2.月に口付け星をかぶせ
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レノックス少佐と共に息の詰まる報告会を終えた私は、この日だけは、隣で愚痴の止まらない彼を咎めるようなことはせず、ただ歩幅を合わせて格納庫までの道を連れ立って歩いた。
人間は非合理的な生き物だ。
だが、時には合理性を欠いてまで行動した彼らが正しい結果を導くこともある。
私はNESTの仲間たちと共に過ごしてきた日々の中でその認識をより深め、そんな人間たちを尊重し尊敬し、守ってきたのだが。
「オプティマスでもそんな顔する事あるんだな」
《…少佐には負けるよ》
「はは、違いない…にしても、今日は一段と上のやつら尖ってたな。あいつら、自分たちは安全な場所で胡坐かいてるくせに、俺たちには無理難題な命令ばかりしやがって。根拠のない仮説を唱える前に、いっぺんディセプティコンと戦ってみろってんだ」
《ああ》
ここにアイアンハイドがいないことに内心ほっとする。彼は好戦的で、心を許していない人間には露骨な態度を取ってしまう所があるから。
もしも彼が今回の報告会のメンツに含まれていたとしたら、恐らくここで愚痴っていたのはレノックスではなかっただろう。きっと今、自身がしている役を彼がしていたんじゃないだろうか。
キャノン砲を鈍く光らせ、今にも壁に八つ当たりしそうなアイアンハイドをなんとか宥めようとするレノックスの姿を想像してみて、どうにもしっくりきてしまった。
裏表がなく一貫した性格であることは素晴らしい事だ。
行動に一貫性がある者は信頼できるし、なにより清々しい。
しかし、攻撃的に捉えられてしまう行動をする前に、私たちには簡単に人間を傷つけてしまえる力があるということはきちんと自覚しておいてほしいものだ。
イライラするから、うっとおしいからという理由だけで上層部の人間を始末したがったり、基地内の資材に当たる癖はいい加減直してもらいたい。
かつてサイバトロン星でメガトロンがしたようにトランスフォーマーの力を、どんな形であっても誇示してはならない。
そんな事があろうものなら恐怖に支配された人間たちはたちまち我々を憎むようになり、自然豊かで美しいこの星で我らが辿った惨劇を繰り返さねばならなくなるだろう。
どちらかが倒れるまで、傷つけ合い、滅ぼし合う歴史を…。
「はーあ。無茶な命令されるんならいっそ、ファングの方があいつらより幾分かマシだぜ。この前の"間欠泉事件"は流石に手を焼かされたけどな」
《ううむ……》
同意と反対を含んだ中途半端な音がゆっくりと発声回路から発された。
するとまた表情について指摘されてしまった。無意識のうちに、ファングに思っている複雑で様々な事柄がすべて顔に出ていたようだ。
私が自覚を持ってほしいと望んでいるのは、何もアイアンハイド一人だけではない。
むしろファングの方が危ういと思っていて、彼が人間と一緒にいる所を見かけるだけで、なにかしでかさないかとハラハラしてしまうくらいである。
ファングの性格やオートボットに加入した理由から、"自覚"を強制すればするほど彼の反発心に拍車をかけてしまう未来は簡単に予測できたし、王になりたいという夢のせいか、司令官でプライムである私に、強い対抗意識や嫉妬をむき出しにしている事も知っていたから、少しの不満で鞍替えしかねない彼の火に、油を注がないよう私はいつも気をつけていた。
かつての同胞と争うなんてことは、1度きりでいい。
「ファングって昔からああなのか?」
《いや、厳密に言うとそうでは無い》
「そうなのか」
《うむ。戦前の彼は、サイバトロン星防衛軍の小隊長として一部隊の指揮を取っていた。…………らしい。私も、風の噂で聞いたものだから、詳しくはわからないのだ》
「なるほど」
ファングがオートボットに来た時、彼は既に今のような性格であったため、その前の、指揮官として協調性を発揮していた姿は誰も、私でさえも知らなかった。
当時は気づいてフォローしてやることが出来なかったが、今にしてみれば、一人で先走って作戦に支障をきたしてしまったり、謝罪や反省は絶対にしない彼のことを、ほとんどのオートボットは疎ましがって避けていたように思う。そして誰もが、ファングが隊長だったという噂は真に受けていないようだった。
