長篇
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あかりがすっと目を開けるとそこは、いつもの和室の天井ではなかった。視線を隣に移しても銀時は居ないし、そもそも布団に寝転がってさえいない。
「また……この夢」
自分の最後の記憶が普段通りに一日を終えての布団の中だったあかりは、冷静にそう呟いた。そう、あかりは最近同じ種類の夢をよく見る。どういう意味で同じかといえば、まず、シチュエーションが同じだった。田舎の廃村になってしまったような集落の、何とか住める程度に僅かばかりに手入れされた一軒の平屋。
次にそこで顔を合わせる人物。平屋に住んでいる数人の子供、男の子達。どの子も小さく、一番年上の子でも十二歳ほどだろう子供達。そんな彼らが身を寄せ合って、大人も居ないこの廃村で暮らしている。その子達はあかりのことを知っていて、慕っている風だった。そして、子供達に囲まれてあかりは小枝で地面を削りながら、文字や簡単な計算を教えているのだった。
そして、その廃村に時折訪ねてくる十五にも届かないだろう歳の男の子。その子はこの廃村に一緒に住んでいるようではなく、数日置きにやってきてあかりと話をしたり、子供達にねだられて遊びに付き合ったりしていた。荒れた貧しい環境でも、楽しいことを見つけて笑顔の絶えない子供達。そんな夢をあかりはここ最近、頻繁に見るようになった。
「お姉ちゃーん!あかりお姉ちゃーん!!」
「お帰り。どうしたの?慌てて」
「これっ、お花、きれいでしょっ?」
子供達の中でも一番小さい六歳くらいの男の子が、沢山集めた小さな花を小さな手で大事そうに包んでこちらへ駆けてきた。
「本当だ、綺麗だねえ」
「あげる!」
「え、良いの?こんなにいっぱい大変だったでしょう?」
「だって、お姉ちゃんが笑ってくれるとおもったから!」
小さな手から不器用に摘み取られた不揃いな花をあかりが受け取ると、男の子は空いた右手で鼻を擦ってにかっと笑った。
「ありがとう。じゃあ、きれいに飾らなきゃね」
「うん!」
受け取った花達を片手に移して、花を摘む時に汚れたのだろう土の付いたその子の小さな手を取り家に向かって歩き出す。すると、男の子が駆けてきた方から数人の声が上がる。
「おいっ、一緒に渡すって約束だっただろ!」
「ずりー!」
「あっ、しかも、なに手つないでんだよ!」
同じように駆け寄ってきた男の子達の手にも色々な種類の花が包まれていた。それから、わいわいと家に戻るとヒビの入ったお皿に乗せたり水瓶に浮かせたりして、彼らから貰った花をあかりは飾った。そっと花に顔を寄せれば控えめながらに優しく香って、夢だということを忘れかける。にこにこと喋る彼らの話に耳を傾けているとあかりは次第に睡魔に襲われる。「また眠くなっちゃったの?」という子供達の声を聞きながら、あかりは元の世界へ帰ってくるのだった。いや、元の世界というのも可笑しいかもしれない。銀時達の居る親しみを持ち始めた世界へと戻ってくるのだ。
目を開けたそこは、変わらない万事屋の和室。視線を横に移せば銀時が布団から足を放り出していびきをかいている。
「……もう、何回目だろう」
子供達と過ごす貧しくも楽しい日々は決して悪夢とは言えない。しかし、どうして記憶の限りでは面識もない彼らとの夢ばかりを、ここ最近で見るようになったのかがあかりには全く見当がつかなかった。あの世界の夢を見た最初の日を思い出そうと、布団に潜ったまま瞼を下ろす。日々を遡り記憶を辿る。そして、恐らく最初であろう日を思い出した。
「そうだ、銀さん達が宇宙旅行から帰ってきた日だ」
銀時達が宇宙旅行から帰ってきて、帰りの船を出してくれた辰馬に出会って、銀時がふんどし仮面を退治してくれて、それから――――
「そういえば、屯所に行く前に聞いた声……あれ、誰だったのかなあ」
自分を呼んだ姿無き声を思い出しながら、あかりは再び眠りに落ちていった。
第4話 祭りの夜と夢の君
いつもより明らかに睡眠を取った感覚に不安を感じ、ばちっと目を開けたあかり。枕元に置いておいた携帯で時間を確認すれば、休日と言えどとうに起床している時間を過ぎていて慌てて身体を起こす。
「どうして声を掛けてくれなかったんですかっ?今から朝ご飯を……」
お腹を空かせる余りに卵かけご飯などだけで食事を済ませそうな銀時と神楽を思い和室の襖を開けると、そこには銀時も神楽も新八も居らず、定春が陽の当たった窓辺で居眠りをしていた。
「あれ?定春、みんなは?お仕事に行ったのかな」
定春に尋ねるも欠伸で返されたあかり。気配を確認するように部屋を見回すと、テーブルの上にメモが残されていることに気が付く。
「銀さんの字だ。なになに…『ババアに頼まれたから騒音ジジイを退治してくる』?」
ババアというのはお登勢のことなのだろうと失礼ながらに考えるあかり。だが、騒音ジジイとは一体誰のことだろうかと江戸の町の賑やかな部分を思い出していると、メモの裏にも何かが書かれていることに気付きひっくり返す。地元民でもギリギリ分かるかどうかというような雑な地図の目的地には「源外庵」という文字が書かれていた。
「源外庵……ああ、カラクリ技師の平賀源外さんか!」
銀時達がどこへ仕事に向かったかが分かったあかりは、手早く食事と身支度、洗濯などを済ませて合流しようとする。そして、家の戸締まりまでして「さあ、出発」と靴を履き終えると同時に玄関の戸が叩かれた。
「ぎーんーとーきーくーん!」
変な人が来たと思わず肩に力の入ったあかりだったが、その後も銀時に話しかけるような具合でいる戸の向こうの来訪者。恐らく銀時の友人なのだろうと結論を出したあかりはそろそろと戸を開けた。
「あの、どちら様ですか?」
「ん?」
そこには、長く艶やかな黒髪を中程で緩くまとめて、肩から流すようにした女性……ではなく綺麗な、虚無僧のような格好をした男性が立っていた。銀時に僧侶の友人なんて居たのかと首を傾げるあかり。向き合った男性も、戸が開けられてみればまるで見ず知らずの少女が出て来たことに多少は驚いたようで、眉を寄せて唸った。そして、二,三歩後退って自分がやって来た建物の外観を確認するとあかりと同じように首を傾げた。
「どちら様ですか?」
「えっ?えーと……」
まさかのどちら様返しに一瞬怯むも、故あって居候の身であることを話すと男性は頭を抱えた。そして「もっと自分を大切にしろ」と滔々と語り始めた。それがどうやら、銀時があかりの弱味に付け込んでいるかのような口振りだったので、慌てて良くしてもらっているのだと訂正し、納得してもらう。
「改めまして、こちらで居候をさせてもらっています伊吹あかりです。あの、お兄さんは銀さんのご友人ですか?」
「桂小太郎だ。友人、友人……まあ、そんなところだ」
お互い挨拶も済んだところであかりが銀時の不在を告げると、思案する様子を見せる桂。
「あの、私これから銀さん達がお仕事へ向かった所に行くんですけど、よかったら桂さんも一緒に行きませんか?」
どんな用事で尋ねてきたかは分からないが直ぐに言伝を頼まない辺り、直接話したいことだったりまだ信用されてないのだろうと思いあかりは桂を誘った。これにも桂は考える素振りを見せ「いや、出直そう」と答えた。
「あ、じゃあこれ、どうぞ」
「こ、これはこれは、ご丁寧にありがとうございます」
出直すと言って帰ろうとした桂は、手に持っていた菓子折りを丁寧に差し出した。思わず学校で賞状を受け取る時みたく畏まったあかりが頭を上げると、桂はもう歩き出していた。受け取ったお菓子の箱を見つめながらそろりと中へ戻り、テーブルの上に置いてから家を出たあかり。銀時達に合流したら桂が尋ねてきたことを伝えようと思いながら、源外庵へ向かうのだった。
しかしどういうことか、メモにあった源外庵へあかりが到着すると銀時達の姿は無く、騒音問題を解決に来たという割にはそもそも騒音さえそこには無かった。場所を間違えただろうかと考えていると、丁度そこにご近所さんらしき女性の姿が見えて事情を話す。すると、騒音の元を持って河原に移動したという。どうしてまた河原にと疑問を抱きながら言われた場所を目指すと、何やらこんもりと山が出来ていて銀時達の姿もあった。
「何やってるんだろう……、銀さーん!」
あかりが銀時達の元に駆け寄ると機械の山の前で一人のおじさん、いや、おじいさんと形容した方がしっくりとくる齢の男性、平賀源外が膝をついていた。
「あ、お登勢さんも来てたんですね」
銀時の隣にはお登勢も立っていてあかりが挨拶をすると、折角の休みなんだから家でゆっくりしてればいいのに難儀だねえ、と返された。
「ところで、これは一体どういう状況なんで……」
「あああ、どーすんだ!これじゃ、祭りに間に合わねーよ!!」
どういう状況なんですか。と言い終える前に源外が大きな声を上げてその場に崩れた。慌てて駆けつけるあかりとは反対に、銀時と新八はその場で「祭り?」と尋ねた。源外は膝と手を地につけたまま事情を話す。それは3日後にある将軍様も訪れるという祭りに向けて披露するはずだったカラクリ芸が、銀時達の行動によって間に合わなくなるというものだった。それはそれは大変なことな訳だから、こんな時こそ万事屋の出番のはず。そう思ったあかりが銀時を見やると、銀時のみならず新八と神楽までが土手を上り帰路につこうとしていた。
「おら、お前も来い」
「え、でも、銀さん」
専門的なことは力になれなくても雑用くらいなら出来るのにと言おうと近付いたあかりの腕を掴むと、銀時は問答無用で歩みを進めた。暫く歩いて万事屋も近くなった頃、これで良かったのだろうかという思いが強くなったあかりは買い物に言ってくると嘘を吐き、もう一度あの河原に向かうことにした。
*****
カラクリが山になったその前で、源外は肩を落としながらも作業をしていた。
「あ、あの……源外さん?」
「なんだ」
振り返りもせず素っ気ない源外に少し緊張しながらあかりは手伝いを申し出た。
「お前みたいな小娘に何ができるってんだ」
「……はい、私にはカラクリのことは分かりません」
「だったらさっさと帰るんだな」
「だから、源外さんは源外さんにしかできないことをしてください。そうでないことを私がします」
