CPなし



2024/Hallowe'en



「はい、桐生さん。プレゼントと質問です!今日は何の日でしょう?」
夕食後、担当の看護師がやってきて、小さなオレンジ色の物体を差し出した。彼女の小さな手の平の中にすっぽりと収まるそれに目を落とすと、正体がカボチャであると気がつく。鮮やかな色をした表皮に三角の目と大きく開いた口が彫られていた。
「……ああ、ハロウィーンか」
そういえば廊下の掲示板にコウモリやオバケの飾りが施してあったなと思い出す。車椅子に乗って散歩へ行く度に見かけているはずなのに、殺風景な部屋へ戻ると忘れてしまう。ハロウィーンもクリスマスも桐生には関係のない行事だからだ。ベッドに寝ているしかない自分には無縁のものだと思うと、自然と記憶から薄れてゆくのだった。
「昼に小児病棟の子供達と作ったんですよ。カボチャ、ここに置いておきますね!」
朗らかな看護師は桐生の返事を待たずにカボチャをオーバーテーブルへと置いた。ベッドを跨いで設置されているテーブルだが、桐生が使うのは食事時くらいのものだ。何もない真っ白な天板を見慣れている所為でカボチャがひどく浮いてみえる。医療器具が鎮座する清潔な室内で異彩を放っていた。
「桐生さん知ってます?カボチャのランタンってちゃんとした名前があるんですって」
「いや、知らないな。なんて名前なんだ?」
「えー!ちょっとは考えてくださいよぉ」
看護師は、むっと口を尖らせながらも「ジャック・オー・ランタン」だと教えてくれた。この小さなカボチャも中に蝋燭を模したライトが入っていてランタンとして使えるのだという。
「ほら、ちゃんと光るんですよ。お部屋が可愛くなりましたね!……っと、もう行かなきゃ。じゃあ失礼しますね」
にっこりと笑った看護師が足早に退室すると、部屋はまた元の静けさに支配された。けれど、太陽のように明るいオレンジ色と、おどけた顔のジャック・オー・ランタンのおかげか。妙な寂しさには襲われずに済んだ。桐生は、ふと口元を緩めて笑顔を向けるカボチャを眺めた。
「ハロウィーンか……」
ずっと昔にアサガオの子供達とパーティーをした。飾り付けを作り、お菓子を用意して、仮装をする。桐生ができる範囲でのささやかなパーティーでも子供達は大いに喜んでくれた。だが、今はもう皆も大人になった。ハロウィーンもクリスマスもそれぞれの大切な人と過ごすのだろう。こちらから声をかければ彼らは二つ返事で集まってくれる。しかし、桐生は懐かしさにかまけて巣立った子供達を呼びつけるつもりはなかった。遥にも見舞いの頻度を抑えてくれと言ってある。先のない自分に時間を使うよりも、身近な友人や恋人と過ごしてほしいと思ったからだ。自分には小さなジャック・オー・ランタンが居れば十分だ。そう思いながら、眠気で重たい瞼をゆっくりと閉じた。



『――さん、桐生さん』
声がする。聞き覚えがあるような、ないような、記憶を揺さぶる声だ。
桐生が閉ざしていた瞼を薄く開くと、ぼんやりとした明かりが視界に映る。あれはなんだ、と疑問が浮かんですぐにカボチャのランタンの灯りだと思い出した。どうやら夕食後に眠って、そのまま夜を迎えてしまったらしい。
『桐生さん』
また、聞こえた。
『桐生』
今度は違う声だ。
『桐生の兄貴!』
いくつもの声が聞こえる。そのすべてに聞き覚えがある。幻聴と片付けてしまうには、あまりにリアルな声音だった。
怪奇な現象にも桐生は不思議と落ち着いていた。何故だか少しも怖くはなかった。なぜなら声の正体に気がついたからだ。
「……最初のは、立華か。次は……錦だな。最後のは力也だ」
どれも過去に桐生と密接に関わりを持った人物だ。ハロウィーンの夜に亡くなった彼らの夢を見るなんて、偶然にしては出来過ぎている。けれど夢とは、そういうものだ。脳の記憶から生成される夢はどこまでも自分に都合が良い。
桐生が声だけでなく姿も見たいと思えば、暗闇にぼんやりと人の形をした淡い光が浮かび上がる。曖昧な輪郭をした三人分の幻影が徐々に個々の特徴を持ってゆく。背丈に差が出始め、服装と顔の判別できるようになると、もはや幻だとは思えなかった。淡い光を纏ってはいるが、そこに存在しているのは紛れもない人間にみえた。
