このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

短編

design






 これは僕の存在証明の話だ。





「施設を…出る」


 高校2年生の冬休みにそれは告げられた。


「私としても心苦しいんだけれど、施設にいられるのは18歳までって決まりでね。ほら羽奏くんも来年で18歳になるでしょう?誕生日は3月で時間はまだあるけれど春には3年生になって忙しくなると思うだろうし───」


 いずれこの時が来るのはわかっていた。僕も別に何も考えていないわけではなかったけれど、いざ告げられると嫌というほどに現実を突きつけられた気分だ。


「少し、考えさせてください」


 そう言い残し、僕は施設長室を出て自室へと向かった。電気もつけずベッドに倒れ込み天井をぼうっと見つめる。これからどうしようか。頼れる友人もいなければ、血縁関係のある人もいない。そんな人たちがいたら今頃ここにはいないだろう。
 僕と同じ境遇に立たされた人たちはどう乗り越えてきたのだろうか。アルバイトをして、お金を貯めて、そのお金で一人暮らしして、そのまま就職して…。それが一番無難だろう。一応貯金はいくらかあるけれど一人暮らしをしていくには厳しい。今からアルバイトを増やすか、それとも時給がいいところに変えるか。夜勤はまだできないし、学校に行きながら稼げる金額なんてたかが知れてる。それに学校には通いたい。僕は、どうすればいいのだろうか。





「…ん」


 外から聞こえる子どもたちの声を目覚ましに深い眠りから浮上する。スマホを開くと時刻はもうお昼過ぎを示していた。依然として心の中にはもやもやとした塊が居座っている。この塊は自分の進む道を決めない限り消えないということは僕自身が一番わかっていた。意味もなくふう…、と大きく息を吐いてみる。吐いた息は最小限の物が置かれた6畳の部屋に吸い込まれていった。
 ここで悩んでいても解決はしない。僕は扉を開けると、肌を指すような冷たい空気が張り詰める廊下を早歩きで進み施設長室へと向かった。


「そうだよね、急に言われても困っちゃうよね」


 コトン、と置かれた水色のマグカップにはホットココアが注がれている。口に含むとココアの甘さが口いっぱいに広がり冷えた体が温まった。


「ひとまず、今ふわっとしてていいから羽奏くんが考えていることを聞かせてくれるかな」


 施設長は優しい笑みを浮かべて僕の言葉に耳を傾けた。


「無難にアルバイトしながら一人暮らし、ですかね。でも一人暮らしするには今のバイトだけじゃ少し厳しいかなと思っています」
「今やってるのってフォトスタジオだっけ?羽奏くん写真好きだもんね」
「そうです。でも高校生ってのもあって時給安いのであまり稼げなくて」
「なるほど…月これくらいだとしてもほとんど家賃に持っていかれちゃうね」
「だけど学校は辞めたくないんです。学ぶことは…嫌いじゃないので」


 その言葉を聞いて施設長は「いいことだね」と微笑んだ。施設長は僕の言葉に真摯に耳を傾け、一緒に最善策を考えてくれた。


「ひとまず学校のことなんだけど一年休学してみるってのはどうかな?」
「休学って高校生でもできるんですか?」
「うん。ちゃんとした理由があって申請すれば学校側も認めてくれるはずなんだよね。だからね…」


“何も諦めなくていいんだよ”


 施設長は僕の手を握って呟いた。
 その瞬間、瞳から一粒の雫が頬を伝い、次から次へとこぼれ落ちる。


「ど、どうしたの!?ど、どこか痛い…?」
「ちが、違うんです、これはそういうのじゃなくて…」


 らしくない。誰かにこんな姿を見せるなんて。でもなんだか胸の奥がじんわりと暖かい。これも全て貴方がいてくれたからだろうか。


「落ち着いた?」
「はい。すみません…さっきのは忘れてください」
「いいじゃない、別に悪いことなんかじゃないんだから」
「…僕が嫌なんです」
「そう?それじゃ2人の秘密ってことにしよっか」
「それでお願いします…」


 すっかりぬるくなってしまったホットココアを飲み干し、僕は施設長にお礼を言って自室へと戻った。もやもやとした気持ちはすっかり晴れ、どこか体が軽い。僕は早速、休学制度について調べ書類をかき集め、冬休みが明けたタイミングで高校に休学届を提出した。