少し強く当たればこんな小娘すぐに諦めるだろうと思っていた源外は、思いも寄らないあかりの言葉に作業の手を止め、初めて顔を合わせた。見た目こそ何の変哲もないただの小娘であったが、どこか他人に譲らない意志さえ垣間見せる瞳は生意気で、源外は「適わねーな」と頭を掻くとあかりに指示を出した。それから、夕方になるまで源外を手伝ったあかりは次の日の約束までして河原を去った。普段ならば屯所で働いた後に手伝える程の時間は作れないのだが、今は祭りの際の将軍護衛へ向けて変則的なタイムスケジュールになっている為、いつもより早い時間に帰れることになっていたのだ。
「それじゃあ、また明日も来ますね!」
そう言って返事も聞かずに帰って行ったあかりに、源外は眉間に皺を寄せながらも口元は笑っていた。
万事屋へ帰ったあかりは既に残骸となったお菓子の包装を見て桂が来たことを伝え忘れたと思い出した。しかし、それを聞いた銀時はさして気にとめる様子もなく、男の友人関係とはそういうものなのだろうかとあかりは首を傾げた。
*****
次の日。屯所での仕事を早めに終えたあかりは約束通り、源外が作業を続けているだろう河原を目指して足早に歩を進めていた。すると、店が立ち並ぶ通りを抜けようとした少し先で悲鳴が上がり、人が集まりだしていた。恐らく良い意味でない方の人集りの方へ進むと小さな男の子が、天人にいちゃもんをふっかけられているようだった。少年は外で元気良く遊んでいたようで手足や服に泥がついていて、対する天人にも子供の背丈とちょうど合う位置に泥をつけていた。
あれが原因かと理解したあかりは周りの人々の間を縫い少年の元まで辿り着く。そして、怯えた様子の少年と同じ目線になるようしゃがむと、子供相手に怒りをぶつける天人に向き合った。
「あの、お怒りは分かります。けど、この子も反省しているようですし、大目に見てやって頂けませんか?お願いします」
これ以上荒れることなく終わってほしいと下手に、丁寧に、相手を見上げて言った後にあかりは頭を下げる。しかし、天人の怒りは収まることはなく、自分の服がどれだけ高価な物かをつらつらと語り出した。幸いにも自分のことを話し出したからか、怒りが少年だけに向けたものから話を聞くあかりへと移ってきたので、そっと少年を自分の背へ回す。
「だから、ごめんじゃ済まねーんだよ!」
「はい。あの……では、クリーニングのお代は私が」
「当たり前だろっ、その上で誠意を見せろっていうんだよ!」
こういう輩お得意の『誠意』という単語、いつ出て来るかと身構えていたがとうとう来たか。と思わず肩が揺れるあかり。反抗すれば激昂しかねないし、平謝りに徹すればどんな無理を要求されるか分からない。ここでの選択が大きな分かれ目になりそうだ。ごくりと唾を飲み込みながら頭を垂れた状態でどうやり過ごそうかと考えていると、そんな姿に痺れを切らしたのか天人があかりの髪を掴み顔を上げさせた。
「どんな誠意を、見せてくれるのかな?」
「誠意……」
どうしよう、なんと答えれば……。ぐるぐると頭の中を駆け巡る選択肢はどれも最善なものとは思えなくて、掴み上げられた髪を引っ張られる痛さに顔を歪め、天人を見つめることしかあかりは出来なかった。すると、助けに入ろうかと迷いながら見守っていた人達の合間を縫って一人の男が現れ、依然としてあかりの髪を掴んでいる天人の胸に、脇に差していた刀の柄を押し当てた。
「抵抗ひとつできねぇ女相手にふんぞり返って、好い加減気も済んだだろ」
「ああっ?何だてめぇ」
刃の方では無いとはいえ刀を押し当てられた天人は、思わぬ乱入に怯んで掴んでいたあかりの髪を離した。押さえられた頭が自由になったあかりが自分の後ろで震える少年を抱き締め、間に入ってくれた男を見上げる。そこに立っていたのは派手な着物を着流し大きな笠を被って、頭に巻いた包帯で左目を覆った男だった。刀を携えていたことから、恐らく侍なのだろう。
「お前こそ女の前で粋がって、気は済んだか?」
体勢を直し再び偉そうに胸を張った天人は仲介に入ったのが侍だと理解するや否や、刃向かってこないだろうと挑発してきた。侍はもうお役御免だとか腰抜けだとか言うと、押し当てられた刀の柄を手で叩く。
次の瞬間。
叩き落とされた刀が地面に落ちる寸前、素早く柄を掴みそこから拾い上げるような仕草で刃を抜き、眼前に居ても見切れない程の太刀筋で天人を斬りつけた。見ることができたのは最後の刃を仕舞う姿だけで、かちんと刀を納めた瞬間に太刀筋から生じた僅かな風を感じた。
刃に掛けられた天人は茫然と立ち尽くす。しかし、身体のどこにも大きな傷が無いことから、はったりだったのだろうと高笑いの声を上げ出した。しかし、天人の身体が大きく笑い揺れる度に、彼が纏っていた自慢の洋服がぺらぺらと布切れとなり地面に落ちていく。あかりも少年も、周りで見ていた町の人達もそれに呆気に取られている間に、天人の上半身の衣服は全て落ちて素肌が現れた。流石にここまでくると異変に気付いたようで、自分の身体を二度見三度見として両手で身体に触れる。すると、遅れて太刀がやってきたように天人の胸元にすっと一本の筋が入って、ほんの薄皮一枚という具合で切れたのか線の所々にぷつぷつと血の玉が浮かんだ。
「皮一枚で済ませてやったのが誠意っつーことだ」
男が包帯に覆われていない方の右目で鋭く見やると、天人は悲鳴を上げてその場から逃げ出した。次の瞬間にはわっと周りから歓声が湧く。少年も安心したのか瞳から不安の色が消えて、「お姉ちゃん、お侍のお兄ちゃん、ありがとう!」と笑った。周りで身のこなしや太刀筋に感心し盛り上がる町人達を尻目に、男は何も言わずにその場を去っていくものだから、あかりはお礼を言わなければと急いで後を追った。
「あ、あの!」
人の波をすいすいと避けていく男に何とか付いて行くあかり。相手は聞こえていないというよりは、聞こえているが聞こえていない体でいるように見えなくもない。だが、どうしてもお礼が言いたくて暫く付いて歩くと、不意に男が立ち止まった。突然止まった男に驚きながらも何とかぶつからない距離で止まったあかり。振り返った男はキセルを咥えていて、溜め息と共に煙を吐いた。思ったよりも近かった二人の間隔。身長の差もあるので見下ろされるように開かれた目に、あかりは一歩後退りした。
「さ、先程はっ……、助けて頂きありがとうございました!」
やっと面と向かうことが叶った相手に深くお辞儀をしながら、あかりは感謝の言葉を伝えた。
「そんなこと言うためだけに、わざわざ付け回してきたのか」
返ってきた言葉は素っ気ないものであかりが顔を上げると、外方を向いて煙りを吸っていた。
「はい。だって、あの時は本当にもうどうしようかと思って……それを助けてもらったんですから、やっぱりお礼は」
「それはてめーの勝手だろ」
「……はい。そう、ですね……」
確かに。お礼を言わなきゃ気が済まないなんて考えは、相手を思ってではなく自分の気持ちを押し付けているに過ぎないものだ。男の言葉は短いながらも的確で返す言葉もないあかりは、がっくりと肩が下がり更に小さくなった。
「礼……って言ったな」
「は、はいっ」
「じゃあ、ちょっと付き合え」
「へ?」
少しの間、本気でしょげたらしいあかりを見ていた男は溜め息を零すとそう言って、再び前を歩き始めた。訳は分からなかったがあかりも男の後に続いて歩き出した。
*****
「食え」
「え、いいんですか?」
「いいから食え」
「は、はい。いただきます」
付いて行った先は茶屋であかりの目の前には今、熱々の煎茶とあんみつが置かれていた。それを向かいに座った男に直視されながら、ぎこちない動作で口に運ぶ。
「お、美味しいです」
「そうか」
危ないところを助けてもらった上に、一体全体どうして甘味までご馳走になっているのか男に尋ねると「待ち合わせをしている相手が遅れて時間が出来たから、その暇潰しに付き合え」という意味だったらしい。何だか不思議な人だなとあんみつに落としていた目線を男へ向けると、彼はまだこちらを見ていた。無言でのこの状況はあまりにもいたたまれない。会話の糸口になればとあかりは話題を振った。
「えーと、お兄さんは観光か何かですか?」
どうでもいい会話の種か、気安く話しかけられたこと自体が気に障ったのかは定かではないが一瞬だけ顔を強ばらせた男は、直ぐに表情を戻して「いいや」と返した。
「あれ、江戸の方でしたか?」
「お前は江戸中の人間を把握でもしているのか?」
「いえ、そういう訳ではありませんが、お兄さんは何というか……見た目に派手なので、見たら忘れなさそうというか」
失礼だったかな、と反応を窺うとこれは特に気にならなかったようで平然としていた。
「まあ、仕事だな」
「お仕事ですか。あっ、もしかして、お祭り関係の方ですか?」
2日後に迫った大きなお祭りへ向けて日頃からして賑やかな江戸の町は、人の出入りも増えて更に賑わっていた。観光は勿論、祭りに店を出すため外からやってくる人も多い。
「そうだな。花火が上がるのを確かめに来たってところか」
「花火師さんでしたか!」
珍しい職業の人に会えたものだと思わずテンションの上がったあかりは、さっきまでの緊張や遠慮はどこへやら、江戸へ来て初めての祭りや花火がどれだけ楽しみかと語り出した。
「あ、すみません。私ばっかりべらべらと……時間、大丈夫ですか?」
「ああ、丁度いい頃だな」
相手は待ち合わせをしていたのだったと思い出したあかりが確認すると、男は店に置かれたレトロな時計を見て席を立った。茶屋を出て、改めて助けてくれた礼とご馳走になった礼を言って頭を下げるあかり。すると、その頭上から思いも寄らない言葉が掛かった。
「当日はもう予定は決まってるのか?」
「え?えーと、行くってことだけは漠然と決めてますけど、それ以外は特には……」
あかりの返事を聞いて思案するように視線を動かした後、男は花火が綺麗に見える所を案内してやろうかと提案してきた。本職であるところの人がお勧めする場所なら、さぞ良いスポットだろうと思ったあかりは二つ返事でお願いし、当日に祭り会場で合流する約束を取り付けた。
「そういえば、お名前を聞いていませんでしたし、私も名乗ってませんでしたね。失礼しました。伊吹あかりです」
散々話していながら今の今まで名乗っていなかったことが不思議だと笑いながらあかりが名乗る。男は初めて向き合った時や茶屋での時みたく一瞬だけ目を見開くようにした後、僅かに言い淀んでから「……晋助だ」と名乗った。
「それじゃあ、晋助さん。お祭りの日はよろしくお願いします!」
「ああ、特等席へ案内してやるよ」
「はい!」
それから晋助と別れたあかりは当日の楽しみが倍増したと、ご機嫌な様子で源外の手伝いに励んだ。
*****
その日の夜。
あかりはまたしても例の夢を見た。
