたし」
ふと空を見上げながら天辺近くにあった太陽からの日差しが角度をつけていることを感じてから、視線を足下へずらし影が伸びていることを確かめてあかりは言った。
「そうですねィ。あかりさんさっきは茹でタコみたいな顔してましたから」
「えっ、そんなにでしたかっ?」
確かに暑さは堪えていたがそんなに酷かったのかとあかりが思わず空いている両手で頬を覆うも、今はなんて事無い普通の体温だ。そして、そこではたと気付く。
「沖田さん、だから休憩してくれたんですか?」
荷物を取り上げ有無を言わさず休憩に持ち込んだ沖田を思い出しそう尋ねれば、彼は「はて」ととぼけてから「あかりさんに倒れられれでもしたら五月蝿そうな人が居るんでね」と苦々しい表情で返した。「五月蝿そうな人」という単語に思わず大袈裟に心配してくれそうな近藤の姿を想像したが、沖田の嫌そうに発した様子を見ればそれも違うように思えてあかりは首を傾げる。
誰のことだろうと考えるあかりを横目に見た後、目線を進行方向に戻して「祭りの翌日、五月蝿かったでしょ」と沖田。記憶の引き出しの在処を辿り「お祭りの次の日……」と呟いて数歩ほど進むと、引き当てたらしくあかりは「あ」と声を洩らした。
「土方さんでしたか」
「五月蝿かったでしょう?」
念を押すようにもう一度そう言われ、あかりは探り当てた記憶を確認した。
晋助と祭りに行った日。その記憶は途中から夢か本当か分からないものとなってしまったが、眠ってしまった自分が銀時に引き渡されたことは聞いた。そして、翌日に屯所へ行くと眠っていたその時に土方らに会っていたらしく、どうして銀時達と居なかった、何か巻き込まれていたんじゃないかと酷く心配されたのだ。
「また倒れたりすれば、あかりさん……監視でも付けられ兼ねねぇだろうなぁ」
「いや、流石にそんな本末転倒な人員は割かないと思いますけど……」
「どうだか」
「それより私は、あのお祭りで事件があったことを知らなかったので驚きましたよ」
どうしてこんなに心配されているのだろうと尋ねてみれば、祭りの終盤で事件があったとその時に聞かされ驚いたことを言うあかり。しかし、「まあ、大したことない騒ぎだった」と沖田は軽く答えたのであかりも「皆さんに怪我がなくて良かったです」と返して終わった。
そこから暫く取り留めのない会話をしながら歩いて屯所も近くなった頃、「そういや、あかりさん、何か夏らしいことしたいって……」と沖田が切り出した。それを聞いてすかさず期待を込めた眼差しで「何かするんですか?花火とかですか?」と沖田の顔を覗き込むあかり。
「いや、稲山さんによる評判の怪談話が……」
「えええ、遠慮しておきますね!!」
屯所でも出来そうな夏らしい楽しげなことを幾つか想像していたあかりは、確かに夏らしくはあったが予想に反したその催し物を即座に断り早足で先を急いだ。そんなあかりの歩みにも歩幅を少し広くするだけで並んだ沖田は飄々とした顔はそのままに、でも少し愉快そうな雰囲気を感じ取れるような声色でさっきの彼女と同様に覗き込んだ。
「おや、あかりさんは怪談はお嫌いで?」
「べ、別に嫌いとかじゃないですよっ。でも人生に必要かって聞かれれば別に必要ないかなあ……なんてっ」
「怖いんですね」
「ほ、ほら、怪談ってことは夜ですもんね。帰りが遅いと銀さんに心配をかけてしまいますし!」
「怖いんですね」
「……」
「怖いんですね?」
「……はい。苦手です」
問答を繰り返した末、あかりは諦めたようにその場に立ち止まり白旗を揚げた。そして、実際に居るかどいうかということよりも、怖がらせること驚かせることを前提とした怪談やお化け屋敷が苦手だと続けた。
「まあ、普通っちゃあ普通の感覚なんでねぇですか?」
「そう、ですか?」
あかりに白状させた割には「怖い思いをするビックリさせられる、それを分かっていて嬉々としてやるなんてアホなことするの暇人くらいでしょうよ」と、自分もさほど乗り気ではないようなことを言って覗き込んでいた顔をまた前方へ向き直し、沖田はゆっくりと歩き出す。てっきり茶化されでもするのかと思っていたあかりは、僅かに肩透かしを食らったような気分を味わいながら隣へ並んで屯所へ戻った。
そんな話をした翌日からだった。
屯所で不可解なことが起こり始めたのは。
*****
「ひでーなオイ。これで何人目だ?」
「えーと、十八人目でさァ」
「みなさん、同じ様な症状なんですよね……」
土方が口を開くと沖田が部屋を眺めながら答え、あかりはうなされて汗をかく隊士の額を拭いながら続けた。現在、三人の居る一室には布団が敷き詰められていて、そこかしこに寝込む隊士の姿があるという異様な光景が広がっていた。
沖田から怪談話に誘われた翌日。あかりがいつも通りに屯所へ来てみれば、もう最初の犠牲となった何人かが床に伏せていた。 血の気が引いた顔でぐったりとし、うなされながら「赤い着物の女」とうわ言を繰り返す。日々、江戸を守り鍛錬を積む彼らとはかけ離れた有様だ。 そして、それから一週間と経たない内に隊士の半分近くが同じ症状に襲われて今に至る。
医者に診せても病気ではないらしく過労と暑さでやられたのだろうと言われたが、状況は留まることを知らず悪くなる一方。遂には幽霊の仕業というのが有力な候補となり近藤がゴーストバスターズ的な何かを探してくるよう言い出す始末になっていた。
「局長!連れて来ました」
そして、この男、山崎は本当にそのゴーストバスターズ的な何かを連れて来たようで、「街で捜してきました、拝み屋です」と言って連れて来た三人を近藤に紹介した。
それを聞いて部屋から顔を覗かせた沖田と土方に続き、あかりも襖に手をかけ廊下の方を覗く。そこには顔全体を包帯で覆い笠を被った陰陽師とお昼の番組の司会者のようなサングラスをかけたキョンシー。そして何故か武蔵坊弁慶という、どう見てもちぐはぐな出で立ちの三人が立っていた。
当然、そんな奇天烈な様相の自称拝み屋をすぐさま信じられる訳もなく、土方は訝しげな視線を送る。すると、陰陽師のような男と小柄なキョンシーとが土方を見てはヒソヒソと何かを話して笑う。それに苛立つ土方を「まあまあ」とあかりが宥めていると拝み屋への依頼が正式に決まったのか、屯所の案内をするよう近藤はあかりに頼んだ。
「じゃあ、あかりちゃん。よろしく頼むな」
「あ、はい。じゃあ、えっと……拝み屋さん、ご案内します」
拝み屋の三人に屯所の中を見てもらう案内をするため向き合うあかり。しかし、どうにもその三人のサイズ感というか雰囲気というか、とにかく三人と対面して感じる圧倒的な既視感。
「……あの、拝み屋さんって」
「さあ、事態は急を要するようだからね!ちゃっちゃと行こうか、ちゃっちゃと!」
「え?ああ、はいっ」
あかりがそれを口にしようとすれば、陰陽師姿の男がその背を押してこの場から移動を開始する。押しやられるがままに歩き出した後ろから「じゃあ、案内が終わったら客間でなー」という近藤の声に何とか返事をしながら、あかりは廊下の角に姿を消していった。
「あの……銀さん達、ですよね?」
廊下を進み、もう会話が近藤達には聞こえないところまで来た辺りで立ち止まったあかりが振り返る。拝み屋の三人は見事に視線を三方に散らして逸らす。
「どういう経緯で今に至るのかは分かりませんけど、依頼受けちゃって良かったんですか?」
そう尋ねてみても誰も目を合わせてはくれない。あかりは小さく息を吐いて、自分とそう変わらない身長のキョンシーに一歩近付いて、両手で優しくサングラスを上にずらした。
「ああっ、あかりなにするヨ!」
「やっぱり、神楽ちゃんだ」
黒いレンズの下から現れた見慣れた顔に微笑むと、神楽は慌ててサングラスを掛け直した。それを見た陰陽師姿の男は大きく溜め息を吐くとぐるぐるに巻かれた包帯を少しずらして、こちらもよく見知った顔を覗かせた。
「おい、言うんじゃねーぞ」
「ええっ、拝み屋でやり通すつもりなんですか?」
どうやらそのまま拝み屋として仕事を続けようとしているらしい銀時に、土方にバレでもしたらまた怒られるんじゃないかと説得を試みるも却下されてしまったあかり。ひとまず屯所の中を案内して回って、万事屋ではなく拝み屋を客間に通して近藤達を呼んだ。
拝み屋の三人と近藤、土方、沖田の前にお茶を置いて、入り口近くに座る山崎の隣にあかりが座ると、早速見回った報告をして「相当強力な霊が居て、除霊をするが料金は高くなる」と言い出す銀時。あんまり可笑しなことを言うと正体がバレてしまうんじゃないかと心配なあかりは、正座をし腰を落とした足の裏をそわそわと動かす。
そんなあかりのことなど気付く様子もなく、話はベルトコンベアだの工場長だの自殺した女だのと転換した末に、山崎に霊を降ろし除霊すると言い出すとじりじりと三人で囲い込む。
「あのっ、降霊ってなにを」
降霊術なんて出来る訳もないだろう三人が一体、何をどうしてこの場をやり過ごそうというのか。想像もつかないが何か酷い手段を用いるだろうという予感だけを確かに抱いたあかりが、山崎を取り囲む拝み屋に割って入ろうとしたその瞬間。キョンシーの一撃が見事にボディに打ち込まれて、山崎はぐったりと座り込んだ。そして、その後ろを支える三人。
