第6話

「醜いな…。」

失脚した政治家の記事に目を通し、テンガロンハットの男は舌打ちする。
くしゃくしゃに丸められた新聞が風にあおられて転がっていった時、既に男の姿はなかった。

静寂に満ちた部屋で、斎王とエドは今しがた配られたばかりの資料に目を通す。
空調の効いた部屋の中、紙面をなぞる指先だけが熱を持って熱い。


「祖父君はなんて?」

「断固として『覇王派』と戦うと言ってる。正統な皇太子は僕だからと言ってね。」

「この期に一気にたたくつもりだろうな。」


憂鬱げな斎王につられて、エドは大きな溜息をつく。

彼の祖父の意見にも一理はあった。
本来皇帝の地位を継ぐのは長男で、しかも斎王の母は正妃だった。
世界王の遺言もあるのだから、確かに斎王は名実共に皇太子。
皇帝候補に覇王の名が挙がることなどありえないはずだった。


「エド、覇王は決して皇帝になりたいわけじゃないんだよ。ただ彼の後援者達が勝手に言っているだけなんだ。それをお祖父様は覇王諸共罰すると…。」

「そうだろうな。弟君はいずれ軍部で大きな力を持つようになる。そうすると軍を掌握する恐れがあるからね。」


民主制国家で最も恐れるべきことは、軍が力を持ち、暴走することだ。
力を持った貴族がすることは、私腹を肥やすだの、特権を守るだのと高が知れている。

しかし、軍は違う。

軍の暴走とは兵器の暴走、すなわち戦火の拡大の危険性を秘めている。
軍人として名を馳せ、国民からの人気も高い覇王は、上級将校達の地位向上の為に利用される恐れが充分にあった。

下手をすれば――最悪、皇帝暗殺という手段を招きかねない。

そんな事態は宰相一族はもちろん、エドにとっても願い下げだ。


「それで、君はどうするんだい。」

「僕は…覇王を擁護するよ。家族だからね。」


力強く言い切った斎王に、エドは少し驚く。
少し前までの彼なら、こんな風に言い切ることなどできなかっただろう。
弟のことを想っていても、最終的には祖父のやり方に従っていたに違いない。

心配する反面、親友の成長を嬉しく思った。


「どういう心境の変化?急にお兄ちゃんらしくなったじゃないか!」

「からかわないでくれよ。…ちょっと気付いただけなんだ、色々とね。」


ニヤニヤ笑うエドに、斎王は苦笑した。


「…よし、じゃあ僕も決めた!」

「何を?」

「何ってそりゃあ、」

急に元気を取り戻したように、エドは資料を閉じてしまう。
重要な情報のそれを無造作にたたみ、鞄にしまうと、片目を瞑ってみせた。



「親友を全力で応援することに、さ。」
「なあ、ジェロームは?最近診察に別の人が来るんだけど。」


ジョアンの問いかけに、覇王は密かに眉根を寄せた。
所在無さげに、フォークで料理をつつく。



――ちょっとした有名人だったジェローム・ガビアル・クックは、その家族もろとも帝国全土に渡って知られる存在となった。


最重要データを盗み、逃亡した指名手配犯として。


勿論特務科学部門のことを表沙汰にするわけにはいかず、盗まれたのは政府関係者に関するものと、なんとも曖昧な報道になっていた。

実際覇王もジェロームが何をしでかしたかは知らない。
差し詰め首をつっこみすぎたとか、機密を知りすぎたとか、そういう理由で追われることになったのではないだろうか。

「裏」の組織に所属する者とはそういうものだ。



目の前の少女はじっと覇王の発言を待っている。

「クックは……、」


――果たしてなんと答えたものか――。
滝のような汗が流れてくる。

あまり難しいことを言っても理解できないだろうし、かと言って本当のことを言うのも…。



「………は、腹の調子が…。」

「悪いのか?そうか、それじゃあ来れないわけだ!」


覇王の口から出任せを真に受けたジョアンは、大きく頷く。
馬鹿でよかった、と覇王はこっそり汗を拭った。



『殿下、そろそろお戻り下さい。』

耳元につけていたスピーカーから、研究員の険しい声が聞こえる。



「…わかった。」

「なんだ、もう行くのか?」


まだろくに食べないうちにケースを閉じた覇王を見て、ジョアンは首を傾げる。

普段、覇王が訪れる時は――そのほとんどがカードに費やしていたが――少なくとも一時間以上は一緒にいる。
今日はまだ顔を合わせてから十五分ほどしか経過していないから、彼女が不思議に思うのも当然だろう。

