2.月に口付け星をかぶせ
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ファングに生首のお土産を押し付けられながら帰った日から数日後。
あれから私は、毎日のようにファングに追い掛けられていたのが嘘のように平和な日々を過ごしていた。
ディセプティコンの動きが静かで出動する頻度が減り、2人になる機会が少なくなったというのもあるが、やはり1番はファングが私を所有物だなんだと言って追い回すことが無くなったのが大きいんだと思う。
今まで、それこそ命からがら逃げ回っていたから、あまりの平穏さに最初は戸惑いながらも最高の毎日だと悠々自適な1人時間を過ごしていた。
けれどそんな日が2日、3日と続くと、私の心は次第に曇っていった。
あんなにファングと関わりたくないとヒィヒィ言って逃げ回っていたのに、今度はその反対を望んでいるなんて。
ファングにはあんなこと言ったけれど、本当に寂しがり屋だったのは私の方だったのかもしれない。ホント、調子狂うな…。
今日は、久々にファングとの合同訓練がある日。
だから昨日は全然寝れなかったし、朝起きた時は余計なことばかり考えてしまって準備が思ったように進まずバタバタしてしまった。
いつも通りの顔をできるだろうか?
あれからファングのことを考えると変な音を立てる心臓に振り回されずに済むだろうか?
私が彼の過去に触れようとすれば、彼は私に心を開いて話してくれるのだろうか?
シャワーを浴びて、朝食を食べて、支度を終えると、玄関に置いた姿見の前で、隈の酷い自分の顔に気合を入れるため頬を両手でバシバシと叩く。
しっかりしなきゃ。もう家の前に迎えに来たファングが着いてるはずの時間なんだから。
「よし…!」
ノブに手を掛けガチャリと開けると白い朝日と、見慣れたビークルモードの相棒が緊張した面持ちの私を出迎えた。
─ ✧ ─
「はああああ~……」
『おお、どうした?クイン。そんなでっかいため息なんか吐いたらせっかくの美人が台無しだぜ』
「ありがとうジャズ……」
お世辞を言ってくれたオートボットの副官、ジャズにへらりと笑ってみせるけれど、数秒後には我慢できずにまたため息をついてしまう。
ビークルモードの姿でキズを負うのが嫌らしく、NEST隊員であっても滅多に触れることを許してくれない彼が"信用してるから"と、直々に洗車を頼んできてくれたのだから、集中して取り組まなければならないのに。
思い出したくも無いのに頭の中にダビングされた今朝の映像が勝手に瞼の裏で再生されると、なんであの時の自分は彼に、心を許してもらえると思っていたんだろう。と、羞恥心にさいなまれてしまい、今すぐにでもここから逃げ出して枕に顔を埋め、叫びたい気分にさせられる。
─私は彼の"特別"らしい、だなんて。うぬぼれすぎだろうか。
─ファング、この前のことなんですけど…。
─ハア?何の話だよ。
(あぁあぁあぁあぁあぁあぁ…)
蹲って悶え、ジタバタしたくなるのをかみ殺すように長い息を吐き出す。
人前(人じゃないけど)で盛大な溜息をつくのは失礼だってわかってるのだけど、どうすることもできない。
脳の中にあるこの記憶を完全に消してしまわない限り、今日一日はタラレバと嘆息ばかりの日になってしまうだろう。
ソルスティスのボディを一通り濡らし終え、ため息。
洗剤をたっぷりスポンジにしみ込ませて、ルーフやボンネットを優しくこすって、ため息。
作業に集中しようとすればするほど、頭から追い出そうとすればするほど、脳内がファングとの記憶と自分の行動に対する反省でいっぱいになってしまう。
いったい、どうすればこの脳内反省会から抜け出せるんだろうか。というか、なんで私はこんなにファングとの事を気にして、一々浮かれたり落ち込んだりしてるんだろう。こんなの、まるで…。いやいやまさか!ありえないって!
