中学生編
それは1年前のこと。
あの日、天川さんと出会って俺の世界は変わった。
*
「神田くーん!え〜全然見つかんないんだけど〜!」
「もう帰っちゃったのかな?」
「でも靴あったよ〜?」
物音を立てるな。
気配を消すことだけを考えろ。
今の俺は空気そのもの───。
「…何してるの?」
「わっ!?………っ!!!」
咄嗟に出た声を素早く手で塞ぎ、声をかけてきた彼女には「しーっ」と人差し指を立て外の様子を伺う。
よし…こちらにくる気配はなさそうだ。
なんとかやり過ごせたけど彼女は見てしまった。
俺の見られたくない姿を!
俺は“あの”神田優輝だ。
容姿端麗、成績優秀、頭脳明晰、スポーツ万能
まるで神にでも愛されたような男
(…と周りに認知されている。)
期待に疲れて逃げ回る姿なんて周りは知らなくていい。
どんな手を使ってでも隠し通すんだ。
誰にも知られないように。
「君、名前は?」
「天川」
「天川さん。今見たこと内緒にしてくれるよね」
いつもの神田優輝の笑顔でそう言うと彼女は何かを察したのか「人気者も大変ね」と呆れた様子で呟いた。
「別に言いふらしたりしないわよ、何のメリットもないもの」
「はは…ドライだね。じゃあなんで声をかけたの?」
「あなたってわかってたら無視してたわよ」
初対面なのにこの人厳しいな…!
思わず声に出してしまいそうだったけどこれ以上俺の見られたくない姿を更新するわけにもいかないので必死に心の中に留めた。
でも熱狂的なファンの子に見られるよりはよかったのかもしれない。
もう少し興味は持って欲しかったけれど!!
「これは私の独り言なんだけど」
「うん?(独り言ってわざわざ宣言するの?)」
「…この時間帯の図書室は人の出入りが多くないから肩の力を抜くにはちょうど良いんじゃない」
「え…それ」
彼女は「なんでもない」と言い残しそのまま図書室を後にした。
時間にしてほんの数十分。
交わした言葉は多くはないのに彼女と話しただけで窮屈だった世界に少し余裕ができたようだった。
(さっきのまた来ていいってことなのかな)
その後何度か図書室に逃げ込むことはあったものの、4月のクラス替えで一緒になるまで天川さんと会うことは一度もなかった。
*
「…ってことがあったんだけどね」
「そんなことあったかしら」
「覚えてないの!?…まあいいけどさ。それでね俺はあの頃から好きだったわけですよ」
月日は過ぎ、特に進展もないまま俺たちは受験を目前に控えていた。
学校生活も終わりが近づき、こうして過ごす時間も残りわずかだ。
「何が言いたいのよ」
「あと何日かで登校日も終わってそのまま自宅学習期間入って…次会うのって卒業式じゃん?だからさ…その、返事欲しいな〜って」
彼女はペンを走らせるのを止め「今?」といつもの様子で聞く。
正直言うと自信はあった。
かなり距離は近づいたし、以前の件もあって自惚れている。
ただ心のどこかでは不安な気持ちもあって返事を聞くのを怖がっている自分もいた。
今聞きたい気もするし、まだ聞きたくない気もする…。
そう頭を悩ませていると彼女は呆れたようにため息をつく。
「卒業式」
「え?」
「卒業式に返事するから。それでいい?」
その言葉にどこかホッとしたような、がっかりしたような感情を覚える。
「それで大丈夫」と答えると彼女は少しいたずら気味に口角を上げてこう言った。
「返事、期待してていいわよ」
*
「優輝ー、そろそろ行くよー」
「はーい」
扉を開けると春の訪れを感じさせる風が舞い込んだ。
パリッとした制服に身を包んでいるせいか、まだ期待と不安でいっぱいだったあの頃を思い出す。
思い出が詰まったこの場所も今日でお別れ。
俺たちは卒業する───。
9話「あの頃から好きだった」