一時保管所


生物には習性がある。
自分には無いと思っていても、無意識の内に芽生えている。
たとえ彼らに自覚がなくとも。



彼らの習性



「カシラ、どれが良いと思います?」
広いテーブルの上に並べられたいくつものプロレスマスクを前にして腕を組んでいた獅子堂が、長いことむっつりと閉じていた口をようやく開いた。じっとしている事が何より苦手な男が三十分もよく椅子に座り続けられたものだ、と鶴野は啜っていた珈琲片手に部屋の隅のパイプ椅子から立ち上がる。獅子堂の下へと歩み寄りテーブルの上を見下ろした鶴野は、彼の頭上に「意地悪やなぁ」と笑いの混ざった声を降らせた。
けれど鶴野を見上げた獅子堂はきょとんとして、
「なんです?意地悪って」
と首を傾げてみせた。しらばっくれている風ではなかった。
「……いや、そない趣味の悪いマスク並べて真剣に選んどるから」
「趣味悪ぅないですわ!」
悪いやろ、と鶴野は内心で言い返した。誰がどう見たって嫌がらせとしか思えないようなデザインのマスクばかりが並んでいるのだ。獅子堂が嬉々として運び込んできたダンボール箱の中を見た時にはそれほど奇抜な物は見当たらなかったのに、一体どこから発掘してきたのやら。
そういえば以前にも気に入りのキャバ嬢にやたらと派手なネックレスを贈っていたな、とふと思い出す。ぬるくなった珈琲を一口飲んで、なるほどなと鶴野は頷いた。
「それがお前の習性っちゅうわけか」
「しゅうせい……?なんです、それ」
「なんでもないわ。で、決まったんか?」
「いやぁ、迷ってますわ。どれも良ぉて決められへんのです」
どれを選んでも桐生が一般的な感性の持ち主ならば気に入る事は絶対に無いのだから悩むだけ時間の無駄だ、と鶴野は思ったが獅子堂があんまり真剣だから黙っておいた。
「もうそれでええんとちゃう」
カップの底に溜まった僅かな残りを飲み干して言うと、獅子堂が不満気に眉根を寄せた。
手に持ったタイガーマスクを広げて、
「これぇ?今、外そかな思ってたんですけど」
暗に鶴野にセンスが無いような口振りで言葉を返してくる。
「なんでや、ええやんか。想像してみ?あの桐生さんがハートマーク付きのタイガーマスク被った姿を。ギャップがあって可愛らしいやないか」
鶴野が並べ立てた口から出まかせを獅子堂は疑いもせずに受け取ったらしい。しばらく難しい顔をして考え込んでいたが、ややあってからテーブルの上のマスクを雑に集めて破顔した。
「決めましたわ!カシラのおかげでイメージが沸きました。これにします!」
そう言って白とピンクを基調にしたタイガーマスクを振りかざす獅子堂に「決まって良かったな」と心のこもらない声で一言だけを送った鶴野は、胸焼けがしそうな濃いデザインのマスクを段ボール箱へとまとめて放り込んだ。その横で獅子堂はやたらと豪華な作りの宝箱に先程のマスクをセットしている。
「こりゃあ桐生さんも気に入り間違いなしや」
んなわけねぇだろ、と。それも言わずに飲み込んだ。宝箱を抱えて、うきうきとした足取りで部屋を出て行く獅子堂の背中を鶴野はただ見送る。
「ひでぇ経験すると色々歪んじまうのかねぇ」
不味い珈琲の口直しの為にと火をつけた煙草の紫煙を、深く胸一杯に吸い込んだ。



「……って事があってなぁ。ほんま上司として心配になったで」
異人町にある行きつけのバーで、今日あった出来事を濁しつつホステスに話すのが鶴野のささやかな癒しの一時だった。高級クラブで馬鹿高い酒を浴びるように飲むのも振る舞うのも飽きた。一、二杯の酒だけで、のんびり煙草を吸いながら喋るだけ喋って帰る。そんな鶴野をホステスのいろはは嫌な顔一つせずに相手をしてくれる。仕事なのだから当然と言えば当然だが、それにしたっていろはは優しいから鶴野はついつい饒舌になってしまう。
「俺もいろはちゃんになんぞプレゼントしよ思ったけど、趣味悪ぅ思われたらかなわんなぁ」
「もう鶴野さんたら。そんな気もない癖によく言いますよぉ」
「あるある。ブランドもんのバッグでもなんでも買うたる!いろはちゃんは俺の気に入りやからなぁ」
気に入りといえば、と。
落ち着いた声が鶴野といろはの間に割って入った。
「先日、珍しくお連れさんといらしたそうですね」
マスターがグラスを拭く手は止めずに鶴野に目線を合わせて言う。つい最近まで腰を痛めていた彼は、もう何事も無かったかのようにカウンターに立っていた。
「おお、そうや。ちぃと仕事絡みでな。あん時はちょうどマスターおらんかったなぁ。腰はもう、どうもないんか?」
「おかげ様で。私も見てみたかったですね、鶴野さんのお連れ様」
「見たって大した事ないでぇ。まぁ俺らの界隈じゃ有名人やが、どうも俺にはそうは見えん。俺の部下はだいぶ気に入った様子やったけど」
「そうですか。てっきり鶴野さんも気に入ってらっしゃるのかと」
「……ほぉ。なんでそう思うん?」
拭き終えたグラスを伏せ置いたマスターが口元を少しだけ緩めて笑う。
「だって鶴野さん。可愛がってる部下の方すら連れて来ないじゃないですか」
「あいつはこういう落ち着いた店は似合わんのや」
「なるほど。そういう事にしておきましょう」
鶴野の前にサービスの乾き物を置いて、マスターは再びグラス磨きに没頭し始めた。
会話の区切りを察したいろはが鶴野のところへと戻ってくる。
「でも、あの方かっこ良かったですよね。鶴野さんまた連れてきてください!」
「俺のが万倍かっこええやろ。それにあの人はそうそう気軽に連れてこられるお人やないんや」
「えぇ、残念。まぁ有名人ですもんね」
「背負っとる看板がでかいだけかもしれんけどな。ま、うまくこっちに引き込めたら連れてきたってもええかもな。そしたら、いろはちゃん。一回くらいデートしてくれるか?」
「それとこれとは別問題ですぅ」
うふふ、と悪戯っぽく笑って躱された。
いろはちゃんは可愛いなぁと思うのに、頭の中に何故だか桐生の顔がちらつく。もしも桐生がこちら側に寝返ったら、眉間に皺を寄せた険しい表情以外を見せてくれるのだろうか。
――男相手に何を考えとんねん、自分。
酒が回った所為だ。きっとそうだと、鶴野はグラスを傾けた。飲み慣れたウイスキーが滑らかに咽喉を滑り落ちていった。



(了)
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