契約恋愛
その日の夜、宣言通りに先生から電話が掛かってきた
無視するわけにもいかず、意を決して出るも意表を突かれた
先生の声があまりにも静かで優しかったから
私の体調を気遣う言葉に他愛もない会話
身構えてスマホを手にしていた私もいつの間にか肩の力が抜けていた
『夜飯は?ちゃんと食えたか?』
「はい、食べれましたよ」
『そ。良く出来ました』
「先生……私、幼稚園児じゃないんですけど」
『一応、な。俺はお前の身体が心配なんだよ。もうお前一人の身体じゃないんだから』
「一人の身体なんですけど。誤解を招く言い方は辞めて下さい」
ははっと笑った先生に、自分の疑問をぶつけてみた
「先生、どうしたんですか?」
『え?何が』
「なんていうか……その、声が……いつもの先生じゃないんですけど」
『そりゃお前……今は"先生"じゃないからな』
「なんですかそれ」
『今はお前の彼氏ってこと。ただの坂田銀八ってだけだ』
先生の低い声にドクンと胸が高鳴った
彼氏というワードと甘い声
始まったばかりの偽装恋愛に、失恋直後で何をときめいているのか
寝る前に男の人と電話なんてしたことがなかった
クラスメイトの男子と喋るのとは訳が違う
ましてや相手は教師なのに
担任なのに
鼓動が高鳴るのはその秘匿性のせいだろうか
「せ、先生は先生ですっ……」
これ以上流されないように、自分に言い聞かせるようにそう言った
こうも簡単に心が動かされている自分に喝を飛ばすように
『んだよっ……じゃあ勉強の話でもしますかー?お前現代文が「ああああ!!も、もう寝ないと!明日遅刻しちゃいます!!」
痛い所を突かれそうになって慌てて言葉を遮る
それすら笑われてまた心臓がぎゅっとなった
スマホ越しの先生の声は、私の耳に心地良い
これじゃあ一体何の為に一線引いたのかわからないじゃないか
『あんま無理すんなよ?じゃあまたな』
「はい……また明日」
『おやすみ、りお』
『おやすみなさい……先生っ……』
ボタンを押してスマホをベッドに放る
そのまま自分もゴロンと横になって放心していた
先生の声の余韻に浸りながら、何処か現実味の無いやり取りに頭が付いていかなくなっていた
交わした約束の為とはいえ、本当に恋人同士のような電話をするなんて
「何してんのっ……」
そう思うも結局先生の言う通り
失恋から気が紛れているのは確かだった
悲しみよりも、これからどう対応しようかと頭を悩ませる
また鬼の様にメッセージが届いて、学校で執拗に話し掛けられたらどうしよう
どんな顔して先生を見ればいいかわからない
もし目が合ったら、先生はどんな表情を向けてくるんだろ……
「ん……」
泣き過ぎて、寝不足の疲れ切った瞼がとろんと落ちてくる
精神的にも色々疲れた
こんなにも普通に眠れるなんて、昨日は思ってもみなかった
しかも寝落ちの瞬間が彼の顔ではなく、先生の顔が浮かぶのだから節操がない
まぁいいやと睡魔には勝てそうにないから従うことにした
明日からの先生対策なんて考える暇もなく、深く夢の中へ落ちていった
今度はたっぷり寝たせいで瞼が腫れてる気がした
家を出るまで何度鏡を見たことか
充血はしてないけど違和感がある
またこれを目ざとく見つけて、先生に何を言われるかわかったものではない
朝起きて、スマホを確認すれば既に先生からのメッセージ
『おはよ♡りおの可愛い顔、早く見たいな♡』
はっきり言って返事に困る
こんな胸焼け全開の台詞を送ってこないで欲しい
いや、どちらかというと揶揄ってるだろコレ
それともこれも気遣いなのだろうか
お陰で私は自分の身なりが気になってしょうがなくなった
挨拶だけは返したものの、間違っても
『私も先生の顔が早く見たいです♡』
なんて送れるわけがないし、恋人ごっこだからってこんな台詞は恥ずかし過ぎる
先生からの返信がないのをいいことに、それ以上何も触れずに学校へ向かった
「りお、おはよ」
今日は一番乗りではない
なんなら最後の方だと自覚している
それでも銀八先生は私の前に現れた
靴を履き替えていた玄関に
いるはずのない担任がいたのである
「……おはようございます」
驚きと照れが混ざり合って、視線を外しながら挨拶をしてしまった
昨夜の電話が脳裏に浮かぶ
先生の優しい声にときめいた自分を思い出して、目を合わせることが出来なかった
「よく眠れたか?」
「はいっ……」
「なら良かった」
他愛もない話をしながら先生は私を見ている
先生がここにいるのは明らかに私の為だった
普段からこんな所に教師はいないし、今の時間は職員室で何かやってるんじゃないの?
それをすっぽかしてまで来てくれたの?
経験したことのない特別感に胸がざわついて締め付けられる
「あ、おい……目……」
「ち、違います!いっぱい寝たからそれで……!」
やっぱり見つかった瞼の腫れを慌てて否定した
よく見せてと前髪を掻き上げてきた先生の手にドキッとして、益々心臓が煩くなった
「大丈夫、です……」
「そうか?ならいいけど……ま、腫れてようがお前の可愛さに変わりはないけどな」
「っ……先生、こんなトコで何言ってるんですか……!」
「何って……本心?いいじゃねぇか、誰もいないんだし」
ニッと笑われるとそれ以上言葉が出て来なかった
おでこをツンと突かれて
「ほら、お前最後なんじゃね?」
と言われるまで、惚けていたのは多分気付かれている
わざとらしく慌てて遅刻にならないように走り出した私に先生は
「りおー、廊下は走るなー」
と、まるで教師みたいに注意をしていた
「誰のせいで……!」
文句を垂れながら小走りをする私は、自分でも気付かないくらい頬が緩んでいたらしい
3Zの教室に入った途端、さっちゃんがこう言った
「おはよう、りお。何貴女、良いことでもあったの?」
「え?」
「朝っぱらからそんな顔して……白状しなさい!」
「え、いやっ……何のコトだか……」
「何カ上手イ話デモアッタノカ?」
さっちゃんとキャサリンに詰め寄られ、如何に自分の表情が緩んでいたのかがわかる
そんなにニヤけていたのかと自分で頬を触って確認するも、よく分からないまま2人の尋問から逃げていた
「お前らぁ、席につけー」
「!」
担任が入って来たのを機に、生徒達の自由時間が終わった
毎日聞いていたその声に過剰に反応する
騒がしかった教室が束の間の静寂に包まれて視線が教卓に集中していた
私を除いて
出席を取ったり、諸連絡を確認する先生
その声はいつもの様に面倒くさそうに、覇気がなく聞こえていた
姿を見れないで俯き気味だった私を目ざとく見つけた先生は、大胆にもみんなの前で話し掛けてきた
「どうしたりお、おねむか?」
「ち、違います!眠くありません!」
「じゃあちゃんと俺の方見ろよ。な?」
ただの注意も違う意味に聞こえてしまう
声を荒げたことと先生の言葉で、一人真っ赤になって再び俯いた
先生が去った教室がまた賑やかさを取り戻す
何も知らないクラスメイト達はいつもの様にはしゃいでいた
こんなんじゃこれからどうやっていけばいいのか
答えの出ない悩みに、私だけため息をついて顔を曇らせた
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