花柳 野倫


戊辰戦争と呼ばれる、幕府軍の意地をかけた戦いは終わった。
…終わってしまった。
私の一番大切な人を奪って。




まだ陽が昇りきっていない、薄暗い道を一人歩いていく。
全ての戦いが終わった後私は花柳館へと戻ってきた。
この道は、かつて大好きな人と並んで歩いた道。

『ね、この時間ならくっついて歩いても恥ずかしくないよね倫ちゃん!』
昼間、人通りの多い場所を一緒に歩くには気恥ずかしいくらい大好きで。
そうしたら次の日、陽が昇る前に起こされて散歩に誘われた。
『野村さんたら…。』
あまりにも真っ直ぐな彼らしい行動に思わず微笑むと野村さんも嬉しそうに微笑み返してくれる。
『よし、じゃあ手でも繋ごうか!』
時にはいつもより一歩近づいて歩いたり、時には手を繋いで歩いたり。
何気ない話をしながら歩くその時間が本当に幸せだったのだ。


戊辰の戦争が始まってもそれは変わらないと思っていた。
厳しい戦いの中でも野村さんの隣にいられたら、あなたの笑顔が見られたらそれだけで良かった。
戦い続けられた。
けれども。

私達を助けるため一人、敵の甲鉄艦に残った野村さんの姿を私はきっと一生忘れられない。
最後まで笑顔を浮かべながら小さくなっていく背中を、ただ見ているだけしか出来なかった事を。
その日から、この世界は色褪せてしまった。
大好きだったこの道さえ今は辛いだけで。
でも例え野村さんのいない世界でも、あなたが救ってくれた命だからこそ自ら絶つことは出来なくて…。


「…。」
せめて戦いの中で果ててしまえれば良かった。
一人こうして生き続けるのはあまりにも残酷だ。
立ち止まり橋に身を預ける。
その時、ふと肩に手を置かれた。
「野村さ…?!」

思わず振り返る。
…けれどもちろん、そこにいるのは野村さんではなかった。
「あ…庵さん…。」
「すまんな、待ち人ではなくて。だが放っておけば身投げでもしそうな雰囲気だったものでな。」
…心配、させてしまったのだろうか。
冗談ぽく言う庵さんに私は僅かに微笑む。

「私は大丈夫ですよ。」
「そうは見えないが…。ああ、でもそうだな。」
庵さんは私の背に目をやり、ふと笑った。
「今まで苦しんで生きてきたのは、無駄ではなかったときっと思えるさ。」
「…え?」
「すぐに、な。」
そのまま庵さんは去ってしまった。
意味が分からないまま、何気なく振り返って通りを見やる。

「倫ちゃん、見つけた!」
懐かしい声。
懐かしい、姿が駆け足で近づいてきて私の目の前で立ち止まる。
「野村…さん?」
私は幻でも見ているのだろうか?
だけど、あの頃と何も変わらない姿で野村さんは今目の前にいる。
確かに存在している。
「あれ?何でそんな驚いた顔してるの?」
「な、何でって…!」
驚かないはずがない。
だってガトリング砲まで備えた敵艦にたった一人挑んで、まさか生きているなんて誰が予想するだろう。

「え?庵さんから聞いてないの?庵さんが俺を助けてくれたのに。」
ちゃんと足もあるでしょ、なんてのんきに笑う野村さん。
「私、そんなの一言も聞いてません…。」
「そっか。ま、そうかもなあ。」
いまだに信じられなくて野村さんから目が離せない私に、野村さんは微笑んでくれる。

「俺、庵さんに君を探し出せたら告白します!って言っちゃったからさ。ちょっとした抵抗だったのかもね。」
ちょっとした…って、全然ちょっとではなかったのだけど?
私の人生が全く変わっていたかもしれないくらい大きすぎることをそんな一言で片付けてしまう野村さんに感心するやら呆れるやら…。
「倫ちゃん、結婚しよう!」
「…?!」
満面の笑みを浮かべて。
ああもう野村さん、告白っていきなりそれですか?
そこに至るまでにもっと順番がありませんか?
…だけど、その真っ直ぐさが野村さんだから。
つられて私も笑ってしまった。

陽が昇り始めて、世界が明るく照らされていく。
それはまさに今の私の心のようだった。
何度も一人で見てきたこの色褪せた景色が今はこんなにも輝いて見えるだなんて単純、だろうか。

「大好きだよ、倫ちゃん」
あなたがいる、それだけで私の世界はこんなにも変わる。
「私もです野村さん。…大好き、です。」
今までは恥ずかしくて、口にはしたことがなかった想い。
だけど気持ちが溢れて伝えられずにはいられなかった。

「はは、君からそんな言葉が聞けるなんて、俺生きてて良かったな!」
「…もう。」
そんなに純粋に喜んでもらえるとやっぱり嬉しいけれど恥ずかしい。
顔が熱くなって僅かに顔を背けたとき、ぎゅっと手を握られた。

「もう絶対この手は離さないからね。嫌だって言っても遅いよ?」
いつだって真っ直ぐで。
優しい言葉と笑顔。
…私だってずっとずっと望んでいた。
嫌だ、なんて言うはずがない。
返事の代わりにぎゅっと手を握り返した。


明るくなった道を私達は手を繋いで歩く。
これからは陽が昇っていても、人がたくさんいても関係ない。
あなたとこうしてまた並んで歩けるのだから。

だからどうか、もうこの手を離さないで。
9/17ページ
スキ