今現在、覇王は下手に動くことができない。
斎王派につけいられる隙を与えるわけにもいかず、じっとしているのが一番のはずだった。

本当なら、こうしてジョアンに会うことも好ましくない。
上層部で兵器としての認識の強いジョアンとの接触は極力抑えるべきだった。

父の遺言で自由に会わせろとの話があったらしいが、いつまでもそれが通用するわけではない。

何故こんな自殺行為をするのか――と自分を腹立たしくも思ったが、「また来る。」という約束を守ってやっただけだ――という言い訳をして自分を納得させる。

いや、そもそも約束を守ってやる義理などないではないか。
こんな魔物などに…。

そうすると自分は望んで危険な真似をしたことになるが………望んで?
いや、違う。断じて違う!



「…最近、知らない人が増えたんだ。レイもあんまり顔を見せてくれなくなったし…。」

ジョアンの声に、自問自答していた覇王は現実に引き戻された。
ハネクリボーとルビーを抱き寄せ、覇王を見上げる。



「覇王は、いなくならない…よな?」



少女の顔に閃いていたのは、天真爛漫な笑顔。
しかし、その瞳の奥に僅かに不安の色が見えた気がした。

何も言えずに、覇王は立ち尽くす。


「…なんちって!今大変な時で、皆忙しいだけだよな!あ―何言ってるんだろうな、私。」


覇王の視線に気付いたのか、ジョアンは髪を掻きながら、へらへらと笑いだす。


「なんかお前も大変なんだろ?こんなところで遊んでたら偉い人に怒られるぜ。速く戻った方がい…」


それまで早口でまくしたてていたジョアンの口が、ぴたりと止まる。

一体、どうした。

そう問いかけようとして、覇王は原因が自分にあったことに気付く。


指先に感じる暖かく柔らかな感触。
きょとんとしたジョアンの頬に添えられた大きな掌は、


自分のものではなかったか。


「あ…。」

慌てて手を引っ込めた。
頭の中は沸騰したように熱くなり、顔が火照ってくる。

何をした!?自分は今何をしたのだ!?
何がどうして、何がどうなってこうなった!!?

落ち着こうと掌を握り締めると、まだぬくもりが残っているような気がして、余計に思考がかき乱された。


「…これ、は、だ…。」


ジョアンは未だ瞬きを繰り返している。
抱えられているルビーの視線が心なしか冷ややかな気がするが…気のせいだ、多分。

「え――………と……ッ!!?」

言い澱んでいた覇王の額に、小さな手が押し当てられる。
至近距離で行われたそれに、覇王はまた言葉を失ってしまう。

「うーん……推定36.4度。人間なら平温だな。」

「は?」

真面目くさった顔で、ジョアンは腕を組む。


「熱の測り方。ジェロームの代わりにやってくれたんだとは思うが…お前間違ってるぞ。こういう時はほっぺじゃなくておでこに手を当てるもんだ。」

今度は覇王が呆気に取られる番だった。
しばらくたって、ようやくそういうことにしておいた方が賢いことに気付く。


「…ああ、ウン…そうだ…間違えた。」

「やっぱり。お前変なとこ抜けてるな。」


うんうんと頷くジョアンに、げんなりと頭(こうべ)が垂れる。
何故げんなりするのかよくわからないが、酷い脱力感だった。


「「なんだか「疲れた」「元気でてきたぜ。」」



同時に発せられた正反対の感想に、二人は顔を見合わせ、瞬きをした。
覇王はバツが悪そうに顔を背けたが、ジョアンは腹を抱えて笑っている。
その様子に、覇王はむっとした。