霊が入ったという山崎をいっこく堂宜しく操るキョンシーであったが、霊の設定はグダグダ、山崎の背後で何やらコソコソと話し合い、その末に仲間割れの取っ組み合いになる三人。見かねたあかりが「落ち着いて!」と止めに入ろうとすると頭にぽんと何かが落ちてきた。
頭をバウンドして床へ転がったそれへ視線を移せば、そこにはキョンシーが被っていた帽子がぽつりとあって。身に纏っていた当人へ目を戻すとキョンシーだけでなく、陰陽師も弁慶も本来の姿を晒していた。
「悪気は無かったんです。……仕事も無かったんです」
「ごめんなさい。私がちゃんと止めなかったんです……」
数分後。
庭の木には仲良く逆さ吊りにされた三人と、そのすぐ隣で正座をするあかりの姿があった。
「あかりさんは拝み屋が旦那達だって知ってたんですかィ?」
「えーと、……はい」
「知ってて俺達に黙っていたと」
「……ごめんなさい」
止めていればこんな状況になってはいなかったかもしれないのに、自分だけが逆さ吊りを免れていることがまた申し訳なく感じ素直に謝罪をするあかり。そんな様子を近藤と縁側で眺めていた土方が「どうせ万事屋に口止めされたんだろ」と言うと、付き合わなくていいとあかりを呼んだ。
それから数分の時間を要して解放された三人は頭に血液が上ってしまったせいか、その場にぐったりと崩れた。
それに構ってもいられないため早々に消えろと言う土方だったが、折角見逃してもらっているのに幽霊騒ぎに本気になってとからかう懲りない銀時。続けて「トイレ一緒についていってあげようか?」などと言い出す神楽。しかし、怒られるかと思いきやトイレに行きたかったらしい近藤は、本当に神楽に同伴を頼んで行ってしまった。
そんな局長の姿も含め真選組の現状を話して「情けねーよ」と零す土方。幽霊が居るにしても居ないにしても、現状として隊の機能が損なわれているのは事実。茶化されながらも連日の有様や妙な気配について話していると、「そんな怪談ありましたね」と新八が昔通っていた寺子屋で流行った赤い着物の女の怪談を始めた。
思わぬ形で始まった怪談話にあかりが挙動不審になっていると近くに居た沖田が目の前に移動してきて、自分の両手をあかりの両耳へと宛てがい音を遮断した。
「ちょっと沖田くん、ウチの子になにしてるのかな」
「おや、旦那は知らないんですかィ。あかりさんは怖い話が苦手なんだ。ねぇ?」
そう言って、何を話しているのか全く以てわからないという表情で見上げてくるあかりに尋ねるように首を傾げる沖田。あかりは何のことだかさっぱりではあったが、耳をしっかり押さえられて余り動かない首の代わりに目線で頷き返す。
「そ、それくらい銀さんだって知ってますぅ」
「大体、この中じゃ俺が一番……」とぶつくさ言い出す銀時に、話の流れが止まったことに舌打ちをする土方。それを聞いて咳払いをひとつして仕切り直そうとする新八。
「メガネはさっさと話進めろよ。腕が疲れるだろィ」
「アンタが止めたようなモンでしょうが!!」
そうして何とか新八の怪談話が再開され無事それがオチに辿り着こうかというところで、両耳を塞がれたあかりでもはっきり聞こえるほどの叫び声が屯所に響き渡った。すぐさま声のした方へ走っていく銀時達に遅れてあかりも駆け出し、着いた先はトイレ。丁度そこで土方がドアを蹴破っているところだった。
そこには声の主である近藤が。いや、近藤らしい人物が居た。なぜ「らしい」人物なのかといえば、それは便器に頭を突っ込んでいて顔が分からなかったからである。
*****
とうとう局長である近藤までもが怪奇の餌食となってしまった。
他の隊士達と同様にぐったりとしてうなされる近藤を介抱し、今後について考える一同。そんな中、あかりが短く声を上げて立ち上がった。
「ん?どうしたよ」
「あ、はい。洗濯物を取り込むのすっかり忘れてしまっていて。ちょっと行ってきますね」
銀時に尋ねられそう答えたあかりの言葉を受け外を見れば、もう殆ど日は沈んでしまっていた。すぐ戻ってくると言い残して部屋を後にするあかり。すると、近藤の側に付いていた土方もおもむろに腰を上げる。
「お前はどこ行くんだよ」
「関係ねーだろ……タバコだよタバコ」
隊服の胸ポケットからくしゃりと歪んだ紙箱を出して言うと土方も部屋を出て行った。
薄暗くなってきた廊下を進んで南からの日がよく当たる庭へ行くと、あかりがせっせと洗濯物を取り込んでいた。両腕でギリギリ持てるくらいまで抱え込んで縁側に置くと、そこへ来ていた土方に漸く気付く。
「あれ、土方さんどうしたんですか?」
「ちょっと外の空気とこいつを吸いにな」
そう言って一本取り出したタバコを咥えて火を点ける土方。あかりは「そうですか」とだけ言うと作業に戻った。
*****
「あれ、銀さんはどこ行くんですか?」
あかりと土方が部屋を出て20分程が経った頃。席を立った銀時に新八が尋ねると「便所だよ便所」と面倒そうに頭を掻いた。
「銀ちゃん、ついて行ってやろうか?」
「ゴリラみたいに」と余裕たっぷりの神楽に言われた銀時は、即座にそれを断りピシャリと襖を閉めた。
「……ったく、どんだけ長いタバコだよ」
そもそも他人が居てもお構いなしにタバコを吸うだろう土方がわざわざ席を外す時点で可笑しいのだ。言い訳じみている。そんなことを思いながら、トイレとは全然違う方向に歩く銀時。少し歩くと廊下の向こうから話し声が耳に入る。
別にコソコソする必要なんてないのにそれを聞いた途端、足音をなるべく殺し廊下の角を利用してそうっと窺う体勢になってしまった銀時。そんな自分に呆れながらも、廊下の先の話し声に耳を傾ける。
「お前、怪談苦手とかいう割にはよく一人で来たな」
「へ?」
取り込んだ洗濯物を畳む作業に移っていたあかりは脈絡なく土方に言われ、まぬけな声で返事をする。「さっき怪談話になった時、耳塞がれてただろうが」少し呆れたように言う土方に、先程のことを思いだし「ああ」と手を止めるあかり。
「洗濯物が冷たくなっちゃうと思ったらつい。でも、怖い話が得意じゃないのは本当ですよ。だって、怖いって分かってるじゃないですか」
「そりゃ、怖い話だからな」
「……考えてみれば、今まで幽霊なんて見たこと無かった私にはご縁がないのかもしれませんし」
独自の怖がる基準を展開するあかりにさっぱりだという顔で「そりゃ、結構なこった」と小さく笑顔を零した後、もう何本目かの短くなったタバコの煙を一気に吸い込んで灰皿へ押し付ける土方。
「しかし、これからどうするか……」
溜め息混じりにそう言う土方。あかりは最後の洗濯物を畳み終え山の一番上に重ねると、「大丈夫ですよ」と微笑みながら振り返った。
「銀さんが何とかしてくれます。拝み屋ではないですけど、万事屋ですから」
「何でもござれです」と胸を張る姿からは、彼女が銀時に対して確かな信頼を寄せていることがわかる。万事屋での生活を聞く度に、さっさと金を貯めて出て行った方が良いのではと思う土方だったが、こんな顔を見るとあかりは望んで居るのだということが分かってしまう。土方がそんなことを考えている間に、大きな洗濯カゴに畳み終えた衣服を入れたあかりが立ち上がった。
「では、私はお先に失礼しますね」
「って、どこ行くんだよ」
「洗濯物をそれぞれの部屋の前まで届けにですが」
「そんなことまで……してたな」
「一体どれだけあって何部屋回ってるんだ、そんなこと自分達でやらせろ」と言葉にしかけたところで、自分の部屋にもいつも届けてくれていたことを思い出した土方。己の身に言葉の刃が返ってくる様が見えて言いよどんだ。
「回り終わったら近藤さんのところへ戻りますね」と言って歩き出したあかりを追って、持っていたカゴを奪い取る。よく乾いた洗濯物も枚数がかさめばそれなりの重さがあって、思わずこれを抱えていた彼女を見てしまう。
「ちいせーな」
「ん?何がですか?」
「いや、……さっさと終わらせるぞ」
「はいっ」
今度は歩き出した土方を追ってあかりが隣に並ぶ。その顔は嬉しそうで、何か話すと答える土方もまた小さく笑っているように見えた。あかりが自分を信頼してくれている嬉しさと、家以外でも居場所が出来始めているという事実の何とも言えない感覚を味合わさせられた銀時。
「あー、なんか、出るもん引っ込んじまったな」
誰にでもなくそう言い訳をすると元来た道へと引き返していった。
*****
昼間に近藤が襲われてからすっかり日も暮れ、外は真っ暗になっていた。何か情報が聞き出せないかと思っても、近藤も他の隊士同様にうなされまともに話が出来る状態ではない。幽霊か不審者かも分からない現状、どういう手段に出ればいいのかも見当が付かず、ただただ待機しているしかない。そんな状況の中、遂に痺れを切らしたのか銀時が行動に移す。
「アホらし。付き合いきれねーや。オイ、てめーら帰るぞ」
しかし、それは立ち向かうこととは正反対のものだった。
「か、帰るって、銀さんっ?」