しかし、そこはいつもの廃村ではなく人の暮らしのある村で、道に続いた赤提灯を辿ると縁日が催されていた。いつもと違うシチュエーションなのになぜ同じ夢だと分かったかというと、それは隣を歩く少年にあった。時折、廃村へ訪れては話し相手や力仕事、子供達の遊び相手を買ってくれるその少年とあかりは縁日に来ていたのだ。
「うわーっ、お店いっぱい出てるね!」
「年上のくせにはしゃぐなよ恥ずかしい」
「えー、関係ないよ。だって楽しいでしょ?……えっ、もしかして本当に楽しんでるの私だけ?」
寂れた村ばかりみていたせいか活気のある村そのものに胸が躍るあかり。落ち着いた少年の様子に自分のテンションを省みたあかりがオロオロとし出すと、少年は視線をずらしながら「まあ、俺も楽しい、けど……」と呟いた。そんな少年が可愛くて、あかりは手を取り駆け出した。
食べ物のお店も遊技のお店も一通り回り、縁日を楽しんだところで夜空に花火が上がり始めた。屋台が並ぶ通りでは人々が足を止めて空を見上げ、みんな花火に見入っていた。あかり達も夜空を見上げたが周りの障害物や、自分達より背丈のある大人によって花火の全体を見ることはできなかった。すると少年は「こっちがよく見える」とあかりの手を引いて、少し高台になっている小さな神社へ案内した。
「本当だ、凄くよく見えるね。綺麗」
すっかり寂れた小さな神社は、参拝客がもうどれほど来ていないのかと思うくらい雑草が生い茂っていたが社は辛うじて姿を保っていて、二人で並んで階段に座って夜空に咲く花火を眺めた。少しして、打ち上げられる数もぽつりぽつりになってきたのでそろそろお終いかなと隣に座る少年を見ると、彼は真っ直ぐにこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「あかり」
「うん」
「これ」
そう言って懐から小さな紙袋を取り出して、少年はあかりに手渡した。「開けていいの?」と聞けばこくりと一回頷く。閉じられた紙袋の口を開け中の物を掌に滑らせると、それは一本の簪だった。
「わあ、綺麗な簪だね」
掌で転がし色んな角度から眺めてあかりがその美しさに溜め息を吐くと、少年は一言「やる」とだけ言って視線を花火に戻した。「いいの?」と尋ねれば横顔のまま首を縦に振り肯定した。花火の灯りに照らされてか照れ臭いのか少し染まった少年の顔に思わず頬を緩ませながら、あかりは下ろしていた髪をまとめ上げて簪を挿した。そろそろ終わりと思っていた花火が最後の盛り上がりにか、一斉に打ち上がり夜空を華やかに彩る。花火の大きな音で他の全ての音が掻き消されしまう瞬間、あかりは少年の耳元に顔を寄せ囁いた。
「ありがとう。大切にするね……くん」
弾かれたように勢いよくあかりへ振り向いた少年の顔は、花火のせいではないと確信できるくらい赤く染まっていたのが夢の終わりだった。
*****
「……今回はお祭りの夢か。なんとタイムリーな」
段々お馴染みの場所やお馴染みのメンツに会うのも慣れてきたあかりが、冷静に夢の記憶を整理しようとするとあることに気が付く。
「あれ、あの子の名前なんだったっけ?」
夢の中ではいつも呼んでいるのに目を覚ますと少年の名前も、はっきりとした顔も思い出せないのだ。さっきまであんなに照れた表情が可愛いなんて感じていたのに。不思議な夢に限らず、夢とは得てしてそんなものかと自分に言い聞かせてあかりは布団を出た。
祭りを明日に控えた今日もあかりの行う仕事の内容は常日頃と変わらないものだが、真選組の隊士達は将軍様を直接守るという大きな仕事に備えており、屯所内は慌ただしくなっていた。これじゃあ、彼らは祭りを楽しむことなんて出来ないのだろうと残念に思いながらあかりが洗濯物を干していると、不意に声を掛けられた。振り返るとそこには土方が煙草を咥えて立っている。
「あ、土方さん」
「お前、祭りは行くのか?」
「はい、勿論ですよ!すっごく楽しみです!でも、土方さん達はお祭りを楽しむって感じじゃないですよね……」
「ちょっと残念です」とあかりが言うと土方は、将軍を守るという名誉ある任務に大将も喜んでいるし悪くない、と返した。確かにここ数日の近藤の張り切りっぷりと目の輝きは三割り増しという具合だった。我らが大将のそんな姿を見せられたら、仕事を全うすることで応えようともしたくなるのだろう。
「将軍様を守るお仕事ですけど、土方さん達も気を付けてくださいね」
「ああ、何事もないのが一番良い」
「退屈にはなるがな」と口の端を上げて余裕の表情を見せた土方は一息煙を吐き出した後、「一応」と言ってあかりに言葉を続けた。
「お前も気を付けておけよ」
「お祭り、危ないんですか?」
「いや、まあ、用心ってやつだ」
「用心、ですか」
万が一、祭りで騒ぎが起こるようなことになれば関わらずさっさと逃げるように、とあかりに釘を刺す土方。
「一人で行く訳じゃないんだろ?」
「あ、はい。お祭り会場で合流する予定です」
「そうか、なら大丈夫だろ」
あかりが合流しようとしている相手が出会ったばかりの『晋助』などという男だとは思うはずもない土方は、一人で祭りに行く訳ではないことを確認し、納得したような顔を見せると仕事へと戻っていった。聞かれた方のあかりは仕事だけでなく、自分にまで気を配ってくれたことを有り難く思っていた。しかし、ふと土方は合流すると言った相手を、銀時達だと思っているんじゃないかということに気付く。
「でも、花火の場所を教えてもらったら銀さん達も誘うつもりだし……嘘はついてないよね?」
と余り気に留めることなく作業に戻った。そして、その日も屯所での仕事を終えると、河原で源外の手伝いをしてあかりは万事屋へ帰るのだった。
*****
とうとうやってきた祭り当日。
あかりがいつものように屯所へ向かおうとすると、銀時達も同じく万事屋を出ようとする所だった。
「銀さん、今日はお仕事早いんですね」
あかりが尋ねれば、銀時は普段から半開きのような目を更に気怠げにした眠そうな目で「ああ?」と返す。のろのろとブーツを履く姿からは、説明を返せるほどエンジンがかかっていないことが伝わりあかりは仕方がないと諦めた。外では先に出ていた神楽が大きな声で銀時を呼んでいて、それにも嫌そうな顔を見せるものだからあかりは神楽の話し相手をするべく表へ出た。
「神楽ちゃん、銀さんもうすぐ来るから、ちょっと待ってね」
「銀ちゃんのどこに身支度に時間かける要素があるネ」
「まあまあ、そう言わないで」
レディを待たせるなんて、と言う神楽を宥めていると新八がやって来た。
「あかりさん、おはようございます」
「あ、新八くん、おはよう。今日はもうお仕事なの?」
朝から爽やかに挨拶をしてくれる新八に安心したあかりが銀時から聞けなかった質問をすると、彼らは祭りまでにラストスパートをかける源外を手伝いに行ってくれるということが分かった。
「そうだったんだ!昨日じゃまだ作業終わらなかったから心配だったんだ」
「お登勢さんに頼まれちゃって。銀さん、それでも手伝う気無かったんですけどね」
「でも、こうして行ってくれるんでしょ?」
「あかりさんがここ数日手伝ってることを言われて、重い腰を上げたって感じです」
「銀さんは優しいから、最初から間に合わなければ手伝うつもりでしたー」
新八と話していたあかりの頭に不意に重さが加わり、くしゃくしゃとされる。「もう、やめて下さいよ」と優しくその手を除けると、少し不服そうな顔をした銀時が立っていた。
「そうですよね。銀さんは優しいですもんねー」
「え、なにあかりちゃん、その棘のある言い方……」
「冗談ですよ。ありがとうございます、銀さん。お祭りまでに間に合うと良いですね」
「まあ、間に合わなくても俺達は祭りに行くけどな」
そんな風に言いながらも、きっと間に合うよう頑張ってくれるのだろうと思えたあかりは、3人に会場で会おうと約束をする。
「あ、そうでした。私この前、このお祭りで花火を上げる花火師さんに会って、その人がよく見える場所を案内してくれるんです。銀さん達も一緒に行きましょうよ!」
「わあ、いいじゃないですか!行きましょうよ銀さん!」
「花火めっちゃ見えるネ?」
「うん。きっとよく見えるよ!」
盛り上がるあかり達を見ながら「そんな奴、いつ会ったんだ?」と聞きながらも、新八と神楽に押し切られて銀時は了承してくれた。そして、会場で連絡を取り合って合流するという確認をすると、あかりは銀時達と別れ屯所へ向かった。
「今日はやること全然無いなあ……」
祭り当日であるこの日。屯所は殆どの人間が出払っていて、普段では考えられないくらいに静かだった。いつもなら炊事、洗濯、掃除など何かをしていれば、その途中で隊士達に細々とした頼まれ事をされて時間に追われるくらいだった。今日はそんな隊士達が居らず、スムーズ過ぎる仕事運びで時間ができて、あかりは縁側に座っていた。
「おや、サボりですかィ?」
声のした方へ顔を向ければ廊下の角を曲がってきたところだった沖田にそう言われる。
「今日は皆さん警護でお祭りの方へ行ってるじゃないですか。だから余り頼まれ事がなくて、やること済んじゃいました」
「サボっていると言われればそうかもしれません」とあかりが眉尻を下げて言うと、沖田は「へー」とだけ言って隣に腰掛けた。
「そういう沖田さんは、まだ会場に行かなくて良いんですか?」
「どうせまだ将軍来てないし、行く必要ありやせん」
「そういう問題じゃないと思いますけど」
あくまで任務は将軍様の護衛といえど、その護衛対象が来るまでに辺りの安全を確認し整えるのも大事な仕事なんじゃ……と思いつつ沖田を見ると、祭りが楽しめないから将軍なんて来るな、というようなことをボヤき始めた。放置したらこれ以上なにを言うか分からないと思ったあかりは慌てて話を切り上げ、沖田を任務へ送り出すべく腕を引いて立ち上がらせる。
「と、とにかくっ、大事な任務なんですから怪我なく頑張って下さいね!」
「へーい」
あかりに玄関まで背を押され渋々会場へ向かうことにした沖田は靴を履き爪先でとんとんと床を叩いた後、監視も含め見送るあかりにちらりと視線を送る。
「あーあ、あかりさんと花火、見たかったんですけどねィ」
ちょっとは照れてくれるんじゃないかと沖田があかりの反応を確かめると、全くの平常心でいるようで「そうですね。私も皆さんとお祭り行きたかったです」と微笑み返される。なんだか肩透かしを食らった気分となった沖田は「そうですねィ」と気持ちを込めずに言って屯所を後にした。
その後も順調に作業を終えたあかりは祭りへの期待を胸に抱えながら、まずは源外の準備が間に合ったのか河原へ見に行ってみることにした。