「何がおかしい。」

「だって…!」

ひいひいと苦しそうに肩で息をするジョアンを見ていると、つられて覇王までおかしな気分になってくる。

ほんの僅かに覇王の口角が上がりかけた時、


『殿下。これ以上の長居は…。』


再度スピーカーから聞こえてきた不満そうな声に、唇を引き締める。

そうだ、自分はこんなところで遊んでいる場合ではなかった。


「…しばらく、ここに来れなくなる。」

「そっか。」


ジョアンはルビーの尻尾を弄りながら微笑んだ。
そのしばらくがどれほどの期間になるかは、断定することは出来なかった。
それでも、



「だが……必ず、また来る。」



それでも、こんな無責任なことを言ってしまった。
言わなくてはいけない気がした。


「いつでも来い!私はここにいるから。カードの勝敗もついてないしな。」

「ふん、次は完膚なきまでに叩きのめしてやるから、覚悟しておけ。」

「私も!次に会うまでに・・・カンプナキマデに腕を磨いておくぞ!」

「意味を知らない言葉を使うな。」

ぎこちなく発音された誓いに、覇王は苦笑した。




「ハネクリボー。」

施設の入り口まできた覇王は、ついてきたハネクリボーに向き直った。
ハネクリボーの円らな瞳が心配そうに揺れる。
覇王はその頭を気まぐれに撫でた。
掴むような、荒々しい撫で方で。


「…あいつの傍にいてやれ。」


いなくなったジェロームや、レイ――そして自分の代わりに。
ジョアンを見守ってやって欲しい。

ハネクリボーはじっと覇王を見つめると、やがて元来た道を戻って行った。






「お帰りなさいませ、殿下。」

「…ああ。」

施設に帰ってきた覇王を冷ややかに迎えた男に、覇王は見覚えがあった。
確か宰相派の科学者。

社会と根絶された特務科学部門だが、その中にも派閥があった――すなわち自分の研究を後援する貴族に従属する者達による派閥が。

世界王が崩御し、施設管理が斎王、つまりは宰相の手に渡ってから、宰相をパトロンに持つ科学者の数は増し、特にレインボードラゴンに関する調整のほとんどは、彼らが請け負っているようだった。


