花柳 高倫
気配を殺して、物音を立てずに忍び寄って。
愛しい人の姿を探す。
そっと、庵さんの部屋の前にしゃがみこみ耳をそばだてる。
私が集めた情報によると今、庵さんの部屋にいるお客様というのは高杉さんだ。
それなのに庵さんには、今日は部屋に近づくなと言われてしまった。
けれどこればかりは言うことを聞けない。
どんな大切な話し合いをされているのかは分からないけれど。
それでなくても会える機会の少ない人なのだ、会える時には無理をしても会いたい。
せめて、声を聞くだけでも。
『ははっ。』
襖の向こうで、懐かしい声が穏やかに笑い声を上げた。
ああ、高杉さんだ。
高杉さんの声だ。
今まで記憶の中でしか聞けなかった声を聞けただけで、涙が出そうなほど嬉しかった。
『すまないが庵さん。大事な用が出来たからこれで失礼。』
『高杉くん?…ああ、なるほど。』
立ち上がり、こちらに近づいてくる気配がした。
高杉さんの声を聞けて気が抜けていたのか、隠れる機会を完全に失ってしまった。
今からじゃ間に合わないけれど隠れなければ、と私は慌てて立ち上がる。
その時すらり、と襖が開かれた。
「あ…!」
立った状態のまま体が固まる。
穏やかな笑顔を浮かべた高杉さんが、本当に今目の前にいるのだから。
「逃げる必要などないよお嬢さん。」
「高杉、さん。」
「久しぶりだなあ。」
優しく頭を撫でられて、顔に熱が集まる。
恥ずかしいのに、それ以上に嬉しくて高杉さんから目をそらせない。
「元気そうだな。」
「はい。高杉さんも…。」
「どこか場所を変えて、ゆっくり話さないかお嬢さん。」
嬉しそうに笑ってくれる高杉さんの言葉に、素直に頷きそうになったけれど。
庵さんとの大切な話し合いはもう済んだのだろうか。
「…高杉くん。」
高杉さんの後ろから、低い声が聞こえる。
「庵さん。あの…すみませんでした。」
庵さんの言いつけを破ってしまった上に、きっとやっぱりまだ話し合いの最中だったらしい。
私が来たことで、話の腰を折ってしまったのだ。
「お前は気にしなくて良い。」
「え?」
けれど庵さんはあっさりと言った。
「どうせ守るとは思っていなかったからな。」
ええと、それって。
…私を高杉さんに、会わせたくなかったということ?
「逢瀬の邪魔しようなんて、やきもちやきだなあ庵さん。」
高杉さんが面白そうに笑う。
「…それより高杉くん。まだこちらの話は終わってないんじゃないか。」
じろり、と私達を睨んで疲れたようなため息をつく。
「だが、本命が来てくれたからなあ。」
「さっきまで力一杯俺を長州に勧誘していたのはついでと言うことか。」
「今回はお嬢さんと会う方が重要ってことですよ」
…見るからに不機嫌になっていく庵さんに、高杉さんは気にもせずにこにこ笑う。
しばらく無言が続き、はあっと息をついたのは庵さんの方だった。
「…正直きみにだけは渡したくはないが。」
「俺としては、俺以上にお嬢さんを幸せに出来る男はいないと思ってますよ。」
堂々とした宣言に庵さんは複雑な表情を浮かべ。
私はといえば、恥ずかしさに今度こそ顔を見ていられなくて俯いた。
ああ本当に。
私はなんて、幸せもの。