「中々おもしれぇ組み合わせだな」
これも夢ならではだ、と桐生は笑った。すると、また声が耳に届く。出どころは錦こと錦山彰からだった。
『久しぶりだな、桐生』
まさか自発的に喋り出すとは桐生も予想外だった。喋ってくれとは思っていない。懐かしさはあれど、彼らに何を言って良いかもわからなかったからだ。立華も錦山も力也も守ってやれなかった。長い時を経た今でも、桐生はその事を悔いている。そんな彼らに謝罪以外の言葉を言えるだろうか。謝っても謝っても後悔は拭えない。ならば、夢だとしても再会の喜びを噛み締めたかった。僅かな時を自らの罪を軽くする為に使うより、一分一秒でも長く三人の姿を目に刻んでおきたいと桐生は思っていた。
「……錦」
確かな意思を宿した錦山の瞳が桐生を見つめる。立華も力也も桐生に生きた視線を向けていた。
やけに乾く喉を唾で湿らせた後、桐生は恐る恐ると口を開いた。
「ああ、久しぶりだ」
『ったく堂島の龍が癌かよ。情けねぇ』
生前の錦山とは道を違えて死闘を繰り広げた。しかし錦山からは、かつての彼のような敵意は感じられなかった。どころか、皮肉めいた言葉の端々に、変貌してしまう以前の錦山の面影すら感じさせていた。
『せっかく会いに来てやったんだ。湿っぽい顔すんじゃねぇ』
「……っ、錦。俺は」
緩んだ涙腺から涙が零れ落ちそうになる。そこへ立華の声が割って入った。
『桐生さん。私もいますよ』
『俺もっス!兄貴!』
優しい微笑みを向ける立華と元気良く存在をアピールする力也の笑顔に、とうとう堪えていた涙が頬を伝った。
『桐生さんの泣き顔なんて見たら尾田さんが驚きますね』
ベッドに歩み寄りながら立華が笑う。枕元のすぐ近くに立った立華は、桐生の肩に自らの手を触れさせた。しかし、手は桐生の肩を通り抜けてしまう。
『おや。やはり幽体では触れませんか』
「幽体……?」
『ええ、死んでますので』
夢ならば、せめて本人の口から“死んでいる”とは言わないでほしかった。コントロールができるはずの夢の創造物が、桐生の管理下から離れて好き勝手に話だす。室内は、あっという間に賑やかになった。
『ハロウィーンなんで会いに来ました!俺、ずっと兄貴に会いたかったんですよ!!』
『しっかし本当に桐生かよ。ジジイみたいな見た目になりやがって』
『兄貴の悪口言うんじゃねぇ!ってか誰だテメェ!』
『俺はコイツの兄弟だ。舐めた口聞いてんじゃねぇぞ、コラ』
『兄弟!?桐生の兄貴に兄弟が居るなんて聞いたことねぇぞ!』
面識のない錦山と力也が争い始める。桐生には触れなくとも幽体同士は接触が可能らしい。力也が錦山に掴みかかる。錦山は動じず、力也を見下ろしている。桐生はそんな二人を宥める為に「喧嘩はやめてくれ」と静かに言った。
「せっかく、お前らに会えたんだ。仲良くしろとは言わねぇが……せめて、いがみ合うのはよせ」
桐生の言葉に力也が『すみません、兄貴』と謝り、錦山の胸倉から手を離した。錦山は乱れたジャケットとネクタイを無言で直している。室内にギクシャクとした空気が流れかけていた。
『素晴らしいです。桐生さん』
立華が優雅な仕草で拍手をすると場がすんなりと落ち着いた。桐生が彼の下で働いていた時、どうしても馬が合わなかった上司の尾田と衝突をする度に、こうやって自然と諍いを収めていた事を思い出す。立華は行動のすべてがスマートだ。その立ち振る舞いは故人となっても健在だった。
『大人になりましたねぇ。貴方が喧嘩の仲裁をするとは』
「……あん時は世話になった。俺も若かったからな、色々と迷惑かけただろう」
『いいえ、そんな。貴方のおかげで楽しい毎日でしたよ』
しょげた犬のようになっていた力也が『俺もです!』と声を張り上げる。すかさず錦山が「うるせぇ」と力也の頭に拳を落とすと、立華が爽やかに微笑んで口を開いた。
『お二方、いい加減にしましょうね』