「あれ、誰もいない……というか何もない」
ここで間違いないだろうなと辺りの景色を見回すあかり。確かにそこは源外がカラクリ作りに勤しんでいた場所で間違いは無かった。源外や銀時どころが工具や材料も全く無く撤収済みであることから、準備が完了したのだと判断したあかりは一安心して会場へと歩を進めることにした。
*****
流石、将軍様も訪れるという祭りだけあって、会場は賑わいを見せている。段々と日が沈み暗くなっていく通りを、整然と吊された提灯に導かれるようにして進むあかり。晋助との待ち合わせ場所として選んだ大きな柳の木に着くと辺りを見渡して、まだ相手が居ないことを確認する。木の幹に寄りかかりながら通り過ぎて行く人々と祭りの風景を見ていると、あかりの頭には昨日見た夢の光景が重なった。
「そういえば、今日は夢見なかったな……」
少年と過ごした楽しい一時が途切れ途切れに浮かび上がってきて、瞳では現実の祭りの風景を見ているはずなのに頭では夢の中の祭りを認識しているような、不思議な感覚に襲われる。そして、全く思い出せなかったはずの少年の名前を、無意識に口に出すあかり。
「……くん」
すると次の瞬間、何者かに思い切り手首を掴まれた。
「お前っ、やっぱり……!」
そこには約束をしていた晋助があかりの手首を掴み、酷く狼狽した様子で目を見開いていた。
「……あ、晋助さん」
掴まれた力の強さで意識が戻ったようにはっとしたあかりが晋助の名前を呼ぶと、晋助もまた同じようにはっとして掴んでいたあかりの手を放した。手を放したその一瞬だけ、寂しそうな顔を見せたのが気になってあかりがどうしたのかと尋ねようとするも、晋助は言葉でそれを遮った。
「晋助さん……あの」
「待ったか?」
「い、いえ。つい今さっき来たところです」
「そうか」
そして、まだ時間があるから祭りを見て回るか、とだけ言って歩き出した。あかりは人混みでその姿を見失ってしまわないよう、駆け足で晋助に追い付いて隣に並んだ。何かあったのだろうかと晋助の表情を盗み見るも、左隣に並んだせいで包帯に覆われた左目からは心情を推し量ることはできなかった。
始まりこそぎこちないやり取りとなったが、少し歩けば祭りの雰囲気も手伝って晋助とあかりの間の空気は、茶屋で話した時のように自然なものになっていった。
「晋助さん、見て下さい!ヒヨコ可愛いですよ!」
おしくら饅頭でもしているみたくひしめき合うヒヨコに瞳を輝かせるあかりに、「成長したら可愛くねーぞ」と晋助は笑った。
「た、確かにっ、家の中にニワトリがいる風景……全然しっくりきません!」
毎朝大声で鳴きながら万事屋をうろうろして銀時達をつつくニワトリの姿を想像するあかり。余りの非日常感だった。更に想像を膨らませていくと、金欠状態に陥った際に非常食にされかねない状況さえ思い浮かんであかりの顔色は変わっていく。ヒヨコを飼った想像の末、百面相を展開するあかりに晋助は小さく笑って、顔を蒼くさせるあかりの目の前に何かを差し出した。
「あ、りんご飴!」
「移り気はえーな」
視界に滑り込んだ物体をりんご飴だと把握すると、またしても瞳を輝かせたあかり。呆れた風に手渡す晋助のことなど気にも留めずに受け取って、棒をくるくるとさせ観察する。
「綺麗ですねー。あの、これ」
「食いもんだぞ」
「知ってますよ。頂いていいんですか?」
「俺が食べると思ってんのか?」
「……えーと。いえ、いただきます」
晋助が自分の為にりんご飴を買って嬉しそうに食べる姿を想像し欠けたところで打ち切り、あかりは赤い宝石に口付けた。小ぶりなりんごにコーティングされた飴にもしっかりとりんごの味がついていたそれは、含んだ途端口いっぱいに甘酸っぱい味わいが広がった。
「うーっ、美味しいです!」
「りんご飴一つでめでたい奴だな」
金の掛からない奴だと、これまた笑う晋助にりんご飴の美味しさと美味しいものを食べる幸せをあかりが力説すると、すっと手首を取られた。しかしそれは、待ち合わせ場所でされたような力を込めたものでなく、優しく攫うようなもので掴んだ手首をそのまま自分の方へ寄せると晋助はりんご飴に口をつけた。
「あっ」
「甘ぇ」
「晋助さん、食べたかったんですか?」
あかりの腕を引き顔を寄せるようにしてりんご飴を盗んだ晋助。その横顔に一瞬どきりとしながらもあかりは何とか平静を装った。
「お前があんまりにも熱心に演説をするもんだからな。でも、一口で十分だな」
そうしてもう一度「甘ぇ」と口にして歩き出した。
「甘くて美味しい、ですよね」
自分の価値観に近付こうとしてくれたようなその行動が嬉しくて、あかりは一層笑みを濃くして晋助の後を追った。
*****
一頻り的屋も回った頃。晋助お勧めの花火がよく見える特等席へ案内してもらうことになったあかり。先を歩く晋助の背中だけを追って櫓のある会場の中心から離れ、提灯が続く的屋の通りからも離れて進んでいくと、少し高台になっている寂れた神社へと着いた。
「あれ?ここ……」
「どうした?」
「あ、いえ」
よくよく見れば夢の中の神社とは似ている程でも無かったのだが、シチュエーションが酷似していたせいか思わず声が洩れてしまったあかり。
社の階段の砂を払い二人で並んで腰掛ける。
「こっから丁度、あの方角に花火が上がる」と目の前の夜空を指差して言う晋助。眼下には祭りの灯りが広がり、少し顔を上げればあの夜空には花火が咲く。それは本当に特等席と呼ぶに相応しい場所で、感動したあかりは銀時達に連絡を入れようとポケットから携帯を取り出す。
「まあ、まだ時間もあることだ。ゆっくりしようぜ」
ここへ移動するまでの間の店で買った酒やつまみを見せて晋助はやんわりとあかりを止めた。ちびちびと酒を楽しむ晋助の隣であかりが焼き鳥を頬張っていると、ほんの少しだけ酒の注がれたお猪口を差し出された。
「晋助さん、私まだ未成年ですよ」
「こんなもん酒の内に入らねーよ」
「そういう問題でもないと思いますけど……」
「俺の注いだ酒が呑めねえのか」という圧力はないが、「この時間を共有した証みたいなもんだ」と諭されあかりはそれを呷った。本当に少ししか注がれていなかったのに初めて呑んだからなのか、酒が伝っていった喉が熱くなったように感じたあかり。すかさず残りの焼き鳥を口に入れ咀嚼し飲み下す。
「私にはまだ早かったみたいです」
「ガキだな」
「はい。りんご飴がお似合いでした」
からかうつもりで言った晋助にあかりが素直に返したものだから、彼も「ちげぇねー」と優しく受け止めた。それから暫く談笑を続けた二人。といっても僅かな酒を呷って上機嫌になったあかりが殆ど一方的に話しているだけだったが、晋助は特に文句を言うこともなく相槌を打っていた。本当にあの少量で酔ったのか初めて酒を呑んだという意識で酔わされたのか、若干上気した頬に両手を添えて息を吐いたあかり。隣で静かに聞いていた晋助はテンションの波が落ち着いたところを見計らってか、声を掛けた。
「あかり」
「……はいっ」
今まで「お前」としか呼んでこなかった晋助に名前で呼ばれて驚いたあかりは、ぼうっとする頭を振り背筋を伸ばして隣に向き直った。そしてあかりは再び気付く。同じような場面に。真っ直ぐにこちらを見る晋助が懐から小さな紙袋を取り出して、あかりに差し出す。
「あ、開けていいの?」
敬語だったことを忘れ思わず夢の中の少年に話し掛けるように、自らあの瞬間を再現するように意識をしない内に言葉が零れ落ちる。晋助は今まで何度かあった瞬間的に驚いたような顔を見せると、何も言わずにこくりと頷いた。夢と同じならこの中にはきっと……。恐る恐る紙袋の口を開いて中の物を取り出す。傾けた袋から滑り落ちて掌に転がってきたのは間違いない。
「……簪?」
夢で見た通りの簪、そのものだった。小刻みに震え出す掌で転がしあらゆる角度からそれを確認する。それは幾らか年月が経って色の風合いが若干変わってはいたが、どう見ても、どこから見ても、何度見ても、夢で貰った簪そのものだった。
正夢?そんなことが有り得るのだろうかと、頭が状況を整理しようとするがぼんやりとした熱が遮って上手くいかない。震える手で簪を包み込んで目の前の晋助を見やると、彼もやはりどこか驚いた様子で見返していた。簪を包む手と動揺する晋助との間を視線が何往復もして、もう一度晋助に辿り着く。
「こ、これ……」
「あかり、お前はやっぱり……」
確信を得たように晋助があかりの両肩に手を置く。するとあかりは「晋、助……」と呟いてぷっつりと糸が切れたように意識を失った。力を失ったあかりを抱き留めると「どっちだよ……」と力なく零し、何かを確かめるように背中に手を回した。肩胛骨の間辺りを探るようにさすっていた手を、今度は服の裾から滑り込ませ素肌に手を這わせる。
「無い……」
そして何かを確認すると手を抜き取りあかりを静かに横たえさせた。
「こんなもん飲ませないで、直接聞けばよかったのか?」
そう言って懐から取り出した小さな小瓶を見つめて、晋助は悔しそうに呟く。そして「時間だ」それだけ言って神社を後にした。
*****
同じ頃、源外の手伝いを終えた銀時達も会場に居た。銀時は源外と酒を呑み、神楽と新八は店を巡り祭楽しむ。長谷川が店に立つ射的に立ち寄った神楽が狙いを定めてグラサンを打ち抜くと、その隣から同じようにコルクが飛んで長谷川の腕時計に命中する。犯人は将軍の警護に当たっているはずの沖田だった。元より対抗意識の強い二人は互いに標的を長谷川のみに絞ると、ヒゲに上着に乳首にと次々と命中させていった。
「そういやチャイナ、あかりさんはどこでィ?」
「お前には1ミリも関係ないアル!」
「へー」
次々と店を変えては勝負をしていく中で、あかりの姿を見ていないことに気付いた沖田は辺りを見渡しながら確かめる。周囲に姿が無いことからまだ合流できてないようだが、少し遅くはないだろうか。とも考えたが、隙を突いた神楽にリードを取られて腹が立った沖田は再び競争に集中することにした。
*****
会場の中心。出し物をするステージと、将軍が滞在する櫓のある広場で近藤、土方を始めとする真選組の隊士達は警護に当たっている。今のところ滞りなく進行している祭りの様子に、近藤がそろそろ祭り気分を味わおうとして土方はそれに釘を刺す。近藤の言う通り何も起きなければそれでいい。あかりもこちらの世界へ来て初めての祭りだとはしゃいでいたことだし、何も起きなければ……と、そう考えながらもそんなはずは無いと警告を発する自分の感覚的な部分を受けて、周辺への警戒意識を怠らなかった土方。そこへ、夜空に一発の花火が打ち上がり源外の舞台が始まった。
