CPなし



翳り



春。芽吹き始めた桜の樹を見ると、その根本に死体が埋まっているという、随分と使い古されたフレーズを思い出す。昔の小説の一節があまり有名になりすぎて、文学に疎い桐生ですら知っている。暖かな陽射しが生命を育む季節に死体とはひねくれた考え方をしたものだ。その部分だけを知る桐生には、そう思える。今度、元になった小説を読んでみるのも良いかもしれない。ベンチに座って、心ゆくまでのんびりと……と、そこまでを思って、ふっと笑う。死体の話だなんて子供達が集って遊ぶのどかな公園には相応しくないか、と硬い地面の土にスコップを突き立てた。
「ダンゴムシいるかなぁ」
「ああ。いるといいな」
前のめりになって桐生の手元を覗き込む遥勇が微笑ましい。この春、小学三年生になった遥勇は最近は虫取りに夢中だと言う。学校から帰ってくるとすぐに外に飛び出してしまう、と遥が困ったように笑って溢していた。中でもダンゴムシはとくに気に入っているらしい。
沖縄と比べて虫の数も大きさも物足りないだろうに、遥勇は目を輝かせて桐生が土を掘り起こすのを待っている。あまり遠出はできない身体の桐生には近場の公園はありがたかったが、せっかく東京に来ているのにこれで良いのだろうか、本当はつまらないと思っていやしないか、不安になる。
楽しんでいるようには見えるが、と桐生は遥勇のつむじを見下ろし、掬った土を作ったばかりの窪みの横に落とした。同じ動作を繰り返して窪みを深めてゆく。乾いた表面の下から現れた湿った土を、今度は遥勇が手で掘り返す。
「あ!いたよ、ダンゴムシ!」
「そうか、良かったなぁ」
土を探るのに夢中になっている遥勇を眺める。もう三年生か、と遥勇の横顔を見つめて桐生は目を細めた。あの赤ん坊が、こんなに大きくなって。字も絵もすっかり上手くなっただけじゃなく、今では虫取りに外を駆け回っているだなんて、数年前の桐生にはとても想像がつかなかった。今生、会う事も叶わないだろうと諦めていただけに実に感慨深く思う。
桐生のこれまでの人生は災いの連続だった。己の存在が災禍を呼ぶのだと自らの存在を捨てる選択をするほどに。それが大病を患った事で転機が起きた。桐生の生殺与奪の権を握っていた大道寺一派から放免されたのだ。理由は知らされなかったが、もう使い物にはならないと判断されたのだろう、と桐生は思っている。
災い転じて福となす。そんな諺が頭の中に浮かんだ。もっとも、全てが好転したとは言えないが。遥や遥勇、沖縄の子供達と堂々と会える立場になっても、いまだ一緒には暮らせずにいるからだ。医者も驚くほどの回復力でこうして外を出歩けるようにまでなった桐生だが、通院の為に東京を離れられずにいる。沖縄に越したいと訴えても、医者はもちろんの事、伊達や秋山にも反対された。異議を唱えた者は他にもいる。春日やソンヒにナンバ。彼らのように面と向かって桐生を説き伏せる以外にも、見舞いに来た人間のほとんどが話を聞くと渋い顔をして言葉を濁した。果ては遥までもに東京での治療を勧められては桐生も大人しく従うよりなく、現状は秋山の用意したマンションで誰かしらの世話を受けながら毎日を過ごす日々だった。
――あいつも生きていたら、きっと反対しただろうな。
ふと脳裏に思い浮かぶのは知人でも友人でもない男の顔だ。口を開けば嫌味ばかりの、どこまでいっても気の合わなかった気難しい男。けれど彼だけが桐生の失われた時間の全てを知っていた。
「ねぇ、おじいちゃん」
不意に呼ばれて意識を引き戻す。
「なんだ?遥勇」
「ダンゴムシって深いところにもいるの?」
「え?」
桐生を見上げていた遥勇が目線を下げる。追うと視界に手首まで埋まってしまうくらいの穴ができていた。
「……いるかもなと思って掘ってみたんだ」落ち着いて取り繕う。
そっかぁ、と返事をした遥勇は、集めたダンゴムシを手の平で転がしている。持って帰るかと聞くと、ううん、と首を振った。
「お家からはなれたらかわいそう、ってお母さんも言ってたから」
「そうだな……そりゃあ、可哀想だ」
小さな虫が死んだとて、わざわざ生まれた場所に埋めには来ないだろう。遠い地で命を失った男の顔が、また浮かぶ。彼の遺体とは、ついぞ会う事は叶わなかった。葬儀が執り行われたのか、それすらもわからないままだ。安らかに眠る為の墓はどこかに在るのだろうか。
「ねぇ、おじいちゃん。もっと掘って!」
「深い場所にダンゴムシはいねぇんだろう?」
「うん。でも、なんか見つかるかも」
「よし、任せろ」
可愛い遥勇の頼みだ。穴くらい、いくらでも掘ってやろうと桐生は土を掘ってゆく。深まる穴からひょっこりと彼の骨でも出てきやしないかと。有り得ない想像をした桐生を笑うように、春のやわらかな風が通り抜けた。



(了)
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