第2話

『皇子。先ほど斎王様がご到着なさったようです。』

ユベルの囁きに、覇王は僅かに方眉を上げる。

しかし本当に微かな変化だった為、それに気付いた者は誰一人いなかった――ユベルでさえも。



覇王とユベルは、帝国軍の主要基地の一つに視察に来ていた。
いかに優秀な軍人と言えど、皇族である覇王が首都にある中心基地以外の場所を訪れることは滅多にない。

しかし定期的に見回ることが、軍の指揮を上げる要因になる。

普通の皇族ならば億劫がるこの作業を、覇王は持ち前の生真面目さで定期的に行なっていた。



漆黒の精霊を従え、漆黒の衣を纏って眼下の兵士達を見下ろす覇王は底知れぬ威圧感を放っている。

彼がまだ少年であるにも関わらず、周囲の軍人達は萎縮してしまう。


「銃弾の搬入が遅れているようだが。」


「申し訳ありません。今日中には、なんとか…。」

「急がせろ。二度同じことは言わん。」


大慌てで管理室に駆け込んでいく男を見届けると、覇王は踵を返した。
その後ろにユベルが付き添う。


「陛下に伝えろ。日没には戻ると。」

『よろしいのですか?確か昼は兄君と姉君も交えてお食事会では…。』

「食事をするくらいなら、俺がいなくてもできるだろう。」


ユベルは困ったように押し黙ったが、ややあって『…ではそのように。』と呟いた。



覇王は別に兄が嫌いなわけではない。

腹違いと言っても兄弟であることに変わりはないし、もし頼まれでもすれば手を貸すこともあるだろう。

問題は周囲にあった。


物心ついた頃から、周りの大人達は兄を追い越せ追いつけと覇王を急き立ててきた。

血筋だけの皇子に負けるなと、そう言われたことさえある。

おそらく斎王の方もそうだろう。

覇王に――あんな身分の卑しい者の腹から生まれた皇子に負けるなと、そう言われ続けてきたに違いない。

顔を合わせても義務的な挨拶のみ、側近達は見えない火花を散らし合う。

斎王が神殿に滞在するようになってからは、会話は愚か顔を合わせることすらなかった。


なのに今更一緒に食事?
ろくに話したことすらないというのに?
そんなことを言い出した父の意図がわからなかった。


――いい迷惑だ。自分も、斎王も。

「まったく皇帝陛下もお人が悪い!殿下に一言もなくあのような真似をなさるとは…。」


数年ぶりに故郷に帰ってきた斎王を待っていたのは、祖父の愚痴だった。

斎王の祖父は現帝国宰相の任に就いている。


彼は側室の子でありながら皇帝候補に名を連ね、一族の地位を脅かす覇王を必要以上に憎悪していた。

そんな祖父だから、子供の頃から覇王を引き合いに出し、生まれを侮蔑し、斎王を持ち上げる、ということを幾度も斎王の目の前でやってきた。


半分だけとは言え、覇王は斎王の血を分けた弟であるというのに。


「でも実際、いつも前線に出ているのは覇王ですよ、お祖父様。」


斎王は興奮する祖父を宥める。


「いざという時にレインボードラゴンを連れて戦場に行くのは彼でしょう。
あれは私などが持っていても宝の持ち腐れです。」

「使う使わぬの問題ではありません!
私が申しているのは、これでは殿下のお立場がないということです。」


斎王は密かに息をつく。


今回彼が急遽帰国を命じられた理由――皇帝が覇王とレインボードラゴンを秘密裏に引き会わせたということだった。

一応はサンプルとして帝国の実験対象となっているが、今のところレインボードラゴンに関する権利のほとんどは、捕獲した斎王にある。

未知数の力を持ち、今後の国防の鍵となるであろうレインボードラゴンの所有の有無は、将来的に皇帝に就く為の重要な要素となる。

覇王一派と水面下で玉座争いを繰り広げる斎王派の重臣達にとって、ゆゆしき事態であることは間違いなかった。

「そういえば彼女、名前があったそうですね。確かジョアン…とか。」

「名前などあってもなくても同じことです。
それよりも、よいですか殿下。
御自身から陛下にこの旨を必ず訴えて下さいませ。
覇王様とレインボードラゴンの件は不当であると!」

