カズマの日記
同日/深夜
「はぁ……しんどぉ……」
夜中、トイレから出てきた真島は、洗面ボウルに両手をつき重たい溜息を吐きだした。腹に渦巻いている欲望は、もはや限界に近い。ベッドからこっそりと抜け出して、一人で熱を静める日々を後どれだけ過ごせば良いのだろう。
下手に一緒に寝よう、などと言ったのが間違いだった。冷たい水で顔を洗いながら真島は自分の浅はかさを悔いた。
精神年齢が小学三年生になった桐生は、その日から毎晩、当たり前のように真島のベッドで寝るようになった。警戒心を見せていた桐生が心を開いてくれているとわかって嬉しい反面、今の桐生にはうかつに手を出せなくて、悶々とした夜と戦う毎日だ。
なにせ、桐生とは三日と空けずにセックスをするのが日常だった。いっそ身体まで子供になってしまったなら諦めもつく。けれど桐生は心だけ若返ってしまって、身体は大人のままだからタチが悪い。
「……ほんま、勘弁してほしいわ」
打ち所が悪かったんでしょうねぇ、とパソコン画面から目を離さずにそう言った医師の言葉を思い浮かべる。「人間の身体は繊細ですから』とも言っていた。暴力が横行する世界に何十年と身を置いている間に、当たり前の事実を真島はすっかりと忘れてしまっていた。
桐生とは、これまでに数え切れない程の喧嘩をしてきた。深い仲になって体を繋げた後も、セックスだけでは満たされなかった。喧嘩は互いにとって、また別種の愛情表現でもある。血を流し傷を作る行為がなければ、この関係は成り立たないとすら真島は思う。
しかし、その考えも改めなければならない。桐生を殴って今回の事態が引き起こされた。これまでに何事も起こらなかったのは奇跡のようなものだ。けれど、快進撃は終わってしまった。
もう喧嘩はすまいと決めて洗面所を出る。寝室に戻りベッドの側に立った真島は、すやすやと眠る桐生を見下ろした。
今日“桐生ちゃん”と呼ぶのを止めてくれと言われてしまった。なら一馬と呼ぶと言うと、桐生はそれでいいと言って笑った。ものの試しに自分も名前で呼んで欲しいと頼んだら、桐生は嫌がる素振りもなく、あっさりと真島の名を呼んでみせた。いつもは『兄さん』と呼ぶ桐生に名前を呼ばれるのは特別嬉しい。そのはずなのに、三度繰り返させても心からの笑顔は作れなかった事を思い出す。
「……桐生ちゃん」
そっと乱れた前髪に触れると桐生が僅かに身じろぎをした。ちょうど眠りが浅くなっている時だったのだろう。ごろうさん、と少し掠れた声が耳に届いた。情事後の声に、よく似ていた。
「おやすみ、一馬」
無防備な唇に触れるだけのキスをしてベッドへと潜り込む。
――朝になったら元に戻っていますように。
毎晩、胸の内で唱えている願いが明日こそ叶えば良い。そう思いながら瞼を閉じた。
「はぁ……しんどぉ……」
夜中、トイレから出てきた真島は、洗面ボウルに両手をつき重たい溜息を吐きだした。腹に渦巻いている欲望は、もはや限界に近い。ベッドからこっそりと抜け出して、一人で熱を静める日々を後どれだけ過ごせば良いのだろう。
下手に一緒に寝よう、などと言ったのが間違いだった。冷たい水で顔を洗いながら真島は自分の浅はかさを悔いた。
精神年齢が小学三年生になった桐生は、その日から毎晩、当たり前のように真島のベッドで寝るようになった。警戒心を見せていた桐生が心を開いてくれているとわかって嬉しい反面、今の桐生にはうかつに手を出せなくて、悶々とした夜と戦う毎日だ。
なにせ、桐生とは三日と空けずにセックスをするのが日常だった。いっそ身体まで子供になってしまったなら諦めもつく。けれど桐生は心だけ若返ってしまって、身体は大人のままだからタチが悪い。
「……ほんま、勘弁してほしいわ」
打ち所が悪かったんでしょうねぇ、とパソコン画面から目を離さずにそう言った医師の言葉を思い浮かべる。「人間の身体は繊細ですから』とも言っていた。暴力が横行する世界に何十年と身を置いている間に、当たり前の事実を真島はすっかりと忘れてしまっていた。
桐生とは、これまでに数え切れない程の喧嘩をしてきた。深い仲になって体を繋げた後も、セックスだけでは満たされなかった。喧嘩は互いにとって、また別種の愛情表現でもある。血を流し傷を作る行為がなければ、この関係は成り立たないとすら真島は思う。
しかし、その考えも改めなければならない。桐生を殴って今回の事態が引き起こされた。これまでに何事も起こらなかったのは奇跡のようなものだ。けれど、快進撃は終わってしまった。
もう喧嘩はすまいと決めて洗面所を出る。寝室に戻りベッドの側に立った真島は、すやすやと眠る桐生を見下ろした。
今日“桐生ちゃん”と呼ぶのを止めてくれと言われてしまった。なら一馬と呼ぶと言うと、桐生はそれでいいと言って笑った。ものの試しに自分も名前で呼んで欲しいと頼んだら、桐生は嫌がる素振りもなく、あっさりと真島の名を呼んでみせた。いつもは『兄さん』と呼ぶ桐生に名前を呼ばれるのは特別嬉しい。そのはずなのに、三度繰り返させても心からの笑顔は作れなかった事を思い出す。
「……桐生ちゃん」
そっと乱れた前髪に触れると桐生が僅かに身じろぎをした。ちょうど眠りが浅くなっている時だったのだろう。ごろうさん、と少し掠れた声が耳に届いた。情事後の声に、よく似ていた。
「おやすみ、一馬」
無防備な唇に触れるだけのキスをしてベッドへと潜り込む。
――朝になったら元に戻っていますように。
毎晩、胸の内で唱えている願いが明日こそ叶えば良い。そう思いながら瞼を閉じた。