「急かしてしまい、申し訳ありません。ですが、レインボードラゴンは今調整中ですので。」

「わかっている。陛下の遺言通りに様子を見てきただけだ。貴様らの邪魔をするつもりはない。」


さりげなく不平をぶつけてくる男に、覇王は煩げに返すと、エレベーターに乗り込む。

動き出すほんの一瞬…レイの姿が見えた。
数人の科学者の輪に混じり、彼らしからぬ険しい顔で何事か話している。

彼も、己の戦場で戦っているらしかった。











『何故認めない。これはお前達の運命だ。』


「ふざけるな!!!僕はこんなもの信じない!」


『……お前もわかっているはずだ。既に運命の輪は旋転を始めた。最早止めることはできぬ。』


「運命の輪!!?笑わせるな、お前の作り出した運命に、どうして僕達が組み込まれなくてはならない!!?」


『いずれ、わかる。この宇宙には、貴様ら人間の力が及ばぬ領域があることを。その時お前は、我が導いた運命に従うべきだと気付く。』


「待て、どういう意味だ!!?」



呼吸が、荒い。
胸は激しく上下し、喉の奥はからからに乾いている。

――戻ってきた。
自分は戻ってこれたのだ。
あのむせ返るような光の空間から――。


汗ばんだ顔を拭おうと、斎王は身を起こした。
瞬間、瞳の奥で先程見た光景が想起される。


「……消えろ!!!!」


凄まじい剣幕で、斎王は目の前に広がる風景を振り払った。

がしゃん、と響く音と共に視界は元に戻り、
足元で割れた花瓶が映し出される。
無残にひしゃげた花の隙間から、濁った水が筋を作って床に浸透していく。

斎王は構わず、そのまま椅子に座りこんだ。


「僕は、信じない…。」


額に量の拳を押し当て、床を見つめたまま呟く。
その姿は自分に言い聞かせるようにも、誰かに訴えるようにも見えた。



「覇王が…僕の弟が、あんな酷いことをするものか…。」





廊下の向こうで、偶然覇王とすれ違った。


「覇王!!」


止めようとする側近らを気にせず、斎王は歩み寄る。
覇王は少し驚いたようだった。


「兄上。」

「その、滅多に会話ができない状態だったから…変わりはないかい?」

「いえ…。」


返事は短く簡潔だった。
だが鳶色の瞳は忙しなく動き、彼なりに返答を思案しているのがわかった。


「一段落ついたら、姉上と三人で食事をしよう。もう少し時間がかかるかもしれないが…。」

「ええ。」


覇王がこくりと頷くのを見て、斎王はほっと胸を撫で下ろす。


「ところで、君はどんな料理が好きなのかな。希望があったら言ってくれないか。」

「好きな、もの…ですか。」


やや考えた後、思い当たったようで、はっと斎王を見上げる。

「あの、」

遠慮をしているのか、なかなか言い辛そうだった。

「なんだい?言ってごらん。」


斎王は促した。
すると覇王は窺うように、控えめに口を開いた。


「兄上は…えびふらいというものをご存知ですか。」



聞きなれない名称に、思わず斎王は聞き返した。


「えびふらい?そんな料理があるのかい?」

「ある者から聞いた話なのですが…。」


覇王は必死に記憶を辿っているようだった。
その僅かな間、心なしか固い表情が緩んだようだった。


「なんでも、小麦粉をまぶしたエビを油で揚げるそうです。大層美味いとか。」

「え…殻ごと?」

「おそらく…何分記憶力の悪い奴で、調理法をよく覚えてないらしいのです。」


要は馬鹿なんです、と続ける覇王に、思わず斎王は噴出してしまった。
彼がこんなに口が悪いとは思わなかった。


「それじゃあよくわからないな。もう一度その子に聞いてごらん。」

「いえ、少し気になっただけなので…。」

「そんな中途半端なことを聞いたら、僕も気になるよ。」


慌てて撤回しようとする覇王を留めて、斎王は笑った。


「じゃあ、二人で調べよう。僕は料理系の本を漁る。君はもう一度その子に聞く。これでどうだい?」

「はあ…わかりました。」




困惑しながらも了承した覇王と別れた斎王は、なんとはなしに嬉しい気分で、弟の背を見送った。




その日も、夢を見ていた。

夢の中の彼はいつも一人きりで取り残され、目の前で繰り広げられる物事を、ただ傍観しているに過ぎない。

だが今日はいつもと違った。

いつもは白い光に覆われた空間で苦しむのだが、今回彼が立つのは、漆黒の闇の中。
生まれた時から彼を守護する、安寧の闇。


それでも立つ空間が違うだけで、内容は変わらない。
斎王は傍観者として、何度となく繰り返されたその光景を見ていた。
斎王の鼓動が早鐘を打ち始める。



飛び散る血しぶき。

人々の怒号。

剣が肉を裂く音と、銃弾が臓器を破壊する音。

炎と地響き。


返り血に塗れた男は、弦月に唇を吊り上げ、楽しげに舞うように剣を振るう、







彼の弟――覇王の姿が、そこにはあった。



『今お前が見ているのは近しい未来。いずれ起きうる事象だ。』

「本当に……覇王が、こんなことを…?そんな…何か、理由があるはずなんだ。なんとかできないのか。」

『……止めたいか?救いたいか?弟のことを。』

「方法があるのなら教えてくれ!」


斎王は眼前に浮かぶ、灯火のような白い光に手を伸ばした。