想定もしていなかった銀時の発言に止めなくてはと、陰陽師姿の着物の裾を掴んだあかりは銀時の動きにつられそのまま一緒に立ち上がった。
「え?」
「なんですかコレ?」
途端、首を傾げたのはあかり。冷静に疑問を口にしたのは新八。そして、しっかりと銀時によって繋がれた自分の左手を神楽は見ていた。
「なんだコラ。てめーらが恐いだろーと思って、気ィつかってやってんだろーが。あかりも手を離さないよーに」
「あ、はい」
「銀ちゃん。手ェ汗ばんでて気持ち悪いアル」
付き合ってられないから帰ると言い出した銀時だったが、何やら様子が可笑しい。それを感じてこの場に居るあかり以外の全員が、何か言いたげな視線を銀時に送る。すると、そんな沈黙を一人の人物が消し去る。
「あっ、赤い着物の女!!」
瞬間、大きな物音が上がる。そして、あかりの手からは掴んでいた裾の感触が無くなっていた。
「……何やってんスか銀さん?」
「いや、あの、ムー大陸の入り口が……」
物音の元を辿ればそこには、襖を飛ばして押入れに頭から突っ込んだ銀時の姿があった。新八の問いに答えてはいるが、理由だとは到底認められないような言い分だ。
「旦那、アンタもしかして幽霊が……」
「なんだよ」
「土方さん、コイツは……アレ?」
思わぬ形で発見された新事実を土方に話そうと彼が座っていた方へ首を回す沖田。しかし、そこに土方の姿はなく、ガタガタと物音のする方へ目をやれば、床の間の大きな壷に頭を突っ込む真選組副長の姿があった。
「土方さん、何をやってるんですかィ」
「いや、あの、マヨネーズ王国の入り口が……」
そして、銀時を見ていた時と同じ意味合いを含ませた視線で壷から顔を出した土方を見る沖田、新八、神楽の三人。示し合わせたわけでもないのに三人揃って背を向け歩き出す。三人の理解と行動に一足遅れたあかりが、銀時と土方の行動理由に漸く気付き「ああ」と声を上げると、銀時が立ち去ろうとする三人を引き留めた。
「待て待て待て!違う。コイツはそうかもしれんが、俺はちがうぞ!」
「びびってんのはオメーだろ!俺はお前、ただ胎内回帰願望があるだけだ!!」
「わかったわかった。ムー大陸でもマヨネーズ王国でも、どこでもいけよクソが」
「なんだ、その蔑んだ目はァァ!!」
自分は違うと言う銀時にすかさず反論する土方。そんな二人に全く取り合う気のない顔で神楽は吐き捨てると「ほら、あかりも行くアル」と、関わっちゃいけませんとでもいう具合にあかりの右手を取った。
しかし、あかりの手を取ったままピタリと神楽が止まり「ん?」と首を傾げる。驚かすつもりだろうがその手には乗らんと言う銀時にも答えず、神楽だけでなく新八と沖田も同様に固まる。三人には一体なにが見えているのだろうとあかりが振り返ろうとするも、それは繋がれていた手を強く引かれたことで叶わなかった。
「か、神楽ちゃんっ?」
「どうしたの?」という声も走り出した三人の絶叫に掻き消され、あかりはただ先へ先へと引っ張られる手に身体をついて行かせるだけで精一杯だった。
部屋を飛び出し廊下を駆けていると、さっきまで自分達が居た部屋に残された銀時と土方の悲鳴が響いた。「見ちゃった!」と繰り返す新八に、銀ちゃんと叫びながらも立ち止まらない神楽。
「ね、ねえっ、なにがどうなってるの?銀さんと土方さんはっ?」
「奴らのことは忘れろィ、もうダメだ」
「ちょ、沖田さん、それって」
どういうことかとあかりが言い切る前になにかを破壊するような大きな音が上がって、続いてドドドドと廊下を駆ける足音が近付いてきた。二人が無事だったことにひとまずは安心したあかりが合流できないかと少しスピードを落とすと、それに気付いたのか神楽に引かれていた手とは反対の手を掴まれる。
「いいから走れィ」
それは左隣を走っていた沖田で、あかりは二人に両手をぐいぐいと引かれ連行されるように屯所の中を駆け抜けた。
*****
屯所の端にある蔵に身を隠し腰を下ろすと、再び悲鳴が響き渡った。今度こそやられたと頭を抱える新八に、特に動じる様子はなく蚊取り線香をつけ出す沖田。
「銀ちゃん死んじゃったアルか?ねえ、死んじゃったアルか?」
「銀さんと土方さんだよ?絶対に大丈夫だよ!」
膝を抱えて肩を落とす神楽を抱き締めるようにしてあかりが頭を撫でていると、突然、土方を亡き者にするべく妖魔を呼び出そうとしたことがあったとカミングアウトをする沖田。瞬間、元凶はお前かと小さくなっていた神楽が沖田に掴みかかる。
仲裁する新八の声も聞かない二人を落ち着かせるためあかりも止めようとすると、新八が唐突に叫び声を上げて土下座の体勢で何度も頭を地面に打ち付け謝りだした。それをしている先はどう見ても蔵の扉だ。どうしたのかと尋ねる暇もなく神楽と沖田の頭を掴むと自分と同じように頭を下げさせる新八。そんな様子にあたふたしていると「あかりさんも取り敢えず謝ってください!」と言われ、訳も分からぬままあかりも三人に並んで頭を下げた。
新八からの許しが出るまではこのままの方がいいのだろうかと大人しくしていたあかりに、さっきまで謝りながらなにか交渉をしていた新八が静かになる。体勢はそのままにそっと視線を横にずらして窺うと、新八は急に頭を叩き付けられ倒れた沖田が持つ蚊取り線香を見つめていた。
「新八くん?」
「……あかりさん、寝込んでいる人達に共通点ってありませんか」
「共通点?赤い着物の女と……症状でいうと、この暑さなのに汗は冷や汗で、貧血みたいに顔色が悪くなった……かな」
「僕、ちょっと確認してきます!」
「え、新八くんっ?」
事件の真相についてなにか掴んだのか、新八は急いで元来た道を戻りだした。頭をぶつけ気を失う神楽と沖田には申し訳ないと思いながらも、あかりも新八の後を追って隊士達を休ませている部屋へと戻った。
戻ってきてすぐ、入り口近くの隊士の身体を確認した新八は確信を得たのか大きく頷いた。そして、隊士の首筋にあった傷を見せると他の隊士にも同じものがないかと、手分けして確認を始める。
「やっぱり、思った通りだ。そっちはどうですか?」
「うん、こっちも。新八くんの言った通り、皆さん大きい虫刺されみたいな痕が」
まさかこれが寝込んでしまった原因だったなんてと驚きながらどうして分かったのかとあかりが聞くと、自分達を蔵まで追いつめた幽霊が中に入って来なかったことが不自然で、その時の状況からもしかしたら蚊取り線香を避けたのかもしれないと思ったと新八。
「それじゃあ、赤い着物の女っていうのは……」
「はい。あれは、幽霊なんかじゃない」
相手が幽霊じゃないと分かれば、対抗する手段がないと恐れることはない。となれば善は急げだ。
「あかりさんっ?」
「銀さんにこのこと伝えてくる!」
そう言ってあかりは銀時を探して駆けだした。
何処を探せばなんて考える必要もなく騒がしい池の辺りへ行くと、あかりは銀時の姿を見つけることができた。しかし、そのすぐ側には一緒に逃げていたはずの土方と、この一件の犯人らしき赤い着物の女性が二人仲良く倒れ込んでいる。
「……っていうことを伝えに来たんですけど、何ですかこの状態は!」
「遅ぇんだよ、来るのが」
どうやらこの事件の結末は、真相云々を抜きにして銀時によって強制終了されてしまったらしい。
*****
一夜が明けた真選組屯所。
昨日の日中、銀時達が吊されていた木には今回の騒動の元凶であった赤い着い物の女が逆さに吊されていた。
聞けば、蚊のように血液から栄養を取れる天人である彼女は不倫関係にあった会社の上司の子供を身籠もるも、家庭のある相手に迷惑はかけられないと一人で育てることを決意。そして、子供のためにと血を求めていたところで、血気盛んな男の集まるこの真選組屯所に辿り着いてしまったとのことだった。
「じゃあ、お腹の中にはお子さんが?ダメですよ近藤さん、妊婦さんを逆さ吊りなんて!」
「いや、そうは言われてもなあ……」
縄は解けないものの逆さ吊り状態からは解放してもらった彼女に寄り添い話を聞き出すあかり。仕舞いには「天人の方でも受けられるサポート制度みたいなものって無いんでしょうか?せめて子育てが落ち着くまで……」などと言い出すあかりに、弱ったなあと頭を掻く近藤。
「ありゃあ、近藤さんの負けだな。お人好しにも程があんだよ、ウチの大将もアイツも」
結局、断りきれない近藤が意に添ったものになるかは分からないが行政に確認をしてくれることになり、天人と喜びを分かち合っている様子のあかりを縁側から遠目に見る土方。呆れた風にしているが満更でもない様子の土方を、寝転びながらチラリと見た銀時。
「まあね、ウチのあかりちゃんは優しいからね」
土方が何の気無しに口にしていたそれだったが、「ウチの」という部分を若干強調して返してきた銀時。変なところに食いついてきたなと土方が銀時の方を見ると、相変わらずの生気少なめな瞳で物言いたげにこちらを睨んでいた。
「ま、精々、愛想尽かされないようにするんだな」
「はあ?何で俺が。愛想尽かされるってんなら、こんなむっさいトコのが先だろ。その上、幽霊にびびってるような情けない野郎が副長ってんだからな」
