──な部屋
何だか温かいものに体を預けている。
思いのほかすっきり目が覚めて、そのまま上を見上げたら、ばっちり目が合った。
まるでペットを見るような笑顔。
「おはよーさん。ちょっとは気分良うなったか?」
(死にたい)
ベッドの上でうずくまって、呻く。
酒の愚行とはわけが違う。
昨日の自分の醜態はしっかりはっきり覚えていたし、極めつけに朝目覚めたのは彼の膝の上ときた。
身体はバキバキ、頭痛は酷い、気分最悪。
「意外性あるのは悪くないと思うで?」
「適当に励ますのやめて」
「バレたか。まああんたが仮にも一般市民や言うならこの状況で取り乱さない方がおかしいやろ」
「…フォローになってない…」
相変わらず台所に立つ彼の方は意に介した風でもないのが腹立たしいんだか、救われるんだか。
「紅茶いるか?」
「いらない…」
とりあえず、自力でコーヒーを淹れよう。
体勢を立て直すのはそれからでもいい。
「考えてみるとおかしいやろ」
「何が?」
「犯人のカードの文面や。何でわざわざ盗聴器なんて書いたんやろ…」
シャワーを流しながらの定例会議、今回の場所は玄関。
その例のカードをひらひらさせながら彼が呟く。
「混乱させるためじゃない?」
「それはあるかもしれんけど…わざわざ言わんでおけばホイホイ俺が引っかかる可能性もなくはないやん」
「…あなたを知ってるなら、そんなことは考えないと思うけど」
「…まあな」
この男に恨みがあるなら尚更、そんな浅はかな考えは通じないことを知っているはずだ。
「やっぱり混乱させといて時間稼ぎが狙いなんやろか…大体基本手口が生温いちゅうか、変なところで凝ってんやけど、明確な殺意はないちゅうか」
「…閉じ込めておく方が主な目的なんじゃないの?」
「一理あるな。あんた相手じゃ万が一も…あ」
紙で仰ぐ、刑事の指の動きが止まる。
「一応心当たりあったわ…」
「本当?」
「職務上の問題で言えへんけど」
「あ、そう」
「…多分、三日目来ても大したことにはならんで。読みに間違いなければ、犯人の目的は正真正銘時間稼ぎや」
「ふーん…」
(俺とお嬢さんを知ってて、財力があって、邪魔されたくなくて、尚且つ危害を加えるほどではない…梨木、大丈夫やろか)
助けはいつ頃来るのだろうか。
三日目までにはといわず、できれば今日中には来て欲しいのだが。
そろそろ家に残した飼い猫の様子も気になるし、それなりに彼女の精神状態も心配だ。
(所長さんらは今頃何してんのやろ)
流石に彼女の異常に気づいてはいるはずだが、この場所を探り当てるまでにどれくらいかかるか。
(梨木はそれどころやない可能性が出てきたからなあ…)
と、ぱたぱた走ってくる音がしたと思ったら、勢いよくドアが開く。
バスタオル1枚の彼女が慌てた様子で飛び込んで来た。
まだ髪も肌も濡れたままだ。
「どうした?」
「風呂の換気扇、繋がってるでしょ、外!」
「ああ?そりゃそうやけど…人の通れる大きさやないやろ」
「そうだけど、声が聞こえたの」
興奮冷めやらぬ様子の彼女に、もしやと思い当たる。
「人の声か?」
「ネズミ!」
「…はあ?」
流石に作業するのには向いていなかったようで服は着替えているが、髪を乾かす間も惜しいらしい。
濡れた髪で、今度はペットボトルをカッターで切って、何やら作っている。
(器用やな…)
あっという間に作り上げたのは分かったが何ができたのか全く分からない。
「…ネズミ捕りだけど」
「ああ、なるほど?何でネズミ捕るん?」
顔に出ていたらしく勝手に答えられたので、ついでに聞く。
「昨日の発信器を付けて放せば、電波の届く範囲まで行くかもしれないでしょ」
「…なるほど、確かに。何もやらんよりはマシやな」
食べ物のないそこにネズミがいるということは、他の部屋と出入りもしているはずだ。
ネズミを追いかけるのでは妨害もし辛いだろうし、やる価値はある。
「バターあったら少し頂戴」
「ええで」
「あと椅子持って、ついて来てくれない?」
「椅子?ええけど…」
まだ湯気の立つ浴室。
洗い場に椅子を置けば、迷いなく彼女が足をかけた。
「え?」
「あ」
次の瞬間綺麗に滑った椅子が風呂桶にぶつかって、鈍い音が響く。
「コントやないんやから…慌てすぎやろ」
「……ごめんなさい」
あえなく落ちた彼女の方はなんとか受け止めて事なきを得た。
代わりに後ろから抱き止めて尻餅をつく格好になったのが、死ぬほど間抜けだ。
「椅子は危ないし、わざわざあんたがやらんでも俺がやるわ」
「…お願い」
気を取り直して手を伸ばせば、ちょうど届く距離だ。
換気扇の蓋はドライバーで簡単に外れた。
そのままペットボトル製のネズミ捕りを奥のダクトに押し込もうとする、が。
「……ギリ届かんな」
「嘘でしょ…背伸びしてもダメ?」
「ダメや。まあ、まだ手はある」
「…椅子に乗る気?」
「いや、もっと安全なのがあるな。…あんま気は進まんけど」
「何…?」
「…できた。降ろして」
「そりゃ良かった」
簡単かつ椅子より安全、肩車。
彼女は不満気だが、俺だって不本意だ。
(しかし…軽っるいなー…)
肩にかかる負荷が予想以上にない。
(発育不良ちゃう?所長さんは何やっとん…)
「…いつまで持ち上げてるの」
「ああ、すまんすまん」
不機嫌な声に我に帰る。
「夜には一匹くらいはかかるでしょ…」
「上出来やな」
それなりに元気を取り戻したらしく嬉しそうに天井を見上げるのを見て、密かに安堵の息を吐いた。