3.太陽着る王の帝王学
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
アクセル全開で疾走するファングの後ろを、物凄いスピードで炎の濁流が追いかけてくる。
(傷を負って、ただでさえ体に負担を掛けてはダメなのに……)
メーターを振り切りそうなほどに全力で走り続けるファングのことが心配だったけれど、「無理をしないでください」なんて言葉をかけられるほどの余裕も、足を止めて休む猶予さえも、今の私たちには残されていなかった。
《! ファングとクインだ!無事だったんだ!》
《オイオイ、なんだありゃ!?》
物陰に隠れ、銃で応戦していたジャズが私たちを見つけて歓声を上げる。
傍で彼と一緒に戦っていたアイアンハイドも、それを聞くと私たちに視線を投げ、そして驚愕の表情を浮かべた。
「ジャズ!みんな!逃げてー!!ゲホッゴホッ!!」
開けた窓から顔を出して叫んだ瞬間、熱気と焦げ臭い煙が喉や肺の中に流れ込んできて焼かれるような痛みにむせ返った。
上手く息ができず目尻に涙が浮かび、ゼエゼエと酸素を求めて喘いでいると、すぐに窓が締め切られた。次いで、スピーカーから怒鳴り声が飛んでくる。
《馬鹿がッ!死にたいのか!?》
「ご、ごめんなさい……」
《貴様がそんな事しなくとも、とっくにアイツらは出口を目指している。お前はそこで、舌を噛まんよう黙って大人しく座ってろ!》
「はい……」
違和感の残る喉を押さえながら窓の外を見ると、ファングの言う通り、さっきまで戦っていたはずのオートボットはもうビークルモードになって走り出していた。
置き去りにされたディセプティコンの横を走り抜けると、瞬く間にさっきまでジャズ達がいた場所が業火の海に呑み込まれてしまった。
炎と煙に巻かれて、逃げ遅れたディセプティコン達が1人、また1人と倒れていく光景は、見ていて気分のいいものではない。
「ファング!危ないっ!!」
《ッ!》
亀裂が走り、嫌な音をたてる建物の様子に気付いた時には、すでに私たちの頭上には大量の瓦礫が降り注いでいた。引火や大きな爆発を繰り返したことにより、工場内の至る所が崩壊し始めていた。
呼びかけに反応してブレーキを踏んだファングのお陰で、間一髪、下敷きになることは免れたけれど、行く手を遮られた私たちはあっという間に炎の中に取り残されてしまった。
全身から汗が吹き出し、体温がジリジリと上昇していく。
サウナみたいな蒸し暑い車内も、じきにそんな生ぬるい表現では済まなくなるほどの熱気で満たされるのだろう。そうなってしまえば、私たちは2人仲良く共倒れだ。
《クソッ!立ち止まってる暇など無いというのに……!》
《─ファング!─ザザ……こっちだ!─》
焦燥感を孕んだ声でファングが吐き捨てると、聞きなれたノイズ混じりのラジオ音声が炎と瓦礫の隙間から聞こえてきた。バンブルビーだ。取り残された私たちに気づいて先導役を買って出たのだろう。
ファングがまたアクセルを踏み込んでエンジンが唸り、私の体はシートに押し付けられた。
猛スピードで炎のカーテンに突っ込む状況を目の当たりにして、火の輪くぐりをするサーカスの動物は、毎回こんな視点なんだろうか、と思考の隅で考える。
バンブルビーがたまたま火の手が弱い部分を見つけて先導してくれたから今回は丸焼きにならずに済んだけれど、こんな経験二度としたくない。
《─もうすぐ出口だ!─》
「出口って…あれ、壁じゃないバンブルビー?!!ダメダメ!死んじゃうって!!」
《いいから!!オレ達を信じろ!!》
「そんなこと言われても!!!待って待って待って!!ぎゃああああああああーー!!!!」
心の準備をする間もなく、フロントガラスに灰色のコンクリートがぐんぐん迫り、「ぶつかる!」と両腕で顔を覆い身構えたのと同時に、ファングとバンブルビーがビークルモードのまま壁に銃を乱射し始めた。
強烈な銃弾の雨を食らった壁は、まるでジャパニーズ・トーフのようにいとも容易く崩れ去り、私たちは脱出に成功した。
《─うわああああああ!!!─》
《バンブルビーッ!ぐ、ああああああ!!》
外に飛び出した途端背後で最後の大爆発が起こり、私たち3人は激しい熱波に吹き飛ばされた。どうやら、出口に置いてあったドラム缶の燃料に引火したのがまずかったらしい。