「ああ?そっちこそ、いつまでも家事手伝いしてもらえると思ってんじゃねーよ。つーかお前だろビビってたのは」
ほんの数時間前の自分の失態などまるで無かったように互いの情けなかった様を言い合う二人。すると、その二人のすぐ後ろの部屋の襖が素早く開き、声を掛けられる。瞬間、襖を開けた人物の視界から姿を消す二人。
「銀さーん!無事に事件を解決出来たのも銀さん達が協力してくれたお陰……って、あれ?神楽ちゃん、二人ともどうしたの?」
天人女性の件も何とか取り計らってもらえることになり、報告とお礼をと駆け寄ってきたあかりが見たのは、縁側の下に仲良く頭を突っ込む銀時と土方の後ろ姿。「いや、コンタクト落としちゃって」とこれまた仲良く言葉を重ねた二人に「あれ、二人ともコンタクトなんてしてたっけ?」とあかりが首を傾げると、縁側でしゃがみ込んで二人を見下ろしていた神楽があかりの方へ向き直り口を開いた。
「こんな肝っ玉の小さい男共にあかりは任せられないアル。ダイジョーブ、あかりのことは私が守るから」
「え?えーっと、ありがとう神楽ちゃん」
話は見えてこないが頷いてみせれば神楽は自信満々に微笑んで、そんな彼女の映る視界の下の方では地面に伏せていた二人がのそりと起き上がった。二人が服についてしまった砂を叩いていると、新八が「そろそろ帰りましょうよ」とこちらに駆けてくる。
「だな。こんなとこさっさとおさらばすっぞ」
「銀ちゃーん、私お腹空いたヨ」
落ち着いてみれば一睡も出来ず、しかも、ドタバタで夕食を食べ損ねたことを身体が思い出したようでドッと疲れた表情になる銀時。神楽も一食分を取り戻さなければというようなことを言いながら、気怠げな足取りの銀時の後に続く。
「なに突っ立ってんだよ、お前も帰るぞ」
「え、帰りませんよ?」
少し歩いたところで自分について来ていないあかりに気付き銀時は呼んだが、「真選組はこれからお仕事ですから」と返され眉間に皺を寄せた。近くでそれを聞いた土方も、まさかあかりがこのまま一日を始めようとするとは思いもしなくて驚く。
「おい、今日はいいから、万事屋と帰れ」
「え、でも」
「途中で倒れられたりしても迷惑だ」
「……はい」
迷惑だと断られあからさまに肩を落とす姿に少し語気がキツかっただろうかと小さな後悔をしかけた土方、しかし次の瞬間には「あ、じゃあ、朝ご飯の準備だけでも!」と顔を上げたものだから、それを押さえ込むようにあかりの頭に手を乗せた。
「いいから帰れ。寝ろ」
「うー……分かりました」
流石に押し切ることは不可能だと感じたあかりは渋々了承すると一度荷物を取りに戻ってから、「土方さんもしっかり休んでくださいね」と言って銀時達の待つ屯所の門まで駆けていった。
待たされた文句でも言っている様子の銀時に笑顔で言葉を返すあかり。そして、ポケットからハンカチを取り出すと背伸びをして身を寄せ、それを銀時の頬にあてる。さっき地面に伏せている時にでも汚れたのだろう。銀時も拭きやすいようにと少し身を屈めると一瞬だけ二人の間が狭められ、あかりは浮かせていた踵を地に下ろした。
そんなやり取りを終え帰って行く万事屋一行の後ろ姿をぼうっと眺めた後、土方は欠伸を噛み殺しながらタバコに火を点けその場を離れた。
「……夏だなあ」
洗濯物を干し終え額の汗を拭いながら空を見上げたあかりはそう呟いた。祭りの日からはまた少し日が経ち、季節はすっかり夏らしくなっていた。
第5話 彼女の望む場所について
「全く……ここまで暑いと殺意が沸いてきまさァ」
「あ、沖田さん」
縁側から声を掛けた沖田はそう言いながら、首元のスカーフを僅かに緩めた。
「隊服は暑そうですね。夏服みたいなものって無いんですか?」
「一時期ジャケットをノースリーブに改造するのが流行ったが、すっかり廃れましてね」
「え、嘘ですよね?」
袖口ギザギザのノースリーブジャケットを着る隊士、特に土方の姿を想像して疑わずにはいられないあかり。そんなあかりの心の内が読めたのか、「少なくとも近藤さんは着てやしたぜィ」と沖田は笑った。そして、丁度日陰になっていた縁側に腰を下ろすと未だ燦々と照りつける太陽の下に立っていたあかりを手招きした。
「何ですか?」とあかりが駆け寄れば、突然頬にヒヤリとしたものが当てられる。反射的に飛び退きそれを見れば、誰もが小さい頃に食べたことがあるであろう、パキッと割ってチューチューするアイスが握られていた。
「わあ、なんだか懐かしいですね!」
「どーぞ」
「ありがとうございます、いただきます!」
アイスに目を輝かせるあかりの前でそれを二つに割ると沖田は片方を寄越した。素直に受け取って礼を言うと隣に座り口をつけるあかり。
二人でアイスを食べながら、色が幾つかあるけど味の違いが分からないとか、たまに上手く割れなくて片一方の口がラッパみたいになるとか、大して量も変わらないのに尻尾がついた方の争奪戦になるとか、そんなあるあるを話しながらもう殆ど無くなったそれを咥えていると土方が通りかかった。
「なに堂々とサボってやがる」
そう言いながら土方はあかりの隣に座った。そして、「土方さんもサボる気満々じゃねーですか」と言った沖田をじろりと一瞥すると乱暴に頭を掻いた後、首の後ろに手をやり溜め息を吐いた。その様子から彼が事務仕事に追われていたことが分かったあかりは席を立ち、お盆に麦茶を入れたポットとコップ、灰皿などを乗せて戻ってきた。
「一段落というところですか?お疲れ様です」
「まあな」
しっかり氷も入れてきたコップに麦茶を注いで差し出せば、二人は喉を鳴らして潤した。まるでCMみたく気持ち良く飲み干す二人を見て自分も飲みたくなったあかりは、同じように氷で更に冷たくなった麦茶を一気に流し込んだ。そして、もう一つ持ってきたあるものを二人に渡す。
「土方さん、沖田さん、これもどうぞ」
「タオルか?……おお、冷てーな」
「あー、これ、すんげー気持ちいいでさァ」
あかりが渡したのは冷水に浸けてから軽く絞ったタオルだった。沖田は手にとってすぐ目元にそれを被せるとそのまま寝転び、土方も最初は同じく酷使しただろう目元に当てた後、それを首に回しタバコに火を点けた。
「確かに、こりゃあ良いな」
「よかった、気持ち的にもいくらかは涼しくなりますよね」
二人が喜んでくれたことに安心してあかりが再び元の位置である沖田と土方の間に座ると、左隣で寝転んでいた沖田があかりの手を取った。
「ああ、やっぱり。あかりさんの手もいい感じに冷えてら」
「タオルを絞っていたからですかね」
にぎにぎとされる感触がこそばゆくて笑ってしまいながらも、そんなことをする沖田がどこか可愛く感じられてあかりはされるがままでいた。すると、右隣の土方が「最近、万事屋の方はどうなんだ」と尋ねた。
「いつも通りと言えばそれまでですけど……そうだ、この前みんなが仕事とはいえ海へ行っててちょっと羨ましかったです!」
あかりは先日、仕事途中に銀時達が長谷川と海へ宇宙生物退治へ行くという知らせのメールがきたことを話し、「何か夏らしいことしたいですねぇ」と零した。
それから三人はあかりが昼食の準備に行くまでの間、麦茶を飲みながら特に生産性のない会話を適当に繰り広げて、茹だるような暑さから逃避したのだった。
*****
昼食の後片付けも済ませ細々とした雑事にも粗方手が回ったところで、あかりは日用品など足りないものがあるという隊士達の声を聞いてリストアップしたメモを手に買い出しへ行くことにした。時刻は午後の2時を過ぎた辺りで夏の日差しはまだまだ容赦ない熱を持っていたが、日差しが弱まるまではまだ大分時間が必要だし仕方がないと町へ繰り出す決意をした。
「うん。これで全部、だよね」
幾つかの店を梯子しリストの物を買い揃えたあかりの両腕には、普段ではそう一杯にならない買い物用のトートバッグが二つ、一杯一杯になってぶら下がっていた。
「は、早く帰ろう……」
この両腕のずっしりとした負担から一刻も早く逃れるべく足取りを速めようとしたその時、不意に左腕からその重みが消え去った。突然なくなったものだから、右腕の荷物の重みで僅かに崩れたバランス。それを何とか踏ん張って堪えながら荷物の消えた左腕の方を見ると、そこにはさっきまであかりが拳に力を入れて持っていたトートバッグを軽々と手にする沖田が立っていた。
「あれ、沖田さん?」
「見廻り帰りに見かけたもんで」
そう言うとあかりが確認していたメモを取り上げて、そのリストに目を滑らせ「なんだこりゃあ。こんなもんてめーで買いに行けってんだ」とくしゃくしゃに丸めた。あかりはそれを慌てて取り戻して広げると、折り目正しく畳んでポケットに仕舞った。
「皆さん忙しいんですよ」
「暑くて動きたくないの間違いだろ」
「まあ、そうだとしても、お仕事や訓練でお疲れな訳ですし」
「沖田さんも細かな事は言ってくれていいんですよ?」と微笑むあかりにもはや同情を通り越して呆れた沖田は、あかりが持っていたもう片方の荷物も奪い取って歩き出した。
「お、沖田さん。一つでいいですよ!」
