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安城糸音、平成最期の夏休み


「蛍、雨笠がお風呂に沈んでるけど大丈夫?」
「たぶん…?」

湯船でうなだれている俺の隣で、意味が分からないといった感じの会話を双子がしている。それは良かった。
俺が何をしたのか理解されていたらと思うと、飛び降りたい。
(いや…置いて逃げるって…最低か…)

帰れる確率は五分五分だと思っていたが、結局フランシスは追ってこなかった。
スコールの降る中何とか家まで帰り着き、風邪を引くといけないからとまとめて風呂に放り込まれたのだ。
狭いながらも安心してくつろげる風呂で、思い切り自己嫌悪に浸っている。
(いや…どう考えても俺の方が危なかったし…3人無事で帰ってこれたんだから良かったじゃないか…うん…)


「…おじいちゃん、怒るんだね」
「…怖かった」
「うん…」
「…フランシスは、普段はあんなに怒ったりしないんだよな」
「あ、戻ってきた」
「うん。あんなの初めて見た…」
洗い場で体を洗っている葵が、神妙な顔で答える。
「…きっとお墓には大事なものが埋まってたんだよ。雨笠は掘り返そうとしてたの?」
一緒に湯船に浸かっている蛍も、少し不安そうだ。
「…そういうわけじゃない。ただ本当に調べようとしてただけなんだが」
「…そうだよねえ」

(そうなんだよなあ…フランシスは余程焦っていたのか)
大声で糾弾されるほどのことをしていたつもりはない。
それなのにあそこまで取り乱せば、そこに弱点がありますと言っているようなものだ。

(この村の秘密全てが、彼に繋がっているみたいだ)
とりあえず彼がここまでは追ってこれないことと、あの墓には何かすごいものが埋まっているらしいこと、もう二度とあそこに足を踏み入れられないことは分かった。
(いや、まずいな。まだ分からないことが多過ぎるだろう)


「…君たち、親戚のお兄さんがいるって言ってたよな?なんて名前だっけ」
「色人お兄ちゃん?」
「お姉ちゃんもいるよ。糸音お姉ちゃん」
「蛍たちと同じで双子なんだよ!」
「…完璧な答えありがとう」
とりあえず、糸音が村の全員に忘れられているわけではなさそうだ。
「何?色人お兄ちゃんがどうかしたの?」
「あー、いや、お姉ちゃんのが気になるかな」
「糸音お姉ちゃんはねー、美人だよー」
「へえ、そうなのか」
「それでね、色人お兄ちゃんと仲良しなの。双子は助け合わなきゃダメよって言ってた」
「ははは。今家にいるのはその二人のお父さんだったよな?」
「…うん。そうだけど…」
「…だけど?」
促せば、双子はおずおずと話し出す。
「…糸音お姉ちゃん、お父さんとは仲が良くないみたい」
「…だね。みんなその話はするなって言うけど」
「どういう風に?」
「なんか、すごい喧嘩しちゃうんだって。お姉ちゃんのお父さんはビョーキだからって、みんな言ってる」
(ああ…あの言動か)
段々とあのご老人の家での立ち位置が分かってきた。
「…病気じゃ、しょうがないな。悲しいけど」
「うん…」
双子は素直に頷いているが。
(病気なら、な)
まだ、そうと決まったわけではない。



「あっつい!アイス食べたい!」
「はは、よく温まったみたいで良かったじゃないか。風邪を引いたら大変だからな」
脱衣所も当然ながら狭い。
ぎゅうぎゅうになりながら、バスタオルで体を拭き、用意した着替えを着る。
「蛍も葵も、めったに風邪引かないけど。おばあちゃんたち、心配しすぎだよ」
「それは羨ましいな…」
「雨笠はよく風邪引くの?」
「季節の変わり目は割と寝込むなあ」
「ふーん…」

そう言って、蛍が手にしたものが、ちゃり、と音を立てた。
(…ん?今、何か音が…)
ミサンガのように見えるそれから、そんな音がするはずがないのだが。
「何?」
そう言って首を傾げた葵の手元からも、金属質の音がした。
(…鎖の触れあうような…)
「…葵、それ、何だ?」
「え?鎖紐だけど」
「…ちょっと見せてくれ」
「ちょっと、引っ張らないで…」
葵の手首に巻かれた紫の組紐は、たしかにずっとつけていたものだが、ミサンガの類だとばかり思っていた。
しかしよく見れば確かに、紐の間に白銀の鎖が編み込まれて、鈍く光っている。

「…蛍のそれも」
「鎖紐だよ。お風呂だと錆びちゃうから、外してるの」
「ミサンガと違って、切れたら縁起が悪いんだよ」
「もしかして貰ったのは…」
「おじいちゃん」

双子の返答がかぶる。
「…完璧な答えありがとう…」
頭痛がする。湯冷めだろうか。鎖が嫌いになりそうだ。
しかしこれは、笑い事ではないかもしれない。

(…………)

「…なあ、それ、後で借りてもいいか?かなり面白いものかもしれない」
「ええ?嫌だよ」
「そこを何とか。絶対返すから」
真面目な顔で頼み込めば、双子は顔を見合わせて。

「…ちゃんと返してね?」
「ああ。約束するよ」

(…大丈夫だ。まだ手がかりは山ほどある)
繋がりが分からないだけだ、お手上げではない。
それだけが希望だ。






「…待ったはなし、か…」

立ち尽くし呟く男を、白い雨の帳が覆う。

『私たちは逃げるから、おじいちゃんが鬼ね!』
『待ったはなしだよ!』
そう叫んで駆け抜けていったのは葵と蛍か、それとも。
(…おかげで追う気をなくした。本当に嫌な男だな)


「…ごめん、色人、糸音」
石の碑を撫で、白髪の男は目を瞑る。
屈託のない笑い声が頭に響いて、しばらく消えそうになかった。

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