一時保管所



大きな子供



「俺、桐生さんのこと、きらいだ」
本当にきらいだからな、と念押しをする声も舌足らずな大吾が、ヤケクソだと言わんばかりに一気に飲むには多すぎる量の焼酎を、ぐっと呷った。
それほど酒に強くないのに無茶をするなと諌めると据わった目でねめつけられる。うるせぇと唇を尖らせる姿に東城会六代目の威厳はなく、今はただ、やさぐれていた頃のかつての堂島大吾がそこにいた。
「大吾、飲み過ぎだ」
テーブルに伏した大吾の手から空になったグラスを抜き取ろうとした桐生だったが「触んな」と鋭く言い放たれて諦める。そのくせ重たそうに伏せていた上半身を持ち上げて、桐生さんおかわり、などと言ってくるから始末におえない。今さっきの態度を省みてから言えと口にしたくなったが、酔っ払い相手に説教は時間の無駄にしかならないから、桐生は無視を決め込むことにした。
「……んだよ、ケチ。あんたなんかもー知らねぇ」
その言葉も三回目だ。何回言っても、どれだけ愚痴を吐き出しても、大吾が抱える桐生への不満は止めどなく溢れてくるらしい。だけど桐生には、それらを全て黙って受け止めてやるくらいしかできなかった。償いというのもおかしいが、大吾が荒れてしまうほどの負担を強いたのは、他ならぬ自分自身であるからだ。だからこうして突然の呼び出しにも応じるし、いつ終わるともしれない愚痴を延々と聞いてやっている。彼が六代目に就任してからの半年間。一度だって断りもしなかったし、うじうじとした大吾との湿っぽい時間を嫌だとも思わなかった。
けれど、今回は少しばかり度が過ぎている。何を言われても苛立ちこそしないが、彼のあまりの荒れ様に同情心は煽られて。いつもなら口にしない言葉も思わず出ようというものだ。
「そんなに嫌なら断っても良かったんだぞ。俺はお前が適任だとは思ったが無理やりに六代目の椅子に座らせたかった訳じゃない。荷が重すぎるというのなら姐さんに相談して今からでも……」
「あの人が許すわけねぇだろ!」
「……落ち着け、大吾」
下手に失言の謝罪をすれば変に絡まれる気がして宥めるだけにしておく。さあ、この状況でどうやって舵を取るべきか。もっと飲ませて酔い潰れさせてしまえば簡単だけれど、それをすると翌日に使い物にならなくなる。ううん、と腕を組んで悩み、結局何も言えずに嵐が過ぎ去るのを待った。
「あんたにゃ俺の気持ちなんてわかんねぇんだ。俺がどんな思いでいるかなんて……」
「お前の大変さは理解してるつもりだぞ」
「……そうじゃねぇんだって」
「だったら何だ?なんでも言ってみろ。良い助言ができるかはわからないが話くらいなら聞ける」
「桐生さんがそんなんだから」
大吾の話は支離滅裂ではないが、どうも会話が繋がらなくて困る。
「少し水でも飲め。汲んできてやる」
無意味に身体を揺れ動かしている大吾の肩を軽く叩いて桐生は席を立った。大吾の健康を心配したのは本心だが、手に余る酔っ払いから少し離れたい思いもあった。実際うまい口実だった。
こんなに酒癖がひどかったか、やっぱりストレスが溜まっている所為だろうか――と、そんなことを思いながら足を動かす。けれど前に踏み出そうとする力が何かに引っ張られて進めない。なんだ、と訝しんで後ろを振り返ると、大吾がスラックスの裾あたりを掴んでいるのが目に入った。
「大吾。放してくれ」
「……やだね」
やだ、と言われてもこのままでは。振り払えなくもないが、そうしたら大吾はますます態度を悪くするだろう。仕方なしに桐生はその場にゆっくりと腰を下ろした。とにかく今は、大吾を下手に刺激しない方が賢明だと判断して。
「ほら、座るから手を放せ」
「……ん」
思いのほか素直にスラックスの裾を手放した大吾に安心した桐生だったが、
「う、わ!……っ、おい大吾!」
