イチ桐



シェル・シェル・チェリー




その日、閑古鳥が鳴いているはずのリボルバーの店内は、珍しく人と音で満たされていた。
「こりゃ一体、何の騒ぎだぁ?」
ガランとしているはずのホール内に詰め込まれている若い男女を前にして、春日は驚きのあまりドアを開いたまま固まった。後ろに立っていた桐生が店内に入らない春日を不思議がって、肩越しから中の様子を覗き込む。
「なにかのパーティーか?」
「そうみたいっすねぇ。しかし盛り上がってんな」
二人して立ち尽くしているとカウンターの方から春日たちを呼ぶ声がした。上機嫌そのものの店長が、一緒にどうだ!とショットグラスとマイクを両手で高く掲げながら言う。
「今日は大盛況だな!驚いたぜ!」
騒めきと大音量の音楽に負けないように春日は声を張って、片手にぶら下げていたビニール袋を頭上近くへと持ち上げた。その袋に印刷されている、リボルバーから五分の距離にあるスーパーマーケットのマークを見つけたのだろう店長は、それだけで春日の意図を察したらしかった。安くて美味い惣菜が揃っている店の袋を手にしている時は決まって二階で食事をとる。リボルバーに入り浸るようになってから、そんな暗黙のルールがいつの間にか定着していた。
「オーケー!二人とも良い夜を!」
「サンキュー!ハッピーバースディ!」
快活な笑い声を発して人の隙間を縫い歩き、二階へ続く階段の前へと辿りつく。一段目に足をかけた春日に「よく誕生日パーティーだってわかったな」と桐生が不思議そうに首を傾げた。
「バルーンが見えたんすよ。ほら、あれ」
春日は賑わしいホールの壁に向かって人差し指を突き出した。その先を桐生が視線で追う。アルファベットの形をしたカラフルな風船が飾られているのを見た桐生は、なるほどな、と頷いた。
「答え、書いてあったでしょ」
「ああ。よく気がついたな」
「へへ。偶然ですよ、偶然」
笑って、また階段に向き直ろうとした春日だったけれど。
――なんか懐かしいな。誕生日パーティー。
横浜にいた頃を思い出して、音楽と歌声であふれるホールから目が離せなくなってしまった。気の置けない仲間達は日本で元気にしているだろうか。
「春日。どうした?」
「……あ、すんません」
綺麗なねーちゃんに見とれてました、と適当な事を言って春日は足早に階段を上る。二階に到着したところで桐生が「そういえば」と口を開いた。
「お前の誕生日はいつなんだ?」
「俺ですか?聞いて驚かねぇでくださいよ……なんとこの春日一番、一月一日生まれで御座います!」
胸を張って言うと「そうか」とあっさりした返答だけがよこされて、春日は思わず、がくりとその場に崩れ落ちかけた。
これを言うと日本人ならば必ず良い反応を見せるのに、と桐生が驚くのを期待していた春日だったから、少しばかり面白くない。けれど、さすがはドラゴン。何事にも動じねぇな。と思い直して部屋へと続くドアを開いた。
「桐生さんの誕生日は?」
テーブルにビニール袋を置いて中身を取り出し惣菜を並べながら聞く。床に腰を落ち着けた桐生はミネラルウォーターのペットボトルの蓋を捻った後で、
「俺は六月十七日だ」
と静かに答えて水を一口飲み込んだ。
「そっすか。じゃあ桐生さんの誕生日は盛大にお祝いしねぇと。色々と世話になったし、今もなってますから」
ね、と春日が少しおどけて言ってみせても桐生の表情は変わらなかった。いつもならほんの少しだけ口角を上げて笑うのに、今日の桐生はそれすらもしてくれない。何か気に障る事を言っただろうか。それとも体調が優れないだけだろうか。暗く沈み込んでいる様子ではないが、と春日は気に入りのマカロニチーズをつつきながら、桐生さん大丈夫ですか?と探りを入れた。
