真桐



離れた距離を紛らわせたくて。
そんな本音は言ってやらない。



hi-lite



「桐生ちゃん。浮気しとるやろ」
あまりにも唐突な言葉を真島が吐いて桐生は思わず眉間の皺を深くした。
この男は一体なにを言っているんだ、と真島に麦茶を手渡そうとしていた桐生の機嫌が僅かに下降する。予告もなく突然に沖縄へとやって来て泊まっていくからな、と告げただけでは収まらないばかりか、浮気をしているだなんて言いがかりまでつけられては機嫌も悪くなって当然だった。
「浮気なんかするわけがねぇだろう」
「……じゃあ、この臭いはなんやねんな」
「臭い?」
自室に漂う空気を嗅いでみたけれど、桐生には真島の指摘する臭いがまるでわからなかった。
真島は手渡された麦茶のグラスを乱暴な仕草でテーブルに置くと、目の前に座る桐生の胸ぐらを掴んで自分の方へと力任せに引き寄せた。今まさに桐生が喉を潤そうとしているのにも関わらず。
「っ、おい。兄さん、何すんだ」
グラスの中で盛大に波を打った麦茶が縁を飛び越えて桐生と真島の服を濡らした。けれど真島はそれにも動じず、桐生の首筋に近付けた鼻をひくつかせながら、
「男か?女か?気にいらんわぁ」
と革手袋をはめた指先でゆっくりと頸を撫で上げる。
「怒らへんから言うてみ。どこのどいつと仲良くやっとるん?」
頸に沿わせた指先に力をこめて言われても信用ならない。それに仲良くしている相手なんて存在もしていない。真島はなにか、とんでもない勘違いをしている。
「落ち着けよ。本当に浮気なんかしてねぇ」
「こないに煙草の臭い染みつけといてからに、よぉ言うわ。お前ハイライトなんか吸わへんやろ」
首筋から顔を離した真島が鋭く睨めつけてくる。
どうりでわからなかった訳だ、と桐生は思った。今となっては馴染みすぎた香りだったから。
「まぁ……東京では吸ってなかったな」
胸ぐらを掴まれたままでシャツのポケットから煙草のソフトケースを取り出す。見慣れた銘柄が桐生のシャツから出てきた事に驚いたのだろう、真島から「えっ」と小さな声があがった。
「なんで桐生ちゃんがそんなん吸うとるん?苦手や言うとったやないか」
「前に来た時に忘れてっただろ。気まぐれで吸ってみたら意外とハマってな。今はもっぱらこいつだ」
「ってことは、三ヶ月以上も吸うとるんか。……なんやぁ浮気や思って焦ったわ」
「だから違うって言っただろうが」
取り出したついでとばかりに一本を抜いて火をつけた。
俺にもくれ、と胸ぐらから手を離した真島がケースに指を伸ばしてくる。
「あんたはこっちのが好きなんじゃねぇのか?」
吸って煙を吐いた、その流れで真島の唇を塞ぐ。
人のことを浮気者呼ばわりした真島には、くれてやる煙草など一本もない。
「えらい積極的やんか。そいつの所為か?」
「さぁなぁ。でも、兄さんはなんでも強気な奴が好きだろう」
「さすがは桐生ちゃん。よぉわかっとるわ」
また首筋に顔を近づけた真島が今度は喉仏に齧りつく。
がり、と薄い皮膚越しに硬い骨と歯が擦り合う。その僅かな痛みから熱がひろがる。
「俺も兄さんと同じだからな。気の強い奴が好きなんだ」
ゆったりと煙草を愉しむ桐生のシャツの釦が外されてゆく。
露わになった肌に真島が吸いつこうとするのを、片手で彼の肩を押し戻して制した。
「こいつが終わるまで待ってくれ」
「嫌や、我慢できひん」
「こら。真島」
うるさい黙れ、とでも言うように唇に噛みつかれる。革手袋も外さないままに身体の上を指先が這う。だけど与えられる快感は身勝手な行いからは想像もつかない程に甘い。
やっぱり真島はハイライトによく似ている。攻撃的、なのにどこか優しくて。
これだから抜け出せないんだ、と真島の背に腕を回しながら、灰皿に吸殻と呼ぶには真新しい煙草を投げ入れた。



(了)
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