一時保管所
これだから七夕は!
「六代目。あれ、どうにかならんか」
「奇遇ですね、真島さん。俺も思ってたところですよ」
高級感のあるオフィスチェアに座る大吾と、重厚な机に寄りかかった真島は、二人して、うんざりとした顔を見合わせた。
「まさか兄弟があそこまでゾッコンになるとはなぁ」
「桐生さんもですよ。あんな風になるだなんて……」
はぁ、と揃って溜息を吐く。大吾と真島の視線の先は応接スペースに向いていた。ローテブルを挟むように二組のソファがあり、その片方を注視する。そこには冴島と桐生が並んでソファに座っていた。ただそれだけなら何も言うまい。言いたくなるには理由がある。
「桐生、そっちも食わせてくれ」
「ああ。いいぞ……ほら」
「美味い。やっぱり料理うまなったなぁ。毎日食えんのが残念や」
うげぇ、と苦い物でも噛み潰した時のように、真島が舌を出して表情を歪めた。
「真島さん。顔に出てますよ」
「わざとや、わざと。大体、顔に出したところで気がつきもせぇへん。完全に二人の世界や」
「……確かに」
「ビシッと言うたれやぁ、六代目。あの調子でいちゃつかれたらかなわんで」
「でも、たった一日の事ですし……」
七月七日、七夕の今日。桐生は遥々、飛行機に乗って沖縄から東京にやって来た。恋人の冴島に会う為に朝イチの便に乗り、最終便で帰る。彼らが関係を結んでからの三年間、桐生と冴島は毎年、この日に一日だけの逢瀬を楽しんでいた。
東城会に戻り組を立ち上げた冴島は、三年が過ぎた現在も組長として益々と忙しい日々を送っている。桐生も桐生で、沖縄の子供たちの世話や施設経営に奔走する毎日だ。そんな彼らだから、一年の内に一度会うのがやっと……それは真島と大吾も理解はしていた。故に人目を憚らず甘ったるい空気を振り撒く恋人達にも見て見ぬふりをしてやった。
でも、想像していたよりも、あまりにも目障りだった。せっかくだから皆で昼食を食べようと会長室に集まったは良いが、桐生はわざわざ沖縄から持ってきた重箱入りの手作り弁当の中身をせっせと食べさせるし、冴島は食べる度に桐生に甘い言葉を送り続ける。そんな光景を昼食の時間中ずっと見せつけられたものだから、真島達の食欲はすっかり減退してしまった。仕事に影響がなければ桐生が居るのは何ら問題がない、と思っていた真島と大吾も、これには辟易とせざるを得なかった。
「このまんまやと、あいつら組長室でおっ始めるんちゃうかぁ?」
「まさか。……そこまではしないでしょう。流石に」
「いいや、わからんで。年々エスカレートしとるし、組長室やのうても適当な空き部屋でやるかもしれん。ここやったら見つからん場所なんていくらでもあるしなぁ」
「止めてくださいよ、真島さん。笑えない冗談です」
ようやく食べ終わったらしい二人へと大吾は視線を向けた。が、すぐに目を逸らした。重箱を片付ける桐生を眺める冴島のとろけそうな眼差しに気がついてしまったからだった。
「……引き離しましょう。あれは危険だ」
せやろ、と真島は何度も深く頷いた。
「でも、桐生さんに何て言えば……。俺、あの人に失礼な事は言えないですよ」
「情けないのぉ。ガツンと言うたったらええんや!ガツンと!六代目やろ?」
「そうですけど……他の奴らならともかく、あの二人ですよ?少しは俺の身にもなってください」
「しゃあないなぁ。ほんなら俺が代わりに言うたる」
真島はもたれていた机から離れると応接スペースへと大股で近寄った。近くに立っても互いしか目に入っていない冴島と桐生の意識を、咳払いでこちらへと向けさせる。
「なんや?兄弟」
「どうしたんだ?兄さん」
揃って首をかしげた仲睦まじい恋人達に真島は告げた。
「二人とも、退場!」
