安城糸音、平成最期の夏休み
(…鎖紐)
横倒しの視界、持ち上げたそれは部屋の電灯に照らされ、鈍く光る。
これが全ての元凶なのは間違いない。
(これが安城の元にもある、ということは。安城姉弟とフランシスには関わりがあった、ということだ)
では何故、フランシスは彼らの記憶を消したのか。
(…何か、後ろめたいことがあったから)
それは例えば、墓に隠さなければならないようなことが。
(墓の、骨と思しきものの持ち主は分からない。調べようもない…しかし心当たりならある)
安城色人、彼は少々普通ではない身体を持っている。
そこには秘密があって然るべきだ。
(とっかかりとしてはそんな感じか…?問題は山積みだが)
双子、おそらく糸音と、フランシスの間で何かがあった。
後には骨が残って、安城色人が糸音の弟として増えた、と。
(…いや、すごい違和感はあるが…)
一人骨になって減ったならともかく、何故増える。
鎖を放るように腕を床に投げ出す。
黙って転がっていると、雨の止んだ外では虫の声が騒がしいくらいだ。
(分からないなー…骨が見つかったのに人がそこで一人増える理由…)
大体いないのは糸音だと主張する、父親の記憶は何なんだ。撹乱か何かだろうか。
(撹乱してどうする?…増えたことを隠したかった?)
「…おっと」
思考を遮るように電話が鳴り、虫の声と重なって更に騒々しい合奏になった。
起き上がり、通話ボタンで騒音を止める。
『…もしもし』
「やあ、君の方からかけてくるなんて珍しいな」
『進捗が気になってな…』
「ああ…君の父親と、直美さんと話したよ。直美さんは良い人だな」
『…まあ、彼女は確かに…』
「…あんな良い人に自分の親父を任せるのは気が引けるんじゃないか?」
『…さっさと説明しろ』
「はは、ごめん。…そうだなあ、先に質問して良いか?鎖のことなんだが」
『…またそれか。姉さんにも聞いたが、全く覚えがないそうだ』
「…なるほど。何度も訊いて悪いが、君は?何も覚えていないのか?」
『だから、覚えてないって言ってるだろ。そうしつこく訊かれても同じ答えしか返せない』
「うーん、じゃあ、今日はそういうのじゃなくて…その鎖、持ってて何か感じたことはないか?違和感とか」
『…新興宗教みたいなことを言うな…違和感?』
「そう、違和感」
『違和感…と言うか』
少々戸惑い気味の声が続ける。
『大切な物だという気は、する。だから着けてる』
「へえ…」
直感は証拠にはならないが、物事を考える時の指標にはなる。
安城がその一言を導き出したのは少し意外だ。
「じゃあついでにもう一つ」
『何だ…』
「君はいつから、そんなに丈夫なんだ?」
『…………』
「もしかして、死体遺棄騒ぎと同時期なんじゃないか」
受話器の向こうで沈黙が続く。
『…何故そう思う』
「それに繋がりそうな情報を見つけたんだ。いい加減俺には教えてもいいんじゃないか?『約束』した仲だろう?」
昔の『約束』をここで持ち出すのはフェアではないかもしれないが、彼のために何かを暴こうとしているのに彼に隠されても困るのは事実だ。
『…それは、姉さんに関係あるのか』
「なきゃ訊かない」
『…覚えてる限り、小二の夏だ。気づいたのは』
思ったより、淡々と話し出す。
「死体遺棄騒ぎと同時期だな。よし」
『…一体お前、何を見つけたんだ』
「ちょっと、突拍子も無い話だからなあ。確信が持てたら話すよ」
『………』
「案外君の丈夫な身体と、姉さんの消えた記憶には関係あるかもしれないってことさ」
『…それはどういう』
「なあ、糸姉さんそこにいるか?」
『あ?…ああ、いるが』
「代わってくれ」
受話器の遠くで誰かとの話し声、小さな溜息、もしもし、と続ける彼に話し方の似た女性。
「やあ。元気かな?」