指先は空しく宙を切り、光は遠のく。
斎王は自らの足で立ち上がり、光を追いかけた。


やっと家族になれそうなんだ。


「お前は知っているんだろう!」


家族になると、誓ったんだ。


「弟を救ってくれ!!」


やっと、やっと、自分の意思で――。







「僕はどうなってもいいんだ!!」







突然、退いていた光が止まった。
走っていた斎王は、そのまま体ごと光の中に飛び込んでしまう。

白い光の空間、いつも夢で見てきたその空間に、彼は立った。
否、一人ではない。

背後に感じた気配に、斎王は振り返った。
そこにいたのは、白い光の靄。
先程暗闇の空間で見たものだ。


『……後は我に任せるがいい。』


問おうとした時、斎王は体中に激しい圧迫感を覚えた。
必死に頭を動かし、自分の体を確認し、息を止める。

体全体を無数の光の渦が取り巻き、ぎりりと締め付けてくる。
それはゆっくりと胴を迫上がり、顔にまで侵食し始めた。

――しまった。


「お前……!」


最後の力を振り絞り、斎王は呻いた。
光はふわふわと、抵抗する彼をあざ笑うかの如く揺らめく。



『さらばだ、闇に育まれた皇子よ――お前は課せられた運命通りに踊ってくれた。』



最後に斎王の耳に届いたのは、哄笑だった。








「斎王?どうしたんだい?」

将校達と会話していたエドは、供の一人もつけずに彷徨う親友の姿を見つけ、声をかけた。
どことなくふらついていることに気づき、慌てて駆け寄る。


「大丈夫かい?すぐに医者を――、」

呼ぼうかと言いかけて、エドは背筋に寒気が走った。
俯いていた斎王がゆっくりと視線を向け、エドを捉える。

いつも通り、子供の頃から見慣れた紫の瞳。
だがその瞳孔の奥で、何かが光ったのは気のせいだろうか。


「……すまないね、エド。」

発せられた穏やかな声に、エドは我に返った。
斎王は笑ってエドの肩を叩く。


「ちょっとしたことだ……医者の必要はない。」

「そ…そうか。なら、良かった。」


エドはやや強張った笑顔を浮かべた。
自分は何を恐れているのか――拭えない違和感を無理矢理納得させる。

「ああ、エド。頼みがあるんだ…悪いが、お祖父様と、首脳陣の方々を集めてくれないか。」

「いいよ。でも、何か大切な話があるのかい?」

身内である宰相だけでなく他の後援者達も集めるとは、どういうことだろう。
何より彼は、斎王がそんな思いきった行動に出ることに驚いていた。

その問いに斎王は顔を綻ばせる。




「ああ……とても大切な話だ。」


自室に戻った覇王は、短く息をついて椅子に背中を沈める。
ユベルは紅茶を淹れたカップを差出した。


『後援者の皆様は勝手なことばかり言いなさる…。』

「今後がかかっているからな、必死なのだろう。」


覇王は相変わらず無感動な口調だが、確かに疲労を感じていた。
富や地位などに興味はないが、存在を抹消されるのは困る。

黙って消されるのを待つつもりは毛頭ない。

無意識下に蓄積されたプレッシャーは、確実に彼の精神を蝕んでいた。








刹那、覇王の聴覚に届いたのは複数の金属音が擦れる音。




『皇子、』

「わかっている。」

緊迫した様子のユベルに一言返し、
覇王は瀟洒な机に両肘をつき、無数の足音を響かせる扉の向こうを見据えた。

足音は徐々にこちらに近付き、金属音が扉に当たったとき、勢いよく扉が開かれた。



荒々しく乱入してきたのは、武装した男達だった。

『痴れ者共、何用か!』

激昂して声を荒げるユベルとは逆に、覇王は静かに椅子から立ち上がる。
鳶色の瞳を細め、先頭の男と向かい合った。


「…貴様は?」

「国家機密警察の者です。殿下にご同行頂きたい。」

「身に覚えがないのだが。」


男は懐から小型の機器を取り出すと、立体映像化されたデータを映し出す。
表示された文字の羅列を、無感動に読み上げた。


「殿下には前皇帝陛下を弑逆なさった尊属殺人、並びに特務科学部門の機密情報盗窃の疑いがかかっておいでです。」


覇王は大きく目を見開く。


「俺が…父上を殺したと…?」

『その上指名手配犯と関わりがあると言うのか?無礼な、何を根拠にそのようなことを!!』

「まだ決定事項ではありません。捜査の対象として連行の辞令が提示されております。ご同行頂きたい。」


庇うように歩み出ようとしたユベルを制し、覇王は男を睨みつけた。


「調書が取りたいのなら、取らせてやっても良いが…まずはその手にある刃物を下げてもらおうか。」


招き入れるように手を差し出していた男の表情が変わった。
掌から奇術のように現れたのは、小さいが鋭利な刃物だ。


『皇子!!』


覇王の顔のすぐ横を風が切り、肌に細い血の雫が舞う。
覇王に照準を定めていた数人の男達が、大きく旋回したユベルの鉤爪によって肉塊へと姿を変えた。

鞘からオリハルコンの剣を抜き、覇王とユベルは窓辺へと走った。

「逃がすな、殺せ!!」

覇王は血の滴る剣を一閃させ、窓の前に立ちはだかった兵を切り捨てる。
間髪入れずに走り抜け、窓をこじ開けた。
背後で聞こえた怒声を気にもとめない。
眼下に広がる風景から目を背けずに、覇王は躊躇なく窓枠を蹴った。