_
「また……この夢」
自分の最後の記憶が普段通りに一日を終えての布団の中だったあかりは、冷静にそう呟いた。そう、あかりは最近同じ種類の夢をよく見る。どういう意味で同じかといえば、まず、シチュエーションが同じだった。田舎の廃村になってしまったような集落の、何とか住める程度に僅かばかりに手入れされた一軒の平屋。
次にそこで顔を合わせる人物。平屋に住んでいる数人の子供、男の子達。どの子も小さく、一番年上の子でも十二歳ほどだろう子供達。そんな彼らが身を寄せ合って、大人も居ないこの廃村で暮らしている。その子達はあかりのことを知っていて、慕っている風だった。そして、子供達に囲まれてあかりは小枝で地面を削りながら、文字や簡単な計算を教えているのだった。
そして、その廃村に時折訪ねてくる十五にも届かないだろう歳の男の子。その子はこの廃村に一緒に住んでいるようではなく、数日置きにやってきてあかりと話をしたり、子供達にねだられて遊びに付き合ったりしていた。荒れた貧しい環境でも、楽しいことを見つけて笑顔の絶えない子供達。そんな夢をあかりはここ最近、頻繁に見るようになった。
「お姉ちゃーん!あかりお姉ちゃーん!!」
「お帰り。どうしたの?慌てて」
「これっ、お花、きれいでしょっ?」
子供達の中でも一番小さい六歳くらいの男の子が、沢山集めた小さな花を小さな手で大事そうに包んでこちらへ駆けてきた。
「本当だ、綺麗だねえ」
「あげる!」
「え、良いの?こんなにいっぱい大変だったでしょう?」
「だって、お姉ちゃんが笑ってくれるとおもったから!」
小さな手から不器用に摘み取られた不揃いな花をあかりが受け取ると、男の子は空いた右手で鼻を擦ってにかっと笑った。
「ありがとう。じゃあ、きれいに飾らなきゃね」
「うん!」
受け取った花達を片手に移して、花を摘む時に汚れたのだろう土の付いたその子の小さな手を取り家に向かって歩き出す。すると、男の子が駆けてきた方から数人の声が上がる。
「おいっ、一緒に渡すって約束だっただろ!」
「ずりー!」
「あっ、しかも、なに手つないでんだよ!」
同じように駆け寄ってきた男の子達の手にも色々な種類の花が包まれていた。それから、わいわいと家に戻るとヒビの入ったお皿に乗せたり水瓶に浮かせたりして、彼らから貰った花をあかりは飾った。そっと花に顔を寄せれば控えめながらに優しく香って、夢だということを忘れかける。にこにこと喋る彼らの話に耳を傾けているとあかりは次第に睡魔に襲われる。「また眠くなっちゃったの?」という子供達の声を聞きながら、あかりは元の世界へ帰ってくるのだった。いや、元の世界というのも可笑しいかもしれない。銀時達の居る親しみを持ち始めた世界へと戻ってくるのだ。
目を開けたそこは、変わらない万事屋の和室。視線を横に移せば銀時が布団から足を放り出していびきをかいている。
「……もう、何回目だろう」
子供達と過ごす貧しくも楽しい日々は決して悪夢とは言えない。しかし、どうして記憶の限りでは面識もない彼らとの夢ばかりを、ここ最近で見るようになったのかがあかりには全く見当がつかなかった。あの世界の夢を見た最初の日を思い出そうと、布団に潜ったまま瞼を下ろす。日々を遡り記憶を辿る。そして、恐らく最初であろう日を思い出した。
「そうだ、銀さん達が宇宙旅行から帰ってきた日だ」
銀時達が宇宙旅行から帰ってきて、帰りの船を出してくれた辰馬に出会って、銀時がふんどし仮面を退治してくれて、それから――――
「そういえば、屯所に行く前に聞いた声……あれ、誰だったのかなあ」
自分を呼んだ姿無き声を思い出しながら、あかりは再び眠りに落ちていった。
第4話 祭りの夜と夢の君
いつもより明らかに睡眠を取った感覚に不安を感じ、ばちっと目を開けたあかり。枕元に置いておいた携帯で時間を確認すれば、休日と言えどとうに起床している時間を過ぎていて慌てて身体を起こす。
「どうして声を掛けてくれなかったんですかっ?今から朝ご飯を……」
お腹を空かせる余りに卵かけご飯などだけで食事を済ませそうな銀時と神楽を思い和室の襖を開けると、そこには銀時も神楽も新八も居らず、定春が陽の当たった窓辺で居眠りをしていた。
「あれ?定春、みんなは?お仕事に行ったのかな」
定春に尋ねるも欠伸で返されたあかり。気配を確認するように部屋を見回すと、テーブルの上にメモが残されていることに気が付く。
「銀さんの字だ。なになに…『ババアに頼まれたから騒音ジジイを退治してくる』?」
ババアというのはお登勢のことなのだろうと失礼ながらに考えるあかり。だが、騒音ジジイとは一体誰のことだろうかと江戸の町の賑やかな部分を思い出していると、メモの裏にも何かが書かれていることに気付きひっくり返す。地元民でもギリギリ分かるかどうかというような雑な地図の目的地には「源外庵」という文字が書かれていた。
「源外庵……ああ、カラクリ技師の平賀源外さんか!」
銀時達がどこへ仕事に向かったかが分かったあかりは、手早く食事と身支度、洗濯などを済ませて合流しようとする。そして、家の戸締まりまでして「さあ、出発」と靴を履き終えると同時に玄関の戸が叩かれた。
「ぎーんーとーきーくーん!」
変な人が来たと思わず肩に力の入ったあかりだったが、その後も銀時に話しかけるような具合でいる戸の向こうの来訪者。恐らく銀時の友人なのだろうと結論を出したあかりはそろそろと戸を開けた。
「あの、どちら様ですか?」
「ん?」
そこには、長く艶やかな黒髪を中程で緩くまとめて、肩から流すようにした女性……ではなく綺麗な、虚無僧のような格好をした男性が立っていた。銀時に僧侶の友人なんて居たのかと首を傾げるあかり。向き合った男性も、戸が開けられてみればまるで見ず知らずの少女が出て来たことに多少は驚いたようで、眉を寄せて唸った。そして、二,三歩後退って自分がやって来た建物の外観を確認するとあかりと同じように首を傾げた。
「どちら様ですか?」
「えっ?えーと……」
まさかのどちら様返しに一瞬怯むも、故あって居候の身であることを話すと男性は頭を抱えた。そして「もっと自分を大切にしろ」と滔々と語り始めた。それがどうやら、銀時があかりの弱味に付け込んでいるかのような口振りだったので、慌てて良くしてもらっているのだと訂正し、納得してもらう。
「改めまして、こちらで居候をさせてもらっています伊吹あかりです。あの、お兄さんは銀さんのご友人ですか?」
「桂小太郎だ。友人、友人……まあ、そんなところだ」
お互い挨拶も済んだところであかりが銀時の不在を告げると、思案する様子を見せる桂。
「あの、私これから銀さん達がお仕事へ向かった所に行くんですけど、よかったら桂さんも一緒に行きませんか?」
どんな用事で尋ねてきたかは分からないが直ぐに言伝を頼まない辺り、直接話したいことだったりまだ信用されてないのだろうと思いあかりは桂を誘った。これにも桂は考える素振りを見せ「いや、出直そう」と答えた。
「あ、じゃあこれ、どうぞ」
「こ、これはこれは、ご丁寧にありがとうございます」
出直すと言って帰ろうとした桂は、手に持っていた菓子折りを丁寧に差し出した。思わず学校で賞状を受け取る時みたく畏まったあかりが頭を上げると、桂はもう歩き出していた。受け取ったお菓子の箱を見つめながらそろりと中へ戻り、テーブルの上に置いてから家を出たあかり。銀時達に合流したら桂が尋ねてきたことを伝えようと思いながら、源外庵へ向かうのだった。
しかしどういうことか、メモにあった源外庵へあかりが到着すると銀時達の姿は無く、騒音問題を解決に来たという割にはそもそも騒音さえそこには無かった。場所を間違えただろうかと考えていると、丁度そこにご近所さんらしき女性の姿が見えて事情を話す。すると、騒音の元を持って河原に移動したという。どうしてまた河原にと疑問を抱きながら言われた場所を目指すと、何やらこんもりと山が出来ていて銀時達の姿もあった。
「何やってるんだろう……、銀さーん!」
あかりが銀時達の元に駆け寄ると機械の山の前で一人のおじさん、いや、おじいさんと形容した方がしっくりとくる齢の男性、平賀源外が膝をついていた。
「あ、お登勢さんも来てたんですね」
銀時の隣にはお登勢も立っていてあかりが挨拶をすると、折角の休みなんだから家でゆっくりしてればいいのに難儀だねえ、と返された。
「ところで、これは一体どういう状況なんで……」
「あああ、どーすんだ!これじゃ、祭りに間に合わねーよ!!」
どういう状況なんですか。と言い終える前に源外が大きな声を上げてその場に崩れた。慌てて駆けつけるあかりとは反対に、銀時と新八はその場で「祭り?」と尋ねた。源外は膝と手を地につけたまま事情を話す。それは3日後にある将軍様も訪れるという祭りに向けて披露するはずだったカラクリ芸が、銀時達の行動によって間に合わなくなるというものだった。それはそれは大変なことな訳だから、こんな時こそ万事屋の出番のはず。そう思ったあかりが銀時を見やると、銀時のみならず新八と神楽までが土手を上り帰路につこうとしていた。
「おら、お前も来い」
「え、でも、銀さん」
専門的なことは力になれなくても雑用くらいなら出来るのにと言おうと近付いたあかりの腕を掴むと、銀時は問答無用で歩みを進めた。暫く歩いて万事屋も近くなった頃、これで良かったのだろうかという思いが強くなったあかりは買い物に言ってくると嘘を吐き、もう一度あの河原に向かうことにした。
*****
カラクリが山になったその前で、源外は肩を落としながらも作業をしていた。
「あ、あの……源外さん?」
「なんだ」
振り返りもせず素っ気ない源外に少し緊張しながらあかりは手伝いを申し出た。
「お前みたいな小娘に何ができるってんだ」
「……はい、私にはカラクリのことは分かりません」
「だったらさっさと帰るんだな」
「だから、源外さんは源外さんにしかできないことをしてください。そうでないことを私がします」
少し強く当たればこんな小娘すぐに諦めるだろうと思っていた源外は、思いも寄らないあかりの言葉に作業の手を止め、初めて顔を合わせた。見た目こそ何の変哲もないただの小娘であったが、どこか他人に譲らない意志さえ垣間見せる瞳は生意気で、源外は「適わねーな」と頭を掻くとあかりに指示を出した。それから、夕方になるまで源外を手伝ったあかりは次の日の約束までして河原を去った。普段ならば屯所で働いた後に手伝える程の時間は作れないのだが、今は祭りの際の将軍護衛へ向けて変則的なタイムスケジュールになっている為、いつもより早い時間に帰れることになっていたのだ。