優しいけれど有無を言わさない圧力のある言葉だった。やんちゃな年頃だった自分も立華には逆らえなかったな、と過去を懐かしみ、桐生は力也の名を呼んだ。
『はい!兄貴!』
力也にあるはずのない犬の尻尾が生えてみえる。千切れんばかりに左右に振れる尻尾だ。生前も力也は、呼ぶと必ず笑顔で駆け寄ってきた。正式な手順は踏んでいなくとも、桐生は今でも力也を可愛い弟分だと思っている。
「いい事を教えてやる。この人には逆らうんじゃねぇぞ」
そっと耳打ちをすると「やべぇ人なんですか」と声を潜めて力也が言った。そうだ、と頷くと、立華が「聞こえてますよ」と、にこりと笑んだ。
『ああ、そうだ。桐生』
錦山が突如として言った。
『由美と親っさんの事だけどよ。……あの二人は来られねぇ』
彼の口から語られる話を桐生は黙って聞いていた。育ての親である風間新太郎は、おそらく地獄の奥底に囚われているだろう事。由美は無事に転生を果たし、新たな人生をどこかで歩んでいる事。ついでのように錦山は、自分達も地獄から抜け出して来ているのだと明かした。
『これだけの祭り騒ぎだからな。今日は死人が多くて地獄もてんてこ舞いだ。抜け出したとこでアイツらも気がつきゃしねぇよ』
「地獄……本当にそんな場所にいるのか」
『当たり前だ。ま、極道冥利に尽きるってもんだぜ』
桐生は、ちらと立華を横目で見た。すると、視線に気がついた立華が目を細めて「私にも言えない過去があるんですよ」と立てた人差し指を唇に触れさせた。
『俺も兄貴に会う前はかなり荒れてましたから……』
「じゃあ、他の奴らも全員地獄にいるのか?」
『だと思います。地獄も広いんで、なかなか顔見知りには会わねぇんですけど』
錦山と立華が頷く。顔の広い二人が肯定するからには、地獄は相当に広大な場所なのだろう。
「……地獄、か。想像もつかねぇな」
『お前もそのうち来る場所だ。運が良けりゃ会えるかもな』
「俺から探しに行くさ」
『だったら、その面ちったあマシにしてから来いよ。癌で死んだら地獄むこうで会っても無視するからな』
はっ、と錦山が笑った。
『俺の兄弟なら相応しい姿で落ちてこい』
桐生は力強く頷いた。錦山に立華に力也、他にも知った面々が地獄で自分を待ち構えている。錦山が言うように、こんな姿は見せられないなと、そう思った。
『さて、桐生さん。名残惜しいですが……私達はそろそろ失礼しますね。また折を見て会いに来ます』
『来年もハロウィーンがどんちゃん騒ぎだと良いっスねぇ。俺が生きてた頃はこんな風じゃなかったんでビックリしましたけど』
でも俺、と力也が続ける。
『やっぱりまだ帰りたくない!兄貴とずっと一緒にいたいです!!』
抱きついた力也の身体が桐生を通り抜ける。上半身に埋まった半透明になりつつある力也をどうしたものか。困っていると錦山と立華が左右から力也の腕を掴んで持ち上げた。
『じゃあな、桐生』
『地獄でお待ちしてます』
二人がそう言った瞬間だった。駄々をこねる力也と共に跡形もなく消えてしまった。
しん、と室内が静まり返る。室内に浮かび上がるオレンジ色の仄かな灯りが、桐生の目にはやたらと寂しく映った。
妙な夢だったなと思い、桐生はジャック・オー・ランタンへと手を伸ばす。中にあるライトを消そうとスイッチに触れた時、ドアをノックする音が耳に届いた。
こんな真夜中に訪問者などあるはずがない。看護師の巡回だとしてもノックはしない。今今まで幽霊と接していたというのに恐怖心に胸がざわついた。
スライド式の扉が、ゆっくりと開かれる。その向こう側から現れた人物に桐生は思わず目を見張った。
「風間の親っさん!」
錦山が風間は地獄の奥底に囚われていると言っていた。けれど入口に立つのは紛れもなく風間新太郎、その人だ。
『遅くなってすまないな、一馬』
「親っさん……どうして。錦が親っさんは来られねぇって……」
『ああ、アイツから粗方は聞いたのか。まぁ、地獄みてぇな極道の世界で生きてたんだ。あれに比べりゃぬるいもんでな。抜け出すなんざ造作もねぇよ』
