いつか笑って

 晩秋の午後、主様はコンサバトリーで秋薔薇のデッサンに勤しんでいた。
「随分前にフェネスと行った展覧会があったじゃない?あそこまで盛大じゃなくて、もっとこじんまりとした展示みたいなのができたらいいな」
 それが主様の目下の夢らしい。
 主様に目標があるのなら、それを叶えて差し上げたい。
 俺が頭の中で展示会ができそうな場所をピックアップしていると、主様はうーん! と大きな伸びをした。
「そろそろ休憩になさいますか?」
 俺の進言に主様はこくんという大きな頷きを返してくださった。そう、まるで幼な子のような。
「今日はチャイがいいな。とびきりシナモンが効いたやつ」
「フフッ、かしこまりました。それではミヤジさんを探してきますね」
 スパイスと言えばミヤジさん。ミヤジさんと言えばスパイス。この屋敷でミヤジさんほど美味しいチャイを淹れられる人はいないと思う。

 地下の執事室のドアをノックしようとしたら、ドアの方から開いてきた。出てきたのは探していた人物で、
「フェネスくん、どうしたんだい?」
とやさしく声をかけてくれた。

 キッチンでチャイを淹れるミヤジさんの手つきを覚えたくて、食い入るように見ていると、ミヤジさんが、
「私がどうこう言える立場ではないのだけど」
と、重い口を開いた。
「主様の想いへの返事を、君はそろそろはぐらかさずに伝えた方がいいんじゃないのかな?」
 小鍋の中でグツグツと煮えたぎるチャイを火から下ろすと、温めておいたポットに濾していく。
「いつかは熱い想いも冷めていくかもしれないけど、それを待つには主様の人生は短すぎると思うんだ」
「ミヤジさん……」
 二の句を次げずにいる俺に、「少しお喋りが過ぎたね」と言いながらスパイシーなお茶が香るトレイを渡してきた。
「君がどんな返事をしても、主様はいつか笑ってくれると思うよ。何と言っても私たちの主様だから」

 キッチンを出て、コンサバトリーに向かいながらミヤジさんの言葉を反芻する。
『主様はいつか笑ってくれる』
……俺は主様のことを信頼していなかったのかもしれない。それに主様ももう17歳だ。ミヤジさんの言うとおり、はっきりさせるのも優しさなのかもしれない。

 主様の待つテーブルに到着した俺は、
チャイをカップに注ぎながら、主様がいつも俺に語りかけてくださる「フェネス大好き。愛してる」を聴きながら曖昧に微笑んだ。
「……フェネス?」
 いつもなら、ありがとうございます、と笑ってみせる俺と雰囲気が違うことを察したのだろう。俺が何か言うより早く、主様のお顔がこわばった。
「主様……すみません、やはり主様のその想いに俺はお応えすることはできません。俺は執事で、その一線を越えることはできませんから」
 ワンテンポ遅れて、主様の目元に真珠のような涙がふつりと溢れ出した。
「フェネ、ごめ、今はほっといて」
 俺はそれ以上何も言えず、ただ礼だけしてその場を後にした。
 入れ替わりにやってきたミヤジさんに肩を叩かれ、それはまるで俺を労ってくれているように感じた。

 泣かないで、なんて言える資格は俺にはない。
 ですが、お願いです。いつかまた俺にも笑顔を見せてください——
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