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安城糸音、平成最期の夏休み

切実な事情から日記をつけることにした。
俺がもし廃人同然になったり行方不明になったりしたら、この日記を読めば多少は事情が分かるはずだ。
山には白髪の人の形をした何かが住んでいて、俺のように事情を探りに来る輩に敵意を持っているようだ。子供に害を与えている様子はないが、安城と糸音と彼の間に何かがあったのは間違いないだろう。
まあ本気で殺しに来ているならば間違いなくすでに殺されているので、その点についてはそこまで気にしていない。ただ彼と、蛍、葵の関わりについてはしばらく観察するべきかもしれない。くれぐれも、気づかれないようにだ。
…無理かもしれないが。




「…というわけで、うん。君のところはどうだ?」
『何がだ。姉さんは変わりない。報告することはあるのか?』
「あるにはあるんだが…あー…君たち、山で遊んでる時は二人きりだったんだよな」
『…よく覚えてないが、そうなんじゃないか?いつも二人だったから』
「…そうか。それと、君はたしか首に鎖を着けてたよな。地味なやつ」
『…何か関係あるのか?今もしてるが』
「それって、糸姉さんとお揃いだったりは」
『……』
電話口の向こうが一瞬黙って、口を開く。
『お揃い…ではあった。姉さんがいつ頃まで着けてたかは覚えてない。今も見えない所に着けてる、かもしれない』
「いつから?誰に貰ったとか、覚えてるか?」
『いつ、誰?……』
沈黙が続く。どうやら覚えていないようだ。
「青い目の『おじいちゃん』…とかじゃないよな」
『…何だ、それ。俺の親戚に青い目の奴はいないし…貰ったのはかなり小さな頃で、親戚の誰かだとは思うんだが…』
「分かった、とりあえず鎖の写真を撮って送ってくれ。頼む」
『……意味不明だが…送っておく』
「助かるよ、ありがとう!」

「…同じだな」
電話を切って送られてきた写真を見て、呟く。
わざわざ外してテーブルに乗せて撮ったらしいそれは、しっかり記憶にあるものと一致していた。

(覚えてないって、どういう『覚えてない』だ?)
忘れたのか、…それとも忘れさせられたのか。
どちらにせよ嫌な予感しかしないのは確かだ。
この依頼をこれ以上受けるべきだろうか。
安城姉弟のひんしゅくは買うだろうが、正直このままこれからの人生と知性を賭けるべき案件とは思えない。せめて一旦戻って、態勢を立て直してから依頼を受け直してもいいはずだ。

(…俺一人なら、とっくに帰ってるんだが)



「おはよ、雨笠!眠そうだね」
「夜更かしでもしたの?」
「ああ、仕事だからな…今日は雨だが君ら、どこで遊ぶんだ?」
窓を叩く、リズミカルな雨の音は止まない。
さすがにこんな日に山では遊べないだろう。

「しょうがないから、子供部屋だよ。雨がやんだら山に行くけど」
「子供部屋、雨笠も見る?」
「ああ、是非見させてもらおう。昔の文化が覗けそうだ」


「…物が多いな。それに広い」
「好きなおもちゃ何にもないけどね」
「学童の方が広いもん。うるさい子も多いけど」
見渡す部屋は、子供部屋と言うよりは物置のようだ。
フランシスの小屋より広いのではと思えるほどで、ロボット犬やら古い人形やらプラレールやら、昭和のおもちゃが埃をかぶっている。
いかにも金持ちの旧家というような、昔風の豪華なおもちゃが多い印象だ。
「お、君ら学童に行ってるのか。ご両親が忙しいのか?」
「忙しいなんてもんじゃないよ。お父さんがシャチョーで、お母さんがフクシャチョーだよ」
「社長…すごいな」
(まあ俺も所長だが)
もちろん探偵事務所とカタギの会社がどれだけ違うかということくらいは承知している。
「だから夏休みもぼくたちだけで遊びに来てるんだよ。お母さんとお父さんがここにいないの、不思議だと思わなかったの?」
「あ、いや。そういうものかと」
「ふーん…雨笠も意外に世の中を知らないんだねえ」
「…………」
次の瞬間爆笑する俺を見る子供たちは、昨日フランシスを見ていた俺のようになっていることだろう。
何がおかしいの、意味わかんない、と騒ぐ彼らに、まだ笑いながら向き直る。

「そうだ…言い忘れてたんだが、俺の下の名前は敬慈って言うんだ。覚えておいてくれるか?」
「はあ?…それって、刑事さん?」
「違う。敬い慈しむと書いて敬慈だ、いい字だろう?」
「いつくしむって何?」
「いい字かもしれないけど…なんで急に自己紹介?」
「まあ、何となく。忘れたら困るからな」
きょとんとする二人の頭を、くしゃりと撫でる。

「慈しむっていうのは、可愛がって大切にする、ってことさ」
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