CPなし



いざゆかん100均へ



「えっ!桐生さん100均行った事ないんですか!?」
急に大きな声を出されて桐生は思わず眉根を寄せた。
「いきなり大声を出すな」
ノートパソコンの画面から顔を上げ、目と口を開いてあからさまに驚いた顔をしているナンバに視線を移す。ソファに座っているナンバは前のめりの姿勢になって「マジで……?」と信じられない物を見るような目で桐生を見つめていた。
「100均に行った事がないのがそんなに珍しいか」
椅子から立ち上がりノートパソコンを閉じる。ちょうど疲れ始めていたのとナンバの所為で集中力が途切れたのもあり、大道寺への提出書類の作成は一時中断にしてソファの方へ向かう。ナンバの斜め向かいの一人掛け用のソファに腰掛ける間に彼は表情を戻してはいたが、桐生には天然記念物だとでも言いたげな顔に見えた。
「かなり珍しいですよ。今時100均に行った事がない人を探す方が難しいですからね」
「少し言い過ぎじゃねぇのか?」
「あ、すんません。気分悪くしたなら謝ります」
「いや、そうじゃねぇが……そこまで言われるほどの事なのかと思ってな」
今やコンビニと同じくらい当たり前にそこら中に在る100円均一の店だが、利用した事がない人間などいくらでもいるだろう、と桐生は思って首を傾げた。節約生活がモットーのナンバからすると安く買える店を利用しない桐生が珍しく映るのだろうか。それにしたって驚きすぎな気もするが。
「まぁ、俺の周りじゃ皆行ってるんでレアだなーって思っただけです」
「皆……春日や足立さんとかか?」
そういう店を利用するだろう二人の名前をあげてみる。皆と言って、蓋を開けてみれば実は二、三人程度の話だった、なんてのは良くある事だ。ナンバの言う皆もどうせあの二人きりの事だろう。
「ですね。後、ソンヒや趙にサッちゃん。マスターもしょっちゅう買い物に行ってますよ。あ、ハンもか」
「……本当に皆なんだな」
「でしょ?俺らの仲間内じゃ100均未体験は桐生さんだけですね」
狭い範囲ではあるがナンバの言葉は事実だった。桐生には、なんだか急に自分だけが蚊帳の外に放り出されたように感じられた。これが疎外感というものだろうか。
「せっかくだし行ってみません?ずっと閉じこもってちゃ身体にも悪いし、運動がてらに」
「そうだな。行ってみるか」
「おっ、良い返事。じゃあ早速、善は急げだ」
ソファから離れて玄関へと向かうナンバについて行く。靴を履いていると、壁際に造り付けられた台所を指差して「あの土鍋も100均ですよ」とナンバは笑いながら言った。これから店に向かうところなのに、すでに桐生は100円均一の凄さを思い知らされた気分だった。