両方なんて申し訳ないとあたふたするあかりの声に耳を傾けることなく沖田は進んでいくと一件の茶屋の前で立ち止まり、一度隣に立つあかりの顔を見てから何も言わないまま躊躇なく暖簾を潜っていってしまった。
「えっ。ちょ、沖田さんっ?」
あかりも急いで店内に入る。一歩足を踏み入れれば外との温度差に一瞬背筋が震えて首を竦める。先に入っていった沖田を探すと、既に席へ案内していく店員の後ろを歩いていた。
席に着き出されたお冷やを流し込んで「生き返ったぜィ」という沖田の向かいに座ってあかりが見つめていると、「ちょっと休憩していきやしょう」とテーブルの脇に置かれたメニューを眺めてさっさと注文してしまった。まあ、もう席には着いてしまったし、一度この涼しさを味わってしまっては出ることなんて出来ない。「ちょっとだけですよ」なんて口では言いながらあかりは笑った。
「わあっ、白くまに……沖田さんのは何ですか?」
「あんみつ氷でさァ」
五分ほど待ったところでテーブルの上に運ばれてきたのは、ふわふわの氷に真っ白な練乳が掛かり更にその上には小豆やフルーツ、アイスまで乗っている白くま。そして、氷の中に寒天や蜜豆が散りばめられ、上には白玉やアンコ、抹茶アイスなどが乗せられ隣には黒蜜を入れた小さなピッチャーが添えられているあんみつ氷なるものだった。
目の前の甘い宝石に見とれるあかりを余所に食べ始めた沖田は「さっさと食わねーと溶けちまいやすぜ」と勧め、あかりもスプーンを手に取り食べ始めた。
「うーんっ、美味しいです沖田さん!」
「しあわせ」と書いてあるような表情を浮かべて頬に左手を添えたあかりに、お手頃価格な幸せだと沖田は笑った。それから少し食べ進めていく内に、あかりからの視線に沖田は気付く。
「……」
「……あかりさん」
「えっ、はい!」
「……欲しいんですかィ?」
自分の前のあんみつ氷をスプーンで指し示すようにして沖田が尋ねると、あかりは勢いよく視線を白くまに戻してシャクシャクとつついた。
「い、嫌だなあ沖田さんっ。そんなに卑しん坊じゃないですよ!」
図星を突かれた動揺を隠すように忙しなく白くまをつつくあかりに笑いを堪えながら、「そろそろコイツをかけるかな」と言って沖田はピッチャーに入った黒蜜を回し掛ける。ちらりと沖田があかりの様子を窺えば彼女の手は止まり、アイスや氷の上をゆっくりと流れ落ちていく黒蜜に目を奪われていた。その表情に遂には耐えられなくなった沖田は噴き出してしまう。
「分かった、分かったからあかりさん、その顔やめてくだせェっ……」
「ええっ、そんなに酷い顔してましたかっ?」
左手で顔を覆うようにして堪えきれない笑いを零す沖田を見て、恥ずかしさで顔を真っ赤に染めたあかりは両手で顔を隠した。それから、一頻り笑いを消化したらしい沖田は氷と黒蜜のたっぷり掛かった白玉、アイスを器用に一掬いにして、未だ顔を隠すあかりに差し出した。
「どーぞ」
「い、いいんですか?」
ゆっくりと両手を解いて目の前に差し出された小さなあんみつ氷と沖田とを交互に見たあかりは、そっとそれを口に含んだ。途端、目を大きく開いたかと思えば次の瞬間には噛みしめるような顔で瞼を閉じ、頬でも落ちそうなのか両手でそれを留めるようにして添えた。
「沖田さん」
「ん?」
「……とっても美味しいです」
「でしょうね」
「そんな顔しといて不味いなんて言われたらそれこそ驚くってもんだ」と言って、沖田は自分も黒蜜をかけた部分を一掬いして味わうと、うん、と頷いた。それからまた二人が少し食べ進めた頃、今度はあかりが自分の方へ送られてくる視線に気が付く。
「沖田さん?」とあかりが窺えば、白くまへ真っ直ぐ注がれていた沖田の目線がスッと上がり、短く視線が交わった後に瞼を伏せて口を開いた。そして、戸惑うあかりを気にすることなく瞼もそのままに「あかりさん、フェアにいきましょう」と言う沖田。
もう、一口貰ってしまったという既成事実がある以上、あかりに断るという選択肢は無いも同然だった。沖田が自分にしてくれたように、一掬いに小豆やフルーツも乗せてゆるゆると差し出した。
「えーっと……あ、あーん」
「あー」
目を伏せたままの沖田があかりの声に合わせて開けていた口を更に大きくすると、こんもりと掬った白くまはすっかり収まって、閉じられた唇によってその姿を隠した。前に倒していた身体を背もたれへ戻す沖田の口から解放されたスプーンには、当たり前だがほんの数秒前まで存在した白くまは居なくなっていた。
相手のスプーンで貰う一口の時よりも、あげた一口の後の方が何だか口にしにくいような……などとあかりが感じていると、「こっちも美味いな」と白くまを味わった沖田が停止しているあかりに「どうかしやしたか」と声を掛ける。
「い、いえ、何でも。白くまもあんみつ氷も美味しいですね」
沖田の顔が別に何の気なくといった具合であったため、あかりは少しでも気にしてしまった自分に恥ずかしさを感じて、白くまを崩す動作を繰り返しながら取り繕うようにして微笑んだ。
*****
食べ終えて茶屋を出ると身体に籠もっていた熱が解消されたのか、外の暑さもそれほど堪えないようになっていてあかりは清々しい心持ちになった。
「すみません、ご馳走になってしまって。とっても美味しかったです」
会計を支払ってくれた沖田にあかりがお辞儀をすると、自分の休憩に付き合わせただけだから、という風に言いながら一寸、あかりの顔を観察するような視線を送ると荷物を持って歩き出した。そんな沖田に「荷物は片方くださいって」とあかりも続いた。しかし結局、荷物を返してもらえなかったあかりは手持ち無沙汰となった両手を身体の前で合わせて隣を歩く。
「傾いてきた、というにはまだ少し早いですけど、さっきよりも日が高くなくて楽ですね。白くまですっかりリフレッシュされましたし」
ふと空を見上げながら天辺近くにあった太陽からの日差しが角度をつけていることを感じてから、視線を足下へずらし影が伸びていることを確かめてあかりは言った。
「そうですねィ。あかりさんさっきは茹でタコみたいな顔してましたから」
「えっ、そんなにでしたかっ?」
確かに暑さは堪えていたがそんなに酷かったのかとあかりが思わず空いている両手で頬を覆うも、今はなんて事無い普通の体温だ。そして、そこではたと気付く。
「沖田さん、だから休憩してくれたんですか?」
荷物を取り上げ有無を言わさず休憩に持ち込んだ沖田を思い出しそう尋ねれば、彼は「はて」ととぼけてから「あかりさんに倒れられれでもしたら五月蝿そうな人が居るんでね」と苦々しい表情で返した。「五月蝿そうな人」という単語に思わず大袈裟に心配してくれそうな近藤の姿を想像したが、沖田の嫌そうに発した様子を見ればそれも違うように思えてあかりは首を傾げる。
誰のことだろうと考えるあかりを横目に見た後、目線を進行方向に戻して「祭りの翌日、五月蝿かったでしょ」と沖田。記憶の引き出しの在処を辿り「お祭りの次の日……」と呟いて数歩ほど進むと、引き当てたらしくあかりは「あ」と声を洩らした。
「土方さんでしたか」
「五月蝿かったでしょう?」
念を押すようにもう一度そう言われ、あかりは探り当てた記憶を確認した。
晋助と祭りに行った日。その記憶は途中から夢か本当か分からないものとなってしまったが、眠ってしまった自分が銀時に引き渡されたことは聞いた。そして、翌日に屯所へ行くと眠っていたその時に土方らに会っていたらしく、どうして銀時達と居なかった、何か巻き込まれていたんじゃないかと酷く心配されたのだ。
「また倒れたりすれば、あかりさん……監視でも付けられ兼ねねぇだろうなぁ」
「いや、流石にそんな本末転倒な人員は割かないと思いますけど……」
「どうだか」
「それより私は、あのお祭りで事件があったことを知らなかったので驚きましたよ」
どうしてこんなに心配されているのだろうと尋ねてみれば、祭りの終盤で事件があったとその時に聞かされ驚いたことを言うあかり。しかし、「まあ、大したことない騒ぎだった」と沖田は軽く答えたのであかりも「皆さんに怪我がなくて良かったです」と返して終わった。
そこから暫く取り留めのない会話をしながら歩いて屯所も近くなった頃、「そういや、あかりさん、何か夏らしいことしたいって……」と沖田が切り出した。それを聞いてすかさず期待を込めた眼差しで「何かするんですか?花火とかですか?」と沖田の顔を覗き込むあかり。
「いや、稲山さんによる評判の怪談話が……」
「えええ、遠慮しておきますね!!」
屯所でも出来そうな夏らしい楽しげなことを幾つか想像していたあかりは、確かに夏らしくはあったが予想に反したその催し物を即座に断り早足で先を急いだ。そんなあかりの歩みにも歩幅を少し広くするだけで並んだ沖田は飄々とした顔はそのままに、でも少し愉快そうな雰囲気を感じ取れるような声色でさっきの彼女と同様に覗き込んだ。
「おや、あかりさんは怪談はお嫌いで?」
「べ、別に嫌いとかじゃないですよっ。でも人生に必要かって聞かれれば別に必要ないかなあ……なんてっ」
「怖いんですね」
