錦桐


錦←錦/仄暗い

愛憎


「うわ、また入ってら」
下駄箱を開けるなり、錦山がうんざりとしたような声を出した。
首を伸ばした桐生が中を覗き込むと、そこには一枚の封筒が入っていた。薄いピンク色の封筒の端には、いかにも女子という字で『錦山彰くんへ』と書かれている。中身を見なくとも封筒の口を押さえるハートマークのシールだけで一目でラブレターだとわかるそれを、錦山はぞんざいな手つきで摘み上げた。
「はぁーモテる男は辛いわ。なぁ、桐生?」
「……嫌味ったらしい奴だな、お前」
「冗談だって。拗ねんなよな」
別に拗ねてなどいない。桐生は肩に回された錦山の腕を払って靴を履いた。錦山がラブレターを貰うのは今月、これが三通目だ。無駄に顔が整っているからか女子はこぞって錦山に夢中になっている。桐生だって今までに何度か告白を受けた事はあるが、それにしたって錦山はもてていた。
――面白くない。
そう思って眉根を寄せる。けれど、対抗心や嫉妬心から生まれた気持ちではない事は桐生自身で理解をしていた。
「付き合うのか?」
二人並んで昇降口から出る。野球部が隊列を組んで駆ける運動場の横を通り過ぎながら桐生は聞いた。途中、フェンス越しに野球部員を見ていた女子生徒の群れの何人かが、こちらに気がついて手を振った。
「ないない。女とか面倒くせぇし」
じゃあ、男の俺となら付き合ってくれるのか。そんな言葉が出そうになって桐生は慌てて口を閉ざした。女子生徒に手を振り返す錦山は、にこやかな笑顔を惜しげもなく振りまいている。
やめてくれ。そんな笑顔を向けないでくれ。また口をついて出そうになる。ぎゅっと唇を真一文字に結んだ。
「お前ほんと女子苦手だよな」
錦山がけらけらと笑った。桐生は「悪いかよ」とだけ言って、黄色い声を上げる女生徒達を横目に見ながら歩みを速めた。さっきまで錦山に手を振っていた何人かは、もう野球部員の誰かに夢中になっている。誰だって良い癖に、と桐生は軽い苛立ちを覚えた。
女子は苦手なんじゃない、嫌いなんだ。そんな気持ちを込めて道端の小石を蹴飛ばす。彼女達は桐生にはできない事をあっさりとやってのける。さっきみたいな可愛らしいラブレターなんかを送ったり。告白をしたり。好きな男と堂々と手を繋いで、キスをして、結婚して、子供を作って……何もかもを当たり前だと言うように。ずっと側に居るのに好きの一言も伝えられない自分から錦山を奪っていってしまう。
なんだか嫌気が差してきて、桐生は校門を抜け様に小さく舌打ちを一つした。そこへ錦山の明るい声が飛び込んでくる。
「腹減ったな。桐生、早く帰ろうぜ」
ヒマワリまで競争な!と言うが早いか走り出した錦山の背中が、あっという間に小さくなる。
「待てよ、錦!」
桐生も急いで後を追った。錦山が追い越した同じクラスの女子が、彼の背中を見つめていた事には気がつかない振りをして。



キスしてくれたら諦めるから。なんて、ドラマでしか聞かないような台詞を現実で言われる日がこようとは。
昼休みに人気のない校舎裏に呼び出された桐生は、もじもじと俯く女生徒を前にどうしたものかと困惑していた。告白で呼び出されたのは半年ぶりだった。物好きなんだな、と。打ち明けられた想いを他人事のように聞き流した後の思いもよらぬ一言だった。
「……ダメかな」
上目遣いに聞いてくる。ダメだと言ったら彼女はきっと仲良しの友達のところにすっ飛んでいって、桐生の悪行を涙ながらに語るのだろう。女はいつもそうだ。すぐに悲劇のヒロインぶる。泣けば周りをコントロールできるとでも思っているのだろうか。そういうところが嫌いなんだと桐生は拳を握りしめた。女とキスなんかするもんか。思ったところに、ふと、錦山の顔が浮かんだ。
――ああ、でも。どうせ、好きな奴とは一生できやしないのか。
同時にキスをしたと言ったら錦山はどんな反応を返すのだろうと知りたくなった。少しでも妬いてくれるだろうか。この気持ちの十分の一でも理解をしてくれるだろうか。錦山がほんの僅かにでも嫉妬心を垣間見せてくれたのなら、この想いも報われる。そんな気がした。
「……一回だけなら」
泣き出しそうな女生徒の表情が、ぱっと明るくなった。花が開いたように笑うとはこの事かと、桐生は異性の見せる愛らしさに初めて心を動かされた。だけど、そこから愛は生まれそうにもない。それはそうかと桐生は内心で自嘲した。心はとっくに錦山に奪われているのだから当然だった。


「おう桐生、ここにいたのかよ」
予鈴が鳴っても戻らなかったからだろう。校舎の壁面にもたれて、ぼんやりと空を見上げていたら錦山が突然目の前に現れた。上から覗き込んで笑う錦山を桐生は黙って見つめていた。
「サボりかぁ?水臭ぇなあ、俺も誘えよ」
「さっき告白された。……キスもした」
明るい調子の声を断ち切るように静かに言う。世界から一瞬、音が消えたような沈黙が訪れた。それをコントロールを失った錦山の声量が薙ぎ払う。
「っ、え!本当かよ桐生!お前いつの間に!?」
詳しく聞かせろ、と錦山が隣に座り込む。桐生は錦山の表情から嫉妬の欠片を見つけようとした。
「なぁどんな子だよ!可愛かったか?どこのクラスか教えろよ!」
けれど、錦山の瞳は輝くばかりだ。桐生は、じくじくと痛みだした心を庇うように胸に膝を寄せた。
「クラスは知らない。顔は、普通」
「まさかお前に先越されるとはなぁ。俺も負けてらんねぇわ」
膝の間に顔を埋めながら桐生は横目で錦山を覗き見た。どうしてそんなに嬉しそうに笑うのだろう。錦山の馬鹿野郎。心の中で悪態を吐く。もうお前の顔なんか見たくない、嫌いだ、と言えたならどれほど楽になる事か。
「で?付き合うのかよ、桐生」
「……しらね」
とうとう顔を完全に伏せてしまうと、背中を二三度と叩かれた。
「なんだよ照れんなって!」
違う。違うんだ、錦山。俺は今、泣きたいほどに苦しいんだ。瞬きをすれば瞳に滲んだ涙が零れてしまいそうだった。黒い学生服の布地に悲しみが吸われて染みてゆく。錦山に抱く想いをすべて吸い取ってくれたら良いのにと桐生は思った。
そうして、また目だけを動かして錦山を見る。青く澄んだ晴れやかな空を見上げる錦山の横顔は、歪んだ視界の中でも愛らしくって嫌になる。
「なぁ、桐生。俺に遠慮なんかしねぇで付き合っちまえよ」
大好きで大嫌いで、愛してるけど憎らしい。
「……黙れよ、バカ」
なんだって、と錦山が聞き返してきたけれど。答えてなんかやるもんか。



(了)
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