真桐



いい夫婦の日の話


「そういえば見ました?高札場こうさつば
本堂の縁側で藤堂が言った。庭の枯れ木を眺めながらの三色団子も乙なものですねぇ、と童のように足をぶらつかせた藤堂の笑顔は十秒ともたなかった。返事を考えている内に次の話題が投げかけられ、団子を飲み込んだ斎藤は思わず「え?」と呟いていた。藤堂との会話は飽きない反面、移り変わりが目まぐるしくて困る。喩えるならば、あっという間に過ぎてゆく四季だ。涼しい秋風が吹いたと思えば、身も凍る北風が吹き始める。そんな季節の移ろいによく似ていた。
「高札場か。屯所ここに来る前に通ったが、人が群がってよく見えなかったな」
「読まずに来ちゃったんですか?法度だったらどうするんです」
高札場とは、言わば幕府の声を民衆に届ける場所である。高札と呼ばれる木の札に、掟や様々な決め事が記され掲示されている。全国各地に点在し、人々は皆、それを見て新たな法令を知るのだ。高札場に新たな札が掲げられれば、誰しも必ず目を通す。斎藤のように人だかりを理由に読まずに素通りするなど有り得ない事だった。過去には、小さな羽虫を一匹死なせただけで首を刎ねられた事例もある。高札に幕府が筆を走らせた瞬間から、民衆は無条件で従わなければならない。故に、そこに書いてある掟を読み、守る。しかし斎藤は、呑気に茶を啜りながら「でも、お前がそう言うなら法度じゃねぇんだろ?」と口にした。
「ええ、まぁ……そうですけど。ほんと斎藤さんって、変わってますよねぇ。天然というか、大胆というか」
「そうか?自分じゃ、よくわからねぇな。変わってるって言うなら沖田の方がよっぽど変人だ」
「あの人はまた別種ですよ。変にも種類があるんです」
「よくわからんな。で、高札には何て書いてあったんだ?」
藤堂は四本目の団子を取り、先端の桃色だけを一口に頬張った。桜の開花を表しているという職人の粋も藤堂にはわかるまいと斎藤は思った。食欲旺盛な若者は、とかく食べる事にしか興味を見出せないらしい。
「ふぇっとれすね……」
「食い終わってからでいい」
食べながら喋ろうとする藤堂に渋い顔で言う。斎藤よりもずっと年若い青年は、時に本当の童のような一面を見せる。そこが可愛がられる由縁だろうと納得しつつ藤堂の言葉を待った。
「夫婦円満にせよですって」
「それだけか?」
「ええ、嘘じゃないですよ。二度も読みましたから。なんでも将軍様が考えた語呂合わせだそうで。ほら十一月二十二日で“良い夫婦”に掛けてるらしいですよ。まぁ、独身の俺らには関係ない話ですけど」
笑いながら藤堂が四本目になる団子に手を伸ばした。
「食い過ぎじゃないのか。腹を壊すぞ」
「まだ四本目ですよ。斎藤さんこそもっと食べないと。たくさん買ってきた甲斐がないってもんです」
そんな話をしていると、縁側の曲がり角から足音が聞こえてきた。藤堂と斎藤は、音の方向に揃って耳を傾けた。
角から向かってきたのは、どたどたと騒がしい足音だ。
「はじめちゃん、こないなとこに居ったんか!」
姿を現すなり沖田は斎藤に駆け寄った。斎藤は沖田の動線上にあった盆を慌てて横にやり、あわや大惨事を見事に回避した。沖田は周りを気にしない。常日頃から自分の思うがままに行動を起こしている。その沖田が足元にある盆に気がつくはずがないのだ。避けなければ湯呑みも団子も、地面か板張りに食われていたに違いなかった。
「沖田、危ないだろう」
「また副長に叱られますよ……って!それ俺の団子!」
藤堂が声を荒げた時には、食べかけの団子はもう沖田の腹の中だった。新選組内で相当に腕の立つ藤堂だ。その剣技は随一と名高い沖田にも引けをとらない。だから、まさか手に持っている団子を奪われるとは思ってもみなかったのだろう。油断大敵という四文字が斎藤の頭に、ぽっと浮かんだ。