ファングが孤立する態度や言動を率先して取っているところに遭遇すると、私は重い責任を感じて心が苦しくなる。
もしもあの時気づいてやれていれば、ファングがオートボットの一員として今よりもっと打ち解けていた未来があったかもしれない。
誰からも嫌われる悪者になろうとしているのに、どこか寂しげで、完全な悪に成り切れていないような。
彼をそんなふうにしてしまったのには私にも責任の一端があるのだ。
…しかし、彼にすでに警戒されてしまった私には出来ることがほとんど残されていなかった。
私にできるのは精々、これ以上仲間同士で亀裂が生まれないよう喧嘩を仲裁することと、一生に一度あるかわからないが、彼が私を頼ってきた時に躊躇いなく手を差し伸べる準備を万全にしておくことくらいである。
《なんっっっで!オレ様が、こんなめんどくさい事しなきゃいけねーんだよお!》
考えこんでいるうちに格納庫前に到着し、レノックスは部下のクインを探しに、私はメンテをしてもらおうとラチェットのラボを訪れようとした時だった。
子供が母親に菓子を買ってもらえなかったかの如くごねるトランスフォーマーの大声が、私たちの行く手を阻んだ。
何事かと思い突入しようとしたがレノックスが数ある扉のうち、開け放たれた扉の陰に隠れ、ひょっこりと顔を出して様子を伺うように移動してしまったから、私より先を歩いていた彼が先に中の状況を確認して偵察のためにそのような行動に出たのだろうと判断して、私も対になっている物陰に身を潜めた。
ディセプティコンが襲撃してきたのかとレノックスに聞こうとして、彼が人差し指を唇に当てたから、仕方なく口を閉じて彼の指さす方向へ視線をやった。自分の目で見ろ、ということらしい。
おどけた雰囲気のレノックスからなんとなく察していたので、彼が身を隠した理由がディセプティコンでないことは理解していた。
しかし──
そこにあった光景に私はオプティックを大きく見開いていた。
格納庫内にいたのは、大きな雑巾(?)を持って不服そうに立っているファングと、モップを抱えて彼を見上げるクインだった。
牙を剥き出し、オプティックを釣り上げ自身を見下ろす異星人に怯みもせず、彼女はにんまりと笑っていた。
「だって、私は資料室の掃除もして反省文も書いたのに、あの事件の犯人がオプティマスの拳骨一発だけなのは納得がいかないですもん。それにほら、今は滅多に帰ってこれませんけど、バンブルビーだって砂だらけの状態よりピカピカな方が嬉しいに決まってます。そしたら掃除してくれたファングの事、もっと尊敬してくれるかもじゃないですか」
《ぐぬぬぬぬ……一理あるな…》
「でしょう?ね、弟分のためにも。私も手の届く範囲は手伝うんですから、キャットウォークとか、
《…ふ、フフフフ…ガハハハハハ!!!
「ハイソウデス」
《やはり!ハッハー!!そういう事ならもっと早く言え!こんなネズミの巣みたいな粗末な場所の手入れなんぞ、朝飯前どころか、メガトロンを倒しながらだってできるぞ!お前はそこで、オレ様の勇姿をしっかり見てろ!わかったな!?》
「はいはい」
いつもの大笑いをまき散らしながら得意のスピードで掃除に掛かりだしたファングに倣い、しめしめといった顔でにやけたクインも床掃除を始めだした。
「今日の格納庫の掃除当番、彼女ともう一人いたんだが、片方が体調を悪くして来れなくなってな。さすがに不憫だったから、手伝おうかって聞いたんだが……相棒のアテはあったみたいだ」
《なるほど》
レノックスが今の状況に関する補足をひそひそとしてくれて大体察せた。ファングはどうやら、彼女の手伝いをしているらしい。
彼らを邪魔しない為にレノックスは身を潜めたのか。
クインと相棒になる前までは、何を頼んでも《それはオレの仕事じゃない》と一蹴してきた彼が文句を言うどころか嬉々とした表情で雑巾がけをする様は、ジャズが見たら卒倒しかねない。
クインが新たな仲間としてNESTに加わったのはつい最近のことだが、そんな事を感じさせないくらいファングが彼女に心を許していることは、状況からひしひしと伝わってくる。思えば、例の"間欠泉事件"から二人の距離感は以前とはまた別のようなものになった気がした。
二人の間には、ファングが頑なに言い続けている"王と召使い"のような雰囲気は無いように見えた。
