契約恋愛
あの後教室に戻ると、帰っていなかったさっちゃんとハム子ちゃんが白熱した談議を繰り広げていた
特にさっちゃんが興奮した様子でハム子ちゃんも押され気味だ
二人の邪魔にならないようにそっと机に向かうつもりが、案の定捕まって足止めを食らってしまった
「ねぇりお!貴女もそう思わない!?」
「いや……なんの話かわかんないんだけど……」
ツカツカ私の机まで歩いてきたさっちゃんは、怒っているのか単に興奮しているのかわからない声量だった
そして勢いよく机に手を付いて
「だから……最近の銀八先生、何かおかしいのよ!」
そう言ったのだ
さっちゃんによれば近頃の先生は腑抜けていると
前から腑抜けた顔をしてるとハム子ちゃんが言えばそうじゃないと言う
「今の先生はただ腑抜けてるんじゃないの!無駄な力が抜けてるっていうのかしら……特に目が優しいのよ!前とは大違いよ!」
「「はぁ……」」
私とハム子ちゃんの生返事が見事にハモる
先生の目に力がないのは今に始まったことではない
確かにいざという時は頼りになるけれど、一年の、一日の大半はほぼ死んだ目だ
それの何がおかしいというのだろうか
「私にはわかるわ……あれは……あの目は……女よ!!」
「はぁ?あの銀八先生が?マジあり得ないって」
即座に返したハム子ちゃんに救われた
女というワードに心臓が止まりそうになったのは気付かれていない
さっちゃんはあの目は大切な人が出来た目だとか、護るものがある男の目だとか言っている
それに同調出来ないハム子ちゃんがため息混じりに反論していた
「…………」
まさかこんな所で私達の関係がバレかけているとは思わなかった
流石銀八先生に想いを寄せているだけのことはある
ほんの僅かな変化も、毎日見つめていれば気付くものなんだろうか
これは気を引き締めないとと焦る顔を隠しながら二人にじゃあねと挨拶をして背を向けた
「また明日ね、りお。それにしてもっ……先生に想われてる女って誰よ!キーーッ!!羨ましい!!」
「いやだから、そうとは決まってないし」
さっちゃんとハム子ちゃんはまだ帰らない様子だ
背中に二人の賑やかな声を聞きながら、私は廊下に出て足早に教室を後にした
先生から鍵を預かっている
先に帰って待ってなきゃ先生が家に入れなくなる
着いたら出された課題でもして待ってようかな
お茶も飲んでいいって言ってたし……あ、ジュースってなんだろう?
やっぱりいちご牛乳かな?
そうだ、途中でコンビニ寄って飴でも買っていこう
先生なら甘いのだったらなんでも喜んでくれる筈
部屋の片付けとかは……しない方がいいんだよね
そんな図々しいことしない方がいいよね
お母さんにも連絡しておかなきゃ
ちょっと嘘だけど、友達とご飯食べてくるって言えば大丈夫だよね?
『先生に想われてる女』って……私、かなっ……
気になって気になり過ぎて、考えないようにしていた言葉が頭の中を支配する
どんなに他のことを考えても、違うと言い聞かせても、先生の行動と声を思い出せば自惚れた考えが湧いてくる
こんな関係で、たまたま今日部屋に呼ばれて、舞い上がってる自分に強く言い聞かせる
先生は生徒想いなだけ
さっちゃんの気のせいだ
そんなわけがない
「よねっ……」
先生に渡された大事な鍵を握り締めて、一度しか行ったことはないけど忘れられない先生のアパートへ、何も考えられないように走って向かった
『19時前には着くと思う』
そうメッセージが届いてより鼓動が速まった
先生のアパートには迷うことなく辿り着いて、一足先にお邪魔している
課題をなんて言ってたけど、そんなものをする余裕はなかった
18時半からずっと、時計と睨めっこをしてソワソワが止まらなかった
ガチャッ
「!!」
玄関が開く音がして思わず立ち上がる
数分前に直した前髪は大丈夫だろうか
って、私は何を今更気にしているのか
一人赤面していると開いたドアから銀八先生の姿が見えた
「お、おかえりなさいっ……」
思わず駆け寄った玄関で先生と顔を合わせる
急に恥ずかしくなってモジモジして、先生の口から笑いが溢れたのになんだか安心した
「ぷっ……ただいま。悪いな、遅くなって」
「いえ、全然……」
買い物袋をガサガサさせて先生が靴を脱ぐ
本当にここでご飯を食べるんだと実感が湧いてきて、受け取った袋の持ち手をぎゅっと握り締めた
「あ、りお」
「な、なんですか?」
「出迎えは嬉しいんだけど……鍵、開いてたぞ?」
「え!?あっ……ご、ごめんなさい……」
「いや、怒ってはねぇけど……危ねぇから今度からは気を付けろよ」
ぽんっと頭の上に乗った先生の手に肩をすくめる
触れた手にドキドキしたのと、先生が言った
「今度からって……」
この先もまだあるという意味の言葉に高揚感を隠せない
何を買ってきたか説明している先生の言葉が入ってこないくらいニヤけて、下を向いて誤魔化そうとしたら先生に怒られた
「りお、話聞いてた?」
「あ、えーと……」
「はぁ……だから、焼きそば作るから少し待ってろって言ってんの。あ、惣菜もあるからチンしてくんね?」
「先生……私、焼きそばなら作れます」
「いいって。俺が招待したんだからゆっくり休んで「それなら今帰ってきた先生がゆっくりするべきです!大丈夫です、任せて下さい!」
緊張を誤魔化す為か、それとも彼女としていい所を見せたいのか、いつになく積極的に動いた気がした
珍しい私の気迫に押された先生も、渋々了承して頭を掻いた
「じゃあ……任せるわ。いいか?火傷は絶対すんなよ?お前は女の子なんだからな!?危ないと思ったらすぐ火「大丈夫ですって!このくらい普段からしてますから!」
「そ、そうか?じゃあ俺シャワー浴びてくるけど……」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
私を心配するあまり、先生は中々お風呂場へ行けなかった
野菜と包丁の場所を指示しても、私の周りをうろちょろしている
小学生じゃないんだからと、思わず吹き出したのは言うまでもない
「もう先生!一体いつシャワーに行くんですか?本当に大丈夫ですから、そんなに心配しないで下さい」
「お、おぅ……じゃ、行く、わ……」
最後までチラチラ私の方を見て、ようやく先生はお風呂場へ消えていった
全く……とため息をつきながらも、私の心は満たされていた
過保護かもしれないけど心配されて、女の子扱いされた気がして頬の緩みが止まらない
あんなアタフタした先生は初めて見たかもしれない
このくすぐったい気持ちに浸っていたかったけど、私にはやらなければならないことがある
先生に宣言した通り、夜ご飯の焼きそばを作らなければならない
まな板を敷いて野菜を切る
包丁は確かここにあるって……
サー……
背後に聞こえるシャワーの音に、過敏に反応して手が止まってしまった
落ち着いて
何も不思議なことじゃない
仕事帰りにシャワーを浴びるなんて、ごくごく普通の行動じゃないか
よし、キャベツを切ろう
炒めながらお惣菜も温めて、お茶も出しておかなきゃ
サー……
フライパンで油がパチパチいう音よりも、シャワーの水音が耳を支配する
たまにカタンと鳴ったり、身体を擦る音さえ聞こえた気がした
「っ…………」
先生はただシャワーを浴びてるだけ
そう、それだけ
シャワー……
お風呂…………
先生は今、裸だ
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