『…どうかしらね。何が訊きたいの?』
「君、もう一度洗い直しただろう、昔の情報」
『…ええ、まあね。あんたに任せてちゃ不安だもの』
「さすが。気づいたことは?」
『何も。小学生の頃の記憶が呆れるほど思い出せないくらい』
「何も?」
『なーんにも、よ』
「俺の方は、訊きたいことがあるんだが」
『…何よ?』
「違和感は、高一の夏からって言ってたよな」
『…ええ』
「その前に何か、印象的な出来事とかなかったか?」
『…印象的?』
(そう、彼女の自覚したタイミングも、合わないんだ)
小学生の頃何かがあって、その頃の記憶が抜けているのに、気になりだしたのが高一の夏というのがそもそもおかしい。
「何でもいい。そのくらいなら、思い出せるだろ」
『…………』
考えるような沈黙が続く。
彼女も散々調べただろうから、記憶を紐解くのはそこまで難しくはないだろうと思ったが。
「…何もない、か?」
『……強いて言えば』
「お?何だ何だ」
『…色くんに、初彼女が』
「……えーと、それは」
『それくらいよ、今でも覚えてるのは』
「君も色々大変だな…」
『余計なお世話よ。ねえ、それより』
「何だ?」
『見た?あの写真』
「…どの写真かな?」
『…なら、良いわ。もう三日も経ったけど、進展してるんでしょうね?』
「ははは…」
(君たちの存在を揺るがしかねないレベルまで進んでいるよ、おそらく)
俺、本当に生きて帰れるのだろうか。
雨笠敬慈の日記
安城家の子供は本当に一人だったのだろうか。
それは分からないが、鎖を見る限りフランシスが安城姉弟に介入したということは確かのようだ。
そしてその肝心の安城姉弟、また父親の記憶も信用できないとなれば、明日こそ物的証拠を探しに行かなければならないだろう。安全な、村の中だけに限られるが。
しかしフランシスは何故そこまで俺の介入を嫌うのだろうか。そして鷹城の双子の鎖紐は、何のためにあるのだろう。
あの反応から考えると、後ろめたいことがあるようにしか見えないのだが。
双子には本当に助けられた。もう山には入れないだろうな。フランシスが村に降りてこない理由も不明だが、確かめるのは難しそうだ。
とにかく安城姉弟のことが分かれば、双子の鎖紐についても多少は分かるのだろう。大したことではなければいいのだが。
もう三日目も過ぎることだし、自分の身を守るためにも先を急ぐ必要があるな。
おや、虫の音に混ざって、遠くで犬の遠吠えが聴こえた。噂の山犬だろうか。
夜に出歩くのは確かに止した方が良さそうだ。
横倒しの視界、持ち上げたそれは部屋の電灯に照らされ、鈍く光る。
これが全ての元凶なのは間違いない。
(これが安城の元にもある、ということは。安城姉弟とフランシスには関わりがあった、ということだ)
では何故、フランシスは彼らの記憶を消したのか。
(…何か、後ろめたいことがあったから)
それは例えば、墓に隠さなければならないようなことが。
(墓の、骨と思しきものの持ち主は分からない。調べようもない…しかし心当たりならある)
安城色人、彼は少々普通ではない身体を持っている。
そこには秘密があって然るべきだ。
(とっかかりとしてはそんな感じか…?問題は山積みだが)
双子、おそらく糸音と、フランシスの間で何かがあった。
後には骨が残って、安城色人が糸音の弟として増えた、と。
(…いや、すごい違和感はあるが…)
一人骨になって減ったならともかく、何故増える。
鎖を放るように腕を床に投げ出す。
黙って転がっていると、雨の止んだ外では虫の声が騒がしいくらいだ。
(分からないなー…骨が見つかったのに人がそこで一人増える理由…)
大体いないのは糸音だと主張する、父親の記憶は何なんだ。撹乱か何かだろうか。
(撹乱してどうする?…増えたことを隠したかった?)
