第4話

「つまりは、祭りか?」

「Yes.屋台は出ないけどね。」


ジョアンの口元についたパンくずを拭ってやりながら、ジェロームは微笑む。
彼女の言動は、家で留守番している小さな息子のことを思い出させた。


「へぇ、毎年そんな面白そうなことやってたんだ。」

「今まで知らなかったのかい?誰か教えてくれなかった?」

「ん―・・・ここの人達って、あんまりしゃべってくれないから。」


そう言ってまたパンに齧り付く。
花より団子なレインボードラゴンは、行けない祭りよりも目の前の朝食の方が大切らしい。

この施設に赴任してまだ日の浅いジェロームだったが、研究員達のジョアンに対するスタンスは、大体わかってきていた。


皮肉に思っていたところ、扉から出てきた人物に気づき、ジェロームは一礼した。


「調子は良さそうだな。」

「よう!王様!」


ひらひらと手を振るジョアンのそれは、皇族に対してというより、機知の友に対する挨拶に近い。

世界王の方も気にした様子はなく、人工風になびくマントを抑えながら、ジョアンの向かいの岩に座る。

まるで父娘のようなその様子に、思わずジェロームは笑みを浮かべた。


「今日は覇王の晴れ舞台でね。うまく行くといいんだが・・・。」

「大丈夫さ。あいつしっかりしてるし、なんたって『純粋少年』だからな!」


ジョアンが元気よく言い放ったその単語に、ジェロームはもちろん、世界王は目が点になる。


「・・・覇王が、なんだって?」

「真っ直ぐな奴だろ?だから、『純粋少年』!」


幼い頃はともかく、現在の覇王を「純粋」と表現する者はなかなかいない。

冷血漢だとか、鉄化面だとかはよく聞くが。

この施設に訪れてから帝国語を覚えたというジョアンの言葉選びは、一種独特なものがあった。

「王様は今日の祭りに出るんだろ?だったら、あいつにがんばれって伝えといてくれよ!」

「そうだね。必ず伝えよう。」

「頼んだぜ!」

差し出された小さな手を握り返してやる

ジョアンは翡翠の瞳を細めて、笑った。






軍靴の音が広場に響く。

様々な管楽器や打楽器によって奏でられる音楽は不自然なまでに陽気だった。


『皇子。スワルナ=パクシュ少尉が。』


ユベルの囁きに覇王が振り返ると、銀髪の青年がこちらに近付いてくるのが見えた。


「これは殿下。ご機嫌麗しゅうございます。」

慇懃なまでに腰を折った青年は、顔を上げるとにっこりと微笑む。
目はまったく笑っていなかったが。


「お初にお目にかかりますね。エドモント=スワルナ=パクシュ少尉です。殿下のお噂はかねがね。いつも素晴らしいご活躍だとか・・・。」

「能書きはいい。」

延々と続きそうな社交辞令を、覇王は手の一振りで制した。
鳶色の瞳に不適な色を宿して、唇を弦月に吊り上げる。


「聞き出せ、と言われてきたか?」

「誰に、何を・・・です?」


エドは首を傾げてみせた。
陽気な吹奏楽と群集のざわめきが、無言で見合う二人の背後を流れていく。

先に目を逸らしたのは、エドの方だった。


「強いて言うなら、私が殿下の御武勇を聞き出したいですね。とてもrespectしていましたから。」

「・・・狸が。」


エドは否定する素振りも見せずに笑い続けている。

気に入らない男だが、単なるお調子者というわけでもないらしい。


「・・・っと、そろそろ作業に戻らなくては。私の部下は新人が多くて・・・手を焼いているんですよ。」

「行って来い。」

「どうも。」


覇王が顎をしゃくると、エドは会釈して踵を返す。

ユベルは立ち去るエドを、じっと暗い瞳で追っている。


「放っておけ。」

『しかし・・・!』


ユベルは覇王のこととなると、人一倍敏感だ。
特に人工精霊化してからは、主を守ろうとする性ゆえか、彼に危害を加えようとする者には容赦ない。

