桜に咲く主様

 主様の姿が消えた。
 朝お目覚めの時にはいらっしゃったし、フルーレがお召し替えのお手伝いに行った際にも確かにおられたらしい。
 俺が朝食のご案内に伺うまでのわずか5分程度の間に、忽然と消えてしまったのだ。

 そういうわけで屋敷は現在騒然となっている。
 手の割ける執事全員で屋敷を地下から3階まで、それと別邸も隈なく探したけど、どこにもいらっしゃらない。残るは庭か、と思った矢先にアモンが「主様が!」と叫び声を上げた。
 アモンの声がしたエントランスの外に向かえば「ふぇ……」とか細い声が降ってくる。そこにはなぜか桜の木にぶら下がる、主様の姿が。
「梯子を持ってくる!」
 ハウレスがそう言い残して屋敷に入っていったけど、待っている間に主様のぶら下がっている桜の枝は、ミシリ、と嫌な音を立てた。
 それ以上待っていられなくて俺は主様の真下に構えると上に目をやる。
「やだ! パンツが見えちゃう‼︎」
「そんなことを言っている場合ではありません! 主様、その手を離してください‼︎」
「そんなことしたらおっこちちゃう‼︎」
「俺が受け止めます! 俺を信じてください、主様‼︎」
 かくして梯子の到着を待たずして、主様が俺の腕の中に降ってきた。

「主様、どうやって木の上にいらっしゃったのですか?」
 ベリアンさんがミルクティーを淹れて半泣きの主様の前にそっと置く。
「まどからそとに出たの……そしたらね、かぜがふいてきてまどがしまっちゃった……」
「あのようなところで何をなさっていたのですか?」
「……さくらんぼ」
 ベリアンさんと俺は顔を見合わせた。
「おいしそうなさくらんぼをとったら、みんなよろこんでくれるかな、って」
 ああ、そういえば昨日の夜、俺は主様に美味しいさくらんぼの見分け方をお教えしたのだった……。
「すみません、ベリアンさん、俺が……」
 事情を説明したところ、ベリアンさんは「いいえ」と首を振る。
「フェネスくんのせいではありませんよ。もちろん主様が悪いわけでもありません。
 主様。執事を代表してお礼を言わせてください。お心遣い、ありがとうございます。ですが主様の身体にもしものことがあれば、皆さんが悲しみます。だから、二度と窓から外に出て木登りをしないとお約束いただけますか?」
 ベリアンさんの言葉が心に染み入ったらしい。主様の口から小さく「はい……ごめんなさい」という言葉が出てきた。

 数日後。
「フェネス! 私をうけとめて‼︎」
「あ、ああ、主様⁉︎」
 窓枠を伝うことなどせず、正々堂々と地面から桜の木によじ登った主様を、俺は再び受け止めるのだった。
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