休日のこと。俺が街から帰ってきてから、ほどなくして屋敷の前に馬車が停まった。俺とは別々に行動していた主様もお帰りになられたらしい。
　案の定エントランスに姿を現した主様だった。しかしとても蒼白な顔をされている。体調を気遣うよりも早く、俺の顔を見るなり２階への階段を駆け上っていった。
　大抵はにこにこと上機嫌でご帰宅なさるのに、何があったのかと心配になってしまう。
どう接するのが正解なんだろう？　幼いとは言え主様も立派なレディだ。俺なんかが立ち入って余計にお心を乱してしまったらどうしよう……でも、俺は主様をお支えする執事だ。もし主様が困っているのであればお力になりたい。だけど要らないと言われて担当執事を誰かに代えられたら嫌だな……そうは思えど……。
　俺が堂々巡りをしていると、主様に連れ添って出かけていたルカスさんが屋敷に入ってくる。そして俺の顔を見るなり肩をすくめてみせた。
「今の主様にはフェネスくんという薬が必要だと思うよ」
　ほらほら早くと俺の背中を押しながら、
「誤解は早めに解いてね」
と、謎めいた言葉と共に苦笑いを漏らしている。
「は、はぁ……」
　よくは分からないけれど、どうやら主様は俺のことで何か誤解されているらしい。誤解されたままは嫌だし、何より主様のことが心配だ。

　３回ノックして中に声をかけた。
「主様、俺です。フェネスです」
　しかし反応がない。
「どうかされましたか？　主様？」
　すると、中から金切り声が聞こえてきた。
「フェネスのバカー！　だいっきらいー‼︎」
　お、俺のことが嫌い……。その言葉は少なからず俺の胸を抉った。
　背後についてきていたルカスさんは、
「本当に嫌ってるわけじゃないから」
とフォローしてくれつつドアを開け——そして　俺を中にそっと押し込んだ。

　寝室の中に主様の姿はなく、ベッドにこんもりと山ができていて、ヒックヒックと揺れている。
「あ、あの、主様……どうして俺のことが嫌いなのでしょう……？」
　ルカスさんは誤解だと言っていた。俺はいつそう思われるような振る舞いをしたんだろうか。
「……しらないおんなのひととしゃべってた。それも、すごくたのしそうに」
「えっ」
　小一時間ほど前に本屋の入口で、俺と同じくそこの常連のお嬢さんと少し話をしていたけど、まさか……⁉︎
「フェネスのばか。うわきするなんてサイテー」
「いや、違います！　ただ世間話をしていただけです！」
　しばらくヒックヒックと嗚咽を漏らしていた主様だったけれど、やがてその籠城は終わりを迎えた。
「……ほんとに？」
「本当です」
　痛々しく泣き腫らした目を右手で擦りながら、左手でベッドのマットレスをぽふぽふ叩いている。どうやら隣に座ってほしいというサインらしい。
　求められるがままに腰を下ろせば、よいしょ、と俺の膝に跨った。
「わたし、しつれんしたかとおもったの。ごめんなさい、フェネス。ほんとはだいすき」
　首にぐいぐいしがみつかれるのは心地よい苦しみだな、と思いつつも、いつまでこの幸福が続くのかと思うと寂しくもある。

　日に日に前の主様に似ていく、今の主様。
　このままだと俺はいつかまた恋を覚えてしまうのかもしれない。その前にこの想いは摘み取らないと。