「構わん。それにどうやら聞き出すことが目的ではなさそうだからな。」

『どういうことでしょう?』


覇王は停車した車に乗り込みながら、目線だけをユベルに向けた。


「聞き出すのが目的なら、あんなふざけた返答はせん。」


――俺を馬鹿にするとはいい度胸だ。

外部からの視線を一切遮断された窓を見つめながら、覇王は再び唇に弧を描いた。







「がんばれ、だそうだ。」

「・・・いきなりなんです父上。」


ユベルに礼服のマントをブローチで留められていた覇王は、突然の世界王の言葉に眉根を寄せた。


「お前の友人の竜からだ。『純粋少年のお前ならうまく行く』と。」

「じゅ ん す い しょ う ね ん?」

「お前のことだそうだ。」


あの馬鹿・・・!妙なあだ名を!
覇王は軽い頭痛を覚えて額を押さえた。

嬉しそうな父の様子に、また腹が立つ。


「あれは面白いな。お前が気に入るのもわかる。」

「どこをどう見れば気に入っているように見えるのです・・・。」

「よく世話を焼いているではないか。」

「そうせよと仰ったのは父上でしょう。」


むきになって言い返すと、衣装を調えていたユベルまでもがくすくすと笑った。
覇王は裏切られた気分になって、憮然とする。



礼服を着込んだ覇王が、皇族用の待合室に行くと、久しぶりに斎王姉弟と顔を合わせた。
いくら家族だけの空間とはいえ、覇王は気まずい。

普段あまり話さないからと言うより、これは彼生来の口下手に起因していた。


「この前の食事会は貴方がいなくて、とても寂しい思いをしたのですよ。」

「すみません、姉上。仕事の都合がつかなかったので。」


会話に困る二人の間に割って入ったのは、斎王と同じ母を持つ第一皇女――覇王の異母姉だった。


「私達が平穏に暮らせるのは貴方のおかげね・・・でも、貴方ばかりが無理をする必要はないのですよ。」


長い黒髪を揺らして微笑む姉は、本当に心配そうで、覇王はバツの悪い思いをする。

彼女は子供の頃は大人しく、非常に臆病で、覇王を見ると隠れてしまうような性格だった。
祖父である宰相の言いつけを忠実に守っていたと言える。

そんな彼女がこうして弟に向き合えるようになったのは、祖父離れをし、自分で世界を見るように――「大人」になったと言えるのだが。

覇王にはそれがわからず、素直に姉の好意を受け取ることができずにいた。

指揮の為に、上級仕官達のもとに向かった覇王を除いた皇族は貴賓席についた。
その周囲に円形を描くように、七本の柱・・・七精門を模したものが設置されている。

これらは聖地を現し、皇族が帝国を守護する闇の力によって守られていることを示す。


ユベルとエドを従えた覇王が姿を現すと、群集の中から歓声が沸く。
戦場で幾多の敵兵を血祭りに揚げたという豪傑に畏怖と畏敬を篭めた視線が降り注いだ。


十六歳の少年に向けられるものとしては、大仰なほど。


まっすぐに背筋を伸ばして敬礼する覇王を、夥しい数の撮影機と映像機器とが捉える。

帝国中に若い皇子の姿が放映された。



歓声、人、歓声、人、歓声、人。


初めてパレードに参加した時は、たくさんの人間に囲まれて緊張したものだが、慣れてしまえばどうということはない。

上に立つ地位を与えられれば、下に平伏する者の数も多くなるだけの事。


その二極構造さえ受け入れてしまえば、あとは簡単だ。


「今年もまたこの日を迎えられたことを、我々の父祖に、そして親愛なる帝国市民の皆様に、まずは感謝の言葉を送らせて頂きます。」

エドに差し出された原稿を受け取ると、覇王は抑揚のない声で読み上げ始めた。




パレード後、夜になってから皇族と上層部
の間のみで行われる行事があった。

腕に覚えのある帝国軍人達が集まり、皇族、貴族の前で真剣勝負をする。