「…わかりましたお祖父様。必ず言いますから、ご安心を。」


斎王は苦笑しながら祖父の手を握る。


レインボードラゴンは斎王の戦利品――よく言われることだが、本人はあまり自覚していなかった。

レインボールインの地下で捕獲した時、既に彼女は人の姿をとっていて、覇王と同年くらいの年端もいかない少女だった。

だから魔物であるという感じがしなかったし、「捕獲」という言葉もいまいち実感がわかない。


――いや、あの時。あの少女を見つけた時。
あれは、捕獲というより――



「失礼致します…お時間です、殿下。」


エドの声に、斎王は我に返った。


時計に目をやって初めて、食事会の時間が近いことに気付く。
斎王は慌てて席をたった。

「すみません、お祖父様。これから陛下達と食事をすることになっていまして…。」

「おおそれは。つい長居をしてしまいました…またこの老いぼれとお話をして下さいますか、殿下。」

「もちろんですとも。いつでもお待ちしておりますよ。」

斎王は笑顔で答える。


弟に辛くあたるのは嫌だったが、斎王は祖父を敬愛していた。

祖父は覇王を憎み、一族が利益を得るのに手段を選ばないが…孫達を、斎王とその姉を本当に大切に思ってくれていることを知っていたからである。









「基地の見回りなど、他の日にまわせばよかっただろう。攻めてくる敵もいないのだから。」

「たった一度の油断が大きな危険を呼ぶ。
戦とはそういうものでしょう。」


攻めるような世界王に、覇王は生意気ともとれる返答をした。


結局食事会に出ず、夜遅くに帰還して兄と会わなかった覇王は、翌日世界王に呼び出された。

地下施設に向かうエレベーターに乗って二人きりになるや否や、説教が始まる。
覇王はそれがうっとおしくて堪らなかった。


「せっかく家族揃っての食事だったというのに…斎王に挨拶くらいはしておけ。」

「兄上が帰るまでには。」

覇王はどこまでもそっけなく返してやった。

世界王は額に手をあて、首をふるが、覇王の知ったことではない。
余計な真似をした父が悪い、そう思っていたから。


地下に到着するなり、世界王と覇王は最深部に向かった――捕らわれのレインボードラゴン、ジョアンと再び会う為に。

手懐けろとは言われたが、魔物であっても、人型のジョアンは犬猫とは訳が違う。
(むしろ犬猫の方がまだマシだった。)