バンブルビーは空中に投げ出された拍子にロボットモードに変形し、そのまま私たちとは別の場所にうまく着地できたようだ。
けれど、私を乗せたファングは体が限界を迎えていたせいかうまく変形ができなかったらしく、ビークルモードのまま地面を滑るように回転しながらスリップした。
高速で回る壊れたメリーゴーランドみたいな車内に目を回していると、急に体をふわっとした感覚が包んだ。
肌を、ぱたぱたと冷たい感覚が打っていた。これは…雨だ。
「…まッ、!う、!!」
ファングの中から吐き出される瞬間が、まるでスローモーションのようにゆっくりに感じられた。ここで離れてしまったら、もう二度と話せなくなってしまうような、そんな気がしたのだ。
彼に向って伸ばした手のひらは無情にも空を掻いた。
なんの準備もしていなかった私は硬いアスファルトの地面に激突し、そのままゴロゴロと転げ回った。全身の骨が折れたり、ヒビが入ったりする音が骨を伝って耳に届く。
勢いを殺そうと突き立てた腕が派手な音をたて、激痛が走る。
やっと体が静止する頃には、私は血と泥水に塗れた死にかけのドブネズミのようになっていた。
ブルブルと震える体を叱咤して起き上がる。足に力を込めるのさえ、歯を食いしばってやっとできるような状態だった。
本当はもう動きたくなかったし、あのまま地面に横たわって誰かの助けを待っていたかった。
だけど、さっきまで私の傍にいてくれていた彼が、どこにも見当たらないのがどうしようもなく不安で、嫌な予感がして。
探さなければいけないという強い思いが、もう一度私を立ち上がらせたのだった。
ほんの数時間前まで豪雨だった空は雨足が弱まり、ほとんど雨が上がりかけていた。
厚く黒い雲に遮られていたが、きっともう朝なんだろう。上空から薄らと漏れる白い明かりがぼんやりと街の輪郭を照らし出す。
私と、ファングが初めて出会った街。
衝撃的な出会いから始まって、気難しい彼と心を通わせるだなんて、私には土台無理なことに思えていた。
それが……ファングから"オレ達を信じろ"なんて言葉が聞ける日が来るだなんて。
目を瞑れば、2人で過ごした日々が鮮明に瞼の裏に浮かんだ。本当に、いろんなことがあった。
脚を引き摺り、額から汗なのか雨なのか分からない液体を滴らせながら進む。歩くたびに全身が砕けてしまいそうなほど痛くなった。
でも今はそんなことさえ、何てことないと思えた。
とにかく、一歩でもいいから、1秒でもいいから早くファングの元へ行きたかった。
「私、ずっと何も無かったんです……。ただ何となく生きて、何となく呼吸をするだけの、何も無い人間でした。でも、あなたと出会って全てが180度変わって、たぶん、少しは成長出来たんですよ。誰かのために何かをすることが、助けになることが、こんなに素晴らしいことだって教えてくれたのは…あなたです、ファング」
ロボットモードになって仰向けに倒れるファングのボディからは、至る所から黒い煙が立ち上っていた。
私を巻き込まないよう車内から出した後、クラッシュの衝撃を少しでも減らそうと変形したんだろう。でも、上手くいかなかった。
右肩から下は千切れて無くなり、傷一つ付くことを許さなかった赤い装甲はあちこち擦れて、凹んで。
いつもは遙か上にあるファングの顔がこんなにも近くにあるのに、そこに埋め込まれた綺麗な青い双眸は金属の瞼に遮られて、拝むことは叶わなかった。
ファングの頬に手を伸ばして触れる。
すると途端に喉から熱の塊が押し寄せてきて、視界が悪くなった。次から次へと、涙が溢れて止まらない。
「ファング……!ねえ起きて!私、もっと、あなたと一緒に居たい…!こんな形で分かれるなんて嫌だ!」
《クイン!!ファング!!無事か!?》
「ラチェット、ジョルト…! お願い助けて、ファングが…ッ」
駆け付けた二人に泣きながら懇願すると、ラチェットは私とファングを交互に見比べてから、すぐさまファングの方へ駆け寄った。
ラチェットがファングにテキパキと処置を施す中、手当てに使う器具を手渡すジョルトが《ラチェット、彼はもう…》と重い口ぶりで呟いたのを聞いて、私の頭からは血の気が引いていった。
《ジョルト! …大丈夫だ。ファングは俺たちが絶対に助ける。もうすぐレノックス達も到着するから、ヘリが来たらクインは先に基地に戻りなさい》
「いやっ!私もここに残ります!ファングの傍にいさせてください!」
