にゃーん
「にゃーん」
「………」
(無視)
まさかの無視をかました男は、何やら懸命に本など読んでいて。
藍色の小洒落たソファーの上で身動ぎもせず、いかにも集中しているというような神妙な顔で頁をめくっている。
珍しく周りの物音が入っていないらしい。
「………」
ツッコミのひとつでもあれば引っ込みもつくが、今このまま退却するのは負けたみたいで嫌だ。
どうすれば彼の視界に入るか、本を取り上げでもすればすぐだがそれでは面白くない。
(横?後ろ?)
今は正面から挑んで全く効果がなかったのだから、次はそのどちらかだ。
後ろとなると視界にも入らないし、ソファーの背が邪魔で都合が悪い。
二人がけで横には一人分のスペースが空いているのだから、横から攻める方が妥当だろう。
「…ねえ」
藍色のソファーに上がって、正座で彼の方をじっと見つめてみる。
さすがににゃーんを再びやるのは恥ずかしく、呼びかけは少々煮え切らない。
しかし、再びのガン無視。
目線も動かさず、頁をめくる音だけが無機質に響く。
(…一体何を読んでるの)
肘掛に肩肘をついて綺麗に足を組んで、実に優雅に座っているが顔は真剣そのもの。
表紙は書店のブックカバーで隠れて見えないが、ハードカバーで殴れば人が死にそうな厚さだ。
この男のことだから拷問大全とか、グロ展開豊富な長編ミステリーとかそんなところだろうか。
しかし、今の位置から覗き込んでも角度が悪くて、中身までは見えない。
頁をめくった彼がにやりと笑った。
こちらを一瞥もせず、全く、気に食わない。
「…にゃーん」
ささくれた気持ちに逆らわず、迷わず顔の間から覗き込めば、ようやく中身が見れる。
『
猫は立ちあがりからだをうんと延ばしかすかにかすかにミウと鳴きするりと暗の中へ流れて行った。
(どう考へても私は猫は厭ですよ。)ㅤ
』
(え?)
文の意味を理解する前に、ぱたんと音を立てて本が閉じられた。
次の瞬間腰を抱えられたと思ったらそのまま横から全力でもたれかかってきて、逆らえず倒れた私は彼の下敷きになる。
「重いんだけど…」
「読書の邪魔してくる猫にお仕置きや。あんたは本物に比べりゃとろいから捕まえるのも楽でええな」
「…悪かったわね」
皮肉にもかかる体重にも容赦がない。
嫌がらせはそれなりに効いていたらしい。
「ちょうど猫んところで邪魔しに来られたのは笑ったけどな。見えてたんか?」
「そんなことはないけど…一体何を読んでたの」
旧仮名遣いで、内容が不穏だったことまでは分かったけれどその先はさっぱりわからない。
「宮沢賢治は猫嫌いらしいな」
「…宮沢賢治なんか読んでたの?」
「なんかとは何や。そんなに意外か?」
「かなり」
「そうなん…?ええやん賢治さん」
「友達感覚…?」
そんなフランクに呼ばれると混乱しそうになる。
「まあな。昔からの付き合いや」
「へえ…」
(この男に詩を解する心なんてものがあるとは)
我ながらなかなかに失礼なことを考えていると、背中で寄りかかってきていた彼がこちらに体の向きを変えてきて、我に帰る。
足でもぶつけたのか、少し遠くで本が床に落ちた音が聞こえる。
「どうやら猫に対する見解は合わんみたいやけどな。猫はあの、よう分からんところがええんやないか」
「…よく分からない?」
髪を、直らない癖のように触られながら問う。
「ああ。あんたなんか特に」
「…それはどうも」
話す合間に戯れのように降るキス、リップ音。
そのわざとらしさに苛ついて、身を起こして噛みつくように唇に唇を合わせた。
一瞬の空白を置いて、すぐに舌が入り込んでくる。
あとは深くなるだけ。
隙間なく身体を合わせて、もし私に尻尾があるなら、今は彼の背中に巻きつけていることだろう。
(そして多分賢治は、飼い猫を抱くような男とは友人にはならない)
馬鹿馬鹿しすぎて、口には出さないけど。
「………」
(無視)
まさかの無視をかました男は、何やら懸命に本など読んでいて。
藍色の小洒落たソファーの上で身動ぎもせず、いかにも集中しているというような神妙な顔で頁をめくっている。
珍しく周りの物音が入っていないらしい。
「………」
ツッコミのひとつでもあれば引っ込みもつくが、今このまま退却するのは負けたみたいで嫌だ。
どうすれば彼の視界に入るか、本を取り上げでもすればすぐだがそれでは面白くない。
(横?後ろ?)
