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安城糸音、平成最期の夏休み

『…来いと?』
「ああ、来てくれ。見せたいものがあるんだが、言葉じゃちょっと伝えづらくてな」
『…姉さんは連れてこなくていいのか?』
「君の好きにしてくれ、連絡がついたらでいい。ご両親に挨拶もしなくていいよ」
『…分かった。明日の昼になると思うが』
「了解」

電話を切って嘆息する。
(まあ、姉さんは連絡がつかないと思うが)
何故なら先に着いてくれるようにすでに連絡をしてあるからだ。
『弟に知られたくなければ』なんて悪役顔負けの台詞もLINEに入れたから、明日の朝には飛んでくるだろう。




(…という事情でそろそろ本気で帰らないとまずいんだが…にしても)

「…綺麗だな…」
見上げた景色に、思わずそんな言葉が漏れる。
わずかに星を散らした薄青の夜明けの空には蒼白い火の手が煌々と上がっていた。
温度が高いのだろうか、今更そんな常識を適用するのも馬鹿らしいが。
何故周りの木々に燃え移らないのかは知らないが、美しいことは確かだ。
しかしいつまでも見惚れているわけにもいかない。
「帰るか…」

気が緩んだ拍子にますます痛んできた腕を押さえて踵を返す。
あの小屋の近くの斜面を下ろうとして、ふと聞こえてきた声に耳を澄ました。


「あまがさー!」
「雨笠ー!?」

よく知っている、悲痛な叫び声がふたつ。
一気にこんな所で放心している場合ではないことに思い至る。
(そういえば俺の部屋、スプラッタ映画顔負けな感じになってないか…?)
犬から逃げ回っていたのだからしょうがないのだが、あんな惨状を残して消えてしまったら、そりゃ悲痛な声で探される羽目にもなる。
慌てて山道をできる限りの速さで下り、声のする方へ向かう。

「ごめん、ごめん無事だ…!」

「雨笠!?」
「え?!どこ、どこ…!?」


山道の先、ようやく見えてきた砂利道の駐車場のそばに、彼らの姿もあった。
難しい顔で話している大人たちと、そのそばで身を寄せ合い泣きながら叫んでいた双子が、弾かれたようにこちらを見た。
のろのろと砂利道に足を踏み入れながら、笑ってみせる。
(ようやく帰ってこれた…)

「雨笠だ…!」
「無事!?よかった…!…」

彼らも泣きながらこちらに駆けてきて、そして。
不意にその顔が、驚いた様子に変わった。

「?どうした──」
「雨笠後ろ!」


次の瞬間、後ろからの衝撃で視界が、というか俺の身体が吹っ飛んだのは分かった。
ほぼ同時に振り返った景色はスローモーションに変わり、白い軽トラの荷台がこちらに向かってきているのと、運転席から顔を出して間抜けな顔で驚いている中年男性を見たような気もするが、まあ有無を言わせず、地面に叩きつけられたらしい。
後は頭が真っ白になる。

(…間違いなく…愛理くんを連れて来るべきだった…)

薄れ行く意識の中、心からそう思った。






「…どこで待てって?」

岩と丸太で区切っただけの山道、絡まり合った木々の下では、明らかに不釣り合いな黒いコートにパンプス。
自分の呟きは、静かに森のざわめきに吸い込まれていく。

(見つかったら面倒なのに…こういう時に限って連絡つかないし)
いくら待っても彼からは連絡ひとつ来ない。
村全員と知り合いだ、一人でもすれ違ったらアウトなのに、これ以上ここで待てと言うのか。
(…家の方、騒がしいわね)
遠くから見ただけでも、何か騒いでいるのがわかったほどだ。
彼が全く姿を現さないことと何か関係があるのかもしれないが、だからといって顔を出すわけにもいかないのがもどかしい。

(…いつまでも、こうしているわけにはいかない)

まるで空白の思い出と、たしかにここに居たはずの山道。
けれど覚えている、ここの景色と、『何か忘れている』ことを。

(…行ってみよう。ここまで来てしまったのだから)
やぶれかぶれな気持ちで、山の中へ足を一歩踏み出す。
たとえ血塗れの手の真相を知ることになっても、姿の見えない過去に悩まされ続けるよりは、マシだ。

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