天真爛漫なところといい、馴れ慣れしいところといい、覇王とはあまりにも性質が異なるのだ。

彼女は覇王にとってまさに「未知の生物」だった。

おまけに、前回彼女の目を見た時に感じた激しい動悸…原因はなんなのかさっぱりわからなかったが、またあのような状況に陥ったらどうしてくれるのだ。

自分の身に何かあったら国防に関わるというのに。


覇王は気が進まない様子で、扉を開ける研究員と世界王の背中を眺めた。


前と同じように、重い音を立てて扉が開く。

何か雑談でもしてくればよいのか、と世界王に尋ねると、研究員がケースを差し出してきた。
香ばしい匂いと、湯気が立っていることから、食料が入っていることはわかった。


「…これは?」

「レインボードラゴンの餌です。これと同じ量を一日に三回食します。」

「お前が持っていってやれ。」


世界王が口を挟む。
一瞬、彼が何を言っているのか、覇王にはわからなかった。


「は?」

「あの竜と食事をしてこいと言っているのだ。お前の分なら用意してある。」


返事も聞かずに、世界王は覇王の手に蓋のされたケースを置いた。

次いで覇王の分、ということだろう――簡易な固形型食料を差し出す。


「…残念ですがそんな暇はありません。」


覇王はケースをつき返す。
餌付けなど自分でなくてもいいではないか。

しかし世界王がそれを受け取ることはなかった。

「これも仕事のうちだぞ。言っただろう、手懐けておけと。」

「しかし、」

「昨日の食事会の代わりだ。行ってこい。」


覇王は言葉に詰まる。
若干後ろめたく感じていた分、何も言い返すことができない。

渋々固形食糧を受け取ると、覇王は再びあの不思議な空間に足を踏み入れた。


――食事会に出ておけばよかったかもしれない、と内心後悔しながら。


「やぁやぁ、また会ったな!」


昼食の時間を教えられていたのだろう。
前回のように苦労することなく、ジョアンは扉のから歩いてすぐの場所にいた。

覇王を見るなり、眩しい程の笑顔で駆けてくる。
純白の服の裾が風にのってふわふわと生き物のように動いた。


無言でケースを突き出すと、「飯か!」と翡翠の瞳を輝かせて受け取る。
脳天気なものだ。


「今日は覇王が持ってきてくれたのか。
お前皇子様なのに働き者だなァ。」

「…お前のおかげで貴重な経験ができた。」

「本当か。そいつはよかった!」


充分に皮肉をこめたつもりだったのに、天然には通用しない。

疲れた表情で近くの岩に腰を下ろす。
ジョアンもにこにこしながら向かいの岩に座ると、ケースの蓋を開いた。

伝説の竜は、いったい何を食料としているのだろう。
僅かに好奇心をそそられた覇王は、ちらりと視線を動かした。


ケースの中身から覗いていたのは、麺類に蒸し物、鮭の入った米料理、大豆製品。


「なんて庶民的な…。」

ジョアンは、それらを至福の表情を浮かべて食している。


覇王の中の荘厳なレインボードラゴンのイメージが、音を立てて崩れていく。

精神性の高い印象があった為に、もっと前人未踏なファンタジックなものを食べているのかと、勝手に思いこんでいた。

伝承も宛てにならないと思いながら、覇王は固形食糧の封を切る。


「お前、いつもそんなものを食べているのか?」

ジョアンが覇王の固形食品を指す。

「…偶に。」

「そんなんじゃ体調崩すぞ。いつまでたってもチビのままだ。」


覇王は俺の背は低くない、と言い返そうとしてやめた。
レインボードラゴンの目から見れば人間は皆「チビ」なのだろう。
竜の基準で見られては困る。


「そういえば、昨日からやけに外が騒がしいけど、なんかあったのか?」

「遠くにいた第一皇子が久しぶりに帰ってきたんだ。」


ジョアンは膝に乗ってきたハネクリボーとルビーに食料を取り分けてやる。


「第一皇子って…お前の兄さんか。
ずいぶん前の話になるけど、何度か会ったことがあるよ。あんまり覇王に似てないな。」

「母親が違うからな。」


ジョアンは首を傾げる。


「そうなのか?私にも腹違いの兄さんがいたけど、双子みたいにそっくりだったぜ?」

「レインボードラゴンはどれも同じに見えるが。」