重力に従って落下していく体をユベルの翼が包み込む。
軽やかに地上に着地した覇王を襲ったのは、銃弾の嵐だった。


「何!?」

『何故軍が攻撃を!!?』


的確に狙いを定めて覇王達を攻撃してくる兵の胸のピンに描かれた意匠――楕円を描く二対の手によって星を抱くそれは、確かに皇族を象徴する紋章だった。

一体どうなっている。いくら宰相派の策略とはいえ、大胆過ぎる。
曲がりなりにも覇王は第二皇子。
手にかけることは死罪を意味する。
暗殺ならばまだしも、公然とし過ぎていた。


覇王は中庭を走り抜けながらも、卓越した動体視力でいくつかの銃弾を叩き切る。
頭の中はいつになく混乱していたが、ゆっくり考えている時間はない。

前方の兵士を問答無用で切り捨てると、短機関銃を奪い取り、乱射しながら城壁の影に隠れた。

「ユベル、逃げ道を探せ!!」

ユベルは素早く異色の瞳を閃かせる。
彼ら二人を中心とした完全な包囲網が敷かれていた。

『…囲まれました!!』

「くッ……!」


どうすればいいのだ。
普段の戦ならば何万騎といる味方が、今や一騎もいない。
完全に負け戦だった。

…こんなわけのわからない状況で死んでなるものか。

覇王が再び短機関銃のトリガーを引こうとした時、強い力で背後から襟首を掴まれた。
息をつく間もなくそのまま物影に引っ張り込まれる。

「誰だ!?」

振り返った覇王は、ならず者に短機関銃とオリハルコンの剣の両方を突きつけた――。


「stop!!!落ち着いて!!!」




「クック!?」

突きつけられた物騒な物を手で制していたのは、ジェロームだった。
意外な人物に覇王は驚きを隠せず、同様に引っ張りこまれたのであろうユベルは、状況を飲み込めずに床に座り込んだままだった。


「どうも、殿下。一応お助けに上がったのですが、ちょっと遅かったみたいですね。」

「話は後で聞く!!今はここを…、」

「ああ、それなら心配ありません。」


暢気に片手を振るジェロームから顔を逸らし、覇王は再び短機関銃を構えなおした。

――が、彼の眼前に広がっていたのは無数の兵でも、喧騒の飛び交う中庭でもない。

一面の闇だった。


「これは…。」

「カレンの力ですよ。少しの間ですが、ここは安全です。」

ジェロームは得意げに傍らのカレンの背を撫でる。


『ここはどこなんだい?』

「厳密に言うと、さっきまで君達がいた場所かな。だけどここはちょっと違う…空間が歪んだ場所というか…次元が違うってやつさ。」

外部のいかなる音も、物質的接触さえも届かない。
短時間の間のみ、完全無欠の結界を作り出す――それがジェロームの精霊、カレンが生まれ持った能力だった。


『純正な精霊にはこんなこともできるのか。』

「No.君にだってそのうちできるようになるよ。時間はかかるがね……それで殿下、どういう理由で追われているんです。」

「…陛下を弑逆した、と。それとお前に重要情報を盗ませた首謀者とか言われていたな。」

覇王は苦々しく剣を鞘に納める。


「Sorry…そうだったんですか。でも盗んだも何も、何一つ持ち出していませんよ。」

「持ち出していなくても、見たのだろう。」

「Yes.ばっちり。」

「まったく…。」


覇王は苛々と髪を掻き毟る。
よりにもよって最悪の状況で逃亡を犯してくれた。
おかげで宰相派に絶好の機会を与えてしまったわけだ。


「それにしても、この大人数で寄って集って殿下御一人を攻撃するとは…玉座欲しさとは言え、狂気の沙汰ですね。首謀者は誰です。」

「知らん。急に城中が敵になった。」


先程まで混乱していた覇王だが、とりあえず考える時間ができたことで、大分落ち着きを取り戻していた。


「Oh…こんな堂々としてるってことは…ひょっとして例のあれが完成したのか。」

「何がだ?」

「…ということは、やっぱりご存知なかったんですね。特務科学部門の一部で製作されていた兵器のこと。」


ジェロームはテンガロンハットを被り直し、声を潜めた。



「――オリハルコンの眼です。」


「何…?」


御伽噺に出てくる架空の結晶。
人心を惑わすというその名に、覇王は眉を顰めた。
特務科学部門の一部の科学者達が、魔術だの錬金術だのという非科学的な分野にも手を出していることは知っていた為、そこまでは驚かなかったが。