今は正面から挑んで全く効果がなかったのだから、次はそのどちらかだ。
後ろとなると視界にも入らないし、ソファーの背が邪魔で都合が悪い。
二人がけで横には一人分のスペースが空いているのだから、横から攻める方が妥当だろう。
「…ねえ」
藍色のソファーに上がって、正座で彼の方をじっと見つめてみる。
さすがににゃーんを再びやるのは恥ずかしく、呼びかけは少々煮え切らない。
しかし、再びのガン無視。
目線も動かさず、頁をめくる音だけが無機質に響く。
(…一体何を読んでるの)
肘掛に肩肘をついて綺麗に足を組んで、実に優雅に座っているが顔は真剣そのもの。
表紙は書店のブックカバーで隠れて見えないが、ハードカバーで殴れば人が死にそうな厚さだ。
この男のことだから拷問大全とか、グロ展開豊富な長編ミステリーとかそんなところだろうか。
しかし、今の位置から覗き込んでも角度が悪くて、中身までは見えない。
頁をめくった彼がにやりと笑った。
こちらを一瞥もせず、全く、気に食わない。
「…にゃーん」
ささくれた気持ちに逆らわず、迷わず顔の間から覗き込めば、ようやく中身が見れる。
『
猫は立ちあがりからだをうんと延ばしかすかにかすかにミウと鳴きするりと暗の中へ流れて行った。
(どう考へても私は猫は厭ですよ。)ㅤ
』
(え?)
文の意味を理解する前に、ぱたんと音を立てて本が閉じられた。
次の瞬間腰を抱えられたと思ったらそのまま横から全力でもたれかかってきて、逆らえず倒れた私は彼の下敷きになる。
「重いんだけど…」
「読書の邪魔してくる猫にお仕置きや。あんたは本物に比べりゃとろいから捕まえるのも楽でええな」
「…悪かったわね」
皮肉にもかかる体重にも容赦がない。
嫌がらせはそれなりに効いていたらしい。
「ちょうど猫んところで邪魔しに来られたのは笑ったけどな。見えてたんか?」
「そんなことはないけど…一体何を読んでたの」
旧仮名遣いで、内容が不穏だったことまでは分かったけれどその先はさっぱりわからない。
「宮沢賢治は猫嫌いらしいな」
「…宮沢賢治なんか読んでたの?」
「なんかとは何や。そんなに意外か?」
「かなり」
「そうなん…?ええやん賢治さん」
「友達感覚…?」
そんなフランクに呼ばれると混乱しそうになる。
「まあな。昔からの付き合いや」
「へえ…」
(この男に詩を解する心なんてものがあるとは)
我ながらなかなかに失礼なことを考えていると、背中で寄りかかってきていた彼がこちらに体の向きを変えてきて、我に帰る。
足でもぶつけたのか、少し遠くで本が床に落ちた音が聞こえる。
「どうやら猫に対する見解は合わんみたいやけどな。猫はあの、よう分からんところがええんやないか」
「…よく分からない?」
髪を、直らない癖のように触られながら問う。
「ああ。あんたなんか特に」
「…それはどうも」
話す合間に戯れのように降るキス、リップ音。
そのわざとらしさに苛ついて、身を起こして噛みつくように唇に唇を合わせた。
一瞬の空白を置いて、すぐに舌が入り込んでくる。
あとは深くなるだけ。
隙間なく身体を合わせて、もし私に尻尾があるなら、今は彼の背中に巻きつけていることだろう。
(そして多分賢治は、飼い猫を抱くような男とは友人にはならない)
馬鹿馬鹿しすぎて、口には出さないけど。