「ほ、ほら、怪談ってことは夜ですもんね。帰りが遅いと銀さんに心配をかけてしまいますし!」
「怖いんですね」
「……」
「怖いんですね?」
「……はい。苦手です」
問答を繰り返した末、あかりは諦めたようにその場に立ち止まり白旗を揚げた。そして、実際に居るかどいうかということよりも、怖がらせること驚かせることを前提とした怪談やお化け屋敷が苦手だと続けた。
「まあ、普通っちゃあ普通の感覚なんでねぇですか?」
「そう、ですか?」
あかりに白状させた割には「怖い思いをするビックリさせられる、それを分かっていて嬉々としてやるなんてアホなことするの暇人くらいでしょうよ」と、自分もさほど乗り気ではないようなことを言って覗き込んでいた顔をまた前方へ向き直し、沖田はゆっくりと歩き出す。てっきり茶化されでもするのかと思っていたあかりは、僅かに肩透かしを食らったような気分を味わいながら隣へ並んで屯所へ戻った。
そんな話をした翌日からだった。
屯所で不可解なことが起こり始めたのは。
*****
「ひでーなオイ。これで何人目だ?」
「えーと、十八人目でさァ」
「みなさん、同じ様な症状なんですよね……」
土方が口を開くと沖田が部屋を眺めながら答え、あかりはうなされて汗をかく隊士の額を拭いながら続けた。現在、三人の居る一室には布団が敷き詰められていて、そこかしこに寝込む隊士の姿があるという異様な光景が広がっていた。
沖田から怪談話に誘われた翌日。あかりがいつも通りに屯所へ来てみれば、もう最初の犠牲となった何人かが床に伏せていた。 血の気が引いた顔でぐったりとし、うなされながら「赤い着物の女」とうわ言を繰り返す。日々、江戸を守り鍛錬を積む彼らとはかけ離れた有様だ。 そして、それから一週間と経たない内に隊士の半分近くが同じ症状に襲われて今に至る。
医者に診せても病気ではないらしく過労と暑さでやられたのだろうと言われたが、状況は留まることを知らず悪くなる一方。遂には幽霊の仕業というのが有力な候補となり近藤がゴーストバスターズ的な何かを探してくるよう言い出す始末になっていた。
「局長!連れて来ました」
そして、この男、山崎は本当にそのゴーストバスターズ的な何かを連れて来たようで、「街で捜してきました、拝み屋です」と言って連れて来た三人を近藤に紹介した。
それを聞いて部屋から顔を覗かせた沖田と土方に続き、あかりも襖に手をかけ廊下の方を覗く。そこには顔全体を包帯で覆い笠を被った陰陽師とお昼の番組の司会者のようなサングラスをかけたキョンシー。そして何故か武蔵坊弁慶という、どう見てもちぐはぐな出で立ちの三人が立っていた。
当然、そんな奇天烈な様相の自称拝み屋をすぐさま信じられる訳もなく、土方は訝しげな視線を送る。すると、陰陽師のような男と小柄なキョンシーとが土方を見てはヒソヒソと何かを話して笑う。それに苛立つ土方を「まあまあ」とあかりが宥めていると拝み屋への依頼が正式に決まったのか、屯所の案内をするよう近藤はあかりに頼んだ。
「じゃあ、あかりちゃん。よろしく頼むな」
「あ、はい。じゃあ、えっと……拝み屋さん、ご案内します」
拝み屋の三人に屯所の中を見てもらう案内をするため向き合うあかり。しかし、どうにもその三人のサイズ感というか雰囲気というか、とにかく三人と対面して感じる圧倒的な既視感。
「……あの、拝み屋さんって」
「さあ、事態は急を要するようだからね!ちゃっちゃと行こうか、ちゃっちゃと!」
「え?ああ、はいっ」
あかりがそれを口にしようとすれば、陰陽師姿の男がその背を押してこの場から移動を開始する。押しやられるがままに歩き出した後ろから「じゃあ、案内が終わったら客間でなー」という近藤の声に何とか返事をしながら、あかりは廊下の角に姿を消していった。
「あの……銀さん達、ですよね?」
廊下を進み、もう会話が近藤達には聞こえないところまで来た辺りで立ち止まったあかりが振り返る。拝み屋の三人は見事に視線を三方に散らして逸らす。
「どういう経緯で今に至るのかは分かりませんけど、依頼受けちゃって良かったんですか?」
そう尋ねてみても誰も目を合わせてはくれない。あかりは小さく息を吐いて、自分とそう変わらない身長のキョンシーに一歩近付いて、両手で優しくサングラスを上にずらした。
「ああっ、あかりなにするヨ!」
「やっぱり、神楽ちゃんだ」
黒いレンズの下から現れた見慣れた顔に微笑むと、神楽は慌ててサングラスを掛け直した。それを見た陰陽師姿の男は大きく溜め息を吐くとぐるぐるに巻かれた包帯を少しずらして、こちらもよく見知った顔を覗かせた。
「おい、言うんじゃねーぞ」
「ええっ、拝み屋でやり通すつもりなんですか?」
どうやらそのまま拝み屋として仕事を続けようとしているらしい銀時に、土方にバレでもしたらまた怒られるんじゃないかと説得を試みるも却下されてしまったあかり。ひとまず屯所の中を案内して回って、万事屋ではなく拝み屋を客間に通して近藤達を呼んだ。
拝み屋の三人と近藤、土方、沖田の前にお茶を置いて、入り口近くに座る山崎の隣にあかりが座ると、早速見回った報告をして「相当強力な霊が居て、除霊をするが料金は高くなる」と言い出す銀時。あんまり可笑しなことを言うと正体がバレてしまうんじゃないかと心配なあかりは、正座をし腰を落とした足の裏をそわそわと動かす。
そんなあかりのことなど気付く様子もなく、話はベルトコンベアだの工場長だの自殺した女だのと転換した末に、山崎に霊を降ろし除霊すると言い出すとじりじりと三人で囲い込む。
「あのっ、降霊ってなにを」
降霊術なんて出来る訳もないだろう三人が一体、何をどうしてこの場をやり過ごそうというのか。想像もつかないが何か酷い手段を用いるだろうという予感だけを確かに抱いたあかりが、山崎を取り囲む拝み屋に割って入ろうとしたその瞬間。キョンシーの一撃が見事にボディに打ち込まれて、山崎はぐったりと座り込んだ。そして、その後ろを支える三人。
霊が入ったという山崎をいっこく堂宜しく操るキョンシーであったが、霊の設定はグダグダ、山崎の背後で何やらコソコソと話し合い、その末に仲間割れの取っ組み合いになる三人。見かねたあかりが「落ち着いて!」と止めに入ろうとすると頭にぽんと何かが落ちてきた。
頭をバウンドして床へ転がったそれへ視線を移せば、そこにはキョンシーが被っていた帽子がぽつりとあって。身に纏っていた当人へ目を戻すとキョンシーだけでなく、陰陽師も弁慶も本来の姿を晒していた。
「悪気は無かったんです。……仕事も無かったんです」
「ごめんなさい。私がちゃんと止めなかったんです……」
数分後。
庭の木には仲良く逆さ吊りにされた三人と、そのすぐ隣で正座をするあかりの姿があった。
「あかりさんは拝み屋が旦那達だって知ってたんですかィ?」
「えーと、……はい」
「知ってて俺達に黙っていたと」
「……ごめんなさい」
止めていればこんな状況になってはいなかったかもしれないのに、自分だけが逆さ吊りを免れていることがまた申し訳なく感じ素直に謝罪をするあかり。そんな様子を近藤と縁側で眺めていた土方が「どうせ万事屋に口止めされたんだろ」と言うと、付き合わなくていいとあかりを呼んだ。
それから数分の時間を要して解放された三人は頭に血液が上ってしまったせいか、その場にぐったりと崩れた。
それに構ってもいられないため早々に消えろと言う土方だったが、折角見逃してもらっているのに幽霊騒ぎに本気になってとからかう懲りない銀時。続けて「トイレ一緒についていってあげようか?」などと言い出す神楽。しかし、怒られるかと思いきやトイレに行きたかったらしい近藤は、本当に神楽に同伴を頼んで行ってしまった。
そんな局長の姿も含め真選組の現状を話して「情けねーよ」と零す土方。幽霊が居るにしても居ないにしても、現状として隊の機能が損なわれているのは事実。茶化されながらも連日の有様や妙な気配について話していると、「そんな怪談ありましたね」と新八が昔通っていた寺子屋で流行った赤い着物の女の怪談を始めた。
思わぬ形で始まった怪談話にあかりが挙動不審になっていると近くに居た沖田が目の前に移動してきて、自分の両手をあかりの両耳へと宛てがい音を遮断した。
「ちょっと沖田くん、ウチの子になにしてるのかな」
「おや、旦那は知らないんですかィ。あかりさんは怖い話が苦手なんだ。ねぇ?」
そう言って、何を話しているのか全く以てわからないという表情で見上げてくるあかりに尋ねるように首を傾げる沖田。あかりは何のことだかさっぱりではあったが、耳をしっかり押さえられて余り動かない首の代わりに目線で頷き返す。
「そ、それくらい銀さんだって知ってますぅ」
「大体、この中じゃ俺が一番……」とぶつくさ言い出す銀時に、話の流れが止まったことに舌打ちをする土方。それを聞いて咳払いをひとつして仕切り直そうとする新八。
「メガネはさっさと話進めろよ。腕が疲れるだろィ」
「アンタが止めたようなモンでしょうが!!」
