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安城糸音、平成最期の夏休み

「…君たち、何を言って…」
「え?何か変なこと言ってる?」
「…?」
二人とも全くピンと来ていない様子で、もしかして俺がおかしいのだろうか。
(いや…落ち着け)

「君たち昨日は、俺と山に行って逃げ帰ってきたじゃないか」
「昨日?」
「昨日…」

何かを思い出そうとした双子たちも、俺と同じような困惑した様子に変わっていく。

「昨日、蛍たち…何してた?」
「…雨笠とお風呂に入ったのは覚えてるけど…」
「…その前は?」

「…全然思い出せない」
途方に暮れたようにそう呟いた蛍の顔が、夢の中の彼女に重なって見えた。

(…『何か、忘れてる』)
手にしたままの鎖が、ちゃり、と鳴る。

「…じゃあ君たち、これに見覚えは」
掲げたそれを、二人はまるで見たことがないものを見るように見つめる。
「…鎖紐?おばあちゃんがくれるやつ…」
「でもそんな綺麗な色のは、見たことないけど…?」

「…ちょっとした、マジックでも披露しようか」
若干声が震えている。
落ち着け、ここが正念場だ。

「ええ?」
「何する気?」
「まあ、腕を出してみてくれ」
「いいけど…」
その腕輪らしく誂えた鎖を、彼らの手首にくぐらせる。
別に何かが起きたわけではないが、彼らの顔が、ぱっと輝くのは分かった。

「…思い出した!どうなってるの!?」
「僕ら、山で遊んでたよね!何で村の方だと思ったの!?」

「…催眠術の一種、みたいなものだな。多分」
聞こえないほどの声で呟く。確信はない。
「すごいよこれ!蛍全然思い出せなかったもん!」
「いつ!?どうやったの…!?」
「内緒だ。説明がちょっと難しいからな…驚いたか?」
「うん…!」

あまりに嘘っぱちを無理やり繋げて適当に笑えば、双子はすごいすごいと二人で騒いでいる。多少不自然なほどだ。
彼らも何となく、気づいてはいけないことを分かっているのかもしれない。
とにかく彼らに不安を抱かせてはいけない、それだけを目的に言葉を紡ぐ。
「…たしかにこの鎖は面白いものだってことだな。肌身離さず大事にした方がいいな」
「わかった」
「たしかに。今のはちょっと怖かったもん」
「はは、悪い悪い…もうしない。みんなには内緒にしてくれよ?」
「はーい」

ほらもう朝ごはんだ、と仕切り直せば二人で走っていった。
姿が見えなくなるのを見送って、どっと汗が噴き出す。

(…少なくとも鎖に関しては、何となく見えてきた)
これを握りしめて見た夢も、もうただの夢だなどと笑ってはいられない。
(俺が見たのは、『誰』だ?)
そして夢の中の『俺』は、誰だったのだろうか。


夢の中の『僕』の隣にいたのは、蛍ではなかった。
それならば何となく答えは見えてくる。
糸音のそばにいたのは、安城色人だ。
(そして彼女が助けを求めたのは、『おじいちゃん』…)
安城は、鎖を大事なものだと言った。

(…もう一度だけ、フランシスに会うべきかもしれない)
どうにか、殺されないで済む状況を作れれば。
(どうすればいい?)





森の中というものは虫やら鳥やら、風が強く吹けば葉っぱの音だって、意外と騒がしい。
だから最初、おじいちゃんが小さい声で何て言ったか聞き取れなかったんだけど。
「え?」
「君たちは、寂しいと思うことはないんだろうね、って言ったんだよ」
「え?何で?」
「急にどうしたの?」
「いつも二人だから」

優しい手が、僕らの頭を撫でる。
「たしかに、離れたことはないし」
「寂しいと思ったことは、あんまりないけど…」
何となく、言わなければよかったと思った。
おじいちゃんの方はとても寂しそうな顔をしていたから。
「これからも、ずっと三人でいられたらいいのに」
「…夏休みが終わったら、帰らなきゃなんないもんね?そういうこと?」
「…ああ、そうだよ」
「来年も絶対来るよ!約束する」
「…そうか。ありがとう」
おじいちゃんはそう言って笑ったけど、やっぱり少し悲しそうで。
「…おじいちゃん?大丈夫?」
「…まだ雨笠のこと、怒ってる?」
「いいや?ただ君達が、もう来てくれないんじゃないかと思っていたから…」
「来るよ!楽しいもん!」
「雨笠にも止められなかったし!」
「…そうか」
君たち、明日も来てくれるかい?と問われ、力強く頷く。

