S◇ 主灯
「あれ?」
今日休むことになった空き家の一室で、バッグを整理していたラカンはどこか驚いたように声をもらした。
「羅貫、どうした?」
声を聞きつけて一番に千艸が近付いていく。
おれと成重も気になったのでラカンの傍に駆け寄った。
「あ、ごめん。大したことじゃないんだけどさ。」
ラカンは笑って、バッグの中から何か取り出す。
平たい箱に書いてある字はあっちのものでおれには読めなかったけど。
「板チョコ一枚だけ入ってたみたい。」
「板、チョコ?」
「あっちのね、お菓子だよ。」
一様に首を傾げるおれ達にラカンは言った。
そして箱を開けて中の四角い何かをパキッと割り出す。
「皆で分けるには小さいしなあ。他の人には内緒ね、はい。」
四等分されたそれを千艸、成重、虹、そしておれに手渡す。
「貰って良いんですか?羅貫君。」
「うん、皆チョコなんて食べたことないでしょう」
確かにこんな食べ物見たことないけど。
貰ってしまっても良いのかな。
『俺知ってるぞーラカン!バレンタインって言うんだよな!』
おれ達が一瞬迷っていると、チョコを受け取った虹が嬉々として言った。
『好きな奴にチョコレートを渡すんだよな!バレンタイン!』
「うん、今日はバレンタインじゃないけどね…そんな感じかな!」
ラカンは笑った。
チョコって好きな奴に渡す食べ物なのか…。
バレンタインって言うのはよく分からないけどラカンが迷わずおれ達にそれをくれたのが嬉しい。
「じゃあ頂きますね。」
「ありがとラカン。」
だから喜んで受け取る事にした。
けどチグサだけはチョコレートをラカンに差し出した。
「え…千艸?」
迷いを感じられないその行動にラカンが不安げになるのも当然だと思う。
ラカンの気持ちを無駄にする奴じゃないのは分かってるけど、読めない千艸の行動におれ達も不安になって見守る。
「あげるよ、羅貫。」
「え?!」
ふわりと千艸は笑った。
「好きな人にあげるものなんだろう?だから、羅貫に。」
ずいぶん嬉しそうに笑うと思ったら、なるほど。
隣で成重が止めようかどうか迷ってる。
でもラカンもつられるように笑顔になったから諦めたようだ。
「そうか…うん、ありがとう千艸!」
お互いの手を行き来したチョコは結局さらに半分に割られて。
「一緒に食べよう。」
って事で落ち着いたらしい。
『オレも成重大好きだからこのチョコ成重にプレゼントー!』
「なら私も、これは虹に」
仲良く食べる二人を見た隣でも、お互いのチョコレートを交換しだした。
…それって意味あるのかとも思ったが、成重と虹も嬉しそうだったから黙っておく。
幸せそうな二組をおれは複雑な気分で眺める。
呆れる反面、何だか羨ましくも見えるんだ。
手に持つチョコへ視線を移す。
好きな奴にあげるのだと聞いて一番最初に浮かんだ顔。
おれもそいつに、これをあげたいって思った。
「あのさ、おれちょっと…。」
「灯二。」
走りだそうとするおれを呼び止め千艸はぐるりと辺りを見回して微笑みながら指を差す。
「主匪は向こうだよ。」
「べ、別にカズヒのとこに行くわけじゃ…!」
「そう?」
顔が赤くなる。
見られたくなくておれは走り出した。
…千艸が指差す方へ。
あーもう、あいつにはばればれか!
でも仕方ないだろ。
カズヒの顔が浮かんだんだから。
そっとチョコを握りしめる。
これを渡すのがどういう意味か知らなくてもきっと、カズヒは喜んで受け取ってくれるだろうな。
そんな事を考えるだけで何だか幸せな気分になった。
灯二にチョコレートを貰った。
口に入れてみると苦くて、甘くて、優しい味がした。
「ラカン。」
外で花を育てていたラカンに声をかける。
珍しくその肩には虹が乗っていて、もちろん千銀も隣にくっついていた。
「主匪。どうしたの?」
「いや、さっき灯二にチョコレートってやつを貰ったんだが…。」
どう説明したら良いのか一瞬口ごもるとラカンは俺の言いたいことを理解したように、にっこりと笑った。
「ああ、やっぱり。」
千銀もにやりと呟く。
「は?」
『あのチョコはバレンタインなんだぞー!良かったなお前!』
いやいや、何だそれ余計意味分かんねえし。
けど元はラカンがくれたものだから、灯二が俺にくれようと思った経緯も知っているのかもしれないな。
「あのね、オレの国ではバレンタインに好きな人にチョコを渡す習慣があるんだ。」
この説明は色々省略されていたと後で聞いたけれど。
好きな人に、か。
…もしかしてそれで、灯二は俺にチョコを?
『これ!チョコレート!』
そう言って、俯きながら無理やり俺に押し付けて、勢い良く逃げて行かれたから何事かと思ってたけど。
そういう事だったのか。
自然と顔に笑みが浮かんだ
「灯二はあっちにいるよ」
千銀が屋敷を指差す。
「知ってる。」
言われなくても、あいつのいる場所は。
俺は走り出した。
探し人は屋敷近くの育った木から果物をもいでいるところだった。
鮮やかな色彩にとけ込んでいる灯二はとても綺麗で、思わず見とれてしまう。
「灯二。」
でも俺がこんな、らしくもなくいっぱいいっぱいな気持ちになっているというのに、そうした本人が平然としているのは何だか悔しくて。
後ろからぎゅっと抱きしめた。
「わっ…?!」
とさ、と手にしていたかごが落ちる。
「え…カ、カズヒ?」
腕の中で遠慮がちに身じろいで俺と視線を合わせる。
こうやって抱きつかれるのは慣れているのか多少戸惑っている雰囲気はあるものの、驚いたり慌てたりということはない。
…ラカンたち灯二に抱きつき過ぎじゃねえのか、なんていらぬ嫉妬さえしながら。
俺と同じような気持ちになってほしい。
俺のせいでいっぱいいっぱいになる灯二が見たかった。
さらにきつく抱きしめて、俺は呟く。
「さっきはチョコレートありがとな。」
「え、あ…うん。」
素直に礼を言うと少し照れたようにはにかんだ。
可愛いやつ。
でもそんな顔じゃ足りない。
「けどあれは、ラカンにもらったやつだし…。」
「知ってる。」
「え?」
「ラカンに聞いた。だから、ありがとな。」
好きなやつにやるものなんだろ?と、ささやくように伝える。
「違っ…!あ、違わないけど、ええと!」
上手く言葉がまとまらないのか最終的には耳まで真っ赤にして俯いてしまった。
表情が見えないのは残念だが少なくとも今は俺の事で頭がいっぱいだろ?
うろたえながらも腕の中に大人しく収まる灯二が愛しくて。
自分の心が満たされていくのを感じた。
俺はチョコレートを持っていないから形で伝えることは出来ないけれど。
せめて。
「灯二。」
言葉で送ろう。
お前が誰よりも好きだ、と。