そうして何とか新八の怪談話が再開され無事それがオチに辿り着こうかというところで、両耳を塞がれたあかりでもはっきり聞こえるほどの叫び声が屯所に響き渡った。すぐさま声のした方へ走っていく銀時達に遅れてあかりも駆け出し、着いた先はトイレ。丁度そこで土方がドアを蹴破っているところだった。
そこには声の主である近藤が。いや、近藤らしい人物が居た。なぜ「らしい」人物なのかといえば、それは便器に頭を突っ込んでいて顔が分からなかったからである。
*****
とうとう局長である近藤までもが怪奇の餌食となってしまった。
他の隊士達と同様にぐったりとしてうなされる近藤を介抱し、今後について考える一同。そんな中、あかりが短く声を上げて立ち上がった。
「ん?どうしたよ」
「あ、はい。洗濯物を取り込むのすっかり忘れてしまっていて。ちょっと行ってきますね」
銀時に尋ねられそう答えたあかりの言葉を受け外を見れば、もう殆ど日は沈んでしまっていた。すぐ戻ってくると言い残して部屋を後にするあかり。すると、近藤の側に付いていた土方もおもむろに腰を上げる。
「お前はどこ行くんだよ」
「関係ねーだろ……タバコだよタバコ」
隊服の胸ポケットからくしゃりと歪んだ紙箱を出して言うと土方も部屋を出て行った。
薄暗くなってきた廊下を進んで南からの日がよく当たる庭へ行くと、あかりがせっせと洗濯物を取り込んでいた。両腕でギリギリ持てるくらいまで抱え込んで縁側に置くと、そこへ来ていた土方に漸く気付く。
「あれ、土方さんどうしたんですか?」
「ちょっと外の空気とこいつを吸いにな」
そう言って一本取り出したタバコを咥えて火を点ける土方。あかりは「そうですか」とだけ言うと作業に戻った。
*****
「あれ、銀さんはどこ行くんですか?」
あかりと土方が部屋を出て20分程が経った頃。席を立った銀時に新八が尋ねると「便所だよ便所」と面倒そうに頭を掻いた。
「銀ちゃん、ついて行ってやろうか?」
「ゴリラみたいに」と余裕たっぷりの神楽に言われた銀時は、即座にそれを断りピシャリと襖を閉めた。
「……ったく、どんだけ長いタバコだよ」
そもそも他人が居てもお構いなしにタバコを吸うだろう土方がわざわざ席を外す時点で可笑しいのだ。言い訳じみている。そんなことを思いながら、トイレとは全然違う方向に歩く銀時。少し歩くと廊下の向こうから話し声が耳に入る。
別にコソコソする必要なんてないのにそれを聞いた途端、足音をなるべく殺し廊下の角を利用してそうっと窺う体勢になってしまった銀時。そんな自分に呆れながらも、廊下の先の話し声に耳を傾ける。
「お前、怪談苦手とかいう割にはよく一人で来たな」
「へ?」
取り込んだ洗濯物を畳む作業に移っていたあかりは脈絡なく土方に言われ、まぬけな声で返事をする。「さっき怪談話になった時、耳塞がれてただろうが」少し呆れたように言う土方に、先程のことを思いだし「ああ」と手を止めるあかり。
「洗濯物が冷たくなっちゃうと思ったらつい。でも、怖い話が得意じゃないのは本当ですよ。だって、怖いって分かってるじゃないですか」
「そりゃ、怖い話だからな」
「……考えてみれば、今まで幽霊なんて見たこと無かった私にはご縁がないのかもしれませんし」
独自の怖がる基準を展開するあかりにさっぱりだという顔で「そりゃ、結構なこった」と小さく笑顔を零した後、もう何本目かの短くなったタバコの煙を一気に吸い込んで灰皿へ押し付ける土方。
「しかし、これからどうするか……」
溜め息混じりにそう言う土方。あかりは最後の洗濯物を畳み終え山の一番上に重ねると、「大丈夫ですよ」と微笑みながら振り返った。
「銀さんが何とかしてくれます。拝み屋ではないですけど、万事屋ですから」
「何でもござれです」と胸を張る姿からは、彼女が銀時に対して確かな信頼を寄せていることがわかる。万事屋での生活を聞く度に、さっさと金を貯めて出て行った方が良いのではと思う土方だったが、こんな顔を見るとあかりは望んで居るのだということが分かってしまう。土方がそんなことを考えている間に、大きな洗濯カゴに畳み終えた衣服を入れたあかりが立ち上がった。
「では、私はお先に失礼しますね」
「って、どこ行くんだよ」
「洗濯物をそれぞれの部屋の前まで届けにですが」
「そんなことまで……してたな」
「一体どれだけあって何部屋回ってるんだ、そんなこと自分達でやらせろ」と言葉にしかけたところで、自分の部屋にもいつも届けてくれていたことを思い出した土方。己の身に言葉の刃が返ってくる様が見えて言いよどんだ。
「回り終わったら近藤さんのところへ戻りますね」と言って歩き出したあかりを追って、持っていたカゴを奪い取る。よく乾いた洗濯物も枚数がかさめばそれなりの重さがあって、思わずこれを抱えていた彼女を見てしまう。
「ちいせーな」
「ん?何がですか?」
「いや、……さっさと終わらせるぞ」
「はいっ」
今度は歩き出した土方を追ってあかりが隣に並ぶ。その顔は嬉しそうで、何か話すと答える土方もまた小さく笑っているように見えた。あかりが自分を信頼してくれている嬉しさと、家以外でも居場所が出来始めているという事実の何とも言えない感覚を味合わさせられた銀時。
「あー、なんか、出るもん引っ込んじまったな」
誰にでもなくそう言い訳をすると元来た道へと引き返していった。
*****
昼間に近藤が襲われてからすっかり日も暮れ、外は真っ暗になっていた。何か情報が聞き出せないかと思っても、近藤も他の隊士同様にうなされまともに話が出来る状態ではない。幽霊か不審者かも分からない現状、どういう手段に出ればいいのかも見当が付かず、ただただ待機しているしかない。そんな状況の中、遂に痺れを切らしたのか銀時が行動に移す。
「アホらし。付き合いきれねーや。オイ、てめーら帰るぞ」
しかし、それは立ち向かうこととは正反対のものだった。
「か、帰るって、銀さんっ?」
想定もしていなかった銀時の発言に止めなくてはと、陰陽師姿の着物の裾を掴んだあかりは銀時の動きにつられそのまま一緒に立ち上がった。
「え?」
「なんですかコレ?」
途端、首を傾げたのはあかり。冷静に疑問を口にしたのは新八。そして、しっかりと銀時によって繋がれた自分の左手を神楽は見ていた。
「なんだコラ。てめーらが恐いだろーと思って、気ィつかってやってんだろーが。あかりも手を離さないよーに」
「あ、はい」
「銀ちゃん。手ェ汗ばんでて気持ち悪いアル」
付き合ってられないから帰ると言い出した銀時だったが、何やら様子が可笑しい。それを感じてこの場に居るあかり以外の全員が、何か言いたげな視線を銀時に送る。すると、そんな沈黙を一人の人物が消し去る。
「あっ、赤い着物の女!!」
瞬間、大きな物音が上がる。そして、あかりの手からは掴んでいた裾の感触が無くなっていた。
「……何やってんスか銀さん?」
「いや、あの、ムー大陸の入り口が……」
物音の元を辿ればそこには、襖を飛ばして押入れに頭から突っ込んだ銀時の姿があった。新八の問いに答えてはいるが、理由だとは到底認められないような言い分だ。
「旦那、アンタもしかして幽霊が……」
「なんだよ」
「土方さん、コイツは……アレ?」
思わぬ形で発見された新事実を土方に話そうと彼が座っていた方へ首を回す沖田。しかし、そこに土方の姿はなく、ガタガタと物音のする方へ目をやれば、床の間の大きな壷に頭を突っ込む真選組副長の姿があった。
「土方さん、何をやってるんですかィ」
「いや、あの、マヨネーズ王国の入り口が……」
そして、銀時を見ていた時と同じ意味合いを含ませた視線で壷から顔を出した土方を見る沖田、新八、神楽の三人。示し合わせたわけでもないのに三人揃って背を向け歩き出す。三人の理解と行動に一足遅れたあかりが、銀時と土方の行動理由に漸く気付き「ああ」と声を上げると、銀時が立ち去ろうとする三人を引き留めた。
「待て待て待て!違う。コイツはそうかもしれんが、俺はちがうぞ!」
「びびってんのはオメーだろ!俺はお前、ただ胎内回帰願望があるだけだ!!」
「わかったわかった。ムー大陸でもマヨネーズ王国でも、どこでもいけよクソが」
「なんだ、その蔑んだ目はァァ!!」
自分は違うと言う銀時にすかさず反論する土方。そんな二人に全く取り合う気のない顔で神楽は吐き捨てると「ほら、あかりも行くアル」と、関わっちゃいけませんとでもいう具合にあかりの右手を取った。
しかし、あかりの手を取ったままピタリと神楽が止まり「ん?」と首を傾げる。驚かすつもりだろうがその手には乗らんと言う銀時にも答えず、神楽だけでなく新八と沖田も同様に固まる。三人には一体なにが見えているのだろうとあかりが振り返ろうとするも、それは繋がれていた手を強く引かれたことで叶わなかった。
「か、神楽ちゃんっ?」
「どうしたの?」という声も走り出した三人の絶叫に掻き消され、あかりはただ先へ先へと引っ張られる手に身体をついて行かせるだけで精一杯だった。
部屋を飛び出し廊下を駆けていると、さっきまで自分達が居た部屋に残された銀時と土方の悲鳴が響いた。「見ちゃった!」と繰り返す新八に、銀ちゃんと叫びながらも立ち止まらない神楽。