「ああ、問題ない。飯食ったら早めに寝る」
「……わ、っかりましたぁ」
問題、あるんじゃないんですか。とは、言えなかった。



「店長。桐生さんは?まだ戻らねぇのか」
「ああ。桐生さんは忙しいからな」
そっかぁ、とつまらなさを前面に押し出した春日に「あんな色男、忙しいに決まってるさ」とジョークが飛んでくる。
乾いた笑いを発した春日はカウンターに座り頬杖をついて、昨晩の名残であろう大量の食器を洗っている店長をぼんやりと眺めた。
朝起きたらすでに桐生の姿はなく『今日は別行動だ』とだけ書かれたメモが一枚、テーブルの上に置かれていた。そこから今まで一度も顔を見ていない。別行動はこれまでにも何度かあったけれど、まったく姿を現さないのは今回が初めての事だった。
春日は壁の時計に目をやった。時刻はもうすぐ午後六時になる。
――どっかで倒れてたりしねぇよな。
桐生に限って、と思うが彼は健康体とは言えない状態だ。しょっちゅう具合が悪くなるし、そう見えない時でも春日に気を使ってか体調不良を隠している時もある。それに昨日も様子がおかしかった。
春日は居ても立ってもいられなくなって、
「俺、ちょっと桐生さん探してきます」
ざわつく胸に従ってカウンターチェアから勢いよく立ち上がる。そのまま外へと足を向けようとした時。
店のドアが開かれて桐生が店内に入ってきた。
「桐生さん!」
主人の帰りを待ち侘びていた犬のように心配を顔中に貼り付けて駆け寄ってきた春日に、桐生がどうしたんだと苦笑をする。良かった元気そうだ、と春日は胸に詰まった不安を捨てる為に、ほっと息を吐き出した。
「心配しましたよ桐生さん。ずっと帰らねぇから何かあったんじゃねぇかって」
「仕事の呼び出しだったんだ。まぁ、そっちはすぐに片付いたがな」
そっち、という事は他に用事もあったのだろう。気になったが桐生のプライベートを詮索してはいけないと思って出かかった言葉を飲み込む。一瞬、店長のつまらないジョークが浮かんだけれど、まさかな、と頭の中から消し去った。
「それより春日。ちょうど良い、少し付き合え」
カウンターチェアに掛けた桐生が、使い込まれたウォルナットの天板を叩いて座れと指示してくる。その通りに桐生の隣のチェアに座るとメニュー表が春日の前に差し出された。
「あの、桐生さん?これって……」
「奢ってやる。好きな物を頼め」
「えっ、良いんですか?ありがとうございます!でもなんか悪ぃなぁ……あ、店長。俺にチェリーコークね!」
注文を告げると「誕生日祝いだ。遠慮しないで酒でも頼めよ」と、ふっと笑って桐生は言った。
「あ、もしかして桐生さん。昨日の話で」
「そうだ。もう過ぎちまってるがまだ一月だ。セーフだろ?」
「もちろんっす!いや、嬉しいなぁ。こっち来てから誕生日どころじゃなかったもんで、すっかり忘れてましたよ。まぁ、この歳じゃ誕生日もあんまり嬉しくはないっすけど!」
ははは、と笑うと桐生が少しだけ笑みを深めた。
「じゃあプレゼントはいらねぇか?」
いります!と即答する。奢ってくれる上にプレゼントまで。しかも憧れの桐生から。仲間に祝ってもらった誕生日も嬉しかったけれど、桐生からとなるとまた格別の喜びだった。
一体、何をくれるのだろう、と期待をしてカウンターに置かれたチェリーコークを後回しにして待つ。
大した物じゃないんだが、という前置きと同時に桐生の手からプレゼントが現れた。
「……あのぉ、桐生さん?」
春日は目前のプレゼントらしき物から桐生へと視線を移した。大した物じゃない、と言った桐生の言葉を謙遜だと受け取っていた春日だったけれど、本当に、大した物とは言えなくて反応をどう返すべきかに困っていた。
「貝殻、ですよね」
「ああ。綺麗だろう」