「結構違うんだって!角の長さとか、翼の形とか、色とか…でも私と兄さんは人の姿になってもそっくりだったよ。」

性格は違ったけどな!と笑うジョアン。


お前みたいなのがもう一人いてたまるか。


覇王は固形食糧を細かく割りながら、心の中でぼやいた。


「そっか、久しぶりに帰ってきたのかー…ははーん、さては昨日は枕投げも兼ねて、朝まで寝ずに土産話大会をしていたんだろう!」

「いい年して誰がするか!まだ挨拶もしていない。」


ジョアンは目を丸くする。


「挨拶も?まだ顔も見てないのか?一緒に飯を食べたりは?」

「食事を共にすることは滅多にない。何かの式の時だけだ。」


本当は昨日、食事をするはずだったが。
覇王は早くこの話を打ち切りたくて仕方なかった。

ジョアンは翡翠の瞳を瞬かせたが、言葉に詰まった様子はない。
ただ単純に驚いているだけのようだった。


「私と兄さんは毎日飯を一緒に食べていたけど…人間とは習慣が違うみたいだな。」


視線を地面に落とすと、それきり黙ってしまう。

しばしの沈黙。

今まで元気いっぱいだっただけに、いきなりこんな反応をされると、想像以上に居心地が悪かった。


普段の覇王は、静寂を何よりも好んでいるというのに。


膝の上のハネクリボーとルビーが、心配げにジョアンの顔を覗き込むが、何も言わない。


――俺は、何か気に障るようなことを言ったのか。

覇王は思わずそう口を開きかけた。


「でも、さ!」


溌剌とした声と共にジョアンは顔を上げた。

瞳は輝き、いつもと変わらぬ笑顔。


「いつか、一緒に食べてみろよ!一人より全然楽しいからさ。」


その笑顔にどこかほっとしている自分がいることに気付く。


こんな子供の機嫌を気にしているというのか?

この、俺が?

冗談じゃない!


面白くない結論に達すると、覇王は途端に不機嫌になった。


「…やらん。絶対、やらん。」


むっとジョアンは頬を膨らませる。


「いいじゃん!人生いつ何が起こるかわかんないんだから、できる時にやっとけよ!」

「やらんと言ったらやらん。」


意地になった覇王は、頑なに繰り返す。

目の前できゃんきゃん喚くこの少女は、この後自分にどんな態度を取るのだろう。

人でなしとでも罵るのだろうか。


しかし、前述したようにも…ジョアンは確かに、覇王にとって未知の生物であった。


固形食品独特のショートブレッド状の固い生地を噛んでいた覇王の前に、蒸し物が差し出された。

「…なんだ。」

「これ美味しいぞ。」

ジョアンはにっこりと微笑んだ。
その瞳には既に、先ほど口論していた時に浮かんでいた非難の色はない。


さっきの話題はどこにいったのだろう?
潔いのか、気分屋なのか。


ジョアンは笑顔のまま、蒸し物をぐーっと口に押し付けてきたが、覇王も負けてはいない。
無言でぐーっと少女の腕を押し返す。

しばらくの攻防の後、おそらくこのお転婆な究極宝玉神は、不摂生をする愚かな人間に恵みを与えるまで止まらないだろう…という判断に至った。

ようは、諦めた。


ジョアンの手からフォークを取り上げると、口に放る。
エビ入りだった。

「な?美味しいだろ?」

同意を求める少女を無視して、ひたすら飲み込むことに専念した――実はエビ好きだから結構美味しかった、なんて絶対に言ってやるものかと思いながら。

そんなことにも気付かず、ジョアンは嬉しそうにしている。


「でも残念だよなあ…もっと美味しいエビの調理法があるのに。この国にはないみたいだ。な、ルビー。」

ジョアンはルビーにしみじみと語りかける。

覇王は特に聞きたかったわけではないが、
ジョアンが「本当に美味しいのになあ…人間は人生の半分損してるよな…。」と延々と呟く為、妙に気になってきてしまった。


「…そんなに美味いのか。」

さりげなく。
ぽつりと口にする。


「そりゃ、もう!本当に最高なんだぜ、エビフライは!」

「えびふらい?」


覇王の一族が統治する帝国は他民族国家である。
海を挟んで世界中に領土を持ち、交易路も多数ある為、物資だけでなく各国の食文化も伝わる。
帝国にいればほとんどの国の料理は食せるはずだったが…それもあくまで『人』の考え出したレシピに限定されていた。