いや確かに、彼らが行動を共にするようになった当初はそのような関係であったのは間違いない。
自分だけに目を向け賛辞の言葉を送り続ける魔法の鏡のような彼女と、絶対王政を敷くファング。
彼がそんな関係を望んだ理由が、純粋な承認欲求から来ているのか、はたまたそれ以外なのかは本人にしかわからない。
だが今の二人は、以前とは異なる関係性に変化してきていると断言できる。
ファングが不器用ながらにも彼女に尽くし、"求める側"から"与える側"になろうとしているのが最たる例だろう。
そう、まるで、長年連れ添った友人かそれ以上のような──
「ファングの奴、いい顔するようになったよな」
《…そうだな》
噛み締め、安心したように呟いたレノックスに今度こそ私は力強く答えた。
─ ✧ ─
メンテナンスを終え、ラボから格納庫に戻ってくるとすっかり日は傾いていた。
きれいに掃除された床や壁が、採光窓から差し込む夕焼けでオレンジ色に染め上げられている。
昼前と違って格納庫には数名のオートボットが戻ってきており、各々ビークルモードやロボットモードになって余暇を過ごしていた。
その中でひときわ日に照らされ、燃え上がる炎のように赤くなっている後ろ姿を見つけ、無視されるかもしれないとわかっていながら、先程のこともあって私はついその背中に声を掛けてしまった。
長いこと日を浴びていたのか、彼の表面温度は高めになっている。
《どうしたのだファング。……?》
名前を呼んでも返事がない彼に、やはり無視を決め込まれたかと排気をする。
しかし、横から覗き込んだ、いわゆる強面の部類に入る顔面にある、私と同じカメラアイが細められていたことに気づくと、彼はどうやら、なにか物思いに耽っていたせいで反応できなかったようであると推測できた。
数秒後、カメラアイを元の直径にまで開き私の姿を捉えた彼は見たことの無い驚いた顔で、聞いたこともないおかしな声を絞り出してよろめいた。
テンションが低い時でも声量の大きい彼が、引きつった鶏のような声を出したことを不思議に思ったが、よろけた拍子に体に隠されていた──おそらく、先ほどまでファングが熱心に西日から守っていた、居眠りをするクインを見つけ納得した。
ファングが遮っていた夕焼けが遮蔽物を無くし、まっすぐにクインの顔に降り注ぐ。
我々とは違う構造で構成され、閉じられた瞼が一瞬ぴくりと反応したが、ファングが慌てて元の立ち姿に戻るとクインの瞼には再び影が下り、彼女を深い眠りの中へと誘った。
《急に話しかけるな、起こしちまうところだったじゃねえか》
《すまない》
《ッケ》
小声でそんなことを言ってのけたファングに一種の感動を覚え、スパークから溢れそうな感情に短い言葉で蓋をするので精一杯だった。
《お、っと……!》
ベンチに横たわっていたクインが寝返りを打ったことで、転がった彼女が落下しそうになる。しかし、寸でのところでファングが受け止め、寝床を、硬いベンチからビークルモードに変形した自身のシートへ、さりげなく移した。
そっと丁寧にリクライニングまでしてみせたファングに言葉を失ったのは私だけではなく、近くでじゃれ合っていたツインズやアーシー、サイドスワイプまでもがオプティックを丸くし、次の瞬間には噴き出していた。
唯一笑いどころのわからなかった私とファングは真顔でそんな彼らを見ていたが、一呼吸置いた後、ファングは自分が笑われたのだとわかったようで声を抑えながら彼らを次々に口汚く罵った。
しかし、当の本人たちはファングの罵詈雑言を気にした様子はない。
いつもは口より先に手が出るファングが、車内にクインがいるせいで攻撃することもできない様子なのが、更なる笑いを呼んだらしい。格納庫内は笑い声の渦で満たされる。
だが、彼らが纏う空気にはファングを馬鹿にしたり、煙たがったりするような気配はもう一切なかった。
彼らの笑顔はまるで、触ると噛みつかれるから近づかないようにしていた猫が、意外と狂暴ではない事を知って思わず顔がほころんでしまったというような雰囲気であった。
《なに貴様まで笑ってやがるオプティマス!》
オートボット内の軋轢が無くなり、本当の意味で一体になった瞬間を目の当たりにした私は、ファングに怒鳴られたことで自身の口角が緩んでいたことを知った。
ファングの怒声は相変わらず絞り出すような掠れ声だった。