「俺のも食べるか?」
団子を沖田へ差し出すと「ええよ。はじめちゃんが食べ」と優しい声音が返った。声を聞いた藤堂がみるみると口をへの字に曲げる。開いた口から不満が勢いよく飛び出した。
「俺と扱い違いすぎません!?」
「やって、はじめちゃんは俺の嫁やし。扱いに差が出るんはしゃあないやろ」
「あーあ。ついに嫁とか言い出しましたよ、この人」
「嫁は嫁やもん。なぁ、はじめちゃん?」
沖田の愛しみを込めた眼差しと、藤堂の白い視線が同時に斎藤へと向けられる。斎藤は二人の顔を見比べ、言葉を詰まらせた。
「……嫁、かどうかはわからねぇな」
「そこははっきり否定しましょうよ、斎藤さん」
「しかし、沖田と深い仲なのは確かだからな」
「そりゃ屯所の誰もが知ってますけど、だからって嫁呼ばわりは流石にまずいですよ。もし副長の耳に入ったら……」
おお怖い、と大袈裟に身を震わせる藤堂に「うるさいで平助!誰がなんと言おうと、はじめちゃんは俺の嫁や!」と沖田が噛みつく。その拍子に、ぐぅ、と腹から音がした。
「うぅ、腹減って死にそうや……。ワシ、はじめちゃんの握り飯食いとうて探しとったんやで?どこにも居らんと思ったら、こないなとこで浮気しとったんか」
「ちょっと!俺を巻き込まないでくださいよぉ」
「昨日の晩もあないに盛り上がったやないか。なのに若い男に乗り換えようっちゅうんか?」
だから巻き込まないでくださいよ、という平助の言葉は沖田には聞こえていない様子だった。周りを気にしない性分の所為だろうか。沖田は時として暴走をし始める。こうだ、と思い込んだら、脇目も振らず突き進んでしまう癖があった。斎藤はそんな沖田を宥める為に努めて優しく声をかけた。
「落ち着け、沖田。たまたま誘われたから付き合っていただけだ。平助に他意などないさ」
なぁ、と同意を求めると諦めたような顔で藤堂は頷いた。
「ありません。本当にありませんったら。もし斎藤さんを狙ってたらもっと上手くやりますよ。それこそ蔵にでも連れ込んで……って、冗談ですって!」
刀の鯉口を切った沖田に藤堂が慌てる。見境なく冗談を言うからだ、と斎藤は半ば呆れながら沖田の口に団子を押し付けた。
「握り飯を作ってくる。これでも食って待っててくれ。そういえば平助、これから用事があるんだろう?片付けはやっておくから行っていいぞ」
「え?……あ、はい。じゃあ、お願いします」
そそくさと中庭に退散しようとした藤堂が、すれ違い様に「やっぱり斎藤さんは嫁ですね」と耳打ちをする。手の平で何かを転がす仕草をしながら、藤堂は銀杏の樹の向こう側へと去って行った。
さて、自分も炊事場へ向かおうかと思った矢先、沖田が斎藤を呼び止めた。振り返るとすぐ側に沖田が立っていて、捨てられた犬を思わせる顔で斎藤を見つめていた。
「はじめちゃん、一緒に行ってええ?」
「来ても飯の準備で構ってやれないぞ」
「かまへん。飯も足らんが、はじめちゃんも足らんのや」
肩口に顔を埋めた沖田が額をこすりつけてくる。甘える猫みたいだと微笑んで斎藤は沖田の手を取った。
「なら、このまま炊事場まで行くか」
「ええの?いつもは歳ちゃんに見つかる言うて嫌がるやん」
どうやら沖田も新たな法令を知らないらしかった。不思議そうに小首を傾げた沖田に笑みを濃くして口を開く。
「ああ、今日だけは特別だ。なんせ十一月二十二日だからな」
後で高札場に連れて行ってやろう。そう決めて、沖田の手を引き歩き出した。


(了)





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