五百円玉くらいの大きさの、丸っこい形をした艶やかな縞模様の貝殻は確かに綺麗だ。……綺麗だけども。
俺、からかわれてんのかな、と春日は複雑な気持ちでいっぱいだった。
「え、っと。ありがとうございます。しかし良い貝殻ですねぇ!どこで売ってたんですか?」
意外と世間知らずなところがある桐生だから、その辺によくいる露天商にでも声をかけられたのかもしれない。ぼったくられてなきゃ良いけどな、と思っていると。
「買ったんじゃない。拾ったんだ。なかなか綺麗なやつが見つからなくてな。こんな時間になっちまった」
「拾ったって……まさか、こいつ探す為にずっとビーチにいたんじゃ……!」
「ずっとじゃない。せいぜい二、三時間だ。それまではお前のプレゼントを何にするかで店を見て回ってたからな。結局、迷って悩んだ末にそいつにしたが。沖縄じゃ貝は魔除けの意味があるとされてるんだ。妙な目に遭ったみてぇだからな、持っとけ」
だとしても、だ。春日は心底驚いていた。桐生の話からすると仕事以外の時間のほとんどを自分の為に使ってくれたという事になる。桐生の気持ちが詰まりに詰まった小さな貝殻が春日には光り輝いて見えた。伝説のドラゴンから宝玉を与えられた勇者みたいだ、なんてそんな事を思う。
「あのビーチで一番綺麗なやつだ。……まぁ、多分だがな。たまには、こういうプレゼントも悪くねぇだろう?」
手をとられて貝殻を渡される。春日が初めて見る、どこか甘さを含んだ優しい眼差しに、胸どころか何故か心臓までもが締め付けられた。手の平に乗せられた貝殻を思わず、ぎゅっと握り締めそうになる。
目を見て礼を言いたいのに、真っ直ぐに桐生の瞳を見つめられない。
――なんだ、どうしたんだ俺。しっかりしろよ。
鼓動がうるさい。心臓がどきどきと跳ねている。これじゃあ、まるで、桐生さんの事が好きみたいだ。いや好きだけど、そうじゃなくて、と散らかった頭の中を片付けられないまま口を開く。
「あっ、ありがとうございます!マジで一生大事にします!」
言っておいて、なんだかプロポーズの言葉みたいだったと首から上が熱くなる。けれど、なんとか礼は言えたから良しとした。
「見事な一撃必殺ワンショット・ワンキルだ。やられちまったな、春日さん」
指で作ったピストルで春日を撃ち抜く真似をした店長が笑う。
「やめてくださいよ、笑えねぇ」
赤くなった顔を冷ましたくてチェリーコークを流し込んだ。
「なんだかよく分からんが楽しそうだな」
ロックグラスを傾けながら桐生も笑った。
誕生日おめでとう、と微笑んでくれる彼が生まれた日に、これ以上の物を返せるだろうか。来たる六月十七日の為に桐生が喜ぶようなプレゼントを考えておかなければ。
でも今は、高鳴る心臓を落ち着かせるのが先だった。壊れてしまったみたいに脈打つ胸に手を当てて静まれよと念じる。強い炭酸を流し込んで黙らせようとして無理にグラスの中身を飲み干したけれど、まだ治まる気配はない。
「店長!もう一杯!」
「好きだな、それ」
「好きっす!……あ、チェリーコークの事ですからねっ」
慌てていらない訂正をした春日の前に二杯目が置かれる。
「それは俺からのプレゼントだ。春日さんのこれからに乾杯だ」
ああ乾杯だ、と桐生がロックグラスを当ててくる。
桐生の微笑みと意味深に笑む店長が見守る中で二杯目に口をつける。強烈な炭酸と癖のある甘味が広がって少しだけ落ち着いた。それでもやっぱり心臓はうるさくて、騒がしい。
俺のこれから、どうなっちまうんだ。ぼそりと呟いた春日に返事をするように、強い炭酸の泡が、ぱちんと弾けた。



(了)
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