勝利条件は、先に相手の剣を落とすか、打突部位に剣をつきつけるかの二通りだ。

余興というには血生臭いが、これもまた建国当初から行われている為、今更なくすわけにはいかなかったらしい。

最も、建国時にあった呪術的要素――対戦者二人は少量の血を大地に流し、帝国繁栄に魂の一部を捧げる――といった非科学的な部分は、悪しき習慣として削られていたが。


覇王としては、最も退屈な時間だった。

戦うのは上級仕官達・・・つまりは親の代からの権力で成り上がった戦場で直接戦う者達ではない為、いまいち剣裁きに切れが欠ける。


――主戦力である兵士達にもしものことがあったら、この国は終わりだ。


今しがた剣を突きつけられた、貴族出身の仕官を見て、覇王は皮肉に思った。


すると、今日嫌と言うほど見慣れた銀髪が目に入ってきた。
剣を審判から受け取り、細部を観察するように眺めている。


エドだ。
今度は彼が参加するのだろうか。


ずいぶん優秀だと言う話だから、腕前は気になる。
腕を組んで席から見ていると、突然その青い瞳と目が合った。
昼間と同じようににっこりと微笑む。


「御手合わせ願えますか、殿下?」



エドの申し出に周囲がどよめく。

皇族を指名すること自体滅多にないことだったが、何より相手にあの覇王を選んだ。

不遜とも、無謀とも取れる行為だった。


『皇子、取り合うことはありません。あの男、なんて無礼な・・・。』

ユベルがエドを睨みつけながら囁く。

エドの瞳には明らかな自信の色が見える。
挑戦的なそれに、覇王は口元を歪ませた。


「――面白い。その挑戦、受けてたとう。」


席を立った覇王に、再び周囲がどよめきに包まれる。
世界王も思わず席を立ち、斎王は家臣の制止を払ってエドの元に駆けつけた。


『皇子、おやめ下さい!そんな・・・!』

「俺の剣を用意しろ、ユベル。」


声を荒げるユベルに片手を差し出し、促す。

鳶色の瞳に鋭い光を宿し、真っ向からエドを捉えている。


大体、始めからこの男は気に食わなかった。

斜に構えた、こちらを試すような態度といい、見下すような口調といい。

それに皇子だからと言って手加減するような相手には見えない。
戦場以外で久しぶりに本気の戦いができそうだった。

不満げなユベルに手渡された剣を一振りし、覇王は闘技場に入っていった。



「エド、何を考えているんだ。馬鹿な真似はよしたまえ!」

「見ての通り。僕は僕の仕事をするのさ。」

「分野が悪過ぎる!何も剣で挑むことはないだろう!」


斎王は小声でたしなめたが、エドがそれに取り合うことはなかった。

剣の重さを確かめるように軽く上下させながら、しれっとしている。


「君のお祖父様は方法は任せると仰った…これでも僕なりに考えてみたんだよ。何、心配ないさ。」

それだけ告げると、エドは不適に笑ってみせた。

ようやくエドが入ってきたのを確認して、覇王は剣を顔の横に添えるような形で、構えた。

「オリハルコンの剣をお使いになっては?あちらの方が使い慣れておいででしょう。」

「これで充分。貴様こそ愛剣はどうした。」

「大切な若君にお怪我をさせては一大事ですから。こちらで戦わせて頂きます。」

エドは胸の前で十字を作るように刃先を天に向ける。

覇王は感情のない、エドは朗らかな調子で――二人の若者は互いを見合った。



笛の音。試合開始の合図。

二人は一斉に構えを解いた。

相手の出方を見ようと距離を取るエドとは対照的に、覇王は問答無用で斬って入る。

刃物がぶつかり合い、耳障りな音を立てた。


エドの剣が覇王の顔面を捉えていても、後退することなく、懐めがけてつっこんでくる。
エドが体を捻ると、剣が宙を切る音がした。


――さすがは「覇王」。


連続した剣戟を打ち払いながら、エドは体制を立て直すために飛び退った。

間髪いれずに覇王が距離を縮めてくる。

