──な部屋
「自分でドアを閉める分には問題ないん?」
「鍵が内側に付いてるならいいの」
「なるほどな」
(…かろうじてだけど)
そんなことは当然言わない。
(思い出したら気持ち悪い…)
非常に不快な現実を頭の隅に追いやって、目の前の作業を進める。
「…で、テレビバラして何作っとるん?」
「発信器のパチモン」
「なるほど。工具も無しにようやるわ」
彼はそう言って笑うが、我ながらボールペンとカーテンの金具とテレビの残骸だけで良くやっていると思う。
敬慈たちがいつこの事態に気づくかは分からないけど、できることをやっておく必要はあるだろう。
「作っても、部屋の外に出せなきゃ意味ないけどね」
「せやな…ところでお嬢さん、嫌いなもんとかあるか?」
「は?…ありすぎて言うのが面倒」
「唐揚げは?」
「あるなら食べるけど…揚げるの?」
「せやけど?」
この男の方は、暇つぶしと称して台所に立っていた。
(料理好きだったの?)
「しかしこんなに食材があるとは、籠城しろと言っとるようなもんやな。何考えてんのやろ」
「全力でおちょくられてるんじゃない?」
「油断させといて三日目にこの部屋爆破でもする気なんかな」
「それはないと思うけど…」
ここまで用意して吹っ飛ばすくらいなら、最初にこの男に手榴弾でも投げつければ済む話だ。
(…叩き返されそう)
「唐揚げ丼や」
「うわあ…」
レタス、唐揚げ、マヨネーズ。
見事なまでの丼に、あまりに男子力が高すぎてドン引きする私と、何故か楽しそうな彼。
「ちゃんとお嬢さんの分もあるで」
「…ありがとう…?」
「何で疑問形や…」
テレビの残骸を片付けて折りたたみ式のテーブルを2人で囲むこのシュールさは、言葉に表し難いものがある。
(しかも普通に美味しかった…)
食後のコーヒーを飲みながら普段の食生活の貧弱さに想いを馳せる。
(コーヒーだけは自分で淹れたけど)
そういえばこの男は紅茶党だった。
「お嬢さんとこはみんな揃ってロクな食生活してなさそうやな」
「余計なお世話よ」
皿を洗いながら彼は笑っている。
やはり楽しそうなのは逃避か、元から料理が好きなのか。
見た目からは微塵も家庭的な面は想像できないのだが。
(相変わらず意味不明…)
彼はそのまま慣れた様子で風呂洗いも済ませて、先に入ると言い残して浴室に引っ込んだ。
ようやく訪れた1人の時間に、ひとまず安堵の溜息が漏れる。
(…疲れた)
事務所に住み着いてからこんなに他人と近い距離で生活することがなかったので、随分と消耗していた。
(猫のパーソナルスペースは広いのに)
言ってもきっと、鼻で笑われるだけだろう。
座っていた床にそのまま転がれば、水色の起毛のカーペットが背中に馴染んで心地良い。
(…思ったより、突っかかってはこないけど)
彼は、いつもの彼ほど慇懃無礼でもない。
もちろん共同生活を送る上で、仲間割れを起こしたくないってのもあるのだろうけど。
(私を巻き込んだこと、意外に気にしてるのかしら)
今のところは、私はダシに使われているだけで犯人の狙いは彼のようだし。
(…まあ、気になるか。もし私でも気になるもの)
少なくとも相当気まずいのは確かだ。
目を閉じてかすかなシャワーの音に耳を澄ます。
私の方にも現実逃避の力が働いているのか、敬慈が風呂に入っているような気がする。
(それなら、いつも通りなのに…)
「…寝とんの?」
返事がない。
見れば彼女は、思いのほか安らかな顔で床に倒れこんでいた。
ひとまず落ち着いてくれてよかったと心から思う。
(ノイローゼにでもなられたらかなわんし)
最初の状態、あそこまで分かりやすく混乱する彼女は初めて見た。
普段は表情も変えず、所長さんの騒がしさに紛れてすぐ隠れてしまうので、人物像が掴みにくいのだ。
(考えようによっちゃ、大きなチャンスと言えなくもないんかな…)
「お嬢さん、床で寝落ちは身体に悪いで」
「んん…いいの…」
一応声をかけつつ頭をつつけば不機嫌そうな返事が返ってくる。
「いつも床で寝てるし……」
「…あ、そういやそうやったな」
不思議過ぎる生態を今更のように思い出す。
あの巣よりこのカーペットは居心地が良いのだろうか。
結局寝返りを打って丸まって、そのまま動きそうもない。
(風呂入らんでええの?)
寝巻きはご丁寧にも用意されていたので、着替えの心配はとりあえずないのだが。
もしや朝風呂派だろうか。
更につついてみたが、全く起きる気配はなかった。
今この時彼女を襲えば、あのドアは開くのだろうか。
ちらりと物騒な思考が頭をもたげる。
(刑事が豚箱エンド、か。笑えんな)
彼女にとっては不幸中の幸いか、それは俺の全く得しないシナリオだ。
(この娘も早よ出たいのは変わらんのやろけど。穏便に協力できればな…)
この先どうにか無事に出られたとして、事情聴取にも時間を取りそうだ。
(とうとう所長さんには戸籍に関する書類を出して貰うことになるな。身元把握に一歩前進か)
それくらいしか良いことが思い浮かばないが。
何にせよ明日になっても俺らの動向が掴めなければ、流石に警察も探偵社も異常に気付くだろう。
ここに来るまでの電波は辿れるのだから、そこからの展開は早いはずだ。
(…さて、後課題があるとすれば、今夜は寝るべきか、寝ざるべきか)
寝込みを犯人に襲われる可能性もなくはない。
ここまで逃げ場がないのでは大人数で来られたら終わりだ。
逆に言えば最早気にしても仕方ない領域ではある。
狂気を感じるほど凝った舞台を用意するような犯人が、いきなり暴力に訴えてくるのも考えにくい。
(この娘は肉弾戦じゃ使い物にならんしな…腹決めて寝よか)
後はどこで寝るか、だが。
彼女が床を選んだのでベッドは空いているが、考えにくいとは言えそこまでしっかり寝る気にはなれなかった。
すぐ下で彼女が寝ているのは気にはなったが、ベッドだろうがソファだろうが襲われる時は襲われるし、起きやすい分まだソファのが安全だろうという結論に至る。
電気を消して、ベッドから剥いだ毛布を持ち込み大人しく横になれば、すぐに眠気はやってきた。