幕恋 その他

今日は山崎さんと一緒に情報収集を行う。
だから腰の刀は抜いて、女性らしい着物を着て。
ちょうどお互い用事があったので町中で待ち合わせることにした。


…のを、今思い切り後悔中。
よりによって、いくら女性らしい格好をしたからといって私に声を掛けてくる人がいるなんて。
しかも相手は柄の悪そうな浪士二人。
騒ぎにしたくないからやんわり断っても全く意味がないらしく、しつこく絡んでくる。

ああ、出来るならここで私は新選組隊士桜庭鈴花なのだと名乗ってやりたい。
…でもまさかそんなこと出来るはずがないし、この姿で言ったって説得力の欠片もないだろうから我慢するけど。
さっきから同じような事ばかり言ってくる男達にぐっと耐えながら、山崎さん早く来て!ともう何度目とも言えない願いを心の中で叫んだ。


「お前たち、女性に向かって何をしている。」
その時、ふわりと風に乗って香る甘い匂いと共に心地良く耳に響く声が聞こえた。
…誰、だろう。
堂々と、自然な立ち振る舞い。
道行く人は気づきながら誰も私を助けようとはしなかったのに、一目でずいぶんな剣の使い手だと分かるくらい腕の立つ侍は気さくだった。
穏やかな笑顔さえ浮かべている。
けれど浪士達はそれを読みとることも出来ないのかその侍に文句を付け始めてしまった。

流石に私のせいで不快な思いをさせたくはなくて口をはさもうとした矢先、一人の浪士が突然顔を青くして言葉を失った。
「この匂い…もしかして」
それを聞いたもう一人の浪士も顔色を変え、二人は捨て台詞もなく唐突に逃げていってしまった。

…ええと?
あまりに突然であっさりした幕切れに、首を傾げる。
「大丈夫だったかな。」
優しい笑顔と声が私に降り注いだ。
「は、はい。」
「それは良かった。」
顔が赤くなる。
心臓の音がこんなにも大きく鳴っている。
「ああいう輩に絡まれぬよう、これからは気をつけるのだぞ。」

柔らかく微笑んでその人は去ってしまった。
「あ…。」
追いかけたかったけどすぐに人混みに紛れてしまったので数歩で諦めるしかなかった。

まるで思い描いていた理想の侍。
なのに気さくで笑顔が優しくて、甘い香りがして、安心するような響きのある声で。
「…お礼、言いそびれちゃった。」


もう一度会えたなら、その時はきちんとお礼を言おう。
それから。
それから…。

一瞬でその存在が心に刻まれた。
きっと忘れる事なんて出来ないだろう。
名も知らぬあなたのことを。














少し前に一人の娘を助けた。
助けた、というより彼女に絡んでいた浪士達は香水の香りで俺を誰なのか察して逃げ去ってくれた、と言うべきか。
しかしとにかくがらの悪い男に絡まれ、どれだけ怯えているだろうと心配になって彼女を見やれば、予想に反して怯える様子など一切見せず、それどころか大きな瞳をきらきらと輝かせて俺を見つめていた。
不思議な娘だと思った。

…そして何日過ぎても思い出す。
彼女の真っ直ぐな瞳はとても美しかった。



今日もわざわざ遠回りをして、彼女と出会った場所を通る。
日が経つにつれて鮮やかになる記憶。
ただ、会いたかった。
もし、もう一度会えたなら彼女の名前を聞こう。
もう一度会えたならあの美しい瞳に自分を映してほしい。
彼女をもっと知りたい。
そして自分のことも知ってほしい。

募ってゆく想い。
…もしもう一度会えたなら。





その願いがまさかこんな形で叶うとは。
才谷さんの身を案じ近江屋へやってきた俺が見たのは斬られた才谷さんと、新選組の姿…。

あの日のように町娘の格好はしていないけれど、一目で分かった。
ずっと会いたいと願い続けていた彼女は新選組の一員としてそこにいた。

俺に気づいた彼女の大きな瞳が、こぼれてしまいそうなほど見開かれる。
…けれどもすぐに何かを悟ったように、まっすぐに俺を見据えた。
焦がれるほど望んでいたきらきら輝く瞳を、もう二度と見ることは叶わないのだろう。


そこにいるのは町娘ではなく一人の立派な剣士だった。
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