会長室の扉を指した真島に、何事だと冴島と桐生は目を丸くした。自分達はただ仲良く昼食を食べていただけなのに――そんな被害者じみた声が真島には聞こえた気がした。
「退場って、なんでや」
「なんでもクソもないわ!朝からずっとイチャつきよって……そら二人にとっちゃ一年に一度の日や。四六時中でも一緒にいたい気持ちはわかる。でもな、俺らももう限界や。なぁ?」
にわかに大吾を振り返る。急に話を振られて焦った大吾からは「ええ、まぁ、ですね……」となんとも頼りない返答が寄越された。
「ちゅうわけで兄弟と桐生ちゃんには今から別々の場所に居ってもらう」
えっ!?と息ぴったりに発された声を無視して真島は続けた。
「桐生ちゃんはここで待機。兄弟はこれから俺と幹部会議や。終わったら事務所に直行。そこで上がりまで監視するからな」
「真島……」
やけに深刻めいた声色で冴島が真島を呼んだ。
「うん?」
「お前、桐生を諦めきれんからってそこまで拗らせてもうたんか」
「はぁ?ちゃうわボケぇ!なんでそうなるんや!」
「強がらんでええ。お前が桐生を今でも好いとるのはよう知っとる。でもな、無理に引き剥がしても俺らの仲はそう簡単には壊せんぞ」
色ボケ。そんな単語が真島の頭の中に浮かんだ。横っ面を一発殴ってやりたくなったが、桐生の手前もあって諦めた。
「兄さん、悪いが俺には冴島しか見えないんだ。気持ちは嬉しいが答えられない」
桐生にそう言われて、真島は泣きたい気持ちで再び背後を振り返った。大吾にガツンと言う手本を見せてやるつもりだったけれど、冴島はすっかり思考が恋愛一色に染まってしまっていて、桐生には二度も振られる始末だ。こいつらをどうにかしてくれ、と訴えた真島の視線の先で、大吾は力なく頭を横に振った。
「……わかった、もうええ。一年に一度の日やもんな。気の済むまでくっついとき」
それだけを言って真島は二人から離れる。大吾のところへ戻ると「お疲れ様でした」と皮肉だか本当に労っているのだか分からない一言が送られてきた。
「良かったんですか、あれで」
コピー用紙一枚すら挟みようがないくらいに密着して冴島と桐生が会長室を出て行く。その姿を見送りながら大吾が呆れたように言った。同じく彼らの背中を見送る真島の口からは特大の溜息が吐き出された。
「良いも悪いも……あのバカップルはどうにもならへん。ま、七夕やしな。多めに見たるわ」
「あの二人を七夕になぞらえるなんて、真島さんも意外とロマンチックなとこあるんですね」
「ロマンチックぅ?七夕なんぞ色ボケした男と女の話やろが。ほんま、兄弟と桐生ちゃんにぴったしや」
「ああ、そういう……」
乾いた笑いを響かせて、大吾はオフィスチェアの背もたれに深く身体を沈ませた。
「真島さん。来年の七月七日は冴島さんを休ませましょう」
「賛成。最初っからホテルにでもぶちこんどいた方がええわ」
「ですね。イチャつくにしても見えないところでやられた方がまだマシだ」
まったくもって、その通り。いつもは未熟な上司に意見する真島も、今回ばかりは大吾に完全同意で頷いた。
「今からの会議やけど……兄弟は欠席でええよな、六代目」
どうせ席に着いたところで頭の中は桐生でいっぱいの冴島だ。使い物にはならないだろう。大吾も同じ考えらしく「もちろんです」と答えが返った。
「ほんなら行ってくるわ」
やれやれと首裏を掻きつつ真島は会長室の外へ出る。長い廊下を足早に通り過ぎながら、等間隔に並ぶ扉を横目で見た。
「……気のせいやな、きっと」
恋人達の愛の囁きが聞こえてきたのは幻聴に違いない。そう結論を出して会議室へと足を急がせる。
「七夕なんて大っ嫌いや!」
その独り言は、果たして睦む恋人達に届いただろうか。
(了)
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