《君がここにいても出来る事はないんだ!…わかってくれ。後は俺たちに任せて、君は自分の体のことだけ考えなさい》
「……わかり、ました」
無力感に胸が引き裂かれてしまいそうだ。
ラチェットの言うことは正しい。どれだけファングを助けたいと思おうが、私にできる事なんて何一つないのだ。
それでも彼の傍にいたいと思ってしまう気持ちが、私の自分勝手なエゴであることも。
わかっている。けど、それでも。
本音を言えば私は…。
《行くな、クイン》
だから、彼が私を引き留めた時、私は嬉しく思いつつも、確実に近づきつつある別れの瞬間に心臓が急速に冷えていくような感覚に襲われた。
《こっちに、来い》
ゆっくり、ファングの顔の前に戻ると彼の瞼は気怠そうに開かれていた。ラチェットとジョルトは一瞬驚いた顔をしていたが、もう私に何も言う気はなくなったようで、黙って処置を続けていた。
ファングは私を捉えると何か言おうとしたみたいだったが、言葉を紡ごうとするたびに苦しそうな咳をして、排気を乱していたので、簡単な会話すらも難しそうな印象を受けた。
それでも私は黙ってひたすらにファングの言葉を待った。
今すぐに泣き喚いてしまいたい気持ちを押し殺した。
だって、冷静に現状を見極めたラチェットの指示は正しかったから。
戦場においては鋭敏な判断力を発揮するファングであれば、ラチェットの指示の整合性を理解することは造作もないこと。
それを理解した上で"治療の邪魔になる私を呼び戻す"という選択を彼がしたのは、そうまでして私に言いたいことがあるからだ。
《…また、泣いているな。……痛むのか》
「…はい。でも、これは自分が傷ついたからじゃありません」
《…ここか?》
ファングはボロボロの指先で私の胸を指さした。
つい先日、ファングがジャズと取っ組み合いの喧嘩をした時のことを思い出す。
あまりのショックに泣き出した私を、心底わからないという顔で見ていたファングに、私は自分が傷ついていなくても泣くことがあるのだと教えたことがあった。
私がこくりと頷くと、ファングは《そうか》と短く返して微笑んだ。
今まで見た事も無い、安らかな笑顔だった。
《こんな気持ちは生まれて初めてだ。泣く奴は弱者だと思っていたのに…。お前が流す涙は、弱い奴が流す涙じゃないんだな。今なら、どうしてお前が胸を痛めて泣くことができるのか、理解できる。お前は、誰よりも、オレよりも強いんだ》
「強い? 私がですか?」
《ああ》
予想だにしなかった言葉に面食らう。
強いのはトランスフォーマーであるファングに決まってる。どうしてそんなわかりきったことを彼は言わなかったのだろう。
そんな私の様子を察してか、ファングは続けた。
《力の話じゃない。心の話だ。…誰かのために戦う勇気を、オレはずっと忘れていた。…いや、違うな。自分のことに必死で、忘れようとしていた》
「…」
《お前と出会って思い出させられたんだ。その勇気がどれだけ自分を強くしてくれるかを。そして、その勇気が、お前に涙を流させるという事を》
「…私は、ファングの力になれたでしょうか」
《…お前が思うよりかは、ずっと》
「…そうですか」
ファングが激しく咳き込みだした。
咳をするだけでもひどく痛むのか、ファングは顔を歪めて千切れそうなスパークを押さえつけた。
肩で排気をする彼に寄り添い、私はファングの顔にしがみついていた。そうすることでしか彼を慰める方法を知らなかった。
《王になる夢も、お前との約束も果たせそうにないが…。お前と出会えたから、まだ悪くないと思える》
やがて咳が収まると、ひゅーひゅーという音を喉から漏らしながらファングは言った。
視界がぐちゃぐちゃになっていく。私はもう堪えられなかった。
「私もッ、あなたと出会えてよかったです…!」
鼻をぐずぐずにして、息もできないくらいの嗚咽混じりになんとかそう伝えると、ファングの人差し指が徐に、器用に私の頬を拭い、雨と汗に濡れ、唇に張り付いた髪を除けた。
そして、唇に冷たい温度が触れた。
ひんやりとしたそれは、キスと呼ぶにはあまりにも不格好で不器用で、なんだかファングらしいな、なんて場違いにも思ってしまった。
地平線から太陽が昇り、世界が赤い朝焼けに染まり出す。
雨雲はすっかり姿を消して、空は晴れ渡っている。
朝日に照らされたファングのオプティックやスパークにはもう、青い光は宿っていなかった。