力、俊敏さ、とっさの決断力――どれを取っても一級だ。

相手に攻撃する隙さえ与えない。


ちらりと観客を見ると、押され気味のエドに苛立たしげな視線を送る仲間の貴族達。

――少しは真面目にやらないと、こっぴどく叱られそうだ。
始めてエドが踏み込んだ。

突然の彼の方向転換に、覇王は僅かに目を見開く。

上段から一撃、下段から一撃。

先程と二人の立場が変わる。


それでも覇王の表情に焦りが生じることはなかった。

勢いよく切っ先がぶつかり合って互いの手に微弱な痺れが伝わった後、ほぼ同時に剣を降り下ろした。

白刃が交差して、覇王とエドは今度こそ睨み合う。


「さすがは殿下。一筋縄ではいきませんね。」

「俺に恥をかかせるつもりだったか?残念だったな。」

「ヤだなぁ…どうあっても、僕は悪者認定ですか?」

「事実だろう。」


言い放つや否や、覇王はエドの剣を払う。
本来ならこの衝撃だけで剣を手離してもおかしくないはずだったが、エドは露ほどにも感じていなかった。


そのまま剣を一閃させると、覇王の喉元を狙う。

避ける為に覇王が屈む。

普通なら、次にくる攻撃に備えて、ここは引くところだったが、エドはそうしなかった。
――やはり、まだ子供だ。
冷静を装いながらも、挑発にはきちんと乗ってくる。
技術が直情的な性格をカバーしているようだったが、それでも穴は出てくる。

この坊やに恨みはないが、少し恥を掻いてもらおう。



大きく踏み込んだエドは、覇王の脳天目掛けて剣を降り下ろす―――


はず、だった。





刹那。


覇王の背後から、黒い靄が立ち昇る。

深い、深い闇色の霧。


エドを見上げる覇王の瞳が、鮮やかな金色を呈する。



「な・・・!?」




思わず目を疑った隙をついて、覇王はエドの剣柄目掛けて一撃を入れる。

衝撃に剣はエドの手を離れ、弧を描きながら…床に突き刺さった。



沈黙が長く続く。




エドはもちろん、誰一人として言葉を発する者はいなかった。

覇王が剣を鞘に収め、金属同士が擦れる無感動な音が響いて、ようやく審判が我に返る。


覇王の勝利を告げると、わっと歓声と共に拍手が起こった。



「さすがは殿下!素晴らしい剣裁きだ。」

「少尉もなかなかの腕前でしたな。あの年であれほどの手練れはそうそういない。」



久々の見応えのある試合に、観客は喜び、二人を口々に褒め称える。


世界王が震えていることに気付く者はいない。


『陛下、今のは…。』

「…ああ、間違いない。」


隣に来たユベルに答えながら、世界王は椅子に沈み込んだ。
「…?どうしたの、ジョアンちゃん。」

レイの不思議そうな声に、ジェロームも振り向く。


先程まで注射を嫌がって逃げていたジョアンが急に立ち上がり、宙を仰視していた。
ルビーとハネクリボーは怯えたように彼女に擦り寄っている。


無言を貫く彼女をレイが、もう一度呼ぼうとした時。


「うわっ!!?」


突然下から加わった力に、レイはつんのめる。

よく見れば、カレンが白衣の裾に噛みついていた。


「Sorry,Sorry!カレン、離すんだ。」


ジェロームは駆け寄ると、屈んでカレンの背を優しく叩いてやった。

威嚇するように唸っていたカレンだが、落ち着いたのか、重い顎を退ける。


「びっくりしたぁ…。」

「Sorry!どうにも、カレンの機嫌が悪くて。」


謝りながら、ジェロームは自分の精霊を見つめる。

カレンは普段決して人に襲いかかることはないというのに。

ルビーにハネクリボー、そしてジョアン。


精霊は物質的なものよりも、エネルギーなど目には見えないものに敏感だ。
そんな彼らが異常をきたす可能性があるとしたらたった一つ。


「どこかで強大なエネルギーが発生した…?」


でも、なんの?