「ふう…」
今日何度目かもわからない嘆息についにジャズが痺れを切らしたのか、噤んでいた口を開く。
車全体についた泡を再びホースで洗い流して、沢山のシャボン玉たちが宙に舞い上がり、水しぶきが手元で小さな虹を作っていた時だった。
彼の言葉は何の心構えもしていない私にとって、クリティカルヒットを繰り出すには十分すぎる威力を持っていた。
『……もしかして、恋…とか?』
「ブッ!!!????」
KOI、鯉、故意。
ジャズの言っている"こい"とは、咄嗟に私が脳内変換したどの"こい"とも違うのはわかりきっていた。
なんの前触れもなくその単語を告げられたことで、準備が出来ていなかった心をマシンガンで蜂の巣にされたような気持ちになって、思い切り噴き出してしまった。
『図星か?』
「ちが、!………………わ、ないのかもしれない」
『なんだよそれ』
バクバクと今も胸を貫通してしまいそうな心臓を抑える事に集中したら、文章に変な間ができてしまい、ジャズがそれを、軽やかな笑い混じりに指摘した。
踏んだり蹴ったりな自分が恥ずかしくて、顔に熱がこもるのを自覚しながら、ひとまず洗車だけは終えてしまおうと、びしょ濡れになった車体をクロスで水気が無くなるまで拭き取り、ワックスで仕上げる。
すると待ってましたとでも言わんばかりに、ソルスティスの体に亀裂が入ったため、先ほど水を止めたホースが繋がっている水道まで下がった。
思った通り、ジャズがブレイクダンスをしながらロボットモードに変形した。
様々な金属音を奏でながらくるくる回る銀の装甲は、空が曇っているのにもかかわらずキラキラと輝いている。
彼の変形を察せずに棒立ちしたままであれば、今頃こめかみをあの大きな爪先で蹴り飛ばされていた。
まあ、どこぞのファングさんと違ってジャズなら、仮に私が一歩下がらなかったとしても配慮して普通に変形してくれたことだろう。
ロボットモードの彼らに違和感を覚えないようになったのはもう随分と前だったが、首が折れんばかりに顔を逸らさないと目を合わせられないという点は、誰に対しても毎度どうにかできないものかと思ってしまう。
と言っても、ジャズの体長は他のオートボットと比べても低い(それでも彼の身長は建物1階分はある)から、膝を折ってもらえばそれなりに楽だけど。
目の前に無言で両手を差し出されたので、こちらも何も言わずに足を乗せる。
私を乗せた4本指の手が彼の目線まで持ち上げられる。こういう所もファングと違って紳士的である。
《それで?誰を好きになったんだ?正直に言った方が気が楽になるぜ》
どこまでもこちらを気遣ってくれるスタンスのジャズに胸から温かい感情が滾々と溢れ出て来る。
しかしその分、自分の中に明瞭な答えが無いから、同時に申し訳ない気持ちも同じ場所から湧き出て来る。
「うーん…実はまだ、好きかどうかはわからなくて。特別扱いされてるかもって感じた時はすごい嬉しかったし、正直に言うと、さっきまでその人のことで頭がいっぱいになったりもしたんですが、好きとはまた違う気がして…。そんな状態で相手をハッキリ明言しちゃうのは気が進まないんですよね」
今もその人の影が視界にチラついているとは言えない。
《そうか、それなら相手はぼかしてもらって構わないよ。その方が、俺も望みを持てるってもんだしね》
「あはは!ほんとジャズって優しいですね。本気で受け取っちゃおうかな~」
《俺を君のナイトにしてくれるなら、君をこんな風に悩ませるようなことは決してしないと誓うよ★》
「あーんジャズ様、素敵ぃ!」
ばきゅーんとラジオから効果音を鳴らしながらウインクをしておどけるジャズに合わせて、黄色い声をあげてみる。
彼の両手の上でふざけあって笑うのは本当に楽しい。
ファングといる時と違ってオイルを飛ばしながら笑われることもないし、乱暴に摘まみ上げられることも無いから。
《……。クイン》
「なんですか?」
笑いすぎて目尻に滲んだ涙を拭い、ジャズの顔を見上げるとなんだか神妙な空気を醸し出されて身構える。
彼はなにか私に言おうとしているのか、でも何を言いたいのかまとまっていないのか。
目の前にある口を、音もなく開いたり閉じたりしている。
決心したのか、私を真っ直ぐ見てきた彼に不意にどきりとさせられて、バイザー越しのオプティックから意図を読み取ろうと見つめ返す。空気は張り詰めていた。
