一時保管所
好きです、と。たった一言を伝えられたら。
けれど怖くて踏み出せない。
臆病者の片想い。
ひととき
「すいませんね、こんな公園で」
自販機で買ってきた二本の缶コーヒーの片方を差し出して、秋山は笑った。
渡す時に指と指が触れ合って心臓がどきりと跳ねる。少女漫画じゃあるまいしと思ったが、秋山が桐生に抱いている感情は間違いなく年頃の少女が抱えがちな、それそのものだった。
「奢らせちまって、すまないな」
ベンチに腰掛けた桐生が秋山を見上げて言う。
桐生が座るベンチの他にはトイレと鉄棒くらいしかない、公園と呼ぶにはいささか物足りない場所だが、秋山にとっては些細過ぎて問題にもならない。秋山には桐生が居ればどこでも良くて、場所よりも彼と二人きりで話ができれば、それで満足だった。
「しかし桐生さんが東京に帰って来てるなんて知りませんでしたよ」
「少しこっちに用事があってな。その帰りだったんだ」
「奇遇ですねぇ。俺も仕事帰りです」
秘書の花にせっつかれて回収業務に赴いた帰り道。どこか色褪せて見える街の人の行き交いの中に見つけた、神室町に在るべき男の姿。慌ててライトグレーのスーツの背中を追いかけた。秋山の焦った声で足を止めた桐生は、久しぶりだなと振り返り笑った。その口元を少しだけ上げた、他の大多数の人間には変化がなく見える笑い方は、秋山にとっては確かな眩しい笑顔だった。
そうして桐生を前にして冷静さを失った秋山が口にした言葉が、ちょっとそこの公園でお茶でも、である。そんな経緯があって二人はベンチで肩を並べていた。
「今度からはこっちに来た時は連絡くださいよ。番号知ってるんだから」
ね?と桐生からの返事を得るために付け加える。ああ、と返した桐生の短い一言が秋山には嬉しかった。
「いつ、むこうに帰られるんです?」
「今日の夜だ」
「そうですか、それは残念だ。ゆっくりできる時間があれば俺の店で一杯、と思ったんですけど」
「悪いな。だが今は少しのんびりできる時間がある。俺もちょうど休憩したいと思っていたところだったし、良いタイミングで声を掛けてくれたな」
「はは、そりゃ良かった」
桐生の言葉は心地が良い。嘘がない。
秋山は職業柄、様々な人間の嘘にまみれてきた。金を借す度に、貸した金を回収する度に、軽率に吐き出される悪意を浴びてきた。だから秋山はすべてを見抜けるというほど鋭くはないが、そういった臭いには敏感だ。人の態度や口調、声色から嘘の臭いは発せられる。
しかし桐生にはそれが無い。すう、と乾いた土に染み入る水のように心の内に入ってくる。
加えて、桐生の声の心地の良いこと。彼が口を開いて何事かを喋ると、ずっと耳を傾けていたいなぁと秋山は思ってしまう。
「……聞いてるか?秋山」
「えっ、はい。聞いてますよ、桐生さん」
やっぱり桐生の声は心地が良くて、つい、うっとりと聞き入ってしまっていたらしい。桐生が饒舌になるからと、彼が経営する養護施設の子供達の話を振ったのは秋山からだというのに。
取り繕うように残り少なくなった缶コーヒーを傾ける。けれど中身はとっくに底をついていた。そんな事にも気がつかないくらい秋山は桐生に夢中になっていた。
舌の上に落ちた二、三滴の凝縮された苦味が浮ついた秋山の思考をクリアにする。だけど桐生と二人きりという状況では、まるで無意味な行動だ。秋山の思考も心もヘリウムガスの入った風船みたいに、すぐに浮き上がってしまうから。
また子供達の話を楽しそうに話す桐生の横顔を見つめながら秋山は思う。
「好きだなぁ」
桐生の目が見開かれた。
「秋山、今なんて」
「え?俺、今なにか言いました?」
「ああ。好きだなと言っていたが」
ざあっ、と全身から血の気が引いた。顔に笑みを貼り付けたまま秋山は固まり、そして。
「あ、あぁ!好き、そうっ、好きなんですよ、公園でね!こういう時間好きだなぁって!」
慌てふためく秋山に桐生は首を傾げて、けれど言及はせずに「そうだな」と返した。
「俺も好きだぜ」
自分に向けられたのではない、とわかってはいるけれど。まるで両思いみたいじゃないか、と思うくらいは許されるだろうか、と。
秋山はささやかな幸せを噛み締めるかのように、手の平の中の空缶を強く両手で握り締めた。
(了)
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