「負けてどうするのだ!私はあの小僧に目に物見せてやれと言ったのだぞ!それを貴様・・・!皇族だからと手加減したな!?」

「これでも頑張ったんですがね・・・それに帝国軍トップの彼が負けては、国防に不安の声が上がるんじゃないですか?」

「エドモント!」


どこまでもけろりとした態度を取るエドに、男は――斎王派の帝国貴族は苛立ちを覚えたらしかった。

適当にあしらってやると、エドは人の少ない廊下に出た。


何故負けた、と言われても困る。
今ひどく混乱していて、他人のことを考えている余裕はないのだ。

壁に背を預けて息をつくと、エドは先程の光景を思い出す。


――なんだったのだ、あれは。


あの黒い霧、覇王の金色に光る瞳。

あんなもの間近で見れば驚くに決まっている。
しかも奇妙なことに、その現象が見えたのは全員ではないらしい。

決して見間違いではない自信があったが、先程の貴族の目には、エドが皇子に剣を向けるのを一瞬躊躇った・・・ように見えたようだ。

軍人が真剣勝負で手加減などするものか。
特に自分は容赦ないことで有名だというのに。


「エド。」

「斎王!皇子がこんなところにいちゃ駄目だろう!」

「少し席を外すと言ってきた。それより話があるんだが・・・。」


悶々としていたエドだったが、斎王の姿を見て思わず攻めるように叫んだ。

この行事は帝国繁栄を祝うものなのだから、皇族が参加していなくてどうするのか。

斎王はエドの隣に並ぶと、何かを決心したように、俯きがちだった顔を上げた。


「見たんだろう?覇王の・・・。」


エドははじかれたように斎王を見上げる。


「君にも見えたのか?」

「ああ、でも初めてじゃない。子供の頃にも一度見てる。」


斎王は窓枠に手を預けると、静かに語り始めた。


「昔・・・そう、彼が七、八歳の頃だったか。
突然昏倒してしまったことがあってね。大騒ぎになったんだ。」


その話は、エドも聞いたことがある。

世界王の側室の一人、つまりは覇王の母が亡くなってすぐに起こったことだった。

剣術を練習すると言って外に出た覇王が、突然倒れて意識を失った。

すぐに医者が呼ばれ、検査したところ、驚くべき診断が為された。


『何者かに毒を盛られている。』と。


以前、覇王の母は病死と発表されていたが、実は暗殺の疑いがかけられていた。

世界王の寵姫と彼女の遺した優秀な息子。

狙われる要素は充分にある。

結局、医者の尽力と本人の生命力もあり、覇王は一命を取り留めた。

そしてまもなく、ある給仕の男の遺体と共に彼の遺書が発見された。

そこに書かれていたのは、覇王親子に毒を盛ったのは自分だというもの。

犯人は自殺し、事件は解決したかのように扱われていた――高い確率で、それが真犯人の偽装だと推理されながら。


「きっとあれはお祖父様を支援する誰かが・・・いや、今はやめておこう。僕は覇王が目を覚ます直前、彼の傍にいたんだ。皆には内緒でね。そしたら・・・、」

「そしたら?」


エドは続きを促す。

「僕はがんばれ、がんばれって応援していた。まだ死んじゃいけないって。そしたら、
どこからきたのか・・・わからないけど、黒い物が引きずられるように、彼の中に吸い込まれていって・・・目を、開いたんだが・・・金色に光っていて。」


斎王の声がどんどん小さくなっていく。


「驚いていたら、いつのまにか父上がいて、今見たことは忘れろと言って、外に連れ出された。」

「弟君は?」

「わからない。目を開けたと言っても、ぼうっとしていて、意識も朦朧としていたんじゃないかな。」


話してしまったことを悔いているのか、言い終えるなり斎王は再び黙り込んでしまった。


「待ってくれ、それじゃ・・・。皇帝陛下はこのことをご存知だと言うことだよね?口止めしたってことは。」

「そうだろうな。何度か聞こうかとも思ったんだけど、なんだか恐ろしくてね。」


エドは考え込む。


「ユベルの力…とか?あの人工精霊なら、覇王を守る為になんでもするだろう。」

「それはない。僕が見たのはユベルが手術を受ける前だ。あれは無関係だと思う。それに・・・真剣勝負で他人の力を借りるように見えるかい?あの覇王が。」

「確かに…。」

昼間からかった時の覇王を思い出して、エドは苦笑した。
誇りの高い彼が嫌いそうなことだ。

しかし・・・とエドは眉根を寄せる。


斎王の話をまとめると、どうやらあれを見ているのは一部の人間に限られているほか、世界王は事情まで知っているということになる。

精霊のような力を持つ、異能力者というものが少数ながら存在するとは聞いたことがあるが、覇王もその類なのだろうか。

だがそれならば隠す必要はない。
異能力者は帝国では割と憧れの的であったし、利になればこそ、不利にはならない。

では、異能力者ではなく、なんだ?
覇王という少年は何者だ?