「それじゃあ、また明日も来ますね!」
そう言って返事も聞かずに帰って行ったあかりに、源外は眉間に皺を寄せながらも口元は笑っていた。
万事屋へ帰ったあかりは既に残骸となったお菓子の包装を見て桂が来たことを伝え忘れたと思い出した。しかし、それを聞いた銀時はさして気にとめる様子もなく、男の友人関係とはそういうものなのだろうかとあかりは首を傾げた。
*****
次の日。屯所での仕事を早めに終えたあかりは約束通り、源外が作業を続けているだろう河原を目指して足早に歩を進めていた。すると、店が立ち並ぶ通りを抜けようとした少し先で悲鳴が上がり、人が集まりだしていた。恐らく良い意味でない方の人集りの方へ進むと小さな男の子が、天人にいちゃもんをふっかけられているようだった。少年は外で元気良く遊んでいたようで手足や服に泥がついていて、対する天人にも子供の背丈とちょうど合う位置に泥をつけていた。
あれが原因かと理解したあかりは周りの人々の間を縫い少年の元まで辿り着く。そして、怯えた様子の少年と同じ目線になるようしゃがむと、子供相手に怒りをぶつける天人に向き合った。
「あの、お怒りは分かります。けど、この子も反省しているようですし、大目に見てやって頂けませんか?お願いします」
これ以上荒れることなく終わってほしいと下手に、丁寧に、相手を見上げて言った後にあかりは頭を下げる。しかし、天人の怒りは収まることはなく、自分の服がどれだけ高価な物かをつらつらと語り出した。幸いにも自分のことを話し出したからか、怒りが少年だけに向けたものから話を聞くあかりへと移ってきたので、そっと少年を自分の背へ回す。
「だから、ごめんじゃ済まねーんだよ!」
「はい。あの……では、クリーニングのお代は私が」
「当たり前だろっ、その上で誠意を見せろっていうんだよ!」
こういう輩お得意の『誠意』という単語、いつ出て来るかと身構えていたがとうとう来たか。と思わず肩が揺れるあかり。反抗すれば激昂しかねないし、平謝りに徹すればどんな無理を要求されるか分からない。ここでの選択が大きな分かれ目になりそうだ。ごくりと唾を飲み込みながら頭を垂れた状態でどうやり過ごそうかと考えていると、そんな姿に痺れを切らしたのか天人があかりの髪を掴み顔を上げさせた。
「どんな誠意を、見せてくれるのかな?」
「誠意……」
どうしよう、なんと答えれば……。ぐるぐると頭の中を駆け巡る選択肢はどれも最善なものとは思えなくて、掴み上げられた髪を引っ張られる痛さに顔を歪め、天人を見つめることしかあかりは出来なかった。すると、助けに入ろうかと迷いながら見守っていた人達の合間を縫って一人の男が現れ、依然としてあかりの髪を掴んでいる天人の胸に、脇に差していた刀の柄を押し当てた。
「抵抗ひとつできねぇ女相手にふんぞり返って、好い加減気も済んだだろ」
「ああっ?何だてめぇ」
刃の方では無いとはいえ刀を押し当てられた天人は、思わぬ乱入に怯んで掴んでいたあかりの髪を離した。押さえられた頭が自由になったあかりが自分の後ろで震える少年を抱き締め、間に入ってくれた男を見上げる。そこに立っていたのは派手な着物を着流し大きな笠を被って、頭に巻いた包帯で左目を覆った男だった。刀を携えていたことから、恐らく侍なのだろう。
「お前こそ女の前で粋がって、気は済んだか?」
体勢を直し再び偉そうに胸を張った天人は仲介に入ったのが侍だと理解するや否や、刃向かってこないだろうと挑発してきた。侍はもうお役御免だとか腰抜けだとか言うと、押し当てられた刀の柄を手で叩く。
次の瞬間。
叩き落とされた刀が地面に落ちる寸前、素早く柄を掴みそこから拾い上げるような仕草で刃を抜き、眼前に居ても見切れない程の太刀筋で天人を斬りつけた。見ることができたのは最後の刃を仕舞う姿だけで、かちんと刀を納めた瞬間に太刀筋から生じた僅かな風を感じた。
刃に掛けられた天人は茫然と立ち尽くす。しかし、身体のどこにも大きな傷が無いことから、はったりだったのだろうと高笑いの声を上げ出した。しかし、天人の身体が大きく笑い揺れる度に、彼が纏っていた自慢の洋服がぺらぺらと布切れとなり地面に落ちていく。あかりも少年も、周りで見ていた町の人達もそれに呆気に取られている間に、天人の上半身の衣服は全て落ちて素肌が現れた。流石にここまでくると異変に気付いたようで、自分の身体を二度見三度見として両手で身体に触れる。すると、遅れて太刀がやってきたように天人の胸元にすっと一本の筋が入って、ほんの薄皮一枚という具合で切れたのか線の所々にぷつぷつと血の玉が浮かんだ。
「皮一枚で済ませてやったのが誠意っつーことだ」
男が包帯に覆われていない方の右目で鋭く見やると、天人は悲鳴を上げてその場から逃げ出した。次の瞬間にはわっと周りから歓声が湧く。少年も安心したのか瞳から不安の色が消えて、「お姉ちゃん、お侍のお兄ちゃん、ありがとう!」と笑った。周りで身のこなしや太刀筋に感心し盛り上がる町人達を尻目に、男は何も言わずにその場を去っていくものだから、あかりはお礼を言わなければと急いで後を追った。
「あ、あの!」
人の波をすいすいと避けていく男に何とか付いて行くあかり。相手は聞こえていないというよりは、聞こえているが聞こえていない体でいるように見えなくもない。だが、どうしてもお礼が言いたくて暫く付いて歩くと、不意に男が立ち止まった。突然止まった男に驚きながらも何とかぶつからない距離で止まったあかり。振り返った男はキセルを咥えていて、溜め息と共に煙を吐いた。思ったよりも近かった二人の間隔。身長の差もあるので見下ろされるように開かれた目に、あかりは一歩後退りした。
「さ、先程はっ……、助けて頂きありがとうございました!」
やっと面と向かうことが叶った相手に深くお辞儀をしながら、あかりは感謝の言葉を伝えた。
「そんなこと言うためだけに、わざわざ付け回してきたのか」
返ってきた言葉は素っ気ないものであかりが顔を上げると、外方を向いて煙りを吸っていた。
「はい。だって、あの時は本当にもうどうしようかと思って……それを助けてもらったんですから、やっぱりお礼は」
「それはてめーの勝手だろ」
「……はい。そう、ですね……」
確かに。お礼を言わなきゃ気が済まないなんて考えは、相手を思ってではなく自分の気持ちを押し付けているに過ぎないものだ。男の言葉は短いながらも的確で返す言葉もないあかりは、がっくりと肩が下がり更に小さくなった。
「礼……って言ったな」
「は、はいっ」
「じゃあ、ちょっと付き合え」
「へ?」
少しの間、本気でしょげたらしいあかりを見ていた男は溜め息を零すとそう言って、再び前を歩き始めた。訳は分からなかったがあかりも男の後に続いて歩き出した。
*****
「食え」
「え、いいんですか?」
「いいから食え」
「は、はい。いただきます」
付いて行った先は茶屋であかりの目の前には今、熱々の煎茶とあんみつが置かれていた。それを向かいに座った男に直視されながら、ぎこちない動作で口に運ぶ。
「お、美味しいです」
「そうか」
危ないところを助けてもらった上に、一体全体どうして甘味までご馳走になっているのか男に尋ねると「待ち合わせをしている相手が遅れて時間が出来たから、その暇潰しに付き合え」という意味だったらしい。何だか不思議な人だなとあんみつに落としていた目線を男へ向けると、彼はまだこちらを見ていた。無言でのこの状況はあまりにもいたたまれない。会話の糸口になればとあかりは話題を振った。
「えーと、お兄さんは観光か何かですか?」
どうでもいい会話の種か、気安く話しかけられたこと自体が気に障ったのかは定かではないが一瞬だけ顔を強ばらせた男は、直ぐに表情を戻して「いいや」と返した。
「あれ、江戸の方でしたか?」
「お前は江戸中の人間を把握でもしているのか?」
「いえ、そういう訳ではありませんが、お兄さんは何というか……見た目に派手なので、見たら忘れなさそうというか」
失礼だったかな、と反応を窺うとこれは特に気にならなかったようで平然としていた。
「まあ、仕事だな」
「お仕事ですか。あっ、もしかして、お祭り関係の方ですか?」
2日後に迫った大きなお祭りへ向けて日頃からして賑やかな江戸の町は、人の出入りも増えて更に賑わっていた。観光は勿論、祭りに店を出すため外からやってくる人も多い。
「そうだな。花火が上がるのを確かめに来たってところか」
「花火師さんでしたか!」
珍しい職業の人に会えたものだと思わずテンションの上がったあかりは、さっきまでの緊張や遠慮はどこへやら、江戸へ来て初めての祭りや花火がどれだけ楽しみかと語り出した。
「あ、すみません。私ばっかりべらべらと……時間、大丈夫ですか?」
「ああ、丁度いい頃だな」
相手は待ち合わせをしていたのだったと思い出したあかりが確認すると、男は店に置かれたレトロな時計を見て席を立った。茶屋を出て、改めて助けてくれた礼とご馳走になった礼を言って頭を下げるあかり。すると、その頭上から思いも寄らない言葉が掛かった。
「当日はもう予定は決まってるのか?」
「え?えーと、行くってことだけは漠然と決めてますけど、それ以外は特には……」
あかりの返事を聞いて思案するように視線を動かした後、男は花火が綺麗に見える所を案内してやろうかと提案してきた。本職であるところの人がお勧めする場所なら、さぞ良いスポットだろうと思ったあかりは二つ返事でお願いし、当日に祭り会場で合流する約束を取り付けた。
「そういえば、お名前を聞いていませんでしたし、私も名乗ってませんでしたね。失礼しました。伊吹あかりです」
散々話していながら今の今まで名乗っていなかったことが不思議だと笑いながらあかりが名乗る。男は初めて向き合った時や茶屋での時みたく一瞬だけ目を見開くようにした後、僅かに言い淀んでから「……晋助だ」と名乗った。
「それじゃあ、晋助さん。お祭りの日はよろしくお願いします!」
「ああ、特等席へ案内してやるよ」
「はい!」
それから晋助と別れたあかりは当日の楽しみが倍増したと、ご機嫌な様子で源外の手伝いに励んだ。
*****
その日の夜。
あかりはまたしても例の夢を見た。
しかし、そこはいつもの廃村ではなく人の暮らしのある村で、道に続いた赤提灯を辿ると縁日が催されていた。いつもと違うシチュエーションなのになぜ同じ夢だと分かったかというと、それは隣を歩く少年にあった。時折、廃村へ訪れては話し相手や力仕事、子供達の遊び相手を買ってくれるその少年とあかりは縁日に来ていたのだ。
