安城糸音、平成最期の夏休み
「誼光さん、あなた本当は、分かっていらっしゃるでしょう」
薄暗い蔵の中、隅の方に鎮座していた赤いランドセルを取り上げる。
「ああ?何の話だ…」
「これは彼女のランドセルです。使い込まれているし、安城糸音、と名前の刻印まで残っている。これを偽物だと断定することは、俺にもできません」
「……それがどうした」
「こちらの新生児用品は、たしかに使われていない。この時点では、彼女はいなかったのかもしれない」
目の前の御老人は憮然とした顔で聞いている。
「けれどこのランドセルは、『居ることの証拠』です。少なくとも小学生からの彼女は、たしかにここに存在しています」
「…………」
「それだけでは、ダメですか」
これはあくまでただの問いかけだ。
選ぶのは彼で、俺ではない。それでも。
しばらくの沈黙の後、大きな溜息が響く。
「…何で家族のことをとやかくお前に言われなきゃならん」
「その通りですね」
「…しかし、こんな物まで残ってるとはな」
ランドセルをもぎ取るように持っていかれて慌てて手を離す。
そのまま黙って何とも言えない顔でそれを眺める彼を、俺もただ、見ていた。