「・・・なんだか最近、驚いてばかりいるような気がするよ、僕。」

「僕もだ。それに、ここ数日実は変な夢をたくさん見て――」



「殿下、スワルナ=パクシュ少尉。」


急に開いた扉に、斎王は慌てて口を噤んだ。
斎王の小姓が困ったような顔を覗かせる。


「そろそろお戻り頂けないでしょうか?」

「はいはい、今行くよ!」


目配せして、エドと斎王は再びざわめきの充満する部屋に戻っていく。







――この時、エドが彼の夢の話を聞いていたら、ひょっとしたら運命は変わっていたかもしれない。










「ユベル、私との約束を覚えているか?」

『もちろんです。どうして忘れられましょう。』

「ならばよいのだが・・・お前に、人であることを捨ててもらったというのに、このままでは・・・。」

『御気を落とされないで下さい。まだそうと決まったわけではありません。ご本人も自覚がないようですし・・・。』

「だと、いいのだが。」

『陛下・・・大分疲れておいでのようです。少し休まれては・・・。』

「そうだな、今日は酷く眩暈がする。」









パレードから四日。

あれから特に変わったこともなく、世界の情勢も安定している。

それは良かったのだが・・・。





「おい、」

「ん?」


剣呑な雰囲気を漂わせながら、覇王はジョアンを見下ろした。
明らかに不機嫌を顔に表しているというのに、この竜少女はまったく動じない。
岩に腰掛け、うきうきと昼食を食べようとしている。


「なんだ、『純粋少年』とは。」

「純粋な少年って意味だぞ。」

「・・・そんなことはわかっている。何故俺にそんなあだ名をつけた。」

「なんとなく!」


きっぱりと、なんの躊躇いなく、鮮やかに、彼女は言い放った。
覇王は必死に堪える。


ここで怒ったら、どうせ相手にされず、ただ悪戯に体力を消耗するだけ・・・さすがに学んだ。

そう学んだのだが・・・。


「なんとなくで俺を純粋少年なんて言ったのか、ああ、お前はそういう奴だろうさ、わかっている、だがな、人に、特に身内に話す時にはもう少し慎重に言葉を選べ!」

「また怒鳴った―。やっぱ怒りっぽいぞお前。」


迷惑そうに言いながら、ジョアンの顔からは笑顔が絶えない。

こういう反応が返ってくるのはわかりきっていたはずなのに・・・自分はこんなに学習能力のない人間だったろうか。

何か腑に落ちないものを感じながら、覇王はケースの隅をつつく。

今日も固形食糧で済ませようと思ったら、レイに怒られてしまった。


「皇子様がそんな栄養のないもの食べてちゃいけません!」

そう言うと彼はジョアンのものと同じケースを差し出してきた。
中身はタコ型に細工された腸詰めだの、兎に擬したリンゴなどが入っていて、とても覇王のイメージに合っているとは言い難いものだった。
わざわざ作ってきたスペシャルメニューということなので、食べないのも気が引ける。

料理の出来る男はモテるという噂だが、レイもそのうちの一人かもしれなかった。


「覇王、そのタコ交換しようぜ!この卵焼きと!」

「だったらレタスを寄越せ。」

「それでいいのか?お前ホントに好きだな、草。」

「…野菜と言え。」


ジョアンと昼食を食べるようになってしばらく経つが、これも大分慣れてきた。
人生最初で最後と思われた給食もその数こなしており、すっかり気にしなくなっていた。
皇族としてどうなのかはわからないが。
しかもどこか満更でなく思っている自分がいて、その事実に困惑してしまう。

家族と食事することも出来ない自分が、赤の他人、それも人ならざる少女と、雑談しながら弁当を広げている。

実に奇妙なことだった。



ジョアンは先程交換したタコを、食べる前に物珍しげに見つめる。


「そういえば、祭りで大活躍だったんだって?試合にも勝ったっていうし、やったじゃないか。」

「勝ったというか、あれは…。」


覇王は言い澱む。

何があったかわからないが、あの一瞬、エドの手が止まった。

隙を見せた敵は迷わずたたく。
戦場での癖の為に反射的に反撃してしまったが…彼は一体あの時、何を見たのだろう?