「うわーっ、お店いっぱい出てるね!」
「年上のくせにはしゃぐなよ恥ずかしい」
「えー、関係ないよ。だって楽しいでしょ?……えっ、もしかして本当に楽しんでるの私だけ?」
寂れた村ばかりみていたせいか活気のある村そのものに胸が躍るあかり。落ち着いた少年の様子に自分のテンションを省みたあかりがオロオロとし出すと、少年は視線をずらしながら「まあ、俺も楽しい、けど……」と呟いた。そんな少年が可愛くて、あかりは手を取り駆け出した。
食べ物のお店も遊技のお店も一通り回り、縁日を楽しんだところで夜空に花火が上がり始めた。屋台が並ぶ通りでは人々が足を止めて空を見上げ、みんな花火に見入っていた。あかり達も夜空を見上げたが周りの障害物や、自分達より背丈のある大人によって花火の全体を見ることはできなかった。すると少年は「こっちがよく見える」とあかりの手を引いて、少し高台になっている小さな神社へ案内した。
「本当だ、凄くよく見えるね。綺麗」
すっかり寂れた小さな神社は、参拝客がもうどれほど来ていないのかと思うくらい雑草が生い茂っていたが社は辛うじて姿を保っていて、二人で並んで階段に座って夜空に咲く花火を眺めた。少しして、打ち上げられる数もぽつりぽつりになってきたのでそろそろお終いかなと隣に座る少年を見ると、彼は真っ直ぐにこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「あかり」
「うん」
「これ」
そう言って懐から小さな紙袋を取り出して、少年はあかりに手渡した。「開けていいの?」と聞けばこくりと一回頷く。閉じられた紙袋の口を開け中の物を掌に滑らせると、それは一本の簪だった。
「わあ、綺麗な簪だね」
掌で転がし色んな角度から眺めてあかりがその美しさに溜め息を吐くと、少年は一言「やる」とだけ言って視線を花火に戻した。「いいの?」と尋ねれば横顔のまま首を縦に振り肯定した。花火の灯りに照らされてか照れ臭いのか少し染まった少年の顔に思わず頬を緩ませながら、あかりは下ろしていた髪をまとめ上げて簪を挿した。そろそろ終わりと思っていた花火が最後の盛り上がりにか、一斉に打ち上がり夜空を華やかに彩る。花火の大きな音で他の全ての音が掻き消されしまう瞬間、あかりは少年の耳元に顔を寄せ囁いた。
「ありがとう。大切にするね……くん」
弾かれたように勢いよくあかりへ振り向いた少年の顔は、花火のせいではないと確信できるくらい赤く染まっていたのが夢の終わりだった。
*****
「……今回はお祭りの夢か。なんとタイムリーな」
段々お馴染みの場所やお馴染みのメンツに会うのも慣れてきたあかりが、冷静に夢の記憶を整理しようとするとあることに気が付く。
「あれ、あの子の名前なんだったっけ?」
夢の中ではいつも呼んでいるのに目を覚ますと少年の名前も、はっきりとした顔も思い出せないのだ。さっきまであんなに照れた表情が可愛いなんて感じていたのに。不思議な夢に限らず、夢とは得てしてそんなものかと自分に言い聞かせてあかりは布団を出た。
祭りを明日に控えた今日もあかりの行う仕事の内容は常日頃と変わらないものだが、真選組の隊士達は将軍様を直接守るという大きな仕事に備えており、屯所内は慌ただしくなっていた。これじゃあ、彼らは祭りを楽しむことなんて出来ないのだろうと残念に思いながらあかりが洗濯物を干していると、不意に声を掛けられた。振り返るとそこには土方が煙草を咥えて立っている。
「あ、土方さん」
「お前、祭りは行くのか?」
「はい、勿論ですよ!すっごく楽しみです!でも、土方さん達はお祭りを楽しむって感じじゃないですよね……」
「ちょっと残念です」とあかりが言うと土方は、将軍を守るという名誉ある任務に大将も喜んでいるし悪くない、と返した。確かにここ数日の近藤の張り切りっぷりと目の輝きは三割り増しという具合だった。我らが大将のそんな姿を見せられたら、仕事を全うすることで応えようともしたくなるのだろう。
「将軍様を守るお仕事ですけど、土方さん達も気を付けてくださいね」
「ああ、何事もないのが一番良い」
「退屈にはなるがな」と口の端を上げて余裕の表情を見せた土方は一息煙を吐き出した後、「一応」と言ってあかりに言葉を続けた。
「お前も気を付けておけよ」
「お祭り、危ないんですか?」
「いや、まあ、用心ってやつだ」
「用心、ですか」
万が一、祭りで騒ぎが起こるようなことになれば関わらずさっさと逃げるように、とあかりに釘を刺す土方。
「一人で行く訳じゃないんだろ?」
「あ、はい。お祭り会場で合流する予定です」
「そうか、なら大丈夫だろ」
あかりが合流しようとしている相手が出会ったばかりの『晋助』などという男だとは思うはずもない土方は、一人で祭りに行く訳ではないことを確認し、納得したような顔を見せると仕事へと戻っていった。聞かれた方のあかりは仕事だけでなく、自分にまで気を配ってくれたことを有り難く思っていた。しかし、ふと土方は合流すると言った相手を、銀時達だと思っているんじゃないかということに気付く。
「でも、花火の場所を教えてもらったら銀さん達も誘うつもりだし……嘘はついてないよね?」
と余り気に留めることなく作業に戻った。そして、その日も屯所での仕事を終えると、河原で源外の手伝いをしてあかりは万事屋へ帰るのだった。
*****
とうとうやってきた祭り当日。
あかりがいつものように屯所へ向かおうとすると、銀時達も同じく万事屋を出ようとする所だった。
「銀さん、今日はお仕事早いんですね」
あかりが尋ねれば、銀時は普段から半開きのような目を更に気怠げにした眠そうな目で「ああ?」と返す。のろのろとブーツを履く姿からは、説明を返せるほどエンジンがかかっていないことが伝わりあかりは仕方がないと諦めた。外では先に出ていた神楽が大きな声で銀時を呼んでいて、それにも嫌そうな顔を見せるものだからあかりは神楽の話し相手をするべく表へ出た。
「神楽ちゃん、銀さんもうすぐ来るから、ちょっと待ってね」
「銀ちゃんのどこに身支度に時間かける要素があるネ」
「まあまあ、そう言わないで」
レディを待たせるなんて、と言う神楽を宥めていると新八がやって来た。
「あかりさん、おはようございます」
「あ、新八くん、おはよう。今日はもうお仕事なの?」
朝から爽やかに挨拶をしてくれる新八に安心したあかりが銀時から聞けなかった質問をすると、彼らは祭りまでにラストスパートをかける源外を手伝いに行ってくれるということが分かった。
「そうだったんだ!昨日じゃまだ作業終わらなかったから心配だったんだ」
「お登勢さんに頼まれちゃって。銀さん、それでも手伝う気無かったんですけどね」
「でも、こうして行ってくれるんでしょ?」
「あかりさんがここ数日手伝ってることを言われて、重い腰を上げたって感じです」
「銀さんは優しいから、最初から間に合わなければ手伝うつもりでしたー」
新八と話していたあかりの頭に不意に重さが加わり、くしゃくしゃとされる。「もう、やめて下さいよ」と優しくその手を除けると、少し不服そうな顔をした銀時が立っていた。
「そうですよね。銀さんは優しいですもんねー」
「え、なにあかりちゃん、その棘のある言い方……」
「冗談ですよ。ありがとうございます、銀さん。お祭りまでに間に合うと良いですね」
「まあ、間に合わなくても俺達は祭りに行くけどな」
そんな風に言いながらも、きっと間に合うよう頑張ってくれるのだろうと思えたあかりは、3人に会場で会おうと約束をする。
「あ、そうでした。私この前、このお祭りで花火を上げる花火師さんに会って、その人がよく見える場所を案内してくれるんです。銀さん達も一緒に行きましょうよ!」
「わあ、いいじゃないですか!行きましょうよ銀さん!」
「花火めっちゃ見えるネ?」
「うん。きっとよく見えるよ!」
盛り上がるあかり達を見ながら「そんな奴、いつ会ったんだ?」と聞きながらも、新八と神楽に押し切られて銀時は了承してくれた。そして、会場で連絡を取り合って合流するという確認をすると、あかりは銀時達と別れ屯所へ向かった。
「今日はやること全然無いなあ……」
祭り当日であるこの日。屯所は殆どの人間が出払っていて、普段では考えられないくらいに静かだった。いつもなら炊事、洗濯、掃除など何かをしていれば、その途中で隊士達に細々とした頼まれ事をされて時間に追われるくらいだった。今日はそんな隊士達が居らず、スムーズ過ぎる仕事運びで時間ができて、あかりは縁側に座っていた。
「おや、サボりですかィ?」
声のした方へ顔を向ければ廊下の角を曲がってきたところだった沖田にそう言われる。
「今日は皆さん警護でお祭りの方へ行ってるじゃないですか。だから余り頼まれ事がなくて、やること済んじゃいました」
「サボっていると言われればそうかもしれません」とあかりが眉尻を下げて言うと、沖田は「へー」とだけ言って隣に腰掛けた。
「そういう沖田さんは、まだ会場に行かなくて良いんですか?」
「どうせまだ将軍来てないし、行く必要ありやせん」
「そういう問題じゃないと思いますけど」
あくまで任務は将軍様の護衛といえど、その護衛対象が来るまでに辺りの安全を確認し整えるのも大事な仕事なんじゃ……と思いつつ沖田を見ると、祭りが楽しめないから将軍なんて来るな、というようなことをボヤき始めた。放置したらこれ以上なにを言うか分からないと思ったあかりは慌てて話を切り上げ、沖田を任務へ送り出すべく腕を引いて立ち上がらせる。
「と、とにかくっ、大事な任務なんですから怪我なく頑張って下さいね!」
「へーい」
あかりに玄関まで背を押され渋々会場へ向かうことにした沖田は靴を履き爪先でとんとんと床を叩いた後、監視も含め見送るあかりにちらりと視線を送る。
「あーあ、あかりさんと花火、見たかったんですけどねィ」
ちょっとは照れてくれるんじゃないかと沖田があかりの反応を確かめると、全くの平常心でいるようで「そうですね。私も皆さんとお祭り行きたかったです」と微笑み返される。なんだか肩透かしを食らった気分となった沖田は「そうですねィ」と気持ちを込めずに言って屯所を後にした。
その後も順調に作業を終えたあかりは祭りへの期待を胸に抱えながら、まずは源外の準備が間に合ったのか河原へ見に行ってみることにした。
「あれ、誰もいない……というか何もない」