「えっとだな…まずエビに、小麦粉まぶして…んーと、いろいろやって…油でじゅうじゅうやる。で、完成。」


大雑把すぎる説明をもとに覇王が思い浮かべた「えびふらい」とやらは、殻ごと小麦粉まみれになったエビが油に放り込まれるという、なんとも残念なものだった。


「……とても美味そうには思えんが…。」

「ホントに美味しいんだって。くっそ~、ここにキッチンがあれば作ってやるとこだが!」

うまく表現できないのがもどかしいのだろう。
ジョアンは納まりの悪い空色の髪をぐしゃぐしゃと掻き毟る。


異文化交流は難しい。
覇王が久々に他人と取った昼食は、この一言で幕を閉じた。



食べ終わって早々やっと帰れると安心していた覇王だったが、ジョアンが食後の運動と称してゲームに誘ってきた。

無視して帰ってもよかったのだが、ジョアンが提示してきたゲームは、カードゲームだった。

帝国の老若男女問わずプレイできるもので、一般家庭から賭博にまで使われるタイプのもの。


覇王は子供の頃からこれが大得意だった。
昼食でさんざん困らされた分、腹いせにジョアンをこてんぱんに負かしてやろう…そう考えて邪悪な笑みを浮かべ、承諾したのだが。


「…………ありえん……。」


こてんぱんに負かされたのは、覇王の方だった。

「いやー、お前強いな!私がこんなに苦戦したのは始めてだ。」


爽やかに笑いながらカードをきるジョアン。


落ち着け。

ショックで顔が引き攣るのをなんとか堪えて、覇王は冷静に考える。

やはりあんまり酷く負かすのも気の毒かもしれない――と変に情けをかけて手を抜いたからだ。
そうに違いない。

自分にそう言い聞かせてなんとか平静さを保つ。


「……もう一回だ。」

「もち!」


覇王はもう一回だけ、雪辱戦に出ることにした。









世界王は、研究員を一人伴って地下世界に足を踏み入れる。


人工で造られたこの空間にも、時間の流れがあった。
傾き始めた陽が海を染め、木々と砂浜にも朱の影が落ちつつある。


かれこれ三時間が経過したが、覇王が帰還しない。



監視カメラのひとつでも設置できれば様子を確認できるのだが、ジョアンはひどく嫌がった。

無理にでもカメラを設置したことがあったが、魔物の持つ特殊な能力で以ってことごとく壊されてしまった。

人間に対して友好的で聞き分けのいいジョアンだったが、どうにもこれだけは譲れないらしい。

代わりに監視役の意味も兼ねて、人工的に強化した魔物のハネクリボーを配置することにしたのだが…。




二手に分かれようと考えていたが、その前に聞こえてきた話し声に、世界王は研究員を制止した。

近くの大木の影に彼らは身を潜め、話し声のする方を見る。



砂浜の近くにある大きな岩の上に、少年と少女はいた。
少年の漆黒も少女の純白も、今は黄昏に照らされて、橙に染まっている。

向かい合ってカードを並べて何事か話し合う彼らを二匹の魔物が楽しげに見守っていた。


「このターンではこうした方がよかったんじゃないか?」

「本当はそうしたかったんだけど、私はこっちを狙ったわけ!」

「成程。」

「それより、お前のこのターンだけど…。」


時折口を挟み、思案し、納得する。
そんなことを交互に繰り返しながら、覇王とジョアンは夢中になって語り合う。

第三者がすぐ近くにきていることにも気付かずに。


もう一度だけと覇王は決めていたが、もう一度はもう二度になり、三度になり、何度もになった。

二人は一戦ごとに負けたり勝ったりを繰り返したが、最後まで互角。

覇王はカードゲームに関しても負け知らずだった為に、思わぬライバルの出現に驚き…興味を持った。

ジョアンもまたカード好きらしく、プレイ中ははしゃぎ通しだった。


息子の年相応の表情を久しぶりに見た世界王は、思わず頬を緩める。


「覇王にも友達ができたか…君の提案に従ってよかった。」

「いえ、僕は…。」


少年は、照れたように白衣の襟を弄る。
先ほど覇王にケースを渡した研究員だった。


「レインボードラゴンも、生き物には代わりがないし…お互いのことを知るには、食事って大切だと思うんですよ、僕。
だけど、あの…覇王様に持っていって頂くっていうのは…その、」