「良かったら今度、私とも試合してくれ!結構自信あるぞ。」

「女のお前では無理だ。力の差がありすぎる。」

「それだよ、それ!」


ジョアンは無念そうに頷いた。

「兄さんにもよく言われてさ。『女の子は剣なんか持つな』って。ああ、私も男に生まれたかったなぁ。で、カッコいいヒーローになりたかった!」

「本当に妙なことを言う奴だな…。」


覇王は隣のハネクリボーを見て同意を求めたが、小さな魔物は餌を食べるのに夢中で、見向きもしなかった。

「ヒーローだぞヒーロー。大切なものを守る正義の味方!誰だって一度は憧れるだろ?」

「…俺はそんなことは一度もない。」

「じゃ、きっとこれから憧れるぜ。」


不吉な予言をされてしまった。

絶対あり得ないと思いながらも、ジョアンに言われると、なんだかあり得るような気がした。





「いいぞ!いけいけー!」

「そうはさせん。」

昼食後、例の如くカードゲームに興じる。

ジョアンは次々に新たな手を見せ、覇王を唸らせる。

そしてそんなジョアンもまた、覇王の多彩な技に手を焼いているらしかった。


とにかく共通して言えるのは、これがの二人にとって一番の楽しみということだった。




「あの時、これをこう動かせてたらなぁ。」

「時間がかかり過ぎる。それよりもこのカードをまわした方がいい。」


一戦終わるごとに反省会を開き、互いに新しい手を考える。


それは一銭の得にも、一つの経験値にもならなかったが、覇王の中では重要な部分を占めていた。


「こういうの、お父さんとやったりしてるのか?」

「父とはない。幼馴染みとなら昔よく遊んだ。」


父に遊んでもらった記憶はほとんどない。
それでも幼い頃は、勝手に誰かを誘って、遊びに出かけていた。

それが、いつだったか・・・突然父がそれを止めるようになった。
遊び相手はユベルだけ。

何度理由を聞いても教えてくれず、父を恨んだのを覚えている。
覇王の身を案じてのことだったのだろうが、それでもその時は理解できないでいた。


「・・・お前は?ずいぶん慣れているようだが・・・父親とでも遊んだか?」

「いや。私、父さんのことを覚えてないからさ。大体兄さんと二人でやってたよ。」


ジョアンは器用にカードを束ねると、ケースにしまう。

彼女の顔は、どんな状況下においてもまったく乱れず、特にゲーム中はなかなか心を読むことができない。

自分もよく無表情と言われるから、ある意味自分達は似ているのかもしれなかった。

こんなことを思うなんて、自分もそろそろやきが回ってきた。


「今日は私の二勝二敗。今までのと合計すると、二十勝九敗だから・・・私の方が一杯勝ってるな!」

「違うだろ。俺の方が一勝上だ。」

「そうだっけ?まあいいや!今度会った時にもう二回勝てばいいんだし。」

「返り討ちにしてくれる。」

「じゃあ、返り討ちの返り討ちにするぜ!」


そういうと、覇王を見送りに来たジョアンは微笑んで手を振った。




ジョアンと過ごす時間は、いつも短く感じる。
彼女のお守りとカードゲームしかやらないのだから、無理もないのだが、それでも普段とは時の流れ自体が違うような気がした。

人工の楽園も、ジョアンも、外界とは全く別の時を生きているような錯覚を覚えさせ、ここにいる覇王までその流れに乗ってしまうらしかった。


覇王にはやらなければならない仕事が山ほどある。
斎王派の目もある。


本来ならばあまり頻繁に通うべきではないのだろうが、父がやけに自分を彼女のもとに連れていくので仕方ない。

そしてもうひとつ――彼女の奇想天外な行動の被害を最小限に食い止めなければ――という妙な義務感が、彼の中に芽生えていた。


どうして今まで誰も待ったをかけてやらなかったのだ。
この5年、研究員達はジョアンの言動にどういう対処をしてきたのだろう・・・。


「何、考えてんだ?人の顔ぼーっと見て。」

「・・・いや。」


無邪気に首を傾げる彼女から目を逸らした。
