契約恋愛


私の言ったことを真に受けて、先生は黙ったままアパートへ向かった
それすら面白くて私も、敢えて話しかけなかったのだから性格が悪い
沈黙の中揺られる身体は気持ち良かった
足なんてとっくに治って歩けるのに、言い出さなかった私はやっぱり性格が悪い
けれどこれは最後のわがまま
これから何を話すのか
先生も私もわかっていて最後まで上手に演じている
玄関前に辿り着くと、先生は私をゆっくり降ろした

中に入ればさっきまで過ごした時間が思い起こされる
料理の匂いも、先生の匂いも、いつの間にか私を安心させる匂いになっていた
前を行く先生に目を向けて焼き付ける
このプライベートな先生を見れるのは、今日で最後なのだと言い聞かせて


「…………」

「どうしたんですか?先生」

「……喋っていい?」


思わず吹き出して笑ってしまった
何を急に律儀に言い付けを守っているのか、ふざけたり真面目だったり目まぐるしい
いいですよと言えばふっと笑って、冷蔵庫に手を掛けて先生は言った


「なんか飲む?」

「じゃあ……いちご牛乳でお願いします」

「……珍しいな」

「まぁ……」


そう言いながらグラスに注ぐ仕草を見つめていた
いちご牛乳といえば先生のお気に入り
パックに直接口を付けて飲んでいるのは知っている
それを互いに気にしない
この短い期間でそんな関係にすらなっていた

私と自分のグラスを持ってテーブルに置く
そしてソファーに座る
先に座っていた私の横に腰を下ろした先生は、大きくため息を吐き出しながらグッとソファーにもたれ掛かった


「疲れたな」

「……すみません、私事に巻き込んでしまって……」

「りおの問題は俺の問題でもあるから気にすんな」


優しい言葉は苦しくなるだけ
彼氏みたいな事を言うのは、今だけだから


「にしてもよ……アイツ思った以上にヤバかったな」

「はは……昔はあんなんじゃなかったんですけどね……なんかスイマセン」

「なんでりおが謝んの。アイツのせいで傷付いたのはお前だろ?」


グラスを取る勢いで前屈みになった先生が不機嫌そうに言う
飲み干して戻されたグラスは少し乱暴に置かれた


「それにしても先生、あの話……なんで知ってたんですか?」

「あの話?」

「あの金魚の糞とかいうやつ……」

「あぁ……あれねー……まぁ、教師の伝っていうか?エヘッ」

「……調べ上げてたんですね」


エヘッと言われても可愛くはない
寧ろその行動に若干引いている
これじゃあ本当にストーカーと言われても文句は言えない


「お前を苦しめた相手がどんなヤツか知っておきたくて……本当に披露するとは思ってなかったんだよ。でもホラ、それのおかげで助かったみたいなトコあるじゃん?ね?ね?」

「……そうですけど」


終わり良ければ全て良しみたいなことを言って先生がはにかむ
確かにその通りで、先生がいなかったらどうなっていたのかわからない
それでもやっぱり迷惑をかけた負い目もあって、軽く注意を促した


「これ以上、職権濫用みたいなことはやめて下さいね」

「は〜い」


もうする必要もないけれど

それから台所に下げたグラスを私が洗った
何かしていないと落ち着かなくて、先生が言葉を発する度に怖かった
わかってる
これは私から切り出さなきゃいけないこと
その為にアパートに戻って来たのだから
二つしかないグラスはすぐ洗い終わる
それでも水を止めれずに、その音だけが部屋に響き渡った


「りお、水「先生っ……!」


水は止めたけど振り向けない
ソファーから話し掛けてくる先生の顔を見られない
喋ろうとすると唇が震えて上手く言葉が出て来ない
それでも言わなきゃ
自分から、先生にありがとうって伝えなきゃ


「……な、なんだかんだ……先生のお陰でケリがつきましたねっ…」

「……そうか?ならお前にとって良かったじゃねぇか」

「はい……一応謝ってもらったし……これで全部スッキリしました」

「……スッキリしたのか?」

「はいっ……しました……」


シンクの縁に添えた手に力が入る
いや、震える手を誤魔化すには掴まっているしかなかった
最早幼馴染のことはどうでもよかった
ただキッカケがそれだったから
先生との繋がりが失くなってしまっただけ


「だからっ……」


言いたくない
けど言わなきゃいけない
散々先生に甘えて、私が切り出さなくてどうする





「もうっ……大丈夫、です……」


背を向けていてよかった

大粒の涙がシンクに音を立てて落ちた


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