「…おっと」
思考を遮るように電話が鳴り、虫の声と重なって更に騒々しい合奏になった。
起き上がり、通話ボタンで騒音を止める。
『…もしもし』
「やあ、君の方からかけてくるなんて珍しいな」
『進捗が気になってな…』
「ああ…君の父親と、直美さんと話したよ。直美さんは良い人だな」
『…まあ、彼女は確かに…』
「…あんな良い人に自分の親父を任せるのは気が引けるんじゃないか?」
『…さっさと説明しろ』
「はは、ごめん。…そうだなあ、先に質問して良いか?鎖のことなんだが」
『…またそれか。姉さんにも聞いたが、全く覚えがないそうだ』
「…なるほど。何度も訊いて悪いが、君は?何も覚えていないのか?」
『だから、覚えてないって言ってるだろ。そうしつこく訊かれても同じ答えしか返せない』
「うーん、じゃあ、今日はそういうのじゃなくて…その鎖、持ってて何か感じたことはないか?違和感とか」
『…新興宗教みたいなことを言うな…違和感?』
「そう、違和感」
『違和感…と言うか』
少々戸惑い気味の声が続ける。
『大切な物だという気は、する。だから着けてる』
「へえ…」
直感は証拠にはならないが、物事を考える時の指標にはなる。
安城がその一言を導き出したのは少し意外だ。
「じゃあついでにもう一つ」
『何だ…』
「君はいつから、そんなに丈夫なんだ?」
『…………』
「もしかして、死体遺棄騒ぎと同時期なんじゃないか」
受話器の向こうで沈黙が続く。
『…何故そう思う』
「それに繋がりそうな情報を見つけたんだ。いい加減俺には教えてもいいんじゃないか?『約束』した仲だろう?」
昔の『約束』をここで持ち出すのはフェアではないかもしれないが、彼のために何かを暴こうとしているのに彼に隠されても困るのは事実だ。
『…それは、姉さんに関係あるのか』
「なきゃ訊かない」
『…覚えてる限り、小二の夏だ。気づいたのは』
思ったより、淡々と話し出す。
「死体遺棄騒ぎと同時期だな。よし」
『…一体お前、何を見つけたんだ』
「ちょっと、突拍子も無い話だからなあ。確信が持てたら話すよ」
『………』
「案外君の丈夫な身体と、姉さんの消えた記憶には関係あるかもしれないってことさ」
『…それはどういう』
「なあ、糸姉さんそこにいるか?」
『あ?…ああ、いるが』
「代わってくれ」
受話器の遠くで誰かとの話し声、小さな溜息、もしもし、と続ける彼に話し方の似た女性。
「やあ。元気かな?」
『…どうかしらね。何が訊きたいの?』
「君、もう一度洗い直しただろう、昔の情報」
『…ええ、まあね。あんたに任せてちゃ不安だもの』
「さすが。気づいたことは?」
『何も。小学生の頃の記憶が呆れるほど思い出せないくらい』
「何も?」
『なーんにも、よ』
「俺の方は、訊きたいことがあるんだが」
『…何よ?』
「違和感は、高一の夏からって言ってたよな」
『…ええ』
「その前に何か、印象的な出来事とかなかったか?」
『…印象的?』
(そう、彼女の自覚したタイミングも、合わないんだ)
小学生の頃何かがあって、その頃の記憶が抜けているのに、気になりだしたのが高一の夏というのがそもそもおかしい。
「何でもいい。そのくらいなら、思い出せるだろ」
『…………』
考えるような沈黙が続く。
彼女も散々調べただろうから、記憶を紐解くのはそこまで難しくはないだろうと思ったが。
「…何もない、か?」
『……強いて言えば』
「お?何だ何だ」
『…色くんに、初彼女が』
「……えーと、それは」
『それくらいよ、今でも覚えてるのは』
「君も色々大変だな…」
『余計なお世話よ。ねえ、それより』
「何だ?」
『見た?あの写真』
「…どの写真かな?」
『…なら、良いわ。もう三日も経ったけど、進展してるんでしょうね?』
「ははは…」
(君たちの存在を揺るがしかねないレベルまで進んでいるよ、おそらく)
俺、本当に生きて帰れるのだろうか。
雨笠敬慈の日記
安城家の子供は本当に一人だったのだろうか。
それは分からないが、鎖を見る限りフランシスが安城姉弟に介入したということは確かのようだ。
そしてその肝心の安城姉弟、また父親の記憶も信用できないとなれば、明日こそ物的証拠を探しに行かなければならないだろう。安全な、村の中だけに限られるが。
しかしフランシスは何故そこまで俺の介入を嫌うのだろうか。そして鷹城の双子の鎖紐は、何のためにあるのだろう。
あの反応から考えると、後ろめたいことがあるようにしか見えないのだが。
双子には本当に助けられた。もう山には入れないだろうな。フランシスが村に降りてこない理由も不明だが、確かめるのは難しそうだ。
とにかく安城姉弟のことが分かれば、双子の鎖紐についても多少は分かるのだろう。大したことではなければいいのだが。
もう三日目も過ぎることだし、自分の身を守るためにも先を急ぐ必要があるな。
おや、虫の音に混ざって、遠くで犬の遠吠えが聴こえた。噂の山犬だろうか。
夜に出歩くのは確かに止した方が良さそうだ。