不遜だったでしょうか、と落ち込む少年の肩を世界王は軽く叩く。


「いや、覇王があんなに楽しそうなのは本当に珍しい。これからも色々と助言を頼むよ、レイ。」

「あ…ありがとうございますっ。」


帝国軍特務科学部門に配属されたばかりの少年――レイは、しゃちほこばって敬礼した。




覇王が長居をしすぎたことに気付いたのは、世界王達が密かに戻ってから一時間後のことだった。

ご丁寧に人口の太陽は海に沈みかけている。


「あー…楽しかった!」

ジョアンはカードをしまうと、満ち足りた様子で微笑んだ。

まったく時間の流れを感じていなかったことを意外に思いながら、覇王は岩から降りる。

日頃の任務やら戦やらで疲れていたはずなのに。

「ほら帰るぞ。」

眠ってしまったハネクリボーを軽く小突くと、何やら寝言のようなことを口走ったきり起きない。


前にも思ったがなんの為の案内役だ。


覇王は呆れながらハネクリボーを掴むと、いささか乱雑に抱きかかえた。


「覇王、ありがとな。」


眠ったルビーの頭を撫でていたジョアンが口を開く。
ハネクリボーとルビーを気遣ってか、それは囁きに近かった。

ジョアンは顔を上げる。

その瞳に宿っていたのは、溌剌としたものでもなく。
柔らかな光だった。


「こんな風に誰かと飯を食べたり、遊んだのは久しぶりだったから…本当にありがとう、嬉しかったよ。」


覇王の胸が疼く。
ひどく彼女が小さく見えた。



ジョアンの兄はレインボールインの統治者であり――5年前の戦争で帝国軍によって討ち取られた。

神秘の力を持つ竜も、病魔に冒された体では人間の造った最新鋭の兵器に太刀打ちすることはできなかったというわけだ。

彼の病気は大分進行していたらしく、本来純白であるはずのレインボードラゴンの体は、漆黒に染まりきっていたという。

当時レインボールインに流行していたその伝染病は、人間には無害、ということ以外は明らかになっていない。
なんでも寄生したウィルスが、宿主が死ぬと共に消滅してしまう為、サンプルとして採取できなかったとか。

とにかく原因不明のまま今日に至っている。


病床の身で逃げもせず、帝国軍に立ちはだかったレインボードラゴンが砲撃によって倒れた後、その城の地下から発見されたのがジョアンだった。


ジョアンの兄はもういない。

だが覇王の兄はまだ生きている。


『いいじゃん!人生いつ何が起こるかわかんないんだから、できる時にやっとけよ!』


あの時彼女はどんな気持ちでこの言葉を言ったのだろう。


「……別に、忙しくないし…いつでも…一緒に食べてやるし、遊んでやる…。」

「嘘つけ。お前引っ張りだこなんだろう?」


一世一代の大嘘は、ものの一秒で見抜かれた。
がんばっただけに憮然としてしまう。

「嘘つくの下手だな~お前。覇王みたいな奴のことをさ…ええと、確か…」


馬鹿正直とでも言いたいのだろう。
人の気も知らないで!
ようやく思いあたる表現を見つけたのだろう。

ジョアンは嬉しそうに笑うと、手を叩いた。



「優しい奴って言うんだぜ!」




――思わず、固まる。

一瞬何を言われたか理解できなかった。
呆然として…やがて言葉の意味を理解した時、顔中が熱くなって…気づいたら、


「お~い覇王!なんでいきなり走るんだよ!?わけわかんないぞ!」

「煩い、追いかけてくるな!!!わけがわからんのは貴様の方だ!!」


また、逃げ出してしまった。







未来を見通すことができたらいいのに。


地平線が青く白じみ始めた早朝、斎王は地下に向かいながら考える。


未来がわかれば、その先にどんな何が待ち受けているか知ることができる。
より最良の道を選べるのではないか?