『これはオリハルコンの眼が人々を操った結果だと…そう言いたいのか?』

「うーん、初めはそうかと思ったんだけど、どうやら違うらしいんだ。兵士や首脳陣の行動は実に統制が取れているからね。そもそも、オリハルコンの眼が本当に御伽噺みたいな能力を備えているとは思えない。」

「こうしていても無駄だ。クック、この結果は移動が可能か?」


覇王は再び短機関銃を手に取る。


「可能ですけど…待ってください、何をなさるんです?」

「後援者達に保護を求め、兄に直接訴える。」


今回の首謀者は間違いなく宰相一派だ。
玉座争いに関しては、周囲はともかく覇王としては穏便に済ませるつもりだったのだが、こうなっては黙っていられない。
ひとまず支援派の貴族達に匿ってもらい、直々に斎王に伝える必要があった。

いくら祖父に頭が上がらないと言っても、これは次期皇帝として斎王が処罰を下すべきである。


「…残念ですが。殿下を後援する貴族はいないでしょう。ここに来る途中、耳に入れたのですが…。」


ジェロームの話によると、覇王派の貴族がほぼ同時刻の間に宮廷で暗殺され、残った者達もなんらかの罪を着せられて捕縛されたとのことだった。

覇王は唖然とする。
確かに自分の後援者達は、長年君臨してきた宰相一派に比べると権力と地位の及ばない、所謂若輩者だった。

しかしだからといって宰相派の独断で一方的に糾弾し、処罰するような真似を取れば、どうなるか…この国には国民の目も、マスメディアの報道もある。

それをも厭わないというのか。


「奴ら独裁政治でも始める気か…!」


「…とにかく、殿下達はお逃げになって下さい。安全な場所まで精霊に送らせます。」

ジェロームが頷くと、カレンのすぐ隣に別のワニの精霊が現れた。



『君はどうするの?君だって追われているんだろう。』

「No problem!俺にはまだやることがあるんでね。」


ジャケットの内から取り出した小銃を片手に笑うと、弾の数を数える。


「これからジョアンの救出に向かいます。」

「なんだと…!?」

弾かれたように大声を上げたのは、覇王だった。
確かな狼狽を見せる主君を、ユベルは驚いて見守るしかできない。


「あいつに何かあったのか!?」

「正確にはこれから「ある」です。このままあそこにいたら、彼女もただでは済まされません。」

「何をされるというのだ!」


振り切って行こうとするジェロームの前に、覇王が立ちはだかる。
ジェロームは覇王を見下ろし――やがて大きく溜息をついた。


「……私が特務科学部門に召集されたのは、もともとレインボードラゴンの繁殖実験を施行する為でした。」


覇王は呆然と繰り返した。


「繁殖…実験…?」

「そうです。彼女はあそこに収容された時から、その為の調整を受けてきました。それこそ物のような扱いをされて。」

ジェロームの脳裏に、施設で見た機密情報の映像が――幼いジョアンが収容されて間もない頃のものが蘇える。


ジョアンの手足を拘束し、無理矢理に薬を投与した科学者達。

サンプル採取として、麻酔が効かないうちに絶叫するジョアンの皮膚を剥がした大人達。

死んだ兄に助けを求めて泣くジョアンを、煩いと殴りつけた者達の姿を。


そして――。

「殿下は、何故帝国がレインボールインに戦争をしかけたかご存知ですか。」

「光と闇として敵対していたからだと…。」

「では何故、光の眷属であるレインボードラゴンを生け捕り、繁殖させようとするのでしょう。忌むべき光を完全に抹消するのが、あの戦争の本懐であったはずなのに。」


本当に邪魔な存在であれば、ジョアンは兄諸共殺されていたはず。
兵器として使うとも言っていたが、得たいの知れない光の化身を戦に登用するだろうか。


「そしてそれ以降、帝国の兵器の性能は格段
に飛躍しました。」


5年前、レインボールインとの戦を境に、帝国の軍事力は上昇した。
覇王の初陣にも、たくさんの高性能の兵器が――


「………まさか!」


覇王はある可能性に辿り着き、戦慄した。
信じたくない、だがこれならば全ての説明がつく。

ジェロームは静かに、ゆっくりと言葉を紡いだ。

























「オリハルコンの原材料は――レインボードラゴンです。」










To be continued
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