真桐
夢をみる
閉ざされていた会長室の扉が、けたたましい音と共に開かれた。
ジャケットを着崩してスラックスに両手を突っ込んだ格好の桐生が、片足で思いきり扉を蹴飛ばした所為だった。
ちょうどその場面を目撃した真島は、お前は不良か、と言いたくなったけれど、すこぶる機嫌が悪そうな桐生を下手に突くのは蜂の巣を揺さぶるのと同じくらいに愚かな行為だから黙っておいた。
不機嫌を撒き散らしながら桐生が室内に入ってくる。真島は素早く彼の後ろに回り、開きっぱなしの扉を閉めた。
「しっかり懲らしめてやったか?」
「当然だ。ったく次から次にキリがねぇな」
特大の溜息を吐いて桐生がソファにどっかりと腰を下ろす。真島には疲れ切った身体を投げ出したようにも見えた。
桐生が四代目に就任してから一年。当初の反発も落ち着いてきたとはいえ、いまだ桐生に難癖をつけては、四代目の座から引きずり下ろそうとする輩の多いこと多いこと。そればかりか、最近では短絡的な手段を選ぶ馬鹿が増えている。そういう頭の悪い有象無象を右腕の自分が片付けてやると真島が言っているのに、桐生は聞かない。東城会四代目の矜持か、頑ななまでに自らで始末をつけたがった。
「人気者は大変やのぉ」
ソファに横たわった桐生を上から覗き込む。むっつりと口を閉じた口が少しだけ開いて、眠いと一言だけが呟かれた。
日頃の激務の疲れも溜まっているのだろう。おかげで真島も桐生とのコミュニケーションが図れないでいる。頼りになる右腕としてだけでなく彼の恋人としての立場も兼ねている真島だ。会話や軽い触れあいだけでは、そろそろ物足りなくなってきている所だった。
「そないにしんどいんやったら四代目なんか止めたったらええやん」
「……馬鹿を言え」
「そしたら俺も桐生ちゃんと前みたいに堂々と喧嘩できるんやけどなぁ」
セックスもできるしな、と真島は内心で付け加えた。これを実際に言ってしまうと今の桐生には起爆剤になりかねない。何かにつけて自分の価値を下に考えがちな桐生だから、恋人らしく睦み合えていない自分に負い目を感じているに違いないと真島は踏んでいる。その原因が自身になくとも全てを抱き込んで潰れてしまう、そういう奴だと知っているから、言わない。
「なぁ桐生ちゃん。俺と結婚してどっか遠くでのんびり暮らすか?ぜーんぶ投げ出して愛の逃避行や」
冗談めいて口にした言葉に、
「それも良いかもな」
と。小さな声で、けれど、確かな返事が返ってきた。
真島は桐生の思わぬ台詞に片目を瞬かせた。まさか、そんな答えが返ってくるなんて。また無視をされるだけだと思っていたから完全な不意打ちだった。
「き、桐生ちゃん。今の、冗談とちゃうで?本気やからな。なぁ。聞いとる?」
ソファの背もたれ側を向いてこちらに背中を見せている桐生を揺さぶる。が、反応がない。このタイミングで寝てしまうなんて、と真島はふて腐れた。
「まぁ、ええか」
書類仕事が山のように積み上がっているが少し休ませておいてやるか、と。桐生の頬に唇を触れさせて、おやすみを伝えて離れようとした。
すると。
桐生の横顔がみる間に真っ赤に染まったから、真島は「狸寝入りめ」と笑って、熱をもった耳朶をいつもより強めに噛んでやった。
そんな二人のささやかな甘い時間を割るようにして閉ざした扉がノックされる。応対すると、何度か見かけた顔の組員が桐生に頼まれた書類を持ってきたと告げた。
「おう。たぬきちゃんが起きたら渡しとくわ」
「……は?たぬき?」
「ついでに俺がええって言うまで会長室には近寄るなって他の奴にも伝えといてくれ」
「はぁ、わかりました」
聞き間違いかな、と頭を傾げながら組員が去って行く。
扉を閉めて桐生のところへ戻ると、彼は今度こそ穏やかな寝息をたてていた。額に落ちかけている前髪を払ってやりながら真島は思う。
――いつか、本当に逃避行でもしてやろうか。
どこか遠い場所の海辺か山奥に小ぢんまり閉じた家でも建てて。誰も立ち入らない二人だけの世界で生きていけたら。
「それもええよな、桐生ちゃん」
むにゃむにゃと意味のない寝言が桐生の唇の隙間から転がった。
それを返事の代わりだと真島は思うことにした。
(了)
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