 そして季節は巡り桜が芽吹く頃───。


「目標金額に達したら引っ越そうと思います。それまではしばらくお世話になります」
「わかった。いつまでもいていいよ…って言えないのが悔しいね」


 施設長は困ったように微笑むので心配させないように振る舞った。

 それからの僕は学校に行っていた時間をアルバイトに費やし、空いた時間で物件を探す日々を送っていた。僕には特別親しい友達がいたわけじゃないので休学することにためらいはなかった。それを言ったらもっとみんなと仲良くしなさいって怒られたけれど。


「目標金額まであと10万か…来月には達成できそうだな」


 住む部屋も、もうすぐ決まりそうだし、いよいよこの施設ともお別れか。僕にとってこの施設はもう実家のようなものだし、ここにいる人たちはみんな家族同然だ。


「…寂しいな」


 ポツリと呟いた言葉は宙に吸い込まれていった。





 月日は流れ木々が暖かな装いに衣替えする頃。
 ついにその日を迎えた。


「寂しくなるね」
「たまに顔出しますから」
「うん。そうしてくれるとみんなも喜ぶよ。あ、そうそう。羽奏くんに渡すものがあるんだ!」


 施設長は後ろに隠していた紙袋を僕に差し出す。


「これは…?」
「みんなからの餞別だよ。羽奏くんにはたくさんお世話になったからね」
「わざわざすみません。ありがたくいただきます。それじゃあ僕はそろそろ───」


 瞬間、僕は温もりに包まれる。優しくて、心地良い。その正体は施設長からのハグだった。


「いってらっしゃい」


 突然のことに頭が処理しきれなかったが、ゆっくりと瞬きをしてその温もりに、お返しをするように腕を回す。


「いってきます」





 学校からバスで15分圏内のところにあるアパート。その一室が今日から僕の新たな場所となる。部屋には最低限の家具と、お気に入りの一枚の写真。昔、夜にこっそり施設を抜け出して海に行ったときのものだ。その日は空が澄み渡っていて、星空が海面に反射し幻想的だったのを覚えている。まあその後、補導されて施設長に迎えにきてもらったのだけれど。
 一通り片付けが終わったところで別れ際に施設長から貰った餞別を見ることにした。内容は施設のみんなからの寄せ書きと僕の成長アルバム。そしてもうひとつ。


「なんだろうこれ…」


 手に取った四角い箱は60サイズほどの大きさで綺麗にラッピングされており、ずっしりとした重量がある。食器類だろうか。はたまた何かの詰め合わせか。僕は不思議に思いながら丁寧にラッピングを外していく。そしてその内容に僕は思わず目を見開いた。


「これ…!」


 ラッピングの下に隠されていたのは僕が密かに欲しいと思っていた一眼レフだった。
 さらに箱を開けると一枚の手紙が入っている。筆跡から察するに施設長で間違いない。手紙にはこう書いてあった。


 “羽奏くんへ

 君が施設に来た頃は、まだ幼いながらも、どこか大人びている印象だったのを今でも覚えています。しっかりもので、みんなのお兄ちゃんをしてくれて、私たちもすごく助かっていました。

 そんな君もいつの間にか18歳に近づき、独り立ちという決断をせざるを得ない状況にまでなりましたね。

 私たちが君にしてあげられることは限られていたし、もしかしたら我慢させてしまったかもしれません。羽奏くんは我儘をあまり言わない子だったから尚更そうかもしれませんね。

 だからこそ、これから先はもっと自分に正直に生きて、自分の思ってることはたくさん伝えて、いろんな人と出会って、素敵な経験をしてください。

 これは私から新しい旅立ちをする羽奏くんへの贈り物です。いつか、このカメラで君の写したいものを記録して、私に見せにきてください。それでたくさん話をしましょう。いつまでも待っています。そして最後に、

 羽奏くんの未来が幸せで満ち溢れますように。”


 読み終えたと同時に手紙の文字が滲んだ。ひとつ、またひとつと文字が滲む。時刻は23時。静まり返った部屋に啜り泣く声が響いたのであった。





 季節は巡り、世の中の学生たちが新たな門出を祝われる時期。僕もその一人として準備をしていた。1年間の休学期間を終え、来月からは高校3年生として復学予定だ。引っ越してからの生活にもだいぶ慣れ、問題なく過ごせている。
 ただ一つ、変化があったことといえば…。