「また一緒に遊んでくれるんだね」

本当に嬉しいよ、と笑ったから、おじいちゃんまで子どもみたいだ、と思った。





「何だ、なんか用か。暇なのか?」
「ええ、先程役場の資料を見てきたので、今日は」
「は、民俗学者のフリか。ご苦労なことだ」
「ははは…本物ですよ」
役場で本人以外に開示できない戸籍の棚を横目で見ながら無駄話をして、家に戻ればちょうどいた御老人に声をかけられた。妙に気に入られたらしい。
今となっては、こちらとしても好都合だ。
「あの、もしよければ…蔵を見せてもらえないかと」
「ああ?金目の物なんてないぞ?」
「いえ、鎖紐を見てみたいんですよ。役場で聞いたんですが、昔は鍛冶場がここの近くに建っていて、取り扱っていた鎖で残ったものはほとんどこの家にあるとか」
「ああ…?たしかに、今は大して価値もないから蔵に仕舞いっぱなしだが…」
「ぜひ、見せていただければと。他にも、色々…当時の生活が分かるものもあるかもしれないですし」
「物好きだねえ…」


「…女物もあるんですね」
新生児用の服がふたそろい。
桃色と水色で、男女の物だと分かる。型は同じだ。
「鎖紐はこっちだが。それは息子のだ」
「息子さん、だけだったのでは?」
「…妻が揃えた。あれは女の子が欲しかったんだ。やめろと言っても、全部ふた揃い用意してた」
「この辺の…おもちゃも?」
「ああ、何もかも。実際に息子だった時は、正直残念がってたよ。俺は世継ぎが生まれて安心したけどな」

「…誼光さん」
「何だ?」
「あなた本当は──」







「あ、雨笠だ」
「今日はずっと家にいたの?」
「ああ…蔵を探したり、資料を漁ったりしてた。これが戦利品だ」
放り投げたそれを蛍が受け止めて、歓声を上げる。
「何これ可愛い〜!!!クマさんだ!新品!?こんなの蔵にあったんだ」
「ええ、ずるい!僕には?!」
「…そういう、あげられそうな状態のものは、可愛いのしかないんだが。欲しいならいくらでも」
「僕がぬいぐるみで遊んでどうするのさ!」
「蛍に付き合ってよ。一人じゃ人形遊びはできないもん」
「はは、元気だな」
「…あれ?雨笠は元気ない?」
「だいぶ調べたからなあ…君たちは、フランシスと会ったんだよな」
「あ、うん。もう雨笠のことは怒ってなかったよ」
「なんかむしろ、しゅんとしてた」
「しゅんと…?」
「もう遊んでくれないのかと思った、って」
「別にそんなことしないのにね。僕らが怒られたわけじゃないし」
「山で遊ぶのは、楽しいもんね」
「…他には何か?」
「何か?うーん…」
「あ、二人なら、いつも寂しくないんだろうねって」
「ずっと三人でいられたらいいのに、って言ってたよ」
「おじいちゃん、寂しいのかな…」
「…そりゃ寂しいだろう。あんな所に独りでいたら」
「たまには、村まで降りてくればいいのにね。そりゃ浮いちゃうかもしれないけど…」
「蛍たちが説明すれば、みんな分かってくれないかなあ」

「………」

一人は寂しい。
増えた子ども。
記憶を盗む鎖。
山犬と、双子。
三人でいたい。

(二人、なら…)


「…雨笠?大丈夫?」
「早く寝た方がいいよ。蛍たちのお父さんは寝なさすぎて倒れたんだよ」
「倒れると大変だよ〜」
「…それはよく知ってるさ。…ところで君たち」

「もう一度だけ、その鎖を借りていいか?」
「ええ…?」
「えー、やだ…」
「もう一度だけ。頼む」
「え…どうしたの、雨笠?」

妙に真剣な声に、珍しく蛍がひるんでいる。
葵は思った。
今日はなんだか、わけもなく悲しそうな人が多い。
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