ありえないこととわかりつつも、そう望まずにはいられない。



「…さま、斎王様。」


先を行く科学者に急に声をかけられて、上の空だった斎王は慌てて聞き返す。


「すまない…なんの話だったかな。」

「いえ神殿でのご勉学ははかどられたでしょうか、と…。」


年配の科学者は気を悪くした様子もなく微笑む。


「ああ。目に見えないものについて学んだよ。私はそういうものとはあまり縁がなかったから、新鮮だった。
神秘とか、奇蹟とか……運命とかね。」


「それはよろしゅうございました。」


「あと伝説と神話も。非科学的ではあったけど、夢があっていい…って、実益になるようなことがひとつもないな。」


弟が戦場で体を張っている時に、自分は何をしていたのだろう。

列挙しているうちに、斎王は居た堪れない気分になってしまった。


「そんなことはありません。そういうものの多くは、本当にあったものを元にしているのですから。」

「よくそう言われているけど…実証できなくては、御伽噺のままだ。」


わざわさ自分に気を遣ってそんなことを言ってくれているのだろう――そう思って、斎王は苦笑する。

すると科学者が急に立ち止まり、斎王を振り返った。


「実証できているとしたら?」


「え・・・?」


「御伽噺のようなそれらが科学で現代に復元できるとしたら、どうします。」



帝国が他国と一線を賀した理由のひとつとしては、いち早く科学力と軍備力の増強を図ったことが上げられる。

魔物の持つ特殊能力に対抗し、人間が生き残る手段として選択されたものが科学のはずだった。


今日は叔父からレインボードラゴンとの対面を指示されていたのだが・・・目の前の男が進む道は、明らかに違う場所だった。


「こちらです。願わくば、斎王様の玉座への一歩にならんことを。」

幾重にもロックされた扉を、斎王は招かれるがままに入っていった。



『皇子、何か…いいことでもあったのですか?』

「いや。何故そう思う?」

覇王の服を整えながら、ユベルは控えめに問うた。
覇王は驚いたのか、目を瞬かせている。


『いえ…あの、最近、皇子がとても楽しそうなので。口数も増えましたし・・・。』


ユベルはくすりと笑いをもらす。


「俺が?」

『ええ。』


覇王は自分の頬を抑えた。
その様子がまた子供っぽく、昔の彼が戻ってきたようで、ユベルはついつい嬉しくなってしまう。


『レインボードラゴンと御面会するようになってからですね。気が合うのですか?』

「気が合うどころか、その逆だ。
俺とは正反対の性格で、迷惑ばかりかけられる。」

『それは・・・困りましたね。』

「困っている。」


ユベルはいかにも沈痛そうな面持ちで頷きながらも、必死に笑いを堪えていた。

そんなことにも気付かず、覇王は愚痴り始める。


「あいつは頭の螺子が二、三本は緩んでいる。文化が違うとかの問題じゃない。
大体だな…。」

『はい。』


ユベルは覇王の苦労の数々を聞き、時には驚愕し、時には笑う。

覇王が自分のことを聞かせてくれるのは、久しぶりだった。

相変わらずの仏頂面だったが、幼い頃――彼がまだよく笑い、遊んでいた時期を彷彿とさせる。

確かにレインボードラゴンは曲者らしいが、このような機会を与えてくれたとあっては、感謝したいくらい。



そして、不思議な寂しさを覚える。


今までどんなにユベルが努力しようと、覇王をこんな風に活き活きとさせることはできなかった。

なのにその竜は、まだ会って日も浅いというのに、確実に覇王の心に響きかけている。


この気持ちはなんだろう。
この、胸を刺すような気持ちは。


覇王が話し終えるまで、ユベルは考え続けた。


王のテーブルの端に置かれたカードを、エドは気のない素振りで見つめた。

斎王は神殿に滞在するようになってから、占いに関心を持ち、学び始めたらしい。
もともと個性的な部分があっただけに、占いの持つミステリアスは雰囲気は合うのだが。