「ね、ねえっ、なにがどうなってるの?銀さんと土方さんはっ?」
「奴らのことは忘れろィ、もうダメだ」
「ちょ、沖田さん、それって」
どういうことかとあかりが言い切る前になにかを破壊するような大きな音が上がって、続いてドドドドと廊下を駆ける足音が近付いてきた。二人が無事だったことにひとまずは安心したあかりが合流できないかと少しスピードを落とすと、それに気付いたのか神楽に引かれていた手とは反対の手を掴まれる。
「いいから走れィ」
それは左隣を走っていた沖田で、あかりは二人に両手をぐいぐいと引かれ連行されるように屯所の中を駆け抜けた。
*****
屯所の端にある蔵に身を隠し腰を下ろすと、再び悲鳴が響き渡った。今度こそやられたと頭を抱える新八に、特に動じる様子はなく蚊取り線香をつけ出す沖田。
「銀ちゃん死んじゃったアルか?ねえ、死んじゃったアルか?」
「銀さんと土方さんだよ?絶対に大丈夫だよ!」
膝を抱えて肩を落とす神楽を抱き締めるようにしてあかりが頭を撫でていると、突然、土方を亡き者にするべく妖魔を呼び出そうとしたことがあったとカミングアウトをする沖田。瞬間、元凶はお前かと小さくなっていた神楽が沖田に掴みかかる。
仲裁する新八の声も聞かない二人を落ち着かせるためあかりも止めようとすると、新八が唐突に叫び声を上げて土下座の体勢で何度も頭を地面に打ち付け謝りだした。それをしている先はどう見ても蔵の扉だ。どうしたのかと尋ねる暇もなく神楽と沖田の頭を掴むと自分と同じように頭を下げさせる新八。そんな様子にあたふたしていると「あかりさんも取り敢えず謝ってください!」と言われ、訳も分からぬままあかりも三人に並んで頭を下げた。
新八からの許しが出るまではこのままの方がいいのだろうかと大人しくしていたあかりに、さっきまで謝りながらなにか交渉をしていた新八が静かになる。体勢はそのままにそっと視線を横にずらして窺うと、新八は急に頭を叩き付けられ倒れた沖田が持つ蚊取り線香を見つめていた。
「新八くん?」
「……あかりさん、寝込んでいる人達に共通点ってありませんか」
「共通点?赤い着物の女と……症状でいうと、この暑さなのに汗は冷や汗で、貧血みたいに顔色が悪くなった……かな」
「僕、ちょっと確認してきます!」
「え、新八くんっ?」
事件の真相についてなにか掴んだのか、新八は急いで元来た道を戻りだした。頭をぶつけ気を失う神楽と沖田には申し訳ないと思いながらも、あかりも新八の後を追って隊士達を休ませている部屋へと戻った。
戻ってきてすぐ、入り口近くの隊士の身体を確認した新八は確信を得たのか大きく頷いた。そして、隊士の首筋にあった傷を見せると他の隊士にも同じものがないかと、手分けして確認を始める。
「やっぱり、思った通りだ。そっちはどうですか?」
「うん、こっちも。新八くんの言った通り、皆さん大きい虫刺されみたいな痕が」
まさかこれが寝込んでしまった原因だったなんてと驚きながらどうして分かったのかとあかりが聞くと、自分達を蔵まで追いつめた幽霊が中に入って来なかったことが不自然で、その時の状況からもしかしたら蚊取り線香を避けたのかもしれないと思ったと新八。
「それじゃあ、赤い着物の女っていうのは……」
「はい。あれは、幽霊なんかじゃない」
相手が幽霊じゃないと分かれば、対抗する手段がないと恐れることはない。となれば善は急げだ。
「あかりさんっ?」
「銀さんにこのこと伝えてくる!」
そう言ってあかりは銀時を探して駆けだした。
何処を探せばなんて考える必要もなく騒がしい池の辺りへ行くと、あかりは銀時の姿を見つけることができた。しかし、そのすぐ側には一緒に逃げていたはずの土方と、この一件の犯人らしき赤い着物の女性が二人仲良く倒れ込んでいる。
「……っていうことを伝えに来たんですけど、何ですかこの状態は!」
「遅ぇんだよ、来るのが」
どうやらこの事件の結末は、真相云々を抜きにして銀時によって強制終了されてしまったらしい。
*****
一夜が明けた真選組屯所。
昨日の日中、銀時達が吊されていた木には今回の騒動の元凶であった赤い着い物の女が逆さに吊されていた。
聞けば、蚊のように血液から栄養を取れる天人である彼女は不倫関係にあった会社の上司の子供を身籠もるも、家庭のある相手に迷惑はかけられないと一人で育てることを決意。そして、子供のためにと血を求めていたところで、血気盛んな男の集まるこの真選組屯所に辿り着いてしまったとのことだった。
「じゃあ、お腹の中にはお子さんが?ダメですよ近藤さん、妊婦さんを逆さ吊りなんて!」
「いや、そうは言われてもなあ……」
縄は解けないものの逆さ吊り状態からは解放してもらった彼女に寄り添い話を聞き出すあかり。仕舞いには「天人の方でも受けられるサポート制度みたいなものって無いんでしょうか?せめて子育てが落ち着くまで……」などと言い出すあかりに、弱ったなあと頭を掻く近藤。
「ありゃあ、近藤さんの負けだな。お人好しにも程があんだよ、ウチの大将もアイツも」
結局、断りきれない近藤が意に添ったものになるかは分からないが行政に確認をしてくれることになり、天人と喜びを分かち合っている様子のあかりを縁側から遠目に見る土方。呆れた風にしているが満更でもない様子の土方を、寝転びながらチラリと見た銀時。
「まあね、ウチのあかりちゃんは優しいからね」
土方が何の気無しに口にしていたそれだったが、「ウチの」という部分を若干強調して返してきた銀時。変なところに食いついてきたなと土方が銀時の方を見ると、相変わらずの生気少なめな瞳で物言いたげにこちらを睨んでいた。
「ま、精々、愛想尽かされないようにするんだな」
「はあ?何で俺が。愛想尽かされるってんなら、こんなむっさいトコのが先だろ。その上、幽霊にびびってるような情けない野郎が副長ってんだからな」
「ああ?そっちこそ、いつまでも家事手伝いしてもらえると思ってんじゃねーよ。つーかお前だろビビってたのは」
ほんの数時間前の自分の失態などまるで無かったように互いの情けなかった様を言い合う二人。すると、その二人のすぐ後ろの部屋の襖が素早く開き、声を掛けられる。瞬間、襖を開けた人物の視界から姿を消す二人。
「銀さーん!無事に事件を解決出来たのも銀さん達が協力してくれたお陰……って、あれ?神楽ちゃん、二人ともどうしたの?」
天人女性の件も何とか取り計らってもらえることになり、報告とお礼をと駆け寄ってきたあかりが見たのは、縁側の下に仲良く頭を突っ込む銀時と土方の後ろ姿。「いや、コンタクト落としちゃって」とこれまた仲良く言葉を重ねた二人に「あれ、二人ともコンタクトなんてしてたっけ?」とあかりが首を傾げると、縁側でしゃがみ込んで二人を見下ろしていた神楽があかりの方へ向き直り口を開いた。
「こんな肝っ玉の小さい男共にあかりは任せられないアル。ダイジョーブ、あかりのことは私が守るから」
「え?えーっと、ありがとう神楽ちゃん」
話は見えてこないが頷いてみせれば神楽は自信満々に微笑んで、そんな彼女の映る視界の下の方では地面に伏せていた二人がのそりと起き上がった。二人が服についてしまった砂を叩いていると、新八が「そろそろ帰りましょうよ」とこちらに駆けてくる。
「だな。こんなとこさっさとおさらばすっぞ」
「銀ちゃーん、私お腹空いたヨ」
落ち着いてみれば一睡も出来ず、しかも、ドタバタで夕食を食べ損ねたことを身体が思い出したようでドッと疲れた表情になる銀時。神楽も一食分を取り戻さなければというようなことを言いながら、気怠げな足取りの銀時の後に続く。
「なに突っ立ってんだよ、お前も帰るぞ」
「え、帰りませんよ?」
少し歩いたところで自分について来ていないあかりに気付き銀時は呼んだが、「真選組はこれからお仕事ですから」と返され眉間に皺を寄せた。近くでそれを聞いた土方も、まさかあかりがこのまま一日を始めようとするとは思いもしなくて驚く。
「おい、今日はいいから、万事屋と帰れ」
「え、でも」
「途中で倒れられたりしても迷惑だ」
「……はい」
迷惑だと断られあからさまに肩を落とす姿に少し語気がキツかっただろうかと小さな後悔をしかけた土方、しかし次の瞬間には「あ、じゃあ、朝ご飯の準備だけでも!」と顔を上げたものだから、それを押さえ込むようにあかりの頭に手を乗せた。
「いいから帰れ。寝ろ」
「うー……分かりました」
流石に押し切ることは不可能だと感じたあかりは渋々了承すると一度荷物を取りに戻ってから、「土方さんもしっかり休んでくださいね」と言って銀時達の待つ屯所の門まで駆けていった。
待たされた文句でも言っている様子の銀時に笑顔で言葉を返すあかり。そして、ポケットからハンカチを取り出すと背伸びをして身を寄せ、それを銀時の頬にあてる。さっき地面に伏せている時にでも汚れたのだろう。銀時も拭きやすいようにと少し身を屈めると一瞬だけ二人の間が狭められ、あかりは浮かせていた踵を地に下ろした。
そんなやり取りを終え帰って行く万事屋一行の後ろ姿をぼうっと眺めた後、土方は欠伸を噛み殺しながらタバコに火を点けその場を離れた。