風間は足が悪かった。桐生が二十歳半ばの時に片足に酷い怪我を負った所為だ。それから風間は杖を手放せなくなり、歩くにも足を引き摺る生活をしていたはずだ。しかし、ベッドに向かってくる彼の足は、二本とも真っ直ぐに伸びている。肌身離さず持っていた杖も手にしていない。
桐生はつい、しげしげと風間の足を眺めた。
『おう。足はな、この通りだ。死んだら治るってのもおかしな話だがな。だからよ一馬、安心しろ。おめぇの病気も消えちまう』
「……こいつは、ちゃんと治してから死にますよ。錦と約束したんで」
『そうか。そりゃあいい』
言いながらベッドに風間が腰掛ける。
『時間はたっぷりある。お前の話を聞かせてくれ』
優しい眼差しが桐生を見つめる。何から話そうか桐生は悩んだ。これまでの半生を語るには、夜はあまりにも短すぎる。
「親っさん、俺に孫ができたんですよ」
悩んだ末にそれを伝えた。経緯をかいつまんで説明すると、風間は心からの喜びの表情を浮かべて微笑んだ。
血の繋がりがなくとも家族になれると桐生に教えてくれたのは風間だった。孫の遥勇は、その証明に他ならない。血を越えた絆を自分も築けたのだと風間に伝えられた事が、桐生は何よりも嬉しかった。
あとは何を話そうか。頭の中で次々と過去を振り返る。話したい事が山ほどあって決まらない。考えている内に段々と瞼が重たくなってくる。まだ眠りたくはないのに身体は早く休めと桐生をせっついた。
「俺……まだ、話てぇ……事が……」
うつらうつらとしながら言葉を繋げる。閉じかけている視界にどうにか風間を映そうとするも、ままならなかった。
身体が、ぐらりと傾く。ついに耐えきれずベッドに沈むと『ゆっくり休め、一馬』と風間の声が降ってくる。穏やかな声音に眠気が一層強まった。
『子供寝かしつけんのは親の仕事だ。俺が側にいてやるから安心して眠れ』
その声を最後に桐生の意識は途切れた。
次に目を覚ました時、ランタンのオレンジ色の灯りは消えていた。



清々しい秋晴れの朝。桐生は、快活な看護師の第一声で目を覚ました。
「おはようございます、桐生さん!」
「ああ、おはよう」
「今日は顔色が良いですね。昨日たくさん眠ったからかな?」
カーテンを開けた後、看護師はジャック・オー・ランタンへと手を伸ばした。
「カボチャ回収しますね。ちょっとでもハロウィーン気分は味わえました?」
「ああ、ありがとうな。それと、カボチャそいつはそのまま置いといてくれ」
「いいんですか?ハロウィーン終わっちゃいましたけど……」
良いんだ、と答えながら桐生は昨晩の夢とも現実ともつかない不思議な一夜を思い出していた。
「なぁ、幽霊っていると思うか?」
「幽霊ですかぁ?怖いからいて欲しくないです!」
「そうか。俺はいると思ってるんだ……いや、いて欲しいだな」
言うと看護師が「えぇ?」と信じられないような声を出した。
「桐生さんって意外とオカルト好きなんですか?」
「そうじゃねぇが……」
「怖いからいなくて良いですって!ほら、検温しましょ!」
苦手な話題から逃げる為にか、話を切り替えた看護師はそそくさと準備に取り掛かった。桐生はその姿を眺めながら、昨夜の彼らが本当に幽霊なら良いと願った。自らが作り出した幻影よりも、地獄の底から会いに来てくれた幽霊の方がよほど嬉しい。
「来年のハロウィーンが楽しみだ」
「次は桐生さんも元気になってパーティーに参加しましょ」
「ああ、そうだな」
返事をすると珍しいといった表情で看護師が桐生を振り返った。普段こういう話題になると、それまで生きているかわからない、と返事をし続けてきた所為だろう。そんな態度を急に前向きにしたのだから、彼女が驚くのも当然だと桐生は思った。
「来年のパーティーにうちの孫も呼んでいいか」
「遥勇くんですか?もちろんですよ!」
楽しいハロウィーンパーティーの晩には誰が会いに来てくれるだろうか。
そっと微笑みを浮かべると、小さなカボチャと目が合った。


(了)














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