「ご結婚おめでとうございます」
「羽奏くんありがとうね」


 施設長が結婚した。その関係で長年勤めていた施設を離れることになり、今日は最終出社日ということで、お世話になった関係者が施設に集まっている。


「最近はどう?ご飯ちゃんと食べてる?羽奏くん全然連絡してくれないんだもん」
「普通です。来月からはまた学校に行きます」
「それならよかった!そうだ羽奏くんさ…」


 その言葉の続きを遮るように聞き覚えのない男性の声が彼女の名を呼ぶ。


「あ、ごめん呼ばれちゃった。あとでゆっくり話そうね」


 遠ざかる彼女の背中。その先には見知らぬ男性と嬉しそうに笑う彼女の姿。
 その光景を見てなぜか胸の奥がチクリと痛む。この痛みの正体に気づくのに時間はかからなかった。本当は既に心のどこかでは自覚していて、そしてこの気持ちに蓋をし、無かったことにしていたから。


「…素直に祝うことなんてできないですよ」


 小声でポツリと呟き、持っていたカメラを構えると、ファインダー越しに映る2人の姿を嫌というほど脳裏に焼き付けシャッターを切る。
 彼女の隣にいるのが僕ならどれほど良かっただろうか。僕にもこんな笑顔を向けてほしかった。貴方は僕の生きる理由だった。


──今までありがとうございました。


「…羽奏くん?」


 気持ちの整理がついたら、また会いに行きます。
 その頃には心の底からお祝いできますように。





 この学校に来るのは1年ぶりだ。早速、掲示板に張り出されたクラス分けの名簿に目を通す。どうやら最後の高校生活は3年1組で過ごすみたいだ。当たり前だがその中に僕の知っている名前は1人もいない。
 教室に向かうと既に同じ部活仲間、去年同じクラスだった人たちでグループができていて、僕はそれを横目に自分の席へ着く。すると周りから珍しいものを見るような視線を感じた。


 ───あの人って確か…
 ───え?じゃあ年上?
 ───なんか近寄りがたいね


 小声で話しているつもりだろうけど、雰囲気でなんとなくわかる。想像した通りだ。これくらいなんともない。今まで通りに過ごして無事卒業するだけ。それ以上は何も望まない。騒がしい外音を切り離そうとイヤホンを取り出した時だった。


「あーーーー!?女じゃねえ!!」


 突如として教室に響く大声。一体何事だと思い辺りを見回すと、声の主は目の前にいた。その人は頭のてっぺんが少しプリンになっている金髪を肩まで伸ばし、特徴的な三白眼を大きく見開く1人の男子生徒だった。


「なあ、お前が“みさき わかな”?」
「…そう、だけど」


 僕がそう言うと彼は肩をがっくりと落とし、わかりやすく落ち込む。一体何なんだ。初対面の相手にいきなりそんなことを言うなんて失礼にも程があるだろう。


「おい廊下まで聞こえてたぞ。ごめん、こいつめっちゃ失礼なこと言ったよね」


 次に現れたのはとても整った顔立ちで、ブレザーの中に黄緑色のパーカーを着て、眼鏡をかけている男子生徒だ。


「だってよー。名前からして女子だと思うじゃんか」
「お前それは偏見だろ。えっと三崎くんだよね?俺は優輝、神田優輝。んでこっちは…」
「前園樹!前後席だからよろしくな!」


 彼らはニッと口角を上げる。初めてのことだった。こうして誰かから話しかけられるのは。今まで深い交流はしなくてもいいと思っていたから、周りとは必要最低限の距離を置いていた。こういう場合どうすればいいんだろう。僕が言葉に詰まっていると、ふと、あの手紙の内容が脳裏によぎる。


“自分に正直に生きて、自分の思ってることはたくさん伝えて、いろんな人と出会って、素敵な経験をしてください”


 施設長。僕は今まで貴方に頼りっぱなしだったのかもしれません。


「僕は三崎羽奏、これからよろしく」


 これは僕の存在証明の話だ。



1/6ページ
スキ