契約恋愛
「本っ当にいいのか?」
「はい、大丈夫です」
玄関に立つ私に向かって先生が心配そうに顔を覗く
先生の抱擁からようやく抜け出して、帰ると伝えたのは10分前
それからずっとこの静かな論争が続いている
夜道は危ないから送ると引かない先生
私は私で一人になりたかった
これ以上先生に甘えれば、自分が自分でなくなりそうで怖かった
それに単純に、誰かに見られでもしたら笑い事では済まされない
「先生、今日はご馳走さまでした」
「りおが作ったんだろ?俺の方こそありがとな」
「いえっ……それじゃ「あー、りお」
「はい?」
出ようとした腕を取られて身体が近付いた
目の前の先生が私の腰を抱いて顔を近付ける
その顔がお留守番を言い付けられた仔犬のようにすがって見えて、思わずきゅんとなってしまった
「じゃあ……明日、学校でな」
「はい……また明日」
「りお……」
「な、なん、ですかっ……?」
一層腰を抱かれて身体が密着する
シャンプーの匂いに包まれて、鼓動も体温も高まっていくのを感じた
「バイバイの……ちゅうする?」
「は……!?し、しません!!」
「なんで……?」
「なんでって……!」
首筋に顔を埋めたきた先生は、名残惜しそうに私に擦り寄ってきた
顔に触れる髪の毛も首にかかる吐息も、今の私には刺激が強過ぎて卒倒しそうになるのを何とか堪えた
「ダメに……決まってるじゃないですか……」
「……彼氏なのに?」
「……今だけの、です……」
聞こえるか聞こえないか、僅かな声量で返した言葉に返事はなかった
私が身体を離して距離を取ったから
開けたドアから外気が入って来て、この甘ったるい空間を現実へと引き戻す
ずれた眼鏡を直す仕草が、今日の先生の見納めだった
「先生、また明日ね」
「……おう。明日な」
そう言って、振り向くことなくアパートを後にした
なんだか久しぶりに夜の道を歩いてる気がする
最近は先生からの電話が掛かってくるのを待つ為に、早くご飯を食べてお風呂に入って、部屋で待機していることが多かった
いつの間にか心待ちにしていたその時間
結果規則正しい生活になって、睡眠時間も確保出来た
先生はそれすらも狙っていたのかな
「まさか……今日も電話来ないよね?」
ふふっと口元が緩んで一人で笑う
こんな姿を誰かに見られたら、不審がられて変な目で見られただろう
一つ咳払いをして己を律する
先生の優しさに甘えてのめり込まない方がいいと自分でわかってるくせに
もうこの関係は終わりにした方がいいに決まってる
先生も私が切り出すのを待ってる筈だ
立ち直ったって、もう大丈夫だって、自分から言わなきゃいつまで経っても終われない
「…………」
わかっているのに躊躇う自分がいる
論理的に考えてるつもりなのに感情がそれを上回る
私が終わりを切り出したらあの先生には会えない
先生はいつもの、ただ学校で会うだけの担任教師になって、私はその生徒
肩にもたれ掛かることも、耳元で響く低く掠れた声を聞くこともない
「やだ、なっ……」
いつの間にか目にいっぱいの涙が溜まっていた
失恋の痛手をなんとかしようとして先生の提案に乗った
最初は全てがぎこちなくて、戸惑ったりもした
こんなことで傷が癒えるなんて思ってもいなかったし、意味わかんないと信じていなかった
それでも先生は私に付き合ってくれた
愛想もない素直じゃないこんな私を、見捨てないでいてくれた
最近は勘違い出来る程態度が甘くて、私の心は先生でいっぱいになっていた
これじゃあ前とおんなじじゃないか
また私は失恋してしまう
先生に失恋したら、今度こそどうすればいいの?
「せんせっ……」
呟いてみてもそこに先生はいない
自分で拒否して見送りを断ったくせに、隣の空間が寂しかった
とぼとぼ歩いていたがもうすぐ家だ
お風呂に入って眠れば、少しは気が紛れるだろうか―――
「アレ?りおじゃね?」
後ろからの声にドクンと心臓が脈打つ
打って尚、止まりそうになって思わず手を当てた
この声は知っている
知ってるどころか、ちょっと前まで焦がれてた
この人に会えればそれだけで嬉しくて、名前を呼ばれれば天にも昇る気持ちになった
ただ今は、嫌悪感しかない
ゆっくり振り返ってその人の方へ向き直る
久しぶりに見る顔
あの時以来だった
私が勇気を振り絞ってした告白を、嘲笑って地獄に叩き落としたあの日以来の再会だった
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