ここで間違いないだろうなと辺りの景色を見回すあかり。確かにそこは源外がカラクリ作りに勤しんでいた場所で間違いは無かった。源外や銀時どころが工具や材料も全く無く撤収済みであることから、準備が完了したのだと判断したあかりは一安心して会場へと歩を進めることにした。
*****
流石、将軍様も訪れるという祭りだけあって、会場は賑わいを見せている。段々と日が沈み暗くなっていく通りを、整然と吊された提灯に導かれるようにして進むあかり。晋助との待ち合わせ場所として選んだ大きな柳の木に着くと辺りを見渡して、まだ相手が居ないことを確認する。木の幹に寄りかかりながら通り過ぎて行く人々と祭りの風景を見ていると、あかりの頭には昨日見た夢の光景が重なった。
「そういえば、今日は夢見なかったな……」
少年と過ごした楽しい一時が途切れ途切れに浮かび上がってきて、瞳では現実の祭りの風景を見ているはずなのに頭では夢の中の祭りを認識しているような、不思議な感覚に襲われる。そして、全く思い出せなかったはずの少年の名前を、無意識に口に出すあかり。
「……くん」
すると次の瞬間、何者かに思い切り手首を掴まれた。
「お前っ、やっぱり……!」
そこには約束をしていた晋助があかりの手首を掴み、酷く狼狽した様子で目を見開いていた。
「……あ、晋助さん」
掴まれた力の強さで意識が戻ったようにはっとしたあかりが晋助の名前を呼ぶと、晋助もまた同じようにはっとして掴んでいたあかりの手を放した。手を放したその一瞬だけ、寂しそうな顔を見せたのが気になってあかりがどうしたのかと尋ねようとするも、晋助は言葉でそれを遮った。
「晋助さん……あの」
「待ったか?」
「い、いえ。つい今さっき来たところです」
「そうか」
そして、まだ時間があるから祭りを見て回るか、とだけ言って歩き出した。あかりは人混みでその姿を見失ってしまわないよう、駆け足で晋助に追い付いて隣に並んだ。何かあったのだろうかと晋助の表情を盗み見るも、左隣に並んだせいで包帯に覆われた左目からは心情を推し量ることはできなかった。
始まりこそぎこちないやり取りとなったが、少し歩けば祭りの雰囲気も手伝って晋助とあかりの間の空気は、茶屋で話した時のように自然なものになっていった。
「晋助さん、見て下さい!ヒヨコ可愛いですよ!」
おしくら饅頭でもしているみたくひしめき合うヒヨコに瞳を輝かせるあかりに、「成長したら可愛くねーぞ」と晋助は笑った。
「た、確かにっ、家の中にニワトリがいる風景……全然しっくりきません!」
毎朝大声で鳴きながら万事屋をうろうろして銀時達をつつくニワトリの姿を想像するあかり。余りの非日常感だった。更に想像を膨らませていくと、金欠状態に陥った際に非常食にされかねない状況さえ思い浮かんであかりの顔色は変わっていく。ヒヨコを飼った想像の末、百面相を展開するあかりに晋助は小さく笑って、顔を蒼くさせるあかりの目の前に何かを差し出した。
「あ、りんご飴!」
「移り気はえーな」
視界に滑り込んだ物体をりんご飴だと把握すると、またしても瞳を輝かせたあかり。呆れた風に手渡す晋助のことなど気にも留めずに受け取って、棒をくるくるとさせ観察する。
「綺麗ですねー。あの、これ」
「食いもんだぞ」
「知ってますよ。頂いていいんですか?」
「俺が食べると思ってんのか?」
「……えーと。いえ、いただきます」
晋助が自分の為にりんご飴を買って嬉しそうに食べる姿を想像し欠けたところで打ち切り、あかりは赤い宝石に口付けた。小ぶりなりんごにコーティングされた飴にもしっかりとりんごの味がついていたそれは、含んだ途端口いっぱいに甘酸っぱい味わいが広がった。
「うーっ、美味しいです!」
「りんご飴一つでめでたい奴だな」
金の掛からない奴だと、これまた笑う晋助にりんご飴の美味しさと美味しいものを食べる幸せをあかりが力説すると、すっと手首を取られた。しかしそれは、待ち合わせ場所でされたような力を込めたものでなく、優しく攫うようなもので掴んだ手首をそのまま自分の方へ寄せると晋助はりんご飴に口をつけた。
「あっ」
「甘ぇ」
「晋助さん、食べたかったんですか?」
あかりの腕を引き顔を寄せるようにしてりんご飴を盗んだ晋助。その横顔に一瞬どきりとしながらもあかりは何とか平静を装った。
「お前があんまりにも熱心に演説をするもんだからな。でも、一口で十分だな」
そうしてもう一度「甘ぇ」と口にして歩き出した。
「甘くて美味しい、ですよね」
自分の価値観に近付こうとしてくれたようなその行動が嬉しくて、あかりは一層笑みを濃くして晋助の後を追った。
*****
一頻り的屋も回った頃。晋助お勧めの花火がよく見える特等席へ案内してもらうことになったあかり。先を歩く晋助の背中だけを追って櫓のある会場の中心から離れ、提灯が続く的屋の通りからも離れて進んでいくと、少し高台になっている寂れた神社へと着いた。
「あれ?ここ……」
「どうした?」
「あ、いえ」
よくよく見れば夢の中の神社とは似ている程でも無かったのだが、シチュエーションが酷似していたせいか思わず声が洩れてしまったあかり。
社の階段の砂を払い二人で並んで腰掛ける。
「こっから丁度、あの方角に花火が上がる」と目の前の夜空を指差して言う晋助。眼下には祭りの灯りが広がり、少し顔を上げればあの夜空には花火が咲く。それは本当に特等席と呼ぶに相応しい場所で、感動したあかりは銀時達に連絡を入れようとポケットから携帯を取り出す。
「まあ、まだ時間もあることだ。ゆっくりしようぜ」
ここへ移動するまでの間の店で買った酒やつまみを見せて晋助はやんわりとあかりを止めた。ちびちびと酒を楽しむ晋助の隣であかりが焼き鳥を頬張っていると、ほんの少しだけ酒の注がれたお猪口を差し出された。
「晋助さん、私まだ未成年ですよ」
「こんなもん酒の内に入らねーよ」
「そういう問題でもないと思いますけど……」
「俺の注いだ酒が呑めねえのか」という圧力はないが、「この時間を共有した証みたいなもんだ」と諭されあかりはそれを呷った。本当に少ししか注がれていなかったのに初めて呑んだからなのか、酒が伝っていった喉が熱くなったように感じたあかり。すかさず残りの焼き鳥を口に入れ咀嚼し飲み下す。
「私にはまだ早かったみたいです」
「ガキだな」
「はい。りんご飴がお似合いでした」
からかうつもりで言った晋助にあかりが素直に返したものだから、彼も「ちげぇねー」と優しく受け止めた。それから暫く談笑を続けた二人。といっても僅かな酒を呷って上機嫌になったあかりが殆ど一方的に話しているだけだったが、晋助は特に文句を言うこともなく相槌を打っていた。本当にあの少量で酔ったのか初めて酒を呑んだという意識で酔わされたのか、若干上気した頬に両手を添えて息を吐いたあかり。隣で静かに聞いていた晋助はテンションの波が落ち着いたところを見計らってか、声を掛けた。
「あかり」
「……はいっ」
今まで「お前」としか呼んでこなかった晋助に名前で呼ばれて驚いたあかりは、ぼうっとする頭を振り背筋を伸ばして隣に向き直った。そしてあかりは再び気付く。同じような場面に。真っ直ぐにこちらを見る晋助が懐から小さな紙袋を取り出して、あかりに差し出す。
「あ、開けていいの?」
敬語だったことを忘れ思わず夢の中の少年に話し掛けるように、自らあの瞬間を再現するように意識をしない内に言葉が零れ落ちる。晋助は今まで何度かあった瞬間的に驚いたような顔を見せると、何も言わずにこくりと頷いた。夢と同じならこの中にはきっと……。恐る恐る紙袋の口を開いて中の物を取り出す。傾けた袋から滑り落ちて掌に転がってきたのは間違いない。
「……簪?」
夢で見た通りの簪、そのものだった。小刻みに震え出す掌で転がしあらゆる角度からそれを確認する。それは幾らか年月が経って色の風合いが若干変わってはいたが、どう見ても、どこから見ても、何度見ても、夢で貰った簪そのものだった。
正夢?そんなことが有り得るのだろうかと、頭が状況を整理しようとするがぼんやりとした熱が遮って上手くいかない。震える手で簪を包み込んで目の前の晋助を見やると、彼もやはりどこか驚いた様子で見返していた。簪を包む手と動揺する晋助との間を視線が何往復もして、もう一度晋助に辿り着く。
「こ、これ……」
「あかり、お前はやっぱり……」
確信を得たように晋助があかりの両肩に手を置く。するとあかりは「晋、助……」と呟いてぷっつりと糸が切れたように意識を失った。力を失ったあかりを抱き留めると「どっちだよ……」と力なく零し、何かを確かめるように背中に手を回した。肩胛骨の間辺りを探るようにさすっていた手を、今度は服の裾から滑り込ませ素肌に手を這わせる。
「無い……」
そして何かを確認すると手を抜き取りあかりを静かに横たえさせた。
「こんなもん飲ませないで、直接聞けばよかったのか?」
そう言って懐から取り出した小さな小瓶を見つめて、晋助は悔しそうに呟く。そして「時間だ」それだけ言って神社を後にした。
*****
同じ頃、源外の手伝いを終えた銀時達も会場に居た。銀時は源外と酒を呑み、神楽と新八は店を巡り祭楽しむ。長谷川が店に立つ射的に立ち寄った神楽が狙いを定めてグラサンを打ち抜くと、その隣から同じようにコルクが飛んで長谷川の腕時計に命中する。犯人は将軍の警護に当たっているはずの沖田だった。元より対抗意識の強い二人は互いに標的を長谷川のみに絞ると、ヒゲに上着に乳首にと次々と命中させていった。
「そういやチャイナ、あかりさんはどこでィ?」
「お前には1ミリも関係ないアル!」
「へー」
次々と店を変えては勝負をしていく中で、あかりの姿を見ていないことに気付いた沖田は辺りを見渡しながら確かめる。周囲に姿が無いことからまだ合流できてないようだが、少し遅くはないだろうか。とも考えたが、隙を突いた神楽にリードを取られて腹が立った沖田は再び競争に集中することにした。
*****
会場の中心。出し物をするステージと、将軍が滞在する櫓のある広場で近藤、土方を始めとする真選組の隊士達は警護に当たっている。今のところ滞りなく進行している祭りの様子に、近藤がそろそろ祭り気分を味わおうとして土方はそれに釘を刺す。近藤の言う通り何も起きなければそれでいい。あかりもこちらの世界へ来て初めての祭りだとはしゃいでいたことだし、何も起きなければ……と、そう考えながらもそんなはずは無いと警告を発する自分の感覚的な部分を受けて、周辺への警戒意識を怠らなかった土方。そこへ、夜空に一発の花火が打ち上がり源外の舞台が始まった。
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