どうにもエドは、占いというものを好きになれない。


そんなことを考えていたら、背後の扉が勢いよく開き、衝撃に肩が竦む。


「やあ斎王。言われた通り待ってたけど・・・・・・どうしたんだい?真っ青じゃないか!」


いつも穏やかな友人のうろたえたような様子に、エドは一抹の不安を覚えた。


斎王は頭を振り、椅子に崩れるように腰掛けたきり、顔を覆ってしまう。
エドは慌てて水を注いだ杯を差し出してやった。

杯を呷ると、斎王は額を抑える。
まだショックが抜けていないらしかった。


「・・・ところで例の話って…僕が聞いていいものなのかい。」

「本当は駄目だ。だから他言は無用で頼む。」



恐れがないと言えば嘘になるが、身分は違えど、斎王はエドの一番の親友だ。
困っているのなら力を貸してやらなければ。

そう思って、エドは居住まいを正した。

斎王は額を抑えたまま、ゆっくりと口を開いた。



「君は『オリハルコンの眼』を知っているかい?」




エドは若干拍子抜けしてしまった。


「そりゃあ・・・知ってるさ。本で読んだもの。」




『オリハルコンの眼』とは、レインボードラゴン同様、帝国に伝わる伝説に登場する魔石のことだ。


貴重な特殊分子のオリハルコンによって形成されたそれは、大昔の侵略戦争に発明されたものだったという。

未知の力で人心を惑わし、兵器の威力を何倍にも高めるという『オリハルコンの瞳』を保有していた国は、あっという間に頭角を現して、たくさんの国を滅ぼした。


しかしそのうちそれを巡って内部で争いが起こり、同じ国の人間同士で殺し合いへと発展していく。


そうしてとうとう、『オリハルコンの眼』を造った国も滅んでしまった。


醜い争いはろくなことを招かない・・・あるいは、人はどこまでも愚かな生き物である・・そんなことを教訓にした、至極単純な物語だった。

絵本にもなっているから、小さな子供でも知っていることだ。



「・・・帝国は『オリハルコンの瞳』を造ろうとしている。いや、もう造り始めている。」



エドは言葉を失った。
驚いたわけではなく、呆れたからだ。


「だってあれはただの伝説じゃないか!
それにオリハルコン分子がどれほど貴重か、君も知らないわけじゃないだろう?
実現不可能だよ。」

「あるんだ、エド。一度に数百億のオリハルコン分子を手に入れる方法が…たったひとつだけ。」


でも、とエドは続ける。


「仮にオリハルコン分子を集めたとしても、だ。心を操るとか、兵器を強くするなんてできるわけない。」

「科学の――人間の常識ならそうだろう。
だけどありえないとは言い切れないんだよ、エド…。
未知の、神の領域ならね。」


斎王の顔は真面目だった。
エドはとりあえず、近くの椅子に勝手に腰掛けた。


「わかった・・・わかったよ、君がそう言うのなら信じる。
でも『言い切れない』程度なら、『ありえない』って可能性もあるわけだ。」

「…君らしいな。」

「どうも。」


苦笑いしながら頷いてみせる。
信じるとは言ってみせたものの、やはり信じがたい話だった。


「それで、なんで君はそんなに焦っているんだい。何か悪いことが起こるとでも?」

「それが・・・わからない。ただ、妙に胸騒ぎがするんだ。」


斎王は両肘を突いて考え込む。
確かに強力な兵器の保有は各国の反発を招くだろうが――宿敵であったレインボールインが滅び去った今、今更そんなことをしようとする国があるとも思えなかった。


間違いなく帝国は世界の中心にいた。
だが、どうにも悪い方向に向かっている気がしてならない。

大切な家族や友人たちにもしものことがあったら、自分はどうすればよいのか。


斎王は無力だった。



――私は、未来を見通すことも。

道を選ぶこともできない。

誰かに用意されたものを、ただ享受するしかない。


私に、運命は変えられない。





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