明るい店内にずらりと小物が並んでいる。調理用具に衛生用品、文房具にファッション雑貨。果ては食品まで。多岐に渡る商品に桐生は圧倒されていた。
「どうです、桐生さん」
どこか誇らしげにナンバは胸を張りながら、広い店内を桐生に案内して回った。聞けば週に四日は通っているらしく物の位置はほとんど把握しているそうだ。ここで働けるんじゃないかと冗談めかして言うと、なかなか募集がないんですよね、と返ってきた。
桐生と共に歩きながらナンバがメモしていた日用品を買い物カゴに入れていく。100円だし、日用品には自分の物も含まれているから金は出してやると桐生が言っているのに、ナンバは商品の一つ一つをじっくり吟味しないと気が済まないらしい。
歯磨き粉の内容量をじっと見つめていたナンバが、手に取っていたそれを棚に戻す。数種類ある歯磨き粉すべてをチェックしていて、今見た物が最後だった。
「買わないのか?」
「これは100均初心者が陥りがちな罠なんですけどね。内容量によっては普通に薬局で買った方が得な時もあるんですよ。ただ、薬局は値段が変動しますから、買う時はこうしてチェックして頭ん中のデータと比較するんです」
「地味にすごいな、お前」
「いやぁ、俺なんかまだまだですよ。ハンの奴には敵いません。あいつは100均のプロですからね。俺よりもはるかに膨大なデータを頭に詰め込んでるんです」
「……なんだか、俺の知らない世界があるみたいだな」
結局、歯磨き粉は買わないらしい。衛生用品コーナーから出てレジへと向かう途中、ナンバが回転什器の前で足を止めた。
「あ、桐生さん。このサングラスなんて良いんじゃないですか。似合いそうだ」
「サングラスか……。そういや支給されたやつしか持ってなかったな。一つ買っておくか」
いくつかを試しに掛けてみてナンバに見立ててもらった物に決めた。ついでに近くのコーナーも回ってみる。すぐ隣のバラエティ雑貨の棚に差し掛かった時、ナンバから「おっ」と弾んだ声が飛び出た。
「意外とこんなんも似合ったりして」
商品棚から取った商品を手渡される。見るとピンク色のハート形をしたサングラスだった。
「さすがにこれは似合わねぇだろう」
「いやいや、わかんないですよ。ちょっと試してみてくださいよ。笑ってあげますから」
せっかくだし乗ってやるかと軽く顔に当ててみると、笑う準備をしていたナンバが真顔になる。サングラス越しのナンバは実に面白くなさそうな表情をしていた。
「どうした、ナンバ」
「いや。イケメンはずりぃなぁって思ってただけです。なんでも似合っちまうんだから」
けっ、と舌打ちとは違う、けれど明確な嫉妬心を吐き出したナンバに桐生は棚に戻そうとしていたサングラスをかざしてやった。二つのハート形がナンバの顔のちょうど眼鏡がある位置に収まる。
「お前もなかなか似合ってるぞ」
「嘘だぁ。お世辞は結構ですよ。一番ならともかく、俺はこういう柄じゃないんでね」
「俺は嘘は言わねぇ。大体、お前に世辞言ってどうすんだ」
「それもそうか……って桐生さん、それ買うんですか?」
カゴに入れると、すかさずナンバが聞いてきた。そんな物をどうするんだという眼差しが桐生を刺す。安価であろうと不必要な物は一切買わないナンバからすると無駄な買い物に思えるのだろう。だが人生には遊び心も必要だ。そもそも桐生に人生に悔いを残すなと言ったのは目の前にいるナンバなのだ。そう思って気にせずに、冷ややかな視線を真正面から受け止めた。
「ああ。春日にやろうと思ってな」
「なんでまた」
「あいつ、こういうの好きそうじゃねぇか」
「まぁ桐生さんからだったら喜んで受け取りますね、一番は」
笑ってナンバは、これも買いますか?と猫耳のカチューシャを手に取った。紗栄子に良さそうだと思ってそれもカゴに入れると、自分から勧めた癖に「買うんだ……」と呆れたように呟かれた。
「せっかくだしな。皆に土産だ。ナンバにも、こん中から選んでやるからな」
「なんでパーティーグッズ縛りなんすか!」
「いいじゃねぇか。お、三角帽子なんかどうだ?」
「お任せしますよ、もう。じゃあ、桐生さんのは俺が選ぶんで。一番達がハワイから帰ってきて事が収まったら、皆でパーティーでもしましょうや」
そうだなと桐生が微笑んで返すと、ナンバは早速あれこれと手に取っては真剣な顔でどれが良いかを選び始めた。桐生もその隣で各々の顔を思い浮かべ、時々ナンバに相談しながら、買い物カゴの空間を埋めていった。



「ナンバ。話があるんだが」
サバイバーの扉を開けるなり目の前に腕組みをしたソンヒが立ちはだかって、ナンバは思わず後退りをした。彼女の鋭い目つきは普段以上に研ぎ澄まされていて、だけでなく、どこか怒りの色を滲ませているようにも見える。けれどナンバにはまるで心当たりがなかった。ソンヒが何に対して怒りを抱いているのか、さっぱりだ。
「なんだよ、怖い顔して」
「お前、桐生さんとデートしていたそうだな」
「は?デート?……なんだそりゃ」
「私の部下から桐生さんとお前が、二人で100円均一の店で仲睦まじそうに買い物をしていたと報告があったんだ。弁明があるなら言ってみろ。聞くだけは聞いてやる」
弁明もなにも。二人で買い物をしただけで、どうして責められなきゃならないんだと思っていると、遅れてやってきた桐生が扉を開けた。
「お前らどうした。そんなところで何してる」
「あ、桐生さん。これは……っ」
ソンヒが急にしおらしくなって俯く。わかりやすい態度にも桐生は不思議そうに首を傾げるだけだった。
「まぁいい。ソンヒ、こっちに来い。良い物をやろう」
そう言って桐生はカウンターのバーチェアに座り、昨日の100均のレジ袋を漁る。中から取り出したウサギのカチューシャをソンヒに。二つで一組のマラカスをマスターに差し出してから、初めて店に行った話を楽しげに語り始めた。
「桐生さんが……私に、プレゼントを……!」
ソンヒはもう心ここにあらずで桐生からの土産を胸に抱きしめている。
対してマラカスを渡されたマスターは何か言いたいような顔をしていたが、桐生に水を差すのもと思ったのか「ありがとよ」とだけを口にして、黙って彼の話に耳を傾けていた。
ナンバはその光景を桐生の隣に座って眺めつつ、今後はうかつに一緒に買い物に行かない方がいいな、と己の迂闊さを自省し苦笑した。この異人町に蜘蛛の巣のように張り巡らされているソンヒの情報網に桐生が引っかかると厄介な事になる。それを身をもって積まされたのだ。今後、二人で出掛けるのは控えよう、と思ってナンバも彼らの話の輪に加わった。
――でも、ちょっと楽しかったな。
意外と茶目っ気のある桐生一馬の一面は、今のところナンバだけが知っている。彼女が操る無数の目に勝ったようで、どこか優越感を覚えるナンバだった。



(了)
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