《……俺h「ふぎゃあぁぁぁぁああッ!!」!?》
雷が落ちたかのような凄まじい破壊音の後、背中や首、後頭部を滝のような勢いで水が打ってきたため、乙女にあるまじき品のない悲鳴をあげてしまった。
《ファング!》
あまりの勢いだったから、後ろから放水されているのに鼻にまで水が入ってきて、鼻と喉が繋がる場所がつんとして咳き込んだ。
あっけに取られていたジャズがハッとして、犯人の名前を叫びながら私の後ろに手で壁を作ってくれたお陰で水がせき止められ、私の咳もやっと落ち着いてきた。
張り付く前髪をはらって恐る恐るジャズの手から顔を出すと、不機嫌な態度を隠そうともしないファングがそこにいた。
あ、この状況知ってる。自分の所有物が他の人といるのが気に食わないファングがオートボットに喧嘩売るシーンだ。
私はジャズに対して申し訳なくなった。
さっきの音は、ファングが水道を踏みつぶして破壊した時の物だったらしく、消防車の放水のような先程の攻撃は、地面から剥き出しになった上水管から間欠泉のように噴き出す水を踏むことで差し向けたみたいだった。
すぐに水の軌道を変えることはできないようで、彼は私とがっつり目線を合わせていながら、ひょっこり出した顔面に追撃の放水をしてくることはなかった。
水での攻撃を諦めたのか、顔のパーツを思い切りしかめたファングがずんずんとこちらに近寄ってくる。
ジャズは顔を引きしめると、私を地面に下ろし、戦闘態勢になった。
ジャズがファングの喧嘩を買う所を初めて見た。
ジャズは穏やかな性格で、ファングのような相手が売ってくる喧嘩もさらりと軽く流せてしまうから、今までこうして立ち向かうような状況になったことがなかったのだ。
今回だって
ジャズの強さは一緒に戦う仲間としてよく知っているからそう簡単には倒れないと思う。でも同じくらい、いやそれ以上にファングの戦いぶりも傍で見てきたから、最悪な状況にはならないとは信じているが心配だ。
2人ともスピードに特化した戦い方をするけれど、小回りの利いた動きをする分、威力の弱いジャズに反して、ファングは雑な分、力で押す場面になるとトコトン強い。
怒りで我を忘れたファングがうっかりジャズをパンのように真っ二つに割いて、スパークを傷付けるなんて事になったら大変だ。
戦闘が絡む事柄において人が変わったように冷静になるとオプティマスのお墨付きを貰っているとはいえ、あの性格だから絶対に大丈夫とは言い切れない。
何か、ジャズを加勢してあげられるような物はないだろうか?
キョロキョロと辺りを見回して、破壊された水道のすぐ側に、同じくホースをつけた蛇口があるのを発見した。
オートボットが一度に2人以上洗車に入っても大丈夫なように、ここは水道が2つ付いていたのだ。
ファングを止められる力はないだろうが、目くらましくらいにはなるだろうと考え、私はそこへ駆け寄り、蛇口を全力で捻りまくった。
水道の弁が開かれていき、手に持ったホースの先が重くなっていく。
ノズルのダイヤルも「シャワー」から「ジェット」に変えておいた。
後はいざと言う時に下についたレバーを引くだけで水が出るはずだ。
《クイン!!》
「えっ!!」
地獄の悪魔のような低い怒鳴り声で名前を呼ばれ、反射的に振り返った。
どういう訳かジャズに喧嘩を売ったはずのファングは、いつの間にか標的をこちらに変更していたらしく、射抜いてしまうんじゃないかという眼光の鋭さで私を睨みつけて真っ直ぐに迫ってきていた。しかも、腰に絡みついて動きを止めようとしているジャズを引っ付けたまま。
なぜか頭の中に、止まるんじゃねえぞという言葉が浮かんだ。
《クイン逃げろー!》
「う、うわぁあ!」
猪のように突進するファングをいよいよ止められないと判断したのか、ジャズがボディが傷つくことすら厭わず、しがみついたまま叫んだ。
私は咄嗟に引き金を引いてしまっていた。
ぶしゃぁあああ!!
という派手な音を立てて放水は開始された。
私の手元からファングの顔目掛けて、アーチを描く水の橋と虹が架かった。
《べブッ》
怒ると同時に牙をむき出してしまう癖のせいで開いていた口から水が入ったらしく、ファングが間抜けな声を出した。
こちらの思惑通り、足止めすることは出来たようだ。
けれど私の顔は引き攣っていた。
さて、この後のことは考えてなかったぞ?