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人命救助に関する雑感。


(警戒はしていたつもりだったんだけど)

悪いな、の一言と。
突き出された手と、落ちた帽子。
知った顔だと気づくのと、身体が宙に浮くのは同時だった。


綺麗な星空が目に映る一瞬、水音と共に周り全てが蒼い世界に変わる。
どうやら今のは自分が投げ込まれた音らしい。
一面に小さな泡がきらきらと上がって行って、とても綺麗だ。
(でも私、泳げないんだけど)
ここまで急な展開だと逆に冷静に、抗うこともできずに沈んで。
冷たい重さに、水中では息ができないことを思い出す間にも、どんどんと青は深みを増してゆく。
今私を突き落としたのは、昔の仲間だった。
(ここで死んだら…化けて出るくらい、できるだろうか)
紺碧の視界、藻搔く間もなく意識が落ちる瞬間に、遠くでまた水音がした気がした。



「大丈夫か!?」

ああ、敬慈が叫んでいるのは久々に聞いた。
散々咳き込んだような気がするけれど、私に一体何が起きたのだろう。
「ココアさん!?無事ですか!?…」
聞きなれた声に目を開ければ、左崎さんが駆け寄ってくるのがぼんやり見える。
(何で…?)
敬慈にも左崎さんにも、私がここにいることは知らせていなかったはず。
現在の状況、毛布にくるまった上に誰かのコートの上に寝ている、らしい。
周りを見れば、さっきの埠頭だろうか。

かくかくしかじか、何が起きたのやら。
どうやら私は生きているようで。


「九死に一生だったな…よかった」
「ほんと、電話があった時は焦りましたよ…!」
「八海が居合わせてるとはな」
思いの外心配されていたらしい。
(…変な感じ)
まだ軽く咳き込みながら、二人の会話を聞いていれば、どうやらもう一人ここにいるようで。
周りを見渡せば、真っ暗な海、街灯に照らされた灰色のコンクリート、その向こうに赤色灯。
集まって止まるパトカーの紅い光に照らされた人影は、真面目くさった顔で電話を続けている。

「…もしかして、私を助けたのって」
少しがらついた喉で聞けば、当然のような答え。
「八海だろ、多分」
「さっきずぶ濡れでしたし…そのコート、八海さんのですよね」
言われて見れば、下に敷かれたコートは、確かに見覚えのあるもので。
(…突き落とされたところまでしか思い出せない…)
どういう経緯であの男は、私を助けたのか。
(…何でここに?)
ますます疑問が深まる。
私を助けたということは、ここにいたということ。
私がここで取引しようとしていたこと、知ってたってことになるのだけど。

考えを巡らす間に敬慈と左崎さんは警官に呼ばれていって、代わりに電話を終えたらしいあの刑事がにやにや笑いながら戻ってくる。

「いやー、生きててよかったですわ」
「………ありがとう」
「どういたしまして」
さすがに礼を言わないわけにもいかない。
我ながらぶっきらぼうに投げつけた言葉に、彼は笑って答える。
「何で、気づいたの?」
「たまたまな」
単刀直入な問いに、のほほんとした答え。
「通報があったんですわ。埠頭の方で怪しげな方々が話し合うてるってな…行ってみれば水音するし、大きさからあーこれ人やなって」
「…本当に?」
「嘘ついてどうするんや。本当やって〜」
「…軽すぎない?」
「いや重かった…お嬢さんにそんなこと言うたらあかんか」
煙に巻くように、絶妙にイラつかせるようなことを言う、相変わらずの糸目男。
しかしながら、ワックスが取れてぺたんと寝た髪が、この男が間違いなく私を助けたことを示していて。
「…泳ぐの得意なの?」
「まあな。あとは重要参考人を逃したくない一心やな」
「………」
結局、全てはそこに繋がるのだけど。

(私より、私を突き落とした男を捕まえる方が早かったのに)
とは流石に言えない。
話題を変えようとして、はたとそれなりに重要な事実に気づく。

「刑事さんが、私を助けたのね」
「せやで」
「…人工呼吸とか、服を脱がせたりとか」
「お、救急車やっと来たみたいやな。途中で渋滞ハマったらしくてな…もう大丈夫やろけど一応、診察は受けてもらうからな」
「………」
「世の中、知らん方がええこともあるなぁ」
あくまでのほほんと、その男は救急隊員の方に話に去っていく。
これ以上なく複雑な気持ちを、とりあえず私はコートにぶつけることにした。


「敬慈にも見られたことないのに……」
「人をお父さんみたいに言うな。人道行為はノーカンだろ、基本」
「気持ちの問題。気分悪いわ」
「助けられておいてそれはないですよ…」
「分かってるけど…」
「まあ、その調子なら大丈夫そうだな。あそこにいた理由とかは一応、後で聞かせてもらうからな」
「う…」

(…大丈夫?)
そう言えば、敬慈がそう叫んでいた、気がするけど。
(何だか違和感)
「…ねえ今の、もう一回言って」
「は?…その調子なら大丈夫そうだな?あそこにいた…」
「そこまででいい」
「…何がどうした?」
(やっぱり)
大丈夫かと木霊した声は、敬慈とは別にもう一人いて。

「そろそろ行きますんで、救急車乗ってもらえます?」
ひょっこり現れた、その糸目の男の声は。
確かに耳元で、私が目を覚ますまで、真剣な声で叫んでいた。

(…そんな一面、想像もしなかった)

「…何ですその目」
「別に……あなたが分からないだけ…」
「その台詞がよう分からんのですけど」
「ああ八海、これはココアは照ぷげふっ」
「綺麗に鳩尾に入りましたね」
「何ですって?」
「何でもない」
「はあ、わけのわからんお人やな…」

それはこちらの台詞だ。
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