今度は座るなり後ろに引き倒されて仰向けに転がる。背中を床へと強く打ち付けて顔をしかめているのに、大吾ときたら謝りもしない。どころか、桐生さん大丈夫かよ、と悪びれもせずに言ってのけた。
「お前なぁ……」
さすがに文句を言ってやろうと口を開く。
すると。
影が落ちてきて。
「大吾」
ふに、と唇に柔らかな感触があたった。近すぎて何も見えなかったけれど、何をされたのかはわかる。
酔っ払いもここまでくると呆れるな、と桐生はピントの合った大吾の顔を見つめて浅い溜息を吐き出した。
逆さまに映り込む大吾の顔はまだ赤い。でも、はっきりとした意思のこもった瞳をしていた。
「……桐生さん。後どれだけ頑張ったら俺のもんになってくれんの」
なぁ、と肩を揺さぶられても返事ができようはずもない。鈍いと言われがちな桐生だけど、大吾の眼差しや言葉から何も感じ取れないほど鈍感でもなくて。
黙っていると再び大吾の顔が近づいてきて、桐生は思わず顔をそむけた。
「悪いが、俺はお前の事をそういう目では見られない」
「……知ってるよ」
「なら諦めてくれ。お前だって辛いだろう」
「俺のこと舐めすぎ。こちとら十年以上も片想いしてんだ、今さらだっての」
知らなかっただろ、と言う大吾は笑っているのに泣きそうだ。
両肩を押さえつける指先に力がこもる。幼い子供が不安から服を掴んで耐えているような、そんな痩せ細った我慢が桐生には透けて見えた。
「諦められるかはわかんねぇけどさ。頑張ってる褒美くらいはくれよ……それくらいは、いいだろ」
さっきのキスが褒美では駄目なのかと言いたかったけれど、そんな雰囲気でもなくて黙る。それを肯定と受け取ったのか、大吾がただでさえ近い距離を無くす為に間合を詰めてきた。
唇が触れあう寸前で止まる。熱い吐息が肌を掠めて、くすぐったかった。
「……逃げねぇの」
「逃げてほしいのか?」
「だって、さっき振ったじゃねぇか。へんに期待もたせるなよ。普通、嫌なら逃げるだろ」
「確かにそうだが……今くらいは好きにさせてやるかと思ってな。それに褒美が欲しいんだろ?」
「欲しいよ。欲しい。……けど、ああっ、もう!」
がばり、と勢いをつけて顔を上げた。と思ったら額に衝撃と鈍い音。大吾の額をぶつけられたのだと桐生は遅れて気がついた。
「アンタのそういうとこ、本当にタチ悪いしムカつく」
襲っちまうぞ、なんて付け加えられた言葉とは裏腹に、優しさの滲んだ瞳で見つめてくる。
「やれるもんなら、やってみろ」
「挑発すんなって。マジで襲いたくなるから」
額から伝わる大吾の高い体温が心地良くて、懐かしい。昔に繋いでいた小さな手を思い出す。あの大吾がこんな事を言うなんてな、と複雑な気持ちになった、けれど思い返してみれば。
――俺、桐生くんが大好きだよ!
そんな台詞をしょっちゅう言われていた気がする。
なんだ、大吾はちっとも変わってないじゃないか。
「……なに笑ってんの、桐生さん」
「いや、お前は少しも変わらないなと思ってな」
「なんだよ、それ」
拗ねた表情をされると余計に微笑ましくなってしまう。十二歳の彼にそうしたように頭を撫でたら怒るだろうか、と桐生がそんな事を思っていると、
「笑うなって」
言葉と共に熱い唇を強く押し当てられた。
大吾はとっくに立派な大人なのに、その態度が背伸びをしている子供にみえて。
耐えきれずにまた緩んだ口元に気が付かれないように、桐生はそっと微笑んだ。


                                                                                      
(了)
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