至近距離から顔を覗きこむ彼女の額を軽く押さえて押し戻してやる。

そのまま施設に戻ろうと踵を返して・・・途中で立ち止まった。

何か・・・何か忘れているような。
何か言い足りなかった。


「そういえば、診断はどうだった。」

「この前のやつ?何も言われてないから、特に問題ないんじゃないか・・・ってこれこの前も言わなかったか?」


そうだった。
しかも何週間前の話をしているのだ。
覇王は慌てて話題を変える。


「カードは今のところ俺の方が勝ってるんだからな。ええと合計すると・・・。」

「それもさっき話したぞ。」


ルビーの楽しげな笑い声と、ハネクリボーの心配げな視線が痛い。


「つ・・・つまり・・・だな・・・・。」

「?うん。」


覇王は手を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返した。
視線をさ迷わせ、散々あたふたした挙句、ようやく思考をまとめた。


「・・・次も俺が負かしてやるから、体調を整えて待っていろ!」


俺は何を緊張してるんだ――と原因不明の動悸に悩まされながら、覇王は怒鳴るように言い放った。

ジョアンはぱちり、と瞳を大きく瞬かせ、少し考えると頷く。


「私、これでも丈夫なんだぞ。絶対風邪なんて引かないから、いつでも遊びに来いよ!」



小さな手が、覇王の背中をばんばんと叩く。
それに振り返ることなく、覇王は歩き出した。


「またな!」

「・・・ああ。」


要は、自分は。

要は自分は彼女に「また来る」ことを告げたかったのか。

どれだけ口下手なんだ、俺は・・・。


そんな自分に呆れて、覇王はほんの少し、苦笑した。









「あの、ちょっといいですか。」


明朝、朝早くに出勤して設備を調整していたジェロームは、彼の上司にあたる科学者を呼び止めた。

大型の画面を操作して、先日の身体検査の際のジョアンを映し出すと、彼女の周囲を指差して見せる。

「彼女の体から螺旋状に光が放たれているんです。これは一体…。」

「レインボードラゴンの生態はわかっていないからな、おそらくは赤外線レベルでしか知覚できない体表組織が光っているんだろう。」


おそらく、で済ませてしまうのか。

ジェロームは呆れてしまった。
これこそ深く追求すべきことだろうに。


「今まで、この現象の調査をしたことは?」

「・・・どちらにせよ、これは君の管轄ではない。君は自分の分野に専念してくれ。」


自分は生物学者で、ジョアンの生態調整を担当している。
分野外も何もあるものか。



この件には関わるな・・・ということか。



誰もいなくなったのを確認してから、ジェロームはもう一度画面を見つめる。


体を覆う不思議な光。
赤や青に輝くそれは、あたかも彼女の内から放たれているようだった。

未知の生物なのだから不可思議な現象のひとつやふたつがあってもおかしくはないが、何故それを研究員にまで隠す必要があるのだろう。


画面を何度もリピートさせながら、粒さに眺めていると、カレンが靴をかじってきた。


「Sorry,もう少しで終わるからな。」


ふてくされたような彼女の頭を撫でてやり、顔を戻すと・・・何かがひっかかった。




そういえばこの光の色、どこかで見たことがあるような…。




思い出せそうで思い出せない。
だが絶対にどこかで同じものを見たことがある。

「クック博士、大変です!」


必死に過去の記憶を辿っていたジェロームの耳に、レイの叫びが届く。

「どうしたんだ、レイ・・・って転ぶよ!」

長い白衣をひっかけそうにながら走ってきたレイに慌てて注意すると、間一髪、彼は立ち止まった。

膝に手をあてたレイは、息を切らしながら――しかし、はっきりと言った。


「・・・皇帝陛下が